ある女 公演情報 ある女」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.6
1-20件 / 35件中
  • 満足度★★★

    初見
    菅原さんバージョン

    ネタバレBOX

    タカコ(菅原永二さん)が、とても良かった。声色を使うでもなく、女らしくはないのに、タカコにしか、見えなかった演技と演出が良かったです。

    映像も凝っていて、タカコの過去や心情を上手く見せていて、意味も価値もあり、とても良かったです。
    他の役者さん逹も好演で味のある演技で、魅せられました。

    最初のタカコは、知らぬ間に不倫に、はまっていったのに、ズルズル、ダラダラ続く二人の関係の前半は、男女の本音や、お互いの都合良さやら弱さが、可笑しいながら、真実味もあり、楽しめた。

    が、タカコがなんとなく状況に流され、開き直ったのか?道を変えたかったのか?宗教めいたような、風俗に走ってしまう。そして終盤は、ただの陳腐な下ネタに、成り下がったようなラストが、残念でした。


    と、思ったが!が!が!が!が!帰り道、ふと!思い出した、タカコが上司森に惹かれたのは、元彼との別れだけでなく、デートで行った美術館や景色を見て、森が呟く『美しいなぁ~』の一言だった。その程度の一言だが、呪文のようでもあり、、、何気ない事で、惹かれたり呆れたり、流されたり、、、大したことないようで譲れないことだったりと、そんな深い話だったのだろうか?

    やっぱり、他の作品も観てみたい!
  • 満足度★★★★

    容赦なくて、それでも楽しくて
    まじめにやったらポツドール、という素材を、みごとに解体・再構成していた。
    映像も使った多彩な表現で、現実の内側の世界へ連れて行かれて内側から幻想的に現実を眺めているという趣がある。途中感じるけだるさも含めて、岩井秀人に徹底的に操られたが、それが快感だ―という舞台だった。

    詳細は、演劇感想サイト「福岡演劇の今」に書いています。
    http://f-e-now.ciao.jp/20120307.html

  • 満足度★★★★

    それ行け、不倫、不倫、不倫
     戯曲を単独の文芸作品として読む場合と、戯曲はあくまで実際の舞台の叩き台として、実際の舞台を観て評価する場合と、それは自ずと変わってくる。
     しかし、小劇場のオリジナル公演に関しては、その判別が明確でないことが少なくない。キャストが当て書きで、「その劇団でしか成立しない」と思われる(他劇団での再演が難しい)状況が多々あるからだ。
     だから、先に戯曲を読んで、それから舞台を観ても、ああ、この役はやっぱりこの人が演じてたのね、と、たいてい予想は当たるものなのだが――。
     『ある女』については、その予想は思い切り裏切られた(以下、具体的にはネタバレを参照のこと)。
     これは、「戯曲のみ」を鑑賞する場合と、「舞台」を鑑賞する場合とでは、評価が正反対というほどに違ってくる。そしてそこには、近代以降、女性が苦悶してきたジェンダー(社会的性差)の問題が大きく横たわっている。ここでは当然、「舞台」の評価を中心にして語らざるを得ない。
     「不倫」という題材を通して、作・演出の岩井秀人は、「なぜ、女性は不幸になりやすいのか」を提示してみせた。恐ろしいのは、その理由が分かっても、女性は、不幸から完全に脱却することは不可能なのである。岩井秀人が描いて見せたのは、「ある女」がまさしく「貴女」であるという、普遍的な真実なのである。

    ネタバレBOX

     主人公の「ある女」、タカコを演じているのは岩井秀人である(東京公演では菅原永二とのWキャスト)。
     前説で、岩井秀人がカツラにスカートを履いて出てきた時から、観客はもう笑わされている。場内での飲食禁止、「食べてもいいんですけど、アメの袋も破る時音がしますから、どうせなら一気にびゃーっと」と、アナウンスをするその口調は、岩井秀人本人の口調で、普通の(でもちょっとキモい)男性のそれだ。
     そしてそのままタカコは物語の中に入っていくのだが、口調は特に変わらない。男のままだが、そこではたと気付くことがある。特に女言葉を使ってはいないが、台詞だけを取り上げるなら、それは女が喋っていると想定してもおかしくないということだ。
     女言葉が消失して、男言葉により近くなってはいても、その差はまだ完全に失われているわけではない。しかし、岩井秀人は、非常に緻密に言葉を選び、タカコの台詞を「男とも女とも取れる」ように構築している。

     さて、となると、この戯曲を実際に舞台化するとなれば、二つの方法を取り得ることは容易に想像が付くだろう。一つはタカコをそのまま女優に演じさせる方法で、もう一つが実際に岩井秀人が舞台化した「自らタカコを演じる」方法だ。
     この二者を比較することで、何が見えてくるか。もちろん前者は実際には舞台化されているわけではないから比較のしようがないようにも見えるが、必ずしもそうではない。この物語は「近代的自我を獲得した女性が社会的性差の中で不幸になっていく過程」を描いたものである。これは明治以降の近代文学、演劇、映画の中で再三再四創作されてきた、一つの潮流である。
     それこそ、有島武郎の『或る女』の早月葉子以来、彼女たちは男たちの間で翻弄され、身を滅ぼしていった。まるで彼女たちが「自我」を得たことが罪であるかのように。林芙美子『放浪記』や『浮雲』の頃には、女の不幸はまるで運命であるかのように諦観と共に描かれることも珍しくなくなった。もちろん、演劇における森本薫『女の一生』も同様である。彼女たちは概ね、病に倒れ、ある者は客死し、ある者は自殺する。近代女性文学を並べていけば、さながら「日本女性被虐残酷史」が編めそうな案配なのだ。
     フェミニズムの観点から言えば、現実における女性の社会的な進出を讃える一方で、文学や演劇は「女性の敗北」を延々と描いてきたと言えるだろう(心情的な勝利を得ている作品も少なくないが、その分析はひとまず置く)。

     たとえば、この『ある女』のタカコを、『嫌われ松子の一生』の中谷美紀が演じてみたら、と想定してみたらどうだろうか。あるいは『恋の罪』の神楽坂恵であったらと。
     岩井秀人のタカコは、始終笑われっぱなしであった。しかし、中谷美紀や神楽坂恵なら、おそらく笑われることはない。むしろ、その薄幸さに、涙を誘われるであろう。実際に、『松子』や『恋の罪』は、彼女たちの薄幸に同情を寄せる批評が大半を占めた。これまでの「女が不幸になる物語」には、男女ともに、読者や観客は袖を濡らしてきたのだ。題材が不倫で、女が愚かで、自業自得であったとしても、女性は常に「涙を誘う存在」であった。

     しかし、女を男が演じるだけで、状況は一変するのである。タカコが男から男へと渡り歩くのも、不倫の末に、デートクラブで売春するようになるのも、まあ自業自得だよな、としか思われない。実際に、観客は「笑っていた」のだから。だが、最後にタカコの「死」が暗示されるに及んで、観客は何となく「居心地の悪さ」を感じることになるのである。
     「笑い」、特に「嘲笑」の要素によって成立するそれは、差別意識と不可分であり、笑われる対象が絶対的な「他者」であることが条件である。いや、他者と言うよりも、自分と同レベルの「人間」であってはならないのだ。一段も二段も低い、「人間以下」であるから、人は愚者を笑い飛ばせる。マイノリティを差別できる。
     だが、人間に共通して訪れる「死」が暗示されることで、たとえ男が演じていようとも、タカコもまた「人間」であり、「女」であったことを、観客は思い知らされることになる。この異化作用こそが、今回の舞台の最も演劇的な効果であった。

     戯曲上のタカコは、実際は男でもなければブスでもない。多少、トウは立ってきているようだが、まだ28歳の、不倫相手の森(小河原康二)から「美しいなあ」と呼ばれる美人である。もっとも森は何にでも「美しいなあ」と口にする男だが、デートクラブのセクリ小林(平原テツ)は最初からタカコに眼を付けるし、森の部下の吉本(坂口辰平)も「やっぱりタカコさん、いいですね」と言う。定食屋の娘・花子(上田遥)は、タカコが父・等々力(猪股俊明)に近づくことを警戒している。まあ、破滅するまで、平田くん(坂口辰平)やら大久保くん(吉田亮)やらと付き合っていたのだから、少なくとも男そっくりのドブスであるはずはないのだ。
     そしてタカコは嫌な女である。森の部下の村田(永井若葉)が、実は森を誘って振られたことを知り、森にこう言う。「わたしと村田って、そんなに、なんか違うかねえ?」 見た目が違うに決まっている。自分が美人であると意識していなければ、これは言えない台詞だ。
     この「勝利意識」こそが、歴史上、女を不幸にしてきた正体なのだ。見た目の「美」だけではない。知性や、情愛や、キャリアや、女が自立するために必要だとされてきた諸々の要素が、全て、反作用的に女性を貶めろための要素になっていたことを、岩井秀人はみずからタカコを演じることで証明してみせたのだ。
     女が女を演じれば、流す「涙」に紛れて観客は気付かないだろう。「同情」はそこで完結し、差別と戦う意識を女から奪う。殆どの「女の不幸」を描く作品は、実は女性のレジスタンスを懐柔するために作られていた。この「男系社会」の中で、男が女に求めるものは「従順」であり、もっとはっきり言えば「隷属」であり、それを受け入れることを女性たち自身に、無意識的に納得させてきたのが、これまでの「女性文学」だったのだ。

     舞台上のタカコを観ればよい。
     あの醜い女は貴女である。あの愚かな女は貴女である。
     たとえ貴女が若くて美しく、知的で男を手玉に取る技術を身につけていたとしても、それは「表面的なこと」にすぎないのだ。最終的な勝利は、常に「男」が手にする。
     貴女はまず、自分の美しさも若さも知性も武器にはならないことを自覚しなければならない。まだ男と「戦った」経験がないのなら、戦わなければならない。既に「戦っている」人は、もっと戦わなければならない。
     では、何を武器に? そこまでは岩井秀人は語らない。しかしヒントはある。タカコは結局、どこにも居場所がなかった。自分の生きていくための空間を持ち得なかった。それが「男」であると錯覚していた。
     女の幸福は、「男のいない場所」にあるのである。
  • 満足度★★★

    特別ではなく、よくあることだった
    今まで何作かハイバイを観ているが、その中では今作が一番面白かった。

    自分自身を持ってない女の人生を男との係わりで見せていく。
    どの男もどうしようもない、または大したことないよくいる男たちだ。
    何故彼女は落ちていくのか、そんなことを考える必要すらないのかもしれないと思いはじめる。

    救われるようで救われないのも含め、そこそこ面白かったのだが、何か物足りなかった。
    100席程度の劇場だったらもっと楽しめたかもしれない。

  • 不倫感
    なまなましい演出なので、純粋には笑えないのですが
    岩井さんのとある設定で、失笑は誘っています。

    ネタバレBOX

    開始早々の、映像トラブルも笑いに変えてしまって
    ストーリーに入りやすくされていました。
  • 岩井節炸裂
    映画っぽい、でもかなり前衛的な映像を使ったり、音をうまく使ったり、これまでとちょっと変わったことをしつつ、これまでと変わらない容赦なくひどい話だった。いちばん笑えない(と個人的には思った)場面で、客席が大爆笑しているのを聞くと、岩井さんの勝ちだなぁと思わされました。

    ネタバレBOX

    男性の目から見ても、女性の目から見ても、不倫についてあるあるなお話だったし、ここまでひどい目にあっている女性もたくさんいると思います。が、どうして、まさに泥沼にはまるように、こんなにも悪い方向に引きずられてしまうのか、それを体感したくて岩井さんはタカコを演じていたようにも思えました。
  • 満足度★★★★

    重いんだけど笑ってしまう
    題材は不倫している女の人という話で最終的にはちょっと重い内容だなと思ってしまうのだが、その間になんだか主人公のことを思うとため息をついてしまうのだが、なぜか笑ってしまうというのを話の内容の崩壊ギリギリのラインで入れてくるあたりが凄いと思いました。そして菅原さんがとても愛おしくなってしまいました。定食屋のおっちゃんと娘がいることによりこの作品は成り立ったのかなとも少し思います。全体的に映像がちょっと多かった気もしますが面白かったです。
    勉強になりました。ありがとうございます。

  • 満足度★★★★

    痛いけれども愛おしい
    とてつもなく悲惨な状況を生きている独身OL(菅原氏)が切なく可愛らしく、愛おしくなりました。

  • 満足度★★★★★

    観劇「ある女」
     今まで観たハイバイ作品に較べ、珍しい匂い。生々しさと幻想的な雰囲気のミックス。岩井さんの劇作の、観せ方が変わってきてるのか?

     愛にアイデンティティを求める女、彼女の話をなんでも聞いてくれる隣人、彼らの、絶望の中で一筋の細い糸をたぐって歩くようなラスト。どこへ行き着くのか、終わっても見通せない…
     
    観る人によって笑いの有無、場所、タイミングが大きく異なりそう。特に女性にはかなり応える人も。

  • 満足度★★★

    評価は分かれるね。
    今までのハイバイが好きな人には、受け入れにくいかもね。
    でも、特に思い入れのない人には、一種の表現方法として
    受け止められるんだろうなぁ。

  • ある女
    いとおしくてせつない。けどわらっちゃう。
    やっぱりハイバイがすきです。

  • 満足度★★★

    らしいと言えばらしいけど・・・
    終わり方とか内容はハイバイらしさがあったんだけど、演技のこなれてなさに比べて、道具の使い方がやけに演技っぽいと言うか、こなれすぎた感じでちょっとそこがイマイチ。あと、終わり方もこれでいいのかなーって、ちょっと疑問符の多い公演でした。

    言いたいことは何となく共感できるだけどね。

  • 満足度★★★★

    いろいろ理解はしてあげられないが。
    映像が非常に創り込まれていたなあ。ダブルキャストという事はあの映像も2種類創ってあったのか。

  • 満足度★★★

    最終日菅原回を見ました
    不倫に似合う体質の女性の一面がよくわかったような、そうでないような。全ての行動に於いて、苦笑いするしか無いような状態にはまり込んでいく27歳独身OLさんをフリーダカーロのような美人顔の菅原さんが好演してました。

    ネタバレBOX

    結構シビアな状況になっても、最終的に空気を読みすぎるのか、端から見ればそれは負の循環に見えるけど肝心の本人がへこたれているようでそうでなく。もう身体の芯から恋愛中毒が醗酵しているとしか思えない動作。それまでのタカコにしてはかなり劇的にも見える終盤の行動からの幕切れ。静かに終ったのはインパクトありました。

    それにしても性を取り扱う仕事って多様なんですねぇ‥。
  • 20120121
    (^・ェ・^)

  • 満足度★★★★★

    落語のよう
    頭の中をもう少し整理してからネタばれに書きます~

    ちなみに菅原氏バージョンです。

    でも、結構評価厳しい気が・・なんでだろう?
    混んでたから?
    以前と比べて客層が変わってきたから?(なんとなくですけど

    それはともかく興味深かったですよ。
    本田劇場の奥の方で観てたら何やってるのか分からなかったですけど、
    このくらいの広さの劇場でちょうどいいのかな?(まぁでかいスクリーンで3Dで飛び出してたらそれはそれで面白いけど

    こういう題材を扱う作家さんが少ない、というだけでも十分上演する価値はあるような・・。

    ネタバレBOX

    27才女と年輩者の不倫話から突き進むから苦笑系になってしまうけれども、
    これがもっと若い女の子と、その子にタカるホスト君(屑)とのやり取りから
    後半部につながっていたら、
    あまりにもそこそこにあって、誰も笑えなかったに違いない
    (そこを、「女の子っておっちょこちょいな所、あるよね」的な余裕でクスリと笑える程度で済ませられる人は・・・現実のクズ君(実際には整った顔立ちであることが多い)たちのことについてあまりにも無知と言われてもしょうがないような気がする。(内心)ブチ切れたことのある人なら、割と凍りついてしまう気が。以前、キラキラしてたはずの女の子が、わずか一年で引きこもって自殺未遂を繰り返してたなんて話を、付添い(付き添ってもらってやっと外に出られる状態だった。元気なころから母娘仲良しだったけど)の母親から聞かされたこともあったなぁ。だいぶ昔の話だけど。

    そんな荒れ果てた現実を、わりと不思議な設定、謎映像、ぽかんとした表情でくるんで飛ばすと見せかけて、後半にひょいと、観ている人の懐にほおり込んでくるあたり、なかなかにハードボイルドな演出と言って良いのではないかと思います。
  • 満足度★★★★★

    すばらしい
    岩井さんて名役者だと思う。すんばらしかった。。。

  • 満足度★★★★★

    女って、可哀想な、いきものだな。
    女性がテーマの作品って、大体が悲劇で、「ある女」も例にもれずそうでした。
    普通の女が普通に生きようとするだけで痛みが伴う。

    女って、可哀想な、いきものだな。

    そんな感想を抱きました。
    そう思えなければ、ただただ気持ち悪いという印象かもしれません。そんなお芝居です。

    ただし、コワいシーンも、観客の精神に負荷がかかりすぎないよう配慮されているように感じます。まあ、コワいんですけど、総じて。

    ネタバレBOX

    死んでしまったのだろうな。タカコは。



    岩井さんの回でした。

    なので最初つたわらなかったけれど、たぶんきっと、タカコは魅力的な女なんだと思います。
    たぶんきっと、それなりに美人で、面白くて、ひたむきな女の子。

    しかしながら、主体性を持たない女という生物には、いつも不幸の匂いが漂う。

    岩井さんがどんな話をヒアリングしたのかが気になりました。
  • 満足度★★★★

    他人事として見れば「なにやってるんだ」ってな話だけれども
    ずるずるな状況は、心地良いからずるずる続く。
    「これないわー」って自分で思っていても。

    そんな哀しい物語、の岩井秀人バージョン。

    ネタバレBOX

    誰にでもあると言っても、不倫とかではなく、その「状況」ついてである。
    結局不倫だった、という男の身勝手さに、なぜかずるずると引きずられていく、というのは、気をつけないとあり得ることかもしれない。

    つまり、「これはないよなー」というような「倫理的に反している」ことや、「(倫理的に反していないけれど)何のメリットもなさそうな」ことであっても、ついずるずると続けてしまうことはあり得るということ。
    それが「生活」に溶け込んでしまえば、特にそうなる。

    主人公・タカコの場合は、相手のアパートに行くということが、すでに生活の一部に組み込まれてしまっていて、さらに人恋しいというような、哀しい理由も(たぶん)あって、関係を続けてしまう。

    それは赤の他人から見れば「なんてバカなことを」と言われてしまうことであり、実は自分自身も「いやー、これはダメだよなー」と薄々気がついていることでもあろう。
    「人間は弱いんだよー」と、訳知り顔で言うのは簡単だけど、それは他人からの「感想」であって、当の本人には関係のないことだ。

    タカコは、相手に喜んでもらいたいために、セミナーを受けに行く。
    それも「ないよね」という感想だろうが、当の本人にとっては、とても大事なこと。本来、なぜ男性を付き合っているのか、ということをどこか脇に置いてしまい、変なねじれ方で本末転倒してくる。
    「ああ、これもよくあるなー」と思ってしまう。
    後から「なんであんなことしてたんだろう」と思うようなこと。
    その渦中にいると、他人の忠告は何を言っているのか、まったく理解できない。

    観客は、腕を組み、あるいは足まで組んで、「ほほー」とか思いながらタカコを見ているのだけど、それは「他人の目」からの姿であって、タカコの視線には絶対になれない。
    つまり、「実生活」においても、「他人への感想」や「忠告」をすることは可能なのだが、「他人の忠告」を聞き入れることはできないから。

    舞台の上タカコは、「他人の忠告(感想)」を受け入れることができない「私たち」ということにほかならない。

    「ずるずると何かを、やってしまった」ことのない人も中にはいると思うのだが、そういう、ずるずる経験をして、後で止めたのちに、胸からわき上がる苦い味を、布団の中で味わったことのある人ならば、「ああ、あれは私だ」と思えるのではないだろうか。

    そして、ラストの、あの暗さ、そして定食屋のオヤジの台詞が、ひよっとしたらタカコの道しるべになるかもしれないし、暗く続く闇は、タカコが我に返ったときに、味わう布団の中の苦みなのかもしれない。

    隣の部屋にある「定食屋」ってのはタカコの脳内の心の拠り所だったりして。

    岩井秀人さんは、男であるが、女を演じたということは(しかも台詞の感じは岩井秀人さんがしゃべっているようで、女という演技をしていない)、女とか男とか、そんなこと関係なしに、そういうことって起こっているっていうことを示している、というのは深読みすぎか。

    そして、女であるという演技をしていない(しているようには見えない、台詞とか)のに、なぜか女に見えてしまう。
    ただし、29というよりはもっと上の、おばさんに。

    それにしても、タカコは献身的ということはわかるし、どこか男に都合のいい女なのだが、どうしても、つまり金を出してもつなぎ留めておきたいほどの女に見えないのが辛い。
    そこも、男からの「ずるずるした関係」で、「この女ないわー」と思いつつも、ずるずるということなのかも。

    こういう言い方は、かなり酷いかもしれないが、この、先の見えない不思議なストーリー展開とラストの、あの静寂は、五反田団を思い浮かべてしまった。
    しかも、五反田団にはあるペーソスが、ないような少し背筋が寒くなるラスト。
  • 満足度

    きびしいこと言うようだけど
    役者がみんな、ひどい演技だった。
    途中で見る気なくした。
    菅原氏の日。
    上田遥の演技は良かった。

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