『リア王』他一編、…公演は無事終了いたしました。お越しの皆様、ありがとうございました。 公演情報 『リア王』他一編、…公演は無事終了いたしました。お越しの皆様、ありがとうございました。」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
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  • 満足度★★★★

    ほぼ初楽園王
    楽園王という名前がイッちゃってるので手脚の長い極彩色の俳優が客を恫喝しながら動くライブのような雰囲気を勝手に想像していた(どんな芝居だと言われると困るが)。先刻『出口なし』企画での小編を目にして随分印象を違えた。古典(既成)作品を翻案した舞台が主体のようで、「演劇」という楽園に咲き乱れる花々を摘みとっては料理する王様な自身を自嘲(あるいはそのまま?)表現した名か・・とこれまた勝手な想像。
     「火宅」「リア王」とも端正な作りで無駄が少なく、各俳優のニュートラルな身体がみせる、細やかな表情や動きの変化に、目が向く。これをごく間近で体験できるpit北/区域の「利点」を味わう公演でもあった。

    ネタバレBOX

    三島由紀夫の作品もこういう形で見せられると興味深い。「家族崩壊」がテーマであり結末という、時代を感じさせる戯曲だった。もはや夫だけがその堅固さを信じている「家族」の揺らぎは、夫と妻の会話、外出前に居間に立ち寄った娘との会話、その後の夫と妻の会話から見えてくる。具体的には、息子と女中お松との肉体関係、娘と彼氏との家出の気配、そして妻と下宿人との関係。それらが淡々と語られるので、取り合わない夫。しかし妻の言葉が実証されて行く予感が示され、未来を暗示するようにして幕が下りる、となる(その一つ:妻は娘が家を出て行く事を直感したと語り、夫は「書き置きでも見つかれば別だが」と軽く応じる伏線があって、終盤で食器の裏に封筒を発見する、というので「書き置き」だと観客に悟らせている)。1948年の作だそうだ。これを半リーディング(導入は原稿用紙を読んでは捨てるという演出)の形式もあって、戯曲との程よい距離感を保ち、感情を抑えた演技により、時代感も醸して戯曲世界に入り込めた。下宿する青年と自分の妻が関係したと告白されるという驚愕の事実はヘタすれば笑えてしまうが、頓珍漢にならずちゃんと「ちょっと怖い話」に見えていたのは、うまさだと思う。(35分)
     「リア王」は大胆な翻案で、しかも現代シーンも挿入しての1時間芝居。キャンディーズで踊る時間もある。「リア王」有りき、ではもちろんあるが、物語の骨格はつかまえて見せていた。王の退位に伴い三人娘への財産分与する際、長女と次女は順当に領土をもらったが、末娘が表面上恭順な態度を取らなかったため勘当、一方長女と次女は王を迎え入れる事を拒否し、王は自分の不幸を呪う。フランス王に嫁いだ末娘が助けに出るが、戦をしかけたフランス軍はブリテンに敗北、王は荒野を彷徨って行く・・となる。 私はこのラストに、他の悲劇にない救いを感じた(随分昔読んだ感想)。王は野に下ったが死にはしなかったからだ。従って考えようによっては、その先にこそ本当の幸福をリアは発見するのではないか、と読めたのだ。 それはともかく‥、楽園王の「リア」。女の設定で女優が演じ、姉妹らは「母さん」と呼んでいる。リア役の女優が現代の女性も演じ、女を作って出て行く男に無言の態度をとる。「言わない」「伝えない」態度が、男との関係にも影を落としていた事が数語のやり取りで判る。コーディリア(末娘)が王に愛を伝えなかった態度に通じる逸話として、置かれているようだ(パンフを見て理解)。が、「言わないということ」の決定的な「いけなさ」を、訴える話に集約しているかと言えばそうでもなく、この着想から「リア王を楽しく観る芝居」を作り込んだという感じだ。意表をつく展開があったり楽しく観れたが、もう一つ欲しい、と感じた。それが何か、よく判らないが‥‥。よく判らないながら、書くとすれば、世の中因果応報で説明できる事はあるが、できない事もある。そのできない所、不条理の領域が生理的な怖さであり、これを踏まえずして世界を語ったと言えないと、どこかで感じている今という時代、しかしそれでも生きて行こうとする今の時代。その要素をどこかの瞬間に感じたかったのか、な‥‥まだよく判らない。
    リア役の女優岩澤繭、特徴ある(?)滑舌ながら、全身から情念を吐き飛ばすような快い演技で悲劇の主人公を貫いていた。
  • 満足度★★★★

    熱演だった
    「リア王」は、2014年名古屋七ツ寺共同スタジオ(「板橋ビューネ」参加作品)にて好評だった上演作の凱旋公演だそうである。その演目だけでは短い(1時間)と思い、併演したのが三島由紀夫作「火宅」であるという。さて上演「火宅」「リア王」は、両作品に共通した枠組みは”家族”であった。家族、その近しい関係でありながら、他方で疎ましいと思えるときがある。この厄介に思える煩労劇...秀逸だと思う。

    ネタバレBOX

    公演から逸れるかもしれないが、劇団名は芝居で登場したキャンデーズ→後”楽園”+リア”王”=「楽園王」を意識しているのだろうか。なぜなら、この公演「言葉」をずいぶん意識したと当日パンフに書いてあるから。

    さて、「火宅」は読んだことも、芝居を観たこともない。初めての作品でとても興味を惹いた。タイトルから檀一雄「火宅の人」、内容から太宰治「斜陽」、ラストシーンから「道成寺」を連想した。その芝居は寂寞感が漂い、耽美的な雰囲気を醸し出していた。没富豪の家(華)族が、夫婦、母娘、父娘の夫々の関係を通して描かれる。その静寂に響く心底探りあいの濃密な会話劇。ラストは火焔に巻かれ悲鳴が...。
    舞台にはいくつかの椅子、ソファがあるだけ。役者はその周りを回るだけの動作。その単調な中にも苛立ち、嫌悪が滲み出ており観応えがあった。

    「リア王」は家庭内の不和から逃避しているのだろうか、妻/リアが文庫本「リア王」(?)を読みながら、その妄想世界に浸りという、こちらも劇中劇で観応えがあった。現実での夫/仮面との会話、戯曲内の妄想(妻が「リア王」という設定)で、娘3人との緊張感ある芝居。ちなみにこの3姉妹が登場する時、キャンデーズ(後楽園のサヨナラコンサートを彷彿)の曲を歌いながら登場する(巫女姿)。登場のさせ方としては、それまでの雰囲気から異質であった。多少の違和感があるが、一度に登場させるには有効な手法として肯定したい。リア王として、娘の思いやりの真偽が見抜けず慟哭するが、一方の現実の世界では娘の自殺を止めることもできず、その幻影を...。
    こちらの芝居は、妻/リアの身体表現もあり、動的な場面も多い。そして心魂震えるぐらいの熱演であった。

    最後に演出について、pit北/区域…劇場は2方向から観る造り(L字型)で、今回は縦線側が正面になっていた。そして、上階バルコニーでも演技をする場面があったが、たぶん前2列(自分は2列目にいたが、前屈して見上げた)までしか観れないと思う。案内係の人の「早く来たお客様だけ...」という説明が虚しい。演出に一考の余地があろう。

    次回公演も楽しみにしております。
  • 満足度★★★★

    エネルギー。
    火宅は電話の不気味さが印象的だった。当日の静かな空間に響くあの音は中々来るものがある。
    文節を妙な箇所で区切る劇団の手法?があるが、しっくり来るところと気持ち悪いところがあり、これには良いとも悪いとも言い難い。リアの方は着物の着方が面白く、歌は世代でないのでわからず。妻リアの狂喜と絡んでいたのはあった。
    劇場内のバルコニーから観るのは有だと思った。舞台美術の傘が粋で良い。そして案内対応が良くて有り難かったです。

  • 満足度★★★★

    三島の短編
     「火宅」とシャイクスピアの「リア王」のアレンジ作品を5分の休憩を挟んで上演。火宅では演出が光った。(追記後送)

  • 満足度★★★

    オリジナリティ溢れる作品
    シェイクスピアの「リア王」、三島由紀夫の「火宅」を原作に主催の長堀氏が演出した2作品。「火宅」は原作を知らないが、「リア王」は過去観たことがある。結論から言えば、良い意味でオリジナル作品に近いと感じた。
    以下、公演中なのでネタバレで。

    ネタバレBOX

    「火宅」~35分程度の作品で、家族崩壊が淡々と進む感じで個人的にとても見応えのある作品であった。感情の起伏はあまりないように思えるが、ちょっとした所作等に揺れを感じとれる。大里千代子役の大畑麻衣子さんの、能面を連想させるような無表情でかつ怒り、怯えているような演技が印象に残った。

    「リア王」~子供を自殺で亡くし、夫との関係も壊れた妻が小説「リア王」の世界とシンクロしていくような舞台。リア王の娘達が何故は往年のアイドル楽曲で登場し、よりカオス感を高めていく。悲劇的な面は原作と共通するが、オリジナリティ溢れる演出。
    やはり妻/リア王役の岩澤繭さんがオープニングのダンス含め印象に残った。

    独特の世界観を持つ劇団で、次回は長堀氏のオリジナル作・演出作品を観てみたいと思った。


  • 満足度★★★★

    面白い!でも・・・
    2作品ともとても面白い演出の作品。ぶっ飛んでたなぁ。キャンディーズだけじゃなく,衣装,台詞の言い回し,構成,原作の枠をはるかに超えて,楽園王の作品,世界でしたね。これは観るたびに面白さが拡がっていくんだろうなぁ。日程的にもう足を運べないのが残念。

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