鑑賞日2017/01/25 (水)
無題2009(17-012)
19:30の回(晴)。19:00受付、開場。パイプ椅子席(クッションあり)。舞台正面にスクリーン代わりの半透明ビニール、左右壁際に椅子(各4脚)、舞台にも椅子(背中合わせの3脚X2)、小さなテーブルと椅子のセット。天井には白いツイン蛍光灯など。黒い舞台に白。
19:34前説(大宮の電車以来の左藤さん)、80分、そのまま開演~20:50終演、トーク終了21:11(塩田さん)。
そもそもギリシャ悲劇には縁がないのですがゲッコーパレード「アンティゴネー(2016/4@旧加藤家住宅」」はなかなか刺激的(これがきっかけでその後ずっと観続けている)でした。
何で悲劇なのかがわからないので観るべきポイントなど大きくはずしているのかもしれません。
紀元前と遠い(らしい)未来とがいつのまにか入れ替わっていて、役者も役が交じり合っているようにみえる。「物語」としての骨格はなくなっていて、素材が持つもの(それが何かはわからない)がどこに残されているのか見つけられず。
親子/兄弟姉妹間の殺し合いは日本の歴史の中でもとくに珍しいものではなかったのでは?と思う。
ゾンビ、人体のマシーン化などや古代(文明)をベースに架空の世界を創る、というのはSFでは普通のこと。
今、再読中の「夜の翼(Nightwings1969)」のイメージで補完しながら観ていました。
全体の印象では紀元前にしろ、遠未来にしろ、永い時の流れが感じられず狭苦しい感じ、SF的なアイテムも活かされていないような気も。
会場が大きすぎるように感じました(あるいは、活かしきれていない)。
満足度★★
アンティゴネーの話は、ギリシア悲劇の中でも(設定はともかくとして)割と現代の価値観に通じる内容で翻案作品も多いような気がする。
そうした中で、この作品は完全に現代なのか、それともギリシアの時代なのか、それを交錯させているとしてその境界線あるいは緩衝地帯はどこかが不明朗だ。
役者の皆さんを左右に配置させ、演じる場に立たせる設定はさながらギリシアの舞台劇(あるいはブレヒト的なのかも)を彷彿とさせるが、その登場の際に不在から存在へと転換するキレがないので、フラッと出てきた感じしかしない。姉妹の会話は聞くべきものが多いので、メリハリと言う点で残念な気がする。