タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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ナイゲン(2022年版)

ナイゲン(2022年版)

Aga-risk Entertainment

駅前劇場(東京都)

2022/06/21 (火) ~ 2022/06/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
閉じられた空間、時間の制限、決定方法等の設定は、法廷劇「十二人の怒れる男」を連想させるが、劇中で議論される「模倣」か「原作」かで言えば、「ナイゲン」は間違いなくオリジナル学園会議劇の秀作だ。因みに劇中比べたのは「ロミオ&ジュリエット」と「ウエスト・サイド・ストーリー」で、あまりにも有名な話。

「理屈」と「感情」を較べてみれば、感情が先走ってしまう会議。公演の議論はあちらこちらに漂流し何処に辿り着くのか分からない面白さ。それでいて会議全体の流れは分かり易いといった印象であるから不思議だ。また、当初 印象が薄くあまりやる気が感じられなかった議長がその責務を果たそうと…その成長譚が清々しい。文化祭を取り仕切る内容限定会議ーーナイゲンは表層の面白さだけではなく、そこに潜む会議体や民主主義の問題を考えさせる。
今の世界情勢を鑑みれば、”話し合うこと”の重要性は明らか。再演のタイミングがピッタリだ。
(上演時間2時間)

ネタバレBOX

セットは当初、授業形式に並んでいるが、会議が始まるとロ字型へ変形させる。会議劇だから当然であろう。また、上演時間とナイゲン討議時間(開演直後、下校2時間前に時刻を合わせる。16:35~18:35)に重ね合わせて臨場感を持たせる。客席は三方向に設え、観客には会議の立会人のような緊迫感が生まれる。
内容限定会議(通称:ナイゲン)は、県立国府台高校 文化祭”鴻陵祭”における各参加団体の発表内容を審議する場であるという(文化祭規約)。規約が”自主自律”の精神に則っている。この規約が掲載された「内容限定会議資料」(劇中使用と同様)が観客にも配付される。すでに参加団体の催し内容も確認したところに、学校側から「節電エコプログラム」の催しを押し付けられるが…。

発表内容に関する指摘、恋愛(痴情的)感情、上級学年優先や 何となくなど、意味不明の理由まで飛び出し議論は漂流し続ける。始めの理論武装された議論から感情優先のドタバタコメディへ…。いつの間にか文化祭全体会議からクラス代表の顔になっている。下校時刻が刻々と迫ってくる。そんな中、演劇の上演許可を得ていないクラスがあった。ナイゲンの議論は、如何にこのクラスが主体的にエコプログラムを受け入れるか、という話へすり替わっていく。自主自律の精神に沿わせようとするもの。
教室から出られないという密室状態、しかも会議時間が限られているという空間と時間の制約に緊張が生まれる。テンポ良く、また疾走するような会話劇は、立会人的な観客も固唾を呑んで見守っている感じ。会話劇だけに登場人物のキャラクターや立場などが観(魅)せられるか。その演技は笑い、罵倒、落胆など様々な感情を実に上手く表現している。
アガリスクエンターテイメントでも何度も再演されており、他劇団等でも上演されているが、個性豊かな登場人物を演じるキャストが変われば劇雰囲気も変わるだろう。内容の面白さは勿論、キャストによって違った印象になるから、何度観ても飽きることはない。

各クラスの発表内容の審議結果を多数決(民主主義的な)で決める。討議では自分の考えを訴えつつも相手の言い分も聞くという態度が大切。物事を決める熟議のプロセスを重視している。意見の一致も大切だが、一人ひとりが違った見方で世界を見ることで世界はまともな形で存在するかも。芝居ではこの役割を3年3組_どさまわり(古谷蓮サン)に担わせている。にも関らず、全体討議終了後の採決は全会一致の承認が必要であると…そうであれば議論の過程の多数決は何の意味があったのだろうか、という疑問が生じるところ。
会議後、2年のアイスクリースマス(木村聡太サン)が古谷さんへ何か(本当にこれで良かったのか)言おうと口ごもる。また花鳥風月(神山慎太郎サン)が将来に向けて、皆がやりたがる「エコプログラム」を創作すると…。真に問題が解決した訳ではなく、会議内容の真価はこれから問われるのだと暗示している。実に深い余韻を残しており見事!

日本における日本国憲法の自立とそれ以外に働く力の関係を連想してしまい…表層の面白さに潜む重厚なテーマ、実に観応えがあった。
次回公演を楽しみにしております。
ほおずきの実る夜に

ほおずきの実る夜に

藤原たまえプロデュース

シアター711(東京都)

2022/06/22 (水) ~ 2022/06/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め!
社会生活・活動もそうだが、演劇は稽古から本番まで、すべての段階で人と関わっている、と思う。それが当たり前のように出来ない状況が2年以上続いている。公演中止が珍しくなくなった ご時世、本公演も例外ではなく、昨(2021)年8月に中止延期したもの。この間の遣る瀬無い思いを物語に これでもか!というくらいに落とし込んで観せている。現実に苦悩してきた姿を投影し、それを乗り越えて上演を果たした”力強さ”。そして脚本・演出・プロデューサー兼任の藤原珠恵さんが「若中」の名入 法被を着て場内案内をしている。その元気な姿、当日パンフの言葉「楽しくいこうよ、人生は! 今を精一杯生きないとですね」と相まって元気と勇気をもらえる公演。

少しネタバレするが、主人公・佐藤博美を演じた モリマリコ さんが、何故か藤原珠恵さんに見えた。モリさんが藤原さんに成り切ったのか、藤原さんがモリさんに乗り移ったのか?その憑依のような感覚と相まって 夏本番間近(まぢか)、冒頭の少し怖い話(サスペンス風)が描かれると…。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台セットは、ほぼ素舞台。あるのは正面壁の上部に ほうずき、上手壁際にも鉢植えの ほうずき、下手壁際にミニ縁台、ビールケース その上に三宝や硝子瓶花が置かれているが、それは冒頭シーンのみ。中央は奥を一段高くしただけで広いスペースを確保している。この広がりが後々重要な役割を果たす。

冒頭、暗闇の中で女性の叫び声、いったい何が起きるのかといったサスペンス風の始まり方である。その後「ようこそ不老不死村へ・・・」という台詞、そしてゾンビらしき人々が徘徊するといった光景…何なんだと思いきや、公演の稽古中という劇中劇である。そのタイトルは「それでもゾンビはやめられない!」らしい(作・演出:佐藤博美)。しかし公演初日を明日に控え、コロナ陽性者が…。公演を中止するか否か、出演者の間で喧々諤々するが、結局は中止せざるを得なくなる。あまりにリアルでストレートな展開は、本公演に係る舞台裏を見るようで、一気に興味を惹く。
博美は心のケアのため、13年ぶりに帰郷(都心から2時間ほど離れた島らしい)する。地元の人々は優しい。今年は規模を縮小しての夏祭り、その時 阿波踊りをする。その演出を博美が担当することになり、再び表現する喜びを感じ始めるが…。

色々と準備を重ね、いざ始めようとした時にストップせざるを得ない。理不尽とも思える仕打ちだが、誰かのせいにする訳でもない。実行するか否かを決めるのは、催事のリーダー(責任者)で、従うか否かを決めるのは個々人、その構図は演劇団体(劇団等)も社会組織(会社等)も大差ないのではないか(いや会社等は強制的な決定か)。その苦渋の決断が、今も続くコロナ禍という状況。誰かの せいにしたい気持を押し通せば、不寛容との悪評が流れる。経済的にも精神的にも八方塞がりの苛立ちが実にリアルだ。

物語に潜む重苦しい閉塞感、しかし表層的にはプチ恋愛や家族愛など心温まる様子を前面に出した物語。阿波踊りの楽しい光景や博美のヤル気、そんなパワフルな演技が力強く伝わる。モリマリコさんの剛腕的な演技とは対照的に河野和彦役の剣持直明さんの柔和な笑み 柔軟的な演技が仄々感を醸し出し、上手くバランスを保っている。勿論、阿波踊りはフォーメンションを考えた定評ある藤原演出の見事さ。
次回(来月)公演も楽しみにしております。
「星灯り〜2022ver.〜」

「星灯り〜2022ver.〜」

TEAM 6g

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2022/06/22 (水) ~ 2022/06/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、超お薦め。
(煽り表現は好まないが、「超」を付けた初例外)

ずばりテーマは「気づき」「気遣い」そして「痛み」と言ったところか。それも夫婦や結婚しようとしている男女(最近はLGBTQも話題にあるため)が中心の物語。とは言っても底流にあるのは、幅広く相手を思い遣る心情、その大切さがしっかりと描かれている。緩い笑いを交え、実はその後にくる感涙シーンへの伏線になっており、笑い泣きの振幅が半端なく凄い!それが三波四波と(コロナ感染波数とは違い、良い意味で)感情を揺さぶるから堪らない。
(上演時間2時間25分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術はTEAM6gらしく丁寧(理屈ではなく心情を重ね合わせ観せるため)に作り込んでいる。当日パンフに登場人物の相関図が書かれているが、大別すれば、大橋家・ペンションひなげし・そこの宿泊客になる。
上手はカウンター、中央にダイニングテーブル、下手奥に階段、その手前にソファと低テーブル、後方は窓にカーテンがかけられている。これが大橋家になりペンションにも重なる光景(物理的)になり、さらには心情(精神的)にも重なってくるという、二重の意味合いを込めた造作の凄さ。違いがあるとすれば、下手奥にある置台の上、大橋家は固定電話、ペンションは花瓶花と写真立て に置き換えるなど細かい違いで見せる。またカーテンを開ければペンションのテラスになり ヒナゲシの花、さらにラストは客席天井も含め…心地良い余韻に浸れる見事な光景。

縁あって夫婦になっても、所詮は赤の他人、妻・大橋梓(春野桃代サン)は夫・一樹(平田貴之サン)の心には誰も入れない(秘密の)部屋がある。本心が見えない、そんな心の溝が埋められないまま亡くなった妻が、生前 家出して滞在したのがペンションひなげし である。その宣伝文句が「日本一、星が近くに見える」である。一樹がペンションに行って思ったこととは…。
ペンションを経営しているのが、亡き夫・優太郎(笑福亭ベ瓶サン)との思い出を大切にしている遠藤京子(阿南敦子サン)、その娘 綾香(渡部瑞貴サン)、そして優太郎の後輩・河合亮(山本龍兵サン)である。他に京子の妹夫婦が出入りし、宿泊客も含めて巻き起こる笑いと涙の超感動作。

珠玉の台詞がいっぱいだが、両手の指の隙間から零れ落ちてしまう勿体ない感じが…。「1つくらい消えない痛みがあってもいい。そこ(心)に大切な人が生きていると感じられるのだから」や「ひとつの歯磨き粉を分けあって使う。揉め事があっても、翌日には食事の献立を考えている」等--そこに夫婦ならではの優しさ滋味溢れる思い、生活感が伝わる。それらの台詞(言葉)を発する役者の演技力は確かで、座組バランスも良い。

当日パンフ裏面に、脚本:来住野潤一さんが「年齢を重ねると出会いよりも別れが多くなってくるように感じます。しかし、その人達との思い出に別れはないので」と書いているが、本当の意味での「死は、その人のことを忘れてしまった時」を思い出した。また阿南さんが「8年前に上演した『星灯り』を2022年改訂版として復活させました」とあるが、度重なる(コロナ禍)中止を乗り越えての上演は大変な苦労があったと思う。物語の感動シーンの台詞「ありがとう。(私と)出会ってくれて 幸せだった!」は、そのまま自分のこの公演に対する感想に重なる。
次回公演も楽しみにしております。
らくご芝居~「丹青の花入れと水屋の富」より~

らくご芝居~「丹青の花入れと水屋の富」より~

ThreeQuarter

JOY JOY THEATRE(東京都)

2022/06/18 (土) ~ 2022/06/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

公演は、Three Quarterが他劇団や客演とのコラボレーションを前面に出した企画「Mixing(ミキシング)」、その第1回目が深川とっくり座とである。深川とっくり座公演は、過去に2~3回観ている。今回の演目は、深川とっくり座でも上演しているようだが、自分は観ていない。ただ何となく、深川とっくり座の劇風が全面に出ており、今まで観たThree Quarterの公演、例えば、つか こうへい作品とはまったく異なる劇風となった。その良し悪しは別にして、「素敵なご縁から、いろいろな方々と触れ合いごちゃまぜ(ミキシング)したら何ができる?」という 挑戦する姿勢は大切であろう。

今回は敢えて、深川とっくり座の「古典落語を基にした、笑いあり、涙あり、観たあとは心がほっこりするお芝居」の特徴を取り込んで、社会人劇団としての幅を広げようとしたのだろう。しかし、本公演のように丸呑みした内容では、和の所作一つとっても一日之長がある深川とっくり座には及ばない。コラボレーションすることで、Three Quarterらしさプラスαを求めるのではないか。その意味で、手放しで良かったとは言い難い。Mixingとは、更なる独自色を探る企画であろうから。ただ、個々人の演技力向上には役立ったかもしれないが…。

演目元は、古典落語の「花瓶(しびん)」と「水屋の富」を 深川とっくり座 座長の ひぐち丹青氏が脚色した、2本立てのお話。なお落語と違い、演劇は視覚によって感性が左右(影響)されることを改めて知った。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)【鶴組】

ネタバレBOX

舞台セットは、障子戸や箪笥を描いた張物で情景を表した簡易なもの。これも深川とっくり座と同じ様。ただ 深川とっくり座は深川江戸資料館小劇場という少し間口の広いところで上演しており、この空間の違いが劇の印象を異にしている。
なお、コロナ禍ということもあり、舞台と客席の間隔(2m以上) さらに上半身以上の高さにアクリル幕を設け、感染防止対策に努めている。
さて、物語は…。

「花入れ」=(花瓶<しびん>)
時は江戸時代、華道の花小路流の家元桜子は、庶民ならば自分のことは知っているという不遜な態度、その実、物事を知らない無茶ぶりが面白可笑しく描かれる。ある日、弟子の捨松を連れて入った道具屋で珍しい花瓶と運命的な出会いを果たす。その花瓶は、近所のご隠居が使用していた尿瓶。変な理屈をつけて形や色合いが気に入ったようだが、道具屋夫婦や捨松は勧めないが…。
「知る者は言わず、言う者は知らず」、いわゆる 知ったかぶりを揶揄するような噺。

「水屋の富」
長屋の住人で水屋を営む熊五郎とおしま夫婦が主人公。富札が当たったら大盤振る舞いすると話す熊五郎、そんな 捕らぬ狸の皮算用で盛り上がる長屋住人。しかし最近二人の様子がおかしい。二人を心配する周りの人々。また「雲隠れの駒」なるスリを追う親分も現れ長屋は大騒ぎ。実は富札が当たり、留守にも出来ず 厠へも行けず困っている。さて、近所の出産の手伝いに出かけた留守に…。
嬉しい筈の大金が不安の種、しかし盗まれて不安から解放されるという皮肉な結末。お産という人情を優先する江戸庶民の仄々とした味わい深い物語。
ただ両物語とも、落語オチの印象が弱く流れた感じ。

演目元は落語噺…表層的には面白可笑しく描かれている。江戸庶民の暮らしぶり や 人情が伝わるが、その域を出ていないのが勿体ない。せっかくMixingならば、劇団の特色を織り交ぜたらと思う。当日パンフにも、劇団は「つかこうへい や時代劇のイメージが強いと思います」と記しており、例えば、つか作品であればメッセージ性が強く出ている。
上演後、観客から「(水屋の富)…あの金(千両)はどうなったのかな、中途半端でないの?」といった声が聞かれた。現代は「落語噺のオチ」だけではなく、現実的な問題への関心が強いのではないか。人情に厚い人が、長屋住人への疑心暗鬼で不安になっていた現実(皮肉)も見える。

古典落語の題材を大切にしつつ、現代的(メッセージ性)な観点を盛り込んで観(魅)せる工夫が必要ではないか。同時に、芝居は視覚で観せており、噺を聞いて想像することとは少し違う。深川江戸資料館小劇場に比べると狭く、長屋住人や親分までいたら、ごちゃごちゃし過ぎ。観せる工夫も必要だと思うが…。
次回公演を楽しみにしております
ゴンドラ

ゴンドラ

マチルダアパルトマン

下北沢 スターダスト(東京都)

2022/06/15 (水) ~ 2022/06/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い…お薦め。
観覧車「ゴンドラ」を人生に準えた台詞があったが、公演そのものが観覧車の「ゴンドラ」らしい展開だ。観覧車は一定の速度で動くが、物語は ぎこちない、激高 激情、そして余韻ある会話といった緩急をつけて観客の関心を惹く。登場人物は3人、コロナ禍での三密は避けたいが、物語は濃密・親密そして緻密に描いており実に巧い。

4キャスト(赤い・青い・白い・黄色い)パターンあるが、多分 異なるそれぞれの空気感を漂わすのだろうな、と思う。この会場の至近距離での演技は、役者の外見も含めた雰囲気で異なって観えるだろう。そこがこの公演の魅力の一つでもあろう。
(上演時間1時間20分)【白いゴンドラ】

ネタバレBOX

舞台美術は、地方のアパートのダイニング又はリビングで、テーブルと椅子があるだけのシンプルなもの。しかし上手に風呂場や玄関(チャイム)、下手奥には父の部屋があることが容易に想像できる。全体的にオフホワイトで、照明の照射によって椅子がゴンドラに見えてしまう。人物が座った後で、椅子が少し動いても映り込む陰影は変わらないよう。仕込み陰影であろうか。
また時間の経過は、登場人物の衣装替えや 照明の変化で表しており、効率的・効果的な演出は やはり上手い。

物語は、説明の「過去に囚われて身動きが出来なくなってしまった者たちが、不器用すぎる対話の果てにたどり着いたのは・・・」の続きが肝。東京の会社を辞めて地元に戻ってきた男・孝介(久間健裕サン)、孝介の父の訪問介護ヘルパー・遥(冨岡英香サン)、孝介の嫁いだ妹・朱音(元水颯香サン)がそれぞれの事情を抱えながら、日々を過ごしている。孝介は遥に淡い恋心を抱き、デートに誘うまでの ぎこちない会話。朱音と孝介は、働かず父の面倒も遥に任せている兄を心配しつつ呆れてもいる。遥と朱音は、子育てや、恋愛観に話の花を咲かす。三者三様の演技・表情が物語をグイグイ引っ張っていく。特に朱音の泣きの演技は迫真もの。
さて、いくつか分からない部分、例えば孝介が何故 東京の会社を辞めたのかなど、曖昧な設定がある。しかし敢えて人物の詳細事情を明かさず、今という状況の中で紡いでいる。それがラスト、過去に囚われに繋がる緻密な構成になっている。

物語は、観覧車のゴンドラという狭い空間を家のダイニング等に重ね、逃れられない場所に居続ける。まさしく(家庭)内ばかりを見れば囚われの人生のよう。一方、外を見れば見渡す限りの光景に心躍るはず。視点を変えることの面白さが伝わる。
同時にジェットコースターのような展開がドキドキ感を煽る。孝介が遥に恋心を打ち明け、デートへ誘うまでの微妙な距離感と ぎこちない会話は、ジェットコースターがゆっくりと上る様子、一転 親しくなって 遥自身のこと、その家族のことを知ることで急降下、一気に加速する物語。芝居の緩急ある展開は、観客の関心を一気に惹きつける。
「観覧車のゴンドラひとつひとつの中でどんなドラマが繰り広げられているのか知る由もないように、ここでもあなたの知らない誰かの人生は静かに回る」は実に意味深な説明文であった。
次回公演も楽しみにしております。
小刻みに戸惑う神様

小刻みに戸惑う神様

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2022/06/15 (水) ~ 2022/06/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い…お薦め。
公演のご案内に「芝居って、どれだけ上手に嘘をつけるか、そしてその嘘を受け入れられるか」とあったが、舞台という虚構の中に、人生で経験するであろう「葬儀」を嘘と現実の世界を上手く切り分けながら、それでいて融合している 一見矛盾したような観せ方が巧い。視覚的な場景描写、想像的にそこに居る人々の心情を浮かび上がらせることで、虚構の世界(芝居)の中で「葬儀」を経験することになる。同時に次元の違う存在によって 嘘としての「物語」を想像し、その面白さと醍醐味を知ることになる。
一般的に思われている「葬儀」という湿っぽさはなく、どちらかといえばカラッとしている。しかし、そこには地位や名誉ではなく、自分の思いで確かに歩んできた人の人生が観える。

上演前は懐かしい昭和歌謡「喝采」などが流れるが、歌詞「♪いつものように幕が開き♪」とは違い、アナウンスでこのような(コロナ禍)状況の中おいでいただき、といった謝辞。先のご案内に「SPIRAL MOONは歯を食いしばり舞台芸術が消えないよう頑張っている」…上演迄の苦労は想像に難くない、そんなことを思いつつ観劇。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台セットは、ある地方の葬儀場の祭壇脇の控室といった場景。中央壁の時計、上手はL字ソファや置台、その上に花瓶花、下手はテーブルと椅子、壁の何枚かの絵画が飾られている。まさに葬儀場で見かける光景。なお上手 上部に植物が摺り込まれたガラス(採光窓?)の様なものがあり異彩感を放っている(来世を比喩か)。今まで葬式をテーマにした劇は何度か観ているが、多くは鯨幕や祭壇・棺があるが、この公演ではバックヤード的な描き。

物語は劇作家の楡原拓一郎(牧野達哉サン)の葬儀。故人は質素な家族葬を望んでいたが…いつの間にか意に反してドタバタし出してきた。冒頭は住職二世による宗教談議や斎場スタッフとの諸々の打ち合わせなどが淡々と描かれる。遺族である娘達(長女:楡原早苗<最上桂子サン>、次女:茶子川京果<環ゆらサン>)は、直接 父親と向き合う余裕がなく、現実の葬儀準備に忙しい。同時に早苗の夫の失踪、夫の近況と若い同棲相手の出現など、生きているがゆえに起こる騒動が厳かな葬儀という光景に生活感を醸し出すというアンバランスが面白い。
一方、亡くなった拓一郎は、彼岸と此岸の間に立って自分の死を見届けるかのように葬儀場を徘徊する。その様は観察というか俯瞰劇。こちらも娘や孫への気持よりは、若くして亡くなった妻や劇団仲間との会話が中心。舞台上、遺族と故人の直接的な絡みは殆どないが、娘の思い出を刻んだ記憶を大切にしていることは十分伝わる。その雰囲気を醸し出す演出は見事だ。

物語は、悲しい肉親(故人)との別れではなく、思い出を大切にしつつ 後ろ向きな姿勢ではなく、生きている者を応援するかのような清々しさがある。有名な葬儀コーディネーター:水先アンナ(秋葉舞滝子サン)が、葬儀は形から入り、思(想)いは後から付いてくると話しているが、実際葬儀を行うと悲しみよりも段取りや手続き的なことに追われる。それでも喪主挨拶(練習)シーンは、悲しみがこみ上げる。コミカル場面と滋味溢れる場面を効果的に観せ、観客の感情を揺さぶるのが実に上手い。勿論、キャスト全員の演技は上手く、バランスも良い。現世と来世の人物の動線も自然であり、安心して観ていられる。

ちなみに、タイトルは拓一郎が書いた短編戯曲のうち、気に入ったシーンの台詞(又はタイトル)らしい。そしてその芝居を演じたのが…。神様でも小刻みに戸惑うのであれば、滅多に執り行わない葬儀、その対応に戸惑いがあるのは当たり前かも。
さらに、同日・同じ葬儀場で副町長(拓一郎の同級生)の葬儀が執り行われており、地位と名誉の人物として対比させるみたいで、脚本:はせ ひろいち氏の気骨のようなものを感じる。

卑小とは思いつつも疑問が。
死後の時間概念は必要なのだろうか。亡き妻(花楓)や友人(百道)が回想シーンへ繋げる際、壁時計の針を動かすために椅子などを踏み台として動かす。そこは照明やパフォーマンスで演出しており、時計はあくまで現世を表現しているのでは。現世と来世を分かり易く演出しているのだろうか。それであれば観客の逞しい想像力で十分膨らませることが出来ると信じている。
次回公演を楽しみにしております。
高島嘉右衛門列伝3

高島嘉右衛門列伝3

THE REDFACE

横浜関内ホール(神奈川県)

2022/06/10 (金) ~ 2022/06/11 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

前作「七慟伽藍 其の二十八」に続いての朗(活)読劇、その面白さを再び味わった。
高島嘉右衛門列伝となっているが、単なる個人史ではなく、幕末という動乱期に活躍した勤王志士たちとの交流を通じて、彼のトピック的な出来事を綴る物語。本公演は列伝3~横濱の龍神~乾惕編になっている。帝王学の書「易経」では、龍の成長(6過程)物語を取り上げた入門的解説の3番目が、乾惕(けんてき)である。カーテンコールで榊原利彦氏が、列伝4を行うと明言したのもそのためだろう。
なお列伝1、2は、冒頭に概要が説明されるので、列伝3だけの単独公演でも困らないし十分楽しめる。

さて少しネタバレするが、物語は1866年11月に横浜関内で発生した火災(豚屋火事)後から始まる。ちなみに豚肉料理店から出火したためこう呼ばれているらしい。横浜開港から7年目の関内を焼き尽くした。関内の復興に尽力したのが、この地名「高島」にもなっている嘉右衛門である。
冒頭、鼓舞するような勇壮な音楽が流れ、その音響を背景に役者が語り始めるが、音声(台詞)も音楽に負けないぐらい迫力がある。台本を持ち、舞台上を歩いたり座ったりして情景や状況を補足する。読み聴かせる力量と熱量に魅了される。
(上演時間2時間 途中休憩10分含む)

ネタバレBOX

舞台美術は、中央に少し高くした平台、その上に大きな生け花風のオブジェが置かれ圧倒的な存在感を放っている。その両脇に椅子、そして上手下手にも椅子がある。役者は舞台を行き来したり、花がある所の椅子に座り、場所という空間の違いや情景・状況といった光景を観せる。シンプルな舞台セットだが、もともと朗読劇であり 多くの身体表現はしないから良く出来ている。

前半は、薩長連合による討幕の話。特に長州藩・高杉晋作を中心とした明治維新という動乱の中、高島嘉右衛門が果たした役割が紹介される。列伝となっているが、あくまで志士たちと知り合いであり、表舞台での活躍とは言えない。むしろ休憩後の後半、明治維新後の新政府との関わりに高島の人間性が表れてくる。商才に長けていたこと、巨万の富を得るが、欲得だけではない懐の深さを描く。それが東京・新橋と横浜を結ぶ鉄道敷設に関わる契約の件ー先方が高島個人と新政府の両方と契約(ダブル・スタンダード)したことで自ら身を引き、他方 海面埋め立て工事を請け負ったこと。また旧南部藩の借金減免を新政府に嘆願助力したことを熱く語る。

さて「高島嘉右衛門」が最初の朗読劇であれば、もっと満足度は高かったが、「七慟伽藍」を観劇しているため、どうしても比較してしまう(満足度のハードルが上がった)。
まず「七慟伽藍」は戦国時代に生きた武将の怨念の語り、そして「本能寺の変」の謎といった「時代の流れ」の中で人間を描いている。
一方「高島嘉右衛門」は、何回かに分けて高島個人のトピックや、同時代の人物との交流を時代に沿って順々に描く。「(明治)時代の黎明というか息吹」が細切れになり、時代のうねりというダイナミックさが十分伝わらないところが残念。これが1~2公演で「高島嘉右衛門列伝(全編)又は(前編/後編)」を上手く纏めることが出来れば、更に時代の流れの中に高島の偉業が(次々)表れ魅力ある人物像が立ち上がると思うが…。

勿論、役者の演技は1人ひとり登場人物の特徴(容姿も含め)らしきものを捉え、物語の中で生き活きと描き出している。衣装…男優陣は黒っぽい上下服に同色シャツ、女優陣は着物姿といった外見上はほぼ同じで、あくまで朗読・演技の中で個々の力を発揮している。男優は汗が流れるほどの熱演、女優は妖艶さを漂わせた、見事なバランスで観(魅)せている。
次回(続編)公演も楽しみにしております。
空の家【6月7日~8日公演中止】

空の家【6月7日~8日公演中止】

劇団BLUESTAXI

ザ・ポケット(東京都)

2022/06/07 (火) ~ 2022/06/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い…お薦め。
日本のどこかで見かける親子の光景…老親の面倒は誰が見るのか、田舎の家をどうするのか、といった「介護」「空き家」そして今「コロナ」問題を情感たっぷりに描いた物語。

親と子のそれぞれの観点、そして過去と現在を交錯させて 今の親子関係を分かりやすく展開させる。さらに親の立場は、主観と他者を介して激白させ観客の感情を揺さぶる。親世代にすれば、そうそうと頷けること、子世代には そうは言ってもと反発・反感しながらも、少しは親の気持が伝わるのではないか。押しつけがましい内容ではないが、やはり納得してしまう 力 のある公演である。
(上演時間2時間 途中休憩なし)【Bチーム】

ネタバレBOX

舞台セットは、家族が住んでいた実家(田園風景が広がる山麓)の居間である。上手に床の間、掛け軸、下手も含めダンボールやごみ袋が雑然と置かれている。外は板塀前にネコ車が置かれ、いかにも田舎の家のよう。物語の進展にあわせ部屋の変化が時間の経過を表す。父・安藤和男(下出裕司サン)はケガをし入院、しかも認知症の症状もある。母・さち(矢吹凛サン) は亡くなり、4人の子供たちも独立して別場所で暮らしている。父は1人で広い家に住んでいるが、手入れが行き届かず荒れ放題になっている。子供たちの名前は春夏秋冬(春子-山口祐子サン、夏男-中澤隆範サン、秋子-杉山さや香サン、冬子-笠井渚サン)の一字が付けられ、四季折々の自然を思わせる。

物語は、若き日の父と母がこの家を購入し 将来の生活に希望と夢を抱いているところから始まる。独居老人になった父、近所の人たちの助けや地域包括支援センター職員・横山菜々子(鈴木絵里加サン)の支援でなんとか暮らしている。しかし認知症のこともあり限界が…。
子供や孫が来て家(居間)の掃除をしているが、近い将来この家をどうするのか。田舎ゆえか売却も難しく、取り壊して更地にしても固定資産税が重い負担として残る。しかし誰も戻ってくる気はなく、父との気まずい思いが甦る。子供にはそれぞれ都会に行って叶えたい希望や夢がある。父は、この家で子供たちと暮らしたい気持が強く、それに反発するかのように家を出た。その確執もあり、コロナ禍という状況を言い訳にして帰省しない。子の観点から、1人ひとりの事情を丁寧に描く。若い時の父(主観)は、家(制度)中心の考え方、長男は家を継いで云々。娘たちも手元において一緒に暮らしたい様子だ。子が反発する都度、母にお前はどんな教育(躾け)をしたのかと詰る。

物語は、近所に住む父の弟・安藤武雄(大谷朗サン)を介した話から大きく動き出す。子を思う親の気持が切々と語られ、知らなかった父の優しさに胸が張り裂けるよう。親と子が向き合うことの大切さ、そして死は病だけではなく”孤独”も…。坂の下からこの家を見上げれば、空(そら)に溶け込んだような家。たぶん、空(カラ)の家とのダブル・ミーニングなのだろう。ラスト、父は生前の母に「この家はお前のものだ。心底惚れた女の家だ」は、この家で家族を成して行こうとする決意のように聞こえる。本当の物語はここから始まったのだと思わせる清々しさ。

舞台という虚構の中に、日本のどこにでもありそうな問題光景を描き、幅広い年代層に共感をもって観てもらえる秀作。同じ家でも若い時と高齢になってからでは、住環境・条件が厳しくなる現実も突き付けることも忘れない。内容は重苦しいが、冬子の夫・島田修一(清水誠也サン)がコメディリリーフのような役割で軽妙さを出し、程良くバランスを見せる演出は巧い。
キャストの少し作り込んだと思える演技は、後半になって滋味溢れる演技に変化し、物語の展開を誘い込む実に上手い表現だ。
当日パンフに「ご来場のお客様へ」という主宰・青木ひでき さんの挨拶文が挿みこまれ、様々な事情があったらしいが「出演者たちは公演の実現を諦めず、ひたすら稽古に励んでくれた」とある。それを実現したかのようだ。
次回公演も楽しみにしております。
ネオンの薬は喋らない

ネオンの薬は喋らない

人間嫌い

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2022/06/03 (金) ~ 2022/06/07 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い…お薦め。
初見の劇団「人間嫌い」、劇団名とは真逆の人間を愛おしむような優しさがあり、心が温まる物語。ネオン街にある深夜営業の薬局を舞台に、そこに何となくやって来る人々との交流を通して、人の孤独・寂寥といった思いを癒すよう。薬では決して治せない、さり気ない心のケアが観る人の心に響く。

当日パンフに、主宰・岩井美菜子女史が「人間嫌いの問題作だと思っている。『共感』を武器に戦ってきた。今作は『共感しない』ことを主軸にしている。大きな挑戦」とある。その意図は、良い意味で裏切られ、大いに人間讃歌を謳っているようだ。劇団名と違って「好き」になった公演であり劇団である。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

客席はL字型で、英字の曲がった対角線上に舞台セット。少し高くした変形台の中央に薬局のカウンター、両側に薬剤が並ぶ棚がある。客席側に円柱型(上部の円周部分は電飾)の腰掛が点在している。全体的にオフホワイト、スタイリッシュな印象である。

物語は、ネオン街にある深夜薬局「LUNA」が舞台。この店は19時から翌朝5時まで営業しており、利用客のほとんどが深夜勤務者。店主・水瀬(芦田千織サン)は、薬の販売だけではなく諸々の話し相手になっている。その彼女が交通事故で全治三か月の重傷を負う。仮店主として後輩の前澤(河村慎也サン)がくる。薬剤師の資格はあるが、前職が麻薬取締官でコミュニケーションは苦手のよう。今までの仕事と勝手が違い戸惑う前澤、一方、水瀬との会話で癒されていた常連客?の不安、その両方の気持がどう展開していくのか。序盤のうちに興味を惹かせる巧さ。物語の狂言回しで、事務員・なるみ(高坂美羽サン)は、コミュニケーションもあり上手く立ち回る。前澤は なるみ に𠮟咤激励されながら、何とか仮店主を務めている。

登場人物は、夜の街で勤める女性たち…ラウンジ嬢・かれん(藤崎朱香サン)は、職場内での禁断の恋に悩む。キャバ嬢・トモ(岩井美菜子サン)は、かれんの友人で、仕事の頑張り過ぎで円形脱毛症に悩む。保育士・平石(青山美穂サン)は、深夜の保育園勤務。人手不足・忙しくてトイレに行けず膀胱炎で悩む。かれんの妹・モカ(樋口双葉サン)は、姉の帰りを待って街を歩く。金髪、セーラー服にルーズソックスという姿は、一見不良少女のよう。深夜見回りをするNPO法人「トラブルブルー」の下園(飯野くちばしサン)は、モカに声掛けするが…。それぞれが抱えた問題や悩みを、薬局「LUNA」を介して点描していく。全てが解決する訳ではなく、薬の処方箋もあれば話を聞くだけといった寄り添った対応が、スッーと心に沁み込んでくる。

薬局の近くにある 花屋の柳(川勾みちサン)は対人恐怖症、それでも薬局では話が出来る。唯一会話が出来る場所のようだ。夜働く女性たちの悩みを聞くことは、同時に前澤も心の触れ合いが大切だと気付くことになる。前澤の悩みは、前職が関係しているのか、相手が自分の顔が怖いと思い込んでおり、コミュ二ケーションが苦手だったよう。それが、いつの間にか”マーくん”と親しみを込めて呼んでもらえる、そんな成長した姿も描く。

キャストは、個性豊かで癖のある人物像を見事に立ち上げている。ネオン街という煌びやかな光景とは逆に、人の心は荒んでいる。何となく殺伐とした風景に温かみを漂わす。しっかりした人間関係が在るわけではないが、その場所「LUNA」を通じて緩やかに関わり合う。人情とは少し違うが、それでも人を思い遣る心が感じられる。舞台セットと相まって、マーくんがモカに傘をかざすシーンは抒情的で美しい。演出も上手い。
岩井さんは「共感を放棄しても、客席と繋がることができるでしょうか?」と問い掛けているが、十分楽しんで観ることができた。いいお芝居という妙薬効果かなぁ。
次回公演も楽しみにしております。
GIRLS TALK TO THE END-vol.3-

GIRLS TALK TO THE END-vol.3-

藤原たまえプロデュース

シアター711(東京都)

2022/06/01 (水) ~ 2022/06/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

初日観劇。藤原珠恵さんによる満席御礼の挨拶、そして増席するほど盛況なのも肯ける面白さ。

本公演は、2022年藤原たまえプロデュース公演第1弾(3月上演)予定だったが中止。この待ち望んだ公演に駆け付けたファンの熱気に溢れた場内。その期待は裏切られることなく、楽しめた。
これって演技(台詞)なの、と思わせるほど自然な会話。少し意地悪で、裏切り、欺き、嫉妬など痛い話だが、何故か失笑、ニヤニヤ、爆笑といった色々な笑いの渦の中にいる。観ていてとても楽しく面白い感覚、実に気持ちが良い。

劇中の自然な会話は、カーテンコールでも炸裂した。毎回 藤原さんが指名したキャストが一言挨拶するようだが、当日は大納言光子さんのお喋り。本来はお笑い芸人らしいが、手繰り寄せるような身振り手振りを交え、今回 藤原さんに演技を引き出してもらったと感謝の言葉。同時にyoutube配信もしっかりPRしていたが、すかさず藤原さんから観(登録し)なくてもいいからといった笑ツッコミが…。逆に大納言さんから藤原さんの秘密?が暴露されるという劇中の延長線上にあるような楽しい応酬。それだけ劇中と現実の会話が判然としないリアルトークだ。

等身大のガールズトーク、レディストークが間近で観て聞くことが出来るのが魅力。手を伸ばせば届く(実際は届かないけど)ほどの至近距離で観劇、小劇場ならではの醍醐味を味あわせてくれる。(女子?)高校ダンス部内で繰り広げられる顧問をめぐる恋愛(恋バナ)トークをソッと覗いてニヤニヤしている面白感覚、ぜひ…。
(上演時間1時間15分)22.6.3追記

ネタバレBOX

舞台セットは女子ダンス部室内、上手にソファ、下手に横長テーブルとパイプ椅子。後ろに整理BOXが並び、両端に衣装らしきものが掛けられており、全体的に雑多な印象だ。
公演の魅力は、高校時代と34歳(アラサー)女性のキャラクターを それぞれ個性豊かに立ち上げ、丁々発止のような会話が面白可笑しく進展していくところ。それを6人の女優陣が見事に演じていた。

物語は、高校時代と18年後の34歳になった女性のお喋り。大方予想出来そうな展開だが、それでも楽しく魅了する会話劇。
高校時代は、6名の女子部員と姿を現さない男性顧問・タナベ先生・・通称タベセンをめぐる恋愛話。ある日、学校にタベセンが生徒と交際しているといった密告電話があり、学校を辞めた。部員の中で付き合っていたのか否か、詮索が始まる。そして密告電話をしたのは誰か。一人ひとりが何らかの秘密めいた行動をしており、互いに疑心暗鬼になる。ミステリーものではないが、高校時代に謎や伏線を張り、18年後に再会して回収していくといった展開である。日常の会話劇であるから理屈のような整合は不要(野暮)であろう。

それぞれの時代を表すため 衣装(制服×私服)やメイク、ヘアースタイル、そして携帯電話機種(ガラケー×スマホ)といった小物で違いを示す。
メイク、ヘアースタイルは、例えばユカ(はらみかサン)は、濃いメイク、アフロヘア風を耳横で束ねたギャル風。髪が「ジャマ」と言って台詞なのかアドリブなのか分からない発言で笑いを誘う。部長のアイ(藤原珠恵サン)は真面目だが、拗ねると壁に寄りかかり戯れ出す。帰国子女であろうかジュリ(平塚千瑛サン)は、片言の日本語で愛嬌を振りまく。

それから18年後、34歳になった彼女たちが、ジュリのダンス発表会(地元)を機に集まる。その場所が懐かしい部室。チエ(大納言光子サン)が母校で勤務していること、そして妊娠している様子。メグミ(水谷千尋サン)は、離婚し福岡県に住んでいる。マイコ(古川奈苗サン)は、出版社に勤務しておりネット情報にも詳しい。6人の近況報告、そして18年前の密告電話、タベセンとの恋バナに話題が移ると…。実は、と言った暴露話が次々に明かされ、懐かしくもホロ苦い思い出が甦る。そして現在も続いているような。

ダンス部という設定から、全員でのダンスシーンは見事。高校時代の溌溂とした練習風景としてのダンス、34歳で再開し久し振りに踊って息切れした様子、その違いも上手く表現している。序盤にチエが、昼食を注文するまでの過程をダンスで表現し、それをジュリが解説する。一気にダンス部という雰囲気を伝える、実に上手い掴みだ。大納言さんの演技は初めて見たが、他の5人は舞台や映画で見ている。本公演では、全員が何とも魅惑的なコメディエンヌぶりを発揮し、実に生き活きと演じていた。
次回公演も楽しみにしております。
パスキュア

パスキュア

GROUP THEATRE

浅草九劇(東京都)

2022/06/01 (水) ~ 2022/06/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い…お薦め。
10年振りに再開した2人の追想を通して描かれる人生の応援讃歌。その「再生と希望の物語」は、今を生きる人々へ勇気をあたえるかのよう。

説明にあった、リーマンショックの経済的混乱や東日本大震災といった喪失感を背景にしているようだが、敢えて劇中では その状況を色濃く描くことはしない。それによって時代に関係なく普遍的な課題・問題として捉えることが出来る。そして、むしろ 今のコロナ禍を意識したように思える。
底流にあるのは、いつの時代にも付きまとう様々な困難や苦悩に対する激励と労わり。「モラトリアムに陥ってしまったすべての『心』を優しく包む」という謳い文句は肯ける。

物語は分かり易い設定で、テンポ良く展開していく。しかも方言で紡ぐため、何となく温かみと親しみをおぼえる庶民感覚。そして、中村有里さんのSaxoPhoneの演奏は勿論、劇中の演出(役割)としても見事な効果を発揮していた。
さて、説明にある とある墓地、そこには登場しない人の墓が…。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)22.6.2追記

ネタバレBOX

客席はコの字の囲みで、中央のスペースが舞台になる。客席がない所に舞台転換によって搬入させる小道具が置かれている。冒頭は塩屋家之墓(仏花)と坂本家之墓(墓前に小石) その向かいに小さい鈴木家之墓とベンチ。ただ、塩屋という人物は登場しないが、この人物こそ物語の登場人物の集合体というか凝縮した人物を表しているようだ。当日パンフに「本公演を、亡き塩屋俊監督に捧げます」とあり、その経歴こそが登場人物に背負わせた内容であろう。

冒頭シーンは、10年前 病院で出会った男女2人の思い出話から始まる。場面は転換し可動式のベットや吸入器を搬入し病室内を作りだす。4人部屋で既に3人がベットを使用している。この場面転換時に、中村さんがSaxoPhoneを演奏し、観客の気を逸らせない。薄暗い中での場転換作業、その最中 舞台真ん中でスポットライトを浴び演奏する姿は凛々しくカッコいい。しかも転換後、病室内の患者から「うるさい!外で吹け」といった罵声を浴びせられ劇中に取り込む巧さ。そそくさと退場する姿がまた愛らしく、演奏時とのギャップに驚かされる。

3人…肝臓を患っている、石材店を営む社長の坂本(梶原涼晴サン)、腫瘍で余命数か月の平野(山本龍平サン)、全身火傷の鈴木(北見翔サン)で、それぞれ事情を抱えて入院している。そこに右腕を骨折した大学(医学部)受験生・小出(林佑太郎サン)が入院してくる。命に係わる患者と複雑骨折だが命に別状ない患者が同室になる違和感、実はこの4人で少しづつ塩屋氏の人物像を描いているよう。笑いと涙で感情を揺さぶり、熱い思いで痺れさす。

坂本は、事業に失敗し従業員の行く末と当面の暮らしを心配し、各所に電話をかけまくる。そして自分の死を早め、生命保険金で補おうと目論む。平野は、余命数か月のうちにアルプス山脈に属するマッターホルンに登頂したい。亡き母の思いも重ね、夢・希望を追う。この2人、表面的には言い争っているが、実はお互いを心配している。鈴木は消防士、自分の父を火事で亡くし、その想いが他人の子供の命を助けるために火中へ飛び込む。小出は、右(利き)腕が使えないため数日後に迫った大学受験を諦める、そんな自暴自棄な態度に周りの患者が励ます。また別室の女性患者・山田(岩崎紗也加サン)は、乳がんに侵され手術することを逡巡しているが、平野との愛を確かめて決心する。冒頭の2人の男女は、10年後の小出と山田が今も元気に生きている。が、その小出が、また今の仕事や生き様に…。

塩屋氏は、50歳代で急逝した映画人・演劇人。1本だけ彼の映画を観たことがある。当日パンフに「環境なんてどうだっていい。芝居さえ良ければ。」とは彼が俳優に遺してくれた言葉だとある。全編、彼の郷里である大分弁、親しみのある言葉(台詞)は胸にグッとくる。彼の個人事務所は破産、東北公演の最中の突然死、しかし後進の育成に力を注ぐ夢と希望を抱き続ける、は登場人物達そのもの。ちなみに彼は、文学部教育学科卒である。

キャストの演技バランスはよく、看護師(伊織サン)は初舞台だが手堅く演じ、研修生(甲斐直人サン)はそそっかしい仕草から成長していく様が見える。すべてのキャストに、手遅れにならない人々どころか、真摯で熱量ある見事な演技が観えた。
次回公演も楽しみにしております。
GK最強リーグ戦2022

GK最強リーグ戦2022

演劇制作体V-NET

TACCS1179(東京都)

2022/05/25 (水) ~ 2022/05/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

【ラビット番長×猿組】公演(上演順)

テーマは「葬式」であるが、両作品とも共通して言えるのは、儀式的な厳かさは感じられない。逆に「葬式」=「暗く重いもの」というイメージを払拭し、ファンタジー、メルヘンといった浮遊感を出した描き方だ。また、当日パンフの出演者の一番上に記載された役者ー井保三兎さん(ラビット番長)、橋本妟奈さん(猿組)が物語を牽引している。

ラビット番長「沈黙を喰らう」は、暗く重たくなるテーマを 敢えてファンタジー風仕立てにしている。もちろん猿組「猿組式 白雪姫~女王と7人の妖精~」もメルヘン調である。”敢えて”と書いたのは、井保さんの挨拶文「・・・挑戦します。まだまだ向上心があった。心は死んでいなかった」に凝縮されている。「普通の作品を作っても そこそこ面白いものが観られよう」といった思いに止まらない強い気持の表れだろう。
「GK最強リーグ戦」…そもそもGKとは「戯作工房」の略で、稽古場から生まれてくる最強の戯曲を決めるもの。その主旨からすれば、各団体とも試行錯誤を繰り返し高みを目指すための公演なのだ。
ちなみに「観てきた!」(一公演としてカウント)は、2団体分をまとめて記載する。
(上演時間各50分×2 換気・転換休憩15分)

ネタバレBOX

●ラビット番長「沈黙を喰らう」

舞台セットは、後方に高さのある別場所を設え、後々進展し登場するトント王国を表現している。基本的には素舞台で、場転換し易いように、小道具(テーブルや椅子)の搬入搬出、小物(キャリーバックやクーラーボックス等)で日本ートント王国という土地(空間)の違いを表す。
物語は、葬儀を生業にする父・井上(井保三兎サン)と売れないお笑い芸人の息子アツシ(渡辺あつしサン)、その相方 カズキ(宇田川佳寿記サン)との取り留めのない会話。そしてトント王国への投機話、いつの間にか同国に住み着いて帰って来ない息子達を心配して、といった物語。印象的なのはラスト・・薄暗い中で喪服姿の井上がボソボソと喋る独白シーンが見所。妻が亡くなっても仕事柄「死」に慣れてしまい、泣けないといったアイロニーが哀れ。

●猿組「猿組式 白雪姫~女王と7人の妖精~」

タイトルからして主役は女王(橋本晏奈サン)。その容姿は醜婆、腰や膝を曲げ いかにも老女.。梗概は、よく知られた白雪姫の物語であり、ストーリー的には何の変化も感じられない。こちらの見所は、女王と全身タイツ姿の真実<マミ>の鏡(西川智宏サン)の緩い笑いを誘うやり取り。演技力で観せるといった演出だが、橋本さんの怪演というか熱演が物語を面白可笑しく牽引していく。その相手役である西川さんの とぼけた受け流しの演技が絶妙。本来の主人公である白雪姫は、毒りんご のせいで眠っている。7人の妖精は、メイクや衣装も含め変わりキャラ(役名も同様)を設定しているが、敢えて あまり目立たない役割にしているような。その意味では、先の二人芝居と言った印象が強い。

さて、ラビット番長の公演は何作品か観ているが、その都度、テーマや描いた内容への共感や納得といった満足感が味わえた。しかし、本作は「葬式」というテーマのわりには伝える、もしくは訴える”力”が弱かったように感じられたのが残念。先に書いた井保さんの進化の過程だと信じ、次回公演を楽しみにしております。
リバーシブルリバー

リバーシブルリバー

24/7lavo

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2022/05/26 (木) ~ 2022/05/31 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

脚本・笠浦静花さん & 演出・池田智哉さん は期待通りの面白さだった。

言葉を裏返すことで見えてくる「本音」と「建前」。人は、本当のことばかり言っているのだろうか。時に他愛(悪気)のない嘘をつくことがあるのではないか。「ホント」と「ウソ」を「本音」と「建前」を使い分けるに置き換えれば、人間の本性そのもの。そして物語の中で、いくつかの ひっくり返る事や物を用い状況が一転する面白さ。

ただ、自分が観劇する際の癖のような意識が立ちはだかり、スッーと受け入れられなかった。主人公のように自分も天邪鬼的な意識がある。この★評価を信用して、いや 信用しないで自分の目で確かめてほしい。それにしても吉水雪乃さんの通訳的役割は見事、笑えた。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)22.5.29追記

ネタバレBOX

客席はL字型。英字の曲がったところの対角線に舞台。セットは、真ん中にソファ、入り口側の客席近くにオセロ台。空き缶やごみ袋が乱雑に置かれている。前日に飲み会があったという設定だ。ここは都下にある大学に通う学生のシェアハウスの共同スペース(談話室のよう)、登場人物は個性豊かな男女10人。

主人公は、浪人生・天竜ハジメ(平井泰成サン)で、昨夜の飲み会で嘔吐してから言いたいことの逆の言葉を発してしまう珍奇現象に悩まされる。周りの人々もその真意とは逆の言葉に惑わされ、本当は何を伝えたいのか分からなくなる。このハウスにオーナーの娘もおり様子を見に来ると言い出す。ハジメの真逆の言葉が、オーナーへの心証を害するのではないかと心配するメンバー達の右往左往する慌てぶりをコミカルに描く。

「真逆の言葉」の意は、オセロ、リバーシブル ジャンパーといった物の表裏で、ひっくり返るを表し、途中から登場する大学4年生の天塩マアコ(寺園七海サン)の化粧の濃い薄い(ナチュラルメイク)といった違いで、そこに或る意図を込める上手さ。本当の自分らしさとは…。ハジメが嘔吐を繰り返すうちに、今の言葉は本当(表)か嘘(裏)なのか分からなくなる。そこに「本音」と「建前」といった人の本性が浮かび上がる。言っているのが、本心なのか逆なのか分からなくなるという可笑しみと怖さが併存し出す。

表層的には、ハジメ役の平井泰成さんの奇妙な動きや逆の言葉を発した時のリアクションが、物語を面白くしている。そして嘔吐=吐露に通じ、ラストシーンで彼が心に抱えた問題を吐き出させる(謎が氷解)。我慢と自由の間を揺らぐ諦念と解放が言葉になって表われる、実に巧い展開だ。

ハジメの言葉を真に受けず、逆であることを理解し通訳的な役割を果たすのが、1年生・阿賀野ルナ(吉水雪乃サン)である。自分(他の方も同様と思うが)は、役者が発した言葉(台詞)をそのまま受け、意味合いを解そうとする。例えば映像に日本語字幕(障碍者対応)が表示されても 音声で瞬時に台詞が分かり、ほとんど字幕は読まないのと同じ。ハジメの言葉は逆と分かっていても、いったんは そのまま受け止め、自分の中で(逆)変換する作業が少し煩わしかった。すぐ変換してくれる吉水さんの言葉を待てばいいだけなのに…自分も天邪鬼だなぁ
次回公演も楽しみにしております。
雨と夢のあとに

雨と夢のあとに

Yプロジェクト

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2022/05/25 (水) ~ 2022/05/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

楽しめる、オーソドックスなヒューマンドラマ。
物語は悲しい内容だが、自分の感受性が枯渇してきたのかもしれないが、感涙という感情は湧かなかった。どちらかと言えばファンタジー色が濃く、愛しい子を見守る父や親しい人々の優しさ、そんな清々しさを感じさせる。
雨が(泣き)止んだ後の晴れ間は、幻の蝶が舞うように輝いて見える、そんな美しい光景の舞台。

2人暮しをしている中学2年生の雨と父親・朝晴親子が主人公である。朝晴は蝶の採集で台湾に幻の蝶を捕まえに出かけたが、不慮の事故に遭う。そして魂だけが戻ってきたが…。

舞台セットは あまり作り込まないで、上手に段差を設けて、2人の自宅(室)とする。一方 下手は、状況に応じて小道具を搬入し場景を作り出す。基本的には、上手 下手が場所を表し、中央の大きな空間で登場人物が物語を紡いでいく。空間の広がりが、感情の締め付け(緊密さ)を緩め、ファンタジー色を強く感じさせた、と思う。
(上演時間2時間10分 途中休憩10分)
【Team HARU】

ネタバレBOX

舞台セットは先に書いた通りだが、後景の幾何学的な硝子細工がはめ込まれた衝立に緑や青色の照明を照射し、硝子を通して奥に樹木が生い茂っているような葉が見える。2人の部屋と隣接しているようで温かく、そして台湾の密林イメージを醸し出す。2人が暮らしている部屋にはコントラバスが置かれ、小道具として固定電話機。

朝晴は、自らが死んでいるとは思っていない。ある日同じマンションに住んでいる隣人・暁子に自らが幽霊であることを知らされる。そして雨は まだ朝晴の死を知らない。雨の母親は 雨が2歳の時に亡くなったと、それ以来 父娘2人で暮らしてきた。元の生活に戻った雨だが、だんだんと朝晴の行動に違和感を覚える。

朝晴の姿が見える見えないは、生前から好意を持っていた人、霊能者、または自分自身も幽霊である人しか見えないという設定。その見える見えないの違いが面白可笑しくなるはずだが、登場人物の多くが見えているようで、面白さの妙味が利いてこない。
物語の観どころは、死んだことになっている雨の母・野中マリアは生きており、雨を引き取りたいと朝晴に言い出す。自分の生き甲斐(歌)のため雨を残して出奔し、名声を得たから名乗り引き取りたいと…。いつ朝晴が雨に自分の死を知らせるのか(知らせることで朝晴は成仏してしまう)、朝晴と野中マリアとの親権争い、朝晴と暁子との関係が進展するのかが中心。

幽霊の残魂は、必ずしも生きている相手を思いやるだけではない。時に恨みがましいこともある。病院で恋人の手をさすり続ける行為、それは一見相手を愛おしんでいるようだが、実は相手を早く死に至らしめる邪悪な(生を奪う)行為であることを知る。以来、朝晴は雨や親しき人々に触ることが出来ない。愛おしく触れたい思いと、その行為によって招く結果の皮肉が寂しく悲しい。

色々な思いを紡ぎ人の思いが柔らかく、そして温かく描かれた王道的なヒーマンドラマ、安心して観ていられる。
次回公演も楽しみにしております。
せんがわ劇場演劇コンクール

せんがわ劇場演劇コンクール

せんがわ劇場

調布市せんがわ劇場(東京都)

2022/05/21 (土) ~ 2022/05/22 (日)公演終了

実演鑑賞

価格0円

2日目は11時30分からの上演。2団体の上演だが、表彰式があり、その中で専門審査員が全団体の講評をするため開始時間が早くなっている。専門審査員の講評は、以前(少なくとも自分が全団体を観劇し、授賞式を観覧しだした第5回から第10回)に比べると優しく前向きに思える。今回は「良く出来ている」といった主旨の肯定を前提にした講評(以前は「ダメだし」の辛口印象)だ。
(上演時間は各30~40分内)

ネタバレBOX

5月22日(日)11:30
安住の地(京都府)『アーツ』

舞台美術は、中央に紗幕のある大きな別室(空間)を設える。設置・撤収も審査時間と関りがあるから、各団体とも小物中心だが…。ストレートプレイにムーヴメントを使った観せ方。物語は美術館で、一人の鑑賞者が逮捕された。本人は「絵を見ていただけ」、美術館側は「作品に危害が及ぶ可能性があった」と主張する。それを孤独に聞いている存在が「絵」だった。絵の追憶とも言える、自分が描かれたあの頃のことを話し出す。絵の歴史的な制作経緯や価値を現在と過去(原始時代ー壁画や戦時中)を交錯して展開していく。絵が好きな青年は出征し帰らぬ人に、その兄の願いで弟が美術学校で学ぶため 大切にしていた欅の木を切って学費に充てるが…。空襲の最中に置いてきた絵を取りに戻る姿、絵の悲しい出来事の変遷が語られる。

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5月22日(日)13:00
階(缶々の階)(大阪府・兵庫県)『だから君はここにいるのか』【舞台編】  

冒頭は、観念的といった印象。
舞台は、劇場の公演準備前の舞台。仕込みが遅れている舞台上で、一人の俳優が、スタッフのために缶コーヒーを両腕に抱え待っている。と、台本の台詞を正確に喋る見知らぬ男が現れる。その台詞は、舞台上にいる俳優が喋るはずだったもの。すでに削除され無になった台詞と台詞がなくなって出番が無くなった俳優が いつの間にか同化してくる不思議感覚。劇に登場しなかった登場人物(台詞)とその役を演じるはずだった俳優の物語はシュール。他方、台詞とは誰のためのものか?観客に向けてであれば、観客不在の前説は何なのか。スタッフが声のみ出演という劇中内の前説アナウンスが笑える。

〇団体受賞
グランプリ
階(缶々の階)『「だから君はここにいるのか」【舞台編】』(作・演出:久野那美)
オーディエンス賞
安住の地『アーツ』(作・演出:私道かぴ)

〇個人受賞
劇作家賞
神保治暉(エリア51『てつたう』)
演出家賞
星善之(ほしぷろ『「なめとこ山の熊のことならおもしろい。」』)
俳優賞
瀧澤綾音(ほしぷろ『「なめとこ山の熊のことならおもしろい。」』)

*専門審査員によるファイナリスト5団体への講評は、後日劇場ホームページにて発表される予定。
せんがわ劇場演劇コンクール

せんがわ劇場演劇コンクール

せんがわ劇場

調布市せんがわ劇場(東京都)

2022/05/21 (土) ~ 2022/05/22 (日)公演終了

実演鑑賞

価格0円

毎年楽しみにしている演劇コンクール。今年も全5作品の観劇と審査講評、授賞式まで観覧が出来た。実施目的は、概ね「『次世代を担う芸術家と鑑賞者の育成』をめざす企画」ということらしい。

ファイナル5団体の上演順は、抽選による希望順らしいが、偶然にも初日3団体は東日本、2日目の2団体は西日本となっている。既に結果発表されているが、偶然にもグランプリとオーディエンス賞は2日目に上演した関西の2劇団が受賞した。とは言え、自分が観た限りでは、それぞれ特色ある劇作が出来ていたと思う。満足した観劇内容、同時に学ぶべきことや気付きが多くあり、充実した2日間であった。
なお、「観てきた!」は、コンクール日程のとおり2回に分けて記載し、団体ごとの★評価はしない。
(上演時間は各30~40分内)

ネタバレBOX

全5団体中、4団体がムーヴメントというかコンテンポラリーダンスといった身体表現(演技)を演じて物語を展開していく。最後の「階(缶々の階)」という団体だけが、ストレートプレイで観せる。比較的短い時間内で上演するためには、身体表現を取り入れた作品のほうが視覚的な印象が強くコンクール向きなのだろうか。

5月21日(土)13:30
盛夏火(東京都) 『スプリング・リバーブ』

観客を異次元に誘い込むようだ。たつき、マヤなどが、演劇コンクール出場のため、音響・照明スタッフを引き連れ、せんがわ劇場へ下見に来ていた。仕込んだコンクール下見(3月中旬)という設定とコンクール当日(5月21日ー観客視点)の違いが緩い笑いを誘う。姿を見せない照明係の声だけ出演も仕込み光景を思わせる。少しオカルト的とも思える不思議感覚。
コンクールで優勝したいがために実現不可能な演出ばかり夢想するたつきと、小学生時代を過ごした仙川での日々を懐かしむマヤ。地元ということもあり、地域情報はリアルだ。たつき達は期限までに無事作品を完成させる事はできるのか、という夢想世界へ戻っていく。
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5月21日(土)15:00
ほしぷろ(福島県) 『「なめとこ山の熊のことならおもしろい。」』

抽象的な印象。物語の展開に合わせ、中央奥の壁に映像による風景映写。宮沢賢治『なめとこ山の熊』を原作にしたクリエイション作品。脚立を持ち出し、その高さを「山」、結んだビニール紐が「川」、いくつかの紐で括られた空間が「街」を表現する。
登場するのは人間と動物(熊)・・・生と死、地元出身か否か(よそ者)、都邑といった対比を現した内容のようだ。原作に語り手として現れる「私」や「僕」、現代を生きる私たち自身の言葉から、小十郎と私たちに共通する普遍性や差異を見つめ直すという。映像美が際立ち、演劇が活きているのか?ただ、殆ど喋らないが瀧澤綾音さんの存在感ある演技は凄い!
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5月21日(土)16:30
エリア51(東京都・インターネット)『てつたう』

ムーヴメントー 2人が背中合わせに寄り掛かる姿が印象的だ。この姿は「人」という字に見えるが、「支え合う」と「反目する」という反対の意味を表しているよう。
冒頭は自動車教習所の車内(緊密空間)光景から始まる。園児の列に突っ込む車。その運転手。運転手を介護していたヘルパー。現実にあった事故を連想し居た堪れなかった。先生たちと子供たちがつないでいた手、そして痛む手。手と手を介して伝えると伝わる。顔だけは知っている人、「ヨォ」と挨拶をするだけの心地良い(適度)距離感と車内空間を対比する巧さ。違う空間の広がりを通して人間関係が描かれているよう。
つぎはぎ

つぎはぎ

劇団水中ランナー

サンモールスタジオ(東京都)

2022/05/18 (水) ~ 2022/05/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い…お薦め。
普通の家族ではない人々が、普通以上の絆で結ばれた“つぎはぎ”物語。どうして家族ではない人々がここまで親密になれるのか、そして相手を思いやることが出来るのか、その人間関係を実に上手く描く(作・演出:堀之内良太氏)。

環境や状況、もしくは範囲といったほうが分かり易いが、広げないことで より緊密さを増した関係性や情況を描き出す。少し謎めいた疑問が徐々に明らかになる。その事実を受け入れざるを得ない苦悩が、観客の感情を揺さぶる。何となく違和感ある登場シーン、それがラストに明らかになる展開の巧さ。見事だ!
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台は「ぱっちホーム」という児童養護施設。セットは、室内中央に少し張り出した間仕切り、上手は談話室のようで座卓や籐椅子、奥に整理箱、下手はダイニングでテーブル・椅子そして冷蔵庫等を置き生活感を漂わす。上手・下手を行き来して、狭い空間に体の動きと心の揺れを観せる。廊下を回るようにして下手奥が玄関に通じている。

幼少期にこの児童養護施設で育ち、いったんは退所したが、或る事情によって また集まり共同生活を送っている人々の物語。主人公は英治(鐘ケ江佳太サン)、このホームで育ち、当時の園長と養子縁組をして此処にいる。由紀子(虎子サン)と結婚し、妊娠4か月の幸せ真っ最中のはずだが…。仲睦まじく暮らしている家(ホーム)に、昔の仲間を呼び戻し暮らす理由が後々明らかになる。貴美恵(織田あいかサン)という部外者(執筆者)が取材(記録)する方法で、二人の思いや、戻ってきた仲間に事情を聞いていく。それぞれの性格や抱えた事情を情感豊かに描く。

英治の不治の病(余命数か月)、生まれてくる子の見守り・後見人的役割を仲間に託す。延命治療か、自分の遣り甲斐かといった究極の選択が重く圧し掛かる。この選択を施設育ちで、今医者になっている麻美(悦永舞サン)と議論するシーンが見どころ。その議論を英治と由紀子を別々に観せることで、それぞれの立場の本音を聞かせる巧さ。何が正解か見出せず、ただ思(重)いを言い合うだけの虚しさ哀しさ。

シングルマザーとして働く女性二人ーえり(坂本憲子サン)と真由(川村美喜サン)が登場するが、交わることはない。途中から 少し違和感を覚えたが、これは時間軸が異なっているため。この時の経過こそが物語の始まりであり現在(ラスト)に繋がる。単に時間という流れの繋がりではなく、仲間との繋がり、命の繋がりという物語のテーマが込められている。一緒に暮らし育ったが本当の家族ではない、そんな“つぎはぎ”家族が愛おしく感じられる。

英治のプロポーズの言葉「結婚して下さい。あなと家族を大切にします」、果たすことが出来なくなったが、仲間は「我が儘だな。皆を巻き込んで」といった序盤の台詞が利いてくる。ラストシーンの台詞が、英治と仲間の思いを結び付ける。結婚と後見人的な存在から「書類にサイン」の意は、おのずと知れよう。
たしかに「杉並演劇祭大賞受賞」は肯ける秀作。
次回公演も楽しみにしております。

【追記】
事情があり到着が開演時間ギリギリになる旨、事前に連絡させていただき、当日は10分前になった。それでもスタッフには気持ち良く対応いただいた。感謝します。
SHOWほど素敵なショーバイはない!

SHOWほど素敵なショーバイはない!

劇団娯楽天国

ザ・ポケット(東京都)

2022/05/18 (水) ~ 2022/05/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い…お薦め。
演劇愛に溢れた公演。それは(小)演劇界にいる人たちだけに向けているのではない。劇中「市民の市民による市民のための演劇」の台詞は、どこかで聞いた名言のもじりであるが、公演の根底を表しており、演劇に携わる人々はもちろん 観客をも含むもの。

物語は素人集団の芝居で興行を行おうとする者と それを阻もうとする者の駆け引き。集まった人たちの思惑や理由、そして稽古を通して生まれる生き甲斐や連帯感などは、演劇界にいる人たちだけではなく、悶々と暮らす人々への人生讃歌(参加)を謳っているようだ。それがお仕着せではなく、コメディとして面白可笑しく観せるところが上手い。勇気付けられるような好公演だ!
(上演時間2時間30分 途中休憩なし)5.22追記

ネタバレBOX

舞台美術は場景によって違うが、全体的にシンプルな作りにすることで容易に場面転換させ、アップテンポを保つ工夫が巧い。冒頭は、イベント会社の事務スペースで、衝立にポスターが貼られただけ。
梗概…説明にある通り、弱小イベント会社が、スーパー・ミュージカル・ビッグ・ステージと銘打った企画。そこに集まったのは市民劇団の素人ばかり。メインのスターは交通事故で降板。このままではチケットが売れず会社は倒産してしまう。出来れば興行はやりたくないが、今さら中止は言い出せない。集まった素人たちの芝居への思いは急上昇。トラブルを起こしてでも公演中止したいダークサイドと憧れの舞台への夢を見るドリーマーたちの戦い。the show must go on!もう、どちらもやめるわけにはいかない。スラップスティック・ショウ・コメディの幕は上がったが…。

公演の魅力は、登場人物の愛すべきキャラクターと、演劇にかける情熱が作り上げた劇中劇「ロミオとハムレットと忠臣蔵」という西洋のシェイクスピア劇と日本の時代劇を無理やりくっ付けた芝居であろう。そこに潜ませた「思い」が後々明らかになる。
登場人物の性格や抱えた事情や現状をさり気無く説明するが、きっちりとした人物像は立ち上げない。例えば、当初パワハラの自称演出家は、単に演劇が好きなオタクであり、女性舞台監督と結婚しているが生活能力なし。高齢者の元旅劇団員は、退職後の余暇活動のよう。夫婦で参加しているが、最近 家庭内がしっくりいかない。夫は稽古中も仕事の電話で忙しく、妻は芝居に生き甲斐を見出している。フリーター=雇用問題、高齢者問題、夫婦問題を面白可笑しく設定することで、観客にどこか共感できる部分を見せるため、キャラクターをしっかり作り上げない。幅広い年齢層に向けたメッセージのようだ。

劇中劇は、ダークサイドの妨害や素人集団ゆえの知識・技量不足といった足枷をつけ、それでも公演をやり遂げようとする姿が、原作の「ロミオとジュリエット」「ハムレット」「忠臣蔵」の核(成し遂げようと尽くす)に繋がる上手さ。前半に稽古の過程を描くことで、上演中の面白さが浮き彫りになってくる。劇中劇のラストは仇討ち本懐を遂げたシーンだが、劇中 ダークサイドによって脚立から落ちてケガをした人を介助して引きあげるのは忠臣蔵場面そのもの。素人集団が苦難を乗り越えて公演をやり遂げようとする、その過程こそが、「ロミオとハムレットと忠臣蔵」に込められた思いであろう。悪事がバレた時の強い台詞「舞台を壊したんじゃない、皆の心を壊したんだ」は、生き様への敬意のよう。

また「イベント会社(人)の妨害」を「コロナ禍の困難」に置き換えれば、まさに今状況を乗り越えては、本公演そのものに重なる。カーテンコールで、作・演出の小倉昌之さんが、来年も上演出来るようにしたいとの挨拶があり「劇団娯楽天国」の心意気を示す。だからこそ「演劇愛」を強く感じたし、観客にその思いが伝わったと思う。
次回公演も楽しみにしております。
歌劇『天守物語』

歌劇『天守物語』

呼華歌劇団KOHANA

新宿村LIVE(東京都)

2022/05/18 (水) ~ 2022/05/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初見の劇団、未見の演目、そして原作の泉鏡花「天守物語」も未読という初々ものの公演。この劇団は女性だけで構成されており、歌劇としてエンターテインメント色が濃く、魅(観)せるといった印象が強い。何となく宝塚歌劇団(大階段はないが、舞台美術が華やかで、雰囲気が似ている)ような。
物語は泉鏡花の執筆中…自分が描きたい恋愛観をどう表現するか、その脳内思考を華麗に彩りながら展開していく。妖(あやかし)と人の恋愛…立ちはだかる悲しい定めを乗り越えて、恋が実るのか悲恋に終わるのか、それは作者(泉鏡花)の思い次第である。
(上演時間2時間20分 途中休憩なし)【Aチーム】 

ネタバレBOX

舞台美術は、中央が白鷺城天守閣という設定で、階段状になっている。天井(上)部に龍(又は獅子)頭のようなオブジェが吊るされ、異界であることを表す。階段上の左右に朱色欄干と大藤棚があり概ね対称をなす。上手に花道があり陣幕のようなもので仕切られている。紗幕で舞台の前後を仕切り、場景に変化を見せる巧さ。衣装も着物姿、武士紋付き袴姿、変わり衣装として不老不死の御婆(不老なのに婆?)、風神・雷神姿、擬人化した鷹姿などの凝らし工夫が、情景に上手く溶け込んでいた。

泉鏡花が執筆中という劇中劇仕立て。自分はどういう恋愛ものを描きたいのか分からず苦悩している。何度も推敲をくり返し、取り合えず書き進めるが…。
妖の視点で観ると、生(命)と人間との恋愛の両立は出来ないという不条理が存在する。人間の命を喰らい妖力を維持しており、結果として天守閣の結界を維持している。この天守閣の主は世にも美しく残忍な富姫(鳳あづまサン)、その妹分で猪苗代城に居る亀姫(ゲスト出演:花柳亜寿菜サン)を中心に御伽や妖たちが妖艶に登場する。

物語は、白鷺城天守閣には豊臣秀吉が遺した財宝があり、領主はそれを望んでいる。しかし 天守閣に誰も近寄ることが出来ない。ただ何故か鷹匠の図書之助(剣 颯天サン)だけが天守に近づき 富姫に出会ってしまう。そしてお決まりの禁断の恋に落ちてしまう。
他方、結界を結ぶ(守る)ために必要な妖が、人間界へ降りた時に見初めた若武者と恋に落ちてしまう。この二つの出会い、悲しい定めの恋物語によって妖と人間(武士)の戦いが始まる。このシーンを支えるのが、舞台技術である。効果的な伝承わらべ歌「通りゃんせ」が物悲しく聞こえる。照明は色彩鮮やかな、上・下や目つぶし効果など多彩な照射が臨場感を生む。

公演の魅力は、異界と人間界という住処が違う恋愛話をベースに、欲と権力に驕れる人間を描くことによって、人の世の醜さが浮き彫りになる。同時に妖という人間にとって得体のしれない魔物に純な思いを見出すことが出来る。視点の置き方で見方が変わるという典型的な物語である。

何より妖(童女も含む)たちが皆美しく、立ち居振る舞いも流麗だ。そして武士との戦いでは殺陣も見事に演じる。見た目だけでも楽しめるが、描(書)く恋愛話、それが本当に自分が書きたい内容なのか自問自答する作者の思いが随所に挿まれ「力」ある物語になっている。勿論、鳳さん、花柳さんの歌は上手で公演の”華”であろう。中盤の撮影タイム、ラストの舞踊・群舞などのレヴューというかショーを観せるというサービス精神も嬉しい。
次回公演も楽しみにしております。
ベイビ- ドン クライ 

ベイビ- ドン クライ 

東京ハイビーム

「劇」小劇場(東京都)

2022/05/10 (火) ~ 2022/05/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い!
表層的には笑わせ続けるノンストップコメディであるが、内容的には奥深い物語だ。
偶然であるが、前日に観劇した公演に出てくる絵本(「タイトル」はネタバレBOX)に通じる。この公演は「サダオシリーズ」の新作5、6の連続上演で、「喪失と再生」の話になっている。そして説明にある「預かったモノがある、それを伝えるために来た・・そして訪れる絶体絶命の危機!」が肝。ただ、さらにこの後の展開の方が気になる。当然シリーズものだから続きを描くと思うが、早く観たい!
(上演時間1時間45分) 【Aチーム】

ネタバレBOX

舞台セットは、中央壁に大きな絵画、テーブルと椅子、上手にソファとクッションを置くだけのシンプルなもの。しかしクッション等の小道具を上手く笑いに取り込む。
冒頭は「サダオシリーズ3、4」のダイジェストを観せ、本編へ上手く引き継ぐ丁寧な展開。サダオ(曽世海司サン)はゲイの恋人ジャイアンが亡くなり、意気消沈している。そんなサダオにジェンダーのブービー(栗田浩太郎サン)、性転換したマスター<ママ>(黒田由祈サン)、ギャップ<新宿界隈の仲間>(栂村年宣サン)、チョロ(川崎千尋サン)が元気づけようとする。そこに何と死んだはずのジャイアンが現れ大騒ぎになるが、実はジャイアン(下出丞一サン)の双子の弟。ここ迄は普通のドタバタコメディといった印象であった。

しかし預かったモノ=赤ん坊(御包み)が登場し、状況は一転する。生前ジャイアンと結婚していた女性が出産と同時に亡くなる。その赤ん坊の育児問題が焦点になってくる。施設に預けるか否か、サダオとブービーはジェンダーカップルで、勿論 育児経験はない。焦り戸惑い等、右往左往する滑稽さが前半の笑いと異なってみえる。何時しか父性本能 いや母性本能らしきものが芽生え、名前(「大地」らしい←台詞から推定)を付け、育児用品を買い集める。ただ情がわく迄の過程が早過ぎる。ここは丁寧に描いて欲しかった。
サダオの弟・コウジ(小林大斗サン)の妻も妊娠しており、同調した行動をし出す。ゲイカップルに育児ができるか否か、といった行政の役人(日替わりゲスト=安達雅哉サン)も登場させ、それなりのリアリティをみせる。

普通の育児…男女という”異性カップル”が一般的であるが、ゲイカップルという男の同性がそれを行う。何が「普通」か といった問題の投げかけと固定観念からの解き放ち。物語は、けっして杓子定規の理屈ではなく、男・女の感性の違いを面白可笑しく描き出す。腹にクッションを詰め込み、歩き難さを実践・実感したり育児書を必死に読み込む姿が愛おしくなる。先に記した絵本「タンタンタンゴはパパふたり」(邦訳名)で、2羽の雄ペンギンが懸命に卵を温めて、という話である。公演はゲイというジェンダーカップルの設定、そこに更に生まれたばかりの赤ん坊の育児という課題を取り込み、多様な家族の在り方を観せる。時代がやっと追いついてきた感じである。

当日パンフには、日本では まだジェンダーカップルに偏見があるが、「人と人が出会いと別れを繰り返し、それでも尚、人と人は繋がっている物語を紡ぎたい」とある。何が”普通”か分かり難いが、それでも普通を求める人がいる。同時に多様な家族形態を認めつつある社会、例えば東京の渋谷区などの「パートナーシップ制度」が成立する。
自分が次の公演を観たいのは、ゲイカップルの子育てを通じて、”普通ではない”親子・家族の在り方をどう描くのか期待するからである。
次回公演を楽しみにしております。

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