満足度★★★★★
闇の奥、怪しく光る金屏風
自分の過去のツイートを見ていたら、
大駱駝艦 壺中天公演 CRAZY CAMEL
2013.12.14、初日観劇後の連続ツイートを発見。
消失する前にコピペしておきます。
ネタバレBOX
rsynrsyn @rsynrsyn 12月21日 - 12:24
大駱駝艦 クレイジーキャメル@吉祥寺。
金の汗の豪華絢爛、フランス人のジャパネスク趣味、森鴎外の例のヤツ
・・さすがラクダカンと思わせるブラボーな舞台でした。
見世物、ユーモア、エロス、カオス、物語。
金粉ショーを続けることで、鍛えられ継承されていくDNA。
さすがです。
rsynrsyn @rsynrsyn 12月21日
大駱駝艦 クレイジーキャメル。
劇場での金粉は、白馬野外公演での金粉の派手さ、神々しさと趣がまったく違っていました。
闇の奥、怪しく光る金屏風。
カラダの見え方も白塗りでは感じない、筋肉の隆起、その美しさが強く印象に残ります。
rsynrsyn @rsynrsyn 12月21日
大駱駝艦 クレイジーキャメル。
チラシ写真から想像したのは、パリの大人向けナイトクラブの舞台、ムーランルージュとかクレージーホース的なものだったのですが、いい意味で裏切られました。
これはまさしく大駱駝艦。
昭和のラクダカンを知るファンも納得のはず。
いかがわしさ、軽妙さ。
満足度★★★★★
公演直後のツイート
公演直後のツイートを見つけました。いずれ紛失していまうでしょう。いまのうちにコピペしておきます。
ネタバレBOX
rsynrsyn @rsynrsyn 12月23日
向雲太郎ソロ公演。素晴らしかったです!
今、あらためて舞踏の面白さを再認識いたしました。
観客として座席にありながら、舞踏ダンサーによるいざないで、とおい世界へ旅し、そして帰ってきた、という感覚です。
向雲太郎スゲー\(^o^)/
2012年12月23日 - 2:10 ·
rsynrsyn @rsynrsyn 12月23日
向雲太郎ソロ公演。
特筆すべきは、やはり独り舞台、暗転なし、完全70分。
向雲太郎はステージに出っぱなし。
音楽による劇的なシーン展開なし、にもかかわらず、次々と展開する世界観の多様性。
ダンサーとしての引き出しの多さ、エンターテイナーとしての実力を感じました。
rsynrsyn @rsynrsyn 12月23日
向雲太郎ソロ公演。
舞踏における物語性についても再認識する点がありました。
基本、物語は主人公が旅に出て、何らかの経験をし、帰ってくるという構造であるということ。
それがフィジカル、物理的なものなのか、メンタル、頭の中での旅なのか。
もちろん雲太郎の脳内の旅。
rsynrsyn @rsynrsyn 12月23日
向雲太郎ソロ公演。公演後、向氏との立ち話。
映画「2001年宇宙の旅」、頭の中で、「壺中の旅」はグループで、だったけど、今回は独り。自分のインナーワールドへの旅。
rsynrsyn @rsynrsyn 12月23日
向雲太郎ソロ公演。
物語的な構造をベースにしているところに、「2001年壺中の旅」以来の向雲太郎らしさを感じました。
いわゆる「舞踏的」ナルシシズム、訓練で獲得した身体スキルに依存していないということでもあります。
それはとても麿赤兒的と思います。
満足度★★★★★
コタツのある部屋の「うちゅう」
大駱駝艦を円満退艦した、ダンサー向雲太郎。
独立後、初めてのソロ公演。
公演も終わったので、以下ネタバレで。
ネタバレBOX
公演も終わったので、以下ネタバレで。
向雲太郎ソロ公演。
舞台は自室のコタツで寝ている男から始まります。
ジャンキーか酔っぱらいか、奇妙な「をどり」が続きます。
男は部屋の鏡を見ながら、全身白塗りを始めます。舞踏ダンサーの誕生。
ダンサーになるということは、ある決意を持って、境界を越えていく、ということでしょうか。「コタツ世界」からの旅立ち
をどる、をどる・・やがてガイコツの世界へ。
観客はコタツ世界から、シームレスで旅のお供をしています。いつの間にか違う場所に連れてこられています。奇妙な別世界に来ている事に、突然気づきます。その瞬間、観客はゾッとします。・・それは恐怖か快感か。
コタツ、布団は得体の知れない別のものに変身しています。それは男のパートナーになり「をどり」ます。
をどり、は終わり、男はポンズコールドクリームで白塗りを落とします。
帰ってきた事が舞台装置の動きによる合図で知らされます。「コタツ世界」への帰還。
事を終えた男が踊ります。その「をどり」は、今までとは違うものになっています。
・・男と一緒に旅をした観客も、ようやく別の世界から帰ってきた、という感覚をおぼえます。
満足度★★★★★
記憶ついての考察か!?
村松卓矢「忘れろ、思い出せ」 一週間前の金曜日、初日を観た。
今回も非常に刺激的。公演は残すところあと三日。最終日にもう一度観に行く予定。(初日とは、大いに違う舞台になっていることだろう)
今回、出演ダンサーは男性のみ。ひとりひとりの体つき(キャラクター)がはっきりと伝わってくるミニマルな方向の衣装と美術。(「ツン」のデザインにも注目)
「縄」とのからみ、その大胆な展開は、まさにスペキュタクラー。
また、男たちの体つきの違い・・背が高いのも低いのも、筋肉質も、痩せ型も、顔の大きさ、全身バランス、ひとりひとり唯一無二の強い存在感をみせつける。
ふと気付くのが、通常、我々が、たとえば八等身美人のバランスを最上位に置き、美醜や優劣をつけていることへのアンチテーゼ。つまり、大駱駝艦のテーゼ「天賦」。あなたがわたしがこの世に生まれてきた事こそが大いなる才能なのだ、というその意を感じていること。
ついでに言えばスペキュタクラー、壮観な見世物性は「典式」だ。
この舞台にも、大駱駝艦のDNA「天賦典式」が脈々と受け継がれている。(そしてそれは観客にも伝播する)
以下、ネタバレ。
ネタバレBOX
タイトル「忘れろ、思い出せ」から察するに、「記憶」についての考察が本公演のテーマかと。(公演前に配布されるリーフレット。シーンタイトルにある「ニューロン」という言葉を見逃すな)
首くくりの縄、絞首刑、自傷行為、死なない程度の自殺未遂。
自己紹介、自己同一性、錯綜、記憶の掛け違い・・(セリフが行き交うこの場面はかなり面白い)
シーンシーンはダンサーの力量でおおいに楽しませるものだったが、舞台全体のテーマという観点では、よくわからん・・(過去の村松の傑作と比較すると)捕らえ所が無い、・・というのが、初日を観た正直な感想。つまり、初日はまだ粗削りで、まだまだ磨き上げる余地がある。だから最終日、どう変わっているか・・村松氏の才能、ダンサーたちの熟練、完成度があがっていないはずがない。期待は高まる。
記憶、ニューロンでググった。
>ニューロン、シナプス。
>短期記憶、長期記憶。
>消滅してもよい記憶と残すべき記憶。
>脳はそれをどのようにして決定し、どこから指令を出しているのだろうか。
http://www.scj.go.jp/omoshiro/kioku2/index.html