親の顔が見たい 公演情報 親の顔が見たい」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
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  • 満足度★★★★★

    KY
     苛め、虐待のニュースが後を絶たない。今作は、名門女子校で苛めを苦に自殺した中学2年の女子の事件を、学校側と苛めた子らの親との対話を通して炙りだしてゆく作品だが、日本の(というより西側先進国一般の)、陰湿さを増す苛めの実態を明らかにすると共にその背景にある事大主義の欺瞞性を暴いて見事である。

    ネタバレBOX


     シナリオがしっかりしている点、シンプルだが必要十分な舞台美術、緊張感のある対話でぐいぐい引っ張って行く芝居作りにも共感した。子供達をサポートしようとして、親も犯罪の共犯者になるような入れ知恵をしたりすることが描かれている点でも良い。
     舞台は三方を客席に囲まれた状態で、正面客席に対して机は斜めに配置され、奥の壁には時計が掛けられている。時刻は19時。朝、遺体発見後の措置として急遽休講になった後、16時から苛めた側とされる生徒ら5人は登校するよう連絡を受け、登校している。5人は、被害者から届いた書面に名前を書かれていた生徒である。学校側としては、事情を知っている可能性もあることから、参考人として呼び出し、事情を聴いていたわけである。因みにこの学校は歴史も古く、良家の娘の通う学校との評判が高い。母、娘と通うケースも多いのだが、授業料も高い。そういったことに見合う娘たちが通うのが一般である。
     尤も日本では、KYという言葉が苛めを避けるキーワードになっているが、このコンセプトは、日本人の本質と性格、即ち事大主義の現代的用法だと思われる。強い者には媚び諂い、自分のポジションを保守する為には、平気で人間性の発露としての自由や人間性を喪失しながら、恬淡として恥じることすら忘れ果てている姿を正当化しているのである。
    無理矢理員数合わせをし、民主主義の多数決原理に則った振りばかりしながら。だが、ギリシャで生まれた民主主義は、為政者として就任した者が戦争に負けたり、不正なことをして罷免された場合は財産没収の上、時に死罪、流罪、追放など重い刑罰を科された。それも多くの場合拷問つきの裁判を受けての結果としてである。
    これに対して我が国の近々の例を上げておくならば、第二次世界大戦の敗戦(1945年9月2日)を8月15日に置き換え(終戦記念日と言い換えて敗戦の重い現実から目を背け、キチンと現実に向き合わないというまやかし)た。更に戦争責任の明らかな天皇裕仁を利用して、アメリカに都合の良い占領政策を採ったことは現代史の常識であろう。時の総理大臣、殿上人クラスの皇族・貴族を含め世の指導者と目されて来た連中の殆どが、日本占領の全権を委任されたマッカーサーに或いはマッカサーに通じる可能性のあるジャーナリスト迄含めて自らばかりは戦争責任が無い、と申し立てた。無論、事実は誰が見ても責任があったのである。大日本帝国憲法で唯一の主権者が天皇、即ち裕仁であったと同義である。内心恥じた者もあるだろう。その可能性は否定できない。然し公式なレベルでそれらの人々も、都合の悪いことは総て不問に付し、忘れた振りをした。その結果、社会はズブズブの、原理原則もなければ人倫もない鵺のような社会になった。
     このことを糺さない限り、日本人が世界の一角を占めるに足る民族だなどの戯言は、避けなければならない。このような判断こそが、世界に打って出る時に必要な判断・ボンサンスだと考えるからである。
  • 満足度★★★★

    人格形成
    “劇団企てプロジェクト”初観劇。

    数々の団体で上演されているというこの戯曲、色々と考えさせられるところがあり、なるほど良い作品である。

    作品から感じたのは、それぞれの立場に於ける「転嫁と保身と正当化」。

    “子”の人格形成の初期段階は“親”の責任であると私は思っているが、

    幼稚園や学校という団体生活に入れば、“保育士(教職員)と子”という関係の時間が増え、そこでの人格形成も重要になるのは言うまでもないだろう。

    “子供が発するサイン”を受け取る云々ということがいわれているが、
    普段のコミュニケーションが不足・不適切であれば、それ自体も空々しいものになってしまう。

  • 満足度★★★★

    役者力、堅実。
    マンション内の、にしてはそこそこの(70人程入りそう)スペースで、ぶち抜いたコンクリの梁が低い天井に残るのも黒く、劇場としての味わいを有しているのにまず驚いた。
    「親の顔」は数多くやられている演目だが、やはり味のある戯曲だ。中学生にしてはかなり過激ないじめ内容や、援助交際など、ドラマ的な演出を「盛った」ようにも捉えられるが、うまく解消していく戯曲だ。
    新たな証言や物証が、事実を徐々に露呈させるが、その段階段階で、その状況に見合っただけの抵抗を親たちは繰り広げる。そして退路を断たれて事実に向き合わざるを得なくなる・・という意味では、「悲劇」に始まりそれは覆らないが、ある意味ハッピーエンドである。
     この劇団は、口跡もすっきりした堅実な役者が押さえる所を押さえた演劇を繰り出し、劇の終盤にはある「高み」へと観客を押し上げていた。 開幕当初に見られた、各自の仕事をしている感の演技(横同士の反応がやや堅い)は、しかし個々の「仕事」を延長した先に、しっかりぶつかり合う形が出来ていた、そんな感じ。演技を機能的に捉えているのか、やれる事をこなせばここまで持って行けるという事か・・不思議な感覚だ。
     一点、最後に残る夫婦の対話、そして退出の場面。 芝居中では夫に抵抗した妻だが、最後には夫の後について行く、古典的な妻を演じる日常に帰って行く、という処理にしていた。 簡単には変わらない・・それが脚本に書かれてもいる一つの結語だが、それでも何か変わって行くのではないか・・そう感じたい観客に、この演出は「簡単に変わらない」ことを形として強調してみせたのだろうか。

  • 満足度★★★★

    流石実力派劇団です
    実力派の劇団員が集まり、社会問題となっている「いじめ」をテーマに行われました。
    被害者側ではなく、加害者側の家族を描いています。
    もしかしたら、起こりうるかもしれない「まさか、ウチの子が」
    その時、親はどうするのか…。

    ぐいぐいと、観客を引き込み2時間という時間を感じさせない見ごたえのある面白いお芝居でした。

    今回、舞台を囲む形で客席が組まれ役者がどっちを向いても観客がいるという役者にとってはとってもやりづらい舞台、そして観客にとっては下手をすれば役者の背中ばかりになってつまらない舞台になってしまうのですが、そんな事一切なく背中でもしっかり見る事が出来るお芝居でした。
    体調不良が続いていたので休もうかどうするか直前まで迷っていましたが行って良かったです!

    公演場所は、川崎のH&Bシアターという所ですが、ココの劇場の凄い所は、普通のマンションの部屋を2つぶち抜いて劇場を作っちゃった所です。

  • 満足度★★★★

    色んな年代の人に見てほしい
    川崎で、雨降り。テーマも重い内容で。
    お客さんの年齢層が高かったのが印象的でした。

    今回の舞台でもある中学校くらいの年代の人が、この劇を見て、物語の中の大人たちの滑稽な姿を見たら、どう思うだろう?

    自分たちが普段信頼している親や教師の、形相が豹変する瞬間を目の当たりにしたら?
    その時に、このテーマの深刻さを理解できるのかもしれませんね。


    客席が二方向に分かれていて、舞台を挟む形でした。お客さん同士の表情が見える状態だったので、客席も緊張感しました。
    役者さんは、どの方向からも見られて、すごいプレッシャーだったと思います。

    物語は、途中まで、嘘のような展開でしたが、進むにつれて、状況が深刻になってきて、その感じが、突然学校に呼び出された保護者たちの心境とダブりました。

    一番ムカつく役をされていた役者さんが、最後、ほっとした優しい表情をされていて、こういう役をやるのは精神をすり減らすだろうな、と思いました。
    でも、その素の表情に、私の心は救われました。

    答えのないテーマでしたので、自分の中で消化不良ですが、大切にしたい劇に出会えました。
    上演されることが多い作品とのことですので、本当にたくさんの人に見てほしいです。

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