「ボードゲームと種の起源・拡張版」 公演情報 「ボードゲームと種の起源・拡張版」」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.2
1-9件 / 9件中
  • 満足度★★★

    思考の内に静かに沈むいつものジエン社
    インストを受ける観客、見立てやルールの創造に思いを巡らす
    他者を見抜くにはまず自分自身をよく知らなければいけない
    自分を伝えるには他者をよく見なければいけない
    0から生まれて全てが0に収まっていく作品

  • 満足度★★★

    鑑賞日2019/06/06 (木) 19:30

     不思議な芝居だった。開場すると、ステージでは俳優が「魔女の村に棲む」というボードゲームをやっている。開演すると、その一人、東京から地方に移ってボードゲーム・カフェを開こうとする男(須貝)とそのパートナーやゲームデザイナーなど、周辺の人々の物語が展開される。物語と書いたが、明確な筋が明らかになるわけではなく、何となく流れが分かる、という程度で、ややイライラする。会話なのか、誰との会話なのか、よく分からない発話も少なくないし、私のテイストではないが、80分は長く感じない。

  • 満足度★★★★★

    #ジエン社「#ボードゲームと種の起源・拡張版」

    ジエン社が得意とする会話の重ね方。
    時間と場所の「レイヤー」が重なっている。
    今回は、それが洗練され、すべてが聞こえ、何がいつどうなったのかが分かりやすくなっていた(以前は同時発声で重ねることに意味があったとも言えるのだが)。

    観客の集中が必要だけど。

    (以下ネタバレにダラダラ続きます)

    ネタバレBOX

    ジエン社がこの舞台のために作ったボードゲーム『魔女の村に棲む』が作中世界とリンクしていく。

    そのゲームは黒と赤の2種類のカードと「怪物」カード1枚を使い、自分だけが何色のカードを持っているのかわからないまま、他人との会話しながらそれを探っていく。自分が多数派の色に属し生き残るために、自分とは反対の色であろう他人を指さし「殺す」という方法を使う。そのほかに「祈る」「守る」等々のルールがある。

    当たり前のことなのだが、ルールに従わなければゲームに参加できない。
    社会も家族も自分自身が生きていくことは、ゲームと言ってもいいのかもしれない。そのときには、「誰のルールに従うのか」が大切である。自分だけのルールに従って生きることはとても難しい。
    ひょっとしたら「家族」も「社会(生活)」も、ボードゲームで言うところの、「フレーバー」のひとつなのかもしれないのだが。

    「他人の目」が特に気になる。
    「他人の目」は「多数」側にある視線だ。
    まさにこのボードゲーム『魔女の村に棲む』であり、自分の評価(色)は自分では分からないし決めることもできない。「自分が何者なのか」は他人の目が決めることでしかない。
    他人の顔「色」をうかがいながら、自分の棲み処を探していく。
    他人からどう見られているのかが気になって仕方ない。

    この際、魔女に呪われた「黒」なのか、そうでない「赤」なのかはまったく関係ない。ゲーム内でもそこはまったく問われない。
    とにかく多数派でいることが大切なのだ。

    作品内に出てくる人たちは、どう考えても「多数派」とは言えそうにない。そういう彼らが多数派を目指すゲームを作り上げていく様は、とても悲しい。
    多数派でないことのステイタスのようなものを密かに胸にしながらも、多数派に憧れたりする。それは「普通の生活」と呼ばれるものだったりもする。

    東京とは、自分たちのいた場所、ゲーム仲間が大勢いたりして、自分の居場所だったと思い込んでいた場所だが、炎に包まれている。
    逃げるしかないと思い込むための「火事」であって、リアルではないのかもしれない。
    ルールのひとつに過ぎず、本来の意味での「対岸の火事」であったはずが、気が付けば炎はすぐ側までやって来ている。

    「ここはもうダメだと思う」は「ここ“も”もうダメだと思う」なのではないか。
    人を指さすことはできても「自分を指さす」ことはできない。
    「自分は多数である」ということを「祈る」ことしかできない。
    この世界を破壊してしまう「怪物」は自分かもしれないという、口に出すことができない恐れを常に抱えて。
    世界の破壊は(内なる)自己の破壊である。世界を認識しているのは自分だからだ。
    とにかくゲームだけは続けなければならない。

    SNSを辿りながら「界隈」を蝕んでいく「そつある」が恐い。そつあるを演じる湯口光穂さんのイヤな感じがじわじわ来る。明らかに他の人たちとのトーンの違いと、また同様に同じ匂いもさせる上手さ。

    善積元さんの台詞回しがジエン社らしくて好きだ。どの作品でも誰かに語るではなく、自分に向けて話している感じがいいのだ。

    善積元さん演じる根利と須貝英さん演じるエレの、ほぼ無言の会話がとても良かった。根利は、本質的なこと、すなわち(エレにとっての)恐いこと、を言っているのではないか。「みんなが同じゲームをすることはできない」「種が違う」。しかしエレには伝わっていない。というか聞いていないのかも。つまりボードゲーム『魔女の村に棲む』の雑談のようにウソかホントかわからないから、聞き流しているのか。


    6月3日の公演後に実際にゲームを体験した。
    最初のターンで瞬殺されてしまった。笑。
    このゲームは、外野で見ているだけでも面白い。
    人がどう策略を練るのかが面白いのだ。たぶんその「人」が出てくる。
    その人の「色」が、つまり他人からしか見えない「色」が見えてくるということ。

    ゲームをやることないだろうな、と思ってゲームを購入しなかったが、買っても良かったかも、と少しだけ思っている。
  • 満足度★★★★

    鑑賞日2019/06/02 (日) 14:00

    価格3,800円

    東京から地方に移住してボードゲームカフェを営もうとする男とその妻やゲーム仲間たちが織りなす物語。
    同時多発会話や時や場所は異なるが共通する部分のある台詞・会話を続けて見せる「会話のコラージュ」はいかにもジエン社。(笑)
    それに加えて本作ではこの作品のために創作したボードゲームでの選択・行動が現実パートにも取り入れられているのが特徴で、観ながらこれは「ゲームでの出来事を現実社会の出来事にするとこうなりますよ」ではないのか?という疑念が生じ、胡蝶之夢とかタマゴが先かニワトリが先かとかそんな感覚を味わう。(こういう感覚、好きなんだなぁ)
    後でうかがったところによれば「自分が何者だかワカらない」状況を芝居で描くために、あのゲームを創り上げたそうで、大いに納得。
    なお、開場時から開演まで、舞台上ではそのゲームがプレイされており、σ(^-^) が観た回は典型的なパターンが複数起こったのでそのゲーム展開も脚本にあるのか?という気もしたが、さすがにそんなことはなく、ガチのプレイだそうで……(笑)

  • 満足度★★

    ジエン社の作品を観るのは3本目。毎回、同時多発の会話劇はいつも精巧でタイミングも難しそうなので役者もすごいなと感心するものの、面白いかどうかは別問題。あと劇場が寒くて凍えた。

    ネタバレBOX

    今回は特にボードゲームに関係なくても面白いとのうたい文句もありましたが、流行のボードゲームに全く興味がないとやはり面白さは半減するような気がしました。
  • 満足度★★★★

    3331での試作版?に出演した役者(沈)を、ちょうど前日観た芝居で見て、一癖二癖あるあの役を誰がどうやるんだろう、なんて事をふと思ったが、拡張版は全く別の話であった(重なる役、エピソードは当然あるが)。拡張版よりは「完全版」、の語を当てたくなった。
    登場人物も増え、「群像」が立ち上がった。ゲームが盛り上がりつい喜声を発する場面がある。それとは対照的な静かな場面が殆どだが。俳優に当て書きしたような風貌に応じたリアルなキャラが、説明の少ない台詞の背後を観客に読ませる。
    試作版と「別物」と思わせた最大の特徴の一つは、ドラマ中のゲームの意味合いが増し、またゲームはルールが確立して(開演前から5人が楽しんでいる)本気でやっているのが分かる事。急迫の事態から逃れてきた者が「こんな時に」「だからこそ」との枕詞で語るゲームとは決して「価値ある重要なこと」の対極ではない・・人物らを少しばかり輝かせるラストの風景はその主張を実証するように形象され、一つの現代解釈を提示していた。
    舞台はアゴラを横に使い、A3程だろうか白い板が折り重なるように壁一面に貼り付き、下手に高い段を作っている。出入りは従って正面奥(奥行きを感じさせる狭い隙間=エレベに通ず)、上手壁のドア、そして客席下手死角にある奈落の三つ。正面に当るバルコニーも効果的に使える。これは自由度が高く大変うまくした使い方だった。

  • 満足度

    ■85分弱■
    話の足踏みが続いて、80分で大して位置が変わらない。進めろいっ!!

  • 満足度★★★★

    アゴラ向きでした。

    ネタバレBOX

    東京がミサイルか災害かで住めなくなり、さらに延焼のような現象が周辺に広がりつつある中のボードゲーム系引きこもりたちの話。

    非日常的な日本はアゴラ向きでした。

    芸術文化系引きこもりからすると、人が集まって成立するボードゲーム系引きこもりが羨ましい気もしました。
  • ボードゲームカフェに集まる若者たちのドライな群像劇。約80分。時間と空間が瞬時に入れ替わり、共存もする構造が、パズルみたいに複雑で読解のスリルあり。人間社会の縮図をゲームに落とし込む巧みな構成で、“種の起源”というタイトルに納得。ルールを守る集団の幸福と、そこから逸脱するマイノリティーも描く社会派戯曲でもある。生身の俳優による上演が前提の戯曲であることに演劇の豊かさを感じる。脚本・演出:山本健介。

    ネタバレBOX

    東京はすでに人が住めない土地になっており、移り住んだ地方都市も燃えている。共同幻想を共有できる場はどうすれば存続できるのか。アナログなゲームを題材にとり、広い射程で問題提起する刺激的な舞台だった。残念ながら俳優の演技手法は私好みではなく、前半は少々退屈した。でも後半は引き込まれた。

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