満足度★★★★
性病になりませんように
性病撲滅運動のCMのような舞台。おっとっと検査に行かないとな。
まあ目が行きがちなのは、舞台であまり観ることができない過剰な性描写なのだが、性器がチラ見えたところで喜んでしまっては僕ら下等人間欲望まみれ生物だ。
これが舞台である以上役者は地獄のようだろう。心を凍結させ風俗嬢さながらの淡々とした精神を備えなければすぐに破綻する。観客は好奇の目で、期待感に満ち溢れたどんぐりまなこで舞台上をすみずみ観察する。僕らは観察する。他人の、しかも文化の産物であるギャルという興味津々な人間たちの生活を視ずにはいられない。三浦の術中に嵌る。
これをこなす役者たちは実験動物か.......。
役者は演出家を(脚本を)信仰してしまった時点で麻酔薬を規定量以上打たれたモルモットだ。舞台としてそれはそれでとても美しいし、莫大な力でもある。
とはいえ........私はどうしても舞台上に提示される、我々にも当てはまる現実よりも、そこに立つ役者たちの現実に興味がいってしまう。彼らは普段なにをみている?生きることさえつまらなくなっているのではないか?何をしても自分の演じる虚構に勝る現実など既に皆無に近いだろう。さみしさが押し寄せる。それは生きるさみしさだ。
三浦のつくる絶妙なキャラクターには感服する。小太りのギャルは何かとスナック菓子をほおばっているが、歯磨きは欠かさない。「食べたら歯を磨く」と躾けられてきたのだろうな、と連想せられ愛着が湧く。そのシーンだけ小学校に入りたての小さな少女が一生懸命歯を磨いているようにみえる。そういった面白い幻惑が端々に見受けられる。
人生わからないな、何考えて生きてるんだろうな、虚無感は誰にでもおとずれる。ただ、自分が無垢な自分であった頃、セックスも知らないで風や石や校庭の雲なんか追っかけていたっけな........ときゅんと思い出させてくれる(また、その時点で自分は大人なんだなとさみしさが襲うが)ピュレグミの比にもならない「きゅんとすっぱい」舞台だ。
それは援交で初めて知った年上のオヤジのキスのすっぱさであり、フェラチオ(クンニ)しようと頬寄せた恋人の性器が思いのほかツンとにおったときのすっぱさであり、これから我々が出会い抱き合い生きて生きて生きて生きてすべてと決別するときの涙のすっぱさである。