満足度★★★
記憶が…
上演直後は、確かに見応えがあった…と思ったが、書き込みを始めると何を書こうか。自分の記憶力のなさを嘆く。
冒頭、青年が自分の棺桶作りをしているシーンから始まり興味を持ったが、その後は誰の視点で進展したのだろうか?色々な場面があり、多くの視点が錯綜し感情移入がし難かった。確かに虚無・懐疑・嫉妬・羨望・狂恋・倦怠・絶望などを描いた場面はあったが、上手く関連付けられていたか疑問である。脚本・演出はもちろん演技も良かったかもしれないが、印象が弱いのだ。強いて残っているシーンは最後の「!」である。
やはり、モチーフのようなものが大切だ、ということを改めて感じた公演でした。
満足度★★
やっぱり見えませんでした。
登場人物が自己主張の強い面倒くさい奴ばかりが目立つ。
声もおおきすぎるし、感情移入できません。
ぼんやり観たら何か見えるかなとおもいましたが、やっぱり・・・。
満足度★★★★
当日パンフに写真。
当日パンフにキャストの集合写真が貼ってありました。
写真を載せるではなくて貼ってあるのは初めて見ました。
一枚一枚貼ったと思うと物凄い手間ですよね。
不必要に多い台詞で捲くし立てる展開は
いい意味で居心地悪く、嫌いではなかったです。
劇場内温度の高さと台詞のガナりあいに閉口
ストーリー追う気力も無くなり、
ひたすら終演を待ち・期待する芝居でありました・・・。
出口でドリンクをサービスで出してくれましたが、
エアコンが壊れたから?
それとも確信犯的な場内温度上昇演出があったから?
何にせよ自分は人に、この芝居は薦められないと感じた1時間40分。
戯曲、地域、男と女のパラドックス
戯曲風味のシュール・レアリズムが突出しており、時に役者が、時に観客が困惑してしまう。
普段、いわゆる〈劇〉を観て、その役者が読み込む脚本の存在を気にする余地はない。シェイクスピア劇においては、難解な叙情詩のニュアンスなり、また伝統の文法式を意識することはある。これは、「英語圏の父」がシェイクスピアなのだから、その脚本(日本語訳だが)を役者、観客が「追う」のは当然の結末だろう。
ただ、『劇団かさぶた』はシュールレアリズムというべき都会の空気感が漂っている。NANASHI(力み気味)が前説にセーラ服姿で登場するなど、その姿勢は「反社会」である。
この形式が「戯曲」を正統に記し、演じ、それを異質にすることが既に異質なのだ。