女の作るものなんてダメだね
みどり人
パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)
2013/07/25 (木) ~ 2013/07/30 (火)公演終了
満足度★★★
黒の舟唄アナザーバージョン
彼の言った言葉に深く傷つけられた彼女は、彼を置いて、旅に出てしまう。男と女を捉え直してみようとの旅である。
ネタバレBOX
但し、それは、東京で暮らす妹の様子を母に依頼されて見に行く、という体裁をとる。然し、母は、妹にも姉の事情を伝え、それとなく復縁をサポートさせていた。
男女を比べても始まらないと思う。そもそも染色体が異なるから性差ができたのであるから、性が決定されて以降は、同じ土俵に上ることはできない。これが、厳密に言った時の結果だろう。従って、議論をしても平行線に終わるだけである。然し、発生学的には、ヒトの胚は、ある時期まで総て女の特徴を持つ。性決定遺伝子が発現して、男と定まると、母体内で胎児は一種のオペレーションを受ける。その事によって、男になるのである。従って“男は男に生まれない、男になるのだ”というのが、ボーボワールには悪いが、発生学的事実である。つまり、生物学的にヒトを見る場合、プロトタイプは、女である。
性差が定まって以降、男のどちらかというと単調な体に対して、女の体は、その遷移の変容の多様性に於いて、男を遥かに凌ぐ。社会的役割にしても、男が、未だに父権の延長上にしか居ないのに対して、女は、処女からロストバージンを経て、妊娠、出産、育児、母、妻、キャリアウーマン等々、一人でたくさんの役割・側面を持つ一種のSE(システムエンジニア)だと言って良かろう。一見、受け身に見える、現代の女性達の在り様が、仮に本当に受け身を余儀なくされているとしても、それは、男より強いからである。腕力などの力ではない。生物としての柔軟な適応性こそが生き残りの条件であるとき、どちらが、生物として優れているかは、言うまでも無かろう。
タイトルにある言葉を投げつけられたショックで紡がれた作品ではあるが、以上のような考察を誘ったことによって、答えは、逆転の方向性さえ見せているのではないだろうか? だが、互いに苦手なジャンル、或いは、できないことがありつつ、同じ種の♂と♀である。それぞれの得意分野を活かして共存するのが、知恵というものであろう。
『聯綿(レンメン)』ご来場ありがとうございました。
演劇ユニットG.com
王子小劇場(東京都)
2013/07/24 (水) ~ 2013/07/28 (日)公演終了
満足度★★★★★
黒の舟唄
男は不老不死、進化しないが退化もしない。昨日のような明日を永遠に生きていた。眼下に拡がる森を管理して。森の何たるかを知らず、森の内実を知らずに。
一方、女は独自に進化し単性生殖するようになっていた。森の子を孕み、口から出産するとその生を終えるのであった。森には、女達の他にアメフラシが住んでいた。彼らは、雨を伴って現れ、2進法によって組みたてられた言語を話した。女達の中で、母と呼ばれる者は、不思議な力を持つ杖を持ち、時折、アメフラシ達を内破していた。無論、母は、最長老でもあり、娘達の知らない管理所のこと、男という生き物についての知識も持っておりそれ故にこそ、崖下へ行くことを娘達に禁じていたのだが。
ネタバレBOX
新たに生まれた娘は、ヒトデナシと呼ばれる片輪者であった。両足の付け根に裂け目があったのである。母は、この子を間引こうとするが、末娘が強行に反対したので思い止まり、育てる事を許すが。
ヒトデナシの成長は早く、いつの間にか育ててくれたチブサより背も伸び、美しい娘に成長していた。
そんな折も折、管理室の男達は、森へ降りる決心をする。1億年ぶりに森に入った男達は、自分達と同じ言葉を操る不思議な生き物に出会い、不思議なときめきを覚える。男達に出会った女達も、矢張り、未知の動揺に囚われていた。互いに何者かを知らないまま、心を騒がす何物かに翻弄されたのである。
然し、娘達には口喧しい母が居て、心ときめかす新たな発見物が知れたら、何を言われるか知れたものでない、と判断した娘達は、母の禁じた崖下へ出掛ける。そこは、達言ってはいけない、と言われていたエリアなので母も絶対に行かない、との判断である。
然し、隠された男達は、母に見付かってしまい。彼らは、崖の上の住居に帰されてしまう。然し、一旦、燃え上がった心の炎を消すことが出来ない男達は、再度、森へ出掛けてゆく。そして、互いに惹かれあった者の下へ走る。だが、合体できたのは、ヒトデナシカップル1組だけであった。他の女達には合体に必要な器官が欠けていたのである。
そこへ、又しても母が現れ、娘達を森へ戻そうとする。然し、ヒトデナシは、強行に抵抗し、母の杖で攻撃されそうになるが、アメフラシ達に助けられ、逆に母を襲わせて、男と共に、管理棟に引き上げる。
やがて男の子を産み、幸せに暮らしているが、車椅子に乗せられ、姉に押された母が、姉達と一緒に訪ねて来る。姉達は、到着すると直ぐ、近所のモールへ出掛けてしまい、ヒトデナシと母だけが残るが、母が、彼女が森から出て行った時の話を蒸し返すと互いの間に気まずい空気が流れ、何処からともなく現れたアメフラシ達に、母は車椅子ごと運び去られてしまう。
ラストシーンでは、男が、裸足で岩の上に腰かけ、ダイヤモンドを眼下に広がる街に投げている。
G.COMらしい謎に満ちた作品だが、テーマは単純だ。然し、場面内容に合わせた適確な照明、効果的な音響、舞台美術の合理性、演出の手際、演技力の高さが複合的に絡み合い、作品に深い奥行きを与えている。最終場面の展開は、解釈が様々に分かれるであろう。別に、解釈を統一する必要など無い。それは、作家も望む所ではないと考える。
役者陣の演技力の高さは先にも述べたが、ヒトデナシを演じた佐藤 晃子の各場面での表情の作り方、体当たりの演技が特に印象に残った。
誰かが誰かを愛してる
パンドラの匣
銀座みゆき館劇場(東京都)
2013/07/24 (水) ~ 2013/07/29 (月)公演終了
満足度★★★
いまどきの浮気
浜名湖サービスエリアで起こる、男と女の三角、錯覚関係を描いたコメディー。
ネタバレBOX
携帯電話、スマホを用いた出会い系サイトを利用した浮気話の背景にある介護疲れによる妻の孤独など社会的問題もさりげなく挿入されていて男女間の愛とは何か? 夫婦とは何かなどシリアスな問題に対する解も試みられる。
終盤、一挙に畳みかけるように諸問題が集約され処理されてゆく展開は心地よいのだが、前半、中盤迄、小さな山を幾つも織り込んで行くテクニックに欠けるように感じたのは残念。結果、ダラダラ続く感じになってしまった。演出は、個々の役者の個性をもう少し上手く引き出し、役者自身の裁量をもっと増やしても良かったのではあるまいか? 結構、ベテラン俳優もいるのではあるまいか? スタニスラフスキーの演劇論などもチラッと出てくるわけだし役者個々人の生きて来た内実の滲みでるような演技をこそ作り上げて欲しかった。殊に、序盤、演技に不自然さが見られた。
嘘をついた下北沢
ひらさわひさよし&フルタジュン プロデュース
シアター711(東京都)
2013/07/24 (水) ~ 2013/07/28 (日)公演終了
満足度★★★
ご当地ものをよくぞこれだけ面白く。楽しめるよ
1人の女が想像した下北沢が実在の街のように機能してしまった。住民は、そこで恋をし、スナックに出掛け、日々の憂さを晴らしている。本当の下北沢と異なる所は、そこがやや古い街の形だということだけである。従ってここには、開かずの踏切があり、スズナリ横には、映画館が。
ネタバレBOX
ところが、この街をイメージした女は、心変わりしてしまって最早、古い下北沢を残す必要を感じなくなっていた。たった一つの心残りを除いて。街が消えれば、そこで暮らす住人達も消滅する。想像の下北沢に何故、様々な住人が住むようになったのかは謎だが、現に住み、生活をしている個々人が居ることは確かである。そこで住民達有志が集まって何とか脱出する方法を掴むが。第一次住民脱出計画はあえなく失敗。有志は、次善の策を練るが。女がどんどん忘れていってしまうので街区はどんどん消滅していく。
そのような情況だからこそ、元気を奮い起そうと再度、プロジェクトを立ち上げた! 街も其処に住んでいる自分達も、女の忘却で消滅する危機に瀕し、有志達の動きは、彼らの行動の原点は? 女の心残りとは?
まだ開始早々なので、ネタバレも此処まで。楽しめる。ある程度、力のあるグループなので、宿題を課してして星は3つ。演劇の本質は相当掴んでいるのだが今一つ、論理の詰めにネグレクトがみられる。その点ともきちんと勝負して新たな作品に向かって欲しい。
虚人の世界
公益社団法人日本劇団協議会
劇場MOMO(東京都)
2013/07/19 (金) ~ 2013/07/28 (日)公演終了
満足度★★★★★
その嘘 ホント?
異形の者たちって、みんな評するけどホントウ?
ネタバレBOX
通常の世界に至る為に、虚数空間やウロボロス、メビウスの輪を潜り抜けなければならぬほど、我らの住む現世は狂っている、という作品ととる方が面白そうである。
仮にこう捉えるならば、この世界の捩れを透かして、その本質を見る為には、異界に自ら身を浸さねばならぬということだろう。異質性を自家薬籠中のものとするか、皆が当たり前に持っている物を欠く事によって、獲得されるものをベースとした時、初めて人は外連やバイアス無しに世界の実相に迫ることができるのではないか? ということでもある。因みに世界がこれ程迄に狂ってしまった原因は、力によって道理が押さえ込まれ、道理の悉くが、圧殺され、封殺されてしまったからである。代わりに蔓延したのが、嘘と偽物である。その嘘は、限りなく本当に近い嘘、肝心な「所だけが、力ある者達に都合の良いように改変された嘘であるから、それを射抜くことは、相当の困難を伴う。
我々の人生にした所で、各人の生きる目的は、自己自身を最大限実現することであると定義するなら、そして、生きるとは、それを最も効率的に実現する為に戦うことだと規定するのであれば、それ以外の行為は、己の内で余計な事、余計な部分であると言わねばなるまい。そんなこと、部分の為に己の時間と資力、労力を用いるなら、謂わば生きながら(・・・・・)の(・)死(・)を生きていると言わねばなるまい。
無論、それが、戦略・戦術の一環として規定されている場合、それなりの合理性は持つであろうが。だが、それが、実行されないまま、その生を終えるのであれば、その志を継ぐ者が誰一人居ないのであれば、その人生に意味は成立するのか? という問いが可能である。
然し、この作品が、真に目指しているものが、それだと言えるだろうか? 言えるだろう。主人公自身が「虚人とは私だ」と時に、会社などの社会組織として機能していたはずの擬制が、内破して崩れ、街は正常に復し、彼らは、其処に戻って行こうとしているのだから。
蛇足ながら、虚人たちを内破する為の悪口に「蛆」という表現が無かったのが面白い。言う迄もなく、ベルゼゼブは、サタンの副官、蝿の王であるが、その幼生が、死者に湧く蛆であり、生きながら死んでいる存在が虚人であるなら、この蔑称こそ相応しかろうに。
「天使ちゃん(仮)」
望創族
ワーサルシアター(東京都)
2013/07/18 (木) ~ 2013/07/24 (水)公演終了
満足度★★★★
義理、度量、情け
天使長の次男、ブラッドは、消滅の危機に立たされている。天国へ導いてやるべき魂を一度も導けた験が無かったからである。そこで、天使長は宿題を出す。死期が近い人間の願いを聞きそれが、実現できるように手助けすることだ。但し、天使としての力は使えない。失敗すれば消滅である。父は、水面に人界が映し出される井戸を覘かせ、手助けすべき人間を示し出発を命じた。
ネタバレBOX
着いたのは、轟一座の興行小屋だ。貧乏一座で、いつ潰れるか分からないような芸人一座ではあるが、二代目座長は、女とはいえ情に厚く気風の良い姉御である。ブラッドは、座長から多くのことを学ぶが、殊にそれ迄の仕事では失敗を恐れるあまり、只、魂を導くことだけを考えて、実際の魂に寄り添うことが無かった点に気付き、また失敗したら、他の自分にできることを精一杯やれば良いということを学ぶ。
作品成巧の最大の理由が、芝居小屋を物語展開の場にしたことだろう。言う迄もなく芝居は人生の縮図だ。そして芝居小屋は人生が展開する舞台だ。
ブラッドがそこで学んだこと。それは仁義と情け、成巧と失敗の中で情を通じ人の念を実現してゆく術。これらを学ぶことよって己が気付かずに築いていた壁を超えた。その時、彼は己の役割を自覚し、関係の中で立ち位置を決めて動くことができた。座長役の啖呵の切れが良い。やや、プリミティブな作りだが、そのことが逆に、義理や人情の生きていた時代を彷彿とさせ、舞台の持つ力を示してみせた。
サブプロットとの噛み合わせも悪くない。
Moonlight Rambler
トウキョウ演劇倶楽部(活動終了)
俳優座劇場(東京都)
2013/07/19 (金) ~ 2013/07/22 (月)公演終了
満足度★★★★
前回より大分進歩
導入部、三日月の浮かぶ空を背景にデュパンの推理力に関する対話が為されるが、このシーン、「緋色の研究」でシャーロック・ホームズとワトソンとの出会いを彷彿とさせる。但し、「緋色の研究」ほど徹底してデュパンの推理力を言語化しているわけでは無い。その代わり、月が、それを代弁している。
ネタバレBOX
三日月の意味する所は成長、活発さや旺盛な好奇心の象徴である。月は、無論、形を変えてゆく。そして、その各々の形に象徴的な意味がある。ラストやや黄味がかったスーパームーンが強調されるが、犯人と目され、国際的に追われるレオナルドがその無実を明かされ、親友道化師、ベルナールの仕掛けた罠や恋人親子の殺害にも拘わらず、ブルームーンからの変化で、小さい頃生き別れになった兄、デュパンとの再会を通して人の温かさへの希望を込めようとしたと読める。因みに満月の象徴しているものは、達成、成就だ。 劇中、月の変容と音響、照明が交感し合う流れも楽しんで欲しい。それらが、アクションと共にこの作品のアトモスフィアを作り出しているからである。
演出面での、アトモスフィア作りを無視してしまうと、作品の持っている雰囲気が理解できず、退屈に感じるだろうが、この情緒を愉しむことができれば、「モルグ街の殺人」を下敷きにしていることは、さほど不自然とは感じないで済むのではなかろうか。
冒頭、パリでのアクションシーンが展開する。宝石店を襲った直後の犯人達にデュパンが遭遇するシーンだ。が、この時、パリ警視庁が介入し、デュパンを拘束した為、主犯には逃げられてしまう。以来、デュパンと介入時指揮を執っていたランス警部とは仲が悪い。
物語の中心は、東京で展開する。パリで宝石を奪ったピエロ姿の主犯が逃れ、マカオで現金強奪、その後、東京にピエロスタイルの殺人犯が現れるに及んだことから、東京に犯人が飛んだと判断したフランスから警視総監に依頼されたデュパンとランス警部が、インターポールとして出向いて来た。日本側との共同捜査で真犯人の目ぼしはついたが、真犯人は、レオナルドを罠にかけ真犯人に仕立て上げていた。
犯罪捜査の過程で、マカオの現金強奪はリーとベルナールの仕組んだ自作自演と判明、親子殺人と犯人デッチ上げの動機は、ベルナールが、マカオの犯罪組織ボス、リーにレオナルドを引き合わせて以来、リーに強烈な片想を抱かせるに至ったレオナルドへの嫉妬であった。
アクションシーンで活躍するアクター達は、アクションのプロチームなので、動きは頗る良い。主役には、もう少しアクションの訓練を積んで欲しい所である。
脚本は、前回より大分進歩した。前回の不手際を多くの点で改善している。更なる発展を望む。
そこで、王たちはいなくなった
劇団回転磁石
北池袋 新生館シアター(東京都)
2013/07/19 (金) ~ 2013/07/21 (日)公演終了
満足度★★★★★
面白く爽やか
シナリオは重すぎず、軽過ぎず、演劇的手法を良く弁えた作りになっていて、センスの良さを感じた。箍の外し方も飛んでいて良い。ギャグが、キチンと機能するのは、その斬新なセンスと意表を衝く発想だ。そうして箍を外した所へ見えるものと見えないものの相補関係を持ち込んでくるので、観客はそれをすんなり受け入れてしまうのだ。その辺りの上手さも、軽めのノリにプロットを重層化させる手腕も、展開の妙を醸し出し、楽しい中にも爽やかな舞台になった。キャスティングも良い。紅一点の山本 あんなの可愛らしいこと。男性陣も、皆爽やかな好青年である。
これからも、様々なこと、方法に挑み続けて欲しい。
小さい つ が消えた日
ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ
六行会ホール(東京都)
2013/07/18 (木) ~ 2013/07/20 (土)公演終了
満足度★★★★
大人の望む子供 と 実際の子供
子供の感性に配慮した作品。
ネタバレBOX
“っ”は小さく、それ自体では発音されない為、五十音村の仲間達から馬鹿にされ傷ついて家出をしてしまう。最初は、初めて出会う外界を怖く思ったりもしたが、言葉を持たない星や太陽、海や空と出会って、“言葉そのもの”にはなれないと悩んでいる自分にも居場所はあり、自分は、宙から来たのかも知れないと幻想を抱くに及んで、漸く、心に安定の兆しを見せる。
一方、“っ”を失った五十音村では、言葉が崩壊しかかっていた。人間界も同様である。弁護士に相談に来た者と、弁護士の会話で、「訴える」が「歌える」になってしまうなどの混乱が生じていたのである。このままでは、五十音は、人間から見捨てられ、他の表現手段にとって代わられる、との危機感から、父である大きな“つ”のみならず村総出で小さな“っ”捜索が始まるが、杳として行方は知れない。村の皆は、苛立ち、互いに彼を追い出すに至った罪をなすりつけ合ったりして争うが、長老の提言で、人間の手を借りることによって、彼にメセージを送ることになった。幸い、そのメッセージに応えて、彼は帰村することになった。それを祝い、皆の骨休みも兼ねて、村総出で温泉へ保養に出掛けることになった。その日、人の世界は丸一日、静かであった。
ストーリー、主張がしっかりしており、メインストリーム、サブストリームの連携も良いので、子供にも分かりやすく楽しい作品に仕上がっていたが、更に子供を熱狂させるには、矢張り、大人たちの常識に囚われないナンセンスや不可解性を導入してみても面白かろう。例えば、「不思議の国のアリス」や「銀河鉄道の夜」などのような。
番外公演 トラベリンマン
立体再生ロロネッツ
明石スタジオ(東京都)
2013/07/18 (木) ~ 2013/07/21 (日)公演終了
満足度★★
う~~~~~む
リストラに纏わる有象無象を描いた作品。
ネタバレBOX
然し、舞台上のキャラクターは人間ではなく、猫と狐。それも後になって狐に憑かれた人間と化け猫ということになっているのだが、何故、狐憑きと化け猫なのか? 必然性が全然ないばかりか、役者陣の工夫や間の外し方で笑いが生まれる以外は、シナリオ自体の独自な笑いも無い。極めて陳腐なシナリオである。不必要に、登場キャラクターを人間以外のものに替えていることもあって、表層レベルでリアリティーを喪失し、寓意は考えてもいないことが明らかな浅い思考を露呈させ、只、退屈であった。
付きまとう褐色
演劇チーム 渋谷ハチ公前
SPACE107(東京都)
2013/07/17 (水) ~ 2013/07/21 (日)公演終了
満足度★★★
受け身のアリバイ
主張がハッキリせず、流される人々のアリバイ作りを目指したような作品。出吐けの被り、閉じた会話回路でその辺りのアンニュイを描いているととる事はできようが、自分には合わなかった。
ネタバレBOX
町工場に勤める男兄弟4人と、隣家の亭主に逃げられた若妻、その売春相手、兄弟の幼馴染の大家、同じく幼馴染のおかま、矢張り幼馴染で兄弟の誰かと結婚しようと決めている押しかけ女房志願の娘と、フラッシュバックシーンでの亡き父と兄弟の間に繰り広げられる、性衝動を中心とした行為と付随する諸々の情況、世間体との有象無象を描く。タイトルに含まれる褐色が何を意味したいのか、ハッキリは分からない。長男が刺した売春相手の男の乾いた血ととる事はできるかも知れないが、単に、作家の個人的イメージでしかないような気がする。
何より、登場人物の誰一人として、自らの宿命に積極的にチャレンジしようとしない点で特異な作品であるとは言えよう。そこにしびれる観客にはお勧めである。
ジュリアス・シーザー
華のん企画
あうるすぽっと(東京都)
2013/07/11 (木) ~ 2013/07/16 (火)公演終了
満足度★★★★★
演出の冴え
舞台は殆ど裸だが、木製の椅子とテーブルが上手く活用され、色調もベースの黒に馴染む抑えた色で舞台に溶け込み、一切の演技を邪魔しない。役者陣の「群演」もバランスの取れた質の高いものであった。
子供のためのシェイクスピアと銘打たれているのだが、こんなに質の高い舞台を生で観ることは、子供達の将来の為にも非常に有意義だと思われる。質の高い舞台を提供しているこのチームの良心を感じる。また、観た時、直ぐにそれと分かる必要など無論ないので、子供向けの味付けは現行のもので充分だろう。1度観れば、子供の頭には、結構記憶は残っているものだ。その記憶を想起すれば分からなかったものも分かる時が来る。
舞台美術、音響、照明も適確で内容に合ったもので演者達の陰影をより深く、適確に観客の心に定着させるものであった。役者陣の演技力の高さ、演出の切れ、展開の上手さ、総合力など、どれもレベルの高いものでありながら、スッキリして分かりやすく而も風格のある舞台であった。
限界ベイベェ!
ヒミツキチ110階
阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)
2013/07/11 (木) ~ 2013/07/15 (月)公演終了
満足度★★★★
アイドル
28歳でアイドル路線を走る花山 ミュウ。歌、踊り、ベシャリ何をとっても、デビュー時より落ちているとファンクラブ会長にすら言われてしまう彼女だが、だからこそ、その頑張りは、周りの人々を元気づける。
ネタバレBOX
名プロデューサーに見出され芸能界に入ったことがきっかけで勘当された彼女を、病身の身ではありながら見捨てなかった彼のおかげで、なんとか現役でいられる彼女だったが、現在、彼女をプロデュースするのはスカウトしたプロデューサーの息子。マネージャーは、もとミュ-ジッシャンで、彼女よりも音楽シーンでは実績があった男だが、一所懸命なミュウの魅力にほだされて現在では、マネージャーに徹している。
それでも、28歳という年齢は、アイドルとしてはとっくにの薹の立った年である。而も、彼女の夢は、武道館でライブをやることなのだ。己の夢を掛けた彼女は、視聴率アップを狙う現在のプロデューサーと武道館出場を賭けて北海道の100Kmマラソンにチャレンジする。12時間以内にゴールできたら、武道館行き決定、但し、できなければ芸能界引退という勝負だ。
結論から言うと、演劇的には、ゴール時点で幕というのが、正解だと思う。その後は、余りにリアリティーを損なってしまうと考えるのだ。その辺り、荒さがあるが、旗揚げ公演で観客に感動を与えたのも事実。それは役者陣の熱演とひたむきを追及したシナリオであった。
白夜
劇団演奏舞台
演奏舞台アトリエ・九段下GEKIBA(東京都)
2013/07/12 (金) ~ 2013/07/14 (日)公演終了
満足度★★★★
寺山 初期作品
失踪した妻を訪ね歩く男を描いた寺山修司の若書きが今作のシナリオだが、後に更に深化する韜晦の芽やシュールな感覚への傾き、予めの喪失感など、終生の特質となった寺山の特徴が、その卵の状態や発芽した状態で、隋所に見られる点でも価値ある上演だ。没後30年の今年、寺山の世界は、あちこちで、再演されるであろうが、初期作品を扱った点でも面白い試みである。
ネタバレBOX
若書きとはいえ、メインプロットにサブプロットが輻輳されるような形で重層化しつつ陰影をつけ、深化し、微妙な対比を示しつつ、大団円のどんでん返しに持ち込む基本的な作劇術の骨組みは、矢張り大作家のものと言ってよい。同時に、彼ほどの才能ですら、若いな、と感じる部分があるのも事実。そのニュアンスをきちんと出した演技、演出は好感が持てる。4人の登場人物のうち女中以外は、Wキャストで演じられるが、自分が拝見したのはBバージョンだ。老人役の鈴木 浩二の演技が気に入った。天井ホールから、移ったGEKIBAの空間へは初めて足を運んだが、稠密で自分の好みではある。音響効果も密室的な空間によく響き、濃密な舞台になった。
気になった点がいくつか、女中が、拭き掃除をする際、床を拭いた後で、椅子を拭くなど、作業手順に問題があるように思う。拭き掃除は通常、高い所から低い所へ作業の手が移って行くものだと思う。寺山のシナリオのト書きにそうあるなら仕方が無いが、これは、シナリオを当たって居ないので分からない。
谷繁【リピーター割引はじめました!】
タテヨコ企画
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2013/07/10 (水) ~ 2013/07/15 (月)公演終了
満足度★★★★★
漂う日本人の行方
上演順に喜怒哀楽を表現した以下の短編4本「名付け親」「お巡り」「人の思い出話ほどつまらないものはない」「谷繁」を一挙上演する。
ネタバレBOX
各挿話には必ずタニシゲが入って関連をアピールすると同時に、最初、意味不明であったタニシゲは、楽しげに感じられたり、河童や自然を守るキャラクターに感じられたりと、様々なイメージや意味を担って、何者かに為って行く。この構成が巧みである。演出もエッジが効き、気の利いたものである。役者陣は作品に応じてアットホームな雰囲気を出した演技、体当たりの演技、抑えの利いた演技、ちょっとコミカルだが、迫真の演技とバラエティーに富んだ演技で対応し、質も高い。
ところで、谷繁の行きつく先は、楽しげで心安らぐ緑野か、はたまた原子の火に焼かれ滅びる道か? 最終話で見せる谷繁の予知能力に見る限り、彼の予知は正確で示唆に富むが、それを信じて実行するか否かの選択権は、我らに在る。谷繁の言うことを信じなかった竹原の最後は劇場で。
エデン瞬殺
Cui?
新宿眼科画廊(東京都)
2013/07/12 (金) ~ 2013/07/17 (水)公演終了
満足度★★★
分人
要は、平野 啓一郎の言っている分人の発想に近いのだろう。問題は、平野は既に、跳んで着地した現実の基盤から言葉を発しているのに対し、この作のシナリオ担当者は、未だ、エデンに居座っていることだ。結果として、頗る眠い。現実認識のレベルが、少年、少女レベルで幼稚なのが、その原因だ。きちんと目を開いて世界と対峙している若者が、このような現実認識を持つことは不可能である。何となれば、我らを取り巻く環境は、エデン追放以降の社会なのであって、見る前に跳んで安全確実な大地など何処にもないことは明らかだからである。だから、普通に生きてゆきたいと思うなら、誰でも、跳ぶ前に良く観察し、いくつか確認のための実験をし、周りで競合する者たちとの優劣、有利、不利をにらみながらチャレンジするのである。
着地場所は、例えてみれば氷山だ。割れもするし、溶けたり、薄くなったりもする。また、大陸のような安定感は無く、基本的に漂っているだけである。だ
が、こういう場所にしか我らは着地できないように仕向けられているのだ。エリート気取りの人非人から。1960年代に世界で吹き荒れた革命理論は、そのままでは無効であろう。だが、革命以外に、民衆が浮き上がるすべは無い。其処まで踏み込んでの主張なら、分人主張にも大きな意味がある。
ヴェローナの二紳士
ハイリンド
吉祥寺シアター(東京都)
2013/07/08 (月) ~ 2013/07/15 (月)公演終了
満足度★★★★★
爽やかで楽しいシェイクスピア
シェイクスピア20代の作品だが、演劇の基本である対比を言葉によって完全に書き上げており、その才能の凄さを改めて見せつける内容であった。その原文の内容を見事な新訳に移した松岡 和子も、当然、高い評価を受けるべきである。演出の斬新、その覚悟も志の高さも称賛に値する。更に、中心になった四人の役者達の、若々しく爽やかな演技は、観ていて本当に気持ちの良いものであった。殊に、岡本 篤の演技が気に入った。何れにせよ、体当たりの演技で軽やかに力強く、爽やかさを感じさせるほどに純粋に演じていたことに好感を持った。
ネタバレBOX
最後のパイ投げで、目にクリームかパイ生地が入ったようだったが、木下 智恵は大丈夫だっただろうか? 何事もなかったことを祈る。
獏、降る
ハイバネカナタ
小劇場 楽園(東京都)
2013/07/10 (水) ~ 2013/07/15 (月)公演終了
満足度★★★
どうなんだろう
余り纏まりを感じない作りだ。一応、メインストリームは存在する。然し、それが、メインプロットとして、他と画然と隔たっているわけでは無い。領域の辺縁部分が意識されないままに、漫然と取り込まれているような感覚なのだ。
その分、時折、科白にエキセントリックな感覚が紛れ込む。そのちょっとイカレタ感覚の妙に活き活きしている点が、興味深い。シナリオ自体が、泳いでいるような不思議なものなので、演出でこれを適確に配置し直すことは難しい。但し、こういったシナリオそのものが、今、この「国」で起こっている生の情況を映しだしている可能性はある。これから、もう少し観察してみる必要がありそうだ。
NO GOAL 【ご来場ありがとうございました】
青春事情
駅前劇場(東京都)
2013/07/10 (水) ~ 2013/07/14 (日)公演終了
満足度★★★★★
サッカーとSDF
ホームレスのサッカー世界大会の話である。チームの最低構成員数は、控え選手を入れて5名。通常、正選手4名、控え4名の8名で構成されるが、サッカーフィールドも通常の11名参加のフィールドよりかなり狭い為、細かいルールには、異なる部分もある。何れにせよ、ゴールキーパーを除く3名がフィールド上を駆け回ることになる。当然、世界大会会場は、日本以外の場合もあり、海外遠征をすることもあるので、パスポートを取得しなければならず、ホームレスのように多くの事情を抱える者が参加する場合には、住所、戸籍謄本などの提出書類を始め、パスポートの取得費用なども壁になり得る。また、様々な事情の一つに、社会参加が苦手であるとか、それに失敗して来た結果、トラウマを抱えている人も居るので、メンタルなレベルでのケアも必要な場合が出てくる。更に、人づきあいが苦手という先入観から依怙地になる者も多く、他人に心を開くことが苦手なケースもみられ、こういう者同士の場合、些細なことで喧嘩になり、チームメイトどころか人間関係そのものが破綻してしまうケースもある。
言う迄もなく、サッカーはチームプレイである。それも極度に知的で人生そのもののような複雑さを秘めたスポーツである。審判のミスや、試合中、相手選手のハードなディフェンス、審判に見えない所でのダーティープレイなども散見されるのが、実際である。また、サッカーの裾野人口の多さから、観客もマナーのいい者ばかりではない。フーリガン騒ぎを思い出す人もあるだろう。こういったことを含め、また、貧困に悩む地域の子供達が、裸足で、ボール代わりにぼろきれを丸めた物を蹴ってサッカーを覚えるような情況を含めて世界ではサッカーが最もポピュラーなスポーツであることもあって、ありとあらゆる技術、悪知恵、狡知に長けた戦術、戦略、伝統的な戦法、チームメンバーの個性を活かすのかチーム力を活かすのか、体格による戦闘方法の差等々、サッカーは、人生の総てが詰っているのが、実感できるスポーツなのである。それ故にこそ、フーリガン達は、あれだけ騒いで罪悪感を持たないのであり、一種のお祭りとして、試合に参加するのである。
自分が、こんなことを言うのも、嘗て、世界最高の選手たちと寝食を共にした経験を持つからである。アンダーセブンティーンの世界大会が日本で開催されたのは、1993年、自分が共に過ごしたのは、その時のヨーロッパチャンピオンであったポーランドチームであった。練習中に、フィールドで選手達に混じってボールを蹴ったこともある。そうこうしているうちにサッカーというスポーツの持つ魅力に魅入られてしまった。こんなにエキサイティングなスポーツは無い。そう感じた。それ迄にも、自分はスポーツをやってきたのだが、多くは格闘技で、サッカーのような仲間との連携を含めたスポーツの楽しさを覚えたのは、初めてのことであったのだ。
この作品でも、選手になるホームレス個々人の抱える問題が、問題になり、チーム瓦解、世界大会参加資格喪失の危機などが次々にチームを襲う。 この作品の成功の秘訣は、これら諸問題の解決が、同時にサッカーチームとしての成長に繋がり、サッカーチームとしての成長が、社会人としての彼らの成長に繋がっている点である。その結果、サッカーが人生である、ということが、また人生がサッカーに例えられるような緊密で凝縮された舞台空間が成立した。適度にユーモアも交え、ラスト2試合迄負け続けでへたっているメンバーの起死回生への念を込め円陣を組んでの掛け声が、始めのバラバラな印象から格好良さに変わっていく点に、盛り上げ方の上手さ、作品メッセージの持つ温かさと普遍性、自然な連帯が見える。
リーディング公演「統一エクスプレス」
日韓演劇交流センター
早稲田大学小野記念講堂(東京都)
2013/07/09 (火) ~ 2013/07/09 (火)公演終了
満足度★★★★★
38度線
休戦後も分断が続く38度線に接する幼馴染同士が、珍妙な商売を始めた。儒教の伝統が、今も色濃く残る韓国、北朝鮮の人々には、冠婚葬祭の儀式も古い形が、日本より遥かに根付いている。親族・倦族が分断されたケースも多い。肉親の情は断ちがたいから越境する者が出てくるのは、必然である。命を落とす危険があっても、38度線を越えなければならない事情があるのである。こんな需要があるので、幼馴染が始めた越境ビジネスは、大儲けできたのであった。然し、彼らの拠点の間近に政府が、公式往来窓口を開設した為、彼らの商売は上がったりとなってしまった。
然し、長い間続いている分断で、分断故に儲けけている者も多い。そんな連中が徒党を組んで分断復活を企む。このことが功を奏して、再び活況を呈してきた越境ビジネスであるが、脱北後、統一を信じて越境ビジネスを手伝い、春を鬻ぎ、地雷を除去してきたオッカの「私たちの願いは統一」の歌が流れる。