真田風雲録
もんもちプロジェクト
荒川区ムーブ町屋 ムーブホール(東京都)
2013/09/06 (金) ~ 2013/09/08 (日)公演終了
満足度★★★★★
日本は変わったのか?
戦国が終わりを告げた関ヶ原の戦いが幕開けである。合戦の前には法螺貝を吹き鳴らす効果音を流すなど演出的にはかなり凝っている。また今演出では演劇が総合芸術であるという謂われ方をしているのに対し、デザインの仕方なのではないか、という視点で取り組んでいる点も興味深い。実際、楽器だけでも和太鼓あり、パーカッションありでコラボしているし、ギターもエレキとアコースティック、他に琴、横笛(効果音?)、三味線などが、用いられ場面に応じて面白い使い方をしている。実は、越境も隠れたテーマなのである。
内容的にも17世紀初頭と現在を時間的・空間的に照応させている。事実、ここで描かれていることは、その革新性、党派性、組織とリーダー、支配者と被支配者、更には民衆との相互関係であり、体制派と反或いは非体制派との相克、実現すべき社会をつくるに当たっての展望の有無、その有効性、闘いの中での異論や分裂、味方と敵との線引きの難しさ、裏切りの定義は可能か? 等々、実際に戦った者にしか問題の本質が見えてこないような深読みがいくらでもできる内容になっており、また実際に戦う場合には必然的にぶつかる問題群なのである。一応、17世紀初頭を描いてはいるのだが、当に我々が、日々抱えている問題そのものだということができよう。
役者陣の殺陣も素晴らしい。
G・愛・情
カラスカ
上野ストアハウス(東京都)
2013/09/05 (木) ~ 2013/09/08 (日)公演終了
満足度★★★★
ドラマ構成のコツ
タイトルそのものも無論だが、様々なレベルで言葉の遊びが含まれている。また、内容的には、ファンタスティックな要素が物語の中核に関わることで、実際にはあり得ない世界を描きながら、同時に、人間の深い部分へも目が行き届いている為、物語としてきちんとドラマが成り立っている。この辺りの構成の確かさと人間の本質に対する目線が、面白いと同時に人間的な作品に仕上げている。
明日も明日も、そのまた明日も
劇団かさぶた
王子小劇場(東京都)
2013/09/05 (木) ~ 2013/09/08 (日)公演終了
満足度★★
連関
描かれているのは、木星の衛星、エウロパ、地球、天国の3世界。然しシナリオの論理に必然性が無い為ドラマとして結実していない。この原因は、作家が、各々の場所に固有の体系をではなく、自分が最も簡単に捉えることのできる知識を羅列しているに過ぎないことにあると考える。戯曲が戯曲らしい戯曲として成立する為の最低条件は、描かれた各々の場所で、登場する生き物の個々の事情に即したイメージトレーニングを行っているか否かに由る。今作では、その作業が行われていない。時間、当てにした資金の調達不可、矢張り当てにした人間関係の不如意等々、事情はいくらでも上げることが出来よう。然し、結果はこのようであった。観客に伝わらなかったのだ。これが、最早、陳腐と言えるほどになったディスコミュニケーションに対する新たな異議申し立てである可能性は否まないが、仮に、其処まで意識していたなら、違った形に仕上げただろう。少なくとも、自分が、作・演出をするなら、全く異なる形を採る。
もう一つ、気に掛かる点がある。劇団名である。“かさぶた”という名を名乗る以上、傷が癒えたらサヨナラ。即ち無用の長物、という意識なのだろう。自らを全否定はしないが、全肯定は愚かしい、と思っていると取らせて貰った。表現する者が逃げてどうする?
兄弟ノート
劇団ヨロタミ
萬劇場(東京都)
2013/09/04 (水) ~ 2013/09/08 (日)公演終了
満足度★★★★
同化
ヨロタミ。この名前からでも庶民に寄り添うタイプの芝居を作るということが伝わって来そうだ。寄ろう民がヨロタミになったのではないか、と勝手に思っている。手法で言えば同化を用いるということになろうか。自分の好みとしてはブレヒトなどに代表される異化を狙う手法がより好みではあるのだが、力のある劇団であることは間違いない。(追記2013.9.6)
ネタバレBOX
今作で明良を演じた大和田 悠太のリアル、長男を演じ作・演出の坂本 直季の内向的だが誠実でひたむきな姿、西村 誠一役の寺林 伸悟が演じる、会社を背負う男の見せる苦悩、宮本 博克役の勝又 保幸は、直季の実父でありながら、複雑な関係を作り出してしまった男としての覚悟を示し、けじめをつけようとする顔の作るなど、光る演技は多い。基樹役の金藤 洋司も神経の細いキャラをいい味で出していた。宏海役の水谷 千尋も性同一障害を抱えるキャラを暗くなり過ぎない形に纏めていたし、守役の河嶋 健太も守の好人物ぶりを良く伝えていた。また純太郎を演じた大矢 三四郎も特殊な好みを持つキャラの味を嫌味にならない形で出していて好感を持った。母親役の五十嵐 さゆりは、微妙な人間関係を歩きぶりや楚々たる態度で示すなど質の高い演技をしており、それぞれが、それぞれのポジションにあった良い演技をしている。結果、観客は、物語の哀調に捉えられ、涙を流すことになる。
無論、ここに名前を挙げなかった演者もきっちり自分の役割を果たしている。全員が各々のポジションをキチンと見、ちゃんと役割を果たしているからこそ、これだけの舞台が成り立っている。
だが、と自分は思う。これは、好みの問題なので、演技などよりは、自分の生き方、人生の選択の仕方に関わるのだろうが、泣くことで慰めたり、慰められたりということに溺れてしまっていいのだろうか? と。これだけ、アメリカに蝕まれ、タイプの異なる原爆を2発も落とされた上、被爆者はモルモットにされ、更にはF1でこれだけの事故を起こしておきながら、只、湯を沸かす為だけに、更に多くのリスクを負い続ける「国家」経営を唯々諾々と受け入れる愚か極まる為政者と官僚、企業と御用学者、司法、マスコミの癒着と嘘、隠蔽体質等々の問題を毎日嫌という程見せつけられながら、泣くしかないのか?と。
自爆!
祭りの準備
阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)
2013/09/03 (火) ~ 2013/09/08 (日)公演終了
満足度★★★★★
とても頭の良いシナリオ
高校生、教師、モンスターペアレンツ、三つ巴の学園物。世話物に分類されるだろう。歪んでグチャグチャな世の中を若い人たちは、若い人たちの遣り方で良く観ていることが、伝わる内容であり、シナリオである。場面転換を実に効果的に用いることで、多くの効果、作用を齎してもいる。ただ、若者に見えているこの「国」の現実の底に蠢く相互不信の根深さには、暗澹たるものがあるのも事実。最終的には、仄かな希望が無いわけではないが。(追記2013.9.11)
ネタバレBOX
舞台開始早々、文化祭の実行委が明日からの文化祭に備えて準備をしている。各クラスでイベントをする為、このクラスでは、学級委員が、実行委員も兼ね準備に余念がない。然し、委員以外のメンバーは、3人来てはいるものの、他は遅れている。おまけにメンバーのうち定時に来ている二人は、ゲームをやったりして、肝心の飾りつけは一切やっていない。委員長ともう一人のメンバーが1時間経って戻って見ると、何も進んでいないので、二人に買い物を頼み、他のメンバーの話などし乍ら、飾り付ける物を作っているのだが、漸く、遅れて、ぼちぼち集まり始めた。別のクラスのメンバーも、自分の所が終わったからと手伝いに来てくれた。そうこうしているうちに、自爆志願の二人がやってくる。うち1人が自爆宣言を読み、回りのクラスメイトに認知を求める。自爆が、一種のメッセージとして認められることが重要だと考えるからである。更に、クラスの仲間が入ってくる。携帯依存の女子、ギャルを目指して奮闘中の仲良し二人組、などである。
場面は変わって職員室。モンスターペアレンツが訪ねてくる。その母親のことをよく知っている女教師は、既にテンションがめいっぱい上がっている。職員室で、件の母親について好きなことを言っているが、本人が来ているにも関わらず、一切気付かずに悪口をまくしたてる。他の教師は合図を送るのだが、肝心の本人は、一切気付いていない。さて、そこに闖入した母親は、モンスターペアレンツと呼ばれるに恥じない喋りを展開する。凡ゆることを自らの息子の為に正当化するのである。例えば、教師の一人が関西出身で関西弁を使っていると「息子が関西弁を怖いと言っているからそれを標準語にせよ」だの「ハンサムな教師の顔は、生徒が授業に集中するのを妨げるから、整形して、生徒が素敵だと思わないような顔にしろ」だの、無茶な屁理屈を持ち出すばかりか、教師たちは税金で食べているのだから、それらのことを実行するのが当然という論法である。
そこへ、こんなメモを置いて出かける生徒が居る? と別の教師。メモにはもやしを食べに行きます。と記されている。ギャル志願女子である。二人は、もやしのあとには鶉の卵、その後は、という具合で食べたいものを買い食いしながら、尻取りをして遊んでいる。その尻取りで用いられる単語が、ユニークである。映画の名、スターの名、シリーズものになった映画をそのシリーズご毎に独立単語として扱かったり、喋り方も、実にかったるそうな話しぶりで現代の女子高生ブットビ派とか、渋谷系とかのノリなのだろうか? 「アベノミクスって分かんない」と1人が言うと、「アベのミックスだから首相も総理も幹事長も大臣も皆アベなんじゃない」と答えるなど。こんな会話の合間に、首相が年中変わるね。こんなに変わるのは、誰がなっても同じだからじゃない。などと鋭い指摘が飛び出す。無論、計算ずくで組み立てられた会話なのだが、何れにせよ、リアルな感じがする。
前半は、大人から顰蹙を買いそうな状況が描かれるが、自爆組が本題に入った辺りから、徐々に学園の空気は、マジモードに入ってくる。最初に、自爆宣言を読んだ男の子は、モンスターの息子で普段から図書館で本を読んだり体育の授業では、見学ばかりだったり、テストの答案用紙を白紙で出したりしているのだが、それもこれも、親が決めた人生行路を歩めと言うばかりで、子供の言いたいこと、やりたいことは総て潰す。大人になることは、人間としての自分の総ての可能性をつぶし、社会に適合すること、という痛烈な認識に追い込まれているのである。これが、彼が自爆に走る原因なのだ。先ず彼は、アロンアルファを用いてもう一つの自縛を実行する。その上で、偶々、このクラスに居た全員を自爆に巻き込むのである。
彼は、常に人との接触を避け、トイレに籠って食事を摂る。然るに、毎週水曜日には、隣の個室に決まって現れる者があり、矢張りトイレで食事を摂っている。証拠もあるとコーヒー牛乳の空きパックを取り出す。それは、別の組から手伝いに来ている生徒が年中飲んでいるのと同じものであった。当然、彼は自分では無いと否定するが、“しゃめ”で撮った映像証拠を暴露される。そこに映っていたのは、別の組から、手伝いに来ていた生徒であった。その後、自爆志願のもう一人が「でもあんた達はまだいい。自分は、自分自身をすら裏切ってしまったから」と自らの体験を話しだす。それは、中学時代仲の良かった3人組が、高校に入って苛めに逢い、苛められた仲良しと話したり、関わったりすると自分迄苛められるので、彼女との関係を断つに至った陰惨な事件であった。苛められた娘は、現在、精神病院に入っていて、事件以来時間が止まってしまっている。彼女は、仲良しだった二人に手紙を寄こす。それは、毎回同じ内容なのだが、定期的にずっと届くのである。自縛女子は、実行委の女の子に振る。その子こそ、その事件で苛められていた娘を精神病院行きにした人間であったのだが、彼女はその事実その物を認めようとしない。これらの事象を携帯に撮り、写メで送ったりムービーに撮ってネットにアップしたり、ツイッターで流したりしている女子が、携帯依存を暴露されるなど、各々が各々の隠しておきたい事実を暴かれることによって、己自身を深化させてゆく。
これらの挿話の合間には、最も実践的な教師と終には退学、後に傷害事件を起こした生徒の話が、点描される。不良少年は、親からも見放され、学校にも来なくなっており、校長以下、件の教師以外全員が、退学の方向で動いていた。実践教師は、彼の心の傷みを汲み憂さ晴らしに喧嘩を仕掛けては他人を殴る生徒に、他人を殴りたくなったら自分を殴れ、、お前が殴りたくなった時には何時でも俺を呼び出せ、と自分を殴らせる。その代わり、教師は生徒に幾つかの約束をさせた。教師以外の人間を殴らないこと、できれば学校に出てくること、一日一行でもいいから本を読むことなどである。生徒は、段々、教師を信じ始め、終には教師を殴ることも殆どなくなり、学校にも顔を出すようになったので、教師は自分の愛読書を生徒に渡し読むように勧める。生徒は、それを受け取ったが。生徒にかまけて自分を疎かにした、と教師は妻から離婚を迫られ、別れる羽目になった。直後、生徒が他人を殴って、またぞろ、退学問題が浮上、流石に教師も自分がどれだけ生徒を庇ってきたか、どんな思いをしてきたかを初めて述べ、生徒を殴る。生徒は見捨てられた、と考えて二度と学校へは戻らなかった。後で、教師が入手した情報では、本を読んでいた生徒が不良にからまれ、本を取り上げられたことから喧嘩になったこと。生徒が本を取り返したことが判明するが、時、既に遅し。纏めると、このような話が、各挿話の合間に演じられているのである。この構造も見事というべきだろう。閑話休題。
現在、最も深刻な問題の一つである苛めを真正面から取り上げ、加害者、被害者と被害者の友人らとの関係を通じて、被害の凄まじさ、グロテスク、非倫理性等々、皆が向きあわねばならない問題を問い掛けた。チャラけた様子をしていたギャル志願者二人は、学校から抜け出し、様々な物を食べ歩き、しりとりをしながら、実は、自殺志願者であった。この二人の受け持ちは、金八先生の大ファンで熱血教師なのだが、実践経験は浅い。その先生の受け持つ生徒だった。学校中が大騒ぎになり、彼女達が何処へ行ったのか探される。と、屋上に上って飛び降りようとしている二人の姿を発見。何人かが止めに入るが、彼女たちの心には届かない。最も実践的な先生が、自分の欠点も晒しながらの名演説をぶって彼女達の自殺は止めることが出来たが、モスキートトーンという大人には聞こえない周波数の音を放送質から流したことも効を奏したのであった。雄弁は、銀、沈黙は金という古い格言が、大人達には突きつけられたわけだ。ここで、描かれたのは、凄まじいまでの世代間ギャップとディスコミュニケーション。決定的な原因は、無論、若者の大人への絶対的不信感だ。唯一、救いがあるとすれば、大人には聞こえなくなってしまったモスキートトーンが、若者達には共通のコミュニケーションになる可能性が示唆されていることである。
虎と。狼と。
多少婦人
ギャラリーLE DECO(東京都)
2013/09/03 (火) ~ 2013/09/08 (日)公演終了
満足度★★★★★
かなり 婦人
虎バージョンを拝見。9月8日まで2つの独立した作品を同じ会場の異なる日時に公演する。異なる作品ではあっても、虎と狼は友だち関係にはあるそうだ。拝見していて、作家は女性だろうと思っていたら、男性であった。(怒らないでちょ!)
虎バージョンは、“虎穴に入らずんば・・・”“虎の威を借る・・・”などの諺から、虎の親が子供に教育を受けさせる話を中心に全6話のオムニバス形式で展開する。虎穴からは、虎の穴が、虎の穴からはタイガーマスクがという連想にもなっている。
都会的なセンスと残酷な童話とでも言ったらよいような、自分を他人の目で見るような醒めた視点が、エッジの効いたシナリオに仕上げているのは、特筆すべき点だろう。ドライな面白さがある。初日だったので、ネタバレ・詳細は後送する。(ほんの少しだけ追記2013.9.11)
ネタバレBOX
悪戯精神があり、残酷な部分を持つことで異化効果を発揮している。オムニバス形式なので、あと2~3話足しても、この内容と質なら飽きられることはあるまい。
こどもの一生
演技ユニット『想像塾』
ART THEATER 上野小劇場(東京都)
2013/08/30 (金) ~ 2013/09/01 (日)公演終了
満足度★★★★★
身体化する為の要素と方法
シナリオは論理であることを改めて思い起こさせてくれる舞台。役者陣の力が高いので、イメージとしてシナリオで提示されているものが、その演技、メイクや、照明、音響などの効果で実体化する。裸舞台と言って良い舞台で、本当にシナリオが身体化する現場を目撃できる。
ネタバレBOX
ストレスを溜めた現代人にストレスを解消させる為、直径6km、周囲20Kmの島には、セレブ専用の精神科施設が設けられていた。療法は、大人社会の束縛から逃れ、10歳の子供として生活するというもので、若干の薬の服用と催眠、共同生活、社会的地位などをかなぐり捨てた“遊び療法”によってストレスを取り去り、自分達が考えた遊びを通じて、自分達のルールを自ら作ってゆくことを目的としている。
だが、催眠を掛けられ、暗示に掛かり易い状態になっている参加メンバーが、余りに身勝手で暴力的な社長を排除する為に、相談して作り上げたキャラクターが実体化し、凶暴化して大変な事態に。
「もう半分、殺してくれませんか!?」
劇団ステラビア
中野スタジオあくとれ(東京都)
2013/08/31 (土) ~ 2013/09/01 (日)公演終了
満足度★★★★★
楽しめる
喜劇的要素を入れた世話物。落とし所をキッチリ押さえたシナリオできらりと光る物を感じる。タイトルの意表を衝くインパクトに内容、その展開も負けていない。舞台美術のセンスも良い。今後の活躍を期待できそうだ。最高評価は、センスの良さに対してと将来性。
遺作
ENBUゼミナール
RAFT(東京都)
2013/08/30 (金) ~ 2013/09/01 (日)公演終了
満足度★★★★★
ドッペルゲンガー
ドッペルゲンガーが現れることで有名な「歯車」をベースに、このような地平を含む考察を射程に収めながら現代を生きる“ユートピア”という名の劇団の専属劇作家及び演出家のダイアローグを核に[The Fool],[Gate-A],[Tiny Sleepiness],[Wonderland]の4作がオムニバス形式で綴られる。因みに[The Fool]のみは、小プロットが複数回に分けられて全体の流れの影響を受け、且つ与える関係の中で演じられるという特殊な位置を閉めている。
ネタバレBOX
仕事机に突っ伏している劇作家は筆記具を手に持ったままである。演出家が訪ねてくる。
その後、暗転すると1人の老婆が座っている。政府関係者が、立ちのきの要請に来ている。というのも、この辺りは、、自治体が、交付金欲しさに誘致を認めたので塵処理場が出来ていたのだが、処理能力が追いつかなくなって結局、今では、有害ガスや土壌汚染、地下水汚染が広がり人の住める状態ではなくなったので住んでいた住人を別の場所へ移動させる為に役人が来ているのであった。然し、年寄りの中には、他所の土地へ行っても生きてゆけないと移住を拒む者もあり、その説得に来ているという訳だ。だが、どうしても出てゆかないという老婆に、出て行かせたい役人の衝突は出口なし。役人は、終に老婆相手に動けなくなる程の暴力を奮う。(死んだと解釈した方が、作品の解釈上は興味深い。というのも面白い演出が控えているからである)
[Gate-A]は、2人の人物が悪魔の前で対話を交わす作品だが、天国へ行けるような内容の話をすること、それが、悪魔に“良し”と判断されれば天国へ行け、でなければ行けない、という設定だ。「蜘蛛の糸」を連想する方も多かろう。然し、結果は、2人共に天国へは行けない。1人は、総てを他人の所為に転化し続けており、注意されても一切改めなかったことによって。もう1人は、それを批判するだけで、矢張り注意されても天国を目指せるような表現は一切できなかったことによって。其々が、其々に相応しい現世に戻されるのだ。前者は、その行いによって最も苦しむ状況へ。後者は、批判される苦しみを味わい続ける場所へ其々行くことになる。
[Tiny Sleepiness]は、夢と現の話であるが、登場する人物の総てが寝ている誰かの夢に見られているかもしれない、という不気味な世界。アイデンティティーが魔術を含めた得体の知れない主体に由って脅かされる不気味を描く。
[Wonderland]は、足の悪い母は1階に。2階には、息子が住んでいる家の話だが、息子は、天井裏が騒がしかったので調べに行ってみると鼠の国に迷い込んでしまい、其処で鼠社会の様々な習慣を見、それに慣れてから人間界戻ったものの、人間界には馴染めなくなってしまっている自分を発見、鼠世界に戻りたいと願っている。而も、現在、それは、精神病院の収容患者としてなのだ。
再び、[The Fool]が登場するが、劇作家は睡眠薬で自殺を仕掛け、あわや、という所に演出家が訪ねて来て偶々一命を取り留めた。だが、作家は、何も信じることができない。つまり生きて行く為の条件を欠いているのである。演出家は言う。それでも、何か信じるモノを持て、と。信じようとすることを選ぶことによって己を救うことにも繋がると。最終的に、作家も友の言葉を信じ生きて行こうと決意する。
丼
劇団天然ポリエステル
シアターシャイン(東京都)
2013/08/29 (木) ~ 2013/09/01 (日)公演終了
満足度★★★
夏の定番
夏と言えば怪談は、定番である。TV局のクルーが、取材した心霊スポット、11番地まである“あるはず”の番地毎の本年度実績で、嘗てトップを独占した4番地チームも今では最下位、見る影もない。おまけに、嘗ての栄光は、人間サイドでは、現在ディレクターになっている男の若い頃の創作、でっち上げだと言われる始末。幽霊としては立つ瀬がない。そこで、ボスの命令一過、失地回復を図る為に、新人探しに走るが。
(追記2013.9.1)
ネタバレBOX
現在ディレクターになっている男が、久しぶりに4番地にやってきた。新しい番組制作の為である。然し、彼は霊感が無く、ホントの幽霊が居るにも拘わらず、一切、感応しない。そればかりか、この地に眠るかも知れない数千万に上るお宝を探そう、という人物も現れる。
撮影が始まるが、ひょんなことから、出演する女の子、おりえと幽霊になって自縛霊として4番地に住みついている女、キャピ子が喧嘩を始めてしまう。この時、出た名前は、矢張り出演者である殺人犯の本性を曝け出すに充分なきっかけであった。
シナリオの展開が、凡庸である。もっと対比を上手に使い、ドラマチックな展開になるように作って欲しい。シナリオに切れが無く、演出が眠いのは、憂き世の見方が、未だ先鋭化される所まで行きついていないからだと思われる。哲学、社会学、メディアリテラシー、観察力などを高める努力が必要だろう。
『贋作・五右衛門』
東方守護-EAST GUARDIAN-
SPACE107(東京都)
2013/08/30 (金) ~ 2013/09/01 (日)公演終了
満足度★★★★★
絢爛華麗
10分の休憩を挟んで2時間45分程の作品だが、シナリオも飽きさせない内容であり、華麗で細部にも気を使った舞台表現も見所である。左大臣が、お歯黒をしている点などを見ても、時代考証をきちんとし、風情のある舞台にしている様子が窺えよう。時に、紗幕を利用して幻想的な雰囲気を出すなど、演出、照明、音響なども気が利いており、花吹雪の使い方も効果的である。また、海の擬音を態々、犬役(はち)の女優が、舞台上で演じて観せるなど、ちゃめっけも健在、キャスティングも良い。女性たちの美しさ、可愛らしさに酔い給え。(追記2013.8.31)
ネタバレBOX
王国を安んじ確固たるものにする為、女王は神を契りを結ぶ。懐妊した彼女は、仮面を被った神の素顔を見たいと望む。神は最初拒むが、真実を知ることから愛は育まれる、と詰め寄られ、素顔を曝すが、そこに現れたのは獣の顔であった。女王は「自分は獣と交わったのか、化け物よ、失せよ」と叫ぶ。この言に激怒した神は、王国が呪われ、生まれる子によって塗炭の苦しみを嘗め、滅びに至るよう呪いを掛ける。
だが、女王もしたたかであった。和合した者が持てば神の命すら断つことのできる剣も、占いの力を持つ宝珠も己の手にあったからである。それに引き換え、神は祠に祭られ、そこから動くことはできない。
時満ちて、女王は神との間の子を産んだ。だが、自らと王国に仇を為すと考え、子を殺そうとする。然し、彼女の妹がこれを憐れみ、宝剣と共に王子を連れ、何処ともなく姿を隠した。そして、子に生えていた狐の尾を切り人間の子として育てた。25年が経って、子は美しい青年に育った。その上、仲間と徒党を組み、自らは石川 五右衛門と名乗って、時の左大臣が、女王から拝領した黄金の扇を盗むと予告した上見事盗んで見せる。而も、その時の出で立ちは太夫のそれ、見事な美しさで大臣の心を掴んでしまった。
然し、次に五右衛門立ちが狙ったのは、宝剣。何処に在るとも知れぬその宝の情報を得る為に、五右衛門自身が王宮に入り探索を開始したが、其処で、父である神に肉体を乗っ取られてしまう。無論、神は己の無念を晴らす為に息子の体を乗っ取り、女王並びに王国に仇を為そうとしたのである。五右衛門の肉体を乗っ取った神は、出雲の国からやって来た姫が、五右衛門の朋輩の美しさに惹かれていることを利用して手なずけ、もう一人の王子を遅効性の毒を盛って殺害。その罪を五右衛門一党にきせ、あまつさえ、五右衛門の配下であり、恋する女と一緒になり子を設けて幸せ一杯のわたるに五右衛門を名乗らせ、わざと捕まって刑に処せられるように仕組み、子供迄殺してしまう。わたるには、絞首だと偽情報を流したばかりでなく、仕掛けを施して逃れることができるようにしてあると誤魔化してもいたが、実際には、釜茹で刑にして殺してしまう。
一方、左大臣は、独自に王子殺害の調査をしており、出雲の姫が怪しいと証拠の品を持ち出して追い詰める。刹那に宿った神は、その毒を、王子に与えた薬なのだから飲めと迫り姫を殺害。更に、女王を追い詰めてこれも殺してしまう。そこへ母を心配して側近と共にやってきた王女一行と対峙するが、側近、将軍らは、神通力に手が出ず、殊に側近は、神通力によって己の刀で己を足を切らされてしまう。
ところで、宝刀を探す為に放っていた密使もその在りかを突き止め、宝は手に入った。然し、神を殺す為には神と和合した者がその宝刀を用いなければならない。五右衛門と神は一体化しているので、五右衛門と朋輩が和合した上で朋輩が己の命を断つと共に神の命、即ち五右衛門の命を断つならば、結果として神は死ぬ。彼ら2人は、この計画を成巧させる為に和合し終には神と決闘することになる。神は、傷を負ってもすぐさま回復してしまうので、殺すには、宝刀を用いるにしても致命傷を与えなければならない。その為には、朋輩も同時に死ななければならない。彼らは、だが、終にそれを為す。神は、神通力を持ち、而も永遠に生き続ける存在だが、愛されなければ、寂しさだけを抱えて永遠を生きなければならぬ。だが、和合した者の用いる宝剣によって命を奪われることによって漸く永劫の孤独地獄から解放されるに至った。
【終演。ご来場ありがとうございました】Q& ~近藤プロデューサーの最後の問題~
RebornTrouperPassion企画
APOCシアター(東京都)
2013/08/28 (水) ~ 2013/09/01 (日)公演終了
満足度★★★
答えられるかな?
最後まで、色々仕掛けが出てきて、それなりに楽しめる。まあ、一種のクイズに観客も参加しているということだ。
ネタバレBOX
ただし答えは数学的に演繹や帰納で求められるものではないようである。従って、客観的正解はない、とも考えられる。ゲーム感覚で楽しんでいるくらいで良いのではないだろうか。
桜の森の満開の下
東京演劇アンサンブル
ブレヒトの芝居小屋(東京都)
2013/08/27 (火) ~ 2013/09/01 (日)公演終了
満足度★★★★★
男と女 命と恋
生きることは喰らうこと。他者の命を喰らうこと。女には恋こそ命。生きることは、尚、喰らうこと。他者の命を喰らい続けること。恋が本気になったら、その時、彼女は恋する者をも喰らわねばならぬ。その後訪れる無限の寂しさ、身も凍る存在の寒さを知りつつ尚、喰わねばならぬ。花は散る、花は散る、まるで、恋人たちの生命の儚さを憐れむように、花は散り敷く。(追記2013.9.1)
ネタバレBOX
安吾のドライな感覚というより、美の魔力、異形の者・見えない物に身をやつした何者かの儚さを強調した作りになっている。為に“女”が消えた後の虚空にも、未だ、男の振るう刀に凄まじい悲鳴が応えるのだ。この時、この悲鳴を上げる主体は何か・或いは誰か? そも同じ主体であるか否かを考えても面白い。そして、この時刀を振るっている主体の変容の在り様を考えるのも一興である。
被告人~裁判記録より~
アロッタファジャイナ
ギャラリーLE DECO(東京都)
2013/08/27 (火) ~ 2013/09/01 (日)公演終了
満足度★★★★★
知的しかもラディカル
出演者全員が裸足という演出は、裸の人間を示唆して興味深く、衣裳も白っぽい木綿系統の素材でナチュラルで飾らない在り様を示している。このような演出からも明らかなように、扱われた5つの事件で被告人とされた者は総て、人間的に描かれている。この視点が、肝要だろう。また、5件のうち4件を日本の事例で残り1件をフランスの事例で描くことにより、洋の東西を比較対象せしめ劇的効果を高めている。
演じられることを前提としない文章を演劇化するという難題は、無数のシチュエイションを可能にするが、それを意味在る形に切り出す作業だけでも気の遠くなるような時間と労力を必要とし、己の立ち位置の自覚を促す。否、立ち位置が決められないようでは、形にさえならない。そのような知的煩悶を経て選ばれたシチュエイションは、時間的制約もあり、無駄が削ぎ落された言わば骨格である。最終的判断は、観客と作品の関係を通して、各々の腑に落ちる所にしかあるまい。つまり、客観など無いのである。それが、裁判。人が人を裁くことの根底にあるアポリアなのであろう。
(追記2013.8.31)
ネタバレBOX
以下、其々の具体例を、上演の順序に従って考察してみよう。
秋葉原無差別殺傷事件
犯人、加藤 智大:2008年8月6日12時半過ぎ、秋葉原の交差点に赤信号を無視して2tトラックで突っ込み、5人を撥ねた後、車から降りてナイフで12人を殺傷、内7名が亡くなった。この事件の第16回公判記録を元に構成された作品。大切にしていたネット上の掲示板を荒らされたり、なり済ましをされたことで、自分の大切にしていた世界が荒らされた。ネット運営者に、対処してくれるように訴えたが、対応は一切して貰えなかったなど、事件の動機、行為へのきっかけ、行動に移した原因について被告の考え方などが、弁護士の質問に対して被告が応える形式で描かれるが、家族関係に関しては、母との関係が圧倒的。被告の冷静、論理的で明晰な頭脳が、幼少時からの母との関係で如何に阻害されてきたかが浮き彫りになる。
加藤役の笹岡 征矢の演技が気に入った。
結婚詐欺・連続不審死事件
犯人、木嶋 佳苗:2009年8月6日、埼玉県の駐車場内にあった車の中から41歳の男性遺体が発見された。練炭による一酸化炭素中毒であった。自殺も考慮されたが不審点が多く、他殺の線で捜査が行われ、木嶋が容疑者として浮上、彼女には他にも何人もの愛人がおり、そのうちの幾人もが矢張り不審な死を遂げていることが判明。都合6人の殺人が疑われたが、うち3件は証拠不十分で立件されず、3件の殺人事件で告訴された。因みに2012年4月13日に出た死刑判決に対し、被告は即日控訴している。
作品は、2012年2月17日、さいたま地裁での裁判記録を元に構成された。木嶋に父を殺された娘がボイスレコーダーを隠し持ち、独自に彼女の言質を取る為に木嶋の家を訪れるという設定で演じられる。
娘との対話では、木嶋の性的奔放が、世間的常識を易々と超える有り様が、人間の本音と重なり合うような響きを帯びて、観客に突き刺さってくる。実際、生き物の生きる究極的目的は、子孫を残すことにある。従って単性生殖でない我々に、性は、絶対的な意味を持つ。自らの性器に自信を持ち、それで破格の稼ぎをしてきた木嶋の言葉は、この地平から響いてき、常識を簡単にひっくり返してしまうのである。そのような在り方そのものは裸であり、極めて正直でさえある。
結果は殺人事件という形になっているが、彼女の中では、恐らく罪の意識が成立し得ない。人間関係の謂わば破綻例、失敗例と捉えるか、もっとありそうなことは、彼女の意を被害者が、汲みそこなった結果と捉えたのではなかろうか? 何れにせよ、彼女自身の中で明確な罪の意識は形成されなかったのではないかと思える。証言が詐称でないと仮定すればだが。
日本社会党委員長浅沼稲次郎刺殺事件
1960年10月12日、日比谷公会堂で講演中の浅沼日本社会党委員長が、17歳の右翼少年、山口 二矢に刺殺された。二矢は、現行犯逮捕され、少年鑑別所に送られたが、同年11月2日鑑別所独房で首吊り自殺を遂げた。作品は、山口 二矢供述調書をもとに構成された。事件前に彼が訪れ幾日かを過ごした杉本牧場で出会った、肺を病んだ少女との面会時の対話劇として構成されている。
彼女は二矢に心惹かれるものがあった、二矢にしても仄かな恋心を抱いていたのだろう。彼女は、TVで二矢が起こした事件を知り、余りにもピュアで真っ直ぐな二矢は自殺するだろうと直感する。居ても立ってもいられなくなった彼女は鑑別所を訪れ、何とか自殺を思いとどまらせようとするが。
17歳の二矢の純粋性と知性は、心を撃つ。時代は、安保条約を巡り国会周辺では連日左翼勢力と警察が衝突を繰り返し、反米の動きも加速されて日米修好100年を祝うアイゼンハワーの来日日程調整の為に来日したハガチーの車をデモ隊が取り囲む事件が起こる等、かなり激しく揺れ動いていた。二矢は、仮にも儀礼の為に訪れた客を襲うことは礼儀に反すると酷く心を痛める少年でもあった。然し、右翼の情報には、この「国」で右翼を名乗る者の大多数が実は只のゴロツキに過ぎないという事実を証立てるような情報もない。まして、日米通商条約など、欧米との不平等条約の評価を巡っても自らの選択したイデオロギーによって正反対の意味を持つ。更には、論理は、そのオーダーを決してしまえば、そこから先の展開は、唯一先鋭化しかないと考える程の知性を彼は持たなかった。その結果、彼をして左翼代表たるに相応しいと感じられた浅沼委員長を刺すという結果を招いたのであろう。彼のストイシズムには、人を殺しておいて、自分が楽しむとか、旨い物を食うとか、幸せになるとかいうことを自分に許すべきでないとの高い倫理観が見て取れる。それ故にこそ、彼は自死を選んだのだ。
他方、二矢の悲劇は、国体などという好い加減なでっち上げ理論に基き、裕仁を神聖化したこと。論理のオーダーを間違ったことにある。結果、その純粋性故に、日本の下司共、即ち裕仁以下、責任逃れ体系の中で安穏とし続ける為に、民を裏切り、アメリカの犬と成り下がって、この「国」を統治する御用聞きの犠牲者となった点にある。
2.26事件
1936年2月26日から29日迄、北 一輝の日本改造法案大綱などの著書に影響を受けた青年将校15名が1483名の兵を率い、首相、陸相官邸、内大臣私邸、警視庁、朝日新聞社などを襲撃、陸軍省、参謀本部、警視庁などを占拠したクーデター未遂事件。青年将校らは、困民を尚収奪し、自らの腐敗を糺すことすらせず、私利私欲に走り、政を疎かにする為政者らの退廃を嘆き決起したが、無論、裕仁は、将校たちが望んだような義軍としての判断はせず、激昂して賊軍とし直ちに鎮圧を命じた。結果、7月12日将校15名は銃殺、8月19日には北 一輝、西田 税、村中 孝次、磯部 浅一ら4名が銃殺されて事件は幕を下ろされた。
作品は、2.26事件裁判記録及び磯部 浅一の獄中日記をベースに、獄中で死刑判決を待つ磯部を取り調べに来た、陸軍士官学校時代の仲の良い後輩、法務官となった人物との問答形式で演じられる。因みに天保銭と呼ばれるこの後輩は陸大出、徽章が天保銭に似ていたことからこう呼ばれた。中でも最も優秀な上位6名には、天皇から日本刀が与えられたという。
2.26で将校達が決起した背景には、庶民の貧しさがある。飢饉ともなれば、自らの姉や妹が女郎として売られるというのは、将校になった者の実体験である場合も少なくなかったのである。貧乏人の息子が将校に迄なれたのは、彼らが優秀で奨学金受給の対象となり、奨学金で高い教育を受けることができた結果に過ぎなかったのである。従って、彼らの民衆に対する共感は真である場合が多かったと言えよう。今作で登場する磯部は、もう少し豊かな家に育ったようだが、初年兵の教育に当たっていた時に貧しい家で育った兵に遭い、彼を通じて貧しさの意味する所を悟っていた。また、この初年兵を弟のように可愛がり、自分の当番兵に抜擢していたのでもあった。その兵も、磯部の傍らで死んだ。かつて、彼がそのように死ぬ、と言っていた通りに。
以上、日本の事件に関しては、一つの特徴がある。被告とされた者総てが、一度は、体制側に対して、合法的に訴えかけをしていることである。その結果も総て共通している。体制側は、一切、彼らの訴えを顧慮していないのである。結果、彼らは、体制の自己浄化システムに絶望し、己で決着をつけるしかなくなる。その結果が犯罪という形を取っているだけなのだ。日本型責任無化システムに対する絶望が、尖鋭的な形を取った時、犯罪という形を取るのであれば、それこそ、この「国」の特性と時代を映す鏡、止むに止まれぬ呻きのようなものではないのか?
ジャンヌ・ダルク異端審問裁判
奇跡と言われるジャンヌの事績については、余りにも有名だから触れない。「ジャンヌ・ダルク処刑裁判」に書かれた裁判記録をベースに、“神の啓示を受けていたのは嘘であった”と書かれた書面にサインをしたジャンヌの祈りに現れた、神の使いとの対話という構成で、1431年5月27日夜の模様が描かれる。西洋の基本的な考え方が、神との契約に基づく実存と論理の問題として取り上げられている。
父と暮せば
演劇集団 激突撃破
吉祥寺櫂スタジオ(東京都)
2013/08/28 (水) ~ 2013/08/31 (土)公演終了
満足度★★★★
観る度に深まる名作
井上ひさしの名作に物怖じせずにチャレンジし、小細工をせず、真正面から格闘して得た演技で、役者さんたちに好感を覚えた。ラスト、卓袱台の上に置かれた二羽の折り鶴の奥床しさ、切なさ、悲痛が、物言わぬまま置かれている余韻が良い。
『MOJITO』『想像』(ご来場ありがとうございました。御感想お待ちしています!)
BARHOPPER × MU
BAR COREDO(東京都)
2013/08/27 (火) ~ 2013/09/02 (月)公演終了
満足度★★★
ルバイヤート
約50分と45分の朗読作品を10分の休憩を挟んで上演。Mojitoでは、写真の展示やイメージフィルムの同時上映があれば、リーフレットの説明に近いイメージで観ることができたのではないかと思う。ひょっとしたら、写真くらいは、どこかに貼ってあったのかも知れないが、気付かなかった。
想像については、ネタバレ参照のこと。
ネタバレBOX
Mojitoモヒートと読む。ラムベースのカクテル。ミント、蜂蜜、ライムにソーダを加えて作る。ヘミングウェイが愛したことでも知られる。キューバはハバナが発祥の地。
7年前、一度だけデートした克弥と葉奈。その時は、其々の恋人がいた。それで、二人が羽を伸ばせる江の島でデートしたのである。二人はそこでMojitoを飲んだ。ハバナ生まれの爽やかなカクテルは、葉奈にとって最も爽やかで忘れ難いデートの象徴になった。
だが、その後、2人が合うことは絶えてなく7年が過ぎた。と、突然、克弥の実家に彼女からの手紙が届いた。メルアドが記してあったので、彼は、メールを出した。互いにメールを交わし合うようになったが、克弥には、7年前とは別の彼女があり、結婚する予定であるが、メールのやり取りは、彼女からもOKが出ていた。然し、葉奈からは、本当は、彼女は許していない、との反論が返ってきた。というのも、7年前のデートの後、克弥の彼女だった女から嫌がらせメールが何度も届いたのだという。こんな具合にメル友同士のダイアローグが、現在の其々の仕事や異性関係を肴に展開してゆく。つまり中心はあくまでメル友2人という形で。終盤、克弥は、結婚を約していたが二股を掛けていた彼女と別れ、仕事も止めて葉奈との再デートに選んだ江の島水族館、海月の水槽前に土曜14時、待ち合わせに出掛けてゆくのである。
二人の話の内容は、誰もが共通に持っているようなありきたりの話ではある。自分に似た誰かの話として苦笑する向きもあろう。ただ、このシナリオの上手さは、そんな話を肴にメル友2人の関係がいつの間にか中心になり、それが、矢張り、我々に似た誰かの話なので、思わず引き込まれ乍ら耳を傾けてしまう点にあろう。
想像
双子の姉弟の話である。2人は、双子故か異様なまでのシンクロがあり、父母の離婚のきっかけになったほどである。学校に通っていた頃には、テストを受けると点数が同じ、間違う個所迄同じだったのでカンニングを疑われクラス替えをされたほどであった。同級生のからかいの対象になり、不登校の引き籠りをするようになると、姉弟でセックスをしているのだろう、とからかわれたが、姉弟には墓場まで持ってゆかねばならない事情が確かにあったのだ。その後、姉は勘当されて現在に至っているが、勘当の原因は、姉の夫が、セクシュアルな漫画を描く漫画家であり、父が、そのような男との結婚を認めなかったからである。現在、父は、階段から落ちて右足を骨折し療養中であるが、姉の家の犬も交通事故に遭って右足を骨折、現在は3本足で歩いている。姉弟はここにも双子のシンクロを見てしまう。
何はともあれ、現在、弟は付き合っている女があり、それは、彼のファンなのだが、子持ちのバツ一で、その時、基本的に弟は勃起しないのである。勃起するのは、姉との事を思い出す時だけである。
こんな話が、こちらは、電話を用いたダイアローグとして展開してゆく。
どちらの作品も、リーフレットでは、朗読以外の写真のことや、言い訳がましい理屈が多すぎる。実際、上演する部分で勝負して貰いたい。そうでないと客寄せの為のノウハウとして戦略・戦術的に策を弄しているのか、と勘繰ってしまう。
“想像”の作家は、純粋(ピュアネスという言葉を使っているが)とかいうのであれば、その辺りも直球をベースに変化させるべきであろう。こういう遣り方は、寧ろ、えげつなさを感じる。
たけくらべ=TK Club
劇団ドガドガプラス
浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)
2013/08/23 (金) ~ 2013/08/29 (木)公演終了
満足度★★★★★
アメリカと屈辱
何ともアイロニーに満ちたシナリオである。だが、正鵠を射ている。この植民地に暮らす人々の屈辱と意地、如何ともし難い現実を尚、我々自身が引き受けて行く為の、昏い決意を、自分も継承しよう。
本牧TK Clubは、進駐軍相手のクラブ。時は敗戦5年後の1950年、戦前、戦中の庶民の暮らしも決して楽ではなかったが、戦後数年の間は、法に従っていれば、栄養失調で死ぬのは、間違いなかった。従って、生き残った者は、生きる為には何でもやった。進駐軍相手の飲み屋ともなれば、無論、何でも売っていたのである。
アゲハは、この店のNo.1、付け人のサナギは彼女の妹だが、二人は戦時中、慰問団の看板女優と美少女ダンサーであった。然し、サナギは在る事件を境に人前で声を失う。
助六役の丸山 正吾がいい。隈取をアレンジした化粧も、その衣装も、敏捷な動きとジャンプ力、身のこなし、男伊達、何れも良い。無論、演技もこなれていて、本牧の助六の貫録、歌舞きぶり充分堪能させて貰った。
然し、よくこれだけの内容をエンターテインメントに仕立てた。お見事。(追記2013.8.31)
ネタバレBOX
歴史的背景
一方、アメリカは、次の魔手を朝鮮半島に延ばしていた。早くも1945年9月8日には仁川に上陸。翌9日には、総督府から権限の委譲を受け、9月11日からは米軍による軍政が敷かれている。一方、8月8日に参戦したソ連軍は、8月9日には豆満江を超えていた。この時点で、既に、朝鮮戦争は準備されていたと見ることが出来よう。
この年1950年と言えば、6月25日には、北朝鮮軍が、韓国軍が南部に集結した隙をついて38度線を南下、朝鮮戦争が始まっていた。背景には、大日本帝国が、朝鮮半島を支配した後、8.15宗主国敗戦で一応、大日本帝国の植民支配からは解放されたものの、半島の全領域を統括し得るような勢力が、存在せず、ソ連の南進がある中、朝鮮建国準備委員会の新メンバーの多くが、8月16日に釈放された政治犯であり共産主義者が多かった為に左傾化が著しく、当初、目指した左右合作路線が画餅に帰したことにもよる。結果、実質的に誰も統一するだけの力量を持つ者・グループが存在しなかったことは、半島統一よりは、互いの抗争を呼び、益々、昏迷の度を深めていった。無論、日本に原爆を落とした主要な原因の一つであるソ連への警戒があって、アメリカは、中国、ソ連の動向を睨み、台湾、朝鮮半島を含む東アジアに於ける自国の権益の為に、虎視眈々と反撃のチャンスを狙っていたのである。
また、裕仁が米と結んだ秘密協定のせいで沖縄は施政権をアメリカに奪われ、完全に米軍占領下に置かれた為、沖縄の人々は基本的人権も守られなかった。朝鮮戦争時には、この沖縄に置かれた米軍基地と本土にもまだたくさんあった米軍基地から、アメリカの前線部隊が出撃して行ったのである。
日本の為政者
ところで、日本の為政者の身の振り様は、「見事」であった。昨日迄、天皇万歳を叫び、天皇の名の下に命を捧げていたはずの者達が、今日は、アメリカの犬となり、731部隊が人体実験を繰り返して集めた軍事用殲滅兵器資料や、広島・長崎へ投下された原爆の被害状況、人体への影響評価、爆発地点からの距離と被害の関係などに関する詳細な資料、関東軍の隠匿物資情報などと引き換えに命を救われ、時期を見て国家の枢要な部署、経済界、各々の専門分野(放射線医療を含む)などへの復帰を勝ち得ていたのである。そして、裕仁自身は、一切の戦争責任を免れ、のうのうと生涯を全うしたのであった。東京裁判は、裕仁に罪を被せない為に行われた、という見解さえ存在しており、これは正しいだろう。
一言で言えば、日本民衆のアメリカに対する関係は、二重の意味で屈辱そのものである。
この為政者共の狡さ、汚さ、下司ぶり、非人間性を2人の人物が表象している。1人は、ノモンハン生き残りの関東軍将校、1人は、医者、便利屋も務めるインテリ。2人は、1枚のコインの裏表である。将校は、慰問団と軍の連絡・世話掛かりのショウタ(これも「たけくらべ」の田中の正太をベースにしている)をコルトガバメント(45口径のアメリカ軍用拳銃、当然governmentの持つ意味が内包されている。アメリカとは、銃による「正義」の国なのであるから)の試射用に殺害、平然としている。(この殺害現場に居合わせたサナギ「たけくらべ」の美登里は人前での声を失った)彼の論理は、こうだ。自分というものは、既に、国家=天皇に捧げられた者であってみれば、個々の実存としては存在せず、只、捧げられた人身御供としてのみ存在する。従って、それが死のうが生きようが、親眷は悲しむ必要など無い。散ることは、花弁が落ちるようなものであり、花弁1枚1枚に名など無い。あるのは、花弁を散らす、桜の木である、と。何と都合の良い詭弁であるか!!
劇中、ノモンハンで弟を亡くしたアゲハは、弟の死にざまを訊ねたいが為に、この将校と寝る。而も、彼女は、慰問団、座長の花川 助六の女なのだ。上記の将校の言い訳は、彼女の質問に応えた将校の科白の一部を自分が翻案したものである。
ところで、ノモンハンについては、現在でも、日ソ痛み分け、とのまやかしが大手を振って通っているが、実際は、日本の損失は、兵の死者数に於いてもソ連の4倍近く、武器、航空機、車両の損失も遥かに大きい。第二次ノモンハン事件終了後の国境再画定では、ソ連側の主張がほぼ通り、日本は、戦う前よりその領土を減らしているのが実情である。また、ノモンハンで生き残った将校の多くは、戦闘終了後、殺されたり、自殺に追い込まれたりして命を断たれている。逆に生き残った将校でありながら、関東軍将校として着任しているこの男の人品を疑うべきことを彼のコインの裏側が暴露しているのである。詰る所、軍は敵との戦いの尖兵として機能するのではなく、情報を操作する際、自国民の正論を押さえ込む為に機能するのである。この辺りの意図的勘違いで戦う前から勝敗は決していたのだと考えた方が合理的である。そして、日本に欠けている最大のものこそ、この合理性なのである。
アメリカという国
清教徒がメイフラワー号で辿りついた年、彼らは病み衰え、食糧不足などから散々な状態にあった。それを救ったのが、ネイティブ・アメリカンである。その命の恩人達を、野蛮人を教化するなどという思い上がりから、騙し、戮し尽くして上陸した大西洋沿岸から太平洋迄を席巻しただけでは飽き足らず、更には、ハワイを領土とし、スペインとの戦争ではフィリピンを植民地化した上、更に東アジアに目を向け、日本とぶつかって、これも植民地化、朝鮮戦争では韓国に加勢して4.3事件、朝鮮戦争を遂行し、あまつさえ、ベトナムでは300万人以上の婦女子、子供を含む人民を虐殺、エージェントオレンジによる災禍を未だに残している。その間も後も中南米へ恣意的に進軍、或いは工作を繰り返し、多くの罪なき人々を拷問の末、死に追いやるような組織を設立、後押しし続ける。更には、中東へも盛んにチョッカイを出しては、石油資源などを調達、襲われたエリアは、DU被害で今後、数百億年は、放射性核種の影響を受けると言われるが、そんな先まで、地球自体が存在しない。無論、アメリカが齎したDU被害についての責任は言い逃れている。また、ユーラシア大陸の西には、イスラエルという兄弟テロ国家を経済・政治的に支援、軍事戦略的には、寧ろ、イスラエルがアメリカを引っ張っている側面があるにせよ、パレスチナ問題で結束しがちなイスラム諸国を分断統治しているのみならず、東側には日本という名の植民地を抱えて好き放題をしている。
8月14日
敗戦記念日、前日、旧盆中、先祖が帰ってくると考えられている。その為、サンスクリットの音訳である盂蘭盆(倒懸)が地獄で逆さ吊りにされている死者への供養と考えられているのである。盂蘭盆会は、先祖の魂が帰ってくる際の迎えの祭りと位置付けられる。さて、その日、あの時と同じような猛烈な雷雨の中を、本牧の助六と名を変えてはいるが、紛れもない花川 助六が帰ってくる。本牧の夜、TK Clubは、満州の慰問団訪問地に重なるのだ。
サナギが言葉を失った事件の顛末とは、若い兵士達に誘われて出掛けたものの夕方までに帰るつもりが話に夢中になって帰宅が遅れた際、上に挙げたコルトガバメントの試し撃ちで弟のように可愛がっていたショウタが、虫けら以下の殺され方をしたのだ。その論理もまた、預けた命である以上、何処でどうなっても悲しむべきものではない、というものであった。助六も彼らを助けようと奮闘するものの、丸腰。凶弾を浴びて倒れた。だが、助六の奮闘の所為もあって、日本の為政者の本質とアメリカの関係が明らかにされてゆく。現在も続く、日本の為政者の米専用御用聞きぶりと無能は、既にとうの昔から変わらぬものとして脈々と息づいてきたことが証明されるのである。
進駐軍の横流しした物資も今日が最後。というのも、横流ししていた連中は、将校迄が日系アメリカ人であり、明日、朝鮮戦争に派遣されるからである。黄色人種同士を戦わせようという白人支配の多民族国家、アメリカの差別の実態を表してもいよう。
螺旋状の滑り台
劇団ライムライト
サブテレニアン(東京都)
2013/08/23 (金) ~ 2013/08/25 (日)公演終了
満足度★★★★
ドキュメンタリーを演劇でやる必要あるの?
殆ど、チャールズ・マンソンファミリーの起こした偽装殺人事件に関する再現なので、大方の内容はネットでも簡単に見ることができる。
ネタバレBOX
シャロンテート事件を起こしたチャールズ・マンソンとそのファミリーの行状をかなり史実に近いドキュメンタリー風に演劇化した作品だが、作家・演出家が、今の日本で、何故、チャールズ・マンソンファミリー事件を演劇という手間暇の掛かる媒体で表現するのか、その意図が、良く分からない。ドキュメンタリーであれば、映像で充分である。何も演劇にする必要はない。
演劇化する必然性は、こういった作品を公演した背景に、現代日本人の抱える閉塞感が在るということなのだろうか? そうであれば、その辺りの連関をつけるシーンを入れるか、似たような事件は、日本でも起こったのであるから、オーム真理教事件との対比に於いて描くべきであったろう。無論、その為には、C.マンソンファミリー事件の資料として100冊、オーム真理教事件の資料として同数程度の本を読むことは、作家の義務である。その中には、新聞記事や、雑誌記事なども含まれよう。それが、どう報じられたかも、時代時代の社会の動き、共通した心理的傾向などを読む為に参考にするのである。自分は英語が出来ないので遣れないが、一作品を普遍性迄含み込んで描く為には、この程度の努力は当然である。そうやって得た知識と有象無象を溶かしこんだ自分の精神と頭で、何故、今、この作品が、ここで上演されなければならないのか、ということについても考えるべきである。今作は、偶々、事件自体が異様でエキセントリックな様相を帯びている為、興味本位で観るだけでも面白い作品にはなっている。然し、それは、劇作家・演出家の本来の仕事ではあるまい。
劇作家に限らず、作家の仕事とは、己の属する共同体に対する様々な風向き、強さ、被害の出るか否かなどの諸関係を、観客の知識の有無に関わらず、そのレベルに於いて理解させるべく作品を設えることにあろう。無論、プリミティブな人々の言う、才能だ、とか、そんなことが測れるのか、とかいうような意見は重々承知している。然し、無論、測れるから言っているわけだし、それができて当然なのが、作家の才能というものだろう。自分は、それを方法的制覇と名付けよう。普通の人間にもこの程度のことはできるという意味だ。そして、真の天才はこの限りではないが、それでも相当部分が重なっていることだけは確かである。従って、先ず、この程度のことは分かった上で進めて頂きたい。年寄りから、若い方々への願いである。
スープ
THE 黒帯
OFF OFFシアター(東京都)
2013/08/21 (水) ~ 2013/08/25 (日)公演終了
満足度★★★★
サイコダイバー
4人の確定死刑囚が収容されている拘置所が舞台だ。この他に、懲罰房が話に出てくる。この懲罰房には、某新興宗教の元幹部が収容されているが、自傷癖があり、壁に頭を何度も打ち付けるなど、命の危険がある為、拘禁衣を着せ、椅子に座らせて保護しているというのが実情だ。罪を逃れるなり減じる為の詐称という意見もあるが、否、本当に精神を病んでいる、という考えもあって現在はまだ正式な所見は出ていない。(追記2013.8.27)
ネタバレBOX
前半部では、法務大臣の視察が近々あるというので、拘置所内では、ミスや事件、事故などが起こらないよう普段より少しピリピリしている。とはいえ、死刑囚達の、メンタリティーは、変わらない。何時呼び出しが掛かって自分の番が来てもおかしくはないからである。いわば、彼らの毎日は、生と死の間に宙吊りにされていると言う状態だ。それが、いかに大きなストレスかは、精神に何らかの異常をきたす者が、多いことでも理解されよう。それらは、こんな症状を伴う。夢で毎晩魘されることは無論のこと、ストレスから発作を起こす者まで枚挙に暇は無い。こんな、囚人達の日常を描きつつ、法務大臣視察日に主人公達は演劇、オズの魔法使いを上演して機嫌を伺い、処遇改善などを訴えようともしている。この辺りに矛盾を挟み込む辺り、死を前にした人間の“生きたい”との念を伺わせて興味深い。一方、囚人の一人は、視察の前日に脱走を図る。事前に発見され、監守も大事にすることを避けた為、不問に付される。が、こういった事情も案外在りそうではないか。
前半で、死刑囚達の大状況、生活、精神を描いた後、後半は、この物語の核心に移る。新任の刑務官、伊那村は、サイコダイバーである。一方、懲罰房に収容されている宗教団体幹部と元同僚の幹部、倉持も矢張りサイコダイバーだ。(因みにサイコダイバーとは、他人の夢に入り込む能力を持つ一種のエスパーである)他人の夢、つまり下意識に自由に出入りし、無論、その気になり、己の力が夢を見ている主体に勝れば、彼の夢をコントロールすることも可能である。然し、そのように関与した場合、弱い側は、自殺に追い込まれるなどのリスクを負う。同時に仕掛けたサイコダイバー自身も、状況と人間関係によっては、宿命的なトラウマを負う。下手をすれば、サイコダイバー自身が発狂したり、自死せざるを得ないような状況に追い込まれる。文字通り命がけの、知と胆力を賭けた戦いでもあるのだ。
さて、9歳の時、父の夢に関与して、自らの父を自殺に追い込んだ経験を持つ伊那村刑務官と囚人番号44、通称バースと呼ばれる倉持は、壊れてしまったと考えられる教団元幹部、Aの夢に降りてゆく。倉持が、ウェルギリウス、伊那村がダンテである。無論「神曲」の地獄下りのことを言っているのだ。ことほどさように危険な旅であるのだから。倉持は、教団幹部として、また、詐欺師という前歴が示す通り、論理の首尾一貫性を守るため、かつての同僚を壊れた状態から覚醒した状態へ戻し、以て本人が罪を認識した上で死に赴くことができるようにとの、倉持流オトシマエから、教祖と合体しかねないAの精神の闇に自らのレゾンデートルを賭けて降りてゆくのである。彼には時間が無い。明日までにオトシマエをつけなければ、人間として、死んでも死にきれないのである。何故なら、彼には既に分かっているのだ。執行日が明日だということが。
倉持の覚悟と性根を知り、伊那村も同行するが、もし、危険が迫って、二人の精神が危うくなった場合、伊那村は、その時点で探索を止めて距離を取り、自らの安全圏へ逃れる、というのが、二人の間に交わされた約束である。無論、倉持は、単身Aの夢の中を更に奥深く迄進むのである。絶対的緊張の中で、刑務官と死刑囚という関係を超えてエスパー同士というより人間として互いを認め合った姿が描かれる。幸い、二人は何とか、Aの夢の深部に辿りつき、分裂していた彼の精神を束ねることに成功するが、刹那、再崩壊の危機に見舞われる。教祖への絶対的帰依状態にあったAは、教祖帰りという最終崩壊へ向かう直前、声にならない口唇に由る発話で「ありがとう」とメッセージを倉持に送る。だが、エネルギーポテンシャルの限界迄高めて事態に対応している倉持には、その意味までは読みとれない。然し、保護され少し安穏な位置に居る伊那村には、それが、理解された。産まれて初めて、倉持は友人に質問する。Aは大丈夫であったか、を!
Aは、警察の医療施設に送られることになったが、その途上、言葉を少し発した。彼の言葉は、譫妄状態を脱し、ゆっくりではあるが、筋道の通ったものであった。
この言葉を聞いて、倉持は、死刑台へと赴く。
一方、後半でもオズの魔法使いの話は生きていて、それぞれのキャラクターの吐く科白は、少しアレンジされて哲学的な回答にもなっている。サイコダイバーの知と胆力の総てを賭けた命懸けの戦いに不即不離な形で寄り添うように哲学的次元にアウフヘーベンされているのである。この融合お見事だ。
瀧夜叉姫
SOUKI
こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)
2013/08/24 (土) ~ 2013/08/25 (日)公演終了
満足度★★★
実験?
歌舞伎とマイム、ダンスのコラボレーションだが、何れも、質はイマイチ。パフォーマンスも、一流になる為には、未だ3段階は上積みが必要だろう。今回、止めた動作から更に、連続した動作を繋げるのは、最低限、観客を唸らせる為に必要だ。素人受け程度で喜んで貰っては困る。まして、実験の名を借りて、鍛錬を怠るのはもってのほかである。マイムも中心になっているメンバーに注目してみてみたが、とてもソロで遣れる力量は無い。歌舞伎はあまり観ていないので評は控える。ダンスは、まずまずであった。
ネタバレBOX
言わずと知れた、平将門の娘、瀧夜叉姫である。弟の良門、藤原純友らと共に将門の無念を晴らす為に繋馬の御旗の霊力で、この世に蘇った一族郎党は、敵、多田満仲が、所持する七星の名鏡を入手せねばならない。なんとなれば、この鏡を敵に翳されたが最後、蘇った一族郎党は悉く、元の骸に戻らざるを得ないからである。
だが、志がどんなであろうとも、人情は己自身でも制御できない。実際、物語では、良門は、敵将の娘、媚女姫と恋に落ち、国盗りに必須のアイテム、繋馬の御旗を敵に渡してしまうのだし、瀧夜叉姫にした所で、敵方の英雄、田原藤太秀郷と恋に落ち、チャンスに殺すこともできぬばかりか、自刃に追い込まれる。
だが、歌舞伎も絡んだ、今作、それだけで終わるほど、単純でも無い。瀧夜叉姫の身体には、瀧夜叉本人の魂と将門の魂が同居しているのであって、瀧夜叉本人の精神的葛藤が凄まじく、その煩悶も見せ場の一つになっているのである。
物語は、このように、反逆の狼煙を再び上げた勢力と現支配層との戦いという体裁を取るが、反体制側は自陣の裏切り行為によって自壊してゆき、体制側は、その情報収集能力と合理的且つ勝った戦力によって勝ちを収めるのだが、最後に、作・演出家らの念を込めたシーンがある。滅ぼされ、骸に帰されたはずの瀧夜叉ら反逆者が、その骸の前に立ち、感概にふけっていた藤太の背後に出現するのである。これは、無論、反逆は無限に続くぞ、との作る側の念の形象化である。