満足度★★★
かなりアイロニカルなブラックコメディー
表向きは友好関係而してその実態は、利害と打算、政治と私有化。
ネタバレBOX
姉妹都市提携を巡り、貧しい側は一種の人質として豊かな側に娘を差し出す。後年、両姉妹都市の貧富は逆転。だが、貧しかった町が新たに富を蓄えることになった野菜には、中毒症状があり、その故に金と同じほど高価であるにも関わらず売れたのである。同時にこのことを告発すべく動く人間は、当然のことながら故なき罪に陥れられ、殺害、収監などの目に合う。
同時に異国の地で暮らさざるを得なくなった者たちの孤独と孤立無援による心的危機は、行った先の国に馴染むことによって克服されると同時に生来のものではない他者性を自らのうちに孕む者としては、他者性としての異国と生来の故郷を継ぐ者として我が子のみを同類とすることで狂わずに日常を送ることができる。
様々な政治的手管や、弾圧を含めた権力サイドの横暴に対し、親子の情や、異世界を内包するが故に架け橋となることのできる可能性を積極的に背負ってゆこうとする若者の姿を描いて、中々読み込めるのだが、惜しむらくは、各パートの連携がイマイチ。必然性が弱いのである。ブラックコメディーという形で描かれる今作、しょっぱなの下らないギャグは不必要だろう。それよりもっとスパイスを効かして辛辣であってよい。また尺は15分くらい縮め2時間ほどでよかろう。
満足度★★★★★
不実の杏 今後も期待している
正しいこと、というのが単純ではない、ということをJFK暗殺以降のアメリカ変容へ向けての胎動期として捉えようとする優れた作家の意識が表出された良いシナリオだ。この作品に目を付け上演した、不実の杏という劇団、旗揚げ公演であったが、今後も期待したい。
舞台空間の作りは合理的だし、演出、演技も中々しっかりした基礎が見える。シェイクスピアプロジェクトメンバーを中心に結成されたとか。
ネタバレBOX
ジョン・パトリック・シャンリィ作の本作。1963年11月22日JFK暗殺の頃のNYのカソリック学校が舞台の話である。この学校のフリン神父が実は、ホモセクシュアルで子供を相手に悪戯をしているのではないか、との疑惑がシスターで校長のアロイシスに持たれたことが、今作の中心的な設定だ。ただ、彼女は何ら証拠を持っておらず、単なる思い込みと取ることもできそうである。一方、当時のアメリカでは、ホモセクシュアルをはじめ同性愛は宗教的タブーでもあった。而も同じキリスト教でもマジョリティーはプロテスタントであり、カソリックはマイノリティーである。こんな事情もあって、劇中、この決定的言葉が直接述べられることはない。但し、執拗にこの「こと」について言及される。このような書き方がされることによって社会の階層性が観客にも明らかになる。作家はこのような書き方をしているのである。
因みに宗教界とは権威のヒエラルキーであるから、今作の設定では、シスターの上には司祭がおり司祭の上には司教がおり…と頂点迄その権威づけが存在し、双方向の序列の上下関係は厳格に守られていることが前提である。
さて、ここで校長のキャラクターにも触れておいた方が良かろう。かなり厳格なタイプで、而も自信家。世の中の裏迄知り抜いているとうぬぼれているのは、結婚していたことがあり、夫は第二次大戦中、独軍と戦って戦死した。常に正義は自分達の側にあるとの認識が金科玉条である。そこからしか発想しない為生徒からは懼れられ敬遠されているが、それ故にこそ、自分の教育方針は正しい、と只管信じている。
一方、司祭のホモセクシュアルの対象と目されたこの学校初の12歳の黒人生徒を受け持つシスタージェームスは歴史好きで素直な、教えることが楽しくてしようがない隔ての無い性格なので生徒から慕われている。校長は彼女に対し、神父の様子に気をつけ報告するよう申し付ける。即ちスパイである。彼女は気が進まないが上司の命令であるから仕方なくその作業をこなすが、証拠も無いのに疑う校長の姿勢に疑問を持ち、司祭とも直接話をして、司祭を信じることにした。
一方、校長は追及を止めない。黒人少年の父母を学校に呼びつけて、この「件」に関して見解を押し付けようとする。然し、母親は反駁する。仮にホモセクシュアルの相手であっても、受け入れるべきは受け入れ、その上で自分の将来にとってプラスになる道を選択してゆくことが、差別され、いつも踏みつけにされる自分達が自分達の力で這い上がってゆく唯一の方法であり、仮に証拠があってそのようなことを校長が言うにした所で、以上のようであり、まして証拠もなく事実であるか否かも分からないのに、放っておくのが良い判断だ。決めつけて自分達の可能性を潰そうとすることに対しては承服しかねる、と言うのである。流石の校長もこの黒人の母の凄まじい苦労を重ねた知恵の前にはひかざるを得なかった。
だが、彼女は諦めない。神父を呼び出し、鎌をかける。神父の前の職場に連絡をした、と言ったのである。彼女は、司祭にではなく、シスターに電話して確かめた、と嘘を吐くが、司祭は動揺し、自ら司教に連絡を取り、この学校は辞めた。その後、他の教区で司教となった。との後日譚が、校長とジェームスの間に交わされる。栄転と、校長は嫌味っぽく言うが。では、ホントに証拠があったのかを尋ねたジェームスに電話はかけていません。自分は嘘をついた、と校長は告白。その罪は償わねばならない、と。
因みに1965.2.21にはマルコムXが、1968.4.4には、キング牧師が暗殺されている。
満足度★★★★★
初日を観劇。
舞台美術は中々凝ったものである。如何にも豊かな旧家のそれも洋式の館。これが、蚊賊と蔑まれてきた一族に残された唯一の財産。(追記後送)
ネタバレBOX
そもそも、蚊賊が日本に渡って来たのは飛鳥時代、シルクロードを経て渡来したとされるが、ブラム・ストーカーの描いたドラキュラとは異なり、霧となって隙間から忍び込むことも、怪力を持つことも、また蝙蝠となって宙空を舞うこともできない。人血を啜らなければ命に係わるという特殊体質を持つだけで一般人と能力は変わらない。日本で最も蚊賊が増えたのは江戸時代と言われるが、島原の乱で叛旗を翻したのは実は隠れキリシタンではなく、蚊賊だったという。(初日ということもあり、序盤ややかたかったもののおいおいよくなろう)
満足度★★★★★
シナリオが素晴らしい
表現する者としての秘密の一つがここにある。(追記2016.5.15)
ネタバレBOX
大学時代映研に所属、監督と主演女優の関係にあった剛とやよいは、近く結婚することになっているが、ある日、やよいは親しい人が偽物と確信するカプグラ症候群に罹患してしまう。剛は心療内科医になっている友人にサポートを依頼。やよいは自らの病についての説明を受けて頭では納得するものの、病状の改善は見られない。一方、剛を目標にしていた映研の後輩はプロの新進映画監督として名を馳せるようになった。彼は、剛の未完成作品のコンセプトを譲って欲しいと頼みに来るが、この未完成作品には重大な意味があった。然し、自らの才能に見切りをつけていた剛は現在サラリーマンである。それには無論、理由があった。剛はその時点で分かっていなかったのである。何が? 本当の自分など何処をどう探しても存在してなどいないという残酷な事実が。後輩には「好きにしろ」とコンセプトを譲った。
ところで、学生時代彼ら映研メンバーには、拘りがあった。その拘りとは演ずることではなく、本当の表情や身振りが撮りたいということであった。だが、それは可能なことだろうか? 人間とは演ずる動物なのではなかったか? 残酷な事実とは、本当の自分など存在せず、我らは唯関係を映す鏡であり、それを感じる己があって而もそれらを対象化すると同時に統一して認識する他に方法がない、という薄ら笑いを浮かべた事実そのものをそのものとして認識すること。大人になるということは、幼稚なメンタリティーを脇に置き、厳然たる事実としての関係を計る覚悟と共に自らを関係の最中に投げ込み同時に総てを認識していること。更にそれが単に鏡に過ぎないほど自分などというものが関わり得る位置は小さいことをも認識することなのであった。このことが分からなかったが故にありもしない本物の姿を映そうとしたのである。彼を信頼し愛しても居たやよいが、彼を崇拝する余り主演女優として自らに本物を突き付け続けて来た結果がカプグラ症候群だったと言い得るのである。だから、自らの発見したことを彼女に告げる。曰く自分など存在しない、と。そして何故彼女がずっと目の前にいる自分を撮影し続けていたのかを理解する。彼女は、本物と思えなくなってしまった最愛の彼をファインダーを通して探し続けていたのである。剛は、改めてやよいにプロポーズする。彼が謎を解き、改めて二人の関係を何ら確かな物など存在しないという状況を認識し合った上で、築いてゆこう、というのを、彼女は「はい」と受け入れる。
シナリオが抜群である。若い役者達の演技も良い。ヒロイン役の女優のキャスティングもグー。主役の剛役、脇を固める後輩や心療内科医師、後輩の映画に出演する役回りの女優もそれらしい。無駄を省き主軸に焦点を当てた演出も気に入った。
満足度★★★★
コラボでシュールに解釈
“あたま山”は無論落語の有名な作品であり、アニメになって国際的な賞も取っているのでご存じの方も多かろう。
ネタバレBOX
一応、高座を設けて、こちらは落語として役者が演じるが、噛むシーンが多く、当然滑舌が悪くなるので、間だの一人で様々なキャラクターを演じ分ける時の雰囲気の出し方だの迄のフォローは出来ていない。
“ひたすら一本の恋”は、主人公の母性に対する甘えが主軸を為すので男女間の恋というより甘えがテーマである。その甘えが風俗嬢、さくらとのお母さんプレイから、淡い憧憬のようなものへの広がりはみせるもののそこで展開されるのは人間の身勝手の犠牲になるペットたちへの共感と、その共感を通しての身勝手さへの抗議や抵抗としての野良猫たちへの餌やりである。“あたま山”とのゆるやかな連携を射程に入れるなら、さくらと主人公が映画館で出会い、お茶してから、さくらが店を辞めて行方が分からなくなったとき、主人公が餌をやっていた野良猫のナツが戻ってきたことを、さくらが元の姿に戻って帰って来た、と解釈しても良いかも知れない。これは“あたま山”のシュールな点と照応させたと取ることが可能だからである。
満足度★★★★
男を見るためには?
「男を読む」を拝見。
ネタバレBOX
内容は、桐野 夏生「井戸川さんについて」、いしいしんじ「天使はジェット気流に乗って」朱川 湊人「昨日公園」に桑原 裕子のオリジナルストーリー「男を読む」が板上の各作品の繋ぎ(・・)となって展開する。オリジナルストーリーと各作品の噛み合わせが見所の一つであることは言うまでもないが、独立した各作品自体の面白さ、朗読の上手さを特に自分は評価したいと思う。
満足度★★★★
捜査資料と解答用紙
は、チケットを受け取るときに手渡される。封がしてあって、合図があるまでは開けないお約束。
ネタバレBOX
吹雪の山荘にレトロゲーム同好の士が集まって催しが開催された。集まったのは7人。然し強い吹雪に山奥の山荘へのアクセスは遮断され、携帯も基地局の不全の為か通じない。頼みの綱の固定電話は、電話線が何者かに切られ矢張り通じない。このような状況下、6人が次々と惨殺され、1人は行方不明。因みに行方不明になったアキバが外へ出たとみられる窓ガラスからは、彼のDNAと一致する血痕が見つかっている。
登場人物の幾人かのキャラクターに仕掛けを施してある。例えば、物を盗んで証拠が挙がる迄はしらばっくれているシリウス。世間では危ないと看做されている精神障害を抱えているみちる、頗る反社会的・敵対的態度を普段からとっていたりするアキバなどである。而も、アキバは事件時山荘の外へ出て行方が分からない。
上演形式は、その前半に物語の大筋が劇形式で上演され、次に事件のあらましやデータを書き込んだ用紙と回答用紙開封の合図が為される。観客は30分以内に犯人の名を挙げ、而も犯人とした論拠を挙げねばならない。観客の回答が総て集められた後、解決篇が上演される。
面白い企画である。ガチで創作サイドと観客の頭脳プレイが展開されるという、観客をホントの意味で巻き込んだ作品作りだと言うことができるからである。
満足度★★★★
本人不在殺人事件を拝見
害者が幽霊だからホントはこの文章はみえにゃい!
ネタバレBOX
被害者が、自分の存在していた価値を確認する為、その意義づけの為にこそ、捜査も総ての実証努力、警察の権力行動も総動員されるというお話。その意味で、発想は別役 実の犯罪者対捜査する側との関係に似ている。
雨の降る中、30歳ほどの男が背中を刺されて失血死した。殺人事件ということで捜査本部が設置される。害者は幽霊となって登場し、自分の事件が、日常的な余りにも当たり前な事件としての対応しかされていないことに不満を募らせてゆく。雨が降って居た為犯行現場には、指紋・足跡などの証拠は残っておらず、駅の監視カメラで害者が傘を持っていたシーンがあるものの、発見時、傘は無かったという事実はハッキリしているのと鑑識で死亡推定時刻と死亡原因は客観的データとして揃っていたが、聞き込みなどでは有力な情報を得られず捜査は進展が見られなかった。幽霊は一人やきもきしている。そうこうするうち、犯人が自首して来た。結果、殺人事件は傘を取り戻す為に起こった、という内容空疎なことが明らかになる。事件前、犯人は母親と喧嘩をしてむしゃくしゃしていた。警察官として頗る真面目な主任はこの原因の空疎に耐えられず、最近、近辺で頻出していた連続強盗事件との関連、犯人の父親が海外出張しているのだが、出張先で麻薬関係組織との接触があるか否か、マフィアとの絡みは? 等々から害者が事件に巻き込まれる必然的な経緯を割り出そうと部下たち発破をかける。
満足度★★★★
花四つ星 そろそろヒトも自然に帰らにゃ
内地からも、強国からも朝貢を迫られ、重税に苦しむ小さな王国。
ネタバレBOX
拉致され奴隷として売られた島人を助ける為に、龍王と契約を交わし、己の心臓を形(カタ)に永遠の命を得、海賊となって多くの仲間を助けた島娘・潮(源氏の血を引く)の父の意思を継ぎ、その能力も龍王との契約も受け継いだ平子 教知(平家の血を引く)。二人は偕老同穴の契りを結ぶが、偶々彼が壇ノ浦で深い海の藻屑と消えた平氏一門の末裔であったが為に、夫婦となることに反対する霊媒・胡蝶は、一族の怨念を蝶の姿に変えて、教知の心臓のあった場所に送り込み責め苛む。然し、彼も剛の者、その苦しみに耐え、為すべきことを為すべく奮闘するが。
四方を海に囲まれた島国に竜王ということもあり、龍王の娘に乙姫、乙姫繋がりでは東南アジアから大和迄広く分布する浦島伝説や昔話を織り込んだ上に、源平合戦の恨みつらみ等の影響する現在や歴史的事実を観客が想起し得るように配しながら、現在も明らかに苦難の道を歩む沖縄の誇りと人の心・思いを心臓という臓器・血潮で象徴してみせ、その魂を賭けた誓いの義侠と、龍王の象徴する手つかずの自然、蒼い海・潮流とが一体となって生じニライカナイになってゆく篤くロマンティックな物語。
この物語に描かれたような、そしてこの島人達が望んだような世界に生きることを理想とし、それが実現できたなら、少なくとも我らの身体が自然の掣肘を受け続ける限り平和で安定した世界を築くことができよう。だが、その為には、ヒトと自然が調和して生きられるようでなければならない。プラスチック塵が、海に住む言葉無き魚の内臓から発見されたり、竜宮の使いである亀の内臓から一見海月に見間違えるビニールが発見されたり、鯨が大量に陸や浅瀬に上がって自重で圧死したり(潜水艦のソナーなども疑ってみる必要があろう)、大型の鮫の内臓から、人工物(自動車の部品など)がたくさん発見されたり、放射性核種の為に魚体が高いセシウム濃度(ほかの放射性核種もあるハズだが、一般的な計測器ではセシウムのみ検出している)を示したりhttp://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-1325.html、彼らの住む海や河川、湖沼の水自体が多くの放射性核種で汚染されていてもいけない。挙げた例は僅かであるが、今、我らが生きる地球環境は凄まじい迄の汚染に晒されている。そして、その総ての責任は我らヒトにあり、解決が如何に困難であっても解決の可能性を持つのも我らヒトだけなのである。そのことが意味する所を深く理解し実践せねばならない。現在、沖縄ではジュゴンの居た辺野古が米軍基地になろうとしている。更に高江も危機的状況にある。ヤマトンチューは、このことにも応えねばなるまい。それが、将来、我らのみならず、生命全体を救う道でもあるのだから。
満足度★★★★
華が欲しい
大学を卒業後、商社に就職が決まった息子。
ネタバレBOX
父は著名作家・里見 潤一で居間には原稿を受け取りに来る編集者が、締切だ・原稿依頼だ・相談だと言っては押しかける。未だに手書き原稿スタイルで押し通すだけの力のある私小説作家で、無論、いくつか大きな賞も取っている。妻・順子は若く美しい。私小説作家であるから、無論、創作部分があるにせよ、夫婦の関係も基本的には事実であると読者には思われている。
出入りしている編集者たちの中に大学時代にはステディーであり、かつ、同人誌編集長と副編集長だった男女があった。男が編集長、成績も男の方が良かった。にも拘わらず就職先の出版社は規模の違い、売れ行きの違いから女の給料は男の倍。おまけに担当作家が同じという皮肉な状態にあった。この関係が面白くない男は、作家の息子に私小説を書かせ、父母の真実を世間に知らせようと図る。息子の母は、謂わば娼婦。呼び出されれば従いて行って男と寝る。父母初めての出会いは、当にそのような関係であり、潤一はステディーが居たのに、この女と何度も寝るうち、妊娠させていた。順子は結婚を迫り、男は愛しても居ない女と結婚して生涯を過ごすこととなったのだが、この秘密を息子は暴いたのだった。然し、原稿は本になる直前父に見つかり、作家は編集者に圧力を掛けて出版はされないこととなった。
真実が明かされて、空虚そのものを抱えて生きることの空しさがひしひしと伝わる。
シナリオ、舞台美術、演技もしっかりしているし演出も良いのであるが惜しむらくは華がない。
満足度★★★★
純
近未来、心を持つ人間として再生されたイブは悪夢に魘されて目覚める。
ネタバレBOX
とそこは、エデンと呼ばれる集落。住民はアンドロイドであった。というのも、イブが再生される以前、心を持ち人間と同じように思考し判断すると信じたアンドロイド達が、人間に使役され続けることに疑問を持った為に氾濫が起こり、終には人間対アンドロイドの戦争に発展した。部品さえ調達でき、工場があればいくらでも作れるアンドロイドは、戦闘能力を有するまでに十年以上の歳月を必要とする人間に負けるハズもなく、8年後、人間は滅んだ。
元々、人間の生存していた時代に、初期型オリジナルの単体として製造されたイブは、初期型としての記憶も埋め込まれていた。それは、自分達を創造したのが人間だという記憶である。
一方恐らく人類滅亡時、損傷した部位をサイボーグと化し、脳以外は殆ど機械の体を持つ天才科学者が、人間が死に絶えた後、人間の再生を願って作り上げたのが現在のイブである。(その記憶には初期型オリジナルアンドロイドとしてのイブの記憶も転写された模様)
ところで人間を滅ぼした後暫くはアンドロイドも平和を保っていたが、やがて格差を作り差別を作り、収奪する者とされる者に分かれて争い合うようになった。その姿は恰も人間そのもののようであった。基本的にプログラム通りに行動するアンドロイドには、バグ以外に行動を変える要素は無い。自分達に心があると信じ、自分達の心を守る為に戦ってきたハズが、人間が滅んでみると錯覚であったことが分かった。だが既に遅かった。戦闘用にプログラムされたアンドロイドを支配するイデオロギーは“力こそ正義”である。そのイデオロギーに合致しない者は総て敵、自動的に戦闘が際限も無く繰り返されることとなった。
エデンはこんな状況にあって比較的大きく平和が保たれているコミュニティーである。従って時々、外敵に襲撃されることもあった。ある日、そんな外敵が陽動作戦を使って襲ってきた。戦闘要員たちは、罠に嵌る。安全だと考えられていたエリアに残っていた非戦闘員のイブは、潜入してきた戦闘アンドロイドに銃を向けられるが彼を折伏してしまう。だが、丁度そこへ戻って来た仲間の戦闘アンドロイドは、銃を床に置いていた敵を後ろから撃ち殺してしまった。自分の説得に応じ、平和を願って銃を下ろした敵が殺されてしまったことにいたく傷つくイブであったが、仲間の必死の謝罪と自分のできる範囲で自分の守れる者を自分のやり方で守るというスタンスに同意。仲間と共に戦場に赴き、傷ついた者らを確保しケアすることなどを通してコミューンに貢献していたが、コミューンが大きくなるにつれ、非戦闘員の比率が高くなり過ぎ、最早現在の戦闘員だけでは皆を守り切ることが出来なくなった時、戦闘リーダーは、イブが共同体から出ていくように説得する。互いにコミューンを愛し、それぞれの方法で守り拡大してきたのだが、その限界が露呈したということでもあった。折しも、最強のコマンドがエデンを狙って襲撃してきた。その名をカイン。オリジナルの単体で自分達が心を守る為に戦い始めたのに、人間を殺し尽くした果てにアンドロイドは本当は心を持っていなかったことに気付き、それらの記憶がバグを起こす原因となる為、記憶を封印して下意識に追いやり、ずっと抑圧して表向きは忘れ去っていた。だがこの事実をイブに指摘されて思いだし、錯乱に追い込まれてしまう。カインの弱点は。恐らくこの点のみ。彼は戦闘から脱落の憂き目にあう。
イブ、そしてエデンの戦士たちは、この後、平和で友好的な世界を築くことができるのか?
重大な箇所で、心の無い筈の増産型戦闘アンドロイドが、イブの安全保障論に心を動かされてしまうことが、大きな瑕疵ではある。然し、現在、アーミテージレポートの要求通りに日本を改悪してゆく安倍政権と労組を含む経済右翼、為政者に対して若者が必死に純粋に平和とそれに伴う多くの無くしてはならないものを守ろうと立ちあがる姿勢に、心を撃たれる。若者のひたむきな姿勢が、実に良い。
満足度★★★★
しっかりした作り
舞台美術もいいし、シナリオ、演出、演技ともにしっかり作られた作品。(追記後送)
満足度★★★★
花四つ星 お見事
今まで17・8団体の演じた今作を拝見してきたが、銀メダル。因みに金のかけ方が違うので一概に言えないが、自分評価の金メダルはチョコレートケーキの日澤氏演出の今作。
ネタバレBOX
期間限定ユニットということだが、どの役者も上手い。前説段階で無論役者の力量の高さはビンビン伝わってきた。大阪の役者さんたちなのだが、居るだけでおもろいのである。存在が、というより何ぞ仕掛けてくるんちゃうか? とか、外してくるんちゃうか? というような能動的静止状態から間を脱臼させたり、余りにも当たり前過ぎることを論じ(・・)て見せたりと突っ立っていてもちっとも観客の好奇心をじっとさせておいてくれないのである。
この大阪の擽りが本編でも遺憾なく発揮される。自分の好みでは、中盤主演女優が生命の無くなった地球を月だけが照らしている場面を演じる場面だけは茶化し以外の形を採って欲しいとは思ったが、関西文化圏で普段演じると矢張りここは茶化しなのかも知れないとは想像する。舞台美術は、各団体共通部分もあれば、そうでない部分もあるようである。本日1本目と共通していたのは、舞台奥の壁全面が歪んだ鏡になっていたこと。本番舞台に飛び出す前に身なりや化粧をチェエックする鏡は何れも枠が嵌っていた。1本目では、その鏡の前に半畳の畳が敷いてあったが、2本目では畳がなく、プロンプターの据わる位置なども違っていた。道頓堀セレブの出演女優は何れも良い役者揃い。主役の役をやった女優さんには華があり、切られをやる役者さんは、どこか男に通じる雰囲気が出せる役者さんだし、新訳でマクベス夫人をやる役者さんは、乳を胆汁に変えなければならない女っぽさを演じた。また病み上がりのプロンプ少女役は、その身体の弱さを化粧でよく表し、狂をその演技の過剰と科白の混乱を上手に話すことで演じていた。更に、役者達が公演を終えて去った後、3人になったプロンプター達の寂謬を見事に描いた後、ラストシーンの演出が秀逸である。
満足度★★
芝居に対する覚悟は?
燐光群ゆかりの梅ヶ丘BOXで4月27日から5月10日まで18団体によって演じられるのは、日本で書かれたシナリオの上演回数トップではないか、と思われる清水邦夫の「楽屋」だ。これだけ纏まった形で上演されるのは珍しいが、楽しみにしていた公演である。無論、大好な脚本だからということがある。演出家、役者の地力勝負で作品がまるで変ってしまう、という演劇の醍醐味そのものを楽しめる作品だから、ということもある。今回、2本を拝見する予定だが、無論、演じる団体は異なる。この回は初見の団体で名を「ピクニックの恋人」と言う。
ネタバレBOX
主役女優役は男優が演じた。無論、アリだが、噛み過ぎ! 外連味を出すのであれば、上手い役者でなければ。演技に丁寧な感じが無い所も気に掛かった。ベテランプロンプ2人も、若干くすんだ感じは出していたものの、演技がやや単調に流れているように感じた。ニーナのプロンプ役の少女の天然ボケのような感じが、最もしっくりはきたが、もっと病み上がりという化粧にしてよかろう。噛まずに演じたのはこの役者だけだったのではないか。もうちょっと真剣に取り組んでもらいたい。この作品を演じる団体は実に多い。実際、自分がこの4年ほどの間に観ただけで15・6団体が演じた今作を拝見している作品なのだ。当然、他の団体の舞台と比較する。噛んでちゃダメっしょ!
満足度★★
物語とは何か? をしっかり考えた方が良い
埼玉県内の某所、幼稚園の園長が進歩派だったかシュタイナー教育の影響を受けた為か、県下で初めて園児たちに音楽や絵の指導を本格的に導入した。
ネタバレBOX
結果、園長の孫と彼の仲良し2人が、絵に興味を持ち将来は絵描きになろうと誓った。だが、うち1人は小学校から高校中退迄、それなりの評価は得たものの家庭の問題(母は、その優しさを家族の前で演じ続けていた。然しWeb上での彼女は、家族一人一人の悪口雑言を書き込み、それで精神の平衡を保っていた)。この事実を知った息子は高校も止め家を飛び出して行方を晦ましていたのだが。一方、園長の孫は、美術的才能には恵まれなかったようで鳴かず飛ばすである。3人のうち唯一の女子は、受けた美大総てに落ち、短大に進学しその後は幼稚園の先生になっていた。勤める園は卒園した幼稚園であった。而も現在彼女は園に勤める男性と付き合っているのだが、そこへ発表会の演目指導にお願いしていたメンバーが到着。その中に彼女の元カノが居た。元カレはよりを戻そうと誘いを掛けてくる。こんないざこざの中、園児時代以来の仲良しが、園長も入院していた廃病院に紛れ込んだ。住居不法侵入として警察に捕まり、地方欄に掲載されてしまったのだが、彼は高校を中退した仲間を見掛たように思い、廃病院に入っていったのだ。
一方、元カレだけは、美術界で頭角を現し、賞をとり、賞金など入手していたのだが、元カレの才能と権威を巡って後輩・元カノが媚びる姿などが、恰も体験談であるかのように構成されている。
然しながら、演劇の極めて重要な要素である歌舞く発想や、本質・普遍性を鷲掴みにして取り出し、提示するような自己分析、対象化は感じられない。
満足度★★★★★
渇きと乾き
独特の乾いた感覚処理が良い。
ネタバレBOX
また、ここで描かれている登場人物たちの背景に広がる世界が、実にグロテスクなものであるらしいことを感じさせる点も良い。実際、我らの生きている状況はグロテスクそのものである。文部科学大臣が大学の自治を否定したりhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016031502000125.html、環境省が、核の塵を一般塵として処理する法律を作ったりhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201604/CK2016042802000267.html、自由を否定し、民衆の為の報道を力でねじ伏せるべく総務相がメディアを恫喝しまくる。http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201602/CK2016021002000126.html。要は、地球上の総ての生命に対する冒涜である行為、即ち放射性核種をばらまく愚か極まる下司が支配者であるという現実。これがグロテスク以外の何だと言うのだ!! 社畜と言われてへらへらし、血税を宗主国であるアメリカに収奪されながら、喜んで尻尾を振る奴隷根性の塊、それが日本人(・・・)だろう。
とはいえ、今作で以上のことが直接描かれている訳ではない。ただ、歪んだ人間関係の発露が、極めて効果的に描かれているだけである。登場人物は2人。タイトルの“わかば”は登場しない。実際にわかばが(居る・居た)のかどうかさえ定かでないように組み立てられた作品だ。自分は、既に彼女は死んでいると解釈した。というのも、登場する人物の1人である男は、わかばの主人、そしてもう1人はわかばの妹と名乗る女であり、彼女は戻らない(・・・・)姉の代わりに、姉との約束(・・)を守り続ける義兄と、終には子作りの行為をし妊娠するのだが、男は生まれるのは娘だと言い張り、その名を“わかば”と命名する。
先代わかばは、子作り行為の前にDVを揮われることを要求し、その後行為に及んでいたのだが、恐らくはその暴力が、先代わかばを死に追いやったのである。無論、殺意があった訳ではなく、過失致死だろう。だが、殺してしまったからこそ、代理である妹(・)の妊娠した胎児に姉と同じ名を付けることによって再生を図った訳だ。一方、先代わかばにも奇妙な傾向があった。夫が外出して仕事をすることを禁じ、上半身をぐるぐる巻きに縛って食事の時さえ腕の自由を奪うと共に、真っ赤なハイヒールを寝る時さえ履かせて、2人で始めていた社交ダンスの練習を強制したりもしていた。夫は、部屋に居ても受注できる仕事しかさせて貰えず、1日中、閉じ込められている訳である。だから、真っ赤なハイヒールを履いた状態で足を使ってパソコンを操作している。で、子作り行為の前には必ず、暴力を揮うよう強制されていたのである。このような歪の生まれる背景として自分が想像したのが、上に書いた事柄と言う訳だ。観客の想像力を信じた、面白い作りである。そして恐らくこの作品の成功は、この登場人物たちが抱えている心の・魂の叫びとしての渇きの切実な苦悩すらも、作家によって砂漠の砂のように太陽に灼かれる物として描かれている点にある。その視座の適確、乾きの距離とでも言うべき隔たりによって、対象化されている痛さこそが挙げられよう。
満足度★★★★
人間が存在することに意味はあるか?
今回ベケットの“芝居”という作品を東京、名古屋、台湾から集まった8団体が、それぞれの手法で演出、上演するという趣向だ。自分は、台湾のTAL(Theater Actor’s Labo.)と名古屋の双身機関の上演を拝見した。作品の内容は、1人の男と2人の女の間で交わされる痴話喧嘩である。但し、今作は、原作の指定では登場人物3人が大きな壺の中に入っていて、首から上だけが、壺の外に出ていて、スポットが当たるとその人物が科白を喋る、という作りになっていて、各人は対話をするというより勝手に自分の主張を言い張る。従って痴話喧嘩というコンセプトが真に成立するのかどうかも疑わしい。無論、それもベケットの狙いである。彼は後期になると人間がそもそも、真の意味で対話することが可能であるか否かについて相当否定的だったのではないか? 自分などはそう感じてもいるのだ。何れにせよ、双身機関は、壺を西アフリカで使われる蚊帳のような布を用いて表現し、下の方をレースにして足が透けて見えるようにしている。無論、足を演じる役者は足だけを演じている。(これは原作にはない表現である)。
一方TALは、壺その物を使っていない。代わりに各々が、スーツケースを持って登場し、開けると何も中に入っていないので、自らの着ている物を脱いでスーツケースに収め、次いで役者の身体・動作で壺を拵える所から始まる。その後は、各々が定点に立ち止まるのだが、片足立ちをずっと続けるのだ。長時間に及ぶので流石に偶に浮かしていた足が床に着くことはあるが、基本的には、片足を浮かすことで壺からの脱出を夢見ているという心象風景を表している。
2劇団共に、難度の高い作品に果敢に挑戦して人間存在に意味があるか無いか? という問題に取り組んでいるように思えた。
満足度★★★★
ソロ、デュオ、トリオまでは花五つ星
これだけまとまった形でタップダンスを観たのは生まれて初めてである。
ネタバレBOX
無論、かつては映画にアメリカのタップダンサーたちの踊っているシーンが入っていたりして短いものは何度も観たことがあるが、あくまでそれは映画のワンシーンとしてである。つまり初心者と言って良い訳であるが拝見していて矢張り何が大切な要素であり、男女のダンサーでどんな違いがあるのか、何かが弱い側は、どのように弱点を補えば良いのか? その時、効果や演出は何をどのように処理するのかを考えながら拝見した。その結果見えて来たのは以下のようなことである。
先ず、男女のダンサーに関して:男性ダンサーはタッピングの力が強く、戻しが早いので強く速く軽めの表現が可能だが、女性はリズム感が仮に良くても体の動きがそれについて行っておらず、モタモタ感とくすみが出てしまう。無論、タッピングの力も相対的に弱く、リアクションの戻しも遅い為歯切れが悪い。
リズム感が足のつま先までキチンと反応できるほどに身体機能が高くないと、音楽とのコラボレーションに齟齬が生じるがソロ、デュオ、トリオ辺りを演じられるレベルのダンサーのみが、満足にこれをこなせる。また、このレベル迄の実力が伴わないと個性的な演技など到底できるものではない。Artという言葉の持つ2つの大きな意味、技術と芸術の関係は一目瞭然である。
タップしながら、手を打ち合わせる動作や、足以外の身体各部とのコラボレーション、ひらりと体を躱す動作も、その流麗や軽みを出すということになると男性にしかできないようである。女性は重力に縛られているような重さを感じさせてしまうのだ。
一姫、二トラ、三ダンプではないが、反射神経の鈍さが女性ダンサーには決定的である。では、女性ダンサーは何処に焦点を当てて厳しい芸の世界で生きてゆくのか? という点であるが、一つにはグループで一糸乱れぬ演技ができれば、これは高評価に結びつくだろうし、衣装や女性的魅力をアピールしたり、男性ソロができるダンサーとのコラボレーションで、一瞬遅くても構わぬ演出をつけ、音響・照明もそれに合わせるなどの作業が必要(今回このコンセプトで作ったとみられる作品も上演された)なように思われる。音響や照明、舞台美術も効果的であった。
満足度★★★★
蓼食う虫も
ガイラスは或る州の山間の山小屋に住む連続殺人犯。
ネタバレBOX
後2人殺せばこの州の歴史始まって以来、最も凶悪な殺人犯となる。だが、この小屋に住んでいるのは、ガイラスだけではなかった。殺された6人に憑かれていたのである。彼には霊たち全員が見えるし、話もできる。奇妙なことに霊たちも尋常ではない。飲み食いもするのである。ガイラス以外の人には見えないものの、霊らしい点はこの一点のみ。まあ、既に死んでいるので二度死ぬことは無論ないのであるが。更に面白い仕掛けが、保安官であるレディーが実はガイラスに惚れていて、後2人を殺させて新記録樹立のダーティーヒーローに仕立てようと躍起なのである。4本のうち唯一の喜劇なので。これらの仕掛けは当然と言えば当然なのだが、2月に98作目を上演し100作上演間近というのを記念して4本即ち、99作目、100作目、101作目、102作目を一挙公演という荒業をこなそうとするエネルギーとそれを実行する力、而も、どの作品も各作品の独自性を持っている点で、メガバックスコレクションの底力を見るように思う。
満足度★★★★★
ODAの裏側
誘拐事件が起こる。舞台は誘拐犯と拉致された3人の人物、誘拐犯は男1、女1の計2人だが、どうやら単なる実行犯でボスは裏に居るらしい。(追記後送)
ネタバレBOX
誘拐された3人は、アメリカの大企業CEOとその直属の部下、副社長クラスの2人だ。3人は、僅かな実行犯の受け答えから、的確な犯人像を割り出し、銃を持った犯人相手に対話に持ち込むことに成功する。そして、リーダーを呼び出すことにも成功したが、リーダーは何とCEOの実の娘であった。而も、娘は、この企業が、途上国を援助する為に幹線道路を作るという名目の下、実は膨大なレアメタルが眠るとされる開発地域の利権を一手に握ることを画策していることを見抜き、これに叛旗を翻していたのである。