満足度★★★
双身機関とTAL演劇実験室
ただただ唖然というか,あまりにも違いすぎる料理方法に驚きが大きい。理解しきれない部分もあるが,こういう表現方法を考えることに感心もしている。これ,他の劇団も全部観れたら面白かったんだろうなぁ。とても良い企画だったと思います。
満足度★★★
見巧者向けの公演か...
サミュエル・ベケットの作品を東京、名古屋、台湾の8団体が、それぞれ演出する趣向である。自分は、名古屋の双身機関、台湾のTAL(Theatre Actors Lab)の上演を観た(上演順)。
同じ脚本であっても、演出の違いで印象も異なる。改めて演劇という創作の幅広さと奥深さを感じるもの。
一方、観ること...そこには演出という手法と同時に、それを理解する上で大事な要素があることも痛感した。
満足度★★★★
人間が存在することに意味はあるか?
今回ベケットの“芝居”という作品を東京、名古屋、台湾から集まった8団体が、それぞれの手法で演出、上演するという趣向だ。自分は、台湾のTAL(Theater Actor’s Labo.)と名古屋の双身機関の上演を拝見した。作品の内容は、1人の男と2人の女の間で交わされる痴話喧嘩である。但し、今作は、原作の指定では登場人物3人が大きな壺の中に入っていて、首から上だけが、壺の外に出ていて、スポットが当たるとその人物が科白を喋る、という作りになっていて、各人は対話をするというより勝手に自分の主張を言い張る。従って痴話喧嘩というコンセプトが真に成立するのかどうかも疑わしい。無論、それもベケットの狙いである。彼は後期になると人間がそもそも、真の意味で対話することが可能であるか否かについて相当否定的だったのではないか? 自分などはそう感じてもいるのだ。何れにせよ、双身機関は、壺を西アフリカで使われる蚊帳のような布を用いて表現し、下の方をレースにして足が透けて見えるようにしている。無論、足を演じる役者は足だけを演じている。(これは原作にはない表現である)。
一方TALは、壺その物を使っていない。代わりに各々が、スーツケースを持って登場し、開けると何も中に入っていないので、自らの着ている物を脱いでスーツケースに収め、次いで役者の身体・動作で壺を拵える所から始まる。その後は、各々が定点に立ち止まるのだが、片足立ちをずっと続けるのだ。長時間に及ぶので流石に偶に浮かしていた足が床に着くことはあるが、基本的には、片足を浮かすことで壺からの脱出を夢見ているという心象風景を表している。
2劇団共に、難度の高い作品に果敢に挑戦して人間存在に意味があるか無いか? という問題に取り組んでいるように思えた。