東京パフォーマンスドール PLAY × LIVE 『1 × 0』(ワンバイゼロ)
キューブ
CBGKシブゲキ!!(東京都)
2013/08/15 (木) ~ 2013/08/25 (日)公演終了
満足度★★★
大人が下司
シナリオは積み木ほどに単純で1x0の2進法を示唆し、不思議の国のアリスのモチーフを安易に引用してつじつまを合わせながら、ITバブル当時、ベンチャー企業の一大集結地であった渋谷のスクランブル交差点とその地下を舞台として設定する。公演会場は、この交差点から200m程の地点に立つビルの6階である。このように現実とバーチャルを組み合わせ、IT技術を駆使して、8800人の応募者から選ばれた平均年齢15歳の10人の少女のパフォーマンスと歌の未熟さをカヴァーしながら行われる。気持ち悪いのは、いい大人が、これに、連なって手を振ったり、叩いたりしている光景である。
資本主義の最も先鋭的な形を表すスターシステムに子供達を組み込んで良いように使い捨てる。代わりはいくらでもいる、というスタンスだ。このスタンスが醜悪である。戦前、現在の電通の前身が何をやっていたか忘れたのか? 完全に体質は戦前のそれである。ちったあ、日本の文化に貢献したらどうか? その質を落とすことにではなく。
夏の伝説
劇団俳協
TACCS1179(東京都)
2013/08/22 (木) ~ 2013/08/25 (日)公演終了
満足度★★★★
しっかりした劇団
壮大なシナリオで、地方の因習も良く捉えられており、負荷の高い方言による公演とうのも準劇団員公演の水準を示す意味で良い試みだろう。無論、それだけの質を獲得する為に大変な訓練を重ねてきた上でのことである。複雑な男女関係の描き方、近親相姦を明かすタイミングの上手さも評価したい。開演直後、若干、固い演技も見られたが、興が乗るに従って良くなった。巫女役の和服の着こなし、歩き方も和式の定法に則ったもので、流石歴史のある劇団だと思わせる。(追記2013.8.25)
ネタバレBOX
土佐の山奥の平家落人伝説が残る、僻村。日の当たる富裕層の住む集落と日陰の貧しい者の住む集落には、隔てがあるものの、元々は、落人の末裔とされる一族郎党、実力者、光永 健二が、影村の出稼ぎに出たまま戻らぬ夫を待つ人妻や、後家を妾にして生活の面倒を見ているといった具合だ。だが、健二は、妾の誰一人、本当には愛していないし、妾の側でも、敏感な者は、健二の心の在りかを察してしまう。その結果、一人の女が、自死した。
この集落には、旧正月に亡くなった女は、仲の良かった女七人を冥途へ連れ去るという言い伝えがあった。舞台は夏の盛り。夏祭りの前に、死んだ女の魂を弔うために、亡くなった女に縁の深かった七人の女が集まり、魂を送る儀式を取り行っている。そこへ、通りかかった測量技師、香納 大助は、出稼ぎに男衆の殆どが出ているこの部落で、久しぶりに現れた、若く、美しい青年として歓待されるが、彼には、村の旧家の当主、光永と会う約束があった。然し、この儀式には、健二の妹、壺野 藤が、主賓として招かれてもいたのである。彼女は、この集落の伝説の主、安徳を慰める巫女であると同時に、健二の妹でもあった。兄の健二は日向に住むが、女手が無い為、大助は、藤の家の厄介になる。極めて美しくたおやかな娘、藤に大助は、夢中になる。然し、山中の口喧しい世相も理解する大助は、無論、あからさまにそのような態度を出すことは控え、胸の内にそっと秘めておく。
約束の会合に現れた健二は、吊り橋を私財を投じて作り、道を通した先代の話とその結果、隔絶していた集落が、外界と繋がり、人口は以前の四分の一以下になったこと、健二は、集落全体の移住計画を練っていること、その為に、地域の実情を実地に調べ、他地域にある、健二の地所に集団移住できるように移設計画を練って欲しいことを明かす。無論、出稼ぎで都会に出た者達の中から様々な反発、反論がでることは目に見えている。それは在って当然だ。丁度、盆休みで多くの男衆が帰ってくる。その時に村会を開き、各々の意見を聞いて、最終的に事を決めたい、という内容であった。通常の損得勘定だけの依頼ではなく、大助も大いに興味を持てるプロジェクトだったので、彼は一所懸命に健二の述べた方向で集落調査、集落の将来へ向けての青写真を描いた。ところで、健二は一枚したたかであった。資本を有する者の常として、資産を有利に運用する為の手段を用意していたのである。
そんな中、都会に出たは良いが、女房に少しでも早く、できるだけの楽をさせてやりたいと、望んでいた治平は、都会のチンピラヤクザのかもにされ、務所に送られる羽目に陥っていた。おまけに、出稼ぎ先で作った女の掛かりもあった。それら総ての面倒を見、保釈金を積んでシャバへ戻したのも健二であった。然し、治平は、それも罠だと勘繰る。挙句、体調を崩した女房を山の中で見付け、助けて連れて来てくれた大助に因縁をつける。体調を壊して、碌に話もできない女房に豪そうな口を叩いて、自殺に追いやってしまった。その罪を、他人になすりつけ、小台風の目となって、この後、暗躍することになる卑怯者というキャラクターだ。
だが、治平の言っていたこと総てが、好い加減というわけではない。健二は、大助にはなしたのとは別のシナリオを描いて動いていた。それは、唯一の外界との交通路である吊り橋を破壊し、完全に集落を孤立させ、秘境と化すことであった。秘境を買いたがる小金持ちはいくらでもいる。それが、彼のはじいた算盤である。この計画を実現する為に村の地主から、土地を買い漁っていた。既に、所有権の殆どを手に入れていた。
だが、今迄、述べて来たことは、この作品のメインプロットではなく、サブである。健二は多くの女とうきなを流しているが、実はその誰をも愛してなどいない。彼は、別の女を愛している。それは唯一、彼の愛する女、その名を妹という。彼が藤を巫女として影の集落へ追いやったのである。最愛の女を男として愛することが、許されぬ故に、巫女として追いやったのだが、藤も実は、唯一愛する男が兄であった為に、自らを一人の女として健二の愛を待つ為に巫女になったのであった。兄妹と言っても、藤は、遠縁の娘で偶々、老親が亡くなったので、健二の両親が、娘として育てたからなので、仮に、結婚しても血に問題はないのであった。兄妹の純愛はこのようであっても、嫉妬深い妾の目には、世界は違った見え方がしている。そんな妾の一人は自死した。残る一人は、事あるごとに突っかかってくる。健二と女は破局を迎える。
その夜、女房に死なれた治平が、女をレイプする。女の恨みは健二に向かった。更に、女の母は、藤の邸で健二の母の面倒を見ている下女である。彼女は娘の無念を晴らす為に、聖所の合い鍵を大助に渡す。その「鍵を渡せと命じた人の名は言えない」ということで、恰もそれが、健二であるかのような印象を与えることを計算しつくして。
大助は、安徳の祠に入り、藤に結婚を申し込む。藤は、祠へくる直前、兄に真意を告げ、裏の鍵を開けておくと言い置いてからここへきていたのに、待つ兄は何時まで経っても現れなかった為、大助の申し入れを受け入れる。祭りが終わったら、大助のものになる、と。
然し、直後に、村の若衆が、大助の後を追っていて祠に辿りつき彼を連れ去ってしまう。その後に、終に、藤の待ちに待った健二がやって来る。二人は互いの本当の気持ちを確認し、情を通じるが、実は、二人が真の兄妹であったことが告げられ、健二は、捨てた女に刺されて瀕死の重傷を負った上で、この事実を聞かされ、終に、宝剣で自らの頸動脈を切って果てる。妹が後追いしようとするのを辛うじて止め、神の末裔である己が、罪を負って滅んで行く際の、ダンディズムをも表明するのだ。切なく、儚く、残酷な純愛物語は、心を撃つ。
男おいらん
株式会社FPアドバンス
笹塚ファクトリー(東京都)
2013/08/22 (木) ~ 2013/09/01 (日)公演終了
満足度★★★★
面白く拝見
鏡組を拝見。紫野役の葛たか喜代がいい。存在感があり演技も上手い。舞台が締まる要になっている。シナリオの出来も期待以上。見せ方も、若い女性ファンに合わせて中々華麗に仕上がっている。音響がちょっと大き過ぎるきらいもあったが、自分の年のせいだろう。ところで、こんなに女性客が多いのは、男おいらん達が、置かれているがんじがらめの状況に、女性達が、自分の、矢張りがんじがらめな、しがらみを重ねて見ているからではないか、とは思った。
無論、男が観ても楽しめる。
わたし、▽、festival
mimimal
新宿眼科画廊(東京都)
2013/08/10 (土) ~ 2013/08/20 (火)公演終了
満足度★★★
モラトリアム?
天ぷら銀河の「可哀想行進曲」とmimimalの「a」2本の上演だが、合わせて1時間強の短編作品だ。
ネタバレBOX
作家は、20歳と34歳。ネット時代の申し子である。彼らに共通すると考えられる傾向が、薄っぺらで、剥離する現実感覚とでも言えるものだろう。パソコンの画面をどんどん変えているのは、彼ら自身であるにも拘わらず、その操作が殆ど無意識で行われる為か、彼らは、ネット上での変化を受け身で、辛うじて溺れない程度に受け流しているように見える。その上で彼らは、このマークアップを認識と感じている様子なのである。そして、この薄く広がる認識層を関係の網目として捉え、そこに関わる点として自らを規定するが、これは、ヴァーチャルな電磁的世界とそこに偶々アクセスしている電脳の戯れであってみれば、所謂生きた社会との諸関係ではない。其処には、匿名性や拡散はあっても、生存の為に直接必要とされる、生々しさはない。つまり、生き物としての己が、他の生き物を殺して喰らうことによって生き延びているという荒々しい認識からは隔てられている。
この結果、彼らは、現実に事象を判断し、自らが己の関わる世界を負い、世界に貫入しようとはしない、というポーズを取ることができる。然し、それは、本当のことか? 現に他の生き物を喰らうことでしか生きていけない、我々、ヒトと世界との根本的な繋がりは。また、ヒトの置かれた悲しい位置は。この酷い現実を酷いと感じ、己を時には、自死に迄追い込む苦悩にこそあるのではないか? このような認識が、できない。それは当然のことだろう。何故なら、彼らの論理には、生きて働く論理そのものが欠けているからである。
サークル
劇団光希
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2013/08/21 (水) ~ 2013/08/25 (日)公演終了
満足度★★★★
劇団 光希
演劇とはつくづく不思議な媒体である。自分が、劇団「光希」の舞台を拝見するのは、昨年の「ファイティングポーズ」に続き2作目なのだが、何だかもうすっかり光希という劇団の光希らしさが分かったような気がしているのである。決して単純だとか、分かり易いという意味ではない。親近感を覚えるのである。それは、この劇団が目指しているものが、本当に、自分の身近にいる普通の人々の暮らしに息づく、きらりとしたものであり、夢であり、儚さ、辛さであり、決して豊かではないが、生きている意味だからであろう。
実際、今回アンケートの中にあった、気になった役者を挙げて下さい、という項目に応えていたら、出演者の3分の2ほどにもなってしまった。それは、単に、上手い、下手ということではない。各々の役者が、自分の生きる意味、作品の中で描かれている人々の生きている意味、或いは生きていた意味を身体から滲みださせているからであろう。
所謂、演劇論でいうならば、このような表現、或いは、このような作劇法というものは、最も難しく、最も高度な表現だということができる。観客が舞台を観ていて、ああ、こういう人は自分の傍にもいるな、誰々さんに似ているな、と自分の身の丈にあった観方をして感情移入すると、同時に、彼らを襲う不幸・不運に遭遇する。これらの試練に立ち向かい、傷つき、倒れてゆく者もあることに涙する。決して平坦ではない人生という道のりの中で、それでも助け合い、生きる希望を見付けだそうと奮闘し得ることに己の生きる意味を見出してゆく。ぶきっちょだったり、ずれていたり、お馬鹿だったりする登場人物は、そこにも居る。ここにも居る、我らと等身大の人間だ。
光希の描くのは、このような、我らの身近に居て共感を呼ぶ人間なのである。それが、表現できる劇団というのは、実は、非常に少ない。その一つが、紛れもなく、この光希という劇団である。
銀河鉄道の夜 〜青〜
からふる
パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』(東京都)
2013/08/19 (月) ~ 2013/08/22 (木)公演終了
満足度★★★★
雰囲気に浸れる
賢治の「銀河鉄道の夜」を読んで、様々な疑問を持つ読者は多かろう。それも当然である。何故なら、未完成だからだ。今回の脚本家は、このように考えたのだろう。実際、最初っからカムパネルラの死は濃厚に漂っているし、隋所にハッキリ死を匂わせている。この辺り、中々、実験的で面白い。また、シンプルだが、効果的な舞台美術も雰囲気を盛り上げており、生演奏が、場を盛り上げている。
ネタバレBOX
だが、謎を解き、物語の輪郭をはっきりさせたことで説教臭くなった部分があると感じた。詩的ストーリーやイメージがこの為阻害された部分があったように思う。また、白人達がタイタニックで沈むシーンに続いて、ネイティブアメリカンが登場するが、その扱いがパターン化したものである為、差別的と取られても仕方が無いようなレベルであったことが、悔やまれる。
キャスティングでは、カムパネルラ役のナイーブな感じがとても良い。ジョバンニも生活の苦労を匂わせて、逆に、やや固い感じを出していたのは、評価して良いだろう。
ニールサイモン・作 「カルフォルニア スィート」
有機事務所 / 劇団有機座
萬劇場(東京都)
2013/08/20 (火) ~ 2013/08/23 (金)公演終了
満足度★★★
シナリオの冴え
ニール・サイモンの1976年作品。2幕5場のオムニバス作品だ。場面は、ハリウッドの豪華ホテル、スイートルーム203.この部屋の宿泊客の演じる寸劇とルームメイクをするメイド達の雑談とから成る。
ネタバレBOX
1幕1場、NYの客に出演した俳優は2人共、ジェスチャーが身についておらず、わざとらしさが目立った。もっと工夫が必要である。
2場フィラデルフィアの客については、浮気現場を押さえられた夫と妻の掛け合いが実にユーモラスに描かれていて楽しめる。
2幕、1場、2場は、夫はバイセクシャル、妻はイギリス人女優でアカデミー賞にノミネイトされているのだが、流石にサイモンの筆が冴える。大きな賞を獲って評価されるかもしれないチャンスを手に入れた時の、夢見心地と不安を実に巧みに表現したシナリオだからだ。
シカゴの客は、親友夫婦が綿密な計画を立てて一緒に旅行をするのだが、皮肉な事に、友情は壊れかけてしまう、という内容。
ルームメイクのメイド達が幕間に出てきて泊り客を評するが、実際、人々が、セレブや著名人に対して持っている好奇心の行儀悪さを暴くと同時に、泊り客たちの内実を暴露する面白い構造になっている。而もラストでは、このメイドの一人がこの部屋に両親を招くのだが、その際、ルームの心遣いで大きな花束などが、部屋に届く段取りになっていることが、電話で告げられる。この辺り、現地では大受けだっただろう。
三一路倉庫劇場(ソウル)『結婚』
タイニイアリス
タイニイアリス(東京都)
2013/08/15 (木) ~ 2013/08/18 (日)公演終了
満足度★★★★★
ブラボー
韓国でロングランが続いている傑作ミュージカルと聞いていたが、その理由が納得できる作品である。シナリオは、現代韓国が抱える表層主義、IMFによる韓国経済介入以降、益々拡大した貧富の格差、その結果の拝金主義的傾向や玉の輿に乗る為なら美容整形、脂肪吸引など何でもござれの美人指向など現在韓国の抱える現実の問題をキチンと押さえ、パロディー化してからかいながらも決して人間を人間として見る視点を失わぬ劇作家の、極めて優れたシナリオに、無駄の一切ない舞台美術と、合理的で応用力に富む、様々な仕掛け、執事・マネージャー役の年輪を感じさせる燻銀のような演技に呼応する主人公カップルを演じた、男優、女優の高い技術、演出家自身による楽器の生演奏も粋で技術的に非常に高いものであった。
ネタバレBOX
更に、朝鮮半島に長く伝わるマダン劇の伝統を踏まえてのことだろう。舞台と客席を一体化させる自然で、共感を持たせる引き込み方も抜群である。
このような、準備を済ませた上で、経済合理主義の齎した軽薄さの底に流れる、寂しさ、虚無感が、何を奪い、何を残すのかが、見えてくる仕掛けだ。この辺り、エンターテイメントとしての提示の仕方も見事である。
以上の顛末を若い詐欺師と化した元実業家が企てた結婚詐欺を通して描こうとした作品と言えよう。
主人公の若い男は、ベンチャーを起業し一時大成功を収めた。然し、人の世の移り変わりは激しく、順調だった事業は、一旦狂い出すとあっと言う間もなく資金繰りが破綻、倒産に追い込まれてしまった。男は、それでも超のつく楽観主義者で、最後の金をかき集め、庭付き、執事付き、ピアニスト付きの物件を借りてインセンティブを齎すエンジェル探索に乗り出す。無論、エンジェルは、ベンチャーへの出資者ではない。若く美しい女性である。当然のことながら、ネットを利用して、婚活をする。最後の金で借りることができたのは、先に述べた人、物と、スーツ、ブランド物のライター、シャツ、腕時計、指輪、ネクタイ、靴など。総て時間貸しである。建築など先に上げた物・人については、80分。おまけが20秒。小物は、オプションで、ものによって返還するタイミングが異なる。何れにせよ、契約は厳正なもので、執事の振りをして、マネージャーが、クライアントの監視をしつつ、時間になると貸したものを取り上げてゆくスタイルだ。この辺り、資本主義の冷徹を表していると取ることも可能だろう。
一方、ここでレンタルされているものは実に豪華である。シャガールが、最初の妻の為に描き、生涯、手元に置いて放さなかったという100号を超える絵画、皮張りの豪勢な応接セット、金側にダイヤをあしらったライター、ブランド物の腕時計、ネクタイ、ハンカチーフ、ベルト、スーツにシャツ、豪勢な指輪、おまけに庭はサファリパークいなっており、ライオン迄飼われているのだ。使える時間は80分、おまけが20秒だ。然し、女は、20分を過ぎても来ない。残りの全財産をハタイて借りたのに、時間はどんどん過ぎ、而も、目当ての女は来ない。男は、焦ったり焦れたりもするが、そこは、超のつく楽天家、安く見られないよう、初めて逢う時、女は10分程度は遅れて来るもの、遅れて来る女程、良い女に違いない、と高を括っている。暫くして女は現れた。予想に違わぬ美人、スタイルも良いとあって見た目は理想である。問題は、実際に性格や考えが合うかどうかだが。初めて会う二人には、互いに相手を信じて良いのか否かも分からない。そこで、腹の探り合いとなるが。近頃の流行では、美人でスタイルが良くなければ、到底玉の輿には乗れない為、整形手術や脂肪吸引など美容サービスを利用する女性ばかりで単に美しいだけでは信用できない。一方、結婚相手の男は金が無ければ肘鉄というのが、トレンドである。
更に、時間が来れば、借りた物は回収されてしまう。最初は、ライターが遣られた。見せびらかそうと煙草に火をつけようとした矢先である。次にはネクタイが、といった具合に小物から、身につけている物まで、順々に取り上げられてしまうのだが、男はその度に、苦しい嘘をついて何とか取り繕う。庭へ出て、サファリパークその物を実地検分させたり、ライオンを見せたり。而も、女は、ライオンに対し、犬にでもしてやるように手をさしだしたりして男をひやひやさせるのだ。
部屋へ戻ると、執事の振りはしつつも、マネージャーによる回収が再び始まる。男は女を口説きに掛かるが、興が乗ってくる度に、腰を折られる。然し、男も只、剥ぎ取られているだけではない。一つ一つを剥ぎ取られて行く度に、男は己の心を裸にしてゆくことを覚え、終には下着だけになったが、己の裸心を女に見せることに成功。女も心を許し、生まれて初めて自らの本当の身の上話をし始める。自分の綽名が“おまけ”だということ。自分の失踪した父のこと、母は、おいてけぼりを喰らって自分を産んだこと。父は、詐欺師で母を妊娠させ、自分という“おまけ”を残して失踪したのが、綽名の由来であること、そのことを思い出すと何となく安心すること等々。
男は、彼女の父は、自分と同じような人間だったことに気付かされてギクリとするが、彼女がそんな父の思い出で安心することで安堵する。二人は、世間の常識とは異なり、詐欺(・・)という共通項を通じて、互いを確認し、生涯を通じて互いを信じ、愛し、共に在ることの意味に気付いてゆく。
タイムリミットが迫る、時は来た。執事役は、男にメモを渡す。そこには、こう書かれていた。“行け”と。男は、おまけの20秒を使わせてくれるように頼み、ネクタイを取り上げられた後に、客席から、貸して貰ったタイを、どのように扱い、どのように返したかを客を証人に立てて証明しようとする、その上で、彼に証人になってもらってプロポーズ。
幕
青い月の夜
アリー・エンターテイメント
シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)
2013/08/13 (火) ~ 2013/08/19 (月)公演終了
満足度★★★★
切なさ哀しさ
割り切れない後味を残す作品だが、尊厳死を扱った作品と捉えれば、医学的、倫理的に最も、現代的で大きな問題を扱った作品と言えよう。而も、舞台には、“夢の島”の外れの「番外地」と思しき場所がセットされているのだ。
ネタバレBOX
舞台上には、奥下手にバーカウンターが、スナックによくある硝子天井のテーブルとスツールセットがその客席側に置いてあり、異様にも、上手に夢の島番外地、塵捨て場がある。スナックの名前は“ほたる”ママは41歳のあいり、失踪した姉の名を店名にしている。某組長の二女である。長女は事故で植物人間になりながら、入院先で11年も生きた。その日迄。
その日、約30年前のその日、姉、ほたるは、病院のベッドから消えた。体中につけられていたチューブを外し、失踪していたのだ。植物人間だったにも関わらず。家族全員が疑われ、あれこれと身の回りを詮索された結果、捜索した鑑識、刑事達総てに嫌悪感を持つに至った、あいりは捜査以来、異様なまでにデカに敏感である。
デカの持つ体臭と足音を彼女は敏感に感じ取り、最近、店に足しげく通うようになった男、藤田をそれと見破る。藤田は、店名に惹かれて店に来るようになったのであった。彼が唯一恋した女の名だったからだ。彼は、14歳、彼女は12歳、父を亡くし、引っ越さなければならなくなった30年前のその日、「必ず迎えに来る」と約束してほたると別れた彼が、彼女に再び巡り合ったのは、11年後、大学を卒業後、勤務した交通課で最初の事故の被害者を見舞った時、偶々、植物人間になったほたるを病院で見付けたのだ。看護師が4人もつき、たくさんのチューブに繋がれて延命治療を受けさせられている恋人を見た時、彼は決意する。看護師が目を離した隙を見て、彼女を殺害、遺体を夢の島の塵捨て場近くに埋めたのである。以来、藤田は、この事実を30年負い続けて来た。そして、このフェンスで囲われた場所を管理する元ヤクザの萩に管理料を払ってほたるの供養をし続けてきたのだ。鳥籠に入った人形に語り掛けるという遣り方で。だが、最近、若年性アルツハイマーと診断され、彼女を埋めた場所へ通い続けることも忘れてしまうのではないか、との不安に苛まれる。
こんな藤田を慕う、後輩刑事、足立は、藤田の病を知っているが、何とか、彼の役に立とうと粉チーズを彼にプレゼントする。これを撒いておけば、ルートを忘れずに済むようにとの配慮である。忘れたくても忘れられない古く苦い記憶の中に、新たな記憶が入り込んではすぐさま忘れ去られ、想像力が、自分に都合の良いような物語を編み上げてゆく。その恐怖に耐えながら、藤田は、青い月の晩、ほたるの墓前に立つ。雨が、あの日と同じように激しく降り、青が滲む。持っていたピストルで頭を撃つ音が聞こえる。
塩野谷 正幸演じる、藤田と河合 美智子演じるあいりの目が良い。萩役の田中 章の渋い演技も光った。
隣で浮気?
傑作を遊ぼう。rorian55?
王子小劇場(東京都)
2013/08/16 (金) ~ 2013/08/18 (日)公演終了
満足度★★★★
自意識のドラマ
性を絡めることで、男女の愛憎が、専ら自意識の問題へと収束されていっている点で、まさしく西欧型の芝居である。良い悪いの問題ではなく、文化の型が異なるのだ。
ネタバレBOX
このようなことを感じる自分にとっては、無論、我らの暮らす東洋であれば、どういう意識が同じ情況を題材にして描かれただろう、という感性もあった。無論、“バナナ”とアメリカ黒人が、茶々を入れる日本人の精神構造の枠の辺縁で際どく成立するバランスを見事に切り取り、舞台化した脚本家、演出、役者達総てが、高いレベルである。にも拘わらず、沈みゆく太陽の残照を見るような感覚を持ったのは自分だけだろうか? 何処かに斜陽を感じる作品でもあった。悪いと言っているのではない。寧ろ、共感してしまえる自分の欧化を悲しく寒く見つめ、感じるのみである。作品化する力は、5点満点の5、これからのトレンドを読む感性は4と見た。役者陣の演技レベルは高い方ばかりであったが、自分が、最も気に入ったのはケレンミの良く出ていた、フランク・フォスター役の阿部 コウヂ、調教されつつ、自らのアイデンティティーを獲得してゆくメアリ・フェザーストン役の大谷 由梨佳。その夫の、経理専門家、ウィリアムを演じた植野 龍二は、大きな舞台で、脇を固める場合には、ほんとに渋い演技をこなす役者になりそうである。ここで名を挙げなかった演者達の演技レベルも無論高い。ボブを演じた個性の強い中村 晃は、作品次第で大化けするだろうし、テレサも堅実で頭の良い演技をしていたので、名脇役になる素質がある。フィオナを演じた森 由香は、内的なギャップを身体化した落差として見せることが可能になった時点でもう一皮むけるだろう。何れも才能を感じさせる出演陣であった。これだけ強い個性を、ここ迄纏めた演出も良い。
劇団だるま座本公演「笑って死んでくれ」
劇団だるま座
座・高円寺1(東京都)
2013/08/14 (水) ~ 2013/08/18 (日)公演終了
満足度★★★★
笑わし隊
日本劇作家協会が、若手、中堅の劇作家のうち注目される作家をフューチャー、新世代の実力ある作家を支援し、紹介することに乗り出している。第一回の今年は、4人の作家作品が、座・高円寺1で上演されている。嶽本 あゆ美の「太平洋食堂」に始まった新しい劇作家シリーズの取りを飾る4本目は、相馬 杜宇の「笑って死んでくれ」である。実際に存在した“笑わし隊”の戦地慰問の様子を縦軸に、現代の一億総批評家と化し、何事も不信感という距離を置いてしか眺められない観客が同じ場所、同じ時間内に登場するが、笑わし隊メンバー、観客共に成仏できない魂である。(追記2013.8.22)
ネタバレBOX
笑わし隊のメインキャストを務める座長のモデルは柳家 金語楼である。だるま座は、今回、右傾化する現代の世相を戦中の“笑わし隊”を題材に採って描いた。演劇の本質を演劇的に描く為にはメタ化を必要とする。例えば、「ハムレット」で先王の簒奪を暴く為にハムレットが上演させた劇中劇のような構造だ。だるま座は、地域に根差す劇団である。その劇団が、下北公演を経、終に高円寺の、劇場規模で言えば中に当たる劇場での公演を初めて打った。その時、彼らの考えたメタレベルが今作で用いられている。それは、小劇場から大劇場迄基本的には通用する作品を通した現実の舞台化というメタ表現である。
即ち、治安維持法などにより表現の自由を奪われた表現者を、今、現実に存在する高円寺1という劇場で描くこと。そのことで、現実の世相、現実の世を逆照射するメタ演劇と化しているのである。従って、当然のことながら、この演者たちだけで、舞台は完結しない。完結させるのは、観客とのコラボレーションである。
この難題に応える為に今作で、劇作家は100冊以上の関連書籍を読み、あたう限り金語楼のビデオ、DVD等を見ている。当然のことだ。が、最近、メジャーでちやほやされる偽物は、この当然の作業をしていない。そんな偽物が、氾濫するので、本当に質の高い物が、分かり難いとされがちだ。偽物を評価するような視聴者は、己自身の虚しさと共にとっとと消え失せるべきである。芸能は、民衆が育てる。質の高低をきちんと評価する目を持った上で、様々に遊ぶのは良かろう。それもジョークの内である。然し、本質も掴めずにうだうだ分かったような事を抜かすのはお門違いというものである。作品自体が複雑で時代を超えている場合、毀誉褒貶は、無論ある。評価する側にスタンダードが存在しない以上当然だろう。だが、以下のような現実が進行中であることから目を逸らせてはなるまい。演劇もまた時代の鏡なのだから。
(ここからはハンダラの意見である)未だ平和の残滓を残している現在、着々と馬鹿共(安倍、麻生、ポット出の石破、旧財閥系列、高級官僚など。当然、中曽根も含む)は、戦前からの一族郎党を潤す為の利権漁りをしている。(アメリカにすり寄ることで、それを実現してきた。)この作品は、そういうことまで深読みできるのだ。分からない観客は、もうちょっと勉強して欲しい! 実際、その為のプロパガンダは、進行中だ。その前提にあったのが、大阪高検公安部長の冤罪事件から、小沢一郎の無罪放免へ至る3年7カ月に及ぶ、潰しである。背景にアメリカが居ることも分からないと、この作品の意味する所が分からないのは、当然である。然し、この作品が、今、この劇団によって上演されたことの意味は歴史にとどめおきたいものだ。
PADMA vol.5 「戦国BARASHI」
Performance team PADMA
スクエア荏原・ひらつかホール(東京都)
2013/08/16 (金) ~ 2013/08/18 (日)公演終了
満足度★
観るべきはパフォーマンスのみ
パフォーマンサーの力は日本のそれとしては、上級レベルだ。そのような能力を持つ者をこれだけの人数集めたことは、褒められて良い。
ネタバレBOX
然し、プロデューサーが他にやっておくべきことの中で、客入れの際、劇場を預かる主体ときちんと連携を保っていないというのは、どういうことなのだろう? トウシロウでもあるまいに? おまけに、劇場のどうやら管理クラスに位置づけられるスタッフが、15分以上も押している入場整理にイラついてした観客からの質問にシカトしているというのは、どういうことだ? 会場は、公の施設である。ここで管理に関わるスタッフは役人だ。従って、我々の支払う税金で食い扶持を得ている。その公僕が、主人筋に当たる市民の問い掛けをシカトするとはどういうことだ? 偶々、その場に来た別のスタッフが応えてはくれた。然し、適切な答えではなかったので、観客は、演ずる側のスタッフに訪ねた所、役所との連携はきちんとしていないということであった。因みに、最初に観客が問い合わせたのは、総合インフォメイションと書かれた部署である。そこで、最初はシカトされ、応えてくれた人の情報は、その部署名には相応しからぬものであった。その後、演者側スタッフに観客が問い合わせていると、シカトしていた役人がしゃしゃり出てきて、したり顔をしている。観客は突っ込んだ。総合インフォメイションで、チケットを持っている人と居ない人とを分けて最初からインフォメイションを与えれば、何の意味も無い行列を作ってチケット発行を遅らせ、或いは、既にチケットを持っている観客の時間を浪費させることなく、また、17分も押すことなく入場し得たハズだからである。
本番が始まる前に、既に結末は見えていた。唯一の救いは、パフォーマンスの演者の質だけは高かったことである。プロデュースは5点満点の評価でマイナス1、演劇仕立ての部分もあるのだが、構成がめちゃくちゃで高校生のしっかりした演出の方が上、外すのは、良い。然し、演劇的な外し方というものがあるだろう。シナリオも至る所に破綻、矛盾があって話にならない。外す前に破綻していたら、何を外すことができるのか? それぞれ、5点満点で1、0。音響は、DJブースで作っていたのだが、しょっぱなエンディングで用いるような音楽を使って、物販の宣伝をしていたセンスだけで、もう頂けない。5点評価の2、照明はまずまずで4、ラップも酷い。形態模写なのだ。ラップの本来は、自分達の生活の中でどうしようもなく溜まってくる社会的矛盾を発狂しない為に、恥も外聞もなく魂の叫びとして表出したものだろう。その魂の叫ぶべき生活を欠いているのが、余りにも明らかな何の意味も社会的に危険視されるようなラディカリズムもなく猿真似している。己の見苦しさを恥ずべきだろう。これは評価マイナス2.パフォーマンスだけが5である。総得点を総項目で割った数値を星マークとする。小数点以下は四捨五入。結果、星は1つになった。
パフォーマンスが好きな人だけにお薦めできる舞台であった。
クロスワールド
夏色プリズム
北池袋 新生館シアター(東京都)
2013/08/14 (水) ~ 2013/08/18 (日)公演終了
満足度★★★★
不思議テイスト
ちょっと変わった設定で発想が面白い。神話的な世界とSFが出会い、そこに人間的な問題、それも難問が問い掛けられている作品だからである。設定がユニークなので、しがらみがなく、語られ方は軽めなのだが、内容が重い、とう不思議テイストなのである。(追記後送)
堀 絢子 ひとり芝居 「朝ちゃん」
プーク人形劇場
プーク人形劇場(東京都)
2013/08/15 (木) ~ 2013/08/15 (木)公演終了
満足度★★★★★
被爆するということ
“この日、広島中がお母さんを呼んでいました。”この痛烈な言葉を書いた山本 真理子の「広島の母たち」から、彼女の被爆体験を通して描かれた作品、“朝ちゃん”288回目の公演である。朝ちゃんは秋子の仲良し、被爆地から寺町迄這って逃げて来た。朝ちゃんは、ドッジボールが上手い。
ネタバレBOX
あんなに快活だった朝ちゃんは、顔の真ん中にイチジクのような傷を負い、全身真っ赤に焼け爛れて膨れ、衣服は焼け落ちて跡かたも無いまま仲良しの名を呼んだ。「秋ちゃん、秋ちゃん」と。そこに転がるどの人達とも変わらぬ肉塊、焼け爛れ、体には蛆が湧き、やけどした体からはリンパ液を垂らしながら、腐った魚のような臭気を発している、声を掛けられなかったら、誰だか見分けもつかない、膨れ上がった肉の塊が、「秋ちゃん、母さんに連絡してくれんね」と頼んでいる。水が飲みたいとせがむ。
然し、当時は、酷い傷を負った者に水を与えると直ぐ死ぬと言われていた為、秋子は「お母さんが来るまで我慢してつかあさい」と言い残して、朝子の母に連絡を取る。朝子の兄は、死体を焼きに借り出されていたが、連絡を受けて急いで帰宅、リヤカーを借りて現場へ向かう。朝子の母も兄も、朝子は元気でいると信じ込んで、道中、冗談を飛ばしながら陽気に進む。寺町へ入る迄は。寺町へ入ると、段々、話はしなくなった。愈々、現場へ到着した時、二人は完全に押し黙り、最早、何も語れない。唯、朝子が何処に居るのかを一所懸命に探すだけである。秋子にした所で、朝子が声を掛けてくれなければ、再発見できる自信はない。幸い、朝子には、未だ息があった。
朝子が声を掛けて来た時、朝子の母は、言葉を失い、全身をぶるぶる震わせることしかできなかった。我に帰った母は、朝子を搔き抱く。朝子は、自分が臭いだろう、と気に病むが、母は「臭いことなどありゃせん」と答える。朝子は水を再びねだった。最初、拒否した母であったが、秋子から事情を聞き、少しだけ水を飲ませることにする。だが、その水を汲んだ水槽には、遺体が浮かび、淵には水を求めて亡くなった遺体の手がそのまま掛かっていた。母は、躊躇していたが、やがて拾った広口瓶の蓋に水を汲み、朝子に飲ませる。朝子は、嘗めるようにそれを飲み、「ああ、おいしい。もっと欲しい」というが母は、矢張り、たくさん水を飲ませると直ぐ死んでしまうということを信じていたので与えず、彼女をリヤカーに載せて家まで帰り着く。到着した時点で朝子は、既に、あんなに欲しがった水を嚥下する力も無く、死んでしまう。
世界で最初に実戦使用された広島原爆被害を直接受けた者ならではの、凄まじいジェノサイド証言を聞かなければ、原爆の齎す被害は余りにも大きく、予想外で想像力が追いつくレベルではない。このことの意味するものを“この日、広島中がお母さんを呼んでいました”の一行が凝縮している。声優としても著名で、父を原爆で失った引揚者の堀 絢子さんが登場人物4人とナレーションの一人五役をこなす。
戦前から続く人形劇の名門、プークでの公演は、満席。舞台奥に描かれた文様は、照明の効果的な用い方で、紅蓮の炎にもなり、竜巻と黒い雨を齎した地獄の空にも変わる見事な物、演出も本質を良く捉え、抑制の利いた知的なものであった。シナリオの良さは、無論、今更言うまでもあるまい。
なお、堀さんは、夜の回を終えると229公演を終えたことになるが、500回(反戦・半千)公演を目指しており何処へでも出掛けます、とのこと。堀さんに公演をお願いしたい方は、「朝ちゃんを応援するブログ」http://d.hatena.ne.jp/asachan500/へ
蝶を夢む
風雷紡
シアター711(東京都)
2013/08/11 (日) ~ 2013/08/18 (日)公演終了
満足度★★★★★
哀れ
作家、演出家、美術、役者陣、照明、音響、歌唱力どれをとってもセンスの光る作品。
ネタバレBOX
腐り切ったこの植民地の退廃をGHQの関与も噂される帝銀事件を絡めて描き出した。GHQが絡むのではないか、との噂は、731部隊と当然のことながら関係する。広島・長崎への原爆投下以降、日本で、軍事研究に携わっていた研究者の多くが、自らの戦犯としての罪一等を減じる為、被爆後の現地に入って詳細なデータ(大学ノート183冊分)を取り、その後、僅か2ヶ月程で英訳してアメリカへ送っていることは衆知の事実である。731部隊のメンバーも多くが、敗戦後アメリカに協力した。無論、罪一等を減じて貰う為である。
日本の所謂エリートの腐り切った根性は今に始まったことではなく、連綿と続いてきたことなので、班目春樹、勝又 恒久、清水 正孝などの無責任ぶりは、今更驚くには価しないが、この作品は、伯爵家という貴族を絡ませた点に、深い意味がある。誰でも知って居て当たり前のことに、大日本帝国憲法における主権者の問題がある。現行憲法の主権者は、無論、我々、国民である。従って、戦争などを始めた場合、それが己の愛する者達全員の死に終わることになろうとも、そのオトシマエは主権者である我々、国民が負う。当然の理屈である。推進したのが政治屋であっても、結果責任を負うのは彼らではないことに注意しておいて貰いたい。彼らは、委託されたに過ぎないのだから。ふんぞり返って偉そうに詭弁を弄しているのは、彼らの無能の証であると同時に、それを糾弾しない国民である我々の不甲斐なさだ。閑話休題。
さて、大日本帝国憲法にあって敗戦の責任を負うべき主権者は誰であったか、無論、天皇、裕仁である。彼だけが主権を持っていたのであるから。法解釈だけから言っても、このことは妥当である。而も、裕仁自身、1945年2月近衛文麿が早期終結意見書を提出した際「もう一度戦果を挙げてからでないと中々難しいと思う」と拒否、沖縄、広島、長崎、東京大空襲等々の惨劇を招いたのである。この国の唯一無二の政治家とアイロニカルに言われる裕仁とは、己と一族の利害の為だけに他の総てを犠牲に供し得る無責任者そのものなのであって、この作品における渡辺 秋利伯爵は、裕仁の矮小化された喩である。だから、小笠原 芙美子は、あのような形で復讐せざるを得なかったのであり、その復讐は人間的には最もなことだと納得されるのである。だってそうだろう。自分の住むエリアの法が、どんなに正当な手続きを踏んでも、不正をしか齎さない時、被害を受けるだけの者は、如何なる権利を持ち得るのか? 合法的権利ではあり得ない。而も、それなしに納得はあり得ない。そのような選択肢を迫られた時、誇りを持つ人間であれば、誰しも、非合法ではあるが、唯一、無残に殺された者を悼み、己自身も納得できる選択肢として復讐しか見出せないのは必然である。哀れを誘うのは、このエリアで起こって来た歴史的事件の背後には、常にこのような歪んだ制度があり、そこで苦しめられてきた者達が居たであろうこと、そして、このような形でしか復讐が果たされないような未分化な政治体制が現在も過去もこのエリアの住民を律してきたことなのである。その哀れを作品化し得ている所にこの作品の本当の凄さがある。
もう一言言っておくならば、貴族の最も愚劣な点とは、人生を退屈と捉えるディレッタンティズムが許されることである。退屈から逃れる為なら、人間は何だってする。このことの危険性を良く認識しておくべきだろう。渡辺伯爵も退屈していたのである。
そして、渡辺伯爵に仮託された無責任体制は、731部隊メンバーの訴追逃れをも齎し、原爆被害報告書を作成した軍事科学者らと共に、戦後、日本の暗部を形成してゆく。その結果が現在の日本だ。だから、マダラメ正しくはデタラメやかつまた、正しくは且つまた、しみず、正しくは沁みずなどの妖怪が跳梁跋扈するのである。
赤ずきんちゃんの森の狼たちのクリスマス
演劇ユニット パラレロニズム
シアターシャイン(東京都)
2013/08/13 (火) ~ 2013/08/18 (日)公演終了
満足度★★★
別役作品
良く別役作品は不条理演劇といわれるが、果たして、ベケットやイヨネスコの作品のような不条理性を持つのだろうか。少なくとも、この作品は「ゴドーを待ちながら」でもなければ、「犀」のようでも無い。
ネタバレBOX
別役作品の特徴は、視点の転換にこそあるような気がする。例えば、この森の狼は、獲物の喉を一噛みで喰いちぎりガツガツ食べたりしないどころか、襲った相手の脇の下を擽って面白がっているのである。むしろ兎の方が怖い存在として描かれているのだが、何故、そうかというと兎は、擽ることさえしないからなのだ。その代わり、兎は、噂話をしたり、ちょっと斜めに構えて、他人の批評をしたりするのが得意である。そんな森の腐葉土は、古い新聞紙でできており、当然のことながら、森は、この腐葉土で養われているのである。ということは、好い加減だと言うことだ。F1事故を見ても分かる通り、この国のメディアの退廃は酷いの一語に尽きる。3.12以降、NHKは、爆発した建屋の外観を事故の起きる前の状態の物に差し替えてずっと放映していたし、東京新聞の記者が読者の知りたがる真っ当な質問を記者クラブ内で発した所、他の新聞社の記者から、攻撃され、記者クラブを抜けたこと、更に、その後、東京新聞は、メディアの機能をキチンと果たし続けている為、税の支払いで東京新聞にミスが無いか、アラ探しが徹底的に行われたこと等々、業界腐敗は、戦前と変わることなく現役である。
このようにお粗末な内容の新聞記事から養分を得ている森と、其処に住む住民がイカレテいるのは必然である。物語はそのように読まれなければなるまい。鳥の声が聞こえ、木漏れ陽が射しこんできそうな森の雰囲気が、実は仮想でしか無い所に、別役作品の持つグロテスクを照射する視点がある。
もっと日常的な視点で捉えても構わない。現在、この国では、ヒトの営む人間関係の基本さえ、訳の分からないものになっているのではないかということである。どこの家でも、パパ、ママが当たり前に使われ、誰も疑問を呈することさえない。文化の基本中の基本である言葉の表象する最も基本的な人間関係が、英語圏でも使われないようなへんてこな言葉で表象され、定着してしまっているのである。オゾマシサしか感じないのは自分だけだろうか?
オーラスライン 沢山のご来場ありがとうございました
七里ガ浜オールスターズ
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2013/08/13 (火) ~ 2013/08/19 (月)公演終了
満足度★★★★★
実力派
政治屋とつるんで、票獲得の手段としても、手下を利用してきた大物(・・)演出家が、全国からオーディションの応募者を募った。2000人の応募者の中から選ばれた600人の第一次審査会場のある建物の待合室が舞台だ。
ネタバレBOX
他の部屋は、応募者が鮨詰めで息をするのも苦しいほどだが、ここには、6名、ゆったりはしている。だからと言って平和なわけではない。其々は其々の事情を抱え、内心穏やかではないのだ。例えば、一人は殺人請負会社の社員である。今日は暗殺の密命を帯びて来ているのだ。無論、彼自身は人殺しなど嫌いである。仕事だから淡々とこなしているのだが、迷いが、隋所に現れているのも事実だ、とか。反対に幼少の頃から母に連れられて観ていた、宝塚などのミュージカルに魅せられ、8歳の時からダンスを習い、体操に励み、ミュージカルを学ぶに至った。という、まあ、応募してくる動機を普通に持った、至極目立ちたがり屋の若者も居る。
一方、小さな頃から、自分は何をやっても駄目で、クラスの皆から笑い物にされるのでなければ憐れまれているとのコンプレックスを何とか克服したくて、毎年、応募してきたのだが、毎回、待っている間に、肥大したコンプレックスの為に、オーディションを受けることなく戻ってしまう子、緊張すると腸の調子が悪くなり、漏らしてしまうので、何とかその悪癖に打ち勝とうと矢張り毎年チャレンジして居る人、このオーディションの広告を受け持つ広告会社の営業マンだったが、毎年取っていた仕事をライバル会社に出し抜かれ、ボーナスもカットされたので、クライアントの内側へ入り込んで、あわよくば、オーディションに合格し、それを放映されることで溜飲を下げようとのオトシマエ派、ずっとフリーターをやって来た男の単なる就活など。
こんな人々は、互いに雑談しあうことで、各々、少しリラックスしてオーディションに臨む気になるのだが、兎に角、待ち時間があまりにも長い。不満も溜まる。その不満が、スタッフに向けられた。ところが、スタッフが、逆切れ、自分の情況がどんなものか、実際に一次オーディションに合格した後、どうなるかについて具体的な話が展開される。1万人の希望者に対して、その希望を実現できる者は1人しか居ないと言われるこの業界の、下働きをしている者の言葉に、応募者全員が撃たれてしまう。
そんな中、次のオーディションを受ける者に呼び出しが掛かるが、順番では、審査員を殺すミッションを帯びた殺し屋であった。紅一点の受検者、コンプレックスの塊のような女の子に何とかチャンスを与える為、殺し屋は、彼女に順番を譲るが。
ラストは観てのお楽しみ。
タイトルからも推察できるように、「コーラスライン」を下敷きに、麻雀のオーラスを絡ませている所に、脚本家のセンスを見るべきだろう。つまり、長い待ち時間を半チャン、通常2時間のマージャンに例え、そのオーラスに掛けているのである。
舞台上はパイプ椅子が舞台奥と上手に並べられただけの裸舞台、下手には、ドアノブのついた横木だけでドアを表した出捌け口。つまり、完全にシナリオ、演出、役者の技量、照明、音響などの効果だけに頼った実力派の舞台構成である。結果、裏切られなかった。
舞台上に常にいるのは、オーディションに参加する志願者、彼らは、徒然に話をしたことで、一種のコミューンを形成している。これに対して、次の受検者を呼び出しに来るスタッフは、他所者である。だからこそ、ドラスティックなコミューン変容のきっかけを作りだすのである。この辺りの普遍的構造を実に巧みに業界内部の話に転移し、あまつさえ、オーディションには、来そうもない殺し屋、それもサラリーマンとしての殺し屋というキャラクターを設定することで、滑稽と意外性を加え、そこで生じる齟齬を逆用して、物語に深みを加える手法、実に見事である。
更に、小劇場の特性を活かし下手で身体パフォーマンスが行われている時、同時に上手では、科白中心の演技が行われているなど、同時進行的に異界が共存する、せわしない現代を表象するような演出も気が利いている。作品はちょっと短めで65分~70分程だが、内容の詰った、たるみの無い楽しめる舞台に仕上がっている。
オレンジの迷信行動
ナイスコンプレックス
サンモールスタジオ(東京都)
2013/08/09 (金) ~ 2013/08/18 (日)公演終了
満足度★★★★
己の位置
18歳1カ月で母子殺人事件を起こした光市母子殺人事件の被告と被害者家族、捜査関係者、司法関係者を巡る話である。法や、法哲学が擬人化されている為、始め若干戸惑うかも知れないが、面白い作品ではある。
ネタバレBOX
まあ、法などというものは、運用に限って言えば、基本的に為政者を守る為のものであって、例外は無い。細かい事件についてはそうでない例は無論、たくさんある。然るに、政治的に重要だと彼ら、為政者が判断した場合には、無論、例外など無い、という一般則の例外を為している。即ち、通りの良いことばで言い直すならば、茶番に過ぎない。そこに、産経だの、読売だの、大衆の目線をアメリカの実際に行っているダーティーな側面に向けさせない為に機能しているメディアが、事実をキチンと検証し、幾重にも裏を取って確認し、更に専門家などに意見を聞き、無論、一次情報を持つ者への綿密な取材を通して複数の証言を取る。だが、日本のメディアの殆どが腐りきっているので、事実ではなく、当に正反対のでっち上げ、例えば、警察発表などを垂れ流しにするだけなのである。自分が、ここ迄ハッキリ述べるには、無論、絶対的根拠を持っている。知りたければ、個人的に連絡をくれれば教えよう。但し、スパイは御免蒙る。連絡を頂いた場合は、信用できるか否か確認させて頂くので悪しからず。
原発関係で言うならば、現在、最も正確な報道をしている関東エリアの新聞は東京新聞である。キチンとした報道をする為に、関係記者クラブを脱けた。国は、その後、新聞社には通常決してやらぬレベルでの税関係の圧力を掛けている。
読んでいる諸君らに、覚悟があるなら調べてみるが良い。本当のことを。ホントには、何が起こって居るのかを。最高裁は最も酷い。地方裁判所の判断が、圧倒的に正しい場合が多いのだ。一例を挙げておこう。
現在問題になっているオスプレイについてだ。日米地位協定では、飛行高度の最低は、平均150mになっている。が、何故、最低高度が平均などと訳の分からない言い方になっているのか? 答えはハッキリしている米軍のオスプレイ運用マニュアルでは60mである。そして、日本国の航空法で、この高度は認められていない。つまり、違法である。憲法云々も大切だが、運用上、日本国憲法より上位の扱いを受けているのが、日米地位協定という日本被植民地化の協定であることを知っておくべきである。一方、日本の右翼とされる連中は、民族主義者などでは断じてない。民族主義者であれば、今述べたことは是認できまい。彼らは、只の政治ゴロ、アメリカの日本に対する権益を守る犬に過ぎない。この事実もきちっと認識しておくべきである。裕仁の戦争責任についても無論である。8月15日、ラジオ放送を流す迄、裕仁は、大日本帝国臣民の唯一の主権者であった。従って、法的に東京裁判で弾劾されるべきは、裕仁1人であったはずである。この辺りの論理を誤魔化し、その点について指摘して来た我々の意見を発表させず、終には、この国の倫理、哲学、思考の根本をなし崩しにした、その根本原因は同根である。臣民よ、臣民意識を掘れ、未だ、臣民でしか無い己を先ずは知れ! その上で、勉強せよ。己の頭を用いて悩め、悩み抜いて得た物を検証せよ、その結果、間違っていたと判断したら、それまで盲信していた思考形態を捨てよ。その上で、バイアス無しに、誤魔化さずに視よ。そして、再度、信用できる物だけを集めて検証した上で、そろりと参れ。この程度が、入り口である。後は、己自身でやれ。それなりの力も覚悟もあるはずである。
この程度のことを言わせ得る内容であった。面白い。
Cracker x Jacks
劇団禄盟漢
吉祥寺櫂スタジオ(東京都)
2013/08/11 (日) ~ 2013/08/13 (火)公演終了
満足度★★★★
逆転に次ぐ逆転
一流を自称している仲良し3人組。1人は、どんな金庫も数十秒以内に解錠、一人は、美術品など高級品の目利きに長け、残る1人はIT技術に長ける。この3人に別々の依頼主から、同じ邸を襲う案件が発注された。然し、そこは、フリーランスの盗みのプロである。何時何処で仕事をするかは互いに明かさない。いつも通り、ブラフを並べお決まりのジョークで漫才宜しく臍で茶を沸かしている。
ネタバレBOX
ところで、実際、仕事に入って見ると、3人が同じ邸、同じ時間帯に鉢合わせ、盗みの依頼は総て、由緒ある美術品や宝石、ダミーも置いてあるので、鑑定眼が必要である。無論、3人の中には、鑑定眼のある者は居る。従って真贋を見抜くのは容易い。然し、本物は4点、仲間は3人、美術品や宝石であるから分轄する訳にはゆかない。分け前で揉めることになった。
だが、3人に依頼した者達を統括しているボスが居た。彼女は、依頼された3人の関係を良く知っており行動パターンを読んだ上で罠に掛けたのであった。その上、彼らに約束した報酬を払わずに済むよう、更に優秀と定評のある犯罪者を使って、3人に失敗をさせ、プロとして報酬を要求できないように仕組んだしなシナリオを練り、それに嵌めたのである。
だが、一流を自任するだけのことはあった。警察に踏み込まれる寸前、依頼主に頼まれた対象は総て、元に戻し代わりに、頼まれてはいなかったが、邸の主が、秘密裏に隠しておいた現金を頂戴した。担当デカは、証拠不十分で容疑者をパイにせざるを得ず、上司から大目玉を喰らったばかりではない。当然、これから先の可能性の総てが潰えた。彼は、ボスに文句を言うが、後の祭り。ボスはボスで、最後に放った刺客を裏切ったことを悟られ、彼にも裏切られることとなった。
その後、粋な出会いと同盟が成立するが、具体的な内容は観てのお楽しみだ。
動物たちのバベル
シアターX(カイ)
シアターX(東京都)
2013/08/07 (水) ~ 2013/08/10 (土)公演終了
満足度★★★★
実験
三幕構成。開幕早々、暗転した舞台上には高低差を持ち、様々な位置を持つ蝋燭の光が灯され、やがて各々の台の上に置かれる、示唆的なシーンで開幕。
ネタバレBOX
栗鼠、兎、熊、狐、犬、猫役の6名の役者が登場。人間が滅んだ後、各々は、犬を除いてせいせいしている。まあ、人間というものは地球上の全生物の中にある癌細胞だから当然だろう。
犬ばかりは、それでも人間を懐かしみ、庇いだてするが、猫は、人間の残した缶詰を利用しようとしている。然し、缶を開ける手段が無い。それで、栗鼠と交渉して開けて貰ったりしている。
人間が滅んで間も無いので動物たちも所在なさげに日を送っているということだ。
所在なさにも、好い加減飽きが来て、動物達は、敵から身を守るために要塞化した搭を建てようとする。計画を実現化する為に、会議を開き、話し合いを持つが、建設を具体化するに当たって、計画を引っ張る者が居ない。犬だけはリーダーを決めて、その者の下に、計画を推進しようと提案するが、他の動物達は、リーダーの下に行動するという習性を持たない為、この案は却下される。各々の平等を原則に、代わりに提案された案は、各々の習性に基ずくものであったが、衆目の一致をみないばかりか、意見の食い違いばかりを明らかにするのであった。そこで提案されたのが、違い自体を翻訳するというものであった。この案は承認され、誰が翻訳家になるか、という段で、また一モメ。結局、くじ引きで選ぶことになり、栗鼠がその役を負うことになってが、議論を続けるうちに、最早、敵が存在しないことが明らかになり、塔を建設するという文明的なプロジェクトそのものから、言語翻訳、差異性の容認など文化的なプロジェクトへの変貌を遂げる。
劇場の裏方スタッフが登場して、舞台上の転換を宣言し、観客は、二幕までの舞台出演者対観客という演劇空間から、劇場へ芝居を観に来ている観客と場面転換をしている裏方という「現実」世界へ誘われる。
動物達は、時空の転移を経験したような不思議な体験を舞台上で語るが、その後、舞台上から観客席を見る。其処には、人間が居るようだ、否、確かに本物の人間が居ることを発見。客電が灯され、客席が明るくなるとハッキリ人間が居ることを認識し、動物の観点からヒトに対して、根本的な問いと発することになる。
その問いとは、歴史上の何かを蹴られるとしたら、観客の各々は、何時の、どんな出来事を、どのように変えたいか、というものであった。