ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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無垢なもの

無垢なもの

ENGISYA THEATER COMPANY

シアター風姿花伝(東京都)

2012/12/28 (金) ~ 2012/12/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

小道具なし
 素の舞台でもたいてい小道具は使う。然し、今公演ではそれも無い。場転は暗転により、佳境に入るまでは、ちょっとした転換でも暗転するので、ややナーバスな感じさえしたが、この演出も徹底すると一つのポリシーとして機能し新鮮でさえある。
 話を元に戻そう。小道具を用いないということは、形態模写だけでリアルを感じさせるだけの力量があって、初めて成立する。それが、できていた。レベルの高い役者陣である。海外で研鑽を積み、事実を透視する視座とそれを身体に定着させるやり方は、流石に舞踏にも踏み込んだ大村 正康ならではの内容である。
 舞台美術も特異でありながら、邪魔にならない。

ネタバレBOX

 キャバ嬢の楓は、ヒットマンを志願した広志の預かりだ。若頭に預けられてしまったのである。然し、広志は、彼女に指一本触れない。一緒に暮らしてきたのに。広志の優しさに好意を抱いている楓は、広志をむざむざ殺されにゆくような危険な目に合わせたくない。なんとか思い留まらせたいのだが、総てに嫌気のさした広志は、決行すべく腹を据えてしまって止められない。明日は、決行という日の前夜、終電車で居眠りをした広志は、終点まで乗り過ごし、自閉症のまさしに会う。偶々、誕生日だったまさしに誘われ、誕生会に出席することになった広志だったが、まさしの妹、童子に好意を持たれてしまう。彼女は、弁護士を目指し法律事務所に勤務している。その彼女が兄の誕生日プレゼントにデイズニーランドのペア券を買ってプレゼントしたが、兄は、そのチケットを広志に与え、妹と一緒にディズニーランドへ行ってくれるように頼む。が、広志はヒットマンとして死ななければならぬ身。断ろうとするが、断り切れずに預かるものの、矢張り、行ってやれぬ、と返しにくる。そして、敵対する組織の幹部らを襲うが。
 それを知った童子は、彼女の瞑い心を表す雨の中で、二人で一緒に行きたいと思っていたチケット、つまりは恋の期待を自ら破り去る。胸の張り裂けるようなシーンである。
 更に、広志が、敵対組織を襲った時、拳銃を取り出すのだが、何も持っていない手に銃が、そのイリュージョンが見えるような演技であった。
 また、楓が、広志に生きていて欲しいと願うシーンで、顔をくしゃくしゃにして表情を創った金城色の演技も素晴らしかった。他にも見どころはたくさんある。全部を明かしてしまったのでは、観劇の醍醐味が薄れよう。
『SHIT AND LOBSTER』

『SHIT AND LOBSTER』

覇天候

明石スタジオ(東京都)

2012/12/26 (水) ~ 2012/12/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

展開図
 面白い。

ネタバレBOX

 性の話である。が、それで終わるはずもない。性は、食欲や睡眠欲と並ぶ我ら生き物の、最も大切な欲望であり、行為だが、この事実を通して戦国時代から現在までの歴史と日本人のアイデンティティーを俎上に載せ、3.11、3.12以降の瞑い世相を励ますエールになっている。
 面白いと同時に、媚びも売らず、独自で骨太のシナリオに沿って、役者陣が奮闘している。
埋める日

埋める日

スポンジ

OFF OFFシアター(東京都)

2012/12/26 (水) ~ 2012/12/30 (日)公演終了

満足度★★★

アンチ ドラマ?
 ドラマツルギーが成立しそうになると、土台から吸い取って箍を外してしまう、というのが、この劇団の”スポンジ”という名の由来なのだろうか? それを意識的にやり続けているのだすれば、もう少し、シャープな批評性を持って欲しい。音響や装置、場転だけで興を削ぐというなら、その向こうに何を見据えているのかが無いと、観客は満足できまい。

このまちのかたち(再演)【多数様のご来場誠にありがとうございました!】

このまちのかたち(再演)【多数様のご来場誠にありがとうございました!】

机上風景

タイニイアリス(東京都)

2012/12/20 (木) ~ 2012/12/23 (日)公演終了

満足度★★★★

被害者
 殆ど裸舞台なので、役者の力量が問われる作りだが、その辺り、被害者の不自由な体んお動きなども、何ができる、というのではなく何ができない、という形で表現できていてインパクトがあった。宮崎方言で科白が語られるのもリアリティーを加える演出で中々効果的であった。

ネタバレBOX

 毒入りカレー事件をベースにした作品だが、真相は不明だという話もある中、事件と噂、メディアの脚色ばかりが喧伝された。その渦中にあって多くの人々は、また日常に戻った。ただ、擬制を強いられた者たちだけが、変わってしまった自分とあり得たであろう未来に引き裂かれながらも必死に生き、愛を育もうとする姿が、印象的だ。
よく聞く

よく聞く

劇団あおきりみかん

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2012/12/21 (金) ~ 2012/12/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

必見の舞台
 ただでさえきらきらしている才能が、深みを獲得している。設定も抜群だ。舞台上には、カウンセリングルームが設けられているが、カウンセラーの机の前の壁には、緑がかった中間色で描かれた抽象画が掛かっている。お椀型の物体が数個描かれているのだが、見ようによっては乳房ともとれる。下手壁面の前には、スライド式のガラス戸が設えられ、レースの白いカーテンが引かれているが、そこには、柔らかい光が射し込み、硝子の向こうには、青空を連想させるような優しい青が感じられる。中央に置かれた応接セットのソファ、座布団、床や壁面の色合いまで、実に調和のとれた、人を安心させる雰囲気を作っている。更に中央奥にも、具象画が1枚。こちらは暖色系の絵だ。上手が、この部屋への出入り口。総てのセットが、物語を先取りし、サポートし、役者や観客と一体になって躍動しているのである。
 無論、脚本、演出、演技、舞台効果、どれをとっても相乗効果が表れる作りになっている。今回、拝見した作品は、心理サスペンスという風合いの作品だが、鹿目 由紀は、心理というものを複合と見ている。これまでの作品でも、彼女はこの問題を孕みつつ仕事をしてきた。自分が、”あおきりみかん”の作品に初めて触れたのは、3年ほど前だが、以降の作品でこの点、彼女にブレは全くない。そのような彼女の本質に根差した心、魂、肉体、身体を持つ主体を、矢張り同じように心、魂、肉体、身体を持つ他者との間にある距離(感)が、恰も人間達を操ってでもいるように作用するのである。舞台上に展開するのは、それ、つまり距離を取り巻く状況との関係で千変万化する人間である。心理学的なサスペンスなので、具体的な筋などは一切、ここでは明かさない。然し、演劇としての完成度の高さは見事という他は無い。更に、隋所に取入れられた笑いや、箍外しを観る楽しみも満載、必見の舞台である。
 劇場への案内やスタッフの対応も頗る感じの良いものであった。

弔いの鐘は祝祭(カーニバル)の如く

弔いの鐘は祝祭(カーニバル)の如く

天幕旅団

劇場MOMO(東京都)

2012/12/20 (木) ~ 2012/12/24 (月)公演終了

満足度★★★

象徴表現
 かなり象徴的な表現を用いた演出であった。だが、この作品は、やはりリアリスティックに作る方がインパクトは強いのではあるまいか。スクルージを改心させる為に現れる霊的存在もそれでこそ、活きてくるのではないだろうか?

【緊急再演】つぎとまります【王子小劇場】

【緊急再演】つぎとまります【王子小劇場】

劇団肋骨蜜柑同好会

王子小劇場(東京都)

2012/12/14 (金) ~ 2012/12/15 (土)公演終了

満足度★★★★★

オデュセイア+銀河鉄道の夜
 属国で現在を生きる若者が喘ぐ閉塞感にも拘わらず、なお踏み止まろうとする覚悟と同時にエスケープへの憧れ、と、殆ど自己投棄を通しての飛躍への意思が、鮮烈である。自らを塵と同一視しても尚、己の内側から芽吹いてくるものから逃げることは出来ない。

ネタバレBOX

作家及び我々が置かれたこのような情況を、フラクタル構造やパラレルワールドを用いて理論化した上で、一旦旅立ったパラレルワールドから、バスという日常の運搬手段を介し、同時にフラクタル構造を介して慣れた世界へ戻る。が、存在の間(はざま)に空いた無限の時空を観客と共通の土壌に立ち得るバスを用いて行き来している所にこの作品の凄さがある。深読みをするならば、これは現在版、オデュセイアである。何となれば、異界と言っても過言ではない程に異なる世界を流離った挙句、オデュセウスが辿り着くのは、妻の枕元。即ちヒトの原初的関係の一様態である。無論、この形には普遍性がある。従ってバラバラで共通項を欠くように思われる「世界」を流離ってはいてもブレが無いのである。小道具の使い方もキチンとしている。今迄の世界に戻った時点でのずれを仕事先部長からの電話で舞台化して見せる手腕、机上に置いた“ぺーちゃん”の存在、フラクタルの象徴として登場していた流しそうめん器の回転音とソーメンをすする音に改めてパラレルワールドの実在に出会って発する「えっ!」の科白が秀逸。
ところで、この作品は、もう一段、深く読み込める要素を持っている。循環バスと言われているバスが、フラクタル空間を行き来しているのであれば、このバスは一体、どの次元でのフラクタル空間を行ったり来たりしているのか? という問題である。或いは、パラレルワールドを。この謎こそ、宮澤 賢治が「銀河鉄道の夜」で提起した時空そのものではないか? 
未だある。この作家は、自分の戻るべき所を心得ている。作品の中で約束事として演じられている垣根をとっぱらうことによって歌舞伎者としての己の位置を現実の劇空間に変えることに成功しているからである。
泳ぐ機関車

泳ぐ機関車

劇団桟敷童子

すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)

2012/12/13 (木) ~ 2012/12/25 (火)公演終了

満足度★★★★

ひまわり
 ラストでハジメが歩き始める時、それ迄ずっと傾け続けていた首を昂然ともたげ、冷たい冬の大気の中を出掛けてゆく姿にこの作品の要が秘められていよう。母の愛したひまわりのように、例え踏みつけられ泥まみれになろうとも、太陽のようにいつでも笑っていようという覚悟が人の心を打つ。

ネタバレBOX

 また劇中、伝統的炭鉱山主の非情と剛毅も描かれたが、本などで読んではいるものの、矢張り隔世の感がある社会へ、もと小頭の民主的資本家が参入することの難しさを描いたというより、矢張り資本家と労働者双方の要素を持った者の内部矛盾の過酷、更には因習と新しい物とのぶつかり合いの凄まじさが彼の生きる環境とその渦中にあって、それをアウフヘーベンするということが如何に困難なことであるかを見せつけられたように思う。また、それ迄蔑ろにされてきた働き手らの新たな価値観に対する過大な期待と裏腹の関係にある過度の失望という変数も考慮せねばなるまい。何れにせよ、その間を縫っていい目を見ようと画策する関係者の利害と欲も絡んで凄まじい迄の人間関係を示唆し得た点が興味深い。それを牽引したものこそ、ハジメら子供の純粋性であったことに、この作品と劇団の傾向が現れていよう。
マペットのクリスマスキャロル

マペットのクリスマスキャロル

巴プロデュース

Route Theater/ルートシアター(東京都)

2012/12/12 (水) ~ 2012/12/16 (日)公演終了

満足度★★★★

素敵なXマスプレゼント
 マペットが初めて用いられたのはセサミストリートに於いてである。教育番組として作られたTV番組であったが、人気を博し、“アベニューQ”というタイトルで劇化されることになった。当然、大人も対象になるので、教育番組より内容的にも複雑で大人びていた。そのように高度化した作品の要請から、マぺティエ自身が人形だけを観客の目に晒していたそれ迄の形式から、文楽のように人形と共に演技をする形に変わったのである。この変化で、より複雑で高度な内容を無理なく表現できるようになったと言えよう。今回の演目はクリスマスキャロルであったが、マペット、マぺティエ、役者が登場しコラボレーションで舞台を作ってゆく。マペットでは顔の表情などを役者の演技ほど上手にこなすことが出来ないとの思いからか、マぺティエが、手指を用いて情況を、或いはメンタリティーを適切且つ雄弁に演じていたことには感心した。

パヴェル=マリア 第7番

パヴェル=マリア 第7番

劇団リベラトリックス

d-倉庫(東京都)

2012/12/14 (金) ~ 2012/12/16 (日)公演終了

満足度★★★★

歴史
 歴史が勝者に都合のいいように書きかえられた記述に過ぎないことは、今更言う迄もあるまいが、滅びていった者達の無念がどうなったかについては、誰しもが心に掛けることではあろう。
 戦争とは、無論戦闘行為も指すが、実際には、ロジスティックや情報戦も大きな位置を占める。それどころか戦闘局面などより遥かに大切な部分である。情報戦は、作戦の立案から、情報攪乱・操作、敵の情報インフラ破壊・分断、真実の隠匿等々、様々な側面を持つ。基本的には、情報を制した者が勝つのだ。裏切りなどは、倫理的問題であるより情報の質の問題である。
 劇中にも二人の優れたまじない師が出てくる。片や、裏切り者として、片や仇を晴らす者として。彼らの立場を現代に置き換えてみるならば、科学者やメディアの人間とでも言えるだろうか。要は知的エリートである。彼らの画策した結果が、何を齎し、人倫は地に落ちるか否かも劇のテーマとして取り入れられており、楽しめる。

「クララ・ジェスフィールド公園で」

「クララ・ジェスフィールド公園で」

メメントC

pit北/区域(東京都)

2012/12/14 (金) ~ 2012/12/16 (日)公演終了

満足度★★★★

力演
 史実に近いのだろう。日本が中国大陸で行った三光政策の残虐非道もきちんと言及されている。日清・日露戦以降、日本は子供が背伸びをするように幼稚な戦争をしてきた。国際連盟での振る舞いを見ても、軍部の独走とそれを許した世相を見てもそれは言える。更に恐るべきは、偶に合理的な意見を出されると愚にもつかない精神論を用いて潰しに掛かる愚かさだ。これが現代になっても一向に変わらないことである。原発推進派の言動を見ればそれらは明らかだろう。
 そんな危機感が演じる側にあったのかも知れない。クララの身辺に起こる様々な事柄を彼女の人間関係を描くことで自然に、而も観客に時代を追体験させるような距離感を以て、描いた、緊迫しつつも芸域の広さをうかがわせる力演であった。
 それにしても裕仁のポツダム宣言受諾時の声明の、何と民衆と遊離していたことか。その背景にある「国体」護持という概念化の何と言うオゾマシサ、馬鹿らしさ。反吐が出る。

クラウド・エンド・オルタナティブ

クラウド・エンド・オルタナティブ

激団リジョロ

タイニイアリス(東京都)

2012/12/13 (木) ~ 2012/12/17 (月)公演終了

満足度★★★★

宙吊りという拷問
 欺瞞や擬制を排し、己の中心性を見出すべく格闘する若い精神とその苦悩を描いた作品と取ることも可能である。若者が日々感じている閉塞感、空虚感を宇宙空間に於ける絶対的な無根拠、即ち居所の無さと捉えた時、彼らの苛立ち、焦燥、耐え難さ、宙吊りになったままの拷問を生きる虚ろな存在感のあやふや。そんな総てが、彼らの精神を襲うのである。幸か不幸か、多くの若者は対処する術を持たない。その結果、前半部では暴力が全面に出てくるのである。

ネタバレBOX

 実際、バスジャックに遭ったバスの乗客は、手の届きそうな所を行く黒い空を見、更にはその向こうにある白い空に近づくのだ。これは無論、ブラックホールとホワイトホールの比喩である。一方、人間の本質を見ようとする時に宇宙ほど適切なものはまたとあるまい。何となれば、今や、我々生命を形作った物質は、宇宙、それも特に小惑星からやってきたと考えられているからだ。つまり生命の故郷は宇宙である。多くの者が、宇宙に興味を持ち、星の話に興味を覚え、懐かしさすら感じるのは、遺伝子に組み込まれた旧い記憶のせいかも知れない。宇宙の歴史やサイズから見れば塵のような存在であるヒトは僅か1500cc程の脳を用いて、宇宙の神秘に挑み、僅かではあってもその生成、姿、各々の関係などを発見し、意味付けようとさえしているのである。
それほど積極的には生きられない者達もいる。彼らのうちのある者は、存在しているという感覚を掴みたいばかりに自らを傷つけることを選び、他の者は、悪を選ぶ。それもこれも、自らの存在にアンカーを打ち込みたいが為だ。従って、これらの行為を頭から悪弊だの、犯罪だのと看做すのは、矢張り早計だと言わねばなるまい。無論、痛ましい犠牲者が出、それが、子供や弱者であるような場合、放置しておくべきではない。然し乍ら、若者達が目指したものが存在の闇でそれをを暴こうとするものであるなら、一考の余地はあろう。確か臨済録に“仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に会うては羅漢を殺し”云々という文句もあったではないか。それほどの事、或いは覚悟をしなければ、有徳の僧でも解脱など及びもつかないのである。そして、実存とは、何も哲学だけの用語ではない。我々の生きる日常そのもの。日々の選択であり、判断であり、その結果責任である。
 ヒトには、宇宙を司る原理と共に社会という名の共同体を維持してゆく為の原則がある。その原則は通常、掟として人々を縛り他者への無責任な対応を禁ずる。従って、これを守ってさえいればヒトは「大して苦労もせず」、他人より多くを分かる必要もなければ、殊更敵対する必要も無い。これらを真に必要とし、真剣に考え解決策を練るのは、常に道を踏み外した者である。それも己の快楽の為に他人を殺すようなことではなく、事故に巻き込んで他人を死なせてしまったとか、弱い者を助ける為に暴力をふるったが、打ち所が悪く相手が死んでしまったとか言う者は尚更である。一方、相手の家族にとっては、自分の親族を奪った者として、意図的であろうと事故であろうと関わりが無い、との立場を摂ることも可能なのである。
シニシズムを以て世界を断ずるか或いは想像力的に世界を捉えるかによって見解は変わってこよう。どちらがより豊かで実感が伴い、納得できる人生たり得るかへの問いでもある。
生きてるうちが華なのよ。

生きてるうちが華なのよ。

グワィニャオン

萬劇場(東京都)

2012/12/12 (水) ~ 2012/12/16 (日)公演終了

満足度★★★★

面白い
  劇場内の案内などにゾンビメイクの役者が立っていて、インパクトがあった。小粋な演出ではないか。芝居は、二場に別れて途中休憩が7分。実は、この7分には訳がある。訳は会場へ行ってのお楽しみだ。
 今回は、3団体のコラボレーションであるが、息も合い単なるコメディではなく、作品に人間の、或いは人間関係の深さを投影することで浅薄な物にならず、かといって湿ったりもせず、良い按配の作品に仕上がっている。実際、笑いあり、涙あり。楽しめる。

Knight of the Peach

Knight of the Peach

劇団パラノワール(旧Voyantroupe)

サンモールスタジオ(東京都)

2012/12/05 (水) ~ 2012/12/09 (日)公演終了

満足度★★★★

童話と真
“正と邪”の2バージョンがあって、パラレルワールドになっているとのことだが、自分が観たのは“正”バージョンであった。
痛い生き方をしてきた者の面目躍如。一見残虐そうに見えて欺瞞を排し、却って温かい人間性を表現し得ている。社会の捉え方も資本が総てを支配するという資本主義の根本を捉えて小気味よい。
 暴力の象徴としてのやくざも資本の奴隷ではある。が、現代やくざは暴力よりは金の湧く泉を見付けるプロであり、悪知恵と暴力を効果的に用いる技術も持ち合わせているようである。この辺りの描写も興味深い。

ネタバレBOX

 更に深読みをするならば、二男による父、兄殺しがあってエディプスコンプレックスはやや複雑な様相を呈し、ヒトから見ると邪そのものであるはずの鬼は、奴隷同様鎖で繋がれて行動の自由すら無い。ヒトを食うより食わされているのである。ただ、そのカニバリスムによってヒトから恐れられると同時に蔑視もされているのは明らかだ。では、人肉を喰らう鬼達を支配しているのは何者か? と問えば御多分にもれぬ資本、政治、メディアである。童話の体裁で中々のアイロニーではないか。
 このアイロニーに満ちた世界構造を見切ったのが、疎外された鬼と不良少年・少女であったことは偶然ではない。痛みを負った者は敏感である。その鋭敏性が、虚飾を剥ぎ、最早人間的で素朴な悪ではなく、システム化された関係の悪の本質を嗅ぎ取ったのである。このような世界に働く力学は個人の持つ肉体的延長の域を否応なく超越している。その悪辣をこそ描いているのがこの作品だ、との解釈もできるほどだ。
 作家は余り深い意味も考えずにこの作品を書いた、と言う。それが、本当であれば、作家の鋭敏な感性は、以上のような現代の異常をこそ嗅ぎ取っていると言わねばなるまい。
 役者陣の体当たりな演技にも好感を持った。 
ゆめとあくま

ゆめとあくま

劇団 四葉のクローバー

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2012/12/06 (木) ~ 2012/12/09 (日)公演終了

満足度★★★★

志や良し
 現代の若者たちの寄る辺なさを表現している。(以下ネタバレにて)

ネタバレBOX

 少し驚かされたのが、本を読まなくなったと言われている若者が、ダンテの「神曲」を読んでいたことである。この作品は、神曲を孕みつつ、その観念を展開しているのである。尤も、未だ未消化を感じさせる点はあり、観念に振り回される点が無かったわけではないが、「高い」概念と格闘しようとする姿勢は評価できる。
 殊に神自身の罪を問うたことには、現在、この国に生きる若者たちの寄る辺なさが如何に深刻であり、悩み抜いているかを如実に示していよう。
 更に、論理の意味する処を深め、論理の切れを磨いて、出演する役者のキャラが、それぞれに立ちあがるような舞台を目指して欲しい。
さぶ

さぶ

劇団俳小

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2012/12/05 (水) ~ 2012/12/09 (日)公演終了

満足度★★★★

手堅さ
 終盤、畳み込むような追い込みで緊張感を増した上、思い掛けない真犯人にシナリオと演出の良さを感じたが、無論これだけでは終わらない。真犯人の告白を聞いて許し、却って寄せ場へ送られたことを感謝する辺りの収め方、何事にも間に合わない‘さぶ’の帰宅タイミングを間の悪さで笑わせて観客を送りだす所等も、流石に王道を弁えているのだが、このような職人芸が安定感を齎してしまった。芝居は、スリリングであって欲しい。

『宇宙みそ汁』『無秩序な小さな水のコメディー』

『宇宙みそ汁』『無秩序な小さな水のコメディー』

燐光群

梅ヶ丘BOX(東京都)

2012/12/05 (水) ~ 2012/12/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

燐光群の社会性
 「宇宙みそ汁」は清中 愛子氏の自家製手作り詩集「宮の前キャンプからの報告」、その前後の作品、拾遺と手記、坂手氏へのメール等を坂手氏が演出家として構成した作品である。基本的にはポエティックラングで書かれているテキストを複数の役者が、同時に発声し、詩行に合った所作を織り交ぜながら進行してゆく。そのややアップテンポなリズム感と微妙なハーモニーが美しい。
 「無秩序な水のコメディー」は、フランスで催されたフェスティバル、括りのキャッチフレーズとして用いられたようである。ただ、フランスでコメディと言う時、喜劇ばかりを指す訳ではないことも知っておいて損は無い。トラジェディーに対しては確かに日本で言う喜劇に近いが、コメディーということばは、演劇総てを指すことばとしても用いられる。別の言い方をすれば、悲劇は、悲劇の当事者によって書かれるのではなく、その周辺に居る者によって書かれ、喜劇は、悲劇の当事者が生き延びる為に自らを嗤いの種として書く傾向はあるかも知れない。
 何れにしろ、「入り海のクジラ」「じらいくじら」は共に海を汚染した二本足の、生態系への誤魔化しようの無い深刻な犯罪と、それだけの罪を犯しながら更なる愚行に走る二本足の「知恵」を告発して止まない。「利き水」も人災3.12を静かに、然し鋭く告発する優れた短編である。

桃中の侍〜壬申の変

桃中の侍〜壬申の変

演劇サムライナンバーナイン

劇場MOMO(東京都)

2012/11/28 (水) ~ 2012/12/02 (日)公演終了

満足度★★★

男・男 女・女 ミックス
 ショートプログラムのキャスティングとしては、男性グループ、女性グループ、混成グループの3パターンがあったのだが、それぞれの作品で、~らしさが見られたことは興味深い。一方、シナリオの発想には、もう一工夫欲しい。

ケイコ

ケイコ

劇団→ヤコウバス

戸野廣浩司記念劇場(東京都)

2012/12/01 (土) ~ 2012/12/02 (日)公演終了

満足度★★★★


 10分ほど遅れてしまった。コヘイジの女房の名がケイコなのとコヘイジが稽古熱心なこととは、当然、掛け言葉になっているのだが、コヘイジの友人、タクロウの絡み方が面白い。上演時間1時間20分ほどの短めの作品だが、いくつもの仕掛けが施されていて、観客のグレードによっていくらでも楽しい観方ができる作品である。以下、ネタバレで、いくつかその仕掛けを見ておこう。

ネタバレBOX

 タクロウは、コヘイジの友人なのだが、女房のケイコにホの字である。それで、隙あればコヘイジを寝取られ亭主にしてやろうと虎視眈々。偶々、コヘイジに幽霊役をやったらと提案、真に受けたコヘイジが大当たりをとって、女房にも感謝されると、巡業に出た旅先で花見に誘い殺してしまう。そのまま、素知らぬ顔で帰ってきた後、コヘイジの死にまつわる嘘をでっちあげるが、死んだはずのコヘイジは、ここで稽古をすると落ち着く、というお気に入りの稽古場、押入れからぬっと姿を現す。腰を抜かさんばかりに驚き、恐れをなしたタクロウだったが、コヘイジは、まだ、稽古に夢中で死んだそぶりなど更々見せない。只、透明な霊に優るような演技を目指して稽古に励み、女房と入り浸りになったタクロウに、自分を無視して日々を過ごしてくれ、と頼む。
 だが、この前に、コヘイジは、タクロウに殺されていた。巡業公演で、出掛けた際、花見に行った先で事件は起こったのだが、その時に大きな雨が降る。そればかりか、コヘイジの死にまつわる部分では必ず雨音が聞こえるのである。観客は、このことによって、既に死んでいる、幽霊・コヘイジが、幽霊を演じ、且つ、目の前で自分の女房が、他人に抱かれる姿を見て、何にもできないことを嘆かなければならない姿を見るのである。痛烈ではないか? 雨が、時空を超えるきっかけの役を果たしているのだ。
元禄ヨシワラ心中

元禄ヨシワラ心中

「元禄ヨシワラ心中」製作委員会

SPACE107(東京都)

2012/11/27 (火) ~ 2012/12/02 (日)公演終了

満足度★★★★

忘八
 恥ずかしながら日本の古語には知識が無いのだが、今日の舞台で忘八(ぼうはち)ということばを知った。劇中、吉原の楼主が科白で説明してくれたのだが、楼主などをやれば仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌の八徳を失くす、それで楼主のことをこう呼ぶ、と説明していたが、ちょっと特殊な言葉の説明は随所にあり、三味の音も良い味を出していた。筋立て、演技、演出も楽しめたのだが、いかんせん、観劇しにくい劇場である。吉祥寺シアターのような段差のある観客席であったら、もっとずっと楽しめたであろうに。観客のなかにも、レベルの低いのが、普段あちこちで観劇する時より、多かった、という印象を持った。

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