満足度★★★
■約80分■
ダンスとしては、スカートを穿いてかわいく元気にガーリーに踊るトリオ作品『海底に雪』のほうが楽しめた。
海、水といったテーマに身一つで向き合った横山彰乃によるソロ作品『水溶媒音』は、テーマに縛られてダンスが窮屈になっていた印象。また、海や水について何を訴えたかったのかも残念ながら伝わってこず。ダンスでテーマを表現することの難しさについてあれこれ考えた帰路でした。
『海底に雪』は上のテーマを追求しているとは思えなかったが、堪能できたのは明らかにこちら。
満足度★★★★
昨年のトラム公演が気になって未見だったlal banshees、初観劇。今回はvol.3とはなっておらず、webを覗くと他にもナンバーの付かない上演があり、本公演とは区別している模様。タイトルも試作のような。主宰横山彰乃女史は東京ELECTRIC STAIRSのコアメンバーで、そのチラシにある思わず目を引く細密なイラストを描く本人でもある(後で知った)。
つい先日の舞踊系パフォーマンスに続き、馴染み深いアゴラ劇場で若い感性が光る踊りをみる。踊りも様々である。だが身体的動きとしては意外に制約があるのを痛感する。その中で独自の身体言語の体系を目指し、美を追求する。そのプロセスを見た感触というのはどの舞踊にも共通だったりするが、演劇の範疇に属するドラマ性や、テーマ性、ストーリー・・観客は(作り手は)何をそこに見ようとしているのだろう・・素朴な疑問が湧く。舞踊は第一義には身体の美であるのだが、古よりそれはしばしば神秘の領域を司るものとされ、そのようにして囲ったという事があるのだと思う。囲う必要は、身体それ自体の神秘=本能を制御する必要に他ならず、同様に現代も舞踊がテーマや物語といったものと親和性を持とうとする理由はそのような「理解可能(言語化可能)」な枠組みを与える事でとりあえずの安心をもたらしている。だがその内実は身体の神秘(美というものの神秘と通じる)に、おののきつつ浸る時間である、と言えるかも知れない。もちろん踊り手側の都合もあるだろう。「物語」「意味」の領域と手を携える事で効果的に身体の美を表出させる、その主体となる資格を持つ。。
さて前半は可愛らしげな衣裳の女子3人の踊り。最前列では暗めの照明という事もあって動きの早さと広がりが視野に収まりきらず、度々睡魔が。内、唯一lal banshees vol.1と2に参加した踊り手の後藤ゆうは、昨年STスポット「地上波 第四波」にソロ出演していて見覚えもあったのだが。。
休憩を挟む間もなく横山女史の踊りに移るとなぜか目がパチッと開き(焦点が一箇所に絞れたから?)、身体の小さな動きも凝視できた。前半のもそうだが音楽主体で構成されるタイプのステージ。足首を上下、または左右に動かす動作を取り入れているのが横山氏の特徴で、前半の踊り手もやっていたが、様になるには技量が必要、とリーダーの踊りを見て実感。
黒い三方の壁には大型ペットボトル(1.5~2リットル)をバインド線で吊るされ、照明で効果を出していた。
切れ味鋭い身体さばきの中に、「この先」への希望、期待を見る。完成された何かではなく。