満足度★★★★
13番地は、無論、フォービズム/キュビズムの牙城として有名になった洗濯船(Le Bateau-Lavoir)の番地である。(追記2018.5.13 01:06 )
ネタバレBOX
時は1907年、ピカソのパリ時代という訳だ。酒と女と麻薬に盛り上がっていた時代でもある。未だ芸術家としては殆ど無名の彼ら若手芸術家が、自由と本来の芸術を求めて夢と現の間を彷徨う丁度アルルカンのように、漂っていた時代である。今作は、この時代と第2次大戦終了7年後を織り交ぜながら描いている。そして舞台の主役はピカソではない。彼に関わろうとした若手画商である。
面白いのは、芸術には本来値段なんかない、という当たり前の事実と、気に入れば例え身代を擲ってでも、という程惚れ込む人もまた居るということである。絵画ではなく、焼き物であるが、古薩摩の茶碗に馬喰碗と言われる名器があって、これは、さる御大尽が、身代を擲って贖い馬喰にまで身をおとしたと伝えられる器。実際、頗る魅力的な器である。
ところで、今作、光っているのは、ピカソの科白だ。このようなことをピカソが本当に言ったという資料が残っているのか、創作かは分からないが「女の涙が俺の絵具の色になる」だの「金持ちになっても貧乏人の生活がしたい」などは、可也デモーニッシュな雰囲気を漂わせる科白であり、仮に史実であるなら、ピカソが戦っていたものが何であるのか? を示唆しているのではないか? と考えると頗る面白い。
また、ピカソを世界的な画家として売り出すに最大の功績のあった画商とピカソの契約に関して、その成立の時の握手が左手で為されていることも極めて意味深長である。
満足度★★★★★
いつも通り丁寧な作り。(追記2018.5.13 01:18)
ネタバレBOX
街場のデザイン事務所、代表を含めて社員は8名(2週間前迄)だったが、うち1名は2週間前に自死。現在は7名で仕事を回している。だが、自殺したのは、最もセンスが良く、仕事の出来も良く、クライアントからの信用も厚い上に同僚からも爽やかな奴と見られていた社員(榎本)だったので、彼の死後、会社全体が何やらぎくしゃくしているのも事実である。彼の自殺の原因は、この所、皆の使う電車の車内で女性のスカートが何者かによって切られるという犯罪が起こっており、警察がこの事務所にも捜査に来、その際最も長時間警察から尋問を受けていたのが原因で、彼がその犯人だと疑われたことであった。
だが、彼の死から2週間後の今朝、出勤して来た女子社員のスカートが切られていた。ということは、自殺した榎本はシロだったということではないか? この疑義が、では真犯人は誰か? との問いを各自に促した。一番仕事ができた榎本が亡くなり、他のメンバーでは彼の埋め合わせができない中で、仕事上のストレスと疑心暗鬼が、都市生活者のアイデンティティーの脆さと人間関係の浅さを詳らかにしてゆく。根底にしっかりした信頼関係が無い都会人の上っ面だけの信頼やスマートな人間関係はあっという間に崩れ落ち、瞬く間に現れたのは、猜疑心、妬み、コンプレックス、自己否定、空虚等のマイナス感情であった。疑いは疑いを呼び、互いに消耗戦に入った。
だが、7名の中にキーマンが居た。そのキーマンは、総ての謎を解く鍵を握っていた。然しその人物は、真相を警察に話そうとは思っていないし話さないだろう。キーマンがキーマンたり得るのは、その人物が榎本のことをいつも見ていたからであり、彼が自殺した時にも彼と話していた。
一方、社内コンペの対象にすらならない作品ばかりを創っている社員は、クライアントと自分達デザイナーの現実的社会関係を理解できておらず、自らのファンタジーを社に持ち込んで作業に従事しており、その傾向は今後も変わる気配を見せない。そんな彼女のデザインした、子供向けツールの中には、たくさんのカッターが入っていた。(幕)
満足度★★★★★
東京オリンピック開催の2020年が舞台である。(追記2018.5.13 03:47)
ネタバレBOX
演劇の本質を追及し続けてきた劇団・焔の命は、オリンピック関連施設、建造物などに爆弾を仕掛け爆発させた。ニュース速報は、死者数十名、負傷者百数十名と告げた。
今作は、この事件の2年後ドキュメンタリー作家が、加害者の一人真理子の実家への取材、関わりのあった人々への取材を通して、事件直後唯事件を囃し立てることでセンセーショナル化し、加害者家族を追い詰めた世間への異議申し立てとして、ファクトを追い求め、集めたファクトを積み重ねて、何故極めて当たり前の劇団員であったメンバーが事件を起こすに至ったのか? を検証してゆく。
自分は、1人の友人と1つの事件を思い出し乍ら拝見していた。1人の友人とは、大宅賞受賞後、講談社ノンフィクション賞も別作品で受賞しドキュメンタリー作家としては王道を歩んでいた友人の取材方法であり、もう一つ、事件とは、あさま山荘事件である。
友人は、センセーショナルな扱い方を嫌い、丹念にファクトを追い、綿密な取材を積み重ねることによって、優れたドキュメンタリーを多く残した。今作に描かれたドキュメンタリー作家も同じ方法を用いている。何故か? 状況次第でどんな人も、ここに描かれたような行動を起こしかねないし、それは人間というものの持つ本質的属性であるからだ。良いことも悪いことも、ヒトは起こし得る。
あさま山荘事件についても、最初期、マスコミは若干好意的であった。山荘所有者らが「人質」として取られた時も、立て籠もったメンバーは、人質の不快にならないようかなり配慮してくれたとの報道もあったが、それらの報道はセンセーショナルな情報洪水の中に埋没させられていった。立て籠もりメンバーを凶悪犯とイメージさせるような方向に変わったのである。この経緯で国民殆どが熱狂的に山荘立て籠もりメンバーを冷酷無比と断罪する方向に走った。自分達が冷酷無比に彼らを断罪していることは棚上げしつつ。
社会の様々な矛盾や、政治の瞞着、司法(殊に最高裁判断)の三権分立否定等々、国民がキチンと筋道立てて社会を変えようとしても合法的手段では埒が明かないこの植民地為政者たちの施政等々の問題は、このセンセーショナリズムによって何時もの通り一掃され、祭りが挙行されるのは、この「国」の習わしである。
これらのことが、合算されて諦め切った「国民」と共に為政者がいくら嘘を重ね、隠蔽を繰り返し、無責任に無責任を重ねて、総ての責任を負うことなく為政者として在り続けても、総てスルーすることで鵺のような社会を作り上げていることによって、抗議が届かない社会が完成してしまうのである。こう言うといつも茶々を入れてくるダニが、またパラノイアそのままの下らないアヤをつけてくるのだろうが、この下司共の主張する社会とは、誰も責任を負わないから、何でもアリ。正義を気取ってその実、何も自分の頭では考えることのできない杓子定規が大手を振って歩き出す。結果、法などで、表面だけは収まっているように見えても、一旦ことあれば、内実のカオスは直ぐに頭を擡げてくる。その結果が、事件を起こした人物の家族苛めである。欧州諸国でも、非難が全く起らないということは無かろう。だが、加害者家族の側に立ち、彼らを擁護する人々が声を上げるであろうこともまた確かである。ラストシーンで、日本の家族が置かれる状況を本質的なレベルで描いている点は、強烈なアイロニーである。
満足度★★★
時期と場所が良ければ、実際にルナレインボーを見ることが可能だそうだ。ちょっとググってみたら、写真つきのサイトがあった。
ネタバレBOX
今作自体は、演劇的冒険や、人生の深みを覘く哲学や普遍性を追及したものではない。冒険と言えば言えそうなのは口立てだということだが。
幸せな家庭の父と7人の子供達、孫や子供達の連れ合いが、家族の年中行事になっている28日の家族旅行に出掛け、其処で起こすよしなしごとを淡々と描きながら、亡くなった母と父のなれ初め、子供達に託した母の念などが、父母の関係の間にサンドイッチの如く挟まれて描かれる。
アクセントとして、河童が出るという噂のあるこの景勝地にTVクルーが取材に入り、家族と出演者が仲良くなったり、実際に河童が登場したり、とかなりファンタジックな要素も組み込みつつ、終盤ルナレインボーを見るに至る。
父は人物写真のプロで著名な写真家であり、長女の夫は、極めて珍しい自然現象を撮影するプロとして世界屈指であるが、父の弟子である。そして子供たちのうちの1人もまたプロカメラマンで、義兄の弟子という構図。この3人が集まると写真談義で盛り上がり他の人間は入ってゆけない。そんな家族の物語である。
満足度★★★★
起承転結、起の部分でアコースティックギターが小道具として用いられているのに、音響がエレキのサウンドを被せてきたので、何だこれは! と思ったのだが承の辺りから、うん!?、 ひょっとして!! と思い始めたら、キタキタキタ!! (華4つ☆)
ネタバレBOX
イキナリ日本海溝に引きずり込まれるような深い疑義が湧いたのだ。アサハラの名に対してである。伏線として起の部分から鳴っていたどこかインド風の音曲が、実はアサハラの企画した世界壊滅戦争の武器だったのである。彼はしょっぱな、シンジの所へ転がり込んだヤサグレJKアスカが、そのような生活を送るようになった理由をある意味共有していた。アスカは、中2の時、兄が少女をレイプしたとしてパクられて以来、犯罪者の妹という理由で散々苛めを受けたばかりか、母は事件後ショックが因で死亡、父も発狂してしまい、家を飛び出していたのである。誰が彼女を非難できようか? 誰一人、彼女の窮状を助けなかった我々であれば。
一方アサハラは、口がまともに利けないのを理由にツマハジキにされ地獄を生きていたのであった。アスカはアンパンだけが慰めであり、遂には死を求めて集団自殺を図る所まで追い詰められていた。アサハラも死の淵に居た。そして2人はSNSを通じて自殺決行の場所へ向かい、知り合ったのであった。
然し、地球に500万年前に飛来し以降ヒトの進歩に関わってきた神の力によってアサハラの言語能力は回復、そのほかに与えられた不思議な音楽を醸し出す能力によって楽曲と踊りによるコミューンを創り、世俗と離れて暮らしていた彼らの生活は象徴化された森友の籠池氏と安倍 昭恵が登場してくることによって取り上げられてしまう。彼らのコミューンのあった土地が力によって奪い去られてしまったのである。再び、ツマハジキ者とされたアサハラは復讐を誓う。
以前少し書いたが、麻原はその眼を水俣病との関連で患ったという話を聞いたことがあったことに結びつき、而も彼が下腹部を常に弄っていることは、既に精神が崩壊しており、失禁が常態化していると囁かれる麻原の現状を示唆しているのではないか!? とも感じたからである。更にその後のシーンには、森友問題も出てくるので、この件で囁かれている或るタブーともオーバーラップしながら日本の暗部と其処で働いている力とにはじき飛ばされ、社会の埒外に置かれたアサハラらが俯瞰した世界もまた利用され、消費されてゆくであろうこともまた明らかである。
今作は、このような不条理に対する異議申し立てであろう。若い人達の抗議の叫びが聞こえてくるような作品である。
(*いうまでも無いことだが、ここで描かれていることはフィクションである)
満足度★★★★★
一幕三場。途中2度、5分の休憩を挟んで約3時間の公演。
(追記2018.5.4)
ネタバレBOX
舞台は、犯人たちの住居の一室。中央に函。下手には荷物などの置ける台。下手奥にソファなど。スタンド式の帽子掛け、上手奥は部屋への入り口が斜めに設えられ入り口左手には電話などが置かれている。上手壁際には本棚や、お茶や飲み物の置かれたテーブルがある。
真っ暗な中で舞台は始まる。Aは、危険を冒す為に殺人を犯した。完全犯罪を為したつもりだ。その為、遺体はこの部屋でこれから行われるパーティーの料理を載せるテーブルとして用いられる棺桶の中にしまわれている。このパーティーの客は、被害者の父B、大学の同級生の男C及び女D、インテリの代表と目される詩人E。他の登場人物は、召使Fと共犯者Gである。招かれている客のセンスから分かるようにAは自信家で虚栄心が強い。ガイシャは、スポーツで華々しい成績を残し、映画や音楽などの好きな誰からも好かれる爽やかな20歳の好青年。Bはサーの称号を持つ紳士で書籍収集家としても知られる。Aは最近亡くなった親族から貴重書などの蔵書を譲り受け、今日は、その蔵書をBに見せる約束もしていた。
Gは、Aほど居直ってもいなければ自信家でも無い。従ってAが犯した殺人の共犯者としての自分の犯罪行為に怯えてナーバスになっている。謂わば小市民である。
パーティーは21時からだが、20時45分に服装はどうするのか? について尋ねる為にEが電話を入れた時、ナーバスになっていたGは、うろたえた状態を悟られてしまった。而も、彼らが、殺したBの息子が、その日行っていたコンサート会場の入場券は、Eの入手する所となっており、Eは彼らの犯罪を告発するばかりになっていたのである。Eはパーティーの最中、折に触れて証拠固めをしてゆく。その間、参加者の会話や態度を通してイギリスの差別社会の実体、陽の沈まぬ国と言われてきた歴史の裏にある狡猾極まる外交と主として海軍力を用いて力によって支配を貫徹し、被支配地の少数派を支援することで被支配地を分断統治する冷徹さ、及び差別意識による道徳観麻痺などの策術など、英国式気取りの背景が浮かび上がる。この辺りの脚本の良さ、この雰囲気を浮かび上がらせる演出、演技の良さは見事である。(国外の作品を日本で上演する際、良く体験するワザトラシサや浮いた感じが無い。代わりにイギリスの上に挙げたような社会の在り様が滲み出てくるのである。)
Eは、アイロニーを込めて己が足を引きずることになった原因として殺人を挙げる。その殺人は戦争に於いて犯した殺人であるが、彼にとってそれが殺人であることに変わりはないからである。この公平性にこそ、Eの真骨頂がある。彼は真正の芸術家として、偏見に囚われず真正な判断を下すことができた。その証拠に彼自身、己を許していない。そしてそれ故にこそ、最後の確証を掴むために、遺体を運び出そうとするパーティーの部屋に舞い戻ってきたのであった。この最後のパートでも息詰まる展開を極めて緊迫感のある演技で支えている。
最期には喧嘩の強いAを、冴えた論理と冷静沈着で謙虚な態度のEが打ち負かして幕。
満足度★★★
タイトルのStarting Overは、再出発とかやり直すこと、(追記2018.5.4)
ネタバレBOX
という意味だが主人公は今までの一切の人間関係を断って、一からやり直そうとこの部屋へ引っ越してきたのであった。だが、相場に比して極端に安い物件には、無論何らかの因縁話や理由がある。そのうちの一つ、幽霊が出る、がこの部屋が格安になる原因であった。
ところで彼は、不動産屋と約束していた引っ越し時に敷・礼は払うとの約束もすっかり忘れていたようである。然し先立つ物は無い。だが霊感の極めて強い彼は、不動産屋がちょっと外れた時に霊を見てしまった。それで安い原因を特定したのである。その上で、払えていない敷・礼をロハにして貰う折衝にこれを使おうと考え、不動産屋が幽霊を見た場合には、敷・礼の支払いは無し、と話を纏めた。後はこの部屋の地縛霊とのネゴである。
実は、この物件、この他にもたくさんの幽霊が居て、極めて力の強い蘇我馬子と同期の霊、兵士の霊、首吊り自殺をした看護婦の霊等々。
この敷き・礼支払い問題でゴタゴタしている最中に5千円を貸していた親友が彼女連れで金を返しに来たり、彼がSNSで新住所を拡散してしまったものだから、弟、劇団に勧誘して来た先輩らが押し寄せ、部屋でバーベキューを始めようと盛り上がって大騒ぎ。更に地縛霊の頼みを聞くという約束で手伝って貰った手前、自縛霊の頼み通り彼女を部屋へ連れてくると、今度は自分の元カノ迄ひつこく訪ねてくる始末。これに不動産屋の手配した除霊師までが加わってすったもんだの展開。それなりに笑わせるが、中身は薄い。
満足度★★★★
驚いたのは、エレベーター前(1F&4F)にスタッフが立っていて、適切なサジェッションとフォローをしてくれたことだ。 シンメトリックに創られ、手前は狭い幅の袖、中央はやや広くとった袖、最奥部は壁風にレイアウトされた衝立各所に、エスパー(特にトランスポーテーション能力を表現するにうってつけの)伸縮テープを用いた舞台美術も素晴しい。色彩の用い方も抜群のセンスである。(追記2018.5.4)
ネタバレBOX
超能力者の話である。超能力の研究が日本より進んでいる国がある等という少年誌の記事に踊らされて、超能力を得ようと努力した経験は、多くの方々が持っていることだろう。今作には、サイコキネシス、テレポーテーション、テレパシー、プレコグニッション、クリアヴォワイヤンス、パイロキネシス、コンパウンドなどの超能力者が登場するが、舞台は、人間が作ったエスパー研究施設である。表向きの研究目標でエスパーたちを集めてはいるが、研究所の目的は、特殊能力を持つエスパーたちを人間の完全な管理下に置くことであった。
このことに気付いた八重内(コンパウンド)は、仲間のるる(クリアヴォワイヤンス)に5年後、この施設で起こる危機を告げ失踪する。
そして、5年目、新たなメンバーが施設にやってきた。八重内からのメッセージを受け取っていたルルは、早速新たにやって来た2人の内偵を始める。1人はパイロキネシスを持つ四方、1人は能力不明のマリ。然し四方は、もう一つ優れた技術を持っていた。それは催眠術である。彼は会った人々に強力な催眠術を掛け、操り人形と化していたのである。その技術を用いて彼は研究所とツルンデいた。エスパーを管理下に置く為に研究者が研究を重ねていたことは先に述べたが、彼らは研究成果を用いてエスパーコントローラーを既に開発していた。このことの危険に気付いていた八重内は、実際には5年前に殺されていたが、残留思念となってこの地に留まり、機会の訪れるのを待っていたのである。そして四方のスパイ活動を通じて、実際に研究所がエスパーを管理下に置こうと行動を起こしたことが、八重内が、各人に取りついて自由に操る能力を用いて反乱を起こすきっかけになった訳だ。
結末がどうなるかは観てのお楽しみだが、ここには支配・被支配そして自由の問題が提起されている。観た者が何を感じ、どう作品を解釈するかはそれぞれの自由である。その自由が保障されないということになれば、窮屈な世界になることは明らかだろう。それによって殺されるものが何なのか? そのことに思いを馳せたいものである。
満足度★★★★
サブタイトルに“婚約観察パーティー”と名づけてある。にゃんと40本ものショートショートを演じて1作品とする試みにゃのら!! ちよッとクリビツである。
ネタバレBOX
全体として、そのトーンは沈みがちである。それも当然だろう、エネルギー政策を見ても、教育行政や、文化政策などを見ても何のパースペクティブも無いだけならまだしも、展望を持とうと、或いは持ち得る芽が出ようとする度、これらをどんどん潰すことばかりに血道を上げているような愚か極まる「上層部」官僚、司法、マスゴミ、政治屋、最高裁等々の失態と詭弁、嘘、マヤカシと無責任をこれだけ毎日毎晩見せつけられれば、明るい未来の展望など持ち得るハズもない。にも拘らず若者達は、幸せを築こうと努力し、笑っていようと涙ぐましい努力をする。このことを観ているのは、辛いことであるし哀しい。年を重ねるとこんな風に悲観的になりがちなのだが、若者達は、それでも笑顔を絶やすまい。明日を掴もうと必死である。この懸命な姿勢が、爽やかである。
満足度★★★★
小屋名は貴種琉璃から採られている。
ネタバレBOX
メソッド演技や大野 一雄らを学んだというM役とシカという仇名を持つ2人に、Mの夢たる女性3人が実際に登場する役者であるが、このほかに富士樹海のゲットーと呼ばれる施設に収容された人々が、科白や身体表現によって描かれる。
Mは、ラテン語のmoriから採られているのであろう。何故ならゲットーに来た以上、規定のプログラムをこなした後、再生プログラムを受けて、人々に奉仕する存在として生き続けるか、死ぬかしかないからである。
もう一つの可能性は、ゲットーの世話人すら戻れないような樹海の奥まで入り込んで、生存し続ける事であるが、この道は極めて厳しい。
興味深いテーゼは、謙虚などの仮面をつけて社会の中で生き続ける在り様もまた、存在そのもの、即ち存在の裸形からの逃避に過ぎないという視座である。
満足度★★★★
劇団名はPlayers StudioではなくPrayers Studioである。然し宗教的な組織が背景にあるとか、関係しているということでは無論ない。(華4つ☆)
ネタバレBOX
主宰の渡部氏がロシアのレオニード・アニシモフ氏に師事し氏主宰のレパートリー・シアターで体験した謂わば根源的な演劇体験が、人が真摯に祈る時の態度・心象に近いのではないか、と感じる故である。
今回ベン、ガスを演じた2人の俳優、小八重 智さん(ベン役)、北口 哲也さん(ガス役)にしても真摯な演技には好感を持った。
作品はピンターの「ダムウェイター」大分前に三茶のシアタートラムでも上演されたことのある作品だが、大方の方が述べるのとは、少し異なる視点から、観てみよう。
それは、この二人に決定的な情報が最後まで与えられない、ということの意味についてである。観客である我々は、現在、膨大な量の情報の洪水に毎日、毎時、毎分、毎秒襲われ続け溺れている。然しこれらの情報の如何ほどが、自分が現場でリアルタイムに、見聴きしたことだろうか? 伝言ゲームというゲームがある。この結果は、ご存じであろう。我らの日常に、確たる情報など自らの直接体験し得るもの以外、実は殆ど無いのであり「~だそうだ」という話でしかないことは、かつて吉本 隆明が指摘した通りである。ありていに言えば、今作が我々の実存に直接訴えていることとは、実は本当に大切な情報が、実は所、他のどうでも良い(自分の実存にとって)情報の氾濫に隠されてしまって見えていない怖さなのではないか? ダムウェイターが降りてくる度、与えられるメニューが隠喩に満ちていることは、実に示唆的ではないか? 而も、隠喩を読み取れない者にとって、それは、馬鹿げた文言や謎に過ぎないのであれば、そこには、ピンターからのもう一つのメッセージ、メディアリテラシーへの誘いが含まれているとも言えよう。
満足度★★★★
アナーキーでシュールな展開が面白いのと同時に、本番途中、何度も出演者からダメ出しが入って協議となり、改稿されて進行する批評的な進行が実に楽しい。
最初、ラーメンを食べ始めた姿勢で固まって最後の最後に動き出す役の、大変肉体的にキツイ役回りを演じる役者さんが居るのだが、彼の役は、荒れ狂う嵐に耐え、沖に出てアンカーを打って船を安定させる碇のように、このアナーキーな劇の創造力を観客の想像力と繋ぎ止めてみせる。
満足度★★★★
[RS][パンジーな乙女達]を拝見。
ネタバレBOX
「ラビット番長ノワール短編集RS/パンジーな乙女達」
「RS」とは、ロールプレイング サミットの略として用いられているようである。各参加者に渡されるデータは2種類。コモンデータ及びパーソナルデータである。これらのデータを用いて、自分はやっていないと言い置いて刑場の露と消えた模範囚の事件の真偽及び彼の動機を探るとされているが、どうやら真相は異なるらしい。この真相が何か? 或いは? を考えるのが今作を観る観客の愉しみということになりそうである。
「パンジーの乙女達」
舞台はラジオのパーソナリティーを勤めてきた有名作家の奥さんの番組最終日スタジオと作家が取材の為、付き合って来た4人の若い女性達とその友人1人が集まった彼のマンションの1室を相互にライトで浮き上がらせながら紡がれてゆく。今夜は、20年間続いてきたこの長寿番組の最終回。このパーソナリティーに番組から彼女の好きなパンジーの花束が贈られた。パンジーの花言葉は“もの思い”“私を思って”“思慮深い”“天真爛漫”など様々であるが、巷では、この作家が浮名を流す女性達との関係を取り違えた下司の勘繰りが、更なる憶測を呼び、作家は流行作家となって、その妻は夫に浮気をされる妻として好奇の目に晒され続けてきたのであった。が、妻は一切を歯牙にかけずゆったり構えていた。当初、巷の好奇の目から話題になったこのラジオ番組であったが、いつしかそんな時期も過ぎ、今までは固定ファンがついたこともあってこれだけ長い番組になったのである。然し、最新作は、ちょっとトーンが変わった。妻は敏感にこのトーン変化に気付き、原因を正確に見極めていた。為に最近は別居していた夫のマンションに赴き、彼を殺した後にこの番組に出演していたのである。
一方、このマンションには、5人の若い女性達が集まっていた。各々は他の女性を知らなかった。だが、顔を合わせることになって互いの作家との関わり方を話し合うこととなり、作家との関わり方が綺麗なものであったことが明らかになる。一方、自らの容姿にコンプレックスを持ち、街中で、その人の顔を見ては詩を書いていた少女は、作家の作品のファンでもあり深く作品を理解してもいた。その彼女を作家も愛し始めていた。その所為で作品のトーンが変わったのである。妻は作家に新たな恋人ができたことを知り、彼を殺したのだが、詩を書く少女が、作家を殺したと言い張っていたのは、真実が明らかになる前のこと。少女も作家を愛していた。ちょっと不思議で極めて切ない物語。
満足度★★★★
10年間冷戦状態の後、1年前に融和を為した佐藤家、鈴木家は、頗るつきで上手く行っている。今日は、融和1周年の記念パーティーの会場である。
ネタバレBOX
どういう訳か鈴木家も佐藤家もワンマンぶりを発揮して皆に恐れられる還暦のオヤジが居り、彼らのワンマンぶりを継承するキャラも混じって、周りが振り回されるてんやわんやを描きつつ、高橋家という家との縁も絡んで人情噺でもみせてくれる。シリーズ第2弾。
満足度★★★★
「殺し屋は歌わない」ミュージカル初日を拝見。
T1プロジェクトのオリジナルミュージカル第2弾。作・演の友澤氏は、今作で5つの挑戦をしたという。先ずはそれを当ててみて欲しい。追記2018.5.1 。
ネタバレBOX
日程的に大体真ん中辺りだから5つの挑戦を明かしておこう。当パンをベースに引かせて頂く。
① ミュージカルをやらないような劇場でミュージカルを創る
② 生声で上演する
③ 転換なし、一場で進行する物語
④ ロングタイムのナンバーを入れる
⑤ 30年近く脚本を書いてきた自分自身の感性を30代前半に戻して物語を紡ぎ上げる
の5つである。
結果的にミュージカルとしては、かなり素朴な作りになっている。然しT1プロジェクトの良さは、再演、再々演などという時に、時代や状況に合わせて脚本を練り直し、キチンとコミットしてくる点である。芝居というものは、生身そのものだし、2度と同じ舞台は作れないので、ヴィヴィッドある為にはその都度創造してゆかなければならないのは当然のこととはいえ、これをキチンと実践し続けることには、大変な努力と真っ直ぐで直向きな向き合い方が必要である。それを若い人達と一緒になってやっている所にこのグループの将来性と可能性があるように思う。
満足度★★★
核爆発が落とされても壊れない、との噂が立つ程の堅牢性を具えていることが自慢の五和銀行本店。課長は、受付嬢と不倫しているし、受付嬢には、出前のお兄ちゃんがストーカー紛いの張り付き方をしており、金庫以外はどこか怪しげな印象を漂わせている。
ネタバレBOX
こんな銀行に外資系大手の支店開設絡みの融資の話が舞い込み、客が店長を訪ねてきていたが、そんな折も折、3人組の銀行強盗が襲撃を掛けた。
一度、板上に上がった役者は、殆ど皆出ずっぱりなので、ある程度仕方がないのかも知れないが、銀行強盗を仕掛けるような犯罪者が、手袋も覆面もせず、而も簡単に仲間の名前を呼んでしまうという間抜けぶり(名前を呼ぶ件については、犯罪者としてはトウシロウであるこの3人組を示したかったのかも知れないが、余りにも馬鹿げている)は、脚本を弄ってもう少し工夫すべきだったのではないか?(再演なのだし)
中盤に入ってからは、アクシデンタルな理由で金庫に閉じ込められることになった面々が、同じ人質の中に爆弾を持っていた者がおり、彼の爆弾が起動してしまったことによって命の危険に晒される中で、深刻な人生論が語られ、今作の内容を一躍深いものにする。また、銀行強盗をすることになった3人の犯行動機には、同情すべき事情がある事も明らかになって、五和銀行と、この銀行を吸収合併しようとしていた四和銀行及び大手ゼネコンの絡んだ犯人親族への過剰融資という企業犯罪の問題が問い質されて一挙に社会的な話題をも射程に入れてくる。この辺り、銀行と商社はやくざより性質が悪いと言われる所以を含めて考えるに値しよう。ラストのドンデン返しもグー。
満足度★★★★★
出演者22名、これだけの役者が出ていながら、誰一人キャラの立っていない役者が居ない。年間少ない時でも250本程度は芝居を観る自分も、これだけのキャストが皆キャラの立った演技をしている舞台を観たのは今回を含めて2度しかない。
兎に角、重層化した深みのある脚本なので、可也演ずるのが難しいとは思うのだが、それを見事に演じている。キャスティングの良さ、演出の良さも、脚本の良さも無論のことだが、所謂下世話な世界を描き乍ら、決して下卑たり、媚びたりしない、而も極めて本質的な作品である。
舞台美術も作品内容にピッタリしたものだし、導入部から、観客を引き込む演出手腕も見事である。脚本・演出は、何れも友澤氏が務めているが、脚本に対する演出の仕方に適正な距離が取られている点も見逃せない。照明、音響のオペも見事である。総てが総合的に収斂して総合芸術としての舞台芸術を形作っているのだ。(華5つ☆ 追記2018.4.26)
ネタバレBOX
芸能界の裏を描きつつ、人はどう生きるか? 如何に生きるべきなのか? を問う。長い下積みから「陽はまた昇る」で一躍ブレイクした後、コンビを解散した漫才コンビ・シーチキン。一人立ちした後突っ込みだったリョウは今や芸能プロダクションの看板。一方ボケの榊は、鳴かず飛ばずで今では大人の玩具の販売で食いつなぐ。4年後、超売れっ子のリョウから下積みの頃に常打ち小屋として出演させて貰った小屋で復活公演を演るとのオファーが入った。当時の仲間も呼ばれている。ひとまず了解した榊であったが。
天井からアスベストが出たとかで楽屋を急遽倉庫のような掘立小屋に移した空間で話は進行する。ファーストシーンで雷光の中に浮き上がる女の立ち姿が強調される導入部の上手さは流石である。三々五々、出演する芸人たちが集まってくるが、当初、榊は、掘立小屋の梁に黒いネクタイを掛けて首吊り自殺を図っていた。偶々支配人がやってきた為、タイミングを逃してしまった。ところで、この小屋も借金の形に入れられ支配人は返済の催促に追われていた。
今作が、このような状況を描くのは、1920年代の世相を描きロストジェネレーションと呼ばれた作家たちの代表的な存在であるヘミングウェイの”The Sun Also Lises”(1926)を、その背景に置いてからだと観ると更に面白く観ることができよう。The Sun Also Lisesは、ヘミングウェイ初の長編小説であり一躍彼の名を有名にした作品でもあるので読んだ方も多かろう。因みにロスジェネの表す概念は、第1次世界大戦の時代に思春期を過ごした世代が、それまでの価値観や社会体制に疑義を持ち、自堕落で享楽的な生活態度を選んで反社会的に過ごした様を呼んだものと言われている。
当に今作の芸人たちが置かれている時代。価値観が無限に希薄化し、生きる意味を考えたり、天下国家を論じたりする当たり前のことも忌避するようなこの「国」の社会状況の閉塞感と、無意味が存在自体を蝕んでゆく鵺のような状況の中で。逆説的に刹那的で二極的なイデオロギーを強調することによって、職業、恋、生活の総てを律し、人としての思いやりも人情も捨て恬として恥じない生き方を選ぶリョウを通して、優しい人々の優柔不断や、その不甲斐なさを浮かび上がらせるが、その冷淡な態度は、実はリョウの責任感の強さと優しさであったことが描かれる。(その理由は察しの良い方にはお分かりだろうが観てのお楽しみだ)ラスト、リョウの恋人・愛のストーカーの放火によって小屋が焼け落ち中止になった演目がコンビによって演じられるシーンは圧巻!!
満足度★★★★★
脚本の完成度の高さ、演出の上手さ、歌の上手さに踊りの切れが加わり、更にエレクトーンと二胡の生演奏の響き、悲劇の色調を耽美なまでに表現してくれた。見事である。終演後には、ゲストとThe Vanity’sメンバー3名のうち今回は出演していない1名を除く2名が歌を披露してくれるおまけつき。こちらも聴くべし! (追記2018.4.27 02:40)
ネタバレBOX
物語は、架空の国のある裕福な商人の家。落雷の轟音と共に赤子の泣き声で幕を開ける。この演出が、先ず巧みである。観客をビックリさせて虚を突き劇空間に引き込む手段であるが、これが効果的であると同時に生まれて来た子の将来を暗示して見せている訳だ。商家とはいえ、名高い家の長女の誕生は呪われていた。顔の左反面に引き攣れを伴った大きな痣があったのである。龍家の主人・龍仁は、すぐさま我が子を無き者にせよ、と妻・美羽に申し付ける。然し、妻はそれを望まない。そこへ妻の姉・鈴が助け舟を出す。要は龍家の子ではなく赤の他人として育てれば問題は無い、と。鈴は龍仁を説得し、この家にあって使われていなかった離れでこの子・呉葉を育てることになった。将来、健康な子を授かった暁には、この子が御付の者として仕えるようにしようというのである。19年が経った。呉葉は利発で真っ直ぐな乙女に育ったが、龍仁は家格を重んじ一切の肉親の情を与えなかった。一方生みの母・美羽は、内心自らの罪の意識に苛まれていた。というのも娘にこのような酷い痣が出来たのは、己が若い頃から使用していた禁断の麻薬が災いしたからと知っていたからであった。己の咎ゆえに娘を不幸にし而もその罪の証が、今、新たに生まれこの家の娘として育てられている柚杞の御付の者として不幸な暮らしを余儀なくされ、いつも罪の源泉たる自分の前に居るのだから耐えられない。この状況は、麻薬を続けることの理由になった。例え見付かれば死罪に処せられようと。
一方、柚杞には国の武官を代々勤める楊家から縁談の話が持ち込まれていた。父も乗り気である。話はとんとん拍子に運んで愈々、輿入れの儀式が行われようという頃、柚杞が結婚すれば、彼女について嫁入り先で仕えよ、との父の命を受けて遠方へ旅立つ前にどうしても実の母の目を真っ直ぐ見、抱きしめて欲しいとの望みを持つ呉葉は愛される条件として母の言った痣の無い顔を手に入れようと禁断の地・水仙の森に住むという魔女の下を訊ね、痣を消す代わりに、人を殺すことを命じられれる。半信半疑で呪いの札を受け取った呉葉は、其の札を鈴に渡す。これがもとで鈴は命を落とすが、本当に呉葉を愛し、彼女の為を思って色々と面倒をみてくれた命の恩人を呉葉は自らの手で殺してしまった。
更に嫁に行く柚杞は、美羽の娘ではなく、本当は、鈴と龍仁との間に出来た子であった。エピローグ。己の狭い了見の故に命の恩人であり、育ての親でもある鈴を殺してしまった呉葉は、10歳の時美羽に貰った、母に愛された証である簪を返し、自分は魔女と交わした皆から忘れ去られる寂しさと苦悩を受け入れ、遂に麻薬エキスを用いて自死。以上が物語の顛末。この救いの無さにこそ、自分は、救済を見た。何故ならそこに無意味の意味が見えるような気がするからであり、ニヒリズムの肯定を見るからである。人類は矢張り意味が無かったことの文化的例証を一つ新たな形で観たことの安心感とでもいうか。最早、ヒトという生き物の愚かさ故に滅ぶしかない地球上のあらゆる生命の末路だけは、予めレクイエムとして謳うことが出来たかも知れぬという下らない自惚れを最後の自嘲として。
満足度★★★★
オリジナル作品1篇とチェーホフの「タバコの害について」の2本立て公演である。(華4つ☆)
ネタバレBOX
オリジナルは、表現活動をする男とその男の世話をし続けて5年になるが、妻にもしてもらえないことを嘆きつつもその生活資金も食事などの世話も止められずに暮らす女の関係を描いたものだが、女は男を浴槽で飼っているピラニヤに擬え、臆病な癖に強がるとからかう。
男は、嫌いな食べ物が多く、女が一所懸命ヘビースモーカーである彼の健康を考え、何とか食事で健康を回復させようと考えて作った食事を食べずに過ごすことも多く、そればかりか、女が男の為に断念した表現者の道の後輩をたらし込んで浮気をしている。女はこれを詰るが、男は、女が未だ手垢のついた自分の革命的な生き方に憧れてついて来ていることを知悉している為、革命的論理によってこれをいなしつつ、自由になること、縛り付けられずに脱出することばかり考えている。無論、女は、反対に好きな男を自分から逃さず管理下に置くことを今日も、明日も考えている。今作は、革命は兎も角、この男女相互の普遍的な関係を描いた秀作である。
チェーホフの「タバコの害について」である。モーパッサンの「une vie」ならぬ「男の一生」とでも名付けたい内容の作品である。確か日本の落語にも下げで「おんな」が「かんな」になるものがあったように思うが、今作は、当にこれではあるまいか?
発生学的にみても、雌雄がある生物のプロトタイプは♀である。それは、種を残す性が雌だから当然のことなのだろう。鯛などは、総て雌として生まれるし、人間の男も母体の中で男になるのであって、最初から男として形成されている訳ではない。今では差別用語とされるかも知れないが、色盲なども発現率は女子の方が低い。生物学的には母体の中で一種のオペを受けて♂になる生命体より♀の方が強いのである。
一方セクハラ等、男の横暴が話題になる昨今だが、こんな言動は、自民党議員など下劣を旨とする下司がやることであって、一般男性の多くは寧ろ女性に奉仕することで一生を終える者の方が多かろう。蟷螂は、生殖行為後、♂は♀に食われて生涯を終える。つまり♂は、♀に奉仕するだけ奉仕させられ、絞り尽くされてその生涯を終えるのが、生物としての宿命なのである。
人間社会が男性優位社会という形を採ってきたのは、戦争を含めた生存競争の結果かも知れないが、実は、生物学的に弱い♂が、♀に甘える為のシステムであるかも知れない。医者でもあったチェーホフは男女のこのような生物学的関わりをその本質に於いて知っていたのではなかろうか? 実に深い作品である。
満足度★★★★
作家の作業を良い家を作る作業に例えて創られた脚本は、恰も露伴の「五重塔」の構成を思わせる、しっかりした太い柱が全体の構成を合理的且つ論理的なものとし、ブレのない考えさせる作品になっている。(華4つ☆)
ネタバレBOX
板部分は手前が広い台形になっており、奥中央、左右の辺中ほどに出捌け口が作られ、役者の動きもスムースである。床面は、寄木細工の文様を施し、雰囲気を醸し出す。奥壁の両コーナーに掛かったカーテンは、閉じると、スクリーンとして利用できるなど極めて合理的な作りである。主人公が作家なので、板中央には、机と椅子が置かれ、作家の仕事机としても、家族の用いる居間としても用いられる。
さて、物語の内容であるが、表現する者としてその仕事に特化する生き方(いわば芸術至上主義或いは仕事中心主義)と生活(特に家族関係の親疎)の切実な問題を描いて、ホントに考えさせられる内容であった。
演技には、序盤若干硬い感じが観られることもあったが、中盤からはそれもほぐれて自然な感じになり合格点。小道具の使い方と小道具自体も洒落たものが使われている。殊に家の模型が、家族崩壊の危機を表現する場で用いられるのだがとてもセンスの良い色・形の模型を用い、照明の適確な技術もあって頗る美的に映った。
スタッフの対応もいつも通り、非常に感じの良いものであった。