満足度★★★★
この劇団にしか出せない居心地の「良さ」と「悪さ」
東京の底辺に生きる、若者たちの生活を淡々とみせる、まさにポツドールらしい作品。
リアリティのある性描写と暴力表現が、こんなにも居心地が悪く、それでもまだまだ見てみたいと思わせる……こんなことができるのは、今のところポツドールくらいじゃないでしょうか。このあとしばらく活動がないのは、少し残念。
最後に窓に映し出される自分たちの顔が、なんとも滑稽で、さらに居心地が悪くなるという・・・すごい演出…。
満足度★★★★★
間接的体験として
70年代のあのような露骨な描写は、より直接的で観客を「煽る」ものであり、それ以上でも以下でもなかった気がする。
でもこの作品では、敢えてスクリーンで舞台までの距離を視覚でとらえる以上に強く仕切り、淡々と時刻をその上に刻むことによって、それがより現実的に、実際には見えていないどこかで営まれている行為であり、存在する状況であることを強く認識させてくれるような気がした。
どこかにいるであろう彼ら、食べて、寝て、まぐわって、放出し、排出し、次の一瞬のことすら考えていないような彼ら。そういう存在が「確かに」在り、それは自分たちのことでもあるのだと身体の深い内部を見せられたような気持ちになった。
満足度★★★★★
やはり
ポツドール、一番好きな劇団です。
観る場所によってこの作品は異なった見え方をする様に思えました。
本当に覗き観るような、あるいは部屋のかた隅にいるような。
三回行きましたが、悪い意味ではなく、毎回異なった作品の様に思えました。この作品から生命愛や人類愛を感じました。
もうこの作品が上演されないのは非常に残念だと思います。
ポツドールとしての本公演は数年先まで無いそうですが、それまで待ってます。
勉強になりました。ありがとうございます。
満足度★★★
生態観察
1つの部屋に一緒に暮らす荒んだ若者達の酷い生活のある1日を台詞無しで描いた作品で、過激な性表現が多いながらもユーモラスな場面も多く、想像していた程には殺伐としていなくて、意外と楽しんで観ることが出来ました。
ゴミや衣服が散乱する中でテレビを見たりゲームをし、食べ、セックスをし、寝るだけの生活が大きな出来事も起こらずに描かれていましたが、次第にこの人物達もこのような人生を望んでいたわけではないように感じられて来て、少し共感しました。
だらしない姿勢や緩慢な動きといったリアリズムではないデフォルメされた演技と、ダイジェスト的に進行する時間の流れから、生々しさが中和されていて、描かれる対象との客観的な距離感を保っているように見えました。
冒頭からタイトル映像が流れるまでは、舞台と客席の間にベランダと窓があり、外から人間ではない動物の生態を覗き見るかのようでした。最後にまた同じ設えとなり、舞台上を暗くすることによって、観客達の姿が窓に反射して見える演出が居心地の悪さを感じさせて印象的でした。
満足度★★★★
性病になりませんように
性病撲滅運動のCMのような舞台。おっとっと検査に行かないとな。
まあ目が行きがちなのは、舞台であまり観ることができない過剰な性描写なのだが、性器がチラ見えたところで喜んでしまっては僕ら下等人間欲望まみれ生物だ。
これが舞台である以上役者は地獄のようだろう。心を凍結させ風俗嬢さながらの淡々とした精神を備えなければすぐに破綻する。観客は好奇の目で、期待感に満ち溢れたどんぐりまなこで舞台上をすみずみ観察する。僕らは観察する。他人の、しかも文化の産物であるギャルという興味津々な人間たちの生活を視ずにはいられない。三浦の術中に嵌る。
これをこなす役者たちは実験動物か.......。
役者は演出家を(脚本を)信仰してしまった時点で麻酔薬を規定量以上打たれたモルモットだ。舞台としてそれはそれでとても美しいし、莫大な力でもある。
とはいえ........私はどうしても舞台上に提示される、我々にも当てはまる現実よりも、そこに立つ役者たちの現実に興味がいってしまう。彼らは普段なにをみている?生きることさえつまらなくなっているのではないか?何をしても自分の演じる虚構に勝る現実など既に皆無に近いだろう。さみしさが押し寄せる。それは生きるさみしさだ。
三浦のつくる絶妙なキャラクターには感服する。小太りのギャルは何かとスナック菓子をほおばっているが、歯磨きは欠かさない。「食べたら歯を磨く」と躾けられてきたのだろうな、と連想せられ愛着が湧く。そのシーンだけ小学校に入りたての小さな少女が一生懸命歯を磨いているようにみえる。そういった面白い幻惑が端々に見受けられる。
人生わからないな、何考えて生きてるんだろうな、虚無感は誰にでもおとずれる。ただ、自分が無垢な自分であった頃、セックスも知らないで風や石や校庭の雲なんか追っかけていたっけな........ときゅんと思い出させてくれる(また、その時点で自分は大人なんだなとさみしさが襲うが)ピュレグミの比にもならない「きゅんとすっぱい」舞台だ。
それは援交で初めて知った年上のオヤジのキスのすっぱさであり、フェラチオ(クンニ)しようと頬寄せた恋人の性器が思いのほかツンとにおったときのすっぱさであり、これから我々が出会い抱き合い生きて生きて生きて生きてすべてと決別するときの涙のすっぱさである。
満足度★★★★
不覚にも?
面白いと思ってしまった。性表現や暴力表現は野蛮ですが、どこかコミカルです。「自分には何もない」とか「社会から必要とされてない」といった無力感や疎外感を覚えたことのある人なら、少なからず共感できる部分があると思います。他のユーザーさんも書いている通り3、4列目あたりが見やすいかもしれませんね。いろんな「部位」を見たいのならもっと前の方がいいのかもしれませんが…。
満足度★★★
TOPS
座席なんか、ぎゅうぎゅう詰めでトイレにも行けなかったトップスの公演なんかと比べると
見違えるように素晴らしい環境。
舞台もずっと演劇的でユーモアも膨らませて
誰にでも見やすくなった。
それでも、やっぱりトップスの時のヒリヒリした感覚とは違うんだよなぁ。
トップスの頃は、公演の目と鼻の先で、
リアルタイムで同様の生活が進行しているのかもという緊張感があったように思う。
それに比べると、今の池袋西口では・・どうなんだろう・・?
若者の、特に地方の若者たちの荒涼とした風景の描写は、
東京の演劇シーンでは望むべくもなく、
現在進行形で燃えている場所はだいぶ前からヒップホップに完全に移ってしまったのかな、という認識を新たにしたり。
(西部劇のガンファイトがライムに移っただけなんじゃないかと思えた向こうのヒップホップに比べて国内のソレは昔ずいぶん牧歌的に見えたけれど、今では他の何にも負けない完全な心の鏡として機能しているような・・
方法論だけそのままで完全な新作として上演するやり方もあるんではないかな、と思ったり。
たのしいな
ポツドールにはいつも泣かされる。
いつもとてもベタでわかりやすい泣かせ所だけど、
やっぱりむきだしに描いているから、キちゃう。
僕もその場の欲望に負けちゃうから。
ついだらだらと逃げ続けちゃうから。
優しいな。
でも2時間くらい観てたかった。
もっともっと!っておもってしまう。
もっとこの人達が気になる。
すっごいわかりやすく、デフォルメして、デザインして、象徴を並べるようにしてた気がするけど、
一人一人の「うわーそういうのあるな、あ、この人意外とそうなんだ」って豊かさをもっと観たかった。
台詞が無い分、噓が無い分、入り込みやすくて、
登場人物みんなだいすき。
満足度★★★
この世はでっかい宝島
初演は観てない。
ダンスみたいだった。
これヨーロッパ回ってたんだよね。イメージ悪いわぁ(笑)
今やるものではないかなぁと思う。がしかし、後味は悪くない。
4、5列目くらいが観やすいかも。
それにしても僕は米村亮太朗のチ○コ何回見てるんだろう。
満足度★★★★
夢の城 -Castle of Dreams
やはり傑作。初演よりポップに、ユーモラスに、演劇的になった。一見『醜悪』な若者の生態が徐々に可愛く、哀しく見えてくる。ある意味、究極の人間愛。
初演ではヒリヒリざわざわ胸騒ぎとともに、息を詰まらせて彼らを見つめていたのに、衣装も美術も出来事も、照明の色も牧歌的に見えてしまうのは、震災があったからだと思う。すっかり変わった私と日本をまた実感。
全席自由。初日は私が目視した限り数席空席あり。性描写は超過激なので、そのおつもりでどうぞ。
満足度★★★★
ポツドールの芝居は愛に溢れている
ポツドールのお芝居は愛に溢れている、でもいつも悲しい。
今回の体験も衝撃的な現代を映し出している様に私は感じました。
現代の不条理な人間模様を表現できる方は、三浦さんと園さんと古谷さんでしょうか(それ以外にも才能に溢れたすばらしい方は多いでしょうが、私が存知あげないだけです、すみません)?
かつて、40年前(1960年から70年台にかけて)は日本映画でも映像作家の手でタブーを描くことができました。
今それを表現しようとして頑張っているクリエーターが前者の方々と思いますし、この三浦作品の「夢の城」でも充分なタブーに取り組んでいます。しかし、三浦さんの作家・劇作家として素晴らしいところは、タブー的な状況の空間でエンターテイメントを作り出すところ、しかし、底辺に流れる「むなしさ」や「せつなさ」を毎回、全編通して表現していることは一環しています、そこが「ポツドール」の愛に溢れる芝居と思います。私は観劇して良かったです。
満足度★★★★
凄いものを観てしまった
上手く表現できないのですが、芝居を観たという感じではなく、動物園に展示された人間という生物を観察した、という感じがします。
全体を通しては、人間の本能を極端に表現するとあんな風なのかもしれないな、という恐ろしさを感じました。ただ、本能むき出しの彼らが、時折見せる小さな「人間性」に、ああ、やっぱり彼らも人間なんだ、と妙な安心感を感じたり。。
内容が内容だけに、個人的には少し嫌悪感が残ったのも事実です。ただ、無言劇というスタイルや、細部まで作り込まれたセットには大きな驚きがありましたし、何より、この舞台を体現した俳優さん達の覚悟に充ちた演技は、トラウマになりそうなくらい、私にとっては衝撃的なものでした。
とにかく凄いものを観てしまった気がします。
満足度★★★★★
夢の城 -Castle of Dreams
台詞にすべて語ってもらわなければ発狂してしまう方には絶対にお勧めしません。緻密で丁寧な原始的作品。言葉は人が話す言葉だけではない。物語性豊かで刺激的な作品です。上演時間約80分。京都では入場整理券の配布はありません。会場である講堂の入口に並んだ順番に入場となります。両サイドよりも真ん中目が観やすい。なお性的描写がありますので注意。