満足度★★
いつもの感動は
残念ながら感じられなかった。
TRASHMASTERS の芝居を何回か観てきたが、重さの中の光明といったものが感じられなかった。
いつものように3時間を超す長編ではなく、2時間20分であったが、途中でしりが痛くなった。
満足度★★★★★
心の問題に深く拘泥していく作家
座・高円寺1,で『虚像の礎:Foundation of Virtual』をやっていた。上京したついでに演劇を観ることが多い。CoRichのTopになっていた本作品は,事前調査ではとにかく難しそうであった。高円寺座というところも,初めてだった。ここは,外観もホールの中もおしゃれな場所だ。実際舞台ステージの,配置もなんとなく雰囲気があって期待大だ。作品内容がやや高尚なせいか,観客席はさほど埋まっていない。当日券でも,席は確保できた。
始まってからしばらくの印象は,この作品は何かに似ている。おそらく,俳優座で観たサルトルの『汚れた手』ではないか,と思った。勿論,全体は全くちがうものだ。政治的対立がテーマの一つであるということ。さらに,正義とか,真理とかいうものは,時間がたってみると結構意味を失う。だから,当初,ある種の価値観を決めつけると,たいへんな間違いをすることがある,といったような教訓を扱っていると思うからだ。
この作品では,何度か,社会が進み過ぎ,人間はそれについていけないと言う。病気と指摘されたものでも,社会全体の歪みが原因なものについて,われわれはどうすると良いのだろう。ただ,精神を安定させる薬を飲ませるばかりで良いのだろうか。演劇の,演劇たる役割の一つは,心についての優れた洞察がある。音楽や,絵画などの芸術ほど,国家も予算をくれないかもしれないが,効率の悪い演劇活動は大事なものなのだ。
たとえば,心の問題に深く拘泥していく作家は,男女間の痴話喧嘩も表面的には捉えない。確かに,愛し合った男女の間で,男性が女性に暴力を振るうようになっていくと,男性の凶暴さばかり非難されて,二人はもはや引き離すことが唯一の解決となる。しかし,これを,演劇家が観察すると,女性側は,そのような暴力的な環境に自分の場所を依存しているような感じでもあり,その場合,女性は隔離されると,精神的に死んでしまう!
さて,魅力的だったのは,大がかりに作られた二階ステージである。うさんくさい政治家は,この場所で,演劇家に予算をつけることを渋っている。彼は,けちな男で,秘書に不倫疑惑を押し付けていた。そのために,秘書は,してもいない不倫の責めを受けて,妻からヒステリーな攻撃を受ける。冒頭で,男は,不倫をするものだ。まったく罪のない女性を苦しめるだけで,意味もない!というシーンは,実は,前提がガセネタであったのだ。
弱い立場の民族家は,いつもだまされ,うまく丸めこまれた。歴史的にも,もめごとは,連中によって持ち込まれた。だから,反発はある。しかし,どのように抵抗しても,自分たちの立場は劣悪になるばかりだ。いつか,民衆の不満は爆発するだろう。実際,政治家たちが,何も起こりません!と訴える中,遠方で,爆撃の況音が響きわたって幕となる。想像力を鍛える,それは,演劇では可能であろう。真実が見えやすくなるのだと。
満足度★★★★
生きること、考えること
初めての劇場で、初めてのユニットの演劇に触れるとき。この「初めて」への期待と、少しの不安が心地好し。
で…、本作、
重く、深かった…です。
「繁栄」「ヒューマニズム」「争い」をキーワードに。
人の価値が数値化、可視化された近未来において、人々が織り成す虚像と実像の狭間を埋めるものとは? その人生を豊かにするものとは?…何か。
鬼気を帯びた俳優陣の迫力に、普段は使っていない脳をぐるぐると掻き回され、「考えろ」と突き付けられる140分。
とりわけ、林田麻里さんの「心」の表現には、感情を鷲掴みに。ホント震えました。
こういった趣の作品との「初めて」は、とても幸せなものとなりました。
この機会を活かし、人生に深みを加える作品と出会っていきたいものです。
考えなくちゃ、ね。
満足度★★
観てきました
まず、 思っていたよりも 真面目なお芝居で ズシリときました。
現実社会でおきている問題なので とても重いです。
気軽に楽しめるものではなく、 考えさせられる舞台ですね。
個人的には、 こういうジャンルよりも もう少し 面白おかしいお芝居が好きなので… そういった意味で満足度は低めです。。
満足度★★★
劇作家の力
政治、移民、戦争からドメスティック・バイオレンスまで、現代社会に見られる様々なスケールの問題を織り込んだ、考えさせられる内容でありつつ、さらに劇作家の存在意義についても意識させられる挑発的な要素もありました。
近未来の日本を思わせる世界が舞台で、人の価値は数値で判断され、隣の地域との争いが起きているという環境の中で「心の豊かさ」について悩む人々の姿が劇作家の男を中心に描かれていました。
多くの要素を物語に組み入れる手腕は素晴らしいと思いますが、盛り込み過ぎに感じられ少々技巧が鼻に付きました。
劇作家が自らを「心の専門家」と呼び、問題解決の糸口を与える特別な人物として描かれていて(モダニズム〜ポストモダニズムの名作家具が並ぶ舞台美術の中で、彼の部屋だけがクラシカルな家具だったのも象徴的でした )、作者の中津留さんの劇作家としての志しの強さと共に、自己賛美的な面も感じられ、釈然としない印象が残りましたが、当日パンフレットの文章を読むとその様な反応を見込んで作ったことが書いてあり、「虚構」に上手く乗せられてしまったのかもしれません。
役者達の演技がリアルで緊張感があるドラマに引き込まれましたが、映画や小説でも表現が出来る内容に感じられ、個人的には演劇という形式ならではの表現がもっとあっても良いと思いました。
満足度★★★★
批評性の強い作品
中津留章仁氏の魅力は、社会にある様々な問題を、一度観念的に拾い出して、それを演劇のダイナミズムに力技で組み直すというようなものだと思っている。
今作の印象は、私が観た中津留作品の中で、最も観念的な作品だと思った。演劇のダイナミズムよりも、観念が先行しているように思った。
その点は物足りなく思ったが、全否定という訳でもない。
その分、作品の中にある複雑さや分裂は、今まで見た作品の中で最も大きかったように思う。その点はとてもよかった。
作品テーマも、今日社会で最も問題になっている、拗れてしまった正義と暴力の問題。
架空の都市での話だが、日本と近隣諸国との関係のようでもあり、イラクなど中東の話のようでもあり、、、
そこに、なんとか解決策を見出そうという作者の意志が素晴らしいと思った。
ただ、一点とても気になることがあったが、、、それはネタバレBOXで。
満足度★★★★★
たてまえと本音!
商業演劇にはない濃密で骨太なメッセージの強い舞台なので楽しみにしている。もともと映画も舞台も内容が良ければ長い方が好きな私は見逃せない劇団である。長時間観客を演劇に集中させるかを考えてきた中津留氏が今回はトラッシュマスターズとしては140分という短めの作品で観客の反応を検証したいようだが、私にとってはそんなことは問題ではない興味深い舞台でした。
満足度★★★
脱フォーマット?
さて何だかんだでこちらは4回目になります。
かなり質の良い芝居をされるとは知りつつ、過去の3回とも物語の作りが全く同じだったので自分の観劇欲の微妙なところをさ迷っていました。
※過去観たものは三時間越え休憩なし、途中の幕間で大転換有り、二幕目から未来に飛ぶ。
ここまでフォーマットが出来上がっていた。
逆に今回はその特徴的なフォーマットでは無くて時間も2時間20分とこちらにしては短く、転換も無し。
時系列的な動きはありましたが凄い未来に飛ぶわけでもなくという。
それが今回だけなのかどうかも分かりませんが、ちょっと実験的な公演だったのかなあ。
アンケートも時間とか気にしてたみたいだし。
気になっていたのは前段階でそう言った情報を展開してるのかなーと。
多分、あのフォーマットを期待して来るお客もいると思うのですよね。
※知らずに来てびっくりした客も逆にいましたが。
自分も何だかんだで期待してた部分があった様で。
ちなみに今回はむしろ長く感じてしまった。
入り込めなかった。
結局、時間が長く感じるか短く感じるかは内容次第かと思います。
舞台面が低い割りに座ったりしゃがみ込んだりの芝居が多くて、あれと思ってしまった。
節介、広い会場なのだからもうちょっとどの席からも見えやすい様に作れていたら良かった。
一つ言えば、今日は隣に座っていた客が大ハズレだったのでこちらの集中力がかなり乱れていたせいもあるかもしれない。
席繋がっているんだから隣で気になるほど揺れていたり(貧乏揺すり?)、前かがみになっていたりと自由だ。。
劇団・団体側に求めたい事ってのは色々あるけれど、客側もやはり最低限のマナーを守る必要があるよなぁ。
何か良い方法を考えたいものです。
満足度★★★★
イマジン
2時間半、「考えろ」「向き合え」「想像しろ」という強いメッセージが聞こえてきました。
いろいろな問題が織り込まれていて、お腹いっぱい感。
満足度★★★
初日観劇
日本のような場所だけどちょっと違う場所。
いつも通りの登場人物とその台詞廻しに、トラッシュ定番の展開かと思いきや、芸術や恋愛、時勢について語り尽くす。
あまり動きが無いので台詞をしっかり聞いておかないと置いてきぼりをくらいそうだったが、最後の場面でこの舞台の意義を見たような気がする。
中津留さんの経験談というわけではないよなw
今回、アレとアレがないw!セットがシースルーで見やすいw!
休憩なしの約140分。
最後に残るのは「人」だ
自治体が「国際平和都市」「人権擁護」を掲げると違和感を持つのは私だけだろうか。
法制度からいっても、行政組織というのは「権力の一部」であり、抑止される側にたったメッセージを発表すること自体、その責任を自覚しない怠慢である。
仮に道州制が進展すれば、軍事・外交以外の権限は自治体に移譲され、各地域ブロックに「地方政府」が発足する。
「地方にカネを!」しか訴えない知事、市長、区長、町長、村長たちは、それ相応の「権力と責任」が生じる列島未来図を肝に命じるべきだ。
私が『虚像の礎』に共鳴したポイントは、「首長」や「住民」といった、現行の自治体用語に基づく政治ヒューマンドラマである。
これは、近い将来、「国民から住民」に帰属意識が細分化することを念頭に置いた上の解釈だと思う。「自治体権力」を呼び覚ますサイレンかもしれない。
中津留章仁氏によると、
「これまでは
いかに観客が長時間集中出来るか
その演劇用語を獲得してきたが、
恐らくこの作家は
今回は真逆の
観客が醒める、という行為を
好意的に受け取ることは出来ないか、
それを検証しようとしているような気がする。」
という。
確かに、序盤こそ「退屈な会話劇」だったが、終演後このような感想を抱いた観客は少数派だろう。「集中」どころか、受験勉強以来の限界点を突破させるラスト・シーンである。
『虚像の礎』のキーマンとして劇作家のアテナー(星野 卓誠)がおり、彼の
「君はストーリーを作りたいだけだ」
「想像してご覧よ」
なる台詞に「争い」を和解させる「ポリティカル・パワー」を見出す。
ただ、この劇作家が作・演出の中津留氏であることは疑いの余地がなかった。
もっとも、旧チェコスロバキア大統領を務めた劇作家・ハヴェル氏のように、知識人と呼ばれる人物が「ポリティカル・パワー」を発揮してきた人類史は ある。
それを承知した上で批判するが、何というか、中津留氏の「自惚れ」と紙一重に映ってしまった。
実は『虚像の礎』は都民芸術フェスティバル(主催_東京都・公益財団法人東京都歴史文化財団)の対象公演である。
杉並区からの後援も受け、通常の劇団公演とは違い、圧倒する「マン・パワー」だった。終演後には自治体関係者なのか、企業関係者なのか、東京都歴史文化財団職員なのか、約8人体制で一人ひとりに「紀州梅サンプル」が配布されていた。
この「公演助成」を中津留氏は逆手に取り、「『劇』の社会的価値」を劇中に問うた。
※ネタバレ箇所
劇作家が有する社会的貢献力を、本人アテナーへ聴く重鎮議員テミス(カゴシマ・ジロー)との議論を借り、劇団『トラッシュマスターズ』の公演そのものから暴いてしまったのである。
これには会場から爆笑が起こった。
彼らは 「繁栄とヒューマニズム」を どう一致させるか、そのテーマに挑む日々だ。
結局、『虚像の礎』でも完全なる回答は提示できず、再び「劇場空間から社会をえぐる」旅を継続する。
2時間20分強
初日観劇。
主宰の“想い”のカミングアウトのような台詞が多く、なるほど、と思うこと多し。
回を重ねれば、もっとリズムが出るハズ。
美術のセンス良し。
上手での観劇を推奨。
なのです。…若干、追記
初見。
台詞が 「…なのです。」役者さんも言いにくいだろうし 会話でもよほどのことがない限り 「…なんです。」なのではなかろうか と 気になるのは初見ゆえか。
台詞の堅さ、端正とも言えるが。モノトーンを基調にした舞台と相まって人間臭さはあまりない。この劇団の持ち味なのかもしれない
ストーリー的には 林田麻里演じるヘーラの成長 が 観ていて嬉かったかな
しつこいようですが
…なんです。 じゃ、だめなんですか