『白痴』 『コーカサスの白墨の輪』
TOKYO NOVYI・ART
シアターX(東京都)
2013/03/22 (金) ~ 2014/06/07 (土)公演終了
満足度★★★★★
必見
あらすじは当然割愛するが、脚本は、ドストエフスキー作品の深さを見事に表現している。ムイシュキン役の演技の素晴らしさは格別だが、ロゴ―ジン役、ナスターシャ役、リザヴェータ役らの役者も上手い。其々の個性がキチンと立った演技である。また、オープニングの列車での移動シーンでは、車両の揺れに合わせて座席が揺れる様などを演じさせて、観客の目を飽きさせない。この辺り、多くの上演を通じて体得したであろう演出の機微である。照明は、想像力を最大限に膨らませる為に極力絞ってあるので、目で追う動きが無いと、仕事が終わって劇場に駆けつける客の中には、睡魔に襲われる客もあるだろうからである。
ナレーションも始めは少しスローかと感じられたが、内容とマッチしたゆったりとしたものであることが、観ているうちに納得できる仕掛けである。
照明の微妙な使い方の見事さ、効果的で邪魔にならない音響、舞台装置は殆ど変わらないのに、其々の場面にぴったりの設えに感じられる魔法、発声の確かさなど、どれをとっても素晴らしい舞台。必見である。
櫻ふぶき日本の心中
椿組
ザ・スズナリ(東京都)
2014/01/15 (水) ~ 2014/01/19 (日)公演終了
満足度★★★★
男と女のおとしまえ
エンターテインメントとしても楽しめる舞台である。然し、実に様々な要素が織り込まれているので、観る者の関心によって様々な観方が可能な作品である。
ネタバレBOX
平時に、男は女を守るだろう。だが、非常の際、オトシマエをつけるのは女である。殊に日本の非常時、男の責任の取り方は死ぬことだけのように思われる。このことが、尚の事、人間としての全体について深く考えることを阻害しているのだ。
江戸時代、心中御法度の時代から敗戦闇市の時代を経て60年代安保、70年代沖縄闘争翌年辺り迄の状況に弄ばれる男女の心中を連綿たる横糸として通し、男女の対応に絡む時の流れ、擬制を縦糸として、男、女それぞれの時代に対するオトシマエ、互いに対するオトシマエとその有効性について、また対応の差異の要因と差異差による発展性について考えさせる舞台である。
舞台美術では相変わらず冴えた加藤 ちかの、手際が目立つ。舞台上に描かれた桜とも薄赤い花の絨毯ともとれるような、心に沁み入る文様が印象的であるばかりではない。見事な展開が用意されているから期待して観るべし。
また、原始共産性に於ける共有・共同は何処迄許容できるかについてや、その際、何を具体的に共有・共同の実体として纏まるのか? といった本質的問題が提起されていることも重要である。未だに残る地域もあると言われる若衆宿の伝統的習慣などにも、この発想は連綿と息づいているわけだし、イデオロギー的にも解決されていない本質的問題の一つである。
更に、闘いの絶えないヒトの歴史に於いて、暴力以外にヒトを纏める力についての考察への非常に示唆的な対応が、女性の持つ融通性や非戦闘的調整能力としても提起されていることが重要である。
燕のいる駅
Theatre Polyphonic
ギャラリーLE DECO(東京都)
2014/01/14 (火) ~ 2014/01/19 (日)公演終了
満足度★★★★★
上手い
チケットに開けられたパンチが燕なのだ。これで、一気に気に入ってしまった。期待は裏切られなかった。A castを拝見(追記2014.1.19)
ネタバレBOX
日本4番駅に集まった者は全員で7人。弟と待ち合わせた裕美 販売店従業員、戸村 駅員三郎と 高島、売れない漫才師、鈴木と本多 謎の男、佐々木だが、三郎は外国人認証バッジ(赤)を常時襟につけている。準日本人として扱われているが、他に黄色や緑色もあり、こちらをつけている者には大きな制限が課せられている。かつてナチスがユダヤ人にマークをつけさせたり、現在イスラエルがパレスチナ人に対して行っている具体的な法的差別だけで55もある実体を思い起こさせる。実際、現在イスラエルのシオニスト達がパレスチナ人に対して行っている差別は、ハーバード大学のサラ・ロイ教授の指摘する通り、かつてナチスがユダヤ人に対して犯した犯罪的差別と本質的に変わらない。(詳しくない方の為に説明しておくと、サラ・ロイ教授は、ガザに関する研究では世界トップクラスの研究者であり、彼女の両親は二人ともホロコーストサバイバーである)
さて、今作の話に戻ろう。この駅には前夜最後の列車が出てから、一切列車の発着が無い。連絡も一切無いのだ。線路が何らかの理由で途切れたのか、来るべき列車が爆破されたのか、或いはもっと大きなカタストロフの為に、総ての連絡が途絶えざるを得なかったのか。一切が五里霧中である。残った人以外は、昨夜集落を発っていた。駅員達の休憩室の隅には、パンダのような模様の蜘蛛が居座っており、徐々に大きくなっている。
改札ロビーに居る漫才師の内の1人、鈴木はキンキン声で癇に障ることばかり言い続けるクレーマーである。皆が迷惑がっているのを一切顧慮することもない。おまけに、裕美を戸村が休憩室に招じ入れると、自分達もロビーではなく休憩室で休ませろ、と捻じ込んでくる。仕方なく招き入れるが、相変わらずの無頓着で、他の人々に迷惑ばかり掛けている。そうこうするうち、集落を見回っていた三郎が帰ってくると、途中で奇妙な男を見掛けたと話す。鈴木は、「その人、何か知っているかも知れない」と連れてくることを提案。「既にロビー迄は連れてきている」という答えに直ぐ、皆で行きそうになるが、この男、酷く引っ込み思案で皆で行かない方が良い、と三郎1人で迎えに行き、何とか皆の所へ連れて来たものの、佐々木は緊張の余りか、素っ頓狂な声を張り上げたり、殆ど意味不明の言葉の切片を吐きだすだけで、ロビーへ逃げ帰ってしまった。三郎が再度呼びに行き、何とか連れ戻す為の条件を聞き出すことに成功したが、その条件とは、知らんぷりをしていて欲しい、ということであった。そこで、皆は、対策を練り、最初、休憩室に居る人間の数も減らし、奥に隠れた人達を呼び出すきっかけの合図も決め、佐々木を会話に巻き込む算段も整えて待つことになった。皆、自然を装いつつ、尻取ゲームをして佐々木を巻きこむことにしたのだが、佐々木から何とか聞き取れた言葉は、蜘蛛が大きくなったら、終わる。段々、耳が遠くなる。など漠とした話だけだった。だから、何故、何の連絡も入らないのか? 何が起こったのか? など皆が知りたい情報の核心は一切分からないまま、不安だけが募ってゆく。唯、三郎が矢鱈に眠ったり、誰彼と無く少しずつ耳が聞こえ難くなったり、弟を探しに実家へ行った裕美の帰りが不自然と思えるほど遅かったり、食糧が切れたので、食品を扱っている店へ行ってくる序に、裕美の家へ立ち寄る、と言って出掛けた戸村の帰りが矢張りまだだったりということが重なり、佐々木もいつの間にか姿を消して、不安ばかりが大きく重くのしかかってくる。漸く、戻って来た裕美は、食品販売店の前で佐々木を見た、と言う。然し、動いていないようだった、怖かったので確認はしていないが、と報告する。前後して、漫才師達は徒歩で脱出を図っていた。駅舎内に居る者は、終に世界の終わりを覚悟する。蜘蛛はどんどん大きくなっている。
不安の増してゆく不気味さを、曖昧な情報を流しておいて、出掛けた人の帰りが不自然に遅いと感じられる残った人々の心理で描き、1人、1人、何か調子がおかしくなってゆく様を、実に示唆的に、完璧な表象で表してゆく所が凄い。
実は、今作の後、短編が1つ上演される。楽しみにして欲しい。
ある程度の教育【フリーカンパ制につき無料公演】
ポーラは嘘をついた―Paralyzed Paula―
B201 [早稲田大学学生会館](東京都)
2014/01/09 (木) ~ 2014/01/12 (日)公演終了
満足度★★★★
才能の輝き
モノとの適切な距離感が、硬質で透き通った言語強度を生み出しており、モノローグの部分は、演劇シナリオというより詩である。パパとの会話になった時に、詩の呪縛は解かれるが、会話部分に詩的硬度を持ち込んだら、めくるめく作品になるだろう。それができるポテンシャルを秘めた作家なのではあるまいか? 今回は、其処まで、凝っていないので、星は4つにしたが、今後、大いに楽しみな才能である。
ネタバレBOX
人口抑制が急務である現在に近い近未来、子宮内では臍の緒で繋がった胎児が、言語学習、一般常識等を学んでいるが、彼女も実は16歳である。而も、未だ外界には出られないのだ。老子を目指しているわけではない。唯、許しが下りないのだ。とはいえ以上のようなことを言い得る程に外界とのコンタクトは取れており、彼女はパパを認識することもパパと交信することも可能である。そのパパから生まれ出る許可が、まだ下りないのである。
通常10月10日で産まれるハズの胎児が、何故、16年間も子宮内に留まっているのか? パパが言うには、未だ早いのだという。だが、何故未だ早いのかは中々教えてくれない。良い子にしていれば産まれることができる、とも言うが、良い子にするとはどういうことか、良い子とはどんな子かは、考えると混乱をきたす。問答をしているうちに、パパは、少女がロボットなのだという。そしてロボットが問題なく外界に接触出来る為には、外界の総ての機器が、ロボットの構成機器とキチンとシンクロしなければならないのだと言う。そうでなければ、壊れてしまうのだと。だから出す訳に行かないのだと。こんな話を聴く前迄は、少女もパパを産まれるぞ! と脅かすこともできたのだが、この件を指摘されてからは、問題は自分の現実存在を破戒、即ち身体の死と考えるレベルで自由を選択することの重さが加わった。結果、自由とは、身動きならぬものであるというテーゼが現れてしまった。
ファーストシーン、いきなり暗転した中でモノと触れあうだけで結晶化する認識と言語が、その結晶化に相応しい硬質な暗闇の中の水晶のような硬度を以て語られるのだが、その知育程度に於いて般化され、孤立の余り透き通ってしまったかのような胎児の目が見えるようである。
スーホの白い馬みたいに。
劇団しようよ
王子小劇場(東京都)
2014/01/11 (土) ~ 2014/01/13 (月)公演終了
満足度★★★★
千年の都
京の伝統と現在。
ネタバレBOX
犬、ピーチの死に目に会えなかった少女は、ピーチが焼かれ、埋葬された後にも、中学校を抜けだして犬を探しまわる振りをする。それは、単に彼女が、犬の死を受け入れたくないという幼児性のためなのだが、兎に角、彼女はこの奇矯な行動を繰り返すことによって、界隈では噂の塵邸住人、コラピスおじさん(公園に出向いては子供相手に紙芝居を打ちコーラとカルピスの混ざったような色の液体を振るまってくれる所からついた仇名)の邸に入り込むことにもなった。結果、誰にも知られることのなかったおじさんの暮らしを知る。その生活とは、とうの昔に亡くなった奥さんの遺体と共に、暮らしている姿であった。
一方、恋愛感情に走ると、完全に我を失い、嫉妬に狂って浮気をした相手を殺しかねない母を持つ少女は、故郷を離れ、都市に出た後、ストリートミュージシャン、たかしに恋心を抱く。が、その後ルームをシェアしたあかねと彼は恋仲になる。彼が2人の住む部屋を訊ねると約束していた日、到着が随分遅れ、あかねは不在であった。彼はあかねと結婚するつもりであることを女に告げる。その為に、音楽も止めるとも。
これを知った彼女は、母親と同じように、好きな男を襲う。結果、たかしは失踪、行方は杳として知れぬ。26歳になっていた彼女は、その後行方を晦まし、実家玄関まで辿りつくが、恐らく其処で自殺を図った。
ところで、コラピスおじさんの塵邸は火災で焼けてしまったのだが、この家、塵の臭気、虫、風による飛散等々で近所中の迷惑であった。この為、放火されてもおかしくない状況はあったのだが、火事のあった日、偶々、近くの河原で大学生達が、酒を飲み、花火をしていた。その為、火が引火したのではないかと疑われた。つまはじき者のことが問題になったのは、コラピスおじさんを地域住民として認め、復帰させようとしていた人が居たからである。
然し、出火原因は異なった。近くの中学で生徒会長をしている誠がパシリに使っている石原が、体育祭に使う横断幕のデザインを申しつけられたが、焼け跡の灰から生まれ出るフェニックスを描く為に、大きな炎を実見しないと描けなかった為、放火したことが示唆されるのである。
これらの物語が、殺人を犯す少女の話をメインに展開するのだが、同一の役者が何役かをこなしフラッシュバックの仕方が多少ランダムで、而もサブストリームは、中学生の話を中心に展開しながら、こちらも同一の役者があちこちにフラッシュバックしながら、様々な時を行き来するので、フラッシュバックの構造を見切るのに若干苦労を要する。が、話自体はかなり面白く、如何にも京都の学生らしいたゆたいを感じさせる。
というのもミュージシャンが生演奏をしている一角を除いて、3方が客席になっているので、真ん中が演技スペースになるのだが、その中央に据えられた洗濯機は、少女が呪われた血を浄化する象徴でもある。彼女は、一度、汚れた血を浄化する為に、漂白剤を飲んで自殺を図ったことがある。そのような汚れと浄化を中心に置いて、周囲では、始まりと終わりに同じ歌詞の歌で手踊りが踊られ、それは恰も地域のルーティンと化した行事のように舞われるのだ。(ルーティンを表す意味で途中、何度かこの手踊りは挿入されている)
これら日本の踊りのパターンである手踊りを伝統的ルーティンとしつつ、特権階級である学生が漂うように暮らしている雰囲気が、如何にも京都の学生生活らしいのである。
The Last Minute
eNカンパニー
横浜赤レンガ倉庫1号館(神奈川県)
2014/01/08 (水) ~ 2014/01/09 (木)公演終了
満足度★★
少しはマシになったが
自分の死に納得のゆかない魂がやってくる場所には、その生涯のハイライトを映す装置がある。そこで死に至る詳細を映しだされた魂の多くが、納得してあの世に旅立つという寸法だ。
今作で実際にハイライトが映し出されるのは3組のカップル。
ネタバレBOX
第一話は、リオデジャネイロと思しき場所、明日はカーニバルという日に、若く情熱的なカップルが出会い、互いに一目で恋に落ちた。然し、カーニバルの絢爛たるカップルの中でも特筆されるべきこのカップルは死神にも気に入られてしまった。この後の展開はトリスタン・イゾルデ伝説に準ずるような形だ。
第二話は19世紀パリ、ムーランルージュ辺りが舞台だ。ロートレックに擬した、内容は余り似つかぬ貴族と、海外からやって来た貧乏小説家が、ムーランルージュの華を取り合う話である。貴族の性質は下司、自らの力を用いて華を落とそうとし、飴と鞭を使い分ける。飴はパリの一流劇場で花形女優としてのデビューと店への資金援助&保護、鞭は、彼女の惚れている小説家の殺害である。彼女は、小説家に連れない素振りを見せて振りはするが、無論、彼の命を救う為。だから、薔薇を一輪彼に投げる。彼もその意味する所に気付かぬ“みむめも”ではないから、とどの詰り、二人の恋は再燃し、という結末だ。
第三話は、二話迄が、かなり象徴的な手法で構成されていたのに対し、パロディー形式が採られているように解釈した。然し、音楽の使い方等に、誰でもそれと分かる太いメッセージ性が無く、二話迄は、曲がりなりにも象徴的と解されなくもなかった手法では無い形式が採用された為、シナリオの不分明と相俟って中途半端な感覚を観客に与えて仕舞った。三話をパロディーではないか、と解釈したのは、チンピラ同士の喧嘩シーンがたくさんでてくるので、ウェストサイドストーリーのパロディーと解釈したわけだ。だが、そうとハッキリ認定できるようなヒントも自分には見付けられず、シナリオ自体に中途半端であった点に難があるように思われた。
また、オープニングでは、偉くプレシオジテを感じて仕舞った。その上、ピアノの音が冗長で、とてもプロの音出しとはいえない。少なくとも自分の回りにいる音楽家達のレベルに達しておらずイライラした。この程度のピアノの腕で気取らないで欲しい。声楽はまあまあ。踊りもまあまあであった。
舞台内容とは関係が無いが、重要なことを一つ。座席指定にするなら、ナンバーに規則性を付与するのは当然のことなのだが、それができていない。結果、とんでもなく着席に時間が掛かり、舞台が始まる前に観客は印象を物凄く悪くしている。幼稚園の子供ですら分かることだが、限られた時間内で素早く的確に観客に定位置に着いて貰う為には、一目でそれと分かる規則性のあるナンバーの振り方にすべきである。こんなことすら出来ないとは、その能力に疑いを持たれても致し方あるまい。
舞台上は総合星三つ。客入れの要領については、星1つ。幼稚園児にも劣る。総合星2つ、以上。舞台の踊りなどは、それなりだし、プロレベルなので、お勧めにはしておく。
こぐれ塾第二回公演「誰かがドアをKnockするPart2」
こぐれ塾
萬劇場(東京都)
2014/01/11 (土) ~ 2014/01/13 (月)公演終了
満足度★★★★★
次の次かその次には、敢えて破綻か不条理を見せて
リーフレットにあった新幹線、こぐれ修の挨拶に共感してしまった。これだけの内容。実践した者にしか書けない、揺るぎないのだ。かく言う自分も現在、つか こうへい研究会の末席を汚す者として、この挨拶文に触れ、彼らのデビュー公演への取り組みを読んで、“これでこそ”と納得がいった。開演前に期待感が湧く。
ネタバレBOX
さっと舞台を眺めると、一見、シンプルなのだが、隙のない舞台美術、流石である。狂言廻しの女性は、人気絶頂の頃の秋川 リサを思わせる雰囲気の女子。オムニバス形式で演じられる5つの話を要領よく解説し、カジノの話題を絡めることによって不自然さを消している。この辺り、シナリオ、演出、キャスティングの冴えが見える。
演目は5話。上演中なので詳細は省くが、殆ど、同じ舞台美術で、内容、趣向の異なる5つの戯曲が演じられる。無論、センスは抜群と言って良い。作品配列の妙にも工夫が見え、敢えて失敗と見せ掛けたアドリブなどの高等テクニックも見せてくれる。これも、修練してきた内実あってのものである。
幻夜
観覧舎
OFF OFFシアター(東京都)
2014/01/10 (金) ~ 2014/01/13 (月)公演終了
満足度★★★
出口を求めよ
その為にはSence of Wonderを入手すべし。頑張れ、応援している。少し、厳しいことを書くが、検討あれ。一所懸命チャレンジしていると信じる。
ネタバレBOX
バタフライ効果など複雑系の発想を借りて来たり、随分ぺダンチックな装いだが、一体何が分かったつもりで居るのだろうか? 幻にしてしまうしかない自分達の不如意を、不如意が何処から来ているのかの追求もせず、居直っているだけのように感じられる。そもそも、複雑系が出て来た背景にあったものは、考えておく必要があったのではあるまいか? 今作の場合はカオスであるが、何れの複雑系であっても、それが系として成り立つ為には、その系が存在し、働く場が最低限仮定されなければならない。例え、思考主体がカオスの真央に在ったにしても、そして、手持ちの材料が、産まれては滅する不安定な何者かであったにしても、それらの変化が生じるに当たってその要素が認識される以上、存在を仮定してみるのが本筋、また変化する以上は、時間を仮定しなければならない。その上、時空が認識できるとすれば、それが、作動する場を措定しなければならないのは当然である。然るに、今作に於いては場の問題が総て捨象されているのだ。多少とも理屈でゆくなら、この程度のことは、フォローしてしかるべきである。而も、この点に経験など一切必要ない。必要なのは、物理と数学である。この点を押さえずに書かれたシナリオと観た。
結果は、手垢に塗れた常套手段、夢に逃げ込んで居直っただけの陳腐な作品と言わざるを得ない。もし、上記に指摘した総ての事をした上でなら、内容はもう少し違ったハズである。そしてそのような作品を提出していたのであれば、オーソドックスな形の傑作を2~3作既にものしていなくても、アンチテアトルの作品の可能性を否定できなかったに違いない。自分が良く咀嚼したものを素材に使うことも必要である。無論、どんどん、新しいことにチャレンジし続けることは必要だが、出し方に気をつけられたい。
見た目、偏見、そりゃあ大変!
劇団おおたけ産業
北池袋 新生館シアター(東京都)
2014/01/10 (金) ~ 2014/01/13 (月)公演終了
満足度★★★
頑張れ
全体に温かく、ほっこりした家族関係を描いた作品だが、旗揚げから二回目の公演で少し硬くなっていたようだ。こういった作品テイストであれば、両親役は、深い所でもっと安心感を他の人々に与えるような存在感のゆとりが欲しい。若い役者陣は、一所懸命でやっていることが、結果的に案外自然な演技に結びついていたが、今後は役作りをしっかりしつつも、常に精神を開いて、徹底的に率直に、もの・ことを観るという姿勢を忘れずに居て欲しい。その姿勢だけが、真に独自な表現者を創るからだ。
ネタバレBOX
富岡家は地方の米作農家だ。現在は長男の健二が東京でサラリーマンをやっている為、父、守彦と母、紀子が就業しているが、忙しい時期には、妹の恵美が手伝ったりしている。因みに健二は30歳、そろそろ、身を固めて貰いたいと両親は望んでいるのだが、地元に居た時にはモテた験がないのであった。
その健二が、連休中に女の子を連れて来るという。田植えのアルバイトと本人達は言っているのだが、妙に息のあったやりとりから、家族の誰もがひょっとすると結婚相手? と疑っている。女の子の名前は利恵子、21歳。素直で真面目な子なのだが、格好が渋谷のギャル丸出しで言葉もギャル語。それで、紀子は、近所の手前、非常に警戒している。一方、明日は東京へ戻る、という日迄、健二からは結婚の話も出ない。このままでは、両親に許しを貰うという初期の目的も果たせなくなるという直前、健二は、二人の本当の関係を告げ、結婚するつもりであると宣言する。守彦は、健二が、東京から戻り、田畑を継ぐつもりであることも告げると、反対する理由が無いと、即座に二人の結婚を認めてくれたが、紀子は、矢張り反対している。そこで、守彦は、理詰めで妻を説得。兄が戻って来なければ家で農業に従事しようと、自分を抑えていた恵美も、健二から自分の好きなことをやって良いと言われたことや、自分自身を表現する自由を利恵子から学び、東京へ出て漫画家になる為の専門学校に行くことになる。
売春捜査官〜ギャランドゥ〜/熱海殺人事件〜友よ今君は風に吹かれて〜
JJプロモーション
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2014/01/07 (火) ~ 2014/01/12 (日)公演終了
満足度★★★★
創造の坩堝
つか こうへい亡き後、良くその作品テイストを再現し得ている。つか作品に限らず、芝居に同じものは2つないが、つか作品は殊に、それが顕著である。つか自身、ずっと徹底した「演劇一回論者」であり、所謂、印刷台本は長い間残さない人だったからである。だからこそ、本公演が始まってからも毎日最低1時間は練習時間をとり、必要とあれば、その場で口立てして、演者に科白を入れ、それを本番の舞台で演じたのであった。だからつかの舞台はフツフツと創造の滾る坩堝だったのだ。それ故にこそ、史上初の熱狂を以て迎えられたのであり、演劇というより事件だったのである。その坩堝の滾る感じが、この舞台には隋所に見られた。よくここまで、と感心していたら、演出の逸見輝羊氏は、つか氏の作品に実際出ていた役者であり、今迄につか作品の演出もこなして来た、と知って納得した。
また原作者、つかの持つ出自故の優しさが、フツフツ滾る舞台の隋所に嫌みなく描かれ、優れた舞台と言える。
一点、或いは、わざとかも知れないが、音響のチェンジの際、もう少し自然に移行させた方が、良いかも知れない。音響のチェンジの点だけ気になったので、星5つにはしないが、良い舞台であった。
火消哀歌~冬空の木遣り唄~
片肌☆倶利伽羅紋紋一座「ざ☆くりもん」
シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)
2014/01/04 (土) ~ 2014/01/13 (月)公演終了
満足度★★★
マンネリとの闘い
時代劇エンターテインメントの型と人情を組み合わせるテクニックは流石だし、火消し衆の男気も格好良いのだが、矢張り、女性の扱いが、男の付随物的で気に掛かった。時代劇の要請としては必然なのだろうが、振り袖火事等を題材に、現代的とは言わぬまでも、通常の価値観と懸け離れたように見える価値観を呈示することは可能だろう。
エンターテインメントが保守的であるのも気掛かりだ。マンネリは免れないからである。一応、お上が、民衆の事を一切考えず江戸を燃やし尽くしてから新しい街を作ろうと考えているという都市伝説が流れる辺り、アイロニカルなポーズを採って見せるのだが、江戸城迄延焼するに及んで、この話は単に都市伝説でしかなかったことになってしまっている。
然し乍ら、現実の日本に於いて、民衆の言うこと、請願、要求など一切聞かないどころか、総て非常にダーティーな方法を用いて潰し、延々と民から搾り取る構造を維持して来たのが、この国の支配層である。安倍の周辺を詳しく調べて見るが良い。また、今迄起こって来た様々な事件の背後にどんな人脈が横たわり、それらの閨閥が何処でどのように結びついて日本を駄目にしてきたのか。エンターテインメントは、当に今、それを追求すべきではないのか? 高い志を期待したい。
摩訶不思議でふざけたコメディーミュージカル『豚デレラ』
『劇団 もより駅は轟です』
OFF OFFシアター(東京都)
2014/01/06 (月) ~ 2014/01/08 (水)公演終了
満足度★★★★
笑える
轟 もよ子が袖に居る時でもキチンと演技していたのが、印象的だ。彼女が豚デレラ役なのだが、シンデレラと同じで苛められ役なので、隅っこに追いやられるシーンが結構あるのだ。そこで、豚デレラの役回りとしては、人生の寂しさ、哀しさ、辛さなどの表現が隅っこで演じられ、母、姉達の華やいだ姿が対比される寸法だ。物語の転換点では、天才ミュージッシャン役を演ずる女優が、碇の役割を果たして全体の重心になっている。基本的に主人公と天才ミュージッシャン以外は、どこかズッコケているので、全体のバランスをこうしてとっていると観た。中々渋い演出である。役者陣のはっちゃけ方も楽しい。父親の○的趣味も捻りになっている。
カルメン
シアターカンパニー 象の城
相鉄本多劇場(神奈川県)
2014/01/04 (土) ~ 2014/01/06 (月)公演終了
満足度★★★
日本の情況でどう生き残るか
構成としては現代に視点を置き強調したい点があっての現在を過去の物語が包み込むような二重構造になっている。女子大生、咲が銃で脅され、廃ホテルに人質として監禁されたのが発端だが、犯人は凶悪には見えない。咲きは彼に事情を訊ねる。彼が話したのは、メリメの名作、「カルメン」に似た情熱的な話だった。
ネタバレBOX
時間軸にずれがあるが、もう少し落ち着いたら、内部から声が上がるだろう。さて、彼、ドン・ホセの話した内容である。時代は19世紀半ばのスペイン。ホセは元騎兵である。但し、カルメンが人を殺めた時、彼女を逮捕しそこなって3カ月謹慎させられた後、上官であった中尉の門衛に任命されて働くことになった。が、カルメンは中尉とできており、ホセがカルメンを口説いている席に中尉が現れた為、カルメンにのぼせ上っていたホセは中尉を殺し、追われる身となった。成り行き上、カルメンの紹介で彼女の属する密輸グループに加わることになるが、殆どのメンバーがジプシーなのに、ホセが仲間になることを認められたのは、ルーマニアで奴隷として遇されていた彼らが解放され、パイロ(ジプシーから見てジプシー以外の人々)との関係が改善されつつあったことに関係がある。後半のストーリー展開は観てのお楽しみ。
原作を強調した部分に愛と自由、信と不信や宗教などのテーマが目についたのでちょっと気をつけて観ていると、若いメンバーで構成されているこのグループにあっては、今、殊に此処で生きるに当たって喫緊の課題は不信であろうと気付いた。
企業は嘘ばかりついて、実際にはこき使い、おまけに使い捨てを歯牙にもかけず、それを問題にしようともせぬばかりか、政治と結託している。その証拠に、日夜仲間と食事会やゴルフに現をぬかして「国家」を私物化しているにも拘わらず、真反対の明日に夢を持てるような社会づくりなどと嘘しかつかないことに、己自身が気付かない程の阿保を首相に据えて恥を知ることもない大手産業会及びマスコミとそれに踊らされていい気になっている愚集ばかり見せつけられれば、どんなに鈍感であっても、若いというだけで信じられないということだけはわかるハズだからである。
このように乱れ切った現代日本を19世紀中葉の矢張り乱れ切ったスペインに置くことで、其処に生きる不信感そのものの被差別民の持つ、不完全との認識すら持てずに求める自由と、彼らの自由にすら至りつけなかった哀れなスペイン旧社会の真面目さが哀しいまでに滑稽な普通の青年のドラマを演じてみせたのだ。無論、このドラマを悲劇とするか喜劇とするかは観客の判断に委ねられている。
ところで、カルメンの至り着いた自由は、ほんの一歩目に過ぎない。第1、男に頼るという所から一歩も出ていない訳だし。完全自由が何を意味するのかを考えたこともない女として描かれていることも事実である。
また、上演に当たっては口立てで舞台の科白をつけ、出演者達の素を引き出すよう努めたという。演劇の専門大学があり、基礎訓練をきちんとしている国々と日本はその辺り、根本的に事情が異なるので、本質勝負を掛けてきたわけだが、そうであったも、演技のタメは最低限必要だ。科白は観客に届けば良い。が鳴りたてたり、叫んだりする必要は、基本的にはない。それが必要な場合は物語の展開状況が要請するのである。呼吸法などによる身体制御も無論必要だ。以上挙げた点が舞台上で実行できなければ、役者の存在そのものを舞台上に曝け出せなければ、観客を引きずり込み、熱狂の坩堝に叩きこむことはできない。作家、演出家は、ここ迄考えておく必要があるのは当然のことである。高い物を目指すのであれば尚更だ。今後に期待している。
と モロ ライブVol.1
劇団 と モロ
うまいもん屋 So(東京都)
2014/01/03 (金) ~ 2014/01/03 (金)公演終了
満足度★★
役者と呼べるのは一人だけ
師匠のモロ師岡が前説をやったり、進行をやったりと変わった展開であったが、上演作品は、ショートショート、落語、コント、朗読と多岐にわたった。残念乍ら、役者としての力を感じたのは、袴田健太氏一人だけであった。師匠も、楽屋裏をバラすことが出来るのは良いが、捻りに欠ける。パンチも無い。袴田氏を除き、全体レベルで舞台役者のプロというのは厳しい。従って全体評価の星は2つ、袴田氏のみ4.5。
タイジの記憶
ロリポップチキン
ひつじ座(東京都)
2013/12/21 (土) ~ 2013/12/26 (木)公演終了
満足度★★
Huits closと比較すると
Sartre Huits closにインスパイアされた作品だが、Huits clos同様出口は閉ざされる。その原因は殺人である。
若い役者たちのチャレンジは認めるが、認識が浅すぎる。
ネタバレBOX
流星群を眺めながら、タイジは病気が進み「恋人のことを忘れたら殺してくれ」と頼んだ通り、彼女はタイジを殺害した。Huits closと似た設定で、閉じ込められた所から始まり、登場人物の科白などで観客に分かる設定だが、サルトルほど、自意識と外界の鬩ぎ合いは無い。もっとだらしない。ただ、彼女に縁のあった者たちが集められ、閉じ込められた。後戻りできない密室に。Huits closと根本的に異なるのは、サルトルの場合、死者達は少なくとも常に覚醒しており、そのことが他者という地獄へ繋がるのに対して、今作では、死者達の意識が途中途切れており、罪の意識に苛まれ続けるという地獄の前提条件が根本から痛めつけられていることである。当然のことながら、その後の設定、論理展開がやわなので救いなどという馬鹿げた落ちがつく。
物語の詳細を書く気にもなれない。もっと、哲学というより生きることを勉強し直して欲しい。
Gracia
ThreeQuarter
遊空間がざびぃ(東京都)
2013/12/22 (日) ~ 2013/12/23 (月)公演終了
満足度★★★
今後に期待
戦国時代の非情な判断や根底に在った価値観、名と所領安堵というレゾンデ―トルを現代に移し替え、光秀の娘、タマ、夫となる細川 タダオキ、幼馴染でやはり玉を愛する小笠原ヒデキヨの三つ巴の関係を軸に将軍、アキと光秀の恋を絡め、家康と信長を対比してそれなりに面白い展開を見せてくれた。若い役者が多い為、未だ演じ切れない怨みはあるものの、延びシロに期待したい。
諸事情
パンチドランカー
OFF OFFシアター(東京都)
2013/12/19 (木) ~ 2013/12/22 (日)公演終了
満足度★★
視座
小劇団の内紛を描いた作品だが、余りにもベタ。無論、この国で小劇団をやり続けることがどれほど大変なことかは良く知っているつもりである。愚痴をこぼしたくなるのも分かる。だが、シナリオライターと座長、劇団員のセンチメンタルな掛け合いになってしまっているようだ。科白同士が戦っていないのだ。ダイアローグをキチンと立てて行かないとエッジの利いた科白にならないばかりか、科白として立たないのだ。演劇のシナリオである以上、言葉が立ちあがってこないのはどうかと思う。
エッジが効きダイアローグがダイアローグとして成立する為には、自分達の世界が置かれた位置を測る努力が必要だろう。私とか我々でなく、彼、彼らの視点に移行する必要があるのだ。2人称で書くならば、男女間の関係に絞り込んで互いの科白を研ぎ澄ますかだろう。何れにせよ、切れば血の出るような科白が欲しい。
或る夜の出来事
或る夜の出来事
ギャラリーLE DECO(東京都)
2013/12/25 (水) ~ 2013/12/29 (日)公演終了
満足度★★★★
中年の粋
同期のアラフォー4人組。このうち現在も夫婦でいるのは、1人だけ。あと3人のうち、1人はバツ1、他の1人は同棲中、そして残りは漸く恋人が出来そうなのだが、兎に角、相手と付き合うというプレッシャーだけで口もきけない性格が災いして今迄独身。この4人が謂わば男子会を催している店が舞台だ。若いウェイトレスが1人。
ネタバレBOX
照明の蝋燭風電飾、各キャラクターの統一カラー、ソファーとテーブルの色のマッチングなど細かなことにも拘ったセンスの良い舞台設定と美術、衣裳、音響効果も邪魔にならず、演技の自然な感じを引き立てる配慮をみせてグー。
中年男性を演じた4人の役者はそれぞれ、キャラが立った上、演技が自然で中年男の粋と人生経験が滲む舞台であった。
ケイタ・ソロダンス LIGHT, Part38 Part 39
ケイタケイ
シアターX(東京都)
2013/12/29 (日) ~ 2013/12/29 (日)公演終了
満足度★★★★★
息吹
ケイタケイさんは、東北を振りだしに、鳥取砂丘や広島銀行本店、稲村ケ崎などで踊ってきた。2012年春には、第29回江口 隆哉賞及び江口 隆哉賞に係る文部科学大臣賞を受賞なさっているが、その後LIGHT津々裏々シリーズの旅に出ていたのだ。彼女が、自然の息吹の中から掴み取ったり自然との交感で得たものが、舞台上の彼女に途轍もないエネルギーと限りなく優しく繊細な表現を与え、その小さな体を興福寺の仁王像のように大きく逞しく見せたかと思えば、か弱く小さな妖精のようにも見せる。変幻自在な変容に命の美しさ、儚さが表現されて秀逸。
呼吸
白米少女
小劇場 楽園(東京都)
2013/12/26 (木) ~ 2013/12/30 (月)公演終了
不思議の国のアリス
をやりたくて、というので、ドッジソン流の数学を用いたナンセンスを期待していたのだが、そのような要素はネグレクトされて、ロリコンという名のレッテル貼りから転じてゲイが出てくるという流れで、何れの層も表層的で、観念的だったので、自分には、余り合わなかったようだ。従って、評価はほかの方々に任せる。