満足度★★★★
人力による魔法の世界
シェイクスピアの最後の戯曲を、大掛りながら機械仕掛けではなく人力による表現を中心に演出し、幸福感と寂しさが美しく描かれていました。
広い空間の中に照明が1つ置かれているだけの状態から、冒頭の嵐のシーンで大量の段ボール箱を載せた沢山の可動式ステージが持ち込まれ、印象的なオープニングでした。その後はそれらの配列を変えて様々なシーンを巧みに表現していました。舞台後方にはコンテナ埠頭のクレーンが数台そびえていて、海辺の物語であることや、妖精達が作業員の姿をしていることを整合させる役割を果たしていましたが、もう少しその存在に強い説得力が欲しかったです。
原作を読んでいたり、他のオーソドックスな演出の公演を観たことがあれば、大量の段ボールの美術の使い方や、空気の精であるエアリアルがプロスペローの魔法で支配されていることを表現するために車椅子に座って登場することが腑に落ちますが、初めてこの作品に接する人は戸惑いを覚える演出だったと思います。
3人のミュージシャンによるアコーディオン、コントラバス、足踏みオルガン、鍵盤打楽器等の演奏が幻想的な雰囲気を高めていて、柔かい響きが耳に心地良かったです。効果音の多くも楽器や声で表現していて、全てがプロスペローの魔法によるものという感じが出ていました。
台詞回しは意図的にあまり朗唱的にならない様にしていたと思われ、堅苦しさが無くて親しみ易さを感じました。
満足度★★★★
シェークスピアならではの。
碓井将大が出演することが観劇の決め手になったが、さすがシェークスピア。
言い回しが独特、歌うような調べに知らず知らずのうちに自分も魔法にかかっているような気持ちになった。
舞台が広いのに驚いた。よく考えると矛盾した点や違和感はあるのは仕方ないが、それでも許せてしまうのかシェークスピア。
満足度★★★★★
言葉
本を読んでから鑑賞するべきだったなーと思った。
言葉ガ難しかった。
セリフを聞き逃してはいけないと必死で聴いた。
丸太にみたてた箱、照明が素晴らしくて波の中にひきこまれるような感覚、
とても素晴らしかった。
俳優陣はテレビで何度もおみかけしている有名な方々がたくさんでていた。
満足度★★★★
新国立劇場で,『テンペスト』を観た。
新国立劇場で,『テンペスト』を観た。今回は,事前に,白水社ブックスの説明をひとおとり読んでいった。この作品は,シェークスピアにとっては,最後の戯曲となる。1611年ころに書かれたと思われる。シェークスピアは,本作品後,さらに共作で『ヘンリー八世』。1609年には,バミューダ島付近で座礁して,乗員が島に全員上陸したという事件が。
人間の作った社会的制約を廃止して,すべてを大自然に委ねることは可能か。進み過ぎた文明によって地球は汚れていく。だから,未開の人たちの生き方にも良いものはある。人間たちの裏切りによって,はからずも暮らしているプロスペローにとっては,島は心安らぐ場所でもあった。やがて,空気の妖精エアリエルと決別し島を去っていく。
精霊と人間が混じりあう,独特の美しい世界は,『真夏の夜の夢』と似ている。変化に富んだ演劇であるが,初めて見るとなじめない面もある。上演史的には,嵐の場面は何度も改作されていく。1673年には,オペラ化される。見た目の美しさを優先し,原作の一部がカットされることも。丸太一本と海草だけの演出もあった。
1963年の,ピーター・ブルックなどの議論もあった。プロスペローが地面からせりあがる。真っ赤な太陽が変化していく。精霊が原始的な仮面をつける。などの演出があった。で,最後には,疲れ果てて,プロスペローは,ミラノに戻っていく。
空気のように軽やかなエアリエル,汚い魔女の子キャリバンの存在が印象的だった。理性で考えるとありえない世界。しかしながら,詩的想像力を働かせると,美しくしあがっていく。さまざまな対比の登場人物の調和もあって,ロマンチックな戯曲だと,コールリッジは絶賛した。人生にも戯作にも飽きたシェークスピアの姿がそこにあったのだろうか。