ゴベリンドン 公演情報 ゴベリンドン」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.5
1-20件 / 51件中
  • 満足度★★

    もうちょっと
    兄弟の色々よりも、めぐみやゴベリンドンが可哀相で泣けた。
    座った場所が悪かったのか、観終わった後腰と首が痛かった。
    あと、舞台に座り込む感じの席はないほうがいいと思った。
    熱演している役者のすぐ隣にお客さんがいると、観ている側は現実に戻されてしまう。
    あまり感情移入できずに消化不良だった。

  • 満足度★★★★★

    やっぱり面白い
    廃工場でやった前回公演を観たのでストーリーは知っていましたが、それでも中盤以降は泣きそうに。優しくて悲しくて純粋で残酷な物語、素晴らしかったです。

    ネタバレBOX

    バルコニー席があるスペースをアクティングエリアにして駆け回るのは想像してましたが、はしごをかけて更に高い位置からゴベリンドンがほえるとは思いませんでした。。
  • 満足度★★★★★

    まとめ

    最後の3公演に参加。
    回を重ねる毎にひとりひとりの思いが深くなっていくのを感じていた。そもそも語り部それぞれの表現力と身体能力については言わずもがなであるが、そのうえに、である。そして座る位置を変える度違った景色、違った表情が見て取れ、更に感慨深いものが生まれる。
    また客観的には、細部に至るまで、なんと練り上げられたストーリー展開であり、演出であるかと感嘆する。
    劇場の規模に対して、この脚本、この【おぼんろスタイル】でいいのか?の声もあったが、私はこれで正解だったと思う。何より【普遍性】という意味ではピカイチの物語。沢山の人にこの物語が届けられたことをとても嬉しく思う。しかし、もっと沢山の人達に伝えたかったとも思う。繰り返し与えて欲しい物語だ。
    ただもっと大きな会場になった場合、走り回るにも限界があり、隅々どこにいる人も漏らさず惹きつけておくためには更なる工夫が必要だろう。

    ネタバレBOX

    超主観的感想。
    土曜日マチネ。呪いに囚われたトシモリに語りかけるタクマ。「タクマとトシモリの8年虹色アゲハ、」そこから私の頭の中の【閉ざされた無限の脳内宇宙】に無数の蝶が飛び交い始めた。左脳のあたりにぽっかり浮かび上がったブラックホールのごとき空間に無数の蝶が見えた。終演後もずっと。
    ソワレ、その無限宇宙から一羽の蝶が劇場の空間に飛び出した。一羽だけ。きっとゴベリンドンが天国へ、娘のもとへ飛び立ったのだ。
    皆が皆、「怪我の責任の半分」を自覚する中、純真無垢なるタクマ。呪いを終結させるために生まれて来たんだね。
    千穐楽。
    回想シーン、母の葬儀から逃げ出したタクマを見つけたトシモリ。もうこの時点で蝶の群れが見えた。終盤は震えが止まらなくなった。泣きじゃくっていたわけではない。胸は熱くなっていたけれど冷静さは持ち合わせていた。だけど不思議なほどに震えが止まらなくなった。
    いろんな角度から観てそれぞれの表情など把握した上で、全員の気持ちに同時に寄り添うことができた。体の中で五人分、いや、もっとだね(笑)の感情が渦巻いていたから肉体の許容範囲を超えて震えが止まらなくなったのかもしれない。その為疲労度が半端なかった。これまで観劇でこれほど疲れた経験はない。貴重な体験でした。
  • 満足度★★★★★

    同じお話なのに
    体調を崩している状態であったものの、その日にしか、観に行くことができず、無理を押して、参加いたしました。
    物語りの世界に集中できなかったため、初演と比べて如何というのもおこがましいと思いながら、感じたことを述べさせていただきます。

    初演は美しい、今回は綺麗。そんな印象を受けました。
    ゴベリンドンというお話の輝きはなお、そこにありつづけるのですが、物語りとしては、初演の方が強く心惹かれたなあ、と思います。
    語り部の皆さんもパワーアップしている、音響も、衣装も、演出も、美術も、スタッフさんもみーんな。
    それなのに、どうしてだろう?と考えたとき、想像の余地が狭まってしまったからかも知れない、と思いました。
    おぼんろさんはきっと、素舞台でも魅せられる劇団であると、私は信じています。だからこそ技巧の凝らされた、いろいろに、想像を奪われてしまったのかなー?と。
    劇場に入ったときのあのときめきは、変わりませんでしたが。

    次回公演は、ちゃんと体調を整えて臨めたらと思います。

  • 満足度★★★★★

    何度も通いたくなりました
    友人に誘われ初めてのおぼんろ体験。
    縦横無尽に舞台全体をくまなく使い、全身全霊を込めて物語を生きている役者達と世界を共有した感じ。とても不思議。物語は切なくも美しくて、振り絞るような感情が伝わってきました。とても素晴らしかった!

  • 満足度★★★★★

    この物語はもっと語り継がれていけばいい。
    初演もですが、結局 再演も何度もリピートしてしましました。
    初演の工場はもう、どうしようもない。工場の雰囲気、段ボールから漏れる月明かり、大した設備もない中で人間の想像力をフルに使っての物語進行。
    あれはやはり伝説と言っても過言ではないです。

    再演では、持てる技術を駆使して視覚的にも聴覚的にもとても美しい世界を魅せてもらいました。初演とは全く違う演出。
    何よりも、物語の美しさは初演とは変わらない。
    変わったのは、公演ごとにロングランを繰り返すことによって、
    おぼんろの役者たちが
    以前よりも阿吽の呼吸で物語を紡いでいったように感じた事でしょうか。
    個々の個性をぶつけ合っていたモノが、しっかりと手を組みまとまり、一つ上のレベルに上がり、さらな勢いを持った。そんな感じ。
    おぼんろの5人で紡ぐ物語だからこそのモノももちろんあると思います。
    でも、
    この5人ではない誰かが、多くの人が、この物語を語り継いでいってくれたらいいのにと思ってやみません。

  • 満足度★★★★★

    良かったです
    おぼんろの舞台は初めてだったのですが、観れて本当に良かったです。最初は、コメディかな?と思ったのですが、すぐに、その幻想的で切ない物語にひきこまれていきました。主人公のタクマの純粋な兄弟愛とトシモリの弟の思う気持ち、ゴベリンドンの哀しい思いなど、いくつもの想い、気持ちが絡み合って、構成されていて、純粋に凄いなって思いました。この劇団の事が、もっと知りたくなりました。

  • 満足度★★★★★

    3回ともひな壇で見てしまった
    ので、座る場所によって変化するというこの傑作を違う角度から見られなかったのは残念でしたが、それでもお芝居が成熟していく過程を十分楽しめました。八年虹色アゲハに寓意されるトシモリとタクマの愛の形、3回目にしてやっと理解出来た気がする。こんな小さなものをメグミに託して消えてゆく二人の運命が、ゴベリンドンから受け継がれたものであることも悲しい。こうした悲惨な運命の連鎖のようなものは世の中に確かにあるのだ。貧困や虐待の連鎖、不幸な国に生まれ、次世代によけい大きな不幸を背負わせてしまう不幸の連鎖。そんな中でわずかに幸福だった少年時代や、美味しい食べ物はなんとキラキラ輝いていることだろう。こうしたディテールがこのお話の中でもすごく生きていて、よけい涙を誘う。何だか、「火垂るの墓」を思い出してしまった。様々な愛の形と、残酷な運命、そしてキラッキラのloveと優しさを描いて、いつまでも記憶に残る舞台でした。

    ネタバレBOX

    廃工場での公演に較べて物足りない、インパクトが弱いとの声も多かったが、後半になるにつれ、そんな声も無くなってきた。でも、もともといくつかのシーンがよく磨かれて、見どころが増したせいもあったと思う。沼の精の美しい歌声、魔女の死体洗いのシーン、トシモリのタクマを呼ぶ時の慈愛に満ちた声、切羽詰まった村人たちの恐怖と怨嗟のシーン、ゴベリンドンを抱きしめるタクマなど、どれもこれも美しくて印象が強烈だ。でも人間って贅沢だから、美しいシーンが多くなると却って印象がばらけてしまうのだろう。私?私は視覚記憶がいいので大丈夫!メグミの衣装だってばっちり作れるくらい。廃工場での凄まじかったゴベリンドンの慟哭のシーンはよく言われるが、今回も苦痛に満ちた変身のシーン、タクマを追い払う悲しいシーンなど、枚挙にいとま無い。よく練られ磨き上げられた素晴らしいゴベリンドンでした。
  • 満足度★★★★★

    ところ変われば
    「ゴベリンドン」3回目。最終日には行けないのでこれが最後になる。なぜそんなに飽きもせず同じ芝居を観に行くのか、と思う人もいるかもしれない。芝居の内容が変わるわけではないけれど、行くたびに四方に作られた席の座る場所を変えると、前回とは違った「おぼんろ」が見られるからだ。それにしても、最初の前説や弁士の場面はもっと短くていいかなと思うけど、私は芝居の構成や話の内容よりも役者5人の演技が楽しみだ。。主役がいるようでいない。5人が5人とも個性たっぷりで演技力があり、5人で芝居を創り上げているため見応えがある。今回もたっぷり5人それぞれの芝居を楽しませてもらった。

  • 満足度★★★★★

    修辞の力/約140分
    勧善懲悪には回収しえない、人生の綾に満ち満ちた物語。
    前作にも感じた寓話と隠喩の力はもとより、今作では修辞の持つ途方もない力をまざまざと思い知らされた。

    ネタバレBOX

    皮肉な死を遂げた兄弟を、兄弟が大切に育てていたあるものになぞらえるセリフの数々が美しすぎた。
    それらのセリフが感動をより強めてくれた。
  • 満足度★★★★★

    今作の特徴
     朧の現在迄の最高傑作との評価が高い今作だが、メンバー5人の個性表出、身体表現上の特徴・特性の活かし方に於いても出色の出来であることは間違いない。思えば、今作の初演が朧の名を一躍有名にしたのである。廃工場を会場にした公演は、日本では驚くべき効果を齎した。自分は初演を観た時、フランスの映画監督、脚本家のレオス・カラックスのテイストを思い出した程である。(追記後送)

    ネタバレBOX


     実際、今作のテキストは、良かれと思って為したこと、選んだこと自身、非難されるべきではない人間的行為・選択が、否応も無く取り返しようのない結果を産んでしまうことをテーマとしている。その悲劇の本となった人間的行為は、愛であり、取り返しのつかない結果は宿命と言っても運命と名付けても構わぬ。だが、気付かないだろうか? このような劇的構造こそ、ギリシャ悲劇の傑作を特徴づけるものであることに。
     前半部のファンタスティックで幼児的とでも評したくなるような、甘いテイストは、中・後半へのプレリュードを為し、その終盤部で明らかになるように対比を為している。即ち、序盤の甘さと中盤から終盤迄の苦さは、シナリオ自体が対比構造を為すことによって相互に反芻し合い深め合う相乗効果を観客に齎す仕組みになっているのだ。この点も傑作を特徴づける大切な要素である。
  • 満足度★★★★

    リピートしました
    30日に参加して、
    予定もついたので今週末にもう一度参加することにしました。
    (6日夜公演いってきました)

    吉祥寺シアターをおぼんろ色に塗り替えた舞台美術、
    観客と語りての境目をとろけさせるような配席、
    観客の想像力を引き出す前説、
    口伝の昔語りのような本編など、
    ここ以外ではなかなかできないだろうなぁという体験ができました。


    客入れ時間に語り部(役者さん)たちが
    前列や通路側の参加者(客)に気さくに話しかけてくるのは、
    好みがわかれるかもしれないなぁ、などと。
    (例:本日の参加者一覧のファイルをもっている語り部さんが
    こちらの名前を聞いてきてそのファイルで調べて
    「あ、○回目なんだね」とか 「前回公演観てるんだ」と話を膨らませてくる)


    本編は面白かったです。

    椅子席や座布団付きのひな壇席があったのもよかったです。
    桟敷が一番迫力があるだろうなとわかっていても、
    体調的につらいこともあるので…

    ネタバレBOX


    自分の席が遠くてマイクの反響でぼやけたのか、
    弁士と蜂のシーンは言ってる内容がほとんど聞こえませんでした。
    あと、『パダラマ~』の時と、
    拓馬さんの演技があまり変化なかったのもちょっと物足りなかったです。

    役者さんの名前をもじったり
    そのまま使っている登場人物の名づけもいいなぁと思いました。
    (終演後に顔と名前が一致しやすいし、そしたら
    次回作観る時「前に○○だった方は今度はこういう役か! と楽しめる)
    ゴベ「リン」ドンと「さひー」→「ザビー」は
    実は数日たってから気づいたのですが…(笑


    前説で「一番きれいな葉っぱを想像して」と言われたときに、
    「それは金色かもしれない」という続きの発言を聞いて、
    想像の中ですら緑色の範疇を越えられなかった自分を振り返って
    「物語を紡ぐ人はやっぱり根底から違うんだなぁ」と思いました。

    ラストの、星空がただただ美しくて、吸い込まれそうでした。


    ↓6日夜公演に参加したので追記。


    八年虹色アゲハのさなぎ絡みの言葉が涙腺を刺激しました。
    呪いも祝いに変えるような、すべてを包み込むような深さを感じました。

    タクマは花が咲いたさなぎをメグミに渡すことで、
    あの世界から「憎しみ」を持っていったのかなぁなどと考えました。

    ゴベリンドンの正気と獣の二面性が印象的です。
  • 満足度★★★★★

    「ゴベンドリン」

     観に行って、良かった❗観なかったら、きっと一生後悔したと思う、今まで観た日本人の舞台では観たことなかった本当に素敵で不思議で素晴らしい舞台でした。

     海外の舞台の日本公演だと、バレエのリンゼイ・ケンプ・カンパニーの「真夏の世の夢」だけが、おぼんろの「ゴベリンドン」と同じ馨りを持っていて、リンゼイ・ケンプやピーター・グリーナウェイの映画祭「プロスペローの本」が好きな人は、きっと好きになる世界です。

     もちろん、私も、すっかりファンになり、惹き込まれました。

     出演する役者5人全てが舞台の物語の語り部となり、物語の中で息づく住人でもある。

     物語りは、末原拓馬さんの声に導かれ、真っ暗な劇場で、目を閉じ、イメージするところから始まる。

     目を閉じ、声に導かれるまま、私の中に広がったのは、 、 真っ暗な森の中、 小さく開けた森の真ん中に佇み、 足の裏に感じる湿った天鵞絨のようなひんやりとした苔の感触と匂い、ふと天を仰げばぽっかりと丸く開けた 木々の枝の間から蒼白いプラチナ色の満月から真っ直ぐに射し込むきらきらとした月光の粒を全身に浴び、目を転じると銀色の上に水彩絵の具のような透明な紅、黄緑、仄かな紫がたらし込みのように滲み拡がり、重なった葉を繁らせた木々が揺れ、夜露に濡れた草いきれの匂い、甘く馨る花、微かに動くと、足の裏に感じる、長く確かに根を張るごつごつとした感触、美しく儚い微かな哀しみを孕んだような森の景色。

     泣きたいぐらいの美しさに、顔を巡らせ気づく、幸せな森の奥に妖しく残酷で邪悪で、絶望的に悲しい危なく不思議な入り口が微かにぽっかりと口を開けているのを。

    目を開けた瞬間、その森の中に私は迷い込んでいた。

     そこで語られ、紡がれて行く物語りは、家族を通して突きつけられる「愛」「生」「死」「悲しみ」「弱さ」「絶望」「純粋」「幸福」言葉を連ね、書き連ねてもなお、何かがうねり、言い足りなく、何かを言い過ぎてしまうような、言葉に尽くしがたい自分の中に蒔かれ、育ち、蔓延る、泣き出したいほどの何か。

     愚かでサディスティックな王の一言で、護るべき、大切な娘の為に死ねないと作ったこの世に唯一の美しく切ない銃。その為に娘が命を落とし、絶望と悲しみが化身となって、沼に住む「ゴベリンドン」が生まれ、そのゴベリンドンの存在によって、愛する母の命を救い、弟TAKUMAを護ろうと過ちを犯した兄TOSHIMORI が長い年月の果てに引き起こしてしまった、美しくも痛ましく切ない 悲劇、「ゴベリンドン」。

     高橋倫平さんのゴベリンドンは、世界が本当に幸福であったなら、その姿を見ることはない存在として描かれ、愛する娘を護る為に誤ちを犯し、護ろうとした娘を亡くし、苦しみに悶え、慟哭し、のたうち回り、苦しみに苛まれてもまだ許されない絶望と悲しみのゴベリンドンとして其処に居て、痛ましさに胸が軋むように掻き毟られた。

     さひがしジュンペイさんのサビーは、忌み嫌われ、誰ひとり受け入れ、気にかけて呉れる人が居なかったが為に歪み、恨み、妬み、憎む。忌み嫌われるのは、己にもその一端の責任、己の業、そうであったなら、この世を憎むことも無かったのではないのかと感じさせるザビーとして、其処に存在し、人は誰しもザビーの種を持っている事を突きつけ、考えさせる。

     わかばやしめぐみさんのMEGUMIは、TAKUMAとTOSHIMORIの母の死の真実を知っていながら、二人のための幸福を思い、何のための平和かを知っているが故に、真実に口を閉ざしていた為にTOSHIMORIを図らずもゴベリンドンと同じ過ちを犯させてしまったことを知った時の悲痛な嘆きは胸を打つ。清んだ偽善としての存在。それは、誰しもが犯し得る過ちでもある。

     藤井としもりさんのTOSHIMORIは、病気の母の命を救う為に、これから生まれるTAKUMAの17歳以降の命と引きかえに母を助けて欲しいとゴベリンドンに頼みはしたものの母は亡くなり、愛する弟TAKUMAを護る為に、サビーの歪んだ憎しみに操られ自らもまた、愛と言う過ちに、許されることのない永遠の絶望と孤独と異形の沼に堕ちて行く、その姿に胸を引き裂かれそうになる。

     末原拓馬さんのTAKUMAは、純粋無垢な幼さを持つ、温かな光のようなとして目の前に佇んでいた。計算も駆け引きもない、生まれたばかりの赤ん坊そのままの、幼いまでの純粋さは、どんな異形、邪悪なものさえTAKUMAを悲しみや憎しみで犯すことは出来ない。美しい魂そのものようなTAKUMAに救われた思いがした。

    観ている間ずっと、森の馨りを、月の光を、闇の暗さを、痛みと無垢を、風の音を感じ、五感の全てが刺激され、蠢き、体と頭の中を感情と感覚と思考がうねり、動き、突き抜け、駆け巡り、何かが弾けて、一粒の何かの金色の種が残ったような泣きたくなるほど、美しくて儚くて、妖しく残酷で純粋で不思議な、 随所に笑いも散りばめられた素晴らしい舞台。

     おぼんろの描き出す世界は、私の好きな世界で、すっかり魅せられた。この日、この夜、 この舞台の空間に身を置けたことは何て、幸せなのだろうと思った。

                                文:麻美 雪

  • 満足度★★★★

    分かりにくさも・・
    「ビョードロ 」と類似する演出箇所とやはり他の方も指摘していたように、拓馬 さんの人物造形に違和感を覚えた。(設定よりも幼すぎる!)
    いっそのこと彼が演じた配役を客演に任せても良かったのでは!?
    「ビョードロ 」公演時には沢山の人に勧めたが、本作は・・・・

  • 満足度★★★★

    ちぐはぐで子どもっぽさが際だった。
    まるで裸の王子様のようでもあった。
    いままでうまくまわっていた
    待ち時間の役者との会話の時間、
    楽しそうでも嬉しそうでもなく、主演で主催が、
    ただ手持無沙汰で駆け回っているようにしか見えなかった。
    そしてほとんど顔見知りのお客さんにしか話かけていなかったように思う。
    初回のお客さんには、なぜ演者が親しく語りかけてくるのか、
    はじまる前に走り回ったりしているのか
    これではよくわからないだろう。

    ほとんどの固定客は前回の公演で見放してしまったのだと思う。
    女子供が見る内容で、大人には耐えられないという評判が広がっていたのを知っていた。

    客の9割は若い女性。いまやアイドル劇団でしかない。
    前回までの常連はすでにゴベリンドンを一度見ているので
    再演にはさほど興味がなかったのだろう。
    私は、一番いいといわれるゴべを見ていなかったので
    観に来たというわけだ。帰京二本目。

    ネタバレBOX

    話はいつものように、逸話のようにはじまった。
    高橋リンペイの苦しむ演技で泣けた。
    問題があるとすれば、主演の話口調。
    いままで前説で地声で話していたのに
    急に高い声にするのも不自然だった。
    子供といっても17歳の役なのだから変える必要はなかったと思う。

    観終わって、物凄いちぐはぐな印象だった。


    高橋の演技が円熟していけばいくほど
    主演が裸の王子様にしか見えなかったからだ。

    数年前の初演ならそれほど違和感を持たなかったのだろう。
    子どもが子供っぽい話をやるのであれば
    それはある程度、透明感という意味で相乗効果があった。
    メンバーに差異が出てきて
    演技に重みがでるもの、
    そうでないもの、の差が大きく出た。


    しかし、円熟味に差が出てしまった今
    子どもっぽさだけがやけに際だって見える。
    他の公演でのわかばやしめぐみの演技をしっている身としては
    わかばやし、高橋の重みのある演技で
    大人の演目を見てみたい。
    女子供にだけ受ける演劇が悪いとは言わないが、
    ただイケメンが消費されるだけだ。
    重みのある話を演れないのは、このメンバーではもったなさすぎた。
  • 満足度★★★★★

    あらわれる・・・
    「おぼんろ」のお芝居って
    気付くと涙が溢れてて……
    止まらなくなってて……

    お芝居の帰り道、
    いつもいつも思うのです。
    “浄化されたぁー”って……

    心が綺麗になる感覚・・・

    『ゴベリンドン』吉祥寺シアター
    あと、3日!!!
    もう一度、必ず会いに行きます。

  • 満足度★★

    大好評のようですが 私は・・・
    本日は今上演始まって以来の最大動員数だったとのこと。
    二時間ちょっとあるのに 椅子が無くて 地べたにクッションは 辛かったと思います
    (私は大丈夫でしたが)。


    役者さん本人に席を案内くださって とても嬉しかったです。
    本番前って一番デリケートな時間なはずなのに。
    劇団さんのほうは お客さん(参加者と呼びます)を大事にしようとされてる姿勢が 伝わってきました。


    あと参加型なのも良いと思います 続きはネタばれにて☆

    ネタバレBOX

    ただ物語が始まるまでは ほとんどいらないと思います。


    『想像してみてください』と お客(参加者)は目をつむってイメージしたり 
    この作品をどのように楽しむかとか、少しなら良いと思うけど
    あの前説 あれは長すぎだと思います。


    あと急に雰囲気変わって
    DJ風の話し方の人が ひたすら話し続けるのだけど 滑舌が悪くて何を話してるかホント全くわからなかったです。
    そこにハチの姿をした人が出てくるのけど 
    笑いを狙ってるのでしょうが なんで出てきてるのか どんな意味をもつのかさっぱり分からずで 会場がシーンとなり。
    ハチの役者さんがかわいそうでした。


    ↑何よりも この指摘を感想で誰ひとりされていないところが 
    私は不思議でしょうがない (笑) 
    物語に入るまでこの10分くらいはもったいなさすぎます
    (詳しい時間は分からないけれど)。 
    『この劇団は本当に2時間楽しませてくれるのだろうか?』と不安になった。


    あと銃の決まりごとが 良く分からなかった。
    例えば最後、銃の効力は無くなってるはずなのに 兄さんがゴべリンドンを銃で撃って死んでしまったのも なんで効力の無い銃で殺せたのかわからないし。
    99人殺した血でできる銃で・・・なんで偉い人に奪われたのだったっけ?とか 
    鍛冶屋の娘は銃の中に生きてる?死んだ??わかりにくかった。
    メグミが あんなに説明にフォローしてくれたのに 私にはわからなかった。 
    もっとわかりやすく見せられなかったのか。


    何より気になったのはタクマ 
    17歳の設定なのに 話し方や接し方が いくらなんでも子供っぽ過ぎる。
    あれじゃ小学校低学年だ。


    死体を表す てるてる坊主のシーツ 表現が良かったです
    あの世界観と ゴべリンドン役の方の動き、表現力のすごさに 圧倒されました。めぐみも良かった。
    あと役者さん2人 声が潰れ気味だったのが 心配になりました。
    あれだけ走り回るのに たった5人でって 本当に大変だと思います。
    役者さんも大事にしてほしいなって そんな事を考えてしまいました。
    なんていうか 全体的にムリしてる感が気になってしょうがなかったです。


  • 満足度★★★★★

    なるほど~
    あまり一つの劇を何度も見たりしないが、リピーター割引で観劇。なるほど、舞台は生き物、日によって変わるんだな~と実感しました。今回はゴベリンドンの声にたっぷりエコーがかかっていて、物語的な雰囲気が強くなった。そのせいか、ゴベリンドンの孤独とタクマの運命の悲しさをたっぷり味あわせてもらいました。最後、沼に沈んで行く二人の姿が見たい。

    ネタバレBOX

    あれですね、何かずっと違和感を感じるのは劇場中央の四角い沼のせいかな?上手にカムフラージュされているのだけれど、役者さんの動きがどうしても四角い沼をなぞったものになる。自然界には四角い沼なんてない。なんというか、残像のように直線的な動きが目に残ってしまう。美術怖いですね。
    四角く作られていると頭でわかってしまうと、例えば役者さんの足が隅っこにかかったりすると、あ、危ないと思ってしまう。動きが速いので、特に感じますね。魔女が死体を洗うシーンにはすごくピッタリなんだけど・・・・。これ、私たちの頭の中で小さなプールのようなものを思い浮かべているんだろうな、きっと。あのシーン、すごく怖い。てるてる坊主がだんだん死体に見えてくる・・・・。
  • 満足度★★★★★

    あの廃工場
    あの廃工場で見た風景が大きくなっていて、作品及び表現自体もかなり進化してるじゃありませんか。これが本物の芸術ってもんでしょう。

  • 満足度★★★★

    圧巻
    以前から気になる団体でした。
    ふらっと行ったら強烈に引き込まれてしまいました。
    視覚だけではなく、聴覚、触覚、そんなものを冴え尖らせて観るような作品。

    優しさとは、痛みとは。
    自分を犠牲にしてもいい。誰かを思うっていうことは素晴らしいかもしれないけれど、究極の自己愛なのかもしれないなと感じた。
    大人のための童話、サーカス、そんな非日常を感じれます。

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