満足度★★★★★
「男たちの戦い(編)」
二作品を上演。何れも極めて興味深い作品である。
ネタバレBOX
サイイド・クトゥブは、様々な宗教の特徴のうち一神教の中でも欧米の中心的宗教であるキリスト教と自らの奉ずるイスラム教を比較し、宗教的にはイスラムこそが生活全般(生活形(様)式、シャリーア、統治システムから経済まで)を律する具体的倫理を具えた完全なシステムと捉えた。
というのも元々教育省の官僚兼作家でもあった彼は渡米した経験を持っていた。最初に訪れたNYでは、拝金主義で物質主義的で極めて豊かだが空疎なアメリカ人を見た。その後、コロラド州立大学に留学したのだが、この大学キャンパスが位置する町、グリーリーの表と裏をつぶさに観た結果、人種差別や歓楽と禁欲の使い分けの欺瞞に反吐をもよおす。
ところで彼の渡米の原因は、エジプト王ファルークが彼を逮捕する書状にサインしたからである。イギリスの傀儡に過ぎなかったファルークは性とギャンブルに溺れ、政治は腐敗の極みにあった。それに異を唱えた敬虔なムスリムの一人であったのが、ヴィクトル・ユゴーを愛し、バイロン、シェリー、ダーウィン、アインシュタインを繙き、クラシックを好む男としての彼であった。
帰国後、彼はムスリム同胞団に属し、初期イスラームの姿を求めた。ナセルが、クーデタを起こしてファルークを倒したが、ナセルの目指す社会は、クトゥブの目指すものとは異なり、ナセルの軍を用いた力による政治とモスクを中心に広がったイスラム教徒との対立が深まった。ムスリム同胞団による暗殺未遂事件に動じず演説を貫徹したナセルの人気は一挙に高まり、同胞団に対する弾圧を遠慮する理由の無くなったナセルは、実行犯の即刻処刑と同胞団幹部の一斉検挙に踏み切る。クトゥブも収監され、拷問で体を壊して以降は獄中の病院で過ごすことになったが“みちしるべ”というタイトルの本を著すこととなった。この本こそ、ジハードをイスラム教徒が実行すべき最優先課題としてクローズアップした、手紙形式による書物であった。
然し、彼がジハードを最優先課題とすべきだという結論に達した時、彼の存在は、孤立していた点に注目すべきであろう。通常、ジハードを行うべきか否かに関しては、イスラムの権威や高位聖職者の間で徹底的な討論が行われる。その際、シャリーアによって禁じられている行為は禁止事項として尊重されるのは無論のことなので、よほどのことが無い限り、これが実行されることはない。だが、キリスト教による迫害やキリスト教徒による植民地支配、差別、イスラムフォビア等々の条件が重なった結果、自らのアイデンティティーと誇りを守る為ラディアカルな思想が芽生えるのは必然と言わねばなるまい。
世界が不公平で不公正である場合、生存の平等を求める声が上がることは当然のことだからである。問題は、告発された側が態度を改めなかったからという側面が強い。一部、ラディカルな思想に傾倒する者があっても、それに呼応する多くの人々が存在しなければ、思想が、時代、地域を超えて生き残ることはないからだ。現にパレスチナ問題を始め、イラク、シリア、アフガニスタン、パキスタン等々の問題を惹起したのは当にキリスト教国なのである。直近ではキリスト教原理主義者が人口の4割を占めるとも言われるアメリカである。イスラム教原理主義云々を言う前に、この事実を先ずは重く受け止めるべきであろう。
「ウサマ・ビンラディン・フットボールクラブ」
ビンラディンは、サッカーチームを所有していた。サッカーファンには常識だが、サッカーは、極めて知的なスポーツである。瞬時の鋭敏で適確な判断力がなければ優れたプレーヤーになることはできない。また、戦略・戦術を練ることができなければ、試合を優位に組み立てることができない。更に効果的フォーメイションを組む為には、彼我の特徴と差異を冷静に見つめる目を持ち、情報を集めて分析し、効果的に再統合できる知恵と決断力を持たねばならない。当然のことながら、以上のこと総てを自分の頭で考え、決断し実行できなければならない。
これら、総てのことが、リーダーになる為の資質と重なる。ビンラディンが、サッカーに目をつけたのは、彼自身サッカーが好きだったことと、サッカーという競技が持つこれらの特性にあるように思われる。今作では選手11人のうち、4名のみが描かれるが、この4名こそ、9.11実行部隊の各リーダーであることが示唆されている。
一方、ビンラディンのここに至る過程とムジャヒディンとして彼自身がアフガニスタンで戦った結果、何も変わらなかったという深い絶望が彼をより過激な方へ誘ったことも示唆されていて興味深い。無論、各リーダーたちが、迷いながらもファナティックになってゆく痛さも描かれている点がグー。
満足度★★★★★
花五つ星 「6月26日」
戦乱にその人生を攪乱された2人の若者の運命を活写した傑作。
ネタバレBOX
ハングルで上演されるが、字幕が非常に見易く、役者の演技を十全に楽しみながら、字幕を読むことができた。舞台美術のすっきりしていて、役者の力量で良い芝居を見せてくれる。
1938年江原道通川出身のソンニョン及び春川出身のヨンチョンは日本軍に徴用され、満州、ノモンハン戦に参戦。ソ連軍の捕虜となってから徴用された。モスクワ戦でドイツ軍に捕まって収容所でのひもじさ、寒さに耐えて生き残った。だが、またも徴用されノルマンディー戦へ。何とか生き残った後、連合軍の捕虜となり別れ別れになったが。
1950年6月25日午前4時に38度線を越えた北朝鮮軍は10万、朝鮮戦争勃発である。翌26日、数々の戦、捕虜、脱走経験などを共にし、義兄弟となっていたソンニョン、ヨンチョンは再会する。然し、敵としてである。
数々の戦を共にし、漸く生きて帰ってこれた慶びもつかの間、分断されたそれぞれの地域で、同胞が敵味方となった直後、義兄弟を殺してしまった苦しみ・悲しみが、6月26日のタイトルに結実して無駄が無い。義兄弟を殺す際、顔もろくに見ずに殺してしまう訳だが、これが戦争というものなのだろう。この理不尽にリアリティーを感じる。
満足度★★★★★
花5つ星 タイゼツべし見る
驚かされるのは圧倒的な情報量である。
ネタバレBOX
燐光群は今まで沖縄本島に関する作品はあったが、石垣、宮古、与那国などについての作品は無かったのだが、今作は島の名は変えてあるものの、最近1年余りの間にこれらの島々で繰り広げられてきた現地取材を通して書かれており、ほぼ、取材した通りの内容である。沖縄タイムス、琉球新報の二紙に対する誹謗中傷がネット上では見掛られるが、この二紙の報道の真実味を演劇の側から検証して見せた作品と言っても過言ではない。坂手氏のこの取材力と今まで日本の問題にキチンと向き合って来た姿勢が、証言者からこれだけ多くのもの・ことを引き出し得たということであろうし、被取材者たちの戦いのありようと真摯な姿が、この作品の内容の堅牢性を導き出していると言えよう。
それに引き替え、防衛省や自衛隊上層部の在り方はどうだ!? 嘘と詭弁と力とプロパガンダで人間のみならず総ての生命の生存権を脅かす。而もその姿勢を恬として恥じることがない。当に下司!!
東シナ海問題は、田中角栄と周恩来の間で、この問題は様々な要素を抱えているので棚上げしよう、という政治的知恵によって長い間問題にならなかった。そこへ問題を起こしたのは、石原が始めた尖閣購入計画からである。その後、日本は国家として魚釣島、北小島、南小島を買い取った。中国にしてみれば、棚上げにしていたハズの尖閣諸島を含む東シナ海の問題を最初に破ったのは日本である、と看做すことは当然であろう。まして、与那国、石垣、宮古などへのレーダー建設等が着々と進められて、軍事基地化されている。国際法上、軍事施設の無い場所を攻撃することは犯罪である。然し、いざ戦争が始まったら、敵の目であるレーダーを最初に破壊することは、戦略・戦術上最も効果的であることは、戦争の常識だ。その最も最初に狙われるレーダー基地などの最新設備をこれらの島々に置くことによって、唯でさえ軍事施設の集中する沖縄に更なる負担を強いるとは何事か! 自衛隊が、こちらに目を向けたのは、米ソの冷戦が終結し、自衛隊の存続が危うくなった為ではないか? との説があるが、どうやらこの説が正鵠を射ているかも知れない。かつて警察がオウム真理教事件を利用して延命を図ったように。
さて、こういう様々な動きから、見えてくるもの・こととは何か? 日米地位協定の内容からみれば、日本全土の沖縄化ではないのか? 最高の安全保障が、他国と仲良くすることにあるとすれば、軍備を増強することは、その真逆にあると言わねばなるまい。まして、国土の狭い我が「国」が世界一の強国になるなどあり得ない。現在世界最強を誇る米国でさえ、9.11で大きな被害を出した。力によっては何も解決しないと知るべきである。核戦略体制が、地球生命を人質にした戦略であることの意味する所をも当然意識的に見るべきであろう。
満足度★★★★★
花五つ星
何と美しく悲痛な!(追記2016.11.25)
ネタバレBOX
青鞜に集まった女性たち、平塚 らいてう、伊藤 野枝ら主幹となった女性をはじめ、野枝の夫となった大杉 栄、らいてうのツバメのオクムラ ヒロシ、女流作家の千代子、跳ねっ返りのコウキチ、天才博徒の彦六、らいてうを支えるトミエ、皆から先生と呼ばれる理解者でもある支援者、イクタ チョウコウらの群像劇。Baudelaireの詩ではないが、人々から石を投げつけられ、唾を吐きかけられてもおかしくない程、時代のそして意識のレベルを遥かに超えていたアナーキーで真摯な姿が伝わってくる秀作。
青鞜は、100年以上前の1911年9月から1916年2月迄発行された雑誌だが、この雑誌の作・編集部が今作の舞台である。発行しては、発禁を食らい、部数を伸ばすことは愚か、講演を打つことも会場を貸さないという形で禁じられ、剰え為政者のプロパガンダに載せられた民衆から石礫を投げつけられながら、女性、弱者の解放の為に戦った人たちの姿を描いた群像劇である。
無論、登場する個々人のうち社会的弱者に関しては、より深く描かれている。村外れに住んで居た彦六の父は、中々やり手であった。結果、村の中心部に住む人々よりいい家を建てた。ある日、村の中心部の人間よりいい家を建てたのは生意気だとして、実家を燃やされ、家族を奪われた。因みに村の境界領域に住んだのは被差別部落民であり、これは差別の具体的で的確なイメージであろう。野枝が、この話を聞いて激高し、彦六の家族に仇為したる連中の家々を打ちつけて出られないようにし、油を撒いて火をつけてやれ、と叫ぶように言うシーンなど、その優しさ故の共感と真摯な怒りを突き付けてくる。
更に、増々右傾化する世の中で、それでも諦めず粘り強くしたたかに生き、己の精神を荒野にせぬよう努める姿勢も良い。
芝居を観なれている観客にとっては、演出の見事さも、見所である。ファーストシーンなどは、一挙に作品に引き込まれるだけの演出センスを見せてくれるし、シナリオの質も高く、役者陣の演技レベルも高いことは言うまでもない。舞台下手に植物の影がずっと映っているのも、非常に好印象である。弱者の声のように決して強くはないが、普遍的な生命の在り様を示しているようにも感じられるからだ。照明、音響の使い方も上手い。
満足度★★★★
すっきりする
自分の友人は、小保方さんのことを庇っていたな。
ネタバレBOX
権威のある研究所所長が自分より才能のある研究者を抱えた結果、嫉妬や嫉みから天才達の論文が著名論壇で発表される際に細工を施す。天才達の使っている自分の研究所の機器に不具合等があっても、知らんぷりをし、剰えオリジナル論文に在ったデータを盗んだうえで消去し、更に論文の肝要な指摘を盗んで後これも消去、結論につじつま合わせをするに都合の良データに差し替えた上で著名論壇に送稿して失脚させ、天才の本来の業績をパクって、ほとぼりのさめた頃、自らの論文として発表。データを盗んだり改竄したりという作業は、「著名な」自分の研究所に残りたい一流半か二流の研究者に請け負わせて自分自身は決して、直接汚れ仕事をしないという汚い手口を使って発表、天才を葬り去ってきた。
こんな下司に恋人を他界に連れ去られた、矢張り天才的な彼女が鉄槌を下す話。
そういえば、自分の学生時代の仲間の殆どが研究者になったのだが、修士、博士課程で自らの論文を指導教授に盗用されることは、自分達の先輩世代では無茶苦茶に多かったそうである。
満足度★★★★
花四つ星 面白い! C「苦悩するベッド」を拝見
ある意味とても贅沢な企画。
ネタバレBOX
というのも、A~C迄各5本の作品をそれぞれのグループ内では一作も同じ作家が書いた作品ではなく、而も少なくともCチームを拝見した限りでは、作品の独立性が際立つと言っていい位テイストが異なる。その上、どの作品もシナリオ自体極めて良質である。更に1000円で観れる公演というのがあって、これは若手公演のX。尺は不明であるが、作品は2つである。因みにCの尺は約2時間(前説では1時間55分)であったが自分は、アンケを書く方を優先してキチンと時間を計った訳ではないので、正確な所は不明、悪しからず。
何れにせよ、先に書いたように、シナリオは何れも高いレベルを堅持しており、演出、演技レベルも高く、ホント楽しい公演であった。噛んだ役者も少なかった。気にならなかったと言えば嘘になるので、他の公演との絡みもあるかも知れないが、付け加える点があるとすれば、舞台美術で今回は使わなかったものが、設置されていた点だ。様々な事情があるのでろうことは推測できるし、Wベッドの足元に置かれた丸テーブルに椅子が一脚しかついていないことは、注目に値する。(この舞台設定で物語が動くからである)
だが、これだけのセンスと、知性及び頭脳を持ちながら、サイドテーブルなどは用いられていなかった気がする。サイドテーブル上に電話が置かれたり、置かれていなかったりの差はあったと思うが。
何れにせよ、極めてレベルは高い。
満足度★★★★
花四つ星
基本的に文系でも分かるように作られているから、心配しないで観劇すると良い。但し、物理学の分かっている人々には、Wミーニングで読めるように作られている。
ネタバレBOX
基本はシュレジンガーの猫にみられるように、存在が確率論的であるということと、量子のゆらぎに関するテーゼだ。量子のふるまいに関して演じるのは、オカルト研究部の面々。様々なグループに平気で出掛ける女の子は、量子のゆらぎを表しているであろうし、彼氏と上手くゆかない彼女らは、存在相互の関連に観察の為のエネルギーが関与すると、その関係が影響を受けてしまう量子というものの余りにも微妙な関係を表していよう。また、当然、この量子が存在する為には、場が必要であるが、それが、舞台ということになろう。
無論、以上は専門でもない自分の私見に過ぎないが、自分にはこのように見えた。このようなことを考えなくてもふんだんなギャグに笑えるし、役者達の演技も理系女子的である。
様々な挿話も上手く絡んで楽しめる。
満足度★★★
更に精進を
第2回公演とあって、未だ演劇の創り方に余り習熟していないという印象を受けた。
ネタバレBOX
真面目そうで、インセンティブもあるので、余り星印を低くは付けないが、これは、これからに期待してのおまけである。
先ずシナリオに関してだが、係長になり立ての33歳の既婚男性が一戸建ての家を購入した。これが発端である。一介のサラリーマンにとって一戸建てを購入するということは、人生最大の大事であろう。だが、下見などを一切行わずに頭金を支払い、ローンを組んだ後で不動産屋を訊ねるが、その不動産屋はもぬけの空。
つまり詐欺にあって、今まで住んで居た社員寮を追い出されるという結果が待っていた。という流れで書かれたのならまだしも。
最終部分を先頭に持ってきて、そうなった経緯を演じるという形なのだ。人生の大事にドジを踏んだエクスキューズを、こんな間抜けがいくら嘆いた所で同情する者などあるまい。この辺り、リアリティーに欠けていることがこのシナリオ最大の欠点だろう。
而も、演出が構成をひっくり返すような効果的な施策を取っていない。この話は順接で持っていった方が、ドラマチックになる。
満足度★★★★
Bチームを拝見 花四つ星
各作品55分。観客の投票で得票数が多い作品を作った側が次のコンペに進めるという企画。
ネタバレBOX
「HAL」は、キューブリックの「2001年宇宙の旅」に登場するメインコンピュータの名であるが、当然のことながら、今作もAIの発達する近未来を念頭に作られている。世の中には、我々の住み、暮らす世の中が、高度な知的生物によって創られたのみならず、彼らによって改変されたり、管理・観察されているという説があって、今作はそういう前提に立って、もし自分自身がそのような立場に立ったなら? を描くことで命の意味する所をSF的に描いている。このような高次の生き物が、一種の実験を行っているという説がどのようにして生まれたのか? についての知見は様々なレベルで回答があるであろうが、面白いのは、銀河系の構造と我らの脳内のdendro‐dendritic synapseの構造が良く似ているということにある、ということだ。まあ、こういった仮説に立っての物語の展開である。
シナリオの理論構築面、すっきりしたセンスについては、こちらに軍配を上げたい所だが、そんなに演劇は単純ではない。即ち人間存在の深みを表すには、更に工夫が必要という側面があるからである。
自分の評価では、もう1本の「ららら」が人間性の深みを描いた点では、こちらに分がある。総合で互角。甲乙つけがたかった。どうしても、というのであれば自分の好みでつけるしかない厳しい選択であった。
因みに「ららら」の概要は、旧華族の独り息子に嫁いだ庶民の娘は、プライドの高い義母からは、恰も奴隷のように扱われているが、夫は幼児、何かというと蔵に閉じ込められた経験がトラウマとなっていて母の言いつけに背くことができず、結果妊娠9か月になる妻を庇うことすらできない。ところでこの親子3人が旅行をして泊まったホテルで、嵐の夜、妊婦が階段から落ちてお腹の子も本人も命の危機に晒される。現在このホテルの支配人をしている女性は元看護士。近くに医者もおらず、緊急事態の中で彼女が産婆役を務めることになった。(彼女が看護師を止めたのは医療行為を行って免許をはく奪された為だが、やむにやまれぬ状況下でそうしたのであろうことは、作品の中で描かれる彼女のキャラから明白である。)幸い、母子共に助けることができたが、今作にはサブストーリーがある。商事会社でトップの成績を誇るエリート商社マンと旧同僚の女との妊娠騒動である。妊娠6か月で流産の憂き目に追いやられたのみならず、商社を退職させられた女が、その復讐をしようと彼が泊まっているホテルを訊ねて来たのである。当初、自分の責任を認めたがらなかった商社マンが、上記の顛末に接し、自らの罪を認めて、女に心から侘び、彼女の汚名挽回に動こうと決意するまでが描かれる。更に、このホテルで働く者や出入り業者たちの過去を示唆し、支配人が如何なる人物であるかを示唆することで、作品に一本筋を通した。
満足度★★★★
白倉バージョンを拝見
或る家の居間。
ネタバレBOX
下手に入口があり、下手奥正面には二連の棚。棚には様々な飾り物や本が並べられている。その上手、舞台ほぼ中央の奥の壁には幼稚園児か小学生が描いたようなDaddyの絵が1枚掛けられており、その右手は、庭に面した窓。その上手にはスツール型の椅子に載せられた小型のトーテムポールが見える。更に上手壁際にも棚、書籍が並べられている。
オープニング、庭に面した窓が内側から光が溢れるような感触でライトアップされる。同時にDaddyの絵もピンポイントで浮かび上がる。実に情景豊かなオープニングである。
下手入口から、先ず入ってきたのは、喪主。続いて喪服姿の女がマイク片手に歌いながら入ってくる。この辺りから、シュールな雰囲気が漂うが、次々に入ってくる男も女も殆どがどこか怪しい。例えばおれおれ詐欺のような会話をしながら蟹股で入ってきた男。肩で風を切り、何かと言えば突っかかる。チンピラそのものといった感じの男であるが、皆ビビって引いている。他にもギャンギャン騒ぎながら飛び回るジャリ娘。彼女はズカガールだ、とノタマウ。他にも音楽を聴きながら時々ポーズを決め、かたっぱしから女をナンパしようとるる男。唯一、まともに見えるのがちょっと年配の男である。教師をしているという彼は矢張り、落ち着いているように見える。何れにせよ、一癖二癖ある輩ばかりという感じなのだが、かれらは殆どの人物がほぼ初対面であり、何の為にこの場所に今集められているのか見当をつけかねていた。そこで自己紹介しようということになり、互いに自己紹介を始めるが、ここでも一悶着。まるで、でこぼこコンビのスラップスティックという感じである。
アドリブの多い餡子部分がふんだんに演じられるが、では、この会議が収束に向かわないか? というと見事に収束する。而も可也良いオチである。
満足度★★★★
分断から
三部作の最終章ということのようだが、自分は第一部、二部とも拝見していない。無論、それでも独立性は保たれているので、観劇に問題は全然なかった。
ネタバレBOX
舞台は瀬戸内海に浮かぶ小島の物語である。どの地方も過疎化と高齢化に悩み、具体的な成功手法を見出せず、その多くは原発関連の交付金や国からの交付金目当てで、本当に地元に必要なことでなくとも、目先の便利さや豊かさに目を晦まされて真の問題に目を向けようとする力に結集し得ていない。このことが、子供をこれから作り育てて行こうとする世代の、核汚染に纏わる嘘や見識などまるでない政治屋共への不信感を背景に対立を育ててゆく。無論、先行世代の中にも若者と似た危機感を持つ者達が居る。多くの場合、それは自然を深く知っていると同時に世界との関係を知る者達である。そういう民衆の代表に漁師などが位置するであろう。実際、今作でも原発に反対している知恵ある爺さんは、漁師である。漁師は、仮に今は瀬戸内海の漁師であっても、若い頃には鮪漁船に乗ってマーシャル海域で仕事をしていた者も居るであろうし、地球表面積の7割を占める海で生きる以上、外界との接触可能性の中で物を見、考える。ここが、その原住地に縛られる百姓との決定的違いである。どちらが優れているとか居ないとかの話ではなく、職業差は意識的に克服してゆくべきなのである。そのパースペクティブを持てるか持てないかの違いでもある。若者にとって、可能性が大である方が無論選択肢の上位を占める。生きてゆかねばならぬのであるから。自分達の子供を産み・育てることを含めて。今作はこのような対立を主軸としつつも、現実に起こる具体的な事例をつぶさに展開している点で評価できよう。島へ新たに定住したいという希望者獲得の為に非常識にも、対立の一方の旗頭であった人物が死んだ、というデマを流して島を離れた人々の結集を図るなどという悲惨で滑稽な話が具体化している点に過疎の深刻な有様が見て取れる。
面白く感じたのは、舞台奥に描かれた漫画チックでダサイ絵が、終盤いい絵に見えてくる点である。分裂していた島民たちに再び融和とパースペクティブが戻って来た証として、笑顔に溢れたこの絵が未来を指し示すものとして見えてくる。
満足度★★★★
Bチームを拝見
イジリーさん飛ばし過ぎ!
ネタバレBOX
幼馴染の勇次とみゆきは、歌でビッグになることを夢見、東京に出て一旗揚げようと頑張っている。一方入退院を繰り返す体の弱い弟を持つ務は、両親を早く失くしている為、勇次と互いに助け合って仕事を紹介しあったりしていた。ところでこの街が最近活性化したのは、地元の若手政治家が海外から企業を誘致したからであった。だが、彼の秘書は、企業誘致の際、関わり合ってきたチャイニーズマフィアと組み、精巧なブランド品を日本で作らせ、帰りの船には、干し海鼠や干し鮑を積んで巨利を貪っていた。而もこの偽ブランド製造工場では、脛に傷を持つ者を多く雇用し、契約の半分ほどしか給料を支払わぬという搾取を行っていた。この秘密に気付いた勇次と務は、彼らの悪行を暴く為に資料を盗む。然し、これがマフィアにバレ務は事故死に見せかけて消され、勇次は、パクられてしまった。だが、この事実を勇次は証言しなかった。務の弟、学と大切なみゆきを守る為である。唯一人の例外、信頼した刑務官を除いて。
ところで、この街では受刑者が監獄を出たがらないという奇妙な現象が起こっていた。何でも出ると、復讐される恐れがあると刑務所に寧ろ保護機能を認めているのである。この謎に、今回もサスライ7+1が挑む。宿敵ミスターKとは誰か? そして神の仕業と恐れられるものとは? 事件の顛末、相変わらずハイテンションのイジリー氏のアドリブとそのレスポンスは?
更に、通常の処罰では罰しきれない本当の悪(例えば黒幕とか、東電幹部、経産省・文科省官僚、政治屋)を処罰することは悪いことなのか? という本質的な問いかけが含まれていることも重要である。
満足度★★★★
Gohくんの美声
純化が、Annexの追い求めてきた世界ではある。それが一種のクリスタリザシオンというレベルに達したということであろう。
ネタバレBOX
だが、一方で純化だけでは、先細りになってしまう。一旦、結晶化した宝石は、また人々の欲望の泥と渦、運命や宿命との血みどろな闘争へ身を沈めなければならない。
ロチルド婦人とは無論、英語読みすればロスチャイルド夫人である。主人公のIrisは無論虹。Célestinは空だという。そして彼らが邂逅するのは、青空の岸辺を意味する Côte d’Azur 近辺。片やその腫瘍の為、余命僅かな天性の美声Irisと若い頃に殴られた後遺症で失明の危機にある画家Célestin。ロチルド婦人は、かつて画家が唯一愛した彼のミューズ!無論、彼女の方でも生涯ただ一度の本物の恋。二人の天才は、ロチルド婦人の尽力によって一つの体で二人を生きることになる。画家の目を生き延びさせる唯一の道は角膜移植。そしてIrisの死後も彼のDNAを受け継ぐのは、Célestinに移植される彼の角膜という訳である。
物語の本線は以上である。惜しかったのは、主人公を除いて脇や重要な役を演じた役者に噛むシーンが多かったことだ。役者達が若いので、科白は入るハズ。更に修練を積んで欲しい。
満足度★★★★★
シアターX晩秋のカパレット
今回で15回を迎える
ネタバレBOX
シアターX晩秋のカパレットだが、出演者お二人が二人ともベルリン在住である為、年1回ワンステージのみの公演である。今年のテーマは絵師、葛飾 北斎。謂わずと知れた天才浮世絵師であるが、彼の絵や日本の絵師たちの絵が印象派の画家に多大な影響を与えたことは余りにも有名だが、実は同時代に活躍したドビッシーなどにも大きな影響を与えていた。
アーティストは、実に面白い存在である。多和田 葉子さんと高瀬 アキさん二人共に優れた表現者であるが、お二人とも肩肘を張らず、淡々と現実に向き合い乍ら、実は素で勝負しているように感じる。そこが、このお二人の魅力である。お二人の演じている舞台奥には、北斎の作品がプロジェクターで映し出されているという趣向だ。
今回の演目は以下の通り。
1あばん/アヴァン
2傘をさす/雨のブルース
3きつね奇譚/氷青
4登山と下山/うねうね
5カナガワ/無題
6命の根/お栄
7Sakura/(ピアノソロ)
8あばた(朗読)
9桶作り/プレリュード
10春画/R.シューマン
11こだま/煙のたま
12ほかほか北斎/Goldfish
以上の演目終了後、シアターX特有のトークセッションで観客との質疑応答を通して自由闊達な意見交換、質疑応答が行われた。
満足度★★★★
繊細、微妙な作品
開演前、女の子(女優)が紙を折って紙飛行機を作って飛ばした。
ネタバレBOX
この間にテープで前説が流れた。女の子は出来上がった紙飛行機を飛ばす。何でもギネス世界記録を作った折り方だという。女優の不器用云々のエクスキューズは謙遜なのか、それとも折り方が良いのか良く飛ぶ。さて、頃合いになると、紙飛行機を作っていた女優が前説を担当してくれたが、切れ目なしに開演。尺は結構長くて140分。無論、休憩はない。
全編を拝見して、自分はカゲロウを意識した。周知の如くカゲロウは成虫になって息絶える迄僅かの時間しか生きることができない。その透き透った翅と薄黄緑色の体全体が光に透けてしまいそうな儚さを感じさせるが、成虫になる前の姿はアリジゴク。獰猛で禍々しい形態で、成虫とは真逆の印象を受ける。
ところで本作の本質は、DNAの乗り物としての我らの生と解釈した。片や生命現象のプロトタイプとしての産む性、それに関与する性としての♂。これら二様の性の在り様にヴェールを掛けてお洒落に作られた作品と言えよう。
具体的には、♀と♂とのヘテロセクシュアルな関係をベースに、以下説明する如く、冒険する少女を介在させて狂言回しで膨らませると共に、自信喪失女と自立独立系女を対話させることで、自信喪失女の身の上話を何気に語らせ、彼女の成長を極めて自然に漂泊させているなどである。
付き合いの形式としては女店長と年上の男部下、家庭教師だった男と女子高生であった教え子、自信のない女と自首独立系キャリアウーマン、今まで勤めていた会社を辞めてチャレンジする若い女などの挿話が、入れ子構造を為し、通常なら出会わなかったであろう関係を築いてゆく。
無論、♂の♀に対する関係に於いては、生命のプロトタイプである♀がメインで、♂は謂わば鉄砲玉のようなもの。だが、その鉄砲玉の哀しさ、不如意が持つ、生命力そのものに対する懼れ、戦きが恋に失敗した経験を示すことによって重さを増し、その重力から抜けられなくなった結果、♂は優柔不断になり、♀に対するアプローチが増々遠ざかってゆくのみならず、不断に遠のく姿を描いている点で興味深い。同時にこれら♂の弱点を励起し得なかった♀の包容力喪失、自意識ばかりで母性的な物を欠く嘆きをも描いている点で、この作家の喜劇的作品を書く才能の片鱗も見せている。何れにせよ、男女関係の微妙、綾が巧みに織りなされた繊細な作品を頗る静かなタッチで描いていた。
だが偶々、自分の隣に座っていたバカ女が、スマホの電源を落とさずにいるばかりでなく、何度もチラチラ蛍光画面を見る。暗転で店長が長科白を言う間中ぺカぺカ点滅させているので、流石に「電源を切れ」と言ったら、次に出掛ける所があるので途中退場しなければならない、それで電源を切らないと居直っている。初めから分かっていることなら、腕時計をしてくるなり、100円ショップで目覚まし時計の小さいのを買ってくるなり、いくらでも方法はあるハズ。それをしてこなかったのならぺカぺカ点滅している液晶を掌で覆えばいいだけのこと。そんなことすらせずに他の観劇者に迷惑を掛ける権利等ないのである。こんな馬鹿に観劇の資格はない。
満足度★★★★★
初日を観劇、初演とは随分異なる
再演である。
ネタバレBOX
初演時より、音楽的要素が強くなっている分、劇団の経営事情もあるのであろう、中盤まではかなりおちゃらけた展開になっているが、無論、その辺りの事情(即ちポピュラリズムが何処に至りつくか)は演出家も充分分かっていることであるから、2日目以降は改善されてゆくであろう。何れにせよ、終盤の集中は凄い。この辺り、Baudelaireの名言“集中と拡散の中に総てがある”を想起させて興味深い。
物語は31歳で夭折したシューベルトの名曲、「セレナーデ」は如何にして生まれたか? への東京イボンヌの解である。音楽ファンには申し訳ないが、ここでシューベルトについて少しだけ解説! にゃんちって。歌曲の王と称される彼は、その短い生涯の間に歌曲だけで600曲を作曲、そのほか交響曲や「セレナーデ」をはじめとする数々の名曲千曲を残している。その背景にあった渇きが何であったのかはこの演劇を観て想像して貰いたいが、自分には、何度も歌われる「アベマリア」と彼が本当に愛した唯一の女性、クラウディアとの悲恋に其の解があると考える。いずれにせよ、今作のラスト、途中のおちゃらけがチャラになるほど素晴らしい。また、声楽家たちの歌の素晴らしさ、殊に魔王を演じた声楽家の(テノールだろうか)音声には聞き惚れた。キャストについては初演と殆どが異なる。演出も随分と違うので初演を観た方々にも充分楽しめる内容だ。
満足度★★★★
男と女 棲家
金属製パレットを1間半ほどの幅に広げた舞台上には、縦横45㎝高さ60㎝ほどの直方体が一つ置かれているが、これは3本足の椅子という設定だ。
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3本足なのだが、以外に安定性は良い。窓一つない部屋には、ドアが一か所。但し、ドアの外には何もない。虚空に浮かんだようなこの部屋には、若い女と若い男が一人ずつ居り、彼らはここに来た時の記憶を無くしている。然し、不思議なことに、男が寝ている時に夢を見ると、夢に見た林檎の木が一本生えてき、その木には実が一つ実っていた。男は、林檎の木を確たる実体にする為、女のサジェスチョンに従って実を捥ぎ、二人で食べた。そして逃げ出し得る先としての実空間を床下に求めた。そして折角生え、実体化した木を根こそぎ引き抜いてしまう。然し、床下にも何もなかった。結局、抜けでることは不可能だと悟った男は、女の愛を受け入れ、彼女の口紅を借りて、壁と言わす、床と言わず、窓を書き、実体化する。さて、愛の語らいをしている二人を襲ったのは演出家のダメ出しであった。
谷川 俊太郎によるシナリオであるが、物語の流れは可也早い段階で解析できてしまう。然し、閉じられた時空を演劇空間として処理し、外界との繋がりを取り戻すのが、演出家のダメ出しというのは、それまで散々閉じ込められた空間が演じられた舞台に引きずり込まれている観客にとっては不意打ち。鮮やかな逆転であった。
未だ、演出的に荒い点があったりもするが、このような作品を見付け出し、上演に持ち込むセンスと頑張りは評価したい。
満足度★★★★★
超学生演劇 花五つ星
W.シェイクスピア「夏の夜の夢」と「二人の貴公子」の休憩を挟んだ二本立て。二人の貴公子については、作者論争が続いていたが、現在では、シェイクスピアとJ・フレッチャーの合作という説が支持されている。大本のネタはチョーサーのカンタベリー物語の中の騎士の話である。今公演今回で13回目だが、自分は初見。翻訳からプロデュース、演出、役者など総てを学生がこなすと聞いていたので、小演劇界では横綱クラスの明治大学のアカデミック部門はどれほどの力を発揮するのかと興味深々で出掛けたが、期待は裏切られなかった。それどころか受付から誘導、会場内の案内に至る迄、頗る手際の良い合理的な連携とチームワークに感心したのみならず、観客への配慮も充分で驚かされた。
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本編は、標記作品二本を休憩を挟んで上演するのだが、完全に別れた作品として上演するのではなく、両作品の本質を崩さず、自然に繋いでトータルとしてバランスも良く、作品のオリジナリティーも崩さぬまま、淀みなく再構成している。シェイクスピア作品のような高度に完成された作品をこのように再構成する為には、原作に対する高い知的認識と深い理解が欠かせない。その両方をキチンと積み上げている知的レベルの高さにも敬意を表したいし、演技、演出、翻訳、照明、音響、舞台美術等の総合点で超学生級。
殺陣のシーンも何か所かあるのだが、これも基本を弁えた鮮やかなものであった。歌や踊りにも作品内容に即した必然性があり納得がいった。
また、これはシナリオレベルの話であるが、テーバイの若者二人が決闘の前に、ギリシャの神々に祈りを捧げるシーンがあるが、片や軍神マルスに片や愛の神ヴィーナスに戦勝の祈りを捧げるが、マルスに祈った者が戦いに勝ち、ヴィーナスに祈った者が、生涯の伴侶としての姫を手に入れた。尚、この二人以外にもギリシャの神に祈りを捧げていた者が居た。妃である。彼女はダイアナに祈ったのだ。ダイアナは、ゼウスに訴えたであろう。何れにせよ、此処には神々の摂理という形で弁証法が用いられている。そして、デュアリズムではなく、弁証法的思考こそが、人間の闘争本能を超えて我らに平和的解決手段を齎す方法であることを示唆していると読み込めるのではないだろうか? 安倍のみならず、先進国及び世界の強国の指導者の殆ど総てがデュアリズムの弊害に陥る程度のアホである現在、このことは頗る示唆的である。
満足度★★★★
呪術
的な作品である。
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舞台は神奈川の山奥の辺鄙な集落。10年前に起こった不可解な事件を巡って起こる新たな因縁話の体裁を取る。だが実際は、我々人間存在の光に寄り添う影のように必然的に齎される不条理の影を形象化しているか、或いは消化されなかった鬱憤や憤り、昇華されなかったアンビヴァレンツの底に蠢く得体の知れない影やパトスが形象化された作品と観た。
形式的には刑事物、即ちサスペンスに近い形を採っているが、扱われているのは、極めて呪術的な世界であり、神話というよりはその影、サスペンスというよりは因縁話であり、人智の及ばぬ呪術的な世界が描かれている。凄惨極まる挿話が、この呪術性によってどこか神秘化され、様々な不合理を含めて受け入れ易いものにしている。
噛みそうになったシーンが見受けられたが、これは、努力で改善して欲しい。亡くなった蜷川氏の舞台では、初日に完璧に科白が入っているのは当たり前という話であった。プロである以上は、この辺りのことは実現して欲しい。
兎に角、現実にはあり得ない話であるから、その形なきものを形象化して見せた点は評価したい。シナリオ、演出、演技共に、この方向でまとまった。今後の発展を期待する。
満足度★★★★★
初演を観た方にもお勧め
シナリオ、キャスト、演出、出てくる神様も可也変わっているので、初演を観た方々にもお勧めである。
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初演では、カラッとした笑いに主眼が置かれていて、この作品も抜群に面白かったのだが、今作では笑いの要素に深い哲学の要素が加わった。無論、表現の仕方は極めて自然で、哲学的専門用語などは使われていないし、ストーリー展開と密接に絡んで日常的な言葉でしみじみ語られている。つまり、言葉の意味するものの深さに哲学を感じるような作りなのだ。
無論、タッタタお得意の空中殺法は今回も健在。主人公がうだつの上がらない二ツ目の落語家の設定なので、導入部とラストには、一言の主という落語家に身をやつした神様が出てきて、今作をサンドイッチしている。
一般的に喜劇作品は、極めて知的な創造行為だが、その知的行為が観ていて気にならないほど自然に描かれて寧ろ、人情に訴えかける作りになっている点で高く評価されてしかるべき作品である。
初日が終わったばかりなので、内容は観てのお楽しみ!