満足度★★★★
二度目。RAFTの面白さ
狭くて客席も少ない。前回観た新宿眼科画廊と似たり寄ったりの条件だが、こちらの方が道路に面してたり地下に潜らず、扉一つで外界、という条件は冷や冷やものではある。だがこういう場所でも芝居が始まればその世界が立ち上がらせる事ができる、その自負あればこその会場選択も、有りだな、と思った。もっとも装置に金はかけられず、照明はありもので対応。客席数と会場費は対応してるはずだから、そこを押さえれば公演じたいは成り立つ、んだろうが・・。
さて芝居。好もしい緊張感、程よい不明さから、程よい解明の速度、4人という程よい人数(舞台上に登場するのは多くて3人、それも短時間)。何よりこの手の小屋のうまみは至近距離で見る面白さだ。
舞台のほうは、対面式の客席で、中央が演技エリア。その片側の扉は始め観客が入場する入口で、入ると目の前に積まれた本に驚くが、芝居が始まると扉は古書店の出入口になる。道路に近い方の客席は中央で割れ、店から自宅に繋がる通路である。開演すると、店の出入口と反対側に置かれた机に店主が風情を漂わせて座っている。間にテーブルが二つ、上に書物が重ねおかれ、また客席との境界として横積みの文学全集が並べられてある。そのような全体で古書店を表現する。
小編である。店主の特殊な設定と、結果的に不幸な遭遇をしてしまうたまたまふらりと訪れた客、目の見えない妻、店主の妹。「古本屋」という設定にも合うが、訥々と交わされる、数少ない台詞で、ある劇的な状況が綴られており、凝縮された物語表現に、ある種の小気味よさを覚え、気分を良くしてRAFTを後にした。短歌を愛でるこの国の美的感覚をくすぐられたのだろうか。
描かれたものは「特殊」ではあったが、基調として現代人の、「病的」さを内包せざるを得ない環境というか時代性というか、何かそのようなものが流れているのを感じた。
満足度★★★★
「どどどどーした日本のラジオ?」からの「あーやっぱり日本のラジオだわ!」
古書店を営む夫妻らとたまたま訪れた女性客との心温まる交流…。
口下手や不器用だけれど根は優しい面々が次第に(心の)距離を狭めてゆくさまは心地好くてホロリとさせられる。
その一方で「日本のラジオに求めているものはこういうものじゃない」までは行かずとも「どどどどーした日本のラジオ?」な戸惑いも(笑)。
が、時々どす黒いもの(←比喩であったりなかったり)がチラチラ見え隠れ。
そして終盤で明かされるいくつかのことは「あーやっぱり日本のラジオだわ!」と頬が弛む(従来比ではマイルドかも?)。
さらに提示されるだけのそれらを関連付けることも可能で、ますます日本のラジオ(笑)。
…ということで、すっかり弄ばれた感じ?(笑)
なお、舞台美術として使われていた文学全集のうちで最も古そうなものがかつて実家にあったもので、初めて読んだ夏目漱石も席の近くにあって懐かしいという余禄も。