満足度★★★★
結果は上々
ネットの掲示板で知り合い集団自殺しようとしている者たちを描いた作品で、05年の再演版が印象深かった(初演は未見)のでまた観られることが嬉しく、しかし前回と比べてハコが大きくなったことに若干の不安も抱きつつ鑑賞するも、結果は上々。
疑問は山積みながら、「あなたが死にたいと思った今日は誰かが生きたかった明日」(出典不詳)などの言葉(というよりそういうテーマ)に弱い身としてすべて許す!(笑)
それどころか、序盤のフルーツバスケットで皆の真意を確認しようとするカゴとか、後半で登場する(?)ウラ医師とかはやっぱり巧い。
満足度★★
死をテーマにする芝居
死をテーマにする芝居って凄く難しいし、デリケートな問題だから、余程、執筆力のある脚本でないと、ぽしゃる可能性もあるわけだよね?
死にたいと言う男女が一つの部屋に集まって集団自殺しようとするところから、芝居は始まる。
だがだがしかし、だがしかし・・・中々死なない。死ねない。
大体、死のうと考えてるニンゲンが、集団でそれも誰かと一緒に死のう。と考えてる時点で、『死にたくない』という意思の表れだよね?
この世に何の未練も無く死のうと考えてる人達って、果たして、道連れを必要とするのだろうか?
道連れを必要とするなら、生きてればいいじゃん!
とにかく、生まれてこのかた、思春期だって『死のう』とは一度も考えた事がないワタクシは、命を大切にしない輩が嫌いだ。
死を考えたとき、自分を生んでくれた両親や自分を好きでいてくれる人達が悲しむのを分かっていながら、死を選択する輩が嫌いだ。
傷ついたとか、生きてる意味がなくなったとか、それなりの理由をつけたがるけれど、残された人に対する思いやりがないだけだから、嫌いだ。
物語には生きたい人が欲する臓器と死にたい人が登録する臓器の話も出てくるが、こういう場面での臓器提供の話はタブーだと思う。
要は、臓器を提供する側は本当に苦しい血のにじむような選択を強いられるからだ。
そこに横たわってる人は死んでるのに臓器は脈を打ってると言う不思議な感覚に囚われ、本当は死んでいないのじゃあないか?とか、臓器が欲しい為に死を早くしたのではないか?とか、疑心暗鬼に包まれ、非常にやりきれない無念な思いがのしかかるのだ。
もしかしたら、あの世に行けないのじゃあないかとか、臓器を出されて空っぽの体で天国に行けるのだろうかとか、非科学的な事を考えながらも体が引き裂かれるような苦渋の選択をするのだ。
臓器を取った後はドクターも一分一秒の世界だから、ザッと縫ってガムテープで留めただけの遺体が戻ってくる。。
それを見て「うわぁーーー!!」と声をあげて泣くんだよね。。
こっちが死んじゃったほうが楽だ!と思いながら。。
そうやって、命の大切さを知る。
だから・・・芝居を作る上で死をテーマにするなら、訴えたいものは何かを明確にする必要がある。。
今回は脚本も演じる役者も自分に陶酔していて見せる舞台ではなかった。
陶酔させるなら、観客にしなきゃ。。
満足度★★★
感想。
セリフの内容で胸にぐっとくるものがあるし、登場人物の一生懸命に生きている姿が見える。いいところはいっぱいある。
なんだけど、何かが足りてなくて、もったいない気がする。
セリフとかギャグとか客席まで届いてなかったのかなあ。
もっと近くで見られれば違ったかも。
動員数とか、客いじりとかも含めて、もう少し狭い小屋でも良かったと思う。