ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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イノチミジカシ、

イノチミジカシ、

法政大学Ⅰ部演劇研究会

法政大学市ヶ谷キャンパス外濠校舎地下1階多目的2番(東京都)

2018/07/13 (金) ~ 2018/07/16 (月)公演終了

満足度★★★

 蝉は、地上に出ると約1週間の命しかないことは、良く聞く。“閑さや 岩にしみ入る 蝉の声”の句は余りにも有名だが、実際、日本の蝉の鳴く音を、命を限りと聞き、芭蕉の詠んだ通りであることをしみじみ感じるのは自分だけではあるまい。

ネタバレBOX

今作も無論、この命の痛烈な燃焼を背景にしていることは言うまでもない。だが、描かれる本質は人間男女の恋である。脚本レベルでの不備は、アブラゼミではなくミンミンゼミの雌が鳴いていることである。蝉の鳴き声としてミンミンゼミのそれはアブラゼミに比べて弱い。また仮にアイロニーとして用いているのであれば、そのことも脚本中で示した方がベターだろう。生物学的に明らかに間違っていることを如何に舞台と雖も何の仕掛けも無しにそのまま居直って舞台上の虚構と言い張るとすれば、それは稚拙ということになり易い。また、翅を擦り合わせて鳴くということになっているが、コウロギやスズムシではあるまいし、これも間違いである。蝉は服弁という器官を持っている。それも牡だけの話であり、これを震わせ、空洞の腹部で増幅して鳴くのだ。それが求愛行動となるからである。牡がその美声や美しさ、強さで雌を誘惑するのは、鶯、クジャクや雉、ライオンなどを見ても明白である。
 唯、これら様々な欠点を抱えながらもこのシナリオには注目すべき点がある。それは、人間というかなり長い寿命を持つ生き物に置き換えての話であれば、産む性である雌が、牡を選ぶ条件として、牡が生涯自分を愛し続けることを求めてやまない点である。(この辺りの蝉と人間の寿命の長短を無視する発想も荒すぎる、まあ、幼虫の時代も考慮すれば、寿命については説明もつこうが、命の燃焼を1週間で切っている以上これも根拠にはならない)少なくとも人間の女性(物語の論理では雌で通ってしまう)の行動原理は愛という名の下に生涯男性(牡)を縛り続けることである。その目的は、恋の相手を務めたことのある男(牡)なら誰しも経験することだ。だが、一方、牡は何より自由を乞い求める生き物なのである。ここで、男(牡)にとっても大問題なのが、自分の子を産んでくれるのが女(雌)であるという事実である。
 今作で興味深いのが、女性(雌)が男(牡)を選ぶ試金石としてこの問題をぶつけてきていることであり、この一点で実に鋭く、現実的な人間の恋愛に昇華している点なのである。
 欠点は以上で指摘した通り、人間の恋を描いていながら蝉を用いているのに、擬人化が徹底していないというか、蝉と人間を転化する際の仕掛けが好い加減であるということだ。例えば、酔夢譚にするとか、昆虫学者カップルの話にして、その中で蝉を例えに話を展開するとか、やり方は色々あるハズだ。
THE SHOW MUST GO ON !!

THE SHOW MUST GO ON !!

劇団天動虫

ワーサルシアター(東京都)

2018/07/11 (水) ~ 2018/07/16 (月)公演終了

満足度★★★★★

 出雲の阿国は元々“ややこおどり”などを演じながら、諸国を回って居た訳だが、1603年京都は北野天満宮境内で当時流行った傾奇者の風俗を取り入れた“かぶき踊り”を披露して人気を博した。

ネタバレBOX

これが歌舞伎の発祥と謂われる阿国歌舞伎の史実ということだが、今作は、無論このようなことは換骨奪胎している。以下今作についてである。
 先ずは、板上造作から、移動可能な厨子のような函が設えてある。表・裏で若干差がある。片側は襖のように両開きにできる扉がついており、其の奥は人が隠れられるほどの空間を為して反対側に繋がる。反対側は、謂わば屏風のように折り曲げ可能になっている。この表裏を土台ごと動かして適宜使い分ける。時に、小屋の舞台として、時に何らかの建物として。この他、下手客席側と上手側壁際に板から腰の高さ辺り迄上げた小さなスペースを設けてあるが、大道具は以上である。
 作品内容についてはタイトルが示している通り。但し、各々のキャラが演じる内容が謂わば一種の演劇論となっており、その相克として観ることもできる。また瓦版が座に与える影響を書き込むことで、メディアの影響力やメディアリテラシーを考えさせる点でも興味深い脚本になっていると同時に、キャラの各々が為すべきことを最後まで追求する姿勢を示すことによって、人としてのレゾンデートルを示唆し、責任と倫理迄考えさせる作品になっている。エンターテインメントとしての展開も面白い。実際、話がどのように展開するかは観てのお楽しみだ。役者では、瓦版屋(上手い)、六(一所懸命で好感が持てる)、代書屋(味がある)、光悦(ディレッタントとしての意地)を演じた役者さんが気に入った。
ホテル・ミラクル6

ホテル・ミラクル6

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/07/05 (木) ~ 2018/07/10 (火)公演終了

満足度★★★★★

 シリーズ6作目となると流石に様々なことにチャレンジしていて、その点を高く評価したい。勇気のある試みだと思うからだし、このような精神が無いと発展が無いと信ずるからだ。(この点を考慮に入れて☆5つ)作品個々の内容については、楽日以降に追記する。追記2018.7.11

ネタバレBOX

 板上、基本的な舞台美術は共通で、作品により、七夕の飾りつけがプラスされる程度だ。脚本は、前説を兼ねた「ホンバンの前に6」を構成・演出と今回は出演もある池田さんが1本。以下本編、上演順に。「ビッチの品格」(劇団人間嫌い)の岩井 美菜子さん、「ホテル・リトル・ミラクル」(Straw&Berry)の小西 耕一さん、「かっこ悪いオトコ(悪)」(あんかけフラミンゴ)の島田 真吾さん、「最後の奇蹟」(劇団肋骨蜜柑同好会)のフジタタイセイさんの4人がそれぞれ執筆している。オムニバス形式の上演だが、各作品、趣味趣向が総て異なりタイプの異なる具材でつくる寄せ鍋とか、コース料理のようで、チャレンジングな精神を示してもおり面白い。各作品の詳細は、楽日以降に書く。
 取り敢えず、舞台の見取りを記しておこう。
客席は舞台を“」”で半分囲う形だ。底辺側から見て、下手壁際が出捌け口、入ってすぐ右側が上半分スモークガラス風になった小スペース。シャワールームなどとして用いられる。室内正面奥に真っ赤な革張りのソファー、下手壁際には、丸テーブルの前後に椅子が1脚ずつつけられ、壁面にハンガーが掛かっている。上手には底辺の客席寄りにWベッド(枕は客の側)その下手には2段になったサイドテーブル。上段には、真っ赤な電話器、下の段には、ランタン風の灯りとティッシュが置いてある。更に下手には、冷蔵庫。以上が舞台の設えだ。
「ビッチの品格」:ラブホで女子会という設定が面白い。まあ、「大枠がラブホだから」を言っちゃ、お終いだが。ところで、実際、男が居ない場所での女子の話というのはかなり愛の行為についての話が多いのも事実だ。未だ北欧に余り日本人の男が出掛けて居なかった時代、日本人というだけで矢鱈、北欧女性にもてた時期がある。これも、実体験のある女性の口コミが原因であった。女性は、1日2万語ほどお喋りするそうだ。対して男は7千語、男3人分を1人で賄う訳だから、噂噺は累乗倍で広まる計算になる。ネズミ算であれだけ凄いのだから推して知るべし。作品では、このような話が中心になる女子会で、では、愛は? の話になるのだが、サシの関係では力関係で負ける女子は、従属的だと認識する場合が多いから、其処に生まれる複合意識が複雑である。結果、愛の形によっては、自らの位置が社会上の通念に於けるズべ、即ちビッチであるか否かで計られることになり、その結果、深く傷ついたりもする。このレベルでは、男も女も思想的な深みを持たないが、そのことの悲喜劇は起きる。
「ホテル・リトル・ミラクル」:正統派演劇としての書き方では、今作と前説を兼ねた「ホンバンの前に6」が最も完成度の高い脚本と言えよう。現実世界と虚構との際立たせ方という点に於いて、極めて意識的であるから観客の知情意が実に微妙なバランスをとりつつ、現実と虚構の間を往還でき、大きな満足を売る事ができるからである。自分が演技で気に入ったのは、従業員、小川役の永橋さん、口寄せの際のパフォーマンスは秀逸! シナリオではラストのどんでん返しが素晴らしい。(眠っていた桃子)が憑代となって地縛霊となっていた女の本名を以て語り掛け、彼女が成仏できるラストに繋げた。伏線も直前に明かされるのだが、それは、口寄せを善意からしてくれる小川に対して偽名を使って偽情婦を伝えており(但し母の名は本名であった所が凄いのだが)世間の世知辛さを観客に納得させるような而もどんでん返しの効果を最大化させるような流れを作り出している。
「かっこ悪い男(悪)」:カオティックな全体の中に個々のカオスが愛というキーワードの下に集結しているのだが、それぞれは愛を発信しながら。総ての愛がチグハグにすれ違う。互いにどうにかしようともがくのだが、いかんせんその方法がパセティックな為に交叉することもなく目的に辿り着くことも無い。その悲喜劇を描く。何故か肉だけがあり、頭脳を欠いた存在のパトス渦巻くカオス。
「最後の奇蹟」:制御できない技術を持った人類が、地球を捨て新たな世界移住計画を立てた。今迄の総てを総浚えして新天地に出向こうと、地球をダメにした当事者、責任者達は、既に避難を終えているが、せめて全生命に対する責任を己の命に代えて果たそうとする者が庶民の中には居た。登場するのは、このプロジェクトに携わってきた下っ端技術者と買われた娼婦である。地球をご破算にする為に、月に強力な爆発物が仕掛けられ、月ごと地球にぶつかりに来ている。ぶつかる直前、死を前にした二人は無意味を十全に知りながら、熱い接吻をする。何とも切ないアイロニーではないか!? 哲学的、社会的には最もメッセージ性も高い作品。
Mの肖像

Mの肖像

劇団ヤリイカの会

パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)

2018/07/07 (土) ~ 2018/07/08 (日)公演終了

満足度★★★

 3役を2人で演じる作品。つまり、1人2役を演じる役者が1人居る。(追記2018.7.10 04:00)

ネタバレBOX


 板設定は、マンションと思しき場所。部屋は2部屋。下手の部屋は綺麗に整頓され、机上にノートパソコンを置いた机と椅子がある以外小ざっぱりした部屋、対するに上手の部屋には、バッグとエレキギター、段ボール箱が堆く積まれ雑然としていて対比を為している。整頓された部屋の主はミズキ、だらしない方の住人はムツだ。ムツの部屋の上手は収納スペースになっており、暗幕が掛かっている。手前に脚立が置いてある。また、この部屋の客席から見て正面奥に窓があり、新たに立つマンションの模様が見える。ムツが移ってきて直ぐ、ここには、カーテンが取り付けられた。
 さて、このカーテンレール中程が少し曲がっているのは、先ごろ自殺したエムが縊死する際紐を掛けたからである。
 エムとムツが1人2役で演じられるのだが、衣装替えなどが一切ない為、何か記号が欲しい。鬘をつけてみるとか、画学生だったエムにベレーを被せるとか小道具で表現できる。
 ところで、エムもムツも売り出し中の新進アーティストであった。エムは大学院の画学生、ムツはバンドのボーカル兼リードギタリストという所か、ギターは作曲に使っているだけかもしれないが。何れにせよ、ネット上では評価の高いアーティストとして注目株である。だが、この評判に嫉妬した者が居たらしく、彼女らの実名やプライバシーが晒された上に、誹謗中傷が渦巻く。エムの自殺はこの結果だった。その顛末が書かれた日記をクローゼットの天井裏で発見したムツは、余りに詳しく晒されたエムと自分のプライバシーや日常の描写からネタ元が同居人のミズキではないか? と疑う。彼女がネタ元であるという確証は描かれないが、最後までその疑いが晴れることもない。
 小道具として用いられるエムの自画像は、顔の部分を覆い隠すように洗濯物が描かれ、四囲に目が描かれているが、顔を隠してしまったこと自体逃げだと考える。佐伯祐三が発狂直前に描いた自画像は顔が破裂した特異な作品だが、自分はこの作品が頗るつきで好きである。逃げていないからだ。この点にこそ、彼の天才性を感じる。仮に今作の構図を採るなら、周りの目は、精神のガランドウを示すような空虚を映した目や、夜行性の猫が獲物を闇の中で狙うような表情を描いてもいい。何れにせよ、ネットの匿名性を利用して妬みの対象を自分は安全圏に身を隠しながら潰しに掛かる下司共の心象を描く目であって欲しかった。
 また、2人の才能に嫉妬したのが原因と思われるネット上の誹謗中傷パターンが同質のトーンで描かれているのだが、2度目のムツの時には、更にそのような恐怖が観客に迫るような音響効果を用いることも考えたい。
 欲を言えば、尺は伸びるであろうがミズキがエムの自殺にも、ムツの暴露にも案外平然としていることの理由をもっと描き込んで欲しかった。つまり単に優等生としてのエリート意識でアーティストという不安定な道を選んだ二人を対象化して見るのではなく、人としての不自然を納得させるだけの彼女の抱える心の闇も描いて欲しかったのだ。
ミッドナイトフラワートレイン

ミッドナイトフラワートレイン

朝倉薫演劇団

中野スタジオあくとれ(東京都)

2018/07/05 (木) ~ 2018/07/08 (日)公演終了

満足度★★★★

 板上は中央に畳敷きの4畳半、(華4つ☆)

ネタバレBOX

小さな卓袱台とポット、卓上には湯飲み、上手に横長の鏡を嵌め込んだ化粧台と座布団、下手に畳んだ布団と座布団が重ねられ、手前には照明器具が置いてある。奥には舞台衣装を吊るした移動式ハンガー。その上手を斜めに切るように女のバストアップを描いた浮世絵をあしらった長い暖簾が垂れている。暖簾の奥は、袖、出捌け口を兼ねると同時にストリップ小屋の舞台という設定だ。
 物語は、別府にあるストリップ小屋の楽屋で繰り広げられる。今、この劇場の舞台でトップを張る踊り子は、弁天、花電車という芸で日本一を誇る踊り子で実年齢29歳3か月、あろうことか男に騙されるか、結婚に失敗して流れ着く女性が多いこの業界で真実ヴァージンをウリにしている美人ダンサーである。今日はこの彼女の公演の楽日だ。そこへ次の公演に出演するダンサー達が、マネージャーの手違いで1日早く到着してしまった。踊り子は4人だが、1人は未着である。というのも、公演で移動する度、車内で知り合ったおじさんとしけ込む悪い癖が出てしまったのである。可愛いのだが、ちょっとお頭が弱い子なので付け込まれてしまうのであった。時折未だにニュースなどで報じられることもあるこういった女性の被害は実際に起こり得ようし、起っているだろう。力では男性に対抗できない女性が、この魔手から逃れることは容易であるハズが無い。そんなジェンダー問題も垣間見える。
 ところで日本では、このような女性が「転落」をしてもそれを転落させた側の男に責任を取らせることは往々にしてなかった。ジェンダー意識が低いこと自体が問題なのに今でも自民党議員などには、こんなことすら分かっていないアホが多いのが実情であるから、ストリッパーと名がつけば、どこか色眼鏡を掛け、隠花植物のように見るのが多くの日本人である。然しながら、この偏見を覆してみせるように、命賭けで芸をしている弁天は、天鈿女命の故事を持ち出す。例のスサノオがアマテラスの機織りをしている所へ天斑馬の河を剥いで投げ込んだ為、アマテラスは大いに怒ってアマノイワトに隠れた、とされる古事記の記述を思い出してもらいたい。
このシーンは、弁天を慕う地元組長の二代目に追い回され、ヴァージンを護る代わりにヤッパを抜いた彼の愛が本当なら刺しても良い、と覚悟の程を見せた彼女が刺され、小屋が営業停止に追い込まれることを防ぐ為に命の危険も顧みず、最後のステージを終え、休んでいる楽屋で熱に浮かされる幻影の中で明らかになるシーンの一つなのだが、親友でライバルでもあった元ローザンヌ国際バレーコンクールを目指したマッキーとの深い関わりと共に今作のハイライトを為し、同期のダンススクールプリマ候補No,1 を競った2人の輝かしい少女時代の夢の再現でもある。この時舞われる「白鳥の湖」が実に美しい。(弁天役の役者さんが踊るのだが、感動的である、このダンスを見るだけでもこの公演を見る価値はあろう)
 序盤、作家の深い意は伝わるものの、やや平板な展開は古希を迎えた作家さんの自然かも知れないが、できれば、導入部はとてもよいので、その後、何か観客を驚かすような仕掛けを作って一気に舞台にのめり込ませるおうな工夫が欲しい。
年上の方に生意気を言って申し訳ありませんが、破急は、現在のままで繋げばよいでしょう。中盤以降入り込めた作品なので、一工夫お願いします。
 役者さんたち、楽まで突っ走って下さい!
甘い丘

甘い丘

えにし

ザ・ポケット(東京都)

2018/07/04 (水) ~ 2018/07/08 (日)公演終了

満足度★★★

 少し人里離れた所にあるサンダル工場。近隣から余り評判が良くない。

ネタバレBOX

無論、ゴムの臭気の問題もある。だが人々の非難は、そればかりではなかった。そこで働く人達が胡散臭いと考えていたのである。ムショ帰り、ズーミ上がり、低能、ヤサグレ、凶状持ち等々胡散臭い連中が集まっていると考えられていたのである。
 だが、このコンセプトの割には、各キャラの描き方に余り突出した所はなく、結果として平板である。取り立てて主人公と呼べる人物を設定してもいないので群像劇と看做すべきなのだろうが、それにしては描かれた各々のキャラが平板であるし、その極めて普通の人々にレッテル貼りをして差別する側との痛烈な対決は殆ど描かれないので、ドラマツルギーが成立し得ない。
 舞台美術はかなり作り込んであるのに遠景に見える山々の連なりはベニヤに茶色をつけただけで、舞台の幅より狭い物だから裏に何も無いのがバレバレという“みむめも”状態。画竜点睛を欠くとはこの事だ。
 脚本をもっとしっかり練り、舞台美術に凝るなら凝るで肝心な所を締めなければいけない。演出家はこういった点にも目を配るべきであろう。因みに群像劇を作るならゾミア*などについても調べてみると良いかも知れない。人間集団の各々の境界、領域などの問題を含め、所謂「蛮族」と呼称されてきた人々の生活形態、生き方そのものの持つ差異を根本的な所から気付かせてくれるであろう。その視座は我ら自身を見直す便にもなり得る。
*ゾミアについて、簡単な説明は以下を参照のことhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%9F%E3%82%A2
蒲田行進曲

蒲田行進曲

ふれいやプロジェクト

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2018/07/04 (水) ~ 2018/07/09 (月)公演終了

満足度★★★★

 舞台美術は至ってシンプルだ。(華4つ☆)

ネタバレBOX

奥に暗幕を置いて手前に上手、下手をずらした迫り出しにして袖を作ると同時に出捌けとしても用いている。他はフラットだ。必要な状況設定の多くは効果的な照明と音響で代替されている。
 照明に関しては、放射状に様々な焦点から照射される光の照射がスターの特殊性や光輝を表すなどつか独自の照れ隠しの突っ張りやナイーブさを役者に投棄する演出として見せ、階段落ちのシーンでは、ビニール傘を使用した階段の比喩的表現が観客のイメージを確固としたものにし、音響と役者陣の仕草がその危険と不吉な結末を盛り上げる。
ところで、ホントのことは地味で深い。だから多くの者が見過ごし、結果その真の意味も深い知恵と味わいも無いことになってしまいがちだ。然もギリシャの昔にソフィストが詭弁を弥縫するにレトリックを用いたように、嘘は華やかで一見センスの良い見てくれで人々を惹きつける。中身など何もなくても、こうして薄っぺらで本質を欠いた表象が人々に認知され、彼らの判断のベースになってゆく。ポピュリズムはこのようにして形成される。
 今作は、こうした状況を逆手に取り、つかが、己の被差別者としての位置を作品に織り込みつつ、銀と安そして銀の子を孕んだ小夏の三角関係を通じて、人の痛みの痛切さ、大好きな銀の子を孕んだ小夏を押し付けられながら、小夏に惹かれ、銀に引き裂かれる大部屋俳優の安のアンヴィヴァレンツを生き抜く壮絶な生き様をを中心に“存在の痛み”としてエンターテインメント化して見せた作品である。今作が大反響を呼び、映画にもなったことは、多くの方がご存じだろう。
 良い劇団だと思う。それだけに初日とはいえ、噛むシーンが多かった役者がいたことは残念。更に伸びる為には、こういう点も頑張って欲しい。
dreaming - ホエル

dreaming - ホエル

システマ・アンジェリカ

早稲田大学学生会館(東京都)

2018/06/29 (金) ~ 2018/07/01 (日)公演終了

満足度★★★★

 しょっぱな、披露されるパフォーマンスは、ダンスというより、静止とポージングを意識的に取り入れたパフォーマンスでとても面白い。華4つ☆

ネタバレBOX

 所謂ビート派のケルアック、ギンズバーグ、バロウズら、打ちのめされた世代の文学者たちの話である。尤も今作にバロウズは出てこない。その代りと言っては何だが、ホモセクシュアルはたくさん出てくる。彼らがRimbaudのLe Bateau ivreを引用するのも面白い。Rimbaudは、恋仲にあったVerlaineを銃撃しているからな。今作でもギンズバーグに恋人のルシアン・カーを取られたディヴィッドの嫉妬に耐えかねたルシアンはディヴィッドを刺殺している。無論、ビートジェネレーションにはヤクに手を出していたというか、完全なジャンキーも居た。一般人からみれば、ロクデナシの屑ということになろう。だが、そうだろうか? 文学の最高形態、詩の言語というものは、単なる単語の羅列ではない。言葉という物質のめくるめき争闘である。詩人は、言葉を物質化する為にありとあらゆる可能性と狂乱、開闢以来の争闘を自らの身に引き受けて物質化した言葉として羽化するのだ。
 今作は、そのアーティストの素質としての鋭敏、傷つきやすさや、純粋さを暗示するかのように狂気に奔ったギンズバーグの母もずっと舞台上に居り、時に収容施設での“治療”の有様なども語られるが、これは、詩的才能を持った者が詩人になる為に科された一種の宿命をも表しているだろう。ラディカルの何たるかを示した作品と言えよう。
棄児も泣かずば雨たれまい

棄児も泣かずば雨たれまい

劇団 枕返し

北池袋 新生館シアター(東京都)

2018/06/29 (金) ~ 2018/07/01 (日)公演終了

満足度★★★★

 板奥中央に硝子窓、窓からは外に広がる森が見える。窓の両側には、窓枠よりかなり長い真っ赤なカーテンが垂れ下がっている。この赤は、遺棄された子供たちの血の涙にも見える。
板上はフラット。

ネタバレBOX


 ところで1977年のフランス映画に「これからの人生」(日本公開は2年後)と邦訳されシモーヌシニョレが主演した作品がある。彼女(ローザ)は既に年老いていたが、パリの娼婦たちの私生児たちを預かることで方便(たつき)を立てていた。中には養育料を支払わない親もいたが、老婆はそんな子供たちも見捨てた訳では無かった。殊にモハメドは、彼女のお気に入りだった。然し寄る年波には、勝てない。既に彼女は、病に蝕まれていたのだった。偶々モハメドも彼女の病状が思わしくないことを知り、何とか自分で稼いで少しでも彼女の手助けをしたいと願う。進行する病の中で彼女は、“ユダヤ人の隠れ家”と自称する部屋でモハメドとの時を共有する。モハメドはモハメドで失踪していた父との関係が明らかになる中、彼の努力も空しく息を引き取ったローザを2人だけの隠れ家に保存したまま、倒れてしまう。発見された時、彼もまた病に罹っていたが、その病とは、遺体と共にずっと一緒に居たことであった。これらの経緯を記したテープが、カラカラと回る、それがラストシーンだったと記憶している。この乾いた幕切れは、モハメドが精神を病み、病院に収容されたことを暗示するが、死体と共に密室に籠るという確かに常識を超えた愛情表現ではあっても、映画は、彼らのメンタリティーを理解しえない乾ききった世間を告発してもいよう。
 今作で、雨が降り続いているのは、単に陰鬱を表すというより遺棄された子供達の心に潤いを与える為であろう。またその雨音は密やかな子供達の心の陰り、深いトラウマを洗い流そうとするようでもある。登場するキジムナーは、ガジュマルに棲む精霊であるが、その花言葉は“健康”だそうである。そのキジムナーが、親に捨てられたと自覚している者達に寄り添っている所にも一見チャラけたように見えなくもない今作の深みを見るべきだろう。
 親に捨てられたと自覚した時点で、子供達は、裏切られたという痛みに心底深い傷を負う。それが例え2歳という年齢でも、子供はハッキリ覚えているものだ。そして、この記憶は長期に亘って子供達を苛む。無論、親の事情もあろう。ケースバイケースだが、母は殊に子供以上に傷つき思い悩む場合もあると同時に己の欲望に負け、子供を見捨てる場合もあるだろう。
 今作にも様々なケースが、描かれる。問題が余りにも深刻であるが故に、敢えて滑稽な要素を入れて、軽みを持たせた部分もあるが、一方でシリアスな科白も中学2年の今は元施設の教師であった女性の里子になっている聡明な子に言わせている。多くの人に見てもらう舞台という表現形式から許容範囲であろう。と同時に、子供達も己の苦しみを通じて、他者の痛みを知り、他人を許すことが出来るようになることによって、己自身をも救うという摂理まで想像して構うまい。そのきっかけになるのは、信頼できる他人に出会うことであり、その人から魂を救う愛情を注がれることである。
このゆびとまれ2

このゆびとまれ2

演劇ユニットZANNEN座

OFF OFFシアター(東京都)

2018/06/28 (木) ~ 2018/07/01 (日)公演終了

満足度★★★★

  短編を組み合わせたオムニバス形式の舞台だが進行及びタイトルは時間割に基本的に従う。脚本は、かなりシリアスな部分も含み期待以上の出来だ。

ネタバレBOX

 板上のレイアウトは衝立を張り巡らせ、板奥の中央が左右に開けられるようになっていて、衝立で隠れたままになっている部分が袖として使える。他板上手に時間割、日付、日直名等が書かれた緑板が斜めに設えられているが、緑板中央はスクリーンとしても用いられる。他はフラット。必要に応じて若干箱馬が用いられる。
尚、時間割は下記の通り 1時間目:国語
            2時間目:英語
            3時間目:数学
            4時間目:体育
            給食  :
            昼休み :
            5時間目 :社会
            6時間目 :音楽
            放課後  :
 以上である。科目名と内容にはかなり落差もありこれも楽しめるのだが、個々の挿話に内容があって、普遍的なものに棹差す傾向も見て取れ、味わい深い。
惜しむらくはオープニング、尺の心配もしたのであろうが、間の取り方が余りにスピーディーで劇調が軽くなり過ぎたキライがあることである。この辺りじっくり間を取って演じた方が、深みが増してずっと良くなるのではないだろうか?
 
緑色のスカート

緑色のスカート

みどり人

新宿眼科画廊(東京都)

2018/06/29 (金) ~ 2018/07/03 (火)公演終了

満足度★★★★

 開演前と上演中に使われるのが奥のスクリーンに映る映像なのだが、チェコやデンマークのクレイアニメのような雰囲気で実に好ましい。(追記2018.7.1 0:36)華4つ☆

ネタバレBOX

 ところで作品内容は流石に女性の脚本というか、かなりリアルな恋愛文様を為している。それも実際多くの人々が体験してきたように、思う人からは思われず、思いもしない人からは思われる行き違いなどと登場人物たちの個々の出会いが更に絡まる恋だ。この行き違いと、その微妙や辛さ、しんどさなどをつぶさに舞台化している点で、頗る女性的な作品である。同時に実際に同棲するような間柄であっても、カップル各々の思いが重なっていることは、先ずない。という事実をキチンと突き付けている点が自分には好みである。
 それが良いか悪いかはともかく、現代日本に於いては恋の成就に対する強烈な否定や、否定をする人々、社会的タブーは、昔ほど強くないから、炎に油が注がれた燃えるような恋というものも珍しくなっているのかも知れない。それかあらぬか、男も女も互いに中性化し、ぬるま湯の中を揺蕩うエパーヴとして浮遊しているだけであるのかも知れない。もしそうであるならば、かつてヘテロの男は柔らかなものを愛し、ヘテロの女が固いものを愛していたのとはことなる組み合わせが可能となるであろう。対立する性質への愛ではなく、同質の者への愛が斬新的増加を遂げているとすれば、今作のラストは必然ということになろう。LGBT等が或る程度社会的に認知されるようになった背景には、このような変化もあるのかも知れない。
ダイアナ

ダイアナ

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2018/06/21 (木) ~ 2018/06/25 (月)公演終了

満足度★★★★

 舞台上はほぼフラット、脚立が3つ、パイプ椅子が2脚、」型の客席に画された対面の壁に立てかけられている。脚立は1つだけ組み立てられている。

ネタバレBOX


 ポール・アンカの大ヒット曲を日本では和声ポップスとして山下 敬二郎が歌った、あの「ダイアナ」の歌詞の中に“君は僕より年上と”というフレーズがあるが、これが、最大限利用される男2人、女1人の3人芝居。
 極端化すると此処まで引っ張れるのか!? と驚嘆するような展開が面白い。大恋愛の持つエネルギッシュな賭けが、生命再生産という本能の持つ業と深く、強く繋がり因縁という名の宿業が描かれる。
 幼稚園の時からの幼馴染、賢一と優は親友だ。現在は30歳を少し過ぎている。賢一は郵便局で働いているが派遣のフリーター、優は、コンサルをやっていって羽振りがいい。「大事な話がある」と賢一から呼び出された優は、来年には取り壊される廃校になった小学校に忍び込んだ。無論、賢一は先に来ていたが中々、話を切り出せない。結局話を棚上げにしたまま、雑談に興じていたが、優が結婚することになった彼女(翔子)を表で待たせているというので、中に呼び入れることになった。中に入って来た翔子と出会った賢一はちょっと不自然に何気を装うが、翔子もまた歯牙にも掛けないそぶりで“初対面”の挨拶を交わす。  偶々、父の癌の件で電話を受けた優が席を外すと、翔子と賢一の関係が明らかになってゆく。翔子は賢一の元カノであった。而も、現在彼が付き合っているトシ子(58歳)さんと付き合い始めた時期が翔子と付き合った期間と被っている。一方、翔子が友人の車を借りて事故を起こした際に掛かった費用、126万は賢一が弁済していた。それ以外にも少額の貸付があったのだが、彼女は返済していない。また、翔子が優と知り合ったきっかけは、彼女が居酒屋で優の落とした財布を拾ってくれたことだった。尤も、中に入っていた現金は、2万にも届かない額ではあったが抜き取られていた。
 賢一は、自分への不誠実な彼女の対応と優の話から、翔子が彼の財布に入っていた現金を奪ったのではないか? との疑念を抱く。
 戻って来た優と賢一、翔子三つ巴の闘いが始まる。というのはあと1年の余命と宣告された父は、仕事一筋で妻、トシ子に頼る他ないのに、彼女は今、賢一の彼女であり、相思相愛になった結果、71歳の父との熟年離婚を望んでいた。翔子は、親友の元カノである。互いの愛は譲れないが、親子の情、親友の強いメンタルな結びつきも切れない。
 これらの思いを相互にぶつけあう舌戦がみもの! ラストは、結末を敢えて曖昧にして余韻を持たせ、観客の想像力に任せている。

7人の壊れた女と男がひとり

7人の壊れた女と男がひとり

マニンゲンプロジェクト

「劇」小劇場(東京都)

2018/06/20 (水) ~ 2018/06/24 (日)公演終了

満足度★★★★

 舞台は廃村と化した場所。(華4つ☆)

ネタバレBOX

ここにDV、遺棄、セクハラ、三角関係の縺れ、家庭内問題でのトラウマ、義父によるレイプ、セックス依存などで、男を受け入れることができなくなったり、男や過酷な状況からサンクチュアリを求めた女7人が集められた。期間は1年、大手企業が廃村を利用して年齢も育った環境や学歴なども総て異なる7名を共同生活させ、男女の混在する社会との差異を検証する為に集めて実験をしているのである。無論、報酬は生じる。
 ところが11か月目に、森の中で首まで埋まった男が発見された。この事件に、女達が示す反応の違いや、それぞれの女が抱えている問題が明らかになる。女だけの時との対比も当然出てくるのだが、この辺り、個々の男性経験や経験の質が、露骨に彼女らの認識に影響を与えている点は、子を産むことによって未来を生み出し、生命の源流を繋ぐ性である女性を表しているようで興味深い。一方、対男性では、どちらが阿呆であるかについての言い争いも見物だし、殺人事件などシリアスな状況を描きつつ、アルゴリズム体操が随所に挿入されて様々なタイプの笑いを引き出す演出もグー。
 演じられる様々なキャラクターが、男の物理的暴力の前で、如何に力に拠らぬ方法によって生き抜き未来を孕むか、という問題にあるように思うのは自分だけだろうか? 力に対する時には、味方を増やして敵を圧倒する他、個々では敵わない大きな力に対しては団結し、それまでの経緯を反故にして立ち向かうことを矛盾と捉えない思考経路なども実に興味深いのである。
 普段、男から観て、とても特徴的だと思える女性の思考、行動についてかなり自然に描かれている様に思う。
 また、途中からずっと続く雨音は、猛獣が捉えた獲物を生きたまま貪り食う音のように聞こえ、生き続けることの凄まじさを表しているようで、グー。生きるということは、どんなに気取って見た所で、所詮、他の命を貪り食う事ではあるのだから。この事実を茶化すように挿入されているアルゴリズム体操は、グロテスクなまでのリアルを想起させているのだ。(アルゴリズムを態々説明する科白が入っているのもこれが狙いだろう)
裏の泪と表の雨_

裏の泪と表の雨_

BuzzFestTheater

赤坂RED/THEATER(東京都)

2018/06/20 (水) ~ 2018/06/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

 釜の様子が良く描かれ、作品に深みを与えている。主役級のドラマは無論のこと、脇役キャラの設定も素晴らしい。(追記2018.6.26)

ネタバレBOX

 舞台は愛隣地区といえば地元民ならだれでも思いつく、釜ヶ崎の一角にあるお好み焼き屋だ。板上には正面に畳敷きの客用スペース、お好み焼き用の鉄板のついたテーブルが2台、各々に座布団が4枚ずつ置かれている。上手手前には冷蔵庫、その手前を入った所が袖、袖の裏側辺りにトイレが設定されており、店内畳敷きの奥には、少し腰かけられるほどのスペースの奥に窓が左右1つずつ。室内上部には棚があり、だるま(未だ目が入っていない)、招き猫、神棚などが置いてある。
下手、店のくぐり戸を抜けた辺りから側壁までが、街の様子を表現する為に労務者風の人物が、雑談や用足し、路上飲酒等々、釜の生活を表現する場所になっていて、今作にとって極めて重要な場所だ。
店主は大学を出た後、2年勤めに出ていたが、店をやっていた母親が体調を崩したので一時の手伝いのつもりで店に入ったままずるずると続け、しょんべん臭いニコヨンの街で18年のうちに味の良い店としての評判と、個性的で魅力的な従業員たちの対応でかなり繁盛する店になっており、常連客もついている。
 ところで、今作、しょっぱなの話が、阪神戦ともっと大事な話として、お好み焼きをひっくり返す道具を何と呼ぶかの激論だという所が如何にも釜らしい風情を描いていて見事だ、つまりこの実に他愛もない話題から、釜の生活を象徴的に表している点も高い評価をすべきなのだ。無論、他にもこの「隠され見捨てられた街」の表象はいくらも出てくる。
 例えばこの辺りは社会インフラも余り良い状態とは言えないせいか、下水管が詰まって汚水が溢れだすということも大雨の時には起こりがち。街が臭いのは、単にドヤの住人が立ちしょんすることだけが原因ではない。地元で状況を良く知った地域職員が粉骨砕身の対応をしている一方、国や府からは忘れられたような街なのは、我々が毎日食べる野菜にさえ、独特の癖や特有の臭い、個性が失くなって久しいが、そのことに気付く人々が殆ど居なくなってしまったのと同じように、実体とイマージュに深い乖離があるのだ。それでも街も多少は「綺麗」になった。とはいえ、この有様だ。冬になれば、ドヤに泊まる金が無いばかりに凍死する人が居るのがこの街の実情であり、良いか悪いかの判断は兎も角だが。存在を色濃く主張しているのだ。そういえば、横浜の寿町、東京の山谷も現在ではすっかり様変わりしてかつての面影はない。が、ここ、釜だけは、未だに往事の風情を保っている。
 そんな街の生み出した人々の群像劇であり、ある種の褒め歌である。
娯楽天国の“お気に召すまま~As You Like It~”

娯楽天国の“お気に召すまま~As You Like It~”

劇団娯楽天国

TACCS1179(東京都)

2018/06/20 (水) ~ 2018/06/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

 簒奪と骨肉の争いは、シェイクスピアならずとも良く登場するテーマだが、自分は今回、この実に良く現代的にアレンジされつつ、シェイクスピア作品の本質を捉えた作品の中で、特に注目したのが道化だ。(追記後送)

ネタバレBOX

齢を重ねた為か、近頃では、特にトリックスターの放つ科白の深みに共感を覚えるということも原因の一つかも知れない。何れにせよ、ナマジッカな方法では、この世の何も引っ掻くことすらできないのが実情。そこへゆくと道化の役割、箍を外すことによって世界を逆転させて見せたり、皮肉、追従、擽り、辛辣な批評、背理、飛躍、嘲笑、形式論理等々あらゆる言語テクニックと知恵を用いて紡いでゆく極めて知的な遊戯は、効果に於いても、インパクトに於いても絶大な上、仕込まれたウィットの洒脱、韻律の洒脱、笑いの喚起などが加わり、敵を作らない。これこそ、道化の力である。
Bare Knucle

Bare Knucle

SPINNIN RONIN

APOCシアター(東京都)

2018/06/16 (土) ~ 2018/06/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

 Spinnin Ronin所属の吉田 憲章氏と榎本 鉄平氏が出演。(追記後送 華5つ☆)

ネタバレBOX

Spinnin Roninを未だご存じない方も居るかもしれないので説明しておくと、代表は、加世田 剛さん、23歳で渡米、15年間NYでダンスを学ぶ傍ら、チャイナタウンで武術を学び全米武術大会でも3度優勝の実績を持つ。メンバーは皆身体能力の高い人ばかりで、今作でもこのユニットの特徴である身体能力の高さを用いた演技が取り入れられている。(大山 倍達ではないが、ダンサーの格闘技能力は非常に高い。)
 因みに榎本氏は学生時代、ラグビーフットボール19歳以下日本代表に選ばれているが、その他に古武道、現代アクションもこなす。吉田氏は元々、関西の小劇場で演じてきたが、2012年にこのユニットに出会い参加している。現在中国武術を学びながらの役者業である。
 ところで、今作2人で9人を演じ分ける。キャラの変更は単純なレベルでは衣装だが、無論、子供を演じる時には、キチンと子供の表情になり、厳しい状況では、役に合った仕草、表情になる。
 物語は真剣師の話だ。真剣師とは、賭け将棋(麻雀・碁)を指して生計を立てている者のことだが将棋の魅力については、演歌・王将を出すまでもあるまい。が、真剣師には将棋一筋だけではなく無頼の臭いが纏わりつく。だからこそ“プロ殺し”の異名をとった小池重明の破天荒で破滅的な人生に妙に惹かれるのかも知れないし、自分に流れる無頼の血の為せる業なのかも知れない。 
 
必然スクープ

必然スクープ

月ねこ座

ART THEATER 上野小劇場(東京都)

2018/06/16 (土) ~ 2018/06/17 (日)公演終了

満足度★★★★

 シリーズ第3章、完結パートである。(2018.6.18若干追記)

ネタバレBOX

 シリーズ第3章、完結パートである。パート1では、政治家と建設会社の癒着をスクープし、一躍名の売れた記者・里見と立木出版の話をメインに。これに目を付けた業界最大手の編集局長・藤崎が不気味な動きをし始める所まで。
 パート2で藤崎は、里見を引き抜こうとしたが部下・勝俣の謀略によってその地位を奪われ、退社するハメに陥った。
 パート3では、これら一連の動きの裏にあった因果とからくりを解き明かしつつ、探偵物風な展開にジャーナリスティックな視座を絡め、ファクトを解き明かす為に取材者が負う命の懸かるリスクを編み込むことで、作品に生きた人間的視座を脈ずかせる。
 序盤、矢鱈緊張して噛むシーンがあったりしたものの、中盤以降の展開は中々しっかりしたもので引き込まれた。劇団の雰囲気は、家族的で温かいのではないかと類推したが、会場でのアンケに書いたような点(カメラの構え方、紙焼きの扱い方など神の宿る細かい部分への役作りとダメ出しについて)は改めて欲しい。
 
ゆとりアルバイター山田くん

ゆとりアルバイター山田くん

劇団おおたけ産業

RAFT(東京都)

2018/06/15 (金) ~ 2018/06/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

 所謂ゆとり世代と所謂団塊の世代ジュニアの相克話であるが、(追記2018.6.18)

ネタバレBOX

他にサトリ世代や団塊世代も何気に包含されており、遠く離れた歴史とは思わないが、何故、こんなにラップが選挙演説にピッタリなのか? 不平をいうのにピッタリなのは、その発生からもあきらかであるが、実演されてあまりに嵌っているので、ホントに驚かされた!? 
 まあ、実質完全植民地なのに、宗主国にスリスリして喜んでいる連中が多いのだから、選挙など茶番である。そのことに異を唱えるということが、ゆとり世代からのメッセージだとすれば、ラップが此処までピッタリくるのは、当然なのかも知れないが。
 何れにせよ、コンビニ店員達の仕事状況を描くことで、日本の現状を炙り出し笑いに紛れさせながら、とても大切なことを訴え掛けてくる今作、大いに楽しめる。
 役者さん達の演技も良い。
作品内容
 24時間営業のコンビニ。人手不足で店長は、17時間労働などが結構あり、へとへとの状況、そこで新たに募集を掛けた。応募して来たのはまともな履歴書も提出せず、而も履歴書を封筒にも入れず折り畳んでポケットから出し、面接に遅れて事前連絡もしなかった山田くん。
 だが、疲れ切っていた店長は彼を採用した。然し、採用後も彼の遅刻癖は直らず、言葉遣いも良くない。当日のシフトキャンセルや、その為の嘘等が重なり終に堪忍袋の緒を切らした店長は、解雇を申し渡す。だが、24時間営業のコンビニを営業し続けるのは体力的にキツイ。おまけにずっと働いてくれていた女性が結婚の為に退職した。そんなこんなが重なって青息吐息の所へ、未精算の給料を受け取りに山田君が来店したのは1か月後、彼が定職につかなかったのは、小劇場演劇の役者として一旗揚げるべく上京してきたからだったが、諦めて実家へ帰るという。この店に迷惑を掛けた理由も説明した。
それによると他にも仕事をし、睡眠不足やオーバーワークになっても安い時給で生活は苦しく、稽古時間を取る為に借金を重ねた結果、返済に追われ、芝居に総てを賭けるような生活ができなり、遂には夢を諦めざるを得なくなったとのことだった。
 事情を素直に説明し、キチンとした詫びを入れた山田くんに、店長は言う。夢を諦めない方が良い、と。その為には彼を再雇用し、チャンと仕事をすれば、時給も上げる、と。山田くんに、再始動のチャンスが与えられて幕。
 今作には、チェーンだフランチャイズだのと大手に旗を振られ、グローバリゼイションの波に揉まれながら悪戦苦闘する中小個人商店などが、傘下に入り、収奪される有様が如実に描かれている。最低賃金しか出せないような劣悪な就労環境の中で、それでもバイトをするしかないような、協調性ばかり仕込まれ起業などの発想に至りつかないか、至っても実現する為のノウハウを獲得し得ないような人々が、それでも夢を追い、四苦八苦している我々自身の似姿が、ゆとり世代VS団塊世代ジュニアの相克を軸に描かれているのだが、この対決にサトリ世代の論理が楔を打ち込むことで、社会の歪を見事に炙り出す構造になっている。ただ、これだけでは、余りにも荒い展開になってしまうから、ゆとり世代ではあっても、ただ、生活する為に淡々と仕事をこなすキャラを入れたり、ありがちなパートさんを入れたりすることで、自然な感じを醸し出している。
 一方、新たに選挙戦に打って出た若い女性が、このコンビニのアルバイトの主戦力である淡々と仕事をこなす人物の同級生であることを通じて、ゆとり世代の持つ価値観の新たな可能性を開示して見せてもいる所がミソ。

沼田宏の場合。

沼田宏の場合。

グワィニャオン

シアター1010稽古場1(ミニシアター)(東京都)

2018/06/15 (金) ~ 2018/06/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

 沼田 宏が撥ねられて死んだ。(追記2018.6.26華5つ☆)

ネタバレBOX

 彼が天国へ迎え入れられるか、地獄へ落とされるかは、死者達の園に暮らす12名の陪審員に任された。偶々選ばれた陪審員達は随分個性的だ。その元職は、ヤンキーもヤクザも地獄帰りの人斬りもいる。生きていた時代も様々だ。この他、看護師、教師、作家、革命家、ホステス、ホテルマン、オタク、社長、半死半生(中々明らかにならないのでここでも伏せておく)の12名。評決は全員一致制を採る。
 脚本は、如何にもグワィニャオンの脚本らしく、単に完成度が高いというレベルではない。実に落ち着いたそして説得力のある科白の応酬に満ちたシナリオである。この優れた作風が、科白を極めて自然に観客に届けてくれる。無論、今作の風合いを着実に観客に届ける演出、役者さん達のキャラの立った演技、照明と音響の効果とシンプルだが無駄の無い舞台美術や裏方さん達の活躍があって初めて、これだけ優れた作品が紡ぎ出される。
「明日見た笑顔」「ココロノカタチ」

「明日見た笑顔」「ココロノカタチ」

しみくれ

阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)

2018/06/13 (水) ~ 2018/06/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

[ココロノカタチ]を拝見。追記2018.6.26

ネタバレBOX

 或る意味タイトル通りであり、頗る素直、素直すぎるほどに素直な作品である。だから一般の人には分かりずらい。何故なら一般の人はもの・ことを真っ直ぐ見る術を知らないからである。今作は、真っ直ぐもの・ことを観る人の作だと考える。善悪ではない。唯、バイアスをかけず、見たものをそれとして提示できるだけのノウハウを持っている人が書いた作品だと感じるのであり、それ以上でも以下でも無論ない。
 正解があるという見解も無いという見解も成り立つ作品である。というのもヴァーチャルが現実にどこまで食い込んでいると見るかで判断が変わってくるからである。これは、今作が以下に述べるような認識論に基づいているように思われる点から自分が類推した結果である。即ちこの認識論成立の根拠が、認識することによってしかヒトは何かを意識することさえ出来ない、ということだとすれば、存在を意識出来ない時に存在は無いと判断されるか、せいぜいが感覚によって捉えられたある種の“分からないXが在るかも知れない”とぼんやり類推することができるのみなのであり、この認識論的根拠は無いことになってしまうだろうからである。
 こんな不可知論に陥りそうな思考を刺激してくれた点が、自分には面白かった。

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