満足度★★★★
あまりにも青春
「パンザマスト」って夕方児童の帰宅を促す放送という意味もあるそうだ。
「♪夕焼け小焼けで日が暮れて~」みたいなやつ。
ストーリーはベタな青春ものだし、わかりやすい展開だけど
仲良し3人組が一度途切れた糸をもう一度つなぎ直す作業に立ち会ううちに、
何だかうるうるして来ちゃったのはあまりにも素直な青春のせいか。
ネタバレBOX
チケットが「明向小学校 同窓会のご案内」と書かれた小ぶりの葉書になっていて
自分も2次会に参加するような気分♪
冒頭このクラスの担任影山(かげやん・大野ユウジ)が入って来て机で探し物をしている。
同僚が呼びに来て会議の為に一緒に出て行く。
誰もいなくなった教室の黒板に「パンザマスト」の文字がなめらかに映し出され
黒板消しで消すように左から消されていく・・・。
この映像が素敵だ。
先生の動きに若干“段取り感”が拭えなかったのが惜しい。
この教室に深夜、元6年1組の同窓会メンバーがやって来る。
母校の小学校で教師をしている影やんは
3次会代わりに懐かしい教室で盛り上がる仲間たちを抑えるのに必死。
この辺りはパターン化してちょっとダレたかな。
面白くなったのはガールズトークの辺りから。
女性陣のリアルな会話に場がこなれて自然になった。
この日一番客席が沸いたのは、美咲(貫井りらん)が
6年の頃好きだった御子柴君(本折智史)に現在彼女がいるのかどうか確かめるシーンだ。
期待が失望に、さらに何だか面白くない気分に変化していくところが
よく表現されていて大いに笑ってしまった。
貫井りらんさん、間と声に表情がある。
あー、わかるわかる、腹の中で「ちぇっ」て感じ。
御子柴君の名前が出る度に顔を曇らせるアッキー(加賀美秀明)とそれを気遣う影やん。
みんなの思い出話から、3人の仲良しぶりがわかるにつれ、
御子柴君が引っ越して以来、それっきり会っていないという状況に
3人の間に何かよほどのことがあったのだろうと想像がかき立てられる。
“同窓会の盛り上がり”と“謝りたいのに謝れない2人”がぐるぐる回る教室で
「臆せず悩む姿」こそが大人になりきれない証拠なのだと思う。
自分に言い訳しながらスルーする術を身につけたりして、大人は要領よくなっていく。
でもここではかっこつけずに「ええ、そーですよ、悩んでますよ」的な姿を晒す。
ラスト、影やんの応援で素直になれない御子柴君とアッキーが
あの日実現できなかった運動会のリレーを再現、バトンを手渡ししてハッピーエンド。
水戸黄門ばりにわかっている結末なのにじいんとしてしまったのは
やっぱり大人になっちゃって残念がっている自分がいるからかなぁ。
青春事情、男性陣に力の抜けた会話の面白さがあればもっと変化がついて面白いと思う。
めちゃめちゃ子どもなテンションと、大人の間と声。
いやでも大人になってしまった私としては
その両方でノスタルジーが完成するから。
それにしても影やん、最初は頼りなかったけど等身大の良い先生だ。
くじけずに教師を続けて欲しいと思わせるキャラ。
用務員さん(鈴木規史)のリレーの実況中継をするキャラもよかった。
それと二宮金次郎の学校の怪談(?)、あれが利いていて可笑しかった。
大魔神みたいな顔した金次郎が教室横切って窓から出て行くし(確か2階…)。
「もう帰る時間だよ~」と鳴るパンザマスト。
でもまだ帰りたくない…、大人になんかなりたくないもん…。
満足度★★★★★
「血筋」ではなく「理由」
140人のオーディションから選ばれたという14人の
“若手あるいは無名の実力ある”俳優が中津留氏のもとに集結した作品。
俳優のレベルの高さと登場人物の彫りの深さ、
そして何と言っても“犯罪の理由”に迫る緊張感ある脚本の素晴らしさ。
重低音が正面から腹に響くようなすごい舞台だった。
ネタバレBOX
昔ながらの商店街にある、健康食品などを扱う店愛甲家の茶の間が全ての舞台だ。
店から上がった和室に座卓がひとつ、隣のダイニングルームにはテーブルがある。
奥に冷蔵庫のあるキッチン、浴室などがあり
二階へ上がる暗い色のつやつやした階段が数段見える。
紺色の暖簾、あふれそうな状差し、どこにでもある絵がかかった部屋。
店主の愛甲健介は63歳、弟がいたが殺されてしまった。
殺したのは健介の長男大海だった。
愛甲家には、健介と次男雫のほかに長女水希、
それに殺された弟の娘千尋が同居している。
水希の婚約者や元カレ、雫の恋人、近所の電気屋、弁護士なども出入りしている。
そこへもう一人、刑務所にいる長男大海の嫁留偉が引っ越してくるところから話は始まる。
冒頭舞台が明るくなると、雫の部屋を兄嫁の瑠偉に明け渡すための引っ越し作業中。
首のタオルで汗を拭きながら水希の婚約者と雫が段ボールを運んでいる。
エアコンが壊れている為ハンパでない暑さ。
その暑さとだるさ、複数人で作業する高揚感を一瞬私自身が体感している感覚にとらわれた。
そのなめらかな動きと表現力に、のっけの1分ではらわた掴まれた感じ。
登場人物の設定が特殊で、よくある典型など当てはまらない人物像ばかりだ。
加害者の弟と、被害者の娘が愛し合うようになったり(いとこ同士)
結婚したけれど夫への不信感から酒におぼれて行ったり
そして美しく正義感にあふれ、常に(異様に)前向きな犯罪者の妻・・・。
登場人物全てがスポットライトを浴びるだけのバックグラウンドと号泣する理由を持っている。
ちょっと違和感を覚えたのは、何人もがひとつ屋根の下で暮らしているにもかかわらず
みな無防備で、秘密を隠そうともせずに行動すること。
大声で罵り合い、抱き合い、男を誘う・・・。
普通の感覚なら場所を変えるとか何か工夫(?)するだろう。
演出の都合上、みんな茶の間でやらなくちゃならないのだろうか?
いとこ同士が反対されながらも堂々と愛を深めて行くところは好感を持てたけど。
雫役の田島優成さん、冷静さをもったピュアな青年がはまり役。
世間が認めるはずのない恋愛を育んでいこうとする強さ、
犯罪者の家族という共通の闇を抱えた者同士の哀しさが伝わってくる。
長女の婚約者走馬役の坂東工さん、振れの大きい台詞がほとばしるように出てくる人だ。
冒頭の引っ越し場面で、そのリアルな立ち振る舞いに目が釘付けになった。
弱さをさらけ出した時には、心根の優しさがにじみ出るようだった。
雫を愛するいとこ千尋役の勝又絢子さん、ジェットコースター的展開を
大げさでなく悲劇のヒロインでなく、気持ちの変化を丁寧に見せる。
次第に強く明るくなっていく様がとてもよかった。
世間には“犯罪者の血筋”というものを真面目に信じる人がいる。
ワイドショー的に“あの家は代々○○の家だから”と言ったりする。
だが人を犯罪へと駆り立てるのは「血筋」ではなく「理由」だ。
その理由がはっきりわからないから、私たちは“血”のせいにする。
私たちは知らないうちに、誰かに犯罪の理由を与えている。
何かの目的を達成するために、無意識のうちに誰かを傷つけている。
そして時には“犯罪以外に道はない”ように誰かを追い込んだりするのだ。
明確な意図を持って、「理由」を示唆し、人を犯罪へと駆り立てる悪人もいる。
中津留さんの脚本は、正義と正義を唱える人の胡散臭さを容赦なく暴く。
勝ち組の理論に飲み込まれるものか、と立ちはだかる。
震災後の日本が“善い人とひたむきな努力だらけ”になっていることへの
不安と気色悪さを、ちょっと離れて眺めるような視点を感じる。
驚愕のラストに、ちょっとすぐには立ち上がれなかった。
何てすごい脚本だろう。
次は一体どこへ連れて行ってくれるのだろう。
それにしてもタイニイアリス、座席もタイニイであった。
満足度★★★★
セラピーか新しいビジネスか?
別れようとしている7組のカップルが「失恋ワークショップ」に参加する。
自分達の出会いから別れ話に至るまでを脚本にし、それを演じることによって過去を振り返るというもの。
“人の恋見て我恋直せ”、他人の恋バナを客観的に聞く楽しさと
こういうセラピーあるんじゃないかと思わせるものがあった。
構成の上手さが光って楽しめる。
ネタバレBOX
別れる理由がはっきりしないから、どのカップルも悶々としている。
その理由を確かめるために、フッた側、フラれた側に分かれて
出会った頃の自分を演じ、また赤の他人の恋を演じてみる。
そして最後は裁判で多数決を採って、別れるか否かを決めるというワークショップ。
これが今風で面白い。
劇中劇のような再現ドラマと、その後の意見交換を経て
思い込みと像力の欠如で自分本位にしか考えられなかった参加者が
次第にいろんなことに気付き、変化していく。
それぞれのサイドに進行役がついて、カップルを紹介、話をまとめてテンポ良く進む。
7組14人の別れの理由がとても判りやすく、組み合わせも間違えないのは
この進行役が上手く回していくこと、加えて照明の効果だ。
BGMや整然とした場面転換もセンスの良さを感じさせる。
このパターンが気持ちよく繰り返される。
「笑い」と「芝居」と「映像」の融合を目指す劇団と言うだけあって
映像の使い方が上手い。
冒頭7組の別れ話が紹介された後の、
キャストの紹介やワークショップ台本用聞き取りの様子が映像で流れるあたり
とてもわかりやすいし、コンパクトに編集されていてTVドラマか映画のよう。
びっくりするほど充実の当日パンフも素晴らしい。
バンドマンとファンのカップルのみが、結末を考えさせる終わり方だったのも面白い。
最後まで「フッた理由を言いたくない」と言った彼女の本心はどこにあるのだろう。
戦隊もののヒーロー緑山役の中澤丈さん、情緒不安定な感じがよく伝わって来て面白かった。
ゲイ役のキム木村さん、こなれた演技で安定感抜群、揺れるゲイの気持ちを繊細に表現する。
それぞれのキャラの設定が強烈なだけに、台詞について行くのが大変で
女性陣は少し台詞が浮いていた気がするが回を重ねると自分のものになっていくのかも。
はっきり理由を言わずにぼかして終わりたがるのは現代風の優しさなのか逃げなのか。
言われた方もよくわからないまま「多分こうだろう」くらいで引き下がる。
このありがちな別れ方は後悔と疑問を残し、その後長~く引きずるよ・・・。
と思っているのは私だけか?
そんなコミュニケーションのあり方に一石を投じ、新しいビジネスモデルを提示する(?)ワークショップ、じゃなくて舞台だった。
満足度★★★★
ラストそー来るか!
作者が愛する『仁義なき戦い』の
“一度やってみたいシーン”をみんなでやってみた感じのヤクザもの。
これが笑ってるうちにびっくりの結末で、客席が一瞬シーンとなった。
やっぱり『仁義なき戦い』だ・・・。
ネタバレBOX
裏切りだの内通だのといったお決まりの出来事に加えて
まー、おかしなキャラがいっぱい並んだこと。
組長(亀岡孝洋)が貫禄あって(頭も)本物みたい。
血気にはやる組員山崎(野仲真司)、下ネタ込みの活躍に勢いがあって
指を詰める所なんかとても面白かった。(血が出なかったけど)
インドから来た刺客・ラジャライオン(宮本正也)、
なぜか鳥取から呼ばれたらしいがクールな天然で、いでたちからして可笑しい。
それにしても「例のブツ」って何よ?
チャイナ・マフィアだからひょっとしてパンダかと思ったが
あのアタッシェケースには入らないな。
中から光り輝いてたし。
あの盛り上がり方、私も後ろへ回ってのぞき込みたくなった。
最後まで「例のブツ」を引っ張ったのが良かった。
そして何と言ってもラスト。
そーかそーか、そー来るか。
客席マジで一瞬シーンとなった。
下ネタ結構だが、田舎へ帰ってカタギになるのに“天狗”はまずいと思う。
シリアスなヤクザもいけそうなキャラだからこそ、あの外さない笑いが起こるのだろう。
とっても面白かった。
満足度★★★★
泣かないアンネ・フランク
「アンネの日記」を書いたアンネンフランクは
隠れ家から強制収容所に連れて行かれ、7ヵ月後にその生涯を閉じた。
そして父オットー・フランクは91歳まで生きている。
物語は、91歳になったオットーが
アンネ終焉の地ベルゲン・ベルゼンを訪れるところから始まる。
相変わらずのど元過ぎればきれいに忘れるダメダメな日本人を
痛烈に批判する鋭い視線をもった舞台だった。
ネタバレBOX
冒頭ひとりの男(蓮池龍三)が登場して語り始める。
「ここはベルゲン・ベルゼン、無数の命が奪われた場所・・・」
ベルゲン・ベルゼンというあまりなじみのなかった地名が
抑制の効いたトーンだがリフレインの度に痛切な響きを増していく。
声と言葉に人類の忘れかけた“失敗”を呼び起こす力があって一気にひき込まれる。
91歳のオットー・フランクはようやくこの地へ足を踏み入れた。
アンネとマルゴー、二人の娘が最期を迎えた場所。
一人生き残って「アンネの日記」を出版し、これを広く世界に訴えるため
精力的に講演活動などして来たが、やっとここへ足を向ける気持ちになったのだ。
そこへ白い衣装のアンネが現われる。
15歳で亡くなったアンネは、50歳になっている。
化粧っ気を排して少女がそのまま中年になったようなアンネ(熊谷ニーナ)。
隠れ家でのこと、「アンネの日記」が世界中で読まれていることなど
二人の思い出話は尽きないが、アンネの言葉は次第に核心に迫って行く。
「私たちを乗せた長い長い列車は砂漠の中を走ったのではない。
ベルゲン・ベルゼンへ行くまで町中を通って大勢の人がそれを見ている。
だからきっと誰かが助ける準備をしているはずだと信じていた──」
「収容所でお母さんは私の為にパンを盗んだのよ。
私の為に、あのお母さんが!
そして痩せこけた顔で笑ったのよ」
「100人以上の子どもたちが外で待たされている。
ガス室がいっぱいで入りきらないから、順番を待っているの。
これは一体何?
ちゃんと見なさい!見るのよ、この事実を!」
そしてアンネの素朴な一言が胸を突く。
「せっかく生まれて来たのに・・・。
大人になれないうちに死ぬなんて」
“泣かせどころ”などという陳腐な山場などないのに、観客は終始誰かしら泣いている。
しかしアンネ役の熊谷ニーナさん、この人はこの舞台で泣かない。
この設定でこの台詞なら誰が考えても泣くのは簡単なのに
「世界よ、私の声を聴け!」とばかりに決然として立っている。
こんなのおかしい、泣いている場合か!と収容所で己を叱咤し続けた
15歳のアンネ・フランクが今も疑問と怒りにまみれてそこにいる。
作者の浜祥子さんの台詞には、取材を重ねた事実ならではの説得力がある。
アンネがその怒りと無念さをぶつける相手として
生き永らえて戦後再婚もした91歳の父親という設定が良い。
父に対する尊敬と甘えを帯びて全てをぶつける娘、
家族を一人も救えなかったのに新たな家族を得たという、痛恨の思いを抱く父。
オットー(側見民雄)が若々しくどう見ても60代くらいで91歳に見えないのが残念。
父親の“生きているうちにこの地へ”という思いが伝わりにくい気がする。
前半、アンネの台詞が少し抑え気味で単調に感じた。
もっと少女らしい振れの大きさがあればメリハリがついたかと思う。
後半話がシリアスになり台詞も大きくなるが、そこへ行くまでが長く感じられる。
タイトル「空の記憶」が若干弱くて勿体ない。
舞台を見れば、この“見ていたのは空だけだった”歴史の哀しみが理解できるが
“もうひとつのアンネの日記”や“ベルゲン・ベルゼンのアンネ・フランク”を
史実と結びつけて訴えかけるようなタイトルがあったら
もっと多くの人を惹きつけるような気がするがどうだろうか。
あの悲劇は、一人の独裁者の狂気によって引き起こされたのではない。
世界中があれを放置したのだという鋭い批判。
目を見開いたまま死んでいく者たち。
その目にベルゲン・ベルゼンの空が映る。
泣かない少女が、射るような目でこちらを見ながら裸足で立っている。
満足度★★★★
男子の偏差値
一軒家プロレスじゃないけど誰かの隠れ家を貸切状態でお芝居を観る感じ。
荒川ユリエルさん率いる若い劇団が、まさに今だから表現できるテーマ。
運動部並みの運動量で、10代の痛みにもう一度塩をすりこむようなひりひりした舞台だった。
ネタバレBOX
劇場に入ると硬い床の上にいくつかの○が描かれている。
客席は右と左の二方に分かれている。
開演10分前くらいから、役者さんがしゃがんだり携帯をいじったりしながら
舞台に留まっている。
まだ客入れは続いている。
半分始まって半分準備中みたいな感じが面白くて眺めていた。
やがて主催の荒川ユリエルさんが挨拶して深くお辞儀、
顔を上げた時には右の頬に黒いバッテンのテープが貼られて
怪我をした顔で芝居が始まった。
5人の男子が順番に思い出を語り始める──。
記号のように名前が入れ替わり、お前誰だっけ、誰でもいいや状態が廻る。
彼らは他人との偏差値の中で自分の存在価値を見いだそうとする。
自分はあいつより強いはずだ、もてるはずだ、できるはずだ、上なはずだ・・・。
一番下の者はいじめられ、サンドバックにされ、優越感の確認対象みたいに扱われる。
時には性的な興味と発散の対象として支配下に置かれたりもする。
「──な~んて事は無かったけど」のひと言で
マジ同情していた客はハズされたりもするわけだが。
本当はあったことなのに、無かった事にしたいのか・・・。
怪我したのは自分なのに、いつのまにか被害者である自分が仲間外れにされる、
という仲間意識のすり替えみたいな残酷さや
いじめられながら「自分がいなければこいつは困るだろう」と考える
存在意義の歪んだ見いだし方など10代特有の煮詰った学校生活が、
はじけるような躍動感あふれる動きと交差しながら描かれる。
実際の役者さんの年齢が20代だから
思い出を語ってもまだ新しく、それだけに再現場面はリアルだ。
まだまだ痛みの記憶を引きずっているうちに表現しておくにはベストのタイミング。
体力的にもハンパない運動量だし。
役者がその時しかできない表現ってこういうものなのかも、と思う。
台詞にリズムがあって、5人が声をそろえるところなど
共有する秘密が浮き彫りになるようで秀逸。
同時多発的な台詞や会話が飛び交うのもリアリティがあって
“人の話を聞いてない”社会のイマドキ感を感じる。
5人の台詞力が均一でこぼれる所がないから成立する演出かもしれない。
作品全体に何か作者の潔癖な性格が見え隠れするのも面白く感じた。
制服を思わせる白いシャツに黒またはグレーのパンツという衣装も効果的。
若い人の現実を眺めながら、実はいい大人もちっとも変っていないのだと愕然とする。
相変わらず他人や社会の偏差値の中でしか存在できない自分を再確認して鬱々…。
フライヤーやチケットの色の美しさ、
台詞の重ね方と、激しいがきれいな動きにこの劇団のセンスを感じる。
20代でこれを作る人が、これからどんなことにフォーカスし、
どんな台詞を書くのか、提示する普遍性をぜひ観てみたいと思う。
満足度★★★★
青春直滑降
新宿のシアターミラクルはぎっしりの人で、補助椅子目いっぱい出しての公演となった。
ハスに構えた劇団名とは裏腹に、青春の疑問符が対象に向かって
直滑降で疾走する舞台だった。
テーマや緊張気味の舞台挨拶に、この劇団の純粋な姿勢が表れていて好感度大。
ネタバレBOX
黒一色の壁に赤いラインが不規則に走る。
黒い椅子が2つあるだけのシンプルな舞台。
地球上の資源が枯渇する中、偶然アフリカで新エネルギー資源が発見される。
それまで民族紛争に悩むその国を見て見ぬふりしていた大国は
一転してその資源目当てに軍隊を送りこんで来る。
「人道主義」を掲げて、この国も徴兵制度を復活させ戦争は拡大の様相を見せている。
そんな中赤紙を受け取った、殺され専門の自称三流役者グン(滝澤信)は
「NOと言わないこと」に疑問を感じ、異議を唱えて徴兵を拒否、
刑事、高級娼婦、テロリスト集団、公安を巻き込んでの逃走劇が始まる。
バイクや車での追跡シーンが、無対象ながら迫力があった。
間違えればコントになりかねない場面だが、緊張感があってとても面白かった。
上の方で意志決定されることに疑問を抱かず、抱いてもあきらめて何も言わない
東電も原発も消費税も、戦争だってきっとこんな風に始まるのだろう。
飼いならされた私たちに「それでいいのか、オレは死んでも嫌だ!」と叫ぶグン。
あまりにストレートな青春疑問符疾走雄叫びロードムービーが
やけに新鮮なのは今の時代と重なるからか、自分と重なるからか。
自身の無理解から妻を死なせてしまった刑事クガを演じる酒井秀人さんの台詞に
深い理解と味わいがあって、この人の他の芝居も観てみたいと思った。
テロリスト集団アシタバのメンバー、ムロイ役の
筏“ジャック”道彦さん(不思議な名前だ)、大阪弁の飄々としたキャラがユニーク。
テロリストに絶妙なリアリティを与える“潜伏感”があった。
女性陣の台詞がまだ“台詞台詞”していて“言葉”になりきれていないのが惜しい。
必要悪の秘密クラブ(?)の女主人マリア(芝山えり子)とアテナ(堀江麗奈)の
身勝手な理屈が狂気と化しているあたり、面白いキャラでとても頑張っているが
公演後半でもう1ステージ上がったら素晴らしいと思う。
グン役の滝澤信さん、グンの持ち前の素直さ・明るさが
未来を断ち切られようとした時を境に怒りに変わるところが良かった。
途中短いダンスシーンに目を見張るものがあって“踊る人なのか”と感心した。
青臭いほど直球なストーリーを引っ張るのはこの人の雄弁な表情が大きい。
一人ひとりのモノローグに説明を頼り過ぎている感じもあるが
場面の切り替えがスピーディーに運ぶのはこのスタイルの効用かもしれない。
グン、殺され専門の三流役者なんてとんでもない。
あの死に方、一流だったぜ!
満足度★★★★★
曼荼羅のような死生観
舞台美術の美しさとスケールに圧倒される。
BGMは終始川のせせらぎだけ。
舞台美術に魅せられ、川を遡るような構成に魅せられた2時間。
私は川のほとりで鮭たちの一生を見た。
ネタバレBOX
冒頭、長い沈黙から始まった和博(佐藤銀銀平)と真澄(橘麦)の別れ話。
その重苦しい雰囲気から、少しずつ時間は遡って
私たちはその沈黙の意味と重みを知ることになる。
彼らの駆け落ちの理由、高校生の頃、さらに小学生の時の出会い。
二人を取り巻く友人たちの死や
父親の暴力、そして一途な片思いなど様々なエピソードが
ひとつの川へと流れ込む。
このストーリーの中で、大事な人はみんな川で死ぬ。
まるで鮭が卵を産んで死ぬために故郷の川へ帰って来るようだ。
だが人が鮭と決定的に違うのは、「理不尽な人生に対する怒り」を持っていることだ。
そのやり場のない怒りを抱えた人々が痛切に描かれていて胸が痛む。
佐藤銀平さん、屈託のないランドセルの小学生が本当に似合う。
運動神経の良い人らしい軽やかな動きとテンションがヘビーな話の救いになっている。
後の鬱々とした人生とのギャップが鮮やかで素晴らしい。
真澄をずっと一途に思い続ける純な孝造を演じた間瀬英正さん、
ナイーブでひたむきなキャラクターがはまって
断られたけれど、今後彼女の支えになるのは彼だろうと思わせるものがある。
舞台手前に深く口を開けた川へ、芳江(新田めぐみ)が飛び込んだ時
思わず「あっ!」と声を上げそうになるほどの衝撃があった。
何とすごい舞台美術だろう。
地下と舞台と、上手から下手にかかる一段高い通路、
そして正面さらに高いところには死者に会えるという噂の深い森がある。
その上客席を見下ろす通路と、吉祥寺シアターの空間をフルに使っている。
輪廻とか死後の世界を感じさせるスケールは、まるで曼荼羅を見るようだ。
一人の役者が親と子と、何役も演じるので複雑に感じるが、作者の問いかけは直球だ。
その素朴な力強さが、繊細な精神世界を超えた自然の摂理を強く意識させる。
誰かが死んでも、残された人間は生きて行くのだ、死ぬまで…。
それはランドセルの和博がくり返す言葉そのものだ。
満足度★★★★
ダークなアングラファンタジー
閉ざされた空間で生命の危機にさらされながら
男たちの夢と現実がぶつかり合う、アングラの匂い立ちこめる舞台だった。
男度100%の芝居は流山児☆事務所の得意とする分野だが、
男の弱さと哀しさがにじんでいて、しかもエンタメなところが魅力だ。
ネタバレBOX
男が一人、九州の廃坑となった炭鉱の中で語り始める。
「全ては3日前に始まった…」
彼は桜組の下っ端ヤクザの郷屋(ごうや・若杉宏二)。
炭鉱が無くなって今やヤクザの収入源は豚を飼うことだ。
上からの命令でもう5年も仲間と豚の世話をしている。
その66頭の豚が、ある日突然姿を消した。
これはやはり豚を飼っていて、敵対する梅組の連中に違いないと考えた郷屋たち5人は、唯一考えられる場所、12年前の忌まわしい廃坑へと豚を探しに行く。
しかしそこで彼らを待ち受けていたのは、同じように忽然と消えた豚を探しに来た梅組のヤクザ達4人だった…。
炭鉱の中で「炭坑節」を歌うと必ず落盤事故が起きるという言い伝えが効いている。
武器を持たなければ不安、誰も信用しない、生き残るためには平気で裏切るというヤクザの習性が、閉ざされた空間の中で疑心暗鬼を増幅させていく。
その結果恐怖にかられたヤクザ達は次々と殺し合い、生き残った者はある究極の選択を迫られる。
上手と下手にひとつずつ、2方に伸びる細い坑道がその先にあるものを想像させて不気味。照明の変化で時間と、夢と現実の境界を行き来するのもとても良かった。
若杉宏二さん演じる郷屋が登場人物を紹介し、状況解説もはさむのだが
これがとても判り易く、ヤクザの個性やその後の行動を納得するのに助けになった。
似たような強面のヤクザにもバックグラウンドがあり、
それぞれの死にざまにつながるから情報が生きて来る。
今回の塩野谷さんは信用金庫の経理担当者からヤクザに転職した変わり種を演じた。
これが、性根がヤクザなのは実はこの経理マンではないかという行動に出る。
びくびくしていたくせに狂気に走るところは、やはり塩野谷さんらしさ全開。
狼と呼ばれる老兵(本多一夫)が彼らに武器を与え、殺し合いをさせたり
「炭坑節」を歌って落盤事故を引き起こすように仕向けたり
幻のような存在ながらヤクザ達を操るというのも、因果応報を感じさせて存在感あり。
いつの世にも時代と組織に翻弄される男の姿は同じ、
足を洗って生き方を変えたいと思いながらまた1日が過ぎて行くのも同じ。
家族の気配薄く、夢ばかり食べている彼らに今の時代が重なる。
郷屋は結局死んだのか、生き残ったのか・・・?
あの“落盤事故の時に空を見るための窓”は永遠に開かないだろう。
「豚は夢をみる」と老兵は言って消えた。
「人はもっと夢をみる」だろう。
その哀しみが強く残る舞台だった。
これが女だったらどうなっただろう。
同じように殺し合うんだろうか?もっと残酷か…。
ふとそんなことも考えた。
満足度★★★★
ドラマ1クール分のボリューム
初めての劇場は、舞台に幕があり小劇場とはまた違った雰囲気、客席の年齢層も幅広い。
ミステリーとしては最後まで謎を引っ張る力があって面白かったが
饒舌な台詞による説明でキーワードが埋もれてしまいそうな危うさも感じられた。
主役2人の緩急ある台詞が生き生きしていて2時間以上を飽きさせない。
ネタバレBOX
雨宿りしていた男2人が、その家の芸者置屋に上がらせてもらう。
一人は小説家の野良犬先生(清水勝生)、もう一人は友人の民俗学者(石田滋)だ。
置屋の芸者が親切にもてなすうち、男たちは徳川の埋蔵金の話など始める。
このあたり、野良犬先生の江戸弁と芸者阿璃栖(ありす・金村美波)の口調がそれらしくて古き良き時代劇を観ているような感じ。
民俗学者の話し方が、言葉は古風だが比較的現代風のさらりとした台詞回しなのも心地よい。
やがて居候が集まる謎の洋館に場面が移ると、レトロとはまた違う”違和感”を覚えた。
屋敷に居候している人々、留学先から戻った息子や友人の探偵など総勢十数人が入れ替わりたち替わり登場するのだが、声良しなのは素晴らしいとして、声を張ったまま大仰な長台詞は少々キビシい。
野良犬先生の、寝ているうちに自分でない誰かが原稿を書いている…という悩みや、どうやらその原稿に出てくる面々が、実際の洋館に集まっている人々を指しているらしいことなど、謎やら伏線やらを全てその長台詞からくみ取るのが難しいのだ。
演出の方針かもしれないが、常に歌舞伎のような朗々とした話し方だと
キーワードを聞き逃すまいとするには少し疲れる。
それにしてもストーリー自体はとても良く出来ていると思う。
美術品ばかりを狙う怪盗「アマツキツネ」や、思いがけない血のつながり、
上海を舞台にした意外な過去、徳川幕府の埋蔵金など
テレビの連続ドラマにしたら1クール十分に持ちそうなボリュームだ。
ちょっと残念だったのはラスト、肝心な事件の発端である阿璃栖の心情が
「愛を確かめたかったから」みたいな一言で説明されていたこと、
それと全てが明らかになった後、野良犬先生が自分の言葉で語らなかったこと。
そこが一番聴きたい、と思ったのは私だけだろうか。
働く女性の権利主張などに時間を費やすよりも
2時間ドラマの崖のシーンみたいに、“まとめの時間”が欲しかった。
要はそれだけ複雑な登場人物と謎解きの面白さが満載だったということだ。
良く出来た「ピカレスク小説」のようでとても楽しかった。
野良犬先生役の清水勝生さん、情けない小説家も良いが
上海でブイブイ言わせていた頃も、もっと見たかったなと思う。
硬軟どちらも素敵な役者さんだと思う。
阿璃栖役の金村美波さん、あだっぽい姉さんの存在感大。
奇想天外な話だからこそ、私たちは日常を離れて芝居の中に遊ぶことができる。
ダイナミックなストーリーが楽しい舞台だった。
満足度★★★★
記憶の四つ角で惑う男
忘れていたことさえ忘れてしまう年齢が四十なのかもしれない。
子どもが大きくなるのに反比例するように小さくなっていく自分。
そんな四十男の存在の頼りなさが出ていた反面、
彼の記憶と事実とのギャップが、登場人物の言動に反映されないもどかしさが残った。
ネタバレBOX
売れない物書きの桂木が久しぶりに故郷の友人鈴木を訪ねてみると、
肝心の鈴木浩道はどこへ行ったのか判らない上、
同級生たちが何故かみんな“鈴木”だと名乗る。
覚えていること、覚えていないこと、そして間違って覚えていたこと…。
それぞれの記憶の曖昧さと思いこみ、どうしてみんな鈴木なのか、
この辺りの桂木の混乱ぶりが可笑しい。
序盤の謎が興味深いし、何より桂木が連れている犬役の向原徹さんが秀逸。
前足の感じ、小さい吠え方などホントにリアルで一気に集中させる。
この犬が桂木の手を離れると過去の記憶がフラッシュバックのように再現される。
さっきまで「おー、久しぶり!」と言い合っていた男たちが
ランドセルを背負って出てきたり、学ランに太いズボンの学生服になったりして
判り易さと違和感がないまぜになって妙におかしい。
帽子をとったら学生頭薄いし(笑)
桂木の記憶と過去の出来事が呼応して、ひとつずつ真実が明かされ、
その結果鈴木の行方に近づいて行く…という展開を期待していただけに
最後で外された感じが否めないのはちょっと残念な感じ。
犬は犬のまま喋らずにいた方が魅力的だった気がする。
エピソードが多くて“鈴木浩道の行方を探す”という本筋が霞んでしまった。
全ての道は鈴木に通ず、という展開の方が集中できたかもしれないと思う。
麻雀のエピソードには笑ったけど。
友人のひとり真也ががんであることや、大地の妹が駆け落ちした事などが
現実の彼らの言動に反映されていないことも魅力を削いだかもしれない。
それによって優しさや哀しみ、相手を大切にする姿が伏線として見られたら
もっと登場人物に感情移入出来るのではないか。
客席を二手に分けた舞台の使い方がとても面白かったが、
通路の確保などをもう少し優先した方が良かったと思う。
桂木が妹をラケットで殴るエピソードがなぜ必要なのか、私にはよくわからなかった。
鈴木浩道役の奥田洋平さん、待っていた男のクールな感じが素敵。
出演者の熱演と初期設定はとても良かったと思う。
誰にでも記憶違いや、記憶の欠落はある。
それはまるで“鈴木”という名字のように、そこらじゅうに埋もれている。
ふと思い出してその記憶を掘り返すのが、惑い続ける四十男なのかもしれない。
人生の折り返し地点に記憶の四つ角で立ち止まる
ちょっと切ない男たちの話だった。
満足度★★★
ドラマチックな原作と脚本
恩田陸の「大きな引き出し」が原作、キャラメルボックスの脚本、
それにフライヤーの、うつむいた聡明そうな少年の横顔も魅力的だ。
まだ原作・脚本頼みな気もするが、ここからもっと入りこんで作り込んで
面白い作品にして欲しい。
ネタバレBOX
はるか昔から特殊な能力を持った一族が存在していた。
未来を予知したり、遠くで起こっていることを視たり、触れるもの全てを記憶したり…。
「常野(とこの)一族」は、それらの能力が世間に明らかになると
迫害されるのを怖れて転々と住まいを変えながらひっそりと暮らしている。
たまたまその噂を耳にした映画監督が、それを映画にしたいと考える。
15年前、不思議な力を使って映画監督と彼の父とのわだかまりを解いた姉弟が
その映画化を阻止しようとして訪ねて来る。
不思議な能力のことが世間に知られれば、一族は危険にさらされる。
実際彼らの両親は、迫害から逃れて逃げる途中死んでしまったのだった…。
「驚異的な記憶能力」を持つ少年や、狂言回し的な映画監督など、
説明を要する台詞量が多いのだが、声・滑舌が良くてとても判り易い。
姉役の柚木茉季さん、父親役のぽっちゃりイケメン川原圭さんに安定感がある。
全体的にはまだ台詞に気を取られていて、
表現方法を選びながら人物像を深めて行くにはもう少し時間がかかるかも。
ストーリーがドラマチックなので1時間を引っ張るけれど
ちょっと物足りない印象も受けた。
特殊な一族の能力について、実例とそれが引き起こした悲劇的な結末を
エピソードとして充実させ、常野一族の能力故の悲劇の歴史を強調したら
姉弟が映画監督を説得しようと必死になる理由がもっと納得できると思う。
両親が亡くなる場面の緊迫感も増したのではないか。
映画監督が長年温めて来たテーマを、姉弟の懇願を受けてあきらめる場面も
その無念さがより伝わってくるような気がする。
臨終前の医師がこれまで関わった人々と言葉を交わす場面や、
弟がその医師に触れただけで、彼の人生を記憶することが出来る場面などは
印象的でとても良かったと思う。
ところどころにはさまれた笑いネタも受けていて面白かった。
これで終わらせるのは勿体ないドラマチックな原作と脚本、
それにこの本を選んだteamのセンスは素晴らしいと思う。
ぜひ次に生かして看板作品にして欲しい。
「知ってるでしょ?僕は忘れませんよ」という光紀の台詞、
私も忘れませんよ。
満足度★★★★★
めでたし
厳選された台詞と音響、極めて日本的な題材をモダンな空間で魅せる
素晴らしい舞台だった。
吉田小夏さん、凄い人だなあ。
ネタバレBOX
土俵のように少し高くなった白い八角形の舞台は、なだらかに裾が広がる。
和な感じの格子や行燈のような照明が天井から下がっている。
「むかーしむかし・・・」で始まり「めでたしめでたし」で終わる昔話。
それが未来に語られる昔話となれば、話はこの2012年から少し経った頃か。
一輪の花を手にした出演者が客席の間を通って舞台へと向かう。
とても静かな、しかし打楽器の響きと共に強烈な印象を残す出だしだ。
このオープニングで一気に、現実と幻想が入り混じった不思議な世界に惹き込まれる。
あることが起こってそれ以後女の子が生まれなくなった小さな島の物語だ。
島の反対側には危険なものがある“行ってはいけない場所”がある。
父親と二人の息子、それに甥っ子の4人が暮らす男所帯にキツネが嫁に来る。
長男の妻が亡くなって1年後、島の存続のためにもという
村長のたっての頼みもあり長男はキツネの嫁をもらう。
島の暮らしには湿り気のある古い日本の地方色が濃く出ていてとても懐かしい。
蝉の声、蜩の声、波の音など定番中の定番が、これ以外に考えられないほどハマる。
知的障害を持つ次男を演じた青年団の石松太一さんが素晴らしい。
ただ一人、純粋さを損なわずに大人になった人間として
素直に心情を吐露する人に、一分の隙もなくなりきっている。
後ろ向きの時でさえ、その表情が手に取るようにわかって
共鳴せずにいられない。
全体のテンポが、若い人の作品とは思えないほどゆったりしていて
厳選された台詞が際立つ。
あの会話の丁寧な間とタメは吉田小夏さんの作品に共通するものなのか、
若い世代には貴重な、自然な忍耐強さを感じる。
情報量を多く、ボリュームを上げて急いで喋る芝居が多い中で
これは「語り」のテンポとでも言えようか、言葉がひとりでに立ち上がるようだ。
その結果人物像がくっきりして、会話は静かでも緊張が途切れない。
ひとつの役を複数の役者が演じる場面が多いが、
とても上手くつながっているのは役者の力と構成の上手さかと思う。
現実と幻想、過去と現在が自在に交差する構成と
それに伴う人の出入りに工夫があって複雑なのにわかりやすかった。
被災地を思わせる表現の仕方にもセンスと女性らしい繊細な視点を感じる。
「めでたし、めでたし・・・」で終わるこの昔話、
終わってみればSFかホラーか寓話か、そしてとても哀しいおとぎ話だ。
今の私たちには協力してくれる心優しいキツネもなく
人間は愚かな行いの果て一直線に滅びて行くのだろうか。
それもまた「めでたし」なのかもしれない・・・。
満足度★★★★
人生は線香花火
「地味」と言えば地味かもしれない。
だがこの地味さ加減は私たちの日常そのもの、人生そのものだ。
そしてどんな「地味」の中にも人生における“個人的に劇的な展開”が潜んでいる。
場の転換にアイデアとセンスがあって2時間を飽きさせない舞台だった。
ネタバレBOX
懐かしい、ちゃぶ台がひとつ置かれただけの6畳和室が
灯篭のある純和風の庭に面して開け放たれている。
障子の向こうは廊下。
この部屋が、ある時は過疎地の寺院に隣接した集会所になり、
また線香花火ビジネスでちょっと成功した、仲間3軒それぞれの家になる。
微妙な照明と障子を開けて入って来る人を見て誰の家かと判るという、
このアイデが秀逸で、流れが途切れずテンポも良い。
中国製でなく日本製の線香花火を売り出したところ人気を呼んで、
過疎の村のビジネスには補助金も下り、順調に行っていた。
ところが言い出しっぺの二朗(爺隠才蔵)が、突然「辞める」と言い出した。
思いとどまらせようと必死に説得を試みる博士(小島聰)。
せっかく軌道に乗ったというのになぜ今辞めるのか。
やがてメンバーみんなの様々な“家庭の事情”が見え始める。
上手くいっている夫婦なんてひとつもない。
住職(小野哲史)ももっともらしいことを言いながらとても怪しい。
おまけに居候だか妾だかわからない元風俗の女(笹野鈴々音)と一緒に住んでいる。
だがぐだぐだ言って迷っているうちに自分の意志とは関係ないところで
全てが思いがけない方向へ転がり出すこともある。
放火によって工場は焼け、花火も全て無くなってしまった。
「好きでやってるのか、やらなきゃならないからやってるのか、わからなくなった」
と言っていた二朗がやっぱり自分は線香花火が好きなのだと、失ってから気付く。
だが共に働いてきた仲間も離ればなれになって行く。
人々はそれぞれ何かを失って終わる。
もう少し早く二朗がなぜ辞めたいと言い出したのか、知りたかった。
辞める理由を引っ張りすぎて、説得する博士の言動が空回りに見える。
反対に火事の後、それぞれがどうなったのかを、もうちょっと説明してほしかった。
あの人その後どうなったの?とイマイチよく判らなかったのは私だけだろうか。
謎の元風俗嬢を演じた笹野鈴々音さんが強烈な印象を残す。
ピュアで世間知らずのような顔をして、実は人々を操る怖い女を軽やかに演じている。
妻から逃げて居間で寝起きする新一を演じた須貝英さん、
気弱な反面必死な抵抗、仕事は受け身というありがちな男が超リアル。
普通の人々の代表二朗が情けなくも共感を持てるキャラとして印象に残る。
怪しい住職の小野哲史さん、語り口が本当に和尚さんで説得力がある。
説法が上手いと同時に悪事も平気でする坊主がとても良かった。
人生は線香花火のようなものかもしれない。
小さくてささやかで、でもその中には山場も事件もあるのだ。
ちょっと満足しては、迷ってふらふらと彷徨う・・・。
一人ひとりが持つ線香花火にフォーカスした作品に作者の真摯な目を感じる。
満足度★★★★
号泣を伴うハイテンションブラックコメディ
赤地に人形の首も印象的なフライヤーと、何たってこの劇団名にこのタイトル。
さぞかしイカレた笑いがさく裂するのかと思いきや、なんだよ、これ。
あんなハイテンションで騒ぐから、もっと軽い芝居だと思ってたのに
すごい骨太な話じゃないか、と泣き泣き思った。
ネタバレBOX
冒頭、映画のオープニングを思わせるアニメーションがとても良く出来ている。
オスカーが鞄を持ってドイツの街並みを歩く。
(鞄の中には電源につながれたエマの首が入っている)
エマとオスカー、二人がそれぞれ闘いながら寄り添っていることを象徴するような映像だ。
このクオリティの高さに期待が高まる。
なぜオスカーはエマを生かすことにここまで執着するのか。
発見された記憶を失った男は本当にエマの夫なのか。
オスカーに感謝し、彼が創りだした若干中途半端な改造人間(?)っぽい仲間たちと
賑やかに前向きに暮らしながらも、エマを取り巻く謎は深い。
そしてついに明らかになった衝撃の事実。
それを知ってエマはある決断を下す・・・。
テンポ良く場面が切り替わり、2時間近くを飽きさせない。
過去と現在、失われた記憶を鮮やかに浮かび上がらせる照明がとても繊細で美しい。
扱う素材が悲惨かつシリアスなので、枝葉の部分でこれくらい遊ばないと
“戦争ドキュメンタリー”みたいに暗くなってしまうのかもしれない。
エマが、記憶を失い顔の判別もつかないほど傷つけられた夫と再会した時の言葉、
オスカーが不本意ながら仲間を撃った時の自責の念、
いつも笑っていたエマが、最後にひとり箱の中で大泣きする声、
そして自分を許せないオスカーがもがきながら終わるラスト・・・。
チキン野郎にここまで泣かされるとは思いもよらなかった。
全てはこのラストの為にあったかと思わずにいられない。
ほとんど首だけで芝居していたエマ役の小岩崎小恵さんがいい。
最初は優しい夫に比べて大雑把な感じに見えたが
箱の中で自由を奪われたかたちでありながら、
表情と台詞に説得力があって素晴らしい。
オスカー役の竹岡常吉さん、ただの親切な科学者が
次第に苦悩する姿を見せ始めた辺りから、がぜん奥行きが出て良かった。
エマの夫カミル(野口オリジナル/堀晃大)が収容所で痛めつけられながら
オスカーに合図を送る時、ほとんど叫びたくなるほど悲しかった。
ちょっと途中のギャグが気になったが、レッドゾーンすれすれを行きたいからだろうか?
あえてタブーに触れるような笑いを目指さなくても
この脚本の力があれば硬軟の落差は十分に出る。
戦争やナチスを批判する目を持ちながら弱者を嗤うのは矛盾するような気がした。
上品になる必要はないが、笑いの方向性は選んだ方が効果的だと思う。
あ、それと「首無し乙女」じゃなくて「首だけ乙女」ですよね(笑)
吹原幸太という人はすごい話を書くなあ。
戦争の理不尽さをこれでもかと見せつけておいて
それでも尚生きる人間の悲しいまでの生命力を描いている。
戦争は人に“理不尽を受け容れること”を強要する。
受け容れなければ生きて行けない。
エマもオスカーもカミルも、半端な改造人間達も全てを受け容れていく。
私はあの終わり方がとても好きだ。
満足度★★★
英語劇でミュージカル
ワイルダーの「わが町」はここ数年世界中で上演され、
震災後は特に“ふるさとと家族”を再認識する意味でも好まれるようになった。
結婚や、死さえも自然な出来事のひとつとして人々の暮らしが淡々と描かれていく。
2012年のMPは、それを生演奏をバックに歌うミュージカルにした。
狂言回しであるStage Manager役の英語がきれいでとても良かった。
最初は硬さがあったが次第に英語本来の抑揚が伸びやかになった。
両家の母親役は、共に無対象の演技が延々続く難しい役だが
動作がとても美しく、見ていて飽きない。
Emily役と彼女の母親役はとても歌が上手い。
古き良き時代のスタンダードナンバーを数曲取り入れていたが
こんなに上手な人がいるならもっとたくさん歌でつないでも良いと思う。
ストーリー自体に劇的な変化がなく、しみじみとした味わいの作品だから
若い人には難しい部分もあったと思う。
日本語で台詞を言うのも難しいのに、英語となればなおさら台詞より言語に気を取られる。
歌はそれらを補うのに効果的だし、若さと華やかさを活かせると思う。
出演者・スタッフ100人近くが参加したこのパフォーマンス、
最後のカーテンコールで全員が舞台に上がって歌とダンスを披露した。
ダイナミックなMPの活動を象徴する場面だった。
会場は学生で埋め尽くされていたが
演劇としてもっと一般の人も呼べるようになって欲しい。
今後の活躍に期待します。
満足度★★★★★
心のおひねり
大衆演劇の匂いがぷんぷんして、カッコよくて、涙と笑いが交互にくる。
芝居小屋の、客の首根っこをつかんでブンブン振りまわしてくれる、あの感じ。
お客が上品だから黙って観てたけど、あたしゃほんとは声かけたかった。
ネタバレBOX
なんで長男が跡目を継がないのか。
末っ子が連れて来た怪し過ぎる婚約者の正体は?
身内しか知らないはずの情報が漏れたのは何故だ?
次々に起こる事件と一家の歴史が交差して広い和室を狭くする。
一竜組の6人の子どもたちが個性豊かで素晴らしい。
稼業を嫌う気持ち、誇らしく思う気持ち、母を守れなかった自分を責める気持ち、
そして誰かを守るためにみんな暑苦しく生きている。
末っ子が連れて来た婚約者と言うのがまた目を見張る上玉だ(笑)
“暑苦しい”キャラが“暑苦しい”台詞で押しまくる。
この辺りの徹底したエンタメ精神があるから、
中盤から少しずつ語り出す子どもたちそれぞれの本心がすごく効いて来る。
四男薫(塚原大助)がしみじみと兄を思うところでほんと泣けてしまった。
何と言っても生業としてのヤクザのたたずまいが素晴らしい。
長ドスを振りまわす場面こそ出てこないが、着流しの美しさといい
帯の位置(マニアック?)といい、東映に負けていない。
複雑な立場の釧道を演じる浜谷康幸さんが超かっこよい。
台詞回し、身のこなし、眼光、そしてラストの仁義の場面まで一部の隙もなくヤクザだ。
ふくふくやの全ての作品を書き、座長である山野海さんの
心意気みたいなものがビシバシ伝わって来て爽快感がある。
あの仁義、こんなに強い「女が切る仁義を」私は初めて観たと思う。
あふれるような思いが紅絹の色に映えて、マジで泣けてしまった。
暑苦しくて、笑って泣いて爽快感・・・これはもう「サウナ」じゃないか。
今時ヤクザだし、暑苦しいし、好みもあるだろう。
でもふくふくやは芝居の原点を感じさせる。
おしゃれで賢くてスマートな表現の対極にあって
私たちの腹の底に手を突っ込むような強さを持っている。
あの高笑いが耳について離れない。
「これぞ熱い舞台」をほんとにありがとう。
ふくふくやの皆さん、私の心のおひねり、受け取っておくんなせえやし!
満足度★★★★
公開ゲネを観た
時間を売買出来る法律が出来て10年、今度は政府がそれを禁止した。
時間を買うとどうなるのか、時間を売ったらどうなるのか。
未来の話はいつの間にか、現代の私たちの話になっていた・・・。
ネタバレBOX
公園の遊具を作る小さな会社に市役所の担当を名乗る女性が現れる。
謎の物体をとにかく作って欲しいと、パーツの描かれた絵の一部を持ちこむ。
少しずつ作られるパーツを最後に組み立てると・・・。
時間を買った女は21歳、時間を売った女は48歳。
二人は同級生だ。
そこへ昔の男が現れる・・・。
本来誰もが平等に持っているはずの時間を売買するとどうなるのか。
それをリアルに見せてくれるのが面白い。
自分の時間を売ったマリエには、ある理由があったのだが
この時マリエを演じる政木ゆかさんの目に涙が光って一気に惹き込まれた。
こういう中年女の事情を丁寧に見せると、荒唐無稽な設定が説得力を持つ。
時間は「若さ」であり、「寿命」であり、台詞にもあったように「金」でもある。
それを売り買いして得たもので、人は幸せになれるのかと問いかけてくる。
舞台は複数のエピソードが平行して語られ、その都度暗転して場面が変わるのだが
オムニバスみたいにひとつずつまとめて、最後に全てがつながる
という展開でも良かったかもしれない。
それぞれのエピソードが内容的に充実しているので。
どのエピソードにもきらりと光る台詞があって心に残る。
遊具の会社の女性が、自分がここで働く理由を語るところ。
昔の男が自分の時間を1秒だけ残してくれたら、後は全て売ってもいい
と言うところ。
そしてダンサーの女性が時間を買うか買わないかを決心するところ。
いい言葉だなあ、と思う台詞がいくつもあって
フルタさんの気持ちが伝わってくる。
私にこんな時間をくれて、こちらこそありがとう。
満足度★★★★
家族の定義
ふざけてはしゃいで、でも結構深いことを突き付けて来る東京バンビ。
台詞でもう一歩踏み込んで欲しかった気もするが
血のつながりに頼らない家族を作ろうとする人々が温かい。
ネタバレBOX
家族って何だろう。
血のつながりか、同居する人か、一緒にいたい人か。
ゲイという、社会においてマイナーな存在の人々が
普通とは違うやり方で家族を作ろうとする姿が優しい。
登場する“変な人”へのなりきりぶりが徹底していて面白い。
悪気はないが挙動不審な人々がお節介で人と関わりたがる。
人間関係に疲れたり上手く行かなかったりしたはずなのに
それでも誰かと関わらずには暮らせないゲストハウスにやって来るという設定が生きる。
父にも、父を取り巻く人々にも嫌悪感を抱いていた息子が
次第に自分の本当の気持ちに気付き、わからないなりに認めていく過程がいい。
息子役のアダチヒロキさん、振れ幅の大きい人々の中で
普通の人の戸惑いが自然に出ていて、両者の違いが鮮やかになった。
バイトの青年を演じた佐野バビ市さん、
ミルクホールではいつもファンサービスに徹して女装することが多いが
今回は化粧も美脚も封印して男役(?)、安定感があってとても良かった。
身体は華奢だけど男っぽい人なのだろう、台詞や表情にメリハリがあって
男100%の役も上手いなあと改めて感じた。
思い切った設定とバラエティに富んだキャラがとても面白いのだが
個人的にはもう少し踏み込んだ台詞が欲しい気がした。
肝心な議論を「もういい!」で片付けずにリアルでは言えないことを
言わせて欲しかったと思う。
亡くなったオーナーの「家族になろう」という言葉はとても素敵だし
それを信じてつながった人々の気持ちも暮らしも前向きだ。
そのことを息子に伝えるために、もっと言葉を尽くしても良かったのではないか。
「自分ではない誰かと一緒にいることを他人の確率100%とするか否か」
作・演出の稲葉信隆さんが言うとおり、それを選択するのは私たち自身だ。
一緒にいる確率の高い他人──それも大切な家族と言えるかもしれない。
満足度★★★★★
演劇の力
大好きななべげんの舞台、それもこのタイトル。
興味津々で出かけるとスズナリはぎっしり、
次々と補助席が設けられる盛況ぶりで年代層も幅広い。
設定の妙と完成度の高い役者陣の演技に
面白うてやがて哀しき日本の行く末を深く考えさせる素晴らしい舞台だった。
ネタバレBOX
原発を想像させるシンプルなセット、ジャージかスポーツウェアの衣装。
衣装らしい衣装はロボット1号2号の二人だけだ。
高レベル放射性廃棄物の最終処分場を町に誘致する、と決めた36歳の若き町長。
物語は、100年後の状態を見届けるために自ら冷凍睡眠を申し出た町長エイスケが、
ついに解凍され、予定より長い1000年の眠りから目覚めたところから始まる。
畑澤さんが提示するのはひとつの「日本の未来像」だ。
荒唐無稽な話がリアリティを持って迫ってくるのは
“ありそうなこと”だからに他ならない。
政治家や企業が言いそうな、やらかしそうなことが起こり、
マジでこれに近いことが起きるんじゃないかと思わせる世界観がある。
畑澤組の出演者はいつも完成度が高いけれど、
今回の台詞の間といいタイミングといい抜群の冴え。
中でもロボット1号2号のコンビは素晴らしい存在感を見せた。
その完璧な台詞のハモリは、始め音声をデジタル処理しているのかと思ったほどだ。
タイトルにある「原子力ロボむつ」の哀しみは、人類の失敗を象徴している。
宮崎駿のアニメに出てくる「巨神兵」のようなイメージを想像したが
この「むつ」とロボット1号2号が、皮肉なことに
エイスケを最後まで支え、人類の失敗と闘う原動力となる。
設定が可笑しくて、登場人物が名乗りを上げる度に客席から笑いが起こる。
それに津軽弁。
この温かくユーモラスな響きが、時に問題を地方に丸投げしている東京に鋭い疑問を突き付ける。
方言の使い方が上手いなあと思う。
全体をほんわり見せて、こちらが油断したところを棘でちくっと刺してくる感じ。
ロボット1号2号の機械的な台詞に感情が乗って来るあたりが巧みで
この二人、若いのに凄い役者さんだと思う。
1号2号が狂言回し的な役割を担ったのも功を奏している。
私は”ぷよぷよ”の北魚昭次郎さんが(特にその声と腹が)好きだが、
善人も癖のある人もまるで地であるかのように深く演じるところが魅力的だ。
エイスケ役の山田百次さん、素朴だが使命感溢れる男の
孤独と情熱を力まずに演じていて素晴らしい。
ロボむつとエイスケは表裏一体なのではないかと言う気がする。
畑澤さん、あなたが青森から発信し、東京で訴えかけるこの芝居に
小難しい理屈や声高な主義主張はない。
でもたくさん笑ったあとでこんなに泣けるのはなぜなんだろう?
孤独なエイスケの最後の記憶が幸せなものであったことが唯一の救いだ。
これでいいのか?
いいわけないだろ?
その率直な問いかけに、観る者は立ち止まって考えざるを得ない。
演劇の力とはこういうものなのだと、改めて強く意識した舞台だった。