満足度★★★★★
叫び
幼児の頃、教会の前の路上に捨てられたAqua。
ネタバレBOX
彼女はひとまず、教会に引き取られて育てられるが、十にもならないうちから、聖職者たちの慰み者にされた。ニーチェの言葉を引用する必要もあるまい。インクブスやスクブスなどという妄想の産物を生み出した彼らの性意識がどれほど強い抑圧の下で歪んだ生育を遂げ、孤児と看做された子供達相手にどのような惨劇が繰り広げられたかは容易に推測がつく。彼女は、その後、母親に引き取られるが養育費名目だろう。大金を支払わされている。それでも母の実家に住むようになった二人だったが、母が持病の心臓病を悪化させて働けなくなると森の奥の小さな小屋を与えられ、それからはいつの間にか訪れるようになった数人の男たちを相手に、Aquaが春をひさいで生きて来たのだった。その母が亡くなった後、父が迎えに来たのだが。NYから来た父と共に新たな母とその母との間に出来た妹の住むNYに帰りたくない、と主張する彼女の気持ちを汲んで父は、彼女と共にこの小屋で暫く一緒に過ごすことにした。そこへ男が訪ねてくる。男はAqua を買っていた男たちの一人であった。余りの衝撃に父は男に襲い掛かり暴力を揮ってしまう。一旦、男を叩きのめしたものの、暫くすると娘に気を取られていた父に男が反撃。かなり手ひどく反撃され、肋骨を何本か折った父も、漸く起き上がって男を追撃、娘が妖精の家と言っていた墓から、人骨を発見、それが男たちの誰かとAquaの子であると辺りをつけ、怒りのあまり誤って男を死に追いやってしまった。部屋に戻った父は、Aquaに真実を尋ねる。彼女は、その骨が彼女の子供のものであることを認めた。だが父は誰であるか分からないと言う。死因は、恐らくAqua自身の体が充分成長していない時期に身籠ったことが原因で未熟児が生まれ、その結果育つ力が弱く生後2週間で亡くなったということのようだ。何れにせよ、これらの事実が明らかになる中、彼女が捨てられてからの生活が語られ、傷ついた父を追い詰めてゆく。自らの理不尽な生き方を余儀なくさせた父を許すことができない、という彼女の思いと大好きな父を逃したくないという思いが、実は、この鉄格子と鍵の秘密であった。余りに痛ましい話で、Aquaの悲痛な思いが痛い。
父を演じたキリマンジャロ伊藤さんとAquaを演じた杉坂 若菜さんの熱演が光る
満足度★★★★
99、100、101、102 メガバ百作品突破記念祭り
ある島に魔法使いの男が住んでいた。
ネタバレBOX
魔法使いと言っても彼に使える魔法は1つ、しかも使えるのは1度だけ。だが、彼は一度もその魔法を使わずにきた。その魔法とは、死者の甦りである。だが、甦らせた魔法使いは役割を終えて消える。そして新たな魔法使いは、前の魔法使いの持っていた能力、不死と使者を1人1度だけ甦らせる能力を継承するのだ。今この能力を持つ男は、その妻からこの能力を受け継いでいた。その時から140年が経っていた。
島の若い兄妹に手伝って貰いながら、普段彼は林檎の木を育てて過ごしていた。そこへ彼の曾孫にあたる“魔女”を名乗る女に吹き込まれて、疫病の流行る島を船で脱出した20人を殺し、最愛の妹を連れて逃れて来た少女・リージャがやってくる。彼女は“魔女”から、妹の命を繋ぎたかったら、毎日、新しい心臓から血を絞って妹に掛けてやれば、妹の命脈を保つことができると吹き込まれ、多くの人を殺めてきたのだった。然し“魔女”の真の狙いは、魔法使いの能力と不死を自分のものとすることだった。魔法使いや兄妹たちは、妹が既に死亡していること、魔法は、死んだ日の夜にしか効果を持たないことなどを説明して一旦は、彼女も説得に応じるのだが、多くの人を殺したと思う彼女の気持ちは最早後戻りすることを許さない。而も“魔女”が、魔法使いの能力を自らに移そうと直接この島に上陸してきた。リージャの一旦は取り戻されたかに見えた理性も揺らぎを見せている。人々の悲しみや思いをよそに転変してゆく無情の世界だが、常ならぬ憂き世の流れは、果たしてどのような結末を用意しているのか。観てのお楽しみ!
満足度★★★★
中盤からぐっと
アルマは“大人の隠れ家”(劇中台詞より引用)である。(追記後送)
ネタバレBOX
このBarのマスターには20歳になる娘があるが、現在は病院に勤めながら帰宅後は店に出て、お客たちの面倒を見る、優しく誰にも警戒心を持たせない天使のような娘で、マスターの子とは思えない。謂わばアヒルが白鳥を産んだような感覚でなじみ客たちはマスターをからかうのだが、無論、それは、マスターの温かな人柄を認めた上での“遊び”である。(だってマスターの体は♂でも心は♀という特殊事情もあるのだし)にゃんちって、ぺたん!
満足度★★★★
花四つ星
シナリオのセレクトが素晴らしい。
ネタバレBOX
二人芝居という上演形式にもピタリだし、才能を持つ者同士の鬩ぎ合いが、各々の心理の動きと共に実にリアルに人の心の琴線に触れるようなタッチで描かれて居て、亡くなった自分の友人とのことを頭に描きながら拝見していた。無論、その友人は才能があった。彼女を天才と言う者は多かったし自分も彼女の高い才能を認めていた友人の一人である。
ルースとリサ二人の才女を登場させた今作の中で、リサを評してルースが、「あなたは、話すより書く方がいい云々」と指摘するシーンがあるのだが、実際、言葉によって表現する才能あるもののうち、文章によってしか、上手く表現できない人が存在する。このようなタイプの表現者には、真の才能を持った者が多いのも事実だと考える。日本の小説家でいえば、亡くなった小説家・劇作家・シナリオライターであった井上 ひさしさん、小説家ではないが、漫画家の赤塚不二夫さん、そして恐らくは開高 健さんもそのようなタイプだったのではないか。自分はそんな風に想像している。何れも、日本で最も優れた表現者たちであった。
ルースとリサの若干ぎくしゃくした出会いから、リサの受賞を通しての同格化、新たな才能に対するルースの嫉妬や懸念、そして高い才能同士の共感・交感、フェアを理想とした反目等々を通して描かれる赤裸々な魂のぶつかり合い。これらが、見事な科白に結実している。舞台装置は最低限に抑え、観客のイマジネーションを最大に引き出す演技とシナリオの質の高さを良く知る演出も心地よい。ラストをどうとるか余韻を残す形にしてあるが、悲劇でも構うまい。心に残る良い作品である。惜しむらくは、噛むシーンがちょっとあった点である。
満足度★★
演技をもう少し考えるべし
タイトルに惹かれて観る気になったのだが、リーフレットに書かれた主催者の挨拶を見てのけぞってしまった。
ネタバレBOX
何と、6年ほど前、タイトルに使った単語を読めなかったそうである。この程度の漢字の読みは少なくとも中学生になれば読めて当たり前。読めないのは、単に読書が足りないだけである。まあ、観劇中、自分も笑ったが、自分と同様に他の観客も笑っていたシーンは半分くらい。まあ、反応が鈍いのは、今作に限ったことではないから、深くは問わないが。但し、笑いは総て表層である。真の笑いには程遠い。
本当に人の心に残る作品を作りたいなら、常識と戦い、常識の中で生きている人々のメンタリティーと戦い、自らの固定観念を疑った上で(以上挙げた3つの要素は最低この程度というレベルである)自らに重くのしかかるものの正体を見据えようと格闘することから始めなければならない。こんなことは表現する人間として最も初歩的なことであり、この程度のことは遅くとも二十歳くらいで分かっていなければならない。私的なことを申し上げて恐縮だが、自分は大学で文学を専攻していた。何故、潰しの効かない文学をそれでも選んだのかは明白であった。その程度の目論見、計画性、自負なしにこんなジャンルを選んだとすれば、それは殆どの場合、後悔しか齎すまい。先ずは己を深く掘って欲しい!
満足度★★★★
含羞
年を取り過ぎた
そう感じる内容であった。若い人の作品だけに、問題を示唆しているだけで、その内容の具体性やドロドロは一切タッチしていないのだ。無論、その原因は含羞にある。LGBTのねじれた形を表現した作品。(追記2016.4..24)
ネタバレBOX
楓と愛実の病が何なのかはよく分からなかったが、愛実の淋しさとお(・)ねえ(・・)としてのカレンの寂しさは理解でき、二人を結びつけたものがこの寂しさの齎すものであることも良く理解できるのだが、含羞を濾過機として用いられると、その上澄みばかりが綺麗に表現されてしまって、自分には距離のある世界になってしまった。年を取り過ぎたようである。
満足度★★★★
中島みゆき 花四つ星
太宰の言葉を現代の女性の言葉に直したら、中島 みゆきの歌詞に近いかも知れない。言葉が痛いのだ。いい大人になっても、痛い言葉を発することができる。二つの才能の共通点は、率直に見る自らを、日本というアリバイ作り社会の常識的な目で批評する複眼的思考を持つことだろう。つらい人生だが、この視点を失うと日本は、最も大切な自己批判の視点を失う。
ネタバレBOX
太宰未完の作“グッド・バイ”を題材に彼の様々な作品から取り出した胸を突き刺すようなフレーズを上手に構成して鏤めた。具体的には若き担当編集者、ヒラハラを太宰の代役として、“グッド・バイ”モチーフに太宰が関係した女性たちと手を切る作戦を実践する様を舞台化したわけだ。太宰役が、かなりよく雰囲気を出していた。ただ、本物は、更にデモーニッシュな道化であっただろう。そこまで出せれば最高だが、役者にも狂う覚悟が必要となろう。
女優陣は、大過ない演技をしていたが、(つまり女が男を愛す時、それは深く狭い)それを超えて個々の特殊な個性的な愛し方を出すまでには至っていない。この劇団に限ったことではないが、役者のレベルは、世界標準に比べて圧倒的に低いのが日本のレベルである。これ以上のレベルを目指せるだけ才能があるとして頑張って頂きたい。これは、出演者総てに対してのお願いである。ある程度、力があると思えばこそのお願いでもある。
満足度★★★
おめろと~~~~
都会では流石に仲人を立てての婚礼は殆ど無くなったものの、まだまだ家と家の結びつく場との認識が強い結婚式。
ネタバレBOX
その式場の話。舞台となるのは新郎・新婦の要望に極力応えようとのコンセプトで経営されているブルースターという名の結婚式場。ここで行われるちょっとマニアックな婚礼とスタンダードな婚礼を、この式場で働くライバルスタッフの確執や、婚礼をプロデュースするスタッフがスタンダード婚を理想とする新婦の元夫というシチュエイションで展開される。バツイチ新郎を不合格とする新婦の母による妨害事件を経て、雨降って地固まる式に再生された新婦の婚礼へ至る有様を、ブライダルフェアからのあれこれで描く、ハートフルなコメディー。
満足度★★★★
唯心論とは何か?
言葉で存在を措定・生み出そうとする試み。
ネタバレBOX
極めて形而上学的・唯心論的言辞によって構築されたシナリオは、論理を追う癖を持たず、訓練していない人間には若干とっつきにくいかも知れないが、論理を追える者にとっては極めて面白く遊べる作品である。
大切なことは、総てを疑った時、疑っている“主体”とされる者は真に疑えない者として存在しているのか? という問いである。即ちCogito ergo sum.は般化できるのか? 間違いはないのか? という問いを内包していると言うことができるのだ。別の言い方をすれば、無限に疑っているのは、存在だと言い切れるのか? ということでもある。それは、単なる構造であって、パラレルワールドに存在する誰か別の人格の思考構造や、ドッペルゲンガー、夢など不確定な何かではないのか? という問いである。
当然のことながら、このような存在の不如意には、我らが何処から来て何処へ行くのか? 我らとは何者か? 通常の論理では答えを出せない普遍的問いが、前提になっている。
従って作中提示される異空間のずれによる接触不可、境界を逸脱すると生じるかも知れない消滅の問題(デュラックの海などの過渡的解釈で生じる見解の一つ)、生と死の属する次元は同一であるか否か等々の問いで遊べるのである。また、今作のラストの部分で、永遠の命を保っているとされる2人として顕現するキャラの相克では、道化役が王に刺されて死に、死体になったハズの道化役が王を刺して死に至らしめようとするのだが、これは成立しないことで幕を閉じるのは当然である。即ち、今作のオーダーは言葉によって存在を生み出すのが基本コンセプトなので、i二乗=-1は成立しないのである。これによって王は死ぬことができないというアイロニーが際立つことになるのだが。
満足度★★★★
花四つ星
観客は、入場券の代わりに4桁の数字が書かれたワッペンを渡される。劇空間に入った段階で囚人という訳である。
ネタバレBOX
絶海の孤島に設けられた死刑囚専用監獄。この房に収容されているのは、3名。元革命運動の女性リーダー、既に初老であるが無論インテリ。優秀な歯科医であったものの患者の歯を全部抜いてしまい、うち3名を出血死させた50代の男、このほかにも監獄で同じようなことをしたとの情報がある。3人目は、この子を産み落とすとこと切れた母の代わりにこの房で育てられた18歳になる少女。単にそれが理由で育てられたというより、生母が悪魔と恐れられた為に引き取り手が無かったとされる。素直で優しく中々頭も良い娘に育っているのだが、外界に出たことは一度もない。
この監獄が置かれている島の自然は乏しく緑も殆どないばかりか、動物を見かけることも稀で、時折カモメの鳴き声がするくらいなのだが、換気口の鉄筋に蛹が見付かった。どうやら蝶の蛹らしい。娘は、飽きずに眺めている。
が看守が、男の囚人番号を呼んだ日、彼が戻ってくることはなかった。而も同じ日、食堂で給仕係りをやっていた囚人が首吊り自殺を遂げる。少女は二人の死を嘆くが、元革命家は冷たくあしらおうとする。それは本心からというより、自分が刑死した後も少女に生きていて欲しいと願うからである。だがこの行き違いは、実の母と娘のぶつかり合いのように激しい葛藤を生む。革命家持っている優しさと若い感性がその感受性を素直に開花させて持つ優しさがキチンとぶつかり合う様が描けている点が良い。革命家を演じた役者、少女を演じた役者、どちらも上手い。歯医者を演じた役者も上手いのだが、若干声が高いのが、気になった。まあ、これは致し方のない所だが、役としては、声の凄味があった方が、自分のイメージに近いというだけのことなのだし。
蛹が羽化しようとする朝、革命家が呼ばれた。蛹はアサギマダラになって海の彼方へ向かった。革命家が少女に声を掛ける。蝶のように海を越えて行け、と。
不毛の空間に蛹が齎した淡い夢を、監獄に閉じ込めた美しい作品だが、革命家が少女に掛けた言葉の意味するものによって、今作は、観客への呼びかけにもなっていよう。
立ち上がれ虐げられた総ての者よ!
満足度★★★★
変われない植民地、日本及び奴隷としての日本人
自己主張することが殆ど狂気にしか見えぬような日本社会の鵺的特徴を25歳の別役 実は適確に見切り、極めて鋭く告発している。初演は1962年。つまり60年安保の翌々年である。アメリカ大統領はJFK、日本の首相は池田隼人であった。(追記2016.4.18)
ネタバレBOX
ところで、この日本という「国」の体たらくはどうだ。半世紀以上も前と少しも変わらないどころか却って劣化しているのではないか? 実際、世の中は、ほぼ世襲の富める者と殆ど世襲の貧しく惨めな者とに分けられ、而も貧しい者達は革命権すら忘れてしまったらしい。
実際他の国々に文化を発信してきた様々な国々にも、政治的・時代状況や、監視社会で暮らす民衆相互の利害関係の中で、人々の軋みはあろう。だが、真に優れた文化を世界に発信してきた国々は、必ずこのような人間関係の軋みを越えようとするような発想(例を挙げれば、キリスト教の隣人愛や儒教の礼・知・真、老荘思想やユマニスムなどが併存している為、被支配層に於いてもその人々の精神が為政者のイデオロギーに盲従することはない。無論、為政者は権力・軍事力・政治力・経済力を持ち、監視システムを持つのが常であるから、面従腹背という芸は用いるだろう。然し自ら好き好んで奴隷と化すような下司ばかりが横行することはない筈である。ところがこの植民地では、面従腹背という最低限の芸すら持たず、唯々諾々と、下司に連なる下司が社会を埋め尽くしているのである。そしてその姿は半世紀以上前よりも寧ろ酷くなっていると断ぜざるを得ない。
オジサンと呼ばれる被爆者の、背中一面のケロイドはオジサンよりも世界に対しては効果的な印・表徴である。グロテスクであることによってそうであらざるを得ないようにされた理不尽自体が、本当は問われているのであり、だからこそ、人々は、彼・彼ら、総ての被爆者を敬して遠ざけ、無視するに至った訳だろう。甥の見解はその意味では、戦わざる者の言い訳でもあり得る。だが、問題は、オジサンの立場にしても甥のそれにしても鵺社会での立ち位置が無いことにこそある。その意味を、底なし沼に嵌り込んでゆく覚悟で探索せねばならぬ所迄示して見せた点にこのシナリオの凄さがある。演技は医師の突き放した感覚とオジサンの半ば狂気に至り着いたような側面を出し、終に症状の現れた甥の遣る瀬無く寂しい、侘びを出して中々見応えのあるものであった。
満足度★★★★
昭和の飲み屋が持っていた優しさ
人情と仁義には篤いがちょっとノータリンな服部、
ネタバレBOX
人生を知り過ぎた“かえで”ら古株に対し、募集要項の条件はとてつもなく良いものの、実態はブラックな競合店Kingから移って来た若手ホステス、“まい”と“ゆき”、料理上手なタスク、一番の古株でありながらマネージメント能力の乏しい服部に代わって経営サイドの仕事全般をこなす峯、そして競合店Kingのみならず近々駅前再開発に絡んで出店を予定している大手の攻勢に対する為に送り込まれたアドバイザー、さやか。七人の侍でもなければ黄金の七人にもならぬ七人衆。往時、人気ホステス出勤時、店の前の通りは客が列をなしたものだったキャバレー華蝶WHO月もお茶を引く寸前。やってきたさやかの素人っぽいが新鮮なアイデアに、新旧のホステス同士の客の取り合いやセールスポイントの相違、見解の相違から口論は絶えないのだが、最も古株の服部が、締められないものだからどこか和やかで優しい昭和の飲み屋風景やショーパブ、ショー主体のキャバレーの雰囲気が立ち上がる。レビューのカットや観客を巻き込んだ演出技法など楽しめる。
満足度★★★
シェイクスピアを演じるには若い
今公演、趣向がちょっと変わっている。演じられるのは、標記のシェイクスピア作品なのだが、Aキャストは全員男性。Bキャストは全員女性が演じるのだ。自分はBキャストの公演を拝見した。
ネタバレBOX
全員女性が演じるからかも知れないが、しょっぱな、オフェーリア役のソロダンスから全員のダンスに広がる形で幕開き。話の本筋とは必然的関係がなくオフェーリアのソロには自らの不幸を示唆するような振付っも見られるが、弱い。他のダンスに至っては主張が見えてこない。これでは、しょっぱなから観客を白けさせる効果しかないように思うのだが、演出は何をめざし狙っているのだろうか? 今作に限らず、最近若手の演ずる舞台ではこのように感じる作品が多いので苦言を呈しておく。また、科白を噛む役者が結構いたのは残念だ。オープニングでは特に科白が聞き取りにくい役者も多かった。もっと滑舌を良くし、基本的身体訓練をしっかりやって溜めが作れるような体を作って欲しい。役者は精神と肉体どちらも鍛えねば勤まらない仕事である。
舞台進行に応じて緊迫感が増しシェイクスピアの名台詞が、縦横に舞うようになってからは、作品に入り込み楽しむことができた。流石にシェイクスピア作品ということだろう。但し、現段階では役者の技量に不足があることは否めない。シェイクスピアの科白に込められたものの意味する所を十全に表現し切れているとは言えないからである。今後もたゆまぬ修練を積みよい役者を目指して欲しい。
満足度★★
表層なのにヒリヒリ感なし
一応、オムニバス形式の公演になっている。
ネタバレBOX
フライヤーの絵が偉くインパクトのあるものだったので観に行ったのだが、イメージとは異なった。タイトルも意味深だったし、期待したのだったが、我らの世代が若い頃のように、事象の表層的意味ではなく意味する所を追及しようという姿勢は見られない。各スケッチのタイトルは以下の通り。①大きな根②根も葉もない食堂③球根の求婚④Let’s根クササイズ⑤いい根⑥根見⑦抜いてくれ
こんな時代に喜劇的なものを演るのであれば、もっと突っ込んだ作品にして欲しい。根というタイトルから、矢張り掘り下げた深いもの・ことを期待したのだが、本当は何を言いたいのかが分かっていないので、それを根拠づけたいと考えて書かれた作品のような気がする。それにしても表層的でその表層であることに痛覚のような鋭さも感じられなかったことが残念だ。⑥根見をもう少し捻ればかなりの意味を持つとは思うが。
満足度★★★
神は細部に宿る
どうも詰めが甘い。シナリオも、悪くないが自分には若干くどく感じられた。
ネタバレBOX
気になったのは演出である。舞台下手に畳敷きの部屋が設えられているのだが、ここから煎餅屋の土間に降りる時に履物も履かなかったり、裏の出捌け口から出てきた人間や表から帰宅した人間が履物を履かずに来て畳敷きの部屋に上がったりするシーンがオープニング直後に出てきたり、おまけに店の人間は同じシーンの土間で履物を履いているのだ。
今更言うまでもないことだが、神は細部に宿る。本公演の楽日である。もう少しキチンと作っては如何か? 終盤では、泣かせるシーン・科白も入り大団円へ向かってゆくのだから、前半部のこのような手抜かりがなければずっといい作品になろう。
満足度★★★★
都市伝説とフリーメイソン
コンセプトはコント演劇ということらしい。(追記2016.4.19)
ネタバレBOX
今回は2回目の公演であるがテーマは都市伝説。一応、嵐をパロッたアイドルグループが結成され、このアイドルたちは秘密結社の中で最も人口に膾炙しているフリーメイソンの広告塔にもなって欲しいと注文を受ける。その後、フリーメイソンメンバーの拘る数字だとかイニシアルなどにかこつけて、実は嵐もフリーメイソンの息が掛かったアイドルグループであったということを状況証拠と共に提出するなど、都市伝説と陰謀論を組み合わせ、フリーメイソンについて述べられていることをイルミナティーと絡めながら面白く再構成したり、創作をして都市伝説っぽい陰謀論を展開してゆく。ものの本によればこれらの秘密結社は実はルシフェリアンの隠れ蓑に過ぎず、本当はアンチクリストが実像だという。
かてて加えてロスチャイルドを絡ませることによって、現在の地球上で最も力を持つ者の秘密結社への絡み方が示唆される。言うまでもないが、ロスチャイルド家がこれほどの位置を世界に占めるきっかけとなったのは、ネイサン・ロスチャイルドがワーテルローの戦いでナポレオン敗北に賭け、ロンドン市場で大儲けをしたことがきっかけである。彼をはじめロスチャイルド家はハプスブルグ家から、ユダヤ人として初めて爵位を賜っている。男爵である。ネイサンを含めマイヤーの5人の息子たちはマイヤーの本居フランクフルトを始めとする大都市、ロンドン、パリ、ナポリ、ウィーンに拠点を設け、各々独立採算で事業を展開した。偶々流行った疫病によって幾人かを失ったが残った者たちは、ヨーロッパの王族・大貴族間の郵便連絡網を牛耳っていたタクシス家を傘下に、最も信頼できる情報網を整備し、銀行システムを整備して世界標準とし第一次大戦時には国家・王を動かすのはロスチャイルドだと言われる迄になる。
無論、アメリカが世界史に踊り出しイギリスを出し抜いて以降は、アメリカロスチャイルド家を創設。軍産複合体とも結託して更に巨大な財を築いてきた。因みに世界のウラン三大鉱山を握っているのは、ロスチャイルド家である。カナダ、南アフリカ、オーストラリアにそれらのウラン鉱山がある。
ロスチャイルドではないが、フリーメイスンの大物でK.K.K.(クー・クラックス・クラン)主任制裁人の肩書を持ったアルバート・パイクは、南部出身者でK.K.K.でも大きな力を発揮していたが、首都ワシントンに大きな銅像が建っているのは、ちょっと詳しい人なら誰でも知る事実だ。而も彼はイルミナティーの最高位に位置して多くの者を惨殺している。
まあ、ざっと以上のようなことも絡めて考えることができるという点で面白く拝見した。
満足度★★★★★
オタクが世界を変える!?
今作は、破格の時給に応じてきたアルバイト募集の応募者1万人の最終選考に残った3人を面接する話として物語が展開してゆく訳だが、以下のような問題提起も為されており、眼科画廊のがらんどう空間を上手に処理し、シナリオ、演出、演技もハイレベルである。実に刺激的で面白い作品だ。(追記後送)
ネタバレBOX
Geekとは、やな奴とかうるさい奴、ばかを表す俗語だ。登場する主要キャラが、一風変わったオタクたちだし、日本ではオタクと言うと根暗だの変人だのと否定的に見られがちだから、このようなタイトルにしたのだろう。だが、世の中で平均的な生き方を選ぶことが、否そのように見られることを至上価値とする者の多い監視社会・日本では、価値を貶められていても、常に彼ら・彼女らは変革の糸口を持っているのも事実だ。平均的な人間などを装っているうち、大抵その仮面が本人になりすましてしまい、他の顔を乗っ取ってしまうものだから、凡庸そのものになってしまうのがオチである。気付いた時には、交換可能な歯車の一つとなって人生に意味を発見できず空しさだけを抱えて世を終えるのだ。
満足度★★★★
花四つ星
舞台は桜中町商店街が立ち上げた、地方のミニFM放送局という設定である。
ネタバレBOX
この町で試験的にミニFM放送局を立ち上げた訳だ。今日はその試験放送最終日。パーソナリティーも、ゲストも総て町の住人、アシスタントも無論のことである。パーソナリティーをはじめ、ゲストらも中々の芸達者が揃い、垢抜けないものの人情の機微を弁えた面白い進行である。この垢抜けない風情を演じる役者たち、中々力があるとみた。実際、明らかに声楽やダンス、バレエなどをやってきたと分かる役者もいて、身体や芸表現の高さでも楽しませてくれた。演出については受け取り側の好みもあるのだが、自分にとっては前半のテンポが、ちょっとのろく、くどく感じられた点があった。SZさんからメールが入る辺りから終盤の展開は見事。日常を生きる普通の人々の小さな生活の中での喜怒哀楽、孤独、思うようにはならない恋など、日常の忙しさにかまけていつとは知れず紛れてしまいがちなものを大切に丁寧に暖かい眼差しで描いているのが良い。
満足度★★★★
夢の技法
謎として捉えると、結構、迷うかも知れない
ネタバレBOX
が、謎解きが簡単にできちゃう人には、ストーリーが余りに単純なのが不満として付きまとう。ハッキリ言ってストーリーは最初の数分で90%程度見切れる。後は、検証するだけでよいのだ。流石に最後のオチだけは読み切れなかったが。頭の回転が速いか否か、自分で判断しかねている向きには、判断の為に用いるツールとして優れていると言えるかも知れない。演劇というよりは身体パフォーマンスとして評価したい作品である。というのも、男女共に演者たちは、かなり体の鍛錬をしていることが明白だからである。この点に関しては高い得点を差し上げたい。更に上を目指して欲しい。上海特技団や京劇の俳優など中国の身体表現のレベル迄持っていければ、無論、世界のトップクラスである。
満足度★★★★★
痛快!!
①「皿屋敷」②「お湯かけ女房」③「桃太郎」④「掛取り」⑤「長屋の花見」の5本を①、②を演じて10分③、④後に10分の休憩を挟んでの上演。飲食OKと江戸歌舞伎の風情。演目の上演順序にも気配りが見られ、ホントに楽しめる。
ネタバレBOX
”プロット”は和物を演じるのに不思議とぴったりくると感じさせるのは、この座組みの力の証明かも知れぬ。皿屋敷は無論“番町皿屋敷”で有名なお菊の悲劇をベースにした作品で、お菊の無念を十全に活かしながら、笑いの種を随所に仕込んだ楽しい作品。座布団からも推測できる通り、ノリとしては落語のノリであるから、下げもつく。「お湯かけ女房」はこのノリの作品であるが、いたく昭和の懐かしさとおかしみ、ペーソスを秘めた而もシュールな作品である。実際にどんな話かは、観劇して確かめて下され! 「桃太郎」は黍団子のあの話であるが、これも昔話の深層を解明する形になっていて、随所に笑いの種が仕込んである。「掛取り」は、これも落語の題材で大晦日の貧乏長屋、借金の催促を如何にして逃れるか。あの手この手、こんなのありか!? まで飛び出して抱腹絶倒。ラストの「長屋の花見」は、安倍政権になって増々顕著な収入格差に対し、やんわり毒を仕込んで洒脱。安倍のように、頗るアホなだけではなく、やはり頗るつきで姑息なパシリ野郎の流す毒には“毒を以て制する”の発想がよろしい。