イカイノ物語
コメディ オン ザ ボード
シアターX(東京都)
2014/05/21 (水) ~ 2014/05/25 (日)公演終了
満足度★★★★
関西スタイル
関西発。故マルセ太郎作の舞台。イカイノ=猪飼野と言えば歴史のある在日朝鮮人街で、ドラマの時代設定は現代(90年代あたりではないか)である。
在日コミュニティのある断面から、在日特有の家庭問題、人生観、習俗を垣間見せながら普遍的な人間のありように通底するドラマとして浮かび上がらせる。差別は当然の事として織り込んだ上で、たくましく、せせこましく、鷹揚に、堅実に、時に大胆に、つまりは「ここより別の場所」を思い描きながら「ここで」生きる大多数の人間の歩みを代弁する、姿たちの物語。笑あり涙あり、関西弁に乗せて人間臭を大開陳する関西らしい喜劇だった。
俳優は達者で、関西辺のエンタテインメント業界に住まう人たち(その道で稼いでいる)、と想像させた。
その特徴として、セットはリアル路線だが調度品など最小限にとどめ、演技で見せる。分かりやすい物言い。朝鮮訛りがいわゆるデフォルメされた「物まね」的な発音にとどまっていて、恐らく検証する時間も無いのだろう、持ち技だけで勝負していた(この舞台を持続的に打って行くつもりなら、もっと在日コミュニティの人材との交流があって良く、そうすればあのとって付けた訛りも改善するに違いない)。
「達者」ぶりの突出しているのはドラマの中心になる、兄弟。東京に出て芸人として一定の成功をなした(テレビには出ない)兄と、地元で母(ハルモニ)の面倒を見ている弟。この弟のキャラが立っていて、決して崩さない憎まれ口と強がりと独断的言行のスタイルの合間から人情味がにじみ出てくる様は忘れがたい。成功した兄は知性もあって語りがうまく場をさらう。この人が座長でもあって、私の見たステージでは台詞の「事故」があったが、殆どアドリブで流れを崩さず対処していた(客席も鋭く察知して大いに楽しんでいた)。
ドラマのほうは兄弟の母であるハルモニ(おばあちゃん)が、在日一世の苦労の象徴、また子孫への愛の源流として、控えめながら座の中心にあって、子の配偶者と孫、親類、友人などがその「距離」に応じてこの家族そしてコミュニティについて語り、描いて行く。生の節目の喜び、死と別れの悲しみ、歳月が人間に等しくもたらすものを味わう事の素朴な感動が、このドラマの核である。
惜しいのはやはりプロ的な作りである分、役同士の有機的な繋がりが熟成されるまでには至っておらず、人物の実在感が深い味わいを残す、という具合には行っていない事だ。これが関西スタイル?との感がよぎる。笑い飛ばす事を芝居の本義とする「醒めた」芸の伝統の一片に触れたという事なのかも。
「死ンデ、イル。」
モダンスイマーズ
ザ・スズナリ(東京都)
2013/12/12 (木) ~ 2013/12/22 (日)公演終了
満足度★★★★
そういえばモダンスイマーズ
Bバージョンを観た。HPを覗くと「17日以後はAバージョンで行く」と蓬萊氏の口上。「Bバージョンでは不本意な舞台を見せた事をお詫びする」、という趣旨が書いてあった。
そうか・・。私はスイマーズの俳優小椋氏と古山氏をよく知る程のフリークでもないが、この時はどちらかが「正解」キャスティングで、なぜか私は「こってり古山」が正解と決め、(Bバージョンの日程ならすぐ予約できたのに)スケジュール調整しようと試みた。結局調整はかなわず、当日電話予約が出来たBバージョンを観た。
ダブルキャストと言えば世田谷Pであった『クリプトグラム』も登場する3人の一人、子役がダブルだった。この2人のイメージが、動画をみると随分違うので、私はか弱く理知的でナイーブな印象の一方を「正解」と判断したが、これも叶わずだった。しかしこちらは翻訳劇だから元々「翻訳的」(原典からの距離感がある)にならざるを得ず、その部分は評価の中心にはならない。
しかし、モダンスイマーズでは(というか蓬萊竜太氏の書く戯曲では)、人物の「役」としての掘り下げを強く要求される(それでないと成立しづらい)、そんな印象を持っている。もし重要な役ならステージごとの交替でやるのはかなり冒険だな、という印象が多分チラシを見た時よぎった。幅を持ちにくい人物像は、役者にとってはどちらがその役に肉迫し、最終的に占有して行くのかという事にならざるを得ないという事もあるに違いない。・・そんな想像をしている。
蓬萊氏の戯曲が「深い掘り下げ」を要求するという感じをはっきり持ったのは新国立の『エネミイ』。芝居を観ていて、ああ何かこの役はもとは少し違った形を想定して書かれたんじゃないだろうか、と感じながら見る、見ながら戯曲世界を自分の中に構築する、という事をやっている。もしかするとこの作家は想像の余地を(不可解さを)敢えて残す、そういう書き手なのかも。
私が見た今回の舞台は、細部は思い出せないが全体として漠とした印象で、物語世界がふくらんで行く、立体として押し出すためにもう一つ押し出し棒が足りない感じが残った。ただ、残りつつも、前向きに受け止めたい思いが湧いて来た。
今回は劇団としての再出発的な位置づけとおぼしい公演、どの方向への再出発か、少し安い3000円の観劇料、会場が「スズナリ」であることや、「新劇団員入団!?」やホームページの刷新等々。「上」を目指す志向は否定しえないとしても、それでは「これまでやってきた演劇」は何なのかという自問が、そこはかとなく伺える。健全だな、えらいな、と単純に思った。
芝居のラスト、新人女優が舞台正面に立ち、拙く台詞を吐く姿の背後にも、劇団の「向かおうとする」足掻きのようなものが想像され、私はうむと納得して帰途についた。過去の幾つかの感動が、劇団の「今」を(作品評とは全く関係なく)思わせられる、そんな邪道(?)も少し自分に許してしまう今回の観劇だった。
片鱗
イキウメ
青山円形劇場(東京都)
2013/11/08 (金) ~ 2013/11/24 (日)公演終了
満足度★★★★★
「いい仕事してますねぇ」
・・とは、劇場を出る人波の中でおばさんが関係者らしい男性に嘆息まじりにかけていた言葉。この声に私もつい共振してしまった。
円形劇場は3度目。本谷有紀子、鹿殺し、で今作。一番良かった!(さんぶんのいちかよっ) ・・の意味は円形劇場の空間処理がうまい。
ほぼ腰の高さの四畳半大、リノを敷いたような台(下は空いている)が四つ並び、その間は十字の通路となり、台は登場人物(世帯)の家となり、シーン転換ごとに所有者が変わるのもめまぐるしい。代替可能性は、ああ多分この話が「誰にでも起こり得る事」の暗喩となってた、と思う。この装置のシンメトリー、あるいは点対称が「円形」にマッチしてるし、通路は各出口へと繋がっていて、怪しげな「侵入者」がいつ現れてもおかしくない「不安定」を醸してる。後付かもしれないが、案出した方の直感の源を手繰れば、あながちはずれでないようにも。。