カウラの班長会議 side A 公演情報 カウラの班長会議 side A」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-5件 / 5件中
  • 満足度★★★★★

    side Aという視点から
    オーストラリアのカウラ捕虜収容所の集団脱走事件は、
    日本で何度もドラマ化され、死ぬための悲惨な脱走が描かれています。
    しかしオーストラリア側としては、その解釈に反論もあるようです。
    捕虜たちは労働も免除され、自由な環境で厚遇されていた。
    まさか死ぬために脱走を試みるとは思わなかった。
    監視兵たちは予備役の再招集ばかりで、
    しかも機銃陣地も日本兵の攻撃を受け被害が出るまで
    発砲は許されなかったとか。
    そうした状況を踏まえ、side Aというタイトルには、
    オーストラリア側からの視点という意味が込められているのですね。
    物語は、現代と当時の対比や、若者たちの感性の違い、
    英語には字幕が映し出される演出などの工夫があり、
    理解しやすくおもしろかったです。

  • 満足度★★★

    時空をオーバーラップさせた演出が良い
    劇中劇とそれを作る人たちの物語が時間・空間的にオーバーラップしながら話が進む演出が面白く、純粋に演劇の手法として高レベルに楽しめましたし、役者さんたちの演技の質も高かったと思います。しかし、本筋から外れると思われる主義主張が垣間見えてうんざりした点があり、その分、評価下げました。

  • 満足度★★★★

    男同士の○○にビックリ!!
    連合軍による手厚い保護で、何不自由なく暮らしていた日本人捕虜たちだったが、捕虜を不名誉とする考え方が強かった日本人。
    集団脱走を計画!!
    それを映画化させようとするオーストラリア人。
    内容が内容だけに年齢層高かったけど、ギャグが入ったり、男同士の○○があったりで、結構ドキッとさせられました。
    面白かった~ぁ。

    オーストラリアから5人の俳優さんも参加しての舞台。
    英語でしゃべるからどうなるんだろうかと思ったら、上の方に細長いスクリーンがあってそこに字幕が映し出されてました。
    なるほどね。

  • 満足度★★★★★

    戦争の時代ならではの考え
    捕虜であることはこの上ない恥。
    そんな気持ちは戦争の時代を経験していない私たち
    には分かりません。
    話のなかに出てくる彼らは捕虜なのにとても良い暮らしが出来ています。
    なのになぜ死のうとするのかが分かりません。
    現代の外人さんたちも私と同じようなことを芝居しているなかで話していました。
    私は現代の外人さんたちに共感させられました。

    書きたいことばかり書いててうまくまとまってないですがこれだけ最後に言わせてください。
    私は最後に皆さんが出ていく直前のシーンが一番印象的で好きです。

  • 満足度★★★★★

    精神に与える教育の影響
     オーストラリア南東部、海岸から80kmほど離れた田舎にカウラはある。1944年8月5日、この地に収容されていた日本人下士官・兵1104名は、軍人勅諭に則り、生きて虜囚の辱めを受けぬ為、自死そのものを目的とした脱出を試み、234名が命を落とした。この暴動でオーストラリア兵4名も落命している。

    ネタバレBOX

    通常であれば、捕虜の待遇が余りにも悪いとか、或いは、友軍が傍迄来ていて、共に勝利に為に闘うことが出来るとかいう確実な情報があって、反乱をおこすのであるが、カウラの捕虜収容所は、その何れも原因ではない。原因は、寧ろ、日本の軍事体制及び軍事行動の無定見から来る無理にあったと見て差支えなかろう。兵の命など1銭5厘の赤紙を郵送するだけでいくらでも調達できる。これが、軍の考え方である。捕虜になることは、敵前逃亡と同罪、原隊に復帰した所で銃殺が待っているだけであり、その不名誉は、非国民として村八分にされる自分の最も愛する親族・捲族に及ぶことは火を見るより明らかであったことから、彼らは、自死する為にこそ、暴動を起こしたのである。その結果が、先に挙げた数字である。
     初演では、頭で考えたことを舞台化した、というイメージが強かった今作。内容的にもかなり変わった。オーストラリアの学生が、この事件を取り上げて映画を作るという設定で、今作は進んでゆくのだが、互いの対比が際立つ今回のシナリオ・演出は事件をより立体的に臨場感を伴った形で見せてくれる。実際、オーストラリアから役者を呼んで上演しているのも良い。彼我の差とはどういうものか? 日本の軍人精神とは如何なるものであったか? ひしひしと伝わる舞台である。暴動直前、捕虜となった兵士たちが一糸乱れぬ統一行動をとるシーンなどは、怖い程の迫力である。
     安倍のような、無責任で、どんなことがあっても前線に立つことの無いことを保証された気楽でアホな権力者などには、及びもつかないのが戦争の実際である。その一端がキチンと示されている。更に、軍人勅諭に死の論拠を見出してしまう精神構造、それを可能にした教育。こういう欺瞞を支えていたのが、ほかならぬ民衆であったことも、また現在、そうであることも読み取ることが可能である。我々は、先ず、自らの欺瞞を明らかにし、政権の欺瞞を打ち砕くべきである。いつまでも社畜であったり、アメリカによる植民地支配を許すべきではないのである。
     原発再稼働に邁進する下司共の背景には誰がいて、どんな力が働いているかも、自分で調べてみよ!

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