タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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夜から夜まで

夜から夜まで

劇団競泳水着

駅前劇場(東京都)

2021/05/12 (水) ~ 2021/05/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

表層的には身近にもありそうな恋愛劇。といっても優柔不断で曖昧な関係で満足している、もしくは進展を望んでいない男女の不器用な恋物語といった方がピッタリとくるか。この公演、恋愛話が淡々と展開していくだけのようだが、不思議と観入ってしまう魅力がある。
一方、どことなくコロナ禍を意識した描写があり、これも世相を反映させているのであろうか?物語は男女の感情や社会状況について、それぞれの憤懣やる方ない思いをしっかり伝えたいというメッセージが込められているかも。「劇団競泳水着、5年ぶりの本公演」…面白かった!
(上演時間2時間 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術はシンプルで、その意味では男女の関係性の変化を際立たせる観せ方になっており、理に適っている。舞台を一段高くし、中央に横長椅子、上手側に円形カウンターテーブル、下手側に丸椅子が2つ。段差を設け、その上下の動作によって場面(情景)の変化を観せる。

梗概(説明から)…曖昧な関係(セフレ状態)を続ける祐平と咲。咲は、結婚3年目の友人・朋子から不倫していることを打ち明けられる。朋子の不倫相手・陸と知り合った咲は、陸に惹かれていくが、必死にその気持ちを抑える。やがて朋子は陸との不倫を終わらせる。それを知った咲は、祐平との関係を解消し陸と付き合う。一方、咲に去られた祐平は、元恋人やデリヘルで出逢った女性らと関係を結ぼうとするが、空回りを繰り返す。ある日、祐平、咲、朋子の三人は、延期となっていた知人の結婚パーティーで顔を合わせることになったのだが……。

どこかシャイで不器用な20歳半ば~30歳代半ばの男女、彼ら彼女らのどこか虚ろで鬱屈した思いが愛の決定打に欠け、真の”愛”を求めて彷徨している。そんな雰囲気が漂う少し切ない青春群像劇は、遥か昔の自分を見るようで甘酸っぱい気持にさせる。たびたび出てくる「東京は広い」という台詞は、多くの人が住んでいる割には、自分の心を満たしてくれる人との出会いが少ない。
コロナ禍の状況下にあっては、なおさら会って話をする機会が減っていることを表している。インターネットを通じた会話は、現代風とも思えるが、東京という大都会の中でのある種の”孤独”をも思わせる。何となくタイトル「夜から夜まで」に寂寥感を覚えてしまうのもそのためであろうか。

コロナ禍は、先に記した憤懣やる方ない思いを吐露する場面において、わざわざマスクを着けて叫ぶ。そこに本音を叫ばずにはいられない苛立ちが見える。かと言って暗く重い展開ではなく、どちらかと言えばカラッと乾いた雰囲気である。そこが淡々とした日常を思わせる。
もどかしい恋愛事情にコロナ禍という閉塞感を重ね合わせた物語(展開)は、観客を今状況に上手く取り込んだ会心作といえるだろう。
次回公演も楽しみにしております。
「母 MATKA」【5/17公演中止】

「母 MATKA」【5/17公演中止】

オフィスコットーネ

吉祥寺シアター(東京都)

2021/05/13 (木) ~ 2021/05/20 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

原作はチェコのカレル・チャペック、それを文学座の稲葉賀恵女史が演出した本公演は、大変観応えがあった。原作は1938年に書かれたらしいが、現代でも普遍的と思えるし説得力ある会話劇。もちろん原作の良さはあるが、それを演劇的に観せる巧みさ、その観点から言えば脚本・演出・演技そして舞台美術・技術のどれもが素晴らしかった!
内容は、女と男という性別はもちろんであるが、母としての思いをしっかり描き込んだという印象である。それは特別なことではなくごく当たり前な感情であるが、社会というか状況が異常(非国民的扱い)へと煽るような…。家族の会話を通して、根底にある不条理を浮かび上がらせる重厚な公演。

(上演時間2時間 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台は亡き夫の書斎。中央に両袖机、上手側にはミニテーブルが置かれている。また上部から銃やフェンシング剣が吊り下げられている。下手側には本が積まれ、上手側と対を成すように本が吊り下げられている。小物としての当時のラジオ、蓄音機、複葉機模型、チェス等がある。これらは物語の中ですべて使用され無駄がない。後方はカーテン(紗幕)で、後々重要な演出効果を果たす。
下手側に亡き夫の軍服姿の肖像画があり、本人(大谷亮介サン)が額縁の中でポーズを撮っている。そして妻(増子倭文江サン)だけになると、額を跨いで出てきて、互いに思いを語り始める。この跨ぐ行為によって来世と現世の違いを表すが、物語の展開上あまり重要ではない。何しろ末息子を除く男(父親、夫、息子4人)は全て亡くなっているが、何の違和感もなく幽霊となってたびたび現れ議論(男の立場は議論であるが、母の思いは会話)する。ここに演出上の奇知を感じる。

梗概…母には5人の息子がいた。長男は戦地に赴き医学(黄熱病)研究に、次男は飛行機乗りとして技術開発に、そして双子の三男と四男は体制側・革命側に別れ戦うことになり、各人が名誉、社会的な立場、信念を貫き死んでいく。末息子は夢見がちで、他の兄弟とは違っていた。国では内戦が激しくなり、またラジオからは隣国からの侵略防衛するため国民に戦争参加を呼びかけるアナウンスが続く。隣国の敵も間近に迫る中、母はトニ(田中亨サン)だけは戦争に行かせまいと必死に守ろうとするが・・・。
さてラストは、観客の考え方次第で異なるだろう。

男は祖国、名誉、医学・科学発達、自由・平等といった信念など、何らかの大義のために死ぬ、そのことに悔いはないという。しかし、母は子を産み育てという感情の中で生きている。そう考えれば、この公演―表層的には、戦時下という状況において、男性の志向は国家などの抽象的な論理的概念、女性の思考は家族などの具体的な感情的概念といった性差の違いを観せているが、根底は「反戦」「生きる」とは? を考えさせる人間ドラマと言える。

さて、妻は夫が立派な軍人であることを誇りに思っているが、現実には戦死してしまい葛藤を抱える。その葛藤の表れが、逃避しても「それでもあなたを愛したわ」という台詞。女性の繊細な感情の機微が見てとれる。また息子(長男)についての語らいでは、なぜ自分の息子が危険な地域で黄熱病に苦しむ人々を救うために死ななければならなかったのか? 長男は「医者の義務」だと言うが、母親は「でも、おまえの義務なのか」と問い返す。一方父は、優秀な者が、先頭に立つべきだと言い、息子を褒める。ここに悲しいまでのすれ違いがある。母親にとっては自分の家族が一番大事なのだ。異なる前提からは、異なる結論が導かれる。男たちも、好きこのんで死んでいったわけではない。(幽霊の)父からは、「もっと生きていたかった」という言葉がこの作品により深みをあたえている。

原作の深みをより演劇的に観(魅)せているのが、演出等の素晴らしさ。まず小道具でフェンシング剣や銃が吊り下げられており、時々にそれを振りかざしたりするが、同じように吊り下げられた本は一度も触らない。そこに「武」と「知」の対比をみる。単純ではないが男(父と息子)と女(母)という本作の会話の食い違いを象徴しているようだ。またカーテンに遠近投影を用いた人影は、家族以外の第三者(群衆)もしくは社会という距離あるものを表現し、物語をより家族内の会話劇として際立たせている。同時に人影に銃声や号砲といった音響効果を巧みに併せることで緊迫感をもたらす。

しかし、重厚な作品であるにも関わらず、常に緊張感を強いるだけではなく、ときどきクスッという笑いというか”間”の妙を入れるあたりは実に上手い。もちろんその間合いの上手さは役者の演技力であることは間違いない。安定した演技力に裏付けされた緩急自在の感情表現は見事だ。コロナ禍にあって、このような公演を観ることができて本当に良かった。
次回公演を楽しみにしております。
お月さまの悪戯

お月さまの悪戯

劇団CANプロ

中板橋 新生館スタジオ(東京都)

2021/04/23 (金) ~ 2021/04/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

設定や展開には工夫を凝らし、興味を持たせようと努めていたが、何となく予定調和でインパクトが弱い。たしかに観劇後は優しく心地よい気分になる。しかし、観念ではなく、もう少し感情が全(前)面に溢れてもよかったと思う。

(上演時間1時間20分)

ネタバレBOX

物語は養護施設で育った女性を中心に、4月に起きたある「奇跡」について描かれる。舞台は茨城県土浦市にある ごはん処「こじま」の2階。ここに養護施設で育った渡辺希望と青木恵子が住んでいる。養護施設で働いていたこの店の女将・小島里香が施設退所年齢になった2人を自宅に住まわせ10年近くが経っている。希望は文通をしており、その相手が藤田奈緒という自分と同世代の女性。そして近々会うことになっていたが…。

2019年4月上旬から5月初旬の約1か月弱の物語(カレンダー有)。今時のコミュニケーション手段として”文通”は少し古いように感じたが、そこがこの物語の肝。時間を遡行させるような展開であり、後々、文通相手との因果律がみえてくる。概観として、背景にある養護施設育ち、そこでの境遇と今現在の生活環境への連続性というか影響が見えてこない。かろうじて施設育ちの自分(希望)が幸せな結婚生活を営めるのか、彼氏からのプロポーズを素直に喜べないといった悩みが見えること。一方、同じ施設育ちの恵子は窃盗癖があり、それが施設の時から直らないという性癖を時間の流れに取り込んでいる。さらに性癖を克服しようと…。彼女たちと2人を温かく見守る女将、そして謎の文通相手・奈緒、この女性4人の会話は、途中から結末が分かってしまい、パラレルワールド的な展開が透けて見えてしまう。設定と展開に工夫を凝らし、親・子の問題(養護施設-ネグレクト、女将の思い-不妊治療等の台詞)に迫ろうとしている。が、表面上-言葉だけで物語全体からその思いが伝わらない。そこにこの公演への もどかしさを感じた。

気になったのが演技。何となく演じていますといった不自然さ。特に顔(表情)の変化はワザとらしい。
タイトル「お月さまの悪戯」は、4月の”ピンクムーン”がある奇跡を起こすという意らしいが、もう少し時間軸を長くし「親から捨てられた子」「不妊治療しても子宝に恵まれない親」という両観点から語るのではなく、どちらかに重きを置いたほうが物語としては分かり易かった。
次回公演を楽しみにしております。
ドップラー

ドップラー

KOKOO

シアター風姿花伝(東京都)

2021/04/20 (火) ~ 2021/04/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

変幻自在、サプライズ満載なストーリー。お伽噺「浦島太郎」、寓話「ウサギとカメ」、神話「パンドラの箱」、アポロ(有人月面着陸)計画等、色々な物語を想起させつつ、破綻と成立の境界を行ったり来たりする危うさ。それがなんとも不思議な魅力を放つ。一級のエンターテイメント作品とまではいかないが、それでも新たな旋風を巻き起こすような予感?がする。
上演時間2時間(途中休憩10分)

ネタバレBOX

上手側に階段を設え、舞台上にあるのはドラム式洗濯機1台のみ。あとは小道具としての弁当箱。大きく空間を確保するのはキャストが走り回る、そのスペースを確保することと同時に、壮大な宇宙空間の演出を意図しているのであろうか。キャストは総じて若く、大声、走り回るといった演技が印象的だ。

物語は、お伽噺、寓話、神話、さらには世界的な関心事など虚実綯交ぜにし、それぞれのモチーフを断片的に繋ぎ、さらにコント的な場面を挿入し笑いを誘う。一見 無関係なシーンが次々と放り込まれハチャメチャな感じがする。縦横無尽に展開する物語はどう回収し収斂していくのか疑問が残る。にも拘わらず いつの間にか一本の線(本筋)の上にいる。過去と現在もしくは未来という時間の流れ、そこに人間の性格や生き様を上手く絡め、表層的には破綻しそうな話が重なっていく。何故か重層的に展開しているような錯覚に陥る。その訳が分からないマジックワールド的なものが魅力かもしれない。

題名「ドップラー」は「遅れて共鳴が来る」ということらしい。それを2人の青年(1人は足も生き方も早く、もう1人は鈍く不器用な人生を歩んでいる)の生き方に象徴させる。人生、早いか遅いか(何をもって比較するかは曖昧)の競争ではないといった教訓的なことを、お伽噺や寓話等に準えて描く。

が、実は本来担うべき人間が、何らかのアクシデントで全うできなく足踏みしている間に、周回遅れで追いついてきた人間が取って代わる。いや そうせざるを得ないという状況に追い込まれる。注目され後に引けない国家的なプロジェクト-宇宙計画。しかし、そこには不整備なロケットへの搭乗という秘密が隠されている。遅れてきた人が衆人環視の中で搭乗せざるを得ない状況に追い込まれる。周りの英雄視扱いとは逆に自己犠牲へ、いつの間にか周りの思惑に踊らされる不条理。物語は、決してジグソーパズルのようにピースがキッチリ収まらないが、そこが伸び代と言える。粗削りだが勢いのある公演、自分は好きである。

次回公演も楽しみにしております。
6団体プロデュース『1つの部屋のいくつかの生活』#3

6団体プロデュース『1つの部屋のいくつかの生活』#3

オフィス上の空

吉祥寺シアター(東京都)

2021/04/09 (金) ~ 2021/04/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

同じ舞台美術で6団体が競演する企画。
【青組】観劇。
前半:Pityman
後半:こわっぱちゃん家

上演時間2時間-各1時間、途中休憩10分)

ネタバレBOX

共通セットは、舞台中央に踊り場のある2階への階段と2階部ドア、舞台上手・下手側にあるドア。中央階段の階下(1階)にはソファ。舞台の色彩は、階段上部(中央)が黄(緑)、上手側が赤、下手側が青という3色、組み分けの意味があるのだろうか?

Pityman 「そんなこと話してる場合じゃない」
 同じソファをめぐってオムニバス風に引っ越し業者、思いを語る若者、別れそうな夫婦と3つのエピソード。これらのエピソードを包み込むような物語が、今のコロナ禍における演劇公演そのもののあり様を描く。
 公演を観に来た男が、劇場入り口の検温で引っ掛かり中に入れない。そこで先の3話が次々と展開していく。時間を経てまた検温をするが、それでも劇場関係者は何らかの理由を付けて中へ入らせない。一方、劇はソファが外に出せないをコミカルに描いていく。この入る出せないといった、真逆のような行為を「劇中劇」仕立てとして面白可笑しく観せる。シンプルな舞台セットにも関わらず、奇知に富み世相をしっかり皮肉る世界観は秀逸だ。

こわっぱちゃん家 「Picnicへのご案内」
 どちらかと言えば王道的な観せ方(作品)。子供叱るな来た道だもの年寄り笑うな行く道だもの、といった言葉を思い浮かべる。若者が楽しく過ごす近未来のシェアハウス、しかし いつか各人に訪れる"ピクニック"とは? 20歳代の若者男女4人が元気いっぱい楽しそうに暮らしている。しかし若者に見えるのは外見だけ、実際は後期高齢者が入所している老人ホーム。
 ある日、シェアハウスの管理人が1人の住人にピクニツクへの招待状(手紙)を持参する。そこから状況、雰囲気が一変する。今まで同じ空間・時間を過ごしてきた仲間、その仲間との別れ、それは世代に関係なく一抹の寂しさが残る。このシェアハウスでのピクニックは別の意味合いのある別れが…。まさしく近未来のシュールな物語。

2団体ごとの競演といったスタイルだが、特徴を挙げるとすれば Pitymanは脚本の独創性、こわっぱちゃん家 は演出の奇抜さといった違いを思わせる。同じ舞台セットでこれだけ違う物語を紡げる、やはり演劇の幅広さ奥深さを感じることができる好企画。次回公演(企画)も楽しみにしております。
引き結び

引き結び

ViStar PRODUCE

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2021/04/21 (水) ~ 2021/04/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

公演は「紬」と「結」の2チーム。自分は「結」(大千穐楽)を観劇したが、終演後の挨拶で主宰・星宏美さんが落涙、それにつられて自分も涙腺が緩む。
さて芝居は、コロナ禍の状況を物語に重ねるような、そこにこの公演(演劇に対する思い)の真骨頂をみる。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

舞台セットはシンプルで、下手側に机とパソコンが置かれているのみ。正面には色とりどりの三角形をした羽目(硝子?)板のような造作。舞台がシンプルゆえに、逆に人物描写の深掘りが求められる。

梗概…物語は某劇団の公演中の受付。そこに現れたのが星乃美桜(星宏美)。入団希望者としてやってきた美桜は、劇団主宰者・佐藤慶大や主演女優兼制作の北郷春(中山ヤスカ)の養成所時代の恩師の娘。一方、父の星乃真咲は、娘が弱視というハンディを負っていることから、女優になるのは難しいと反対する。しかし、美桜の決意の固さと彼女の母親で元女優の故・星乃いぶきの事を思う劇団員達の理解や協力もあって劇団員として舞台に上がることになるが…。

美桜は弱視で、その世界(視野)は5円玉の穴から見るようなものだと表現している。先がボヤけ見難さは、まさにコロナ禍における先行き不透明で不安な状況そのもの。美桜がどう生き世間とどう関わっていくのか、別の観方をすれば、コロナ禍においてこの状態とどう向き合い、その状況と関わっていくのか。まさに今の状況に通じる重要なテーマが横たわる。その危うい状況を誰かのせいにするわけではなく、何かを成し遂げるためには自分で障害(物語では弱視を障がいと表現)を乗り越えようと努力する。

「演劇」は、稽古から本番まですべて人との関りで進んでいく。それが当たり前だと思うが、状況は一変する。今は劇場での実演、ライブ配信、アーカイブ配信など色々な手段を通して観客と関わる。本公演も上演するまでには相当な困難(感極まって星さんの涙)があったと思われるが、それでも舞台という芸術の必要性を訴える、そんな気概を思わせる内容であった。舞台は毎回異なる、その公演を行う者、それを観ようとする者、まさに一期一会、それこそがタイトルの”引き結び”ではなかろうか。

次回公演も楽しみにしております。
INDESINENCE 

INDESINENCE 

LUCKUP

赤坂RED/THEATER(東京都)

2021/03/24 (水) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

サスペンスミステリーの王道のような公演。その進行・展開は女子大生が探偵役、それもシャーロック・ホームズとワトソンのような関係で担い、謎解きに挑む。物語は作り込んだ舞台セット、そこに集まった人々の性格・立場や挙動を説明しつつ、観客自身も推理し謎解きしていく面白さへ誘う。
(上演時間1時間50分)

ネタバレBOX

舞台は五弁(イツビラ)重工株式会社の常務の別荘。左右対称に2階への階段があり、2階も廊下があり繋がっている。階下はリビングルームで豪華な調度品、中央に応接セットが置かれている。この1階から左右どちらかの階段を上り回廊のように戻ってくることができる。2階での会話は、遺産相続人にしてみれば他の者を見下す または卑下するような物言いであり、探偵役(女子大生)からすれば、屋敷内の出来事を俯瞰し推理する、そんな位置取りになる。

梗概…常務・金森重鐘(登場しない)が亡くなった。彼は、遺産相続に関する遺言を、山奥の湖畔に立つ別荘「緋桜館」で公開するとして、自分の家族をそこに集めるように指示を出していた。遺産相続の条件は、権利を有する7人(妻や娘や孫、妾の子など)が全会一致で相続人を選ぶこと。しかし話し合いは難航を極めた。外は雨が降り土砂崩れにより、街へと出る唯一の道が塞がれ、車も使用出来ない。湖は霧に包まれ、小舟で助けを求めに出るのも不可能になる。備蓄はあったが、閉じ込められた人々は次第に疑心暗鬼になっていく。そして偶然?、この山奥で道に迷った女子大生が別荘で天候の回復を待つことに…。

女子大生2人がシャーロック・ホームズとワトソン役に扮し、それとなく事件(遺産相続)に関わっていく。冒頭からの人物紹介は、身内の中での立場、個々人の性格等を丁寧に行う。これは推理劇としての定番であり、その後の展開を観客にも推理させ興味をもたせる。人物及び現場の観察を徹底的に行い 得た手掛かり-物的証拠に関する科学的知見、過去犯罪事例の知識など-を分析し、事件現場で何が起きたかを推測する。観客も喜びそうな"アブダクション"を使う。この観せ方は上手い。

推理劇としてはあまり複雑にせず、どちらかと言えば何故この地-別荘で遺産相続の話し合いをさせたのか。確かに途中までは相続人の間における陰湿・陰謀など虚々実々の駆け引きが観えたが、そのうち、この地における埋蔵(金)という壮大な話題に取って代わる。金などの相続財産よりも土地という埋蔵(莫大)財産へ私欲が蠢く。まさに人間の欲望は尽きない。が、物語は故人の(過去)想いと土地伝説・伝承? を絡め、集められた遺族の人間模様に話の重点が移行し話の内容や雰囲気が変容していく。そして大団円という結末へ、少し拍子抜けといった感もある。もちろん遺産相続に係る絵図を描いたのは別者というオチもあるが…。
次回公演も楽しみにしております。
方丈の海

方丈の海

方丈の海2021プロジェクト

座・高円寺1(東京都)

2021/03/12 (金) ~ 2021/03/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

2011年3月11日の東日本大震災、その出来事を10年後の2021年3月に東京・高円寺で上演する。故石川裕人が黙示録的に描いた遺作、10年ひと昔前と言われるが、決して忘れてはならないと思わせる。被災地域に住んでいないため、日常的には何ら(直接)暮らしに影響を受けることもなく、ともすれば忘れてしまいがち。かと言って毎日意識するといったことは難しい、いや出来ないといったほうが正直だ。日々の暮らしに影響を及ぼす被災地の人々との意識のギャップは埋められない。それでも地続き、記憶にとどめ”何かを”といった思いを巡らせる。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

舞台セットは、この港町にある映画館がやや上手側にあり、下手側は奇妙なオブジェと出入口。
舞台は東北の港町。⼩さな⼊り江に漁港があり、半農半漁のこの町に200⼈くらいが住んでいた。しかし、あの⼤津波で町は全滅し、1館あった映画館(岡⽥劇場)だけが残った。館主の岡⽥英⼀は津波で⽣き残ったが目を傷めてしまった。岡⽥家族(⽗・⺟・1人息⼦)はバラックと化した映画館で今も暮らしている。そこに同居する震災で⽣き残った漁師の兄妹。

東⽇本⼤震災から 10 年。ひっそりと暮らすこの家族のもとに、遺骨を探す三陸の男、半⿂⼈カイコーを連れた興⾏師、地上げを企む不動産屋と秘書、謎の⽼婆、記憶をなくした伝説のサーファー、精霊(コロス)などが現れる。穏やかな日常を切り裂くように持ち上がった土地買収問題。なぜこの地を買い上げようとしているのか…。

たびたび現れる精霊(コロス)は、東日本大震災で亡くなった人々(亡霊)かと思って観ていたが、アフタートークで、生きていた先祖を表現していると。時代を経ても地続き、そこでの(先祖も含め)暮らしを表現しているらしい。震災があろうがなかろうが生活の場であり、なかなかこの地を離れることが出来ない。事実あった出来事を、特異・特徴ある人々を登場させ、敢えて現実的(リアル)にせず喧噪的に紡ぐ。ノンフィクションでありながら、何故か賑々しい人々によってフィクションの様相をみせる。その演出の柔軟性に驚かされる。しかし、底流には醒めた視点で「時間を記録」し「人々の記憶に留める」ような強靭さがあるのだ。

東日本大震災の黙示録的な本作は、時間を超越しドキュメンタリー要素を垣間見せる、”力作”。舞台終盤、第三暁丸が微かな希望をのせて 10 年ぶりに船出する、は明日への希望と活力を意味する。
次回公演も楽しみにしております。
先の綻び

先の綻び

劇団水中ランナー

サンモールスタジオ(東京都)

2021/02/17 (水) ~ 2021/02/23 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

犯罪被害者または加害者の観点から描いた物語は観たことがあるし、稀に両方の観点(立場)から描いたものもあった。この公演は単純に被害者・加害者という観せ方ではなく、犯罪の行為そのものに対する憤り、しかし直接的に感情をぶつける相手がいないことへの苛立ちが悲哀となって迫ってくる。
空洞のような家族の空気感と心象を見事に切り取り繊細に描いた秀作。観応え十分!
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台セットは、郊外にある小山家のリビング。そこは家族団欒の場所であり、家庭の雰囲気を表すのに最適な空間。物語は小山家の人々の日常生活を淡々と描くが、何かが変である。当日パンフに「とある郊外の一軒家、ある男性がもたらした、今そこにある少し不思議な共同生活」とある。ある男とは小山家の長男・信太である。先に書いてしまうが、この男は既に亡くなっている。が、たびたび登場して物語を傍観しながらも牽引する不思議な存在である。家族_兄弟姉妹と言っても性格が違うように、家族内での役割のようなものをそれぞれ担っている。信太亡き後、家族内の揉め事はなかなか収まらないことから、長男として調整役というか緩衝的役割を果たしていたようだ。それを回想的に描くことによって、幸福だった家族に突然襲いかかった不幸への落差として観せる。

なぜこの男が亡くなったのか、その原因、亡くなって気付く人柄を通して、犯罪の理不尽さを浮き彫りにしていく。暴漢に襲われていた女性を助けるため、自分が犠牲になってしまった。物語に犯人は登場せず、助けた女性のほうが現れる。犯罪(ここでは被害者視点)は被害者本人だけではなく、家族や周りの人々に影響を与える。切々と語られる思い出、その滋味溢れる描き方がこの物語を強く印象付ける。

事件から数年経過しているが、いまだに取材を続けている記者(後にその理由が分かる)、その人物を通しても被害者家族が語られる。信太にしても助けられた女性にしても被害者という立場であるが、小山家の人々にとっては微妙な感情を抱く。一方 助けられた女性も心苦しい思いを抱き続けるという不幸。割り切れない気持ち、その思いの捌け口が見い出せない光景として描く。しかし時が少しづつ心をほぐし、ラストには救いの光がさすような心温まる、そして後味の良い公演としている。

パンフには「思い出と共に訪問してくる人々。繰り返しながらも変化していく」とも書かれている。ゆれる心、流される情、微妙に変化していく気持を実に繊細に演じる役者陣。照明は、水面に波紋を広げるような紋様で、表現し難い内面を効果的に表しており見事。
次回公演も楽しみにしております。
カミキレ

カミキレ

藤原たまえプロデュース

小劇場B1(東京都)

2021/02/14 (日) ~ 2021/02/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初日観劇。
藤原たまえプロデュースの公演は、何作か観ているが、いつも不思議に思う。普通の日常を淡々と描いており、劇的なうねりはあまり多くない(←失礼だったかな)。しかし多くの人が観にきている。
そこ(公演)には人の優しさ温かさようなものをそっと掬い上げる、そんな魅力に溢れているからではなかろうか。
本作も多くの人々が何らかの理由で使用するであろう「カミキレ」を題材に滋味ある(一部ミュージカル風?)作品に仕上がっている。自分は好きである。

最近、他で【18禁】公演を観劇したが、本公演、自分が観た回は【18未満】の子供も観劇していた。それだけ親しみやすいもの。
(上演時間1時間15分) 

#12『ピーチオンザビーチノーエスケープ』/#14『PINKの川でぬるい息』

#12『ピーチオンザビーチノーエスケープ』/#14『PINKの川でぬるい息』

オフィス上の空

シアターサンモール(東京都)

2021/02/07 (日) ~ 2021/02/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

「ピーチオンザビーチノーエスケープ」
【🔞】

吊り橋効果を思わせる独特な描き方は、強烈な印象を与える。ノワール劇と言っても過言ではないが、囚われた少女の体と心(精神)、その成長・変化が並行して描かれることによって、別の味わいを持たせている。
説明に”事実をモチーフに”とあるが、事実とフィクションを巧みに織り交ぜ、身も心も全て曝け出し、行き場のない衝動、時には暴力を切り取った衝撃作。
(上演時間1時間55分)

ネタバレBOX

中央に大きなベットが置かれ 周りに飾り箪笥等、下手側に小スペース。この部屋への出入り口は上手側にあるという設定。物語は大別すると、兄弟による反社会的というか悪事で成り立っている。第1に兄がこの部屋(ベット)に監禁している少女との痴態、第2は弟が刑務所から出所し昔の悪友へ脅迫的な行為を行っている、この2つで構成されている。それぞれが独立したように物語が展開していくが、兄弟が久しぶりに再会したことによって転げ落ちるような嫌悪感を増す。

冒頭、兄・藤谷ミキオがベットが置かれている部屋に来て、1人の女の子と性行為をする。そのベットを囲むように他の女の子が凝視している。この部屋の壁や床はペンキで青く塗られていて、誰が名付けたのかこの部屋は《ビーチ》と呼ばれていた。
《ビーチ》にはセーラー服、ナース服やミニスカポリスなど、安っぽいコスプレをした女たちが共同で生活している。毎日夜になるとミキオがビーチにやってきてランダムに女を呼ぶ。実話をモチーフに、狂気とエロスをどぎつくプンプンさせながら描いている。

観せ方は妄想のような描き方であるが、実は1役8人(多重人格風)で演じることで(監禁)年数を刻む。少女のコスプレ風の衣装は、彼女の年齢やミキオの趣向を表現している。一方、ある小物を利用して彼女の精神的な成長―自分による構築した他者(人格)との交流が垣間見える。それは日記を記することによって更に自己との対話を図り記憶の底を探る行為のように長じていく。だから物語の進展とともに少女の心の深淵が浮かび上がる。
一方、弟は直接的な(暴力)行為はしないが、精神的な圧迫・脅迫によって相手にダメージを与える。この兄弟が交錯することでノワール感が倍加する。何より この兄弟の生い立ちはどうなのか気になるところだが…。

この公演、色々な意味で刺激的であった。概観は嫌悪感あるように思える。が、それでも醜悪で汚らしく、猥褻で退廃的、残酷で倒錯的という、反良識、反社会の芸術(もちろん演劇も含まれる)は、世の中の反発や弾圧に遭いながらも一定数の愛好者を獲得し、連綿と支えられているのも事実ではなかろうか。その作品は悪趣味だと思いながらも、なぜか強く惹かれる。おぞましいけれども否定しようもなく、人の心の中にある歪みと狂気をこっそり覗き確かめたくなる。まさに本公演の真骨頂を観たようだ。自分の中の”狂気じみた”何かが蠢いたような気がした。
次回公演も楽しみにしております。
三国志〜たった二人の赤壁の戦い〜

三国志〜たった二人の赤壁の戦い〜

国産本マグロ

高田馬場ラビネスト(東京都)

2021/01/02 (土) ~ 2021/01/04 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

三国志は学生時代に読んだ。公演の前説では横山光輝氏の「三国志」(漫画)を紹介していたが…。映画「レッドクリフ」(partⅠ、partⅡ)も観ているから、内容の面白さは十分理解しているつもりだ。2人だけで三国志の主要人物を演じ、特に「赤壁の戦い」はその中でも有名な人物が登場し、よく知られた8場面を持って分かり易く展開していく。2人だけと記したが、正確には案内役2人と舞い手(ダンサー)2人がおり、物語を立体的に構成していく。芝居だけではなくコント的要素も取り入れ笑いを誘い、観客を飽きさせない工夫もある。なにより2人だけで三国志という時代絵巻の壮大なスケール感を出そうと試みているところが魅力的だ。
(上演時間2時間 途中 換気の休憩あり)

ネタバレBOX

セットは可動式の衝立2つ、箱馬2つというシンプルなもの。もっとも合戦劇であるからアクションスペースを確保する必要があるため理に適っている。物語は西暦180年~280年頃の中国ということで、中国歴史に詳しい人でなければ背景・状況が理解し難い。その分かり難さを補うために案内役(雰囲気ある衣装と髪型)が適宜登場し、上手・下手側にそれぞれ立ち第1場から第8場を要領よく説明していく。
またダンサー2人が合戦時における雑兵役を担うが、赤壁に因んだのだろうか、真っ赤な衣装を纏っている。そして音響はもちろん照明も凝らしている。例えば第3場で諸葛孔明が曹操軍から闇夜に10万本の矢を奪うシーンでは暗転しレーザービームライトで矢を射ているような効果で観(魅)せる。

基本的には2人だけで演じるから現在の会話劇にならざるを得ないが、身体を回転させることで人物が変わったイメージを持たせる。オーソドックスな方法であるが、そこに人物風貌を面白可笑しく加え説明することで取りあえず物語を進める。物語に登場する人物はもちろん、本公演の副題ーたった2人の赤壁の戦いーというキャッチコピーからすると、役者2人もアヴァンギャルドな漢(おとこ)という印象を持った。

最後に、物語を知っているか否かで観客の興味・理解度合いも異なると思うが、時々に入るコント的な妙味とダンスパフォーマンスが公演を盛り上げる。新年早々とても面白い「三国志」を観ることが出来た。
次回公演も楽しみにしております。
ダンスミュージカル『お私立 花村学園』12月公演

ダンスミュージカル『お私立 花村学園』12月公演

総合エンターテイメントショー『ダンスミュージカル お私立 花村学園』実行委員会

滝野川会館 大ホール(もみじ)(東京都)

2020/12/26 (土) ~ 2020/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★

典型的なエンターテインメント公演。第1部のミュージカルと第2部のダンスパフォーマンスという2部構成。ミュージカルの内容はオーソドックスなハッピーエンド。場面ごとに演じられるパフォーマンスはキレがあり見事なもの。第2部のダンスパフォーマンスは個人もしくはグループの演技発表の場といった感じだ。
(上演時間3時間5分 1部:1時間45分 2部:1時間 途中休憩20分)

ネタバレBOX

1部:ミュージカルの舞台後景は映像で情景(学園内など)を映し出すことで雰囲気を出す。そこに学園一の色男:二階堂龍平(如月蓮サン)を始めとする生徒達のキレのあるダンスや歌が繰り広げられる。チラシの出演者(顔写真)だけでも30人(ほとんどが若者)で華やか。彼ら彼女らが舞台いっぱいに繰り広げる芝居、歌、パフォーマンスはコロナ禍という疲弊した状況を吹き飛ばすような明るさ元気があって、2020年の観納めとしては好かった。

花村学園の紹介に「皆の笑顔がみたい。一緒に楽しい気持ちになりたい。そんな幸せな瞬間は、やりたい事ができている瞬間。そんな瞬間をお届けしたい、それが私達花村学園の思いです。観る側も演じる側も幸せになれる場、それが総合エンターテイメントショー『ダンスミュージカル お私立 花村学園』です。」とある。そして「こんなの今まで観た事ない、がキャッチフレーズの息をもつかせないスピード感のステージが繰り広げられます。」と結んでいる。その思いが十分伝わる内容であった(部分的に啓蒙的な場面もあったような)。

卑小と思いつつも、1部ミュージカルのラストはニューヨークへ旅立つもの。であれば2部のダンスパフォーマンスの後景(映像)はニューヨークの街や風景、または生活場面を映し雰囲気作りをすることで、何となく1部と2部の繋がりが出せるのではないか?
次回公演も楽しみにしております。
世別レ心中

世別レ心中

ハコボレ

王子小劇場(東京都)

2020/12/26 (土) ~ 2020/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★

落語から演劇の中に入るのか、または落語噺の前後に物語を加え、動作を交え演劇として膨らませたのか、いずれにしても「落語」と「演劇」を融合させた作品は面白かった。
(上演時間50分)

ネタバレBOX

舞台セットは、金屏風を背に落語の高座そのもの。まず役者(前田隆成 氏)が下手側に立ち、落語「鰍沢」の説明をする。そして中央の高座で落語「鰍沢」を噺だす。この時点で着物の羽織を脱ぐあたりは落語スタイルの所作を感じさせる。

落語噺は面白いが、やはり情景ー厳寒、寂寥感という描写が弱く、その状況から主人公の心細さが十分伝わらないところが残念。落語家と比べるのはどうかと思うが、この後に続く芝居の内容からすると、もっと”鰍沢”の雰囲気をしっかり受ける必要があったと思うからである。落語から一人芝居へ転ずるにあたり、着物姿から部分的に毛皮が付いた衣装へ早変わりさせ、観せるという型へ変化させる。同時に座って話すから、舞台上を動き回るという躍動感ある演技で観せる。落語と芝居という噺(話)を連携させ、それぞれのスタイルの違いを巧みに演出し、工夫して観(魅)せるところに好感。

芝居は落語噺の前段として人間と子狐との触れ合いと悪意なき騙し(結果的にそうなった)を付け加える。落語噺「鰍沢」のサゲは念仏「南無妙法蓮華経」というお題目だったが、芝居におけるサゲは人に関わることだったような…人間からみた狐は獣、逆に狐からみた人間も野蛮な獣というわけで、それぞれから相手を獣(ノケモノ)と見做している。その化かし合いの根底には、人の存在がある。「仏」と「化」は似ているが非(旁も違ったと思う)なるもの。しかし、この公演は、「落語噺」の”生きたい”という気持と、「芝居話」では 九尾の狐 をイメージさせるような子狐が登場し、有限の”生命”に対し、というかその更なる延長のような無限の”不死”という悩ましい結果(サゲ)を用いるところが巧い。なかなか面白い趣向で楽しめた。
次回公演も楽しみにしております。
“真”悲劇の生物兵器2367号

“真”悲劇の生物兵器2367号

空想実現集団TOY'sBOX

北池袋 新生館シアター(東京都)

2020/12/23 (水) ~ 2020/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★

山奥にある元製薬会社研究施設で起こる物語は、徹底的に娯楽を追求しようとした すれ違い、勘違いのドタバタ・コメディ。この公演は多少のオーバーアクションとテンポの良さで観る者を心地良くさせる作風。それはコロナ禍で鬱積した気分を吹き飛ばすような…。
(上演時間1時間50分)「哀」チーム

ネタバレBOX

舞台セットは中央に応接用のソファとローテーブル。奥に暖炉が見えるだけのシンプルなもの。普段利用していないという設定であるため、ライフラインは通じているが、時々電気を消す。暗闇という状況下で動き回るためには家具類は少ないほうが都合がよい?また客席も含め花・蔦が絡まり山奥という雰囲気作りをしている。

「“真”悲劇の生物兵器2367号」というタイトル、そして山奥で人が居ないという設定は、当初 不気味さを漂わせていたが、某雑誌社(記者とカメラマン)、駆け落ちアベック、詐欺師とそれを追う刑事という、大括りで3組が登場するに至って、サスペンス調が一種のサイケデリックに陥るような感覚へ?

何か(人間の)根源を見つめる、または社会的な批評(判)を成すといった作品ではなく、大いに笑って楽しむ、同時にこの世はすれ違いや勘違いの連続で、そこで暮らしている人々の可笑しみを敢えてデフォルメして見せているように思える。演出は、誰かが隠れ誰かが追いかける(出ハケ)、まるで子供の頃の”鬼ごっこ”(観せ方含め)のような遊び心に満ちた作品。先にも記したが思索を伴うといった煩わしさがなく、年末の慌ただしい時にホッと一息つけ心が休まる。
さてタイトルー悲劇と内容ー喜劇のギャップは意図的なものだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
絶対、押すなよ!

絶対、押すなよ!

東京AZARASHI団

サンモールスタジオ(東京都)

2020/12/22 (火) ~ 2020/12/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

冒頭、客席通路から登場し、舞台上で見せた後姿のシルエットはサスペンス・ミステリィを思わせたが、それは始まりだけ。物語の大半は笑いである。しかしラストはそれまでのコメディから一転滂沱を誘うような結末。”笑劇”から”衝撃”的な結末へ導く。その感情の落差というか振れ幅が凄い!
(上演時間1時間30分)

ネタバレBOX

セットは、中央台に何やらボタン、その周りに椅子が10脚。正面には段差ある舞台という極めてシンプルな作り。それゆえ何処かの室内であることは一目瞭然。同窓会という触れ込みで集まった中年(50歳代)の男4人と自衛隊員と称する若い女1人。物語の展開を書いては、これから観劇する人の楽しみ 面白さを奪ってしまうため書けないが、人生の軌跡を辿りながら奇跡的な思い、その心温まる結末が今年のコロナ禍(時事ネタとして盛り込み)という暗い世相を吹き飛ばしてくれそうだ。ボタンは「絶対、押すなよ!」でも、人生の背中は「絶対、押せよ!」友達なら…そう、この公演は人生の応援歌である。

物語は、期待を裏切ることなく何事も完璧にこなす事を良しとした男。不満を残し後悔するような事はしない。何事にも真摯に向かい合う。それが小学生時代からの信条で、友達間ではリーダー的存在。その生き方は正論であり、一方 見方によっては一定の殻で身を守り、周りに息苦しさを感じさせる。登場人物は、そんな身近に居そうな人物。その中年男4人が馬鹿話や他愛のない行動、チョットした仕草を面白可笑しく演じ、劇場内に失笑、小笑、爆笑を巻き起こす。

舞台の段差を活用し、そこを上らせながら小学校以降の人生を語らせる。定番的な演出だが、味わいと雰囲気は伝わる。ところがこの場面にもツッコミを入れて笑いを誘う。どの場面も、そして どこまでも笑いを引っ張り、ラストはどうなるのか興味を引き付ける。が、この人生の歩みと言うか軌跡(心)あたりから、ラストに向けたスパート的展開が見事。観応え十分だ。もう相当ネタバレしてしまったか?

もちろん中年男4人の演技は素晴らしいが、紅一点の自衛隊員が笑顔もなく淡々と話す姿が、男たちの対比として面白い。そしてこの娘が重要な役どころになっているとは…。出来れば観客の雰囲気を含め劇場で生(ナマ)で楽しみたい作品である。
次回公演も楽しみにしております。
エーリヒ・ケストナー〜消された名前〜

エーリヒ・ケストナー〜消された名前〜

劇団印象-indian elephant-

駅前劇場(東京都)

2020/12/09 (水) ~ 2020/12/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 この公演の優れたところは、時代背景の説明と人物造形の多角性にある。物語は1920年代から1945年までを順々に展開し、その時代に生きた人々の性格はもちろん、立場や状況を実に巧みに描いているところ。また国家・人種観という大局観から人の感情という生活や内面まで取り込んで観客を魅了する。国家(体制)その時代にその地で暮らす人々を巧みに描くことで、物語に厚みを持たせている。この骨太・重厚感は一見難しい内容に思われそうだが、一人ひとりの人物像を魅力的に描くことによって、物語の世界にグイグイと引き込む。
 タイトルにもなっている主人公エーリヒ・ケストナーは、ナチズム台頭と同時に創作活動(少なくとも発表禁止)は行わないという抵抗をしたらしい。閉塞した現況という点(物語背景の状況とは全然違う)において、コロナ禍にも関わらず、当日パンフに脚本・演出の鈴木アツト氏は早くこの作品を上演したかったと記している。観客として自分もこの作品を今観ることが出来て嬉しく思う。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術…冒頭は1920年代ワイマール期のカフェ、テーブルと椅子のセット。2場以降はナチズム下のケストナーの自宅リビング。調度品等をしっかり配置し、特に本棚は彼の職業を意識させる。ラストは某所宿舎といったところで、簡素な作り込み。セットは場面転換によってその時々の状況を分かり易く説明する役割を果たす。また1923年から1945年ドイツの敗戦迄を時間と場所を下手側にスーパーとして映し時代の流れと人々の意識変化を分かり易く補足していく。舞台技術である照明は全体的に昏く、時に焚書を思わせる本棚へ朱色照射など状況を効果的に観せる。また音響では飛行音、爆撃音をいった状況の緊張感を意識させる。そうした演出を背景に熱い議論を展開させるあたりが実に上手い。

公演は人物の生い立ち、立場・状況を確立する。その人物量感と時代感覚・間隔を浮き上がらせる。主人公とその周りの人物を特徴的に造形、表出することで時代に抵抗するか迎合するか…しかしそのような単純な描き方はしない。そこには人の”生きる”という根源的な問題が横たわるから。それぞれの人物に生き方の違い、選択肢を背負わせ、ケストナーという人物の生き様が鮮明になる。その意味では彫刻でいう 浮き彫り といった印象の群像劇だ。

ドイツ人、ユダヤ人といった民族性を強調して描くことで、なぜケストナーが亡命せず、故国に居続けたのか。この地で無言の抵抗を続けた思いが伝わるようだ。国(体制)と個人(ここでは芸術家)、現実(支配)と理想(抵抗)が衝突し、その矛盾は簡単には解決出来ない。登場人物の葛藤を通して むき出しの人間存在や不条理が露わになる。国家を成す人間社会の醜さや残酷さを思い知らされるが、同時に人間の切ないまでの生命力も感じる。民族性に差別と偏見の歴史を見るようだが、ケストナーにそれに抵抗する精神を象徴させたかのようだ。

ドイツ敗戦後、レニ・リーフェンシュタールとケストナーとの激論は時代を超えた芸術家(表現者)としての生き方そのもの。後の時代(人々)によって検証されるであろう覚悟も含め、その応酬は緊張感あるもの。またレニの「女には権力にすり寄るしか映画を撮る道はなかった」「あなたは私を見ると、鏡のように自分の姿が見えて苦しい」などの珠玉の台詞は、現代日本にも通じ心に響く。ケストナー役(玉置祐也サン)とレニ役(今泉舞サン)の激論は、2人の口跡もクリアーで確固たる論理の展開、格調も高く心魂揺さぶるものだった。この公演は、まさに自分の思考を…。
次回公演も楽しみにしております。
[Go Toイベント]詩X劇 フクシマの屈折率

[Go Toイベント]詩X劇 フクシマの屈折率

遊戯空間

上野ストアハウス(東京都)

2020/12/03 (木) ~ 2020/12/06 (日)公演終了

満足度★★★★

「言葉」という 力 を舞台_その構図と構成に巧みに取り込んで描いた詩×劇。語られる内容は、現実に起ったこと、現在進行形で起きている試練を時間の流れの中で具象・抽象を混在して観客の意識を刺激する。焦点は現在の状況であるが、この作品が不透明な現代において普遍性を確認するのは、もう少し時間がかかるだろう。
和合亮一氏のテキストを篠本賢一氏の構成・演出によって、舞台ならではの美術・技術で視覚・聴覚に印象付ける。まさに演劇の面白さを再確認させられたようだ。
(上演時間1時間15分)

ネタバレBOX

暗幕で囲った舞台美術はシンプルで上手・下手側にそれぞれ4つの白い箱馬が並び、上手側の演じ場と区切る形で演奏(キーボードとチェロ)ブースがある。演奏といっても音響鐘に続いてスタッカートで効果音を奏でる、その響きが物悲しく思えるのは錯覚であろうか。天井からは目に見えない放射能、ウイルスをイメージさせるオブジェが吊るされている。下手側には誰も座らない椅子が一脚置かれ、時々 暖色照明を照らす。フクシマという遠隔地にいる人との語らいか、または行方不明者や死者との魂の共鳴をイメージさせるのか。
出演者の衣装は男性1名が黒、女性8名が白で、何となく防護服を連想させる。舞台全体がモノトーン、出演者は客席後方から静々と歩いてくる。その姿は重厚感と同時に悲愴感を漂わせている。

語られるのは、2011年3月の東日本大震災(原発汚染)、現在も収束していない新型コロナウイルス・covid-19、さらに九州地方を断続的に襲った豪雨による災害。特に原発と新型コロナは、目に見えない不安・脅威に脅かされている人々の苦悩と悲哀を”言葉”と”パフォーマンス”で印象深く伝える。しかし、その描き方は世情の委縮や閉塞といった静観するものではなく、役者が次々に箱馬の上に乗り飛んだり跳ねたりといった動作。さらに舞台中央でサークルを成し、上衣を振り上げる動作が不安・不満を表すと同時に、それらを払拭しようとする。その動態が生きようとする人間の逞しさを表現している。さらに三者の声…男優・女優そしてナレーションはそれぞれの内なる思い、本音(主観)と現実(客観)を表現する。冒頭にある「言葉を失う」「言葉が見つからない」といった詩ならではの台詞が重く、終始 圧迫感ある雰囲気を漂わす。
が、苦悩等は弱いもの者から顕わになる、しかし明けない夜はないと救いもある。その意味で、この公演は人間賛歌を謳ったものと言えるのではないか。

最後にこの作品は、現代において観るべき”価値”が発揮される。時代を経ることによって、例えば10年後に観た時は、また違った印象を持つのではないか。そこに演劇の特長的な魅力があると思う。違った印象=変化とは、我々の「現実生活」であり、新しい形と内容の”現代”に直面しているであろう。だから観るべき時は今が一番よく解るであろうから。同時に現実の帰結を洞察しつつ、未来をも見据えようとするベクトルも感じられるところが素晴らしい。
次回公演も楽しみにしております。
サンタクロースが歌ってくれた

サンタクロースが歌ってくれた

ノーコンタクツ

萬劇場(東京都)

2020/12/03 (木) ~ 2020/12/06 (日)公演終了

満足度★★★★

銀幕から抜け出すという設定は、2~3年前にあった映画「今夜、ロマンス劇場で」を思い出す。もちろんこの公演「サンタクロースが歌ってくれた」の方が先に世に出ている。映画を引き合いに出したのは、映画(映像の編集)に比べ舞台という空間において時代という次元演出が難しいであろうが、実に上手く観せているところに感心するからである。
説明にある通り芥川龍之介と江戸川乱歩が登場するが、現実に出会ったかは疑問(フィクションだと思うが)である。しかし、それぞれの代表作を絡めた物語であるところが興味深い。
(上演時間2時間 途中休憩あり)
【B】柳瀬演出チーム

ネタバレBOX

舞台セットは真ん中に階段を設え段差を設けただけのシンプルなもの。真ん中の上部と上手・下手側にある六角形窓が館の雰囲気を漂わす。

梗概…現代-ゆきみはクリスマス・イブに友人のすずこに電話をかけ、映画『ハイカラ探偵物語』を観に行こうと誘う。以降、彼氏がいない女性2人の妄想のような…。
映画の中-「ハイカラ探偵物語」の舞台は、大正5年のクリスマス・イブ。華族の有川家に怪盗黒蜥蜴から宝石を盗みに来ると予告状が届く。警察(警部)が来るが何となく頼りない。そこで有川家の令嬢サヨが友人フミに、フィアンセである小説家芥川に探偵役を依頼できないか相談する。依頼を受けた芥川は友人の太郎(後の江戸川乱歩)と共に有川家を訪れ、黒蜥蜴と対峙する。そして映画は序盤のクライマックスシーンへ、そして芥川は犯人の名前を言おうとするが…。本来ならその場に居るはずの黒蜥蜴が、忽然と居なくなった。突然、芥川は黒蜥蜴が「銀幕の外」に逃げたと言いだす。そこで芥川・太郎・警部の三人は銀幕から飛び出し、ゆきみと共に黒蜥蜴を追いかける事に。

犯人・黒蜥蜴の名は江戸川乱歩の代表的な探偵小説。その謎解きに芥川龍之介の短編小説「藪の中」を連想させる。証言と告白という手法、しかもそれが曖昧で信憑性に欠ける、いわば途中経過の不完全さが次シーンへの興味に繋がり最後までストーリーに集中させる。犯人は推理小説らしく意外と言えば意外かもしれないが、それでも何となく想像が及ぶ範囲ゆえ少し新鮮味がない。犯人の犯行動機は芸術家らしい嫉妬心というところに上質性を感じる。架空の存在の銀幕の人々、現実世界の女性2人が交流するファンタジー。まさしくクリスマス・イヴらしい物語。
ちなみに先の映画も、結末は予想がつきそうな展開で独創性や目新しさみたいなものはなかった。しかし、この嘘くさい世界観にはまって幸福感を味わうのも事実だった。

演出はアップテンポに観せようと工夫しているが、逆にリズムが単調になり、全体観として場面が流れてしまったように思われたのが少し残念。もう少し緩急を付けて状況・情景と説明・解説シーンの違いを強調してもよかったのでは…。
次回公演も楽しみにしております。
歌わせたい男たち

歌わせたい男たち

劇団おおたけ産業

新宿眼科画廊(東京都)

2020/11/27 (金) ~ 2020/12/02 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

喜劇との説明であるが、確かに表層的には喜劇かもしれないが、物語の根底はなかなか考えさせる重厚なもの。観応え十分な作品である。
さて、この「歌わせたい男たち」の初演は2005年らしいが、自分は観ていない。しかし、1999年に東京にある公立小学校の入学式で国歌(君が代)のピアノ伴奏するよう命じられた職務を拒否した教師が、それを理由とする処分の取消を求めた裁判があったのは覚えている。何年後かに最高裁判所の判決が下された。物語の台詞にもその引用があった。それは憲法(憲法19条)に規定されている「思想及び良心の自由を保障」を巡ってそれぞれの理屈を主張する骨太論議が見事。同時にそれを実に印象深く演出しており、比較的小さい新宿眼科画廊だけに密室、登場人物の接近した濃密、緊迫した議論の緊密(コロナ禍の3密とは違い)、そして白熱した論議が素晴らしい!。
(上演時間2時間 途中休憩含む)

ネタバレBOX

舞台は都立高校の保健室。上手側に事務机・電話、下手側に窓、そして保健室らしく健康に係るポスターが貼られている。中央に横長ソファー、後ろはカーテンで仕切られ その奥はベット。

梗概…都立高校の保健室、卒業式を数時間後にひかえた わずかな時間の物語。
校長が花粉症の薬を求めてきた時、新任の音楽講師が半裸に近い格好で休んでいる。彼女は、卒業式での校歌や君が代のピアノ伴奏をすることになっていたが、初仕事のため緊張し練習中にめまいを覚えてコーヒーをこぼす。養護教諭に服を乾かしてもらっている。彼女、シャンソン歌手の夢を諦め、教師の職に就いたばかり。そして よろけたときにコンタクトレンズも落とす。楽譜が見えなければ演奏は危うい。自分と同程度の視力の社会科教師の眼鏡を借りればいい思っていたが、何故か校長と養護教諭は思案顔。この社会科教師は国歌斉唱に反対で、卒業式にも一人不起立、不斉唱を貫こうとする。そして僕の眼鏡で演奏してほしくないと…。

「君が代」論議は、何となく扱い難さを思わせる。それは戦後日本で「君が代」は、多くの公立学校における入学式や卒業式で、教職員や児童生徒は起立して「君が代」を歌うべきか否か、の歴史にある。台詞にもあったが、自分の第二の故郷である広島県では、国歌斉唱を巡る対応を苦に高校の校長が自殺した。かつては教職員らが「君が代」斉唱に抵抗したという報道が繰り返されていた。その結果であろうか、1999年に「国旗及び国家に関する法律」が制定された。本公演は憲法に謳われた「思想・良心の自由」を侵害するのではという問題提起、そして日本の教育現場を揶揄した舞台コメディとしている。

物語は”歌うべきか、歌わないべきか”という二者択一という選択肢のなさ。そこに To be, or not to be, that is the question. というハムレットの悲劇性を連想させる。その意味で表層的には喜劇に描いているが根底には悲劇性が透けて見える。国家と個々人、現実(権力)と理想(抵抗)が衝突し、その溝は埋まらない。登場人物の立場や主張の葛藤を通し、むき出しの人間存在や尊厳の不条理さが露わになる。校長という立場、体面を守る管理者として責務を果たそうとする依田と、個人的信念を貫こうとする拝島との対決が鮮烈に描かれる。「君が代」わずか40秒間、辛抱すればという台詞…たかが歌、されど歌である。この公演の見どころは、単に2人の激論ではなく音楽講師の仲に代表される曖昧な態度である。自分意思が第三者の意見によって揺らぐ、その付和雷同的なところに主義主張を貫けない個人の弱さ脆さが見えるところ。

演出は、保健室という限定空間であるが、窓の外の状況と情景を巧みに組み込み、内・外に問題の広がりを持たせる。また卒業式までの数時間という緊迫感も伝わる。ところで卒業式だから日中に行われるであろうが、ラストは何となく黄昏時を思わせるような照明が寂寥感を漂わせ、余韻を残す。
書くべきことは多くあるような気がするが、取り急ぎここまで。見事な公演であった。
次回公演も楽しみにしております。

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