満足度★★★
前向きに・・・
喜怒哀楽のちりばめられたお芝居。楽しいシーンではおもいきり笑わせ、哀しいシーンでは、泣きどころを押さえていて、盛りだくさん!演技については、いろいろ言われるのも仕方ない。気にせず、精進してください。ベテラン勢がいて救われました。
音響のチョイスが若者の「ガチャン」をあぶり出す
「伝わらない」若者が仲間になれば、きっと「伝わる」…。
音響が この“群像劇”を造り上げたのだ…。
『青春ガチャン』は「ソラリネ。」の公演も8月、上野ストアハウスで観劇した。一つの脚本だとしても、演出が違えば全く別の舞台と なるケースがある。結論から示すと、両作は各シーン、台詞、舞台セットに至るまで ほぼ同じだった。
それもそう、どちらの舞台も福地慎太郎氏が作演出だったのだ。
ファミリーレストランのドリンクバーの原価は一杯、1円にも満たないという話があった。そうだ。原価率の高いオレンジジュースや牛乳は別として、炭酸飲料などはタダのような商品だろう。
カネのない若者がドリンクバーを注文し、タダのような時間を過ごす象徴がファミリーレストランである。接客や料理の品質は求めない。
しかし、ファミリーレストランが日本に出現した1970年(7月7日「すかいらーく」一号店 府中市に出店)、解凍したハンバーグを食べたのは若者ではなく、圧倒的に中間層(それも上位)の家族だった。単語からいえば、こちらの方が理にかなっている。
世の中で「イノーベーション」(技術革新)が定着するまで、決まって山頂の雫から始まり、徐々に大地へ染み渡っていく構造システムがある。
有名な話としては、コンピュータは米軍施設のガレージ内で開発された。その後、軍事技術→ビジネス→一般大衆(一般ユーザー)へ拡がった。
私たちが着目しなければならないのは、イノーベーションは原発の汚染水のように拡散されず、一部の特権者から「段階的」に、一般大衆へと開放される事実である。ファミリーレストランの場合、最も早く接したのは上位中間層だったわけであり、山で考えると厚みは「中腹」かもしれないが、当時の日本社会の中の限られたグループだろう。
何だっていい。
1950年代、60年代に建設された住宅団地だって、当時の上位中間層が入居した。
以下、国土交通省 公表の資料
都市再生機構の役割について 平成24年6月1日
「機構の前身である日本住宅公団は、昭和30年に高度成長に伴う都市圏への急速な人口流入に対応 するため、中堅勤労者向けの共同住宅を大量供給することを役割として設立。※当初の公団住宅は原価家賃としていたが、家賃水準が高く「高嶺の花」と言われていた。 (当初供給された住宅(約40m²)家賃4,600円/月、国家公務員の初任給8,700円/月)」
ところが、70年代後半にマンション•ブームが起こると、代わって当時の上位中間層が押し寄せ、団地は日本住宅公団(現 UR 都市再生機構)の提供するカネのない住民が入る公営建造物になった。
イノーベーションを若者も享受できる段階は、大量生産大量消費=「システムの再生産化」段階である。あるいは、競争激化もその一つだろう。当然、権利の喪失等が 後押しする(=代表例_名作DVDの廉価販売)
これからの時代を進めていく時、山頂から岟(ふもと)へ雫を浸透させるのは難しくとも、中腹間の「普及スピード」は加速すべきだ。
私は、イノーベーションを雫の段階で、国家や独占企業、官僚組織などが利権化し、競争防止へ働くことこそ「普及スピード」を妨げる要因ではないか、と思う。
官僚組織の既得権者、政治屋の族議員と戦ってきたのが元通産官僚の古賀茂明氏である。
彼との対談本を出版した政治ジャーナリスト•田原総一郎氏は自身の考えを交え、次のような感想を述べた。
「既得権益だけはしっかりと守って、痛みを伴う努力を避けてきた。
改革をしないのだから、経済は成長しない。
経済成長がなければ稼げない。
稼げないのだから借金は返せない。
だから市場から「ノー」を突きつけられたのである。
いまの日本と同じである。
農協や医師会、電力業界といった既得権益者、さらに経産省や官僚組織など、
これら「日本の病根」というべきものが改革への歩みを阻んでいるのである。
このままでは、日本はギリシャと同じ轍を踏むことになる。
そうならないために、私たちは「古い日本」と決別しなくてはならない」(田原総一郎 公式ブログ 2011年11月22日 より抜粋)
既得権団体のための規制を全廃した上で、「普及スピード」を上げることが 若者にイノーベーションを享受させる最大の手段。
それは再生可能エネルギーにおいても 言える。税制度からみれば、いかに原子力発電が優遇され、結果として発電方法内での価格競争を捻じ曲げているか。1970年に日本初の商業用原子力発電所•福井県 美浜原発が稼働した当時であればイノーベーションの育成の下、補助金=税金を投入する施策も合意が得られただろう。だが、40年間以上も経過するなか、“民間企業”の事業へ多額の税金を投入する やり方は不健全だ。
電源三法を廃止しなければならない。原子力発電が「最も経済的な発電方法」か どうかは、上記の優遇税制度を廃止してからでないと判明できないだろう。
「電力会社は販売電力量に応じ、1,000キロワットアワーにつき375円を、電源開発促進税として国に納付しています(電源開発促進税法6条)。国の平成21年度決算では約3,300億円の税収があり、ほとんどがエネルギー対策特別会計に組み込まれ、電源開発促進勘定や電源立地地域対策交付金として、発電所など関連施設の整備等のため及び周辺市町村に対する交付金等の財源にあてられています」(藤森税理士事務所)
再生可能エネルギーもイノーベーションの一種。だとしたら、大量生産大量消費=「システムの再生産化」を早める必要がある。
イギリス、ドイツはじめ、多数のEU圏内でも導入された発送電分離を日本に取り入れることで再生可能エネルギーを促進できる。企業の再生可能エネルギー分野への参入を増やし(規制改革)、「電力の自由化」を断行すれば電気料金も下がり、それは一般大衆の恩恵となる。
この流れは なんと当の電力業界自身が認めるものだ。
海外電力関連 解説情報
「英国に見る自由化のメリット
英国の発送電分離と自由化の所期の目的は、「電気事業への政治的関与の排除」、そして「国有時代に蓄積された非効率性の排除」であり、この目的に照らせば成功したと言える。発電会社では5割、配電会社では7割の人員削減が実施された。また、効率の悪い古い発電所は新規参入の発電事業者(IPP)が建設した新鋭火力発電所に置き換わり、90年代には電気料金は大幅に低下した。
電力民営化を含む各種国有企業の民営化や競争原理の導入は、英国全体に活力をもたらし、経済が長期低迷した「英国病」から抜け出す起爆剤にもなったのである」(電気事業連合会 HP)
合わせて、「普及スピード」を加速させるための補助金等は過渡的措置でなければならない。既得権化に陥らず進める。利権の温床にしない。平成25年度予算で再生可能エネルギー関連費は一千億円を超す。
商業用原子力発電の二の舞は困る。(エネルギー政策は当面、液化天然ガスLNGを中心に沿えるべきだ)
結局、国家資源をイノーベーション分野へ注ぐことを拡大し、一方で過渡施策を守り自由競争を確保して、既得権者は排さないと いけないのだ。
この恩恵は、若者にとってファミリーレストランのドリンクバーの非ではない。
豊かな自然環境と、郷土国家である。
『青春ガチャン』は 「伝わらない」ことで始まる誤解だとかを描く。
キャラクター設定もよい。
ファンタジーというより、場面ごとのキレを感じた。
心温まるのは確かだろう。
満足度★★★★
生きること。死ぬこと。
観てきた方のコメントを参考に一番前!とも思ったんだけど、目線の高さがちょうど良かったので2列目へ。とても観やすかったです。どこにでもあるような身近な題材のストーリーだと思いました。故に色々と考えさせられましたし、過去とか色々思い出しました。
満足度★★★★★
自分も背中を押して貰えた!?
この演目は何度も上演されているようですが、自分は始めて観劇させていただきました。
今回の公演の出演者は1公演10名ですが、半数が公演ごとに変わるダブルキャスト制となっています。
一応各公演のキャストとタイムテーブルをネタバレBOXの方へ載せておきました。
そちらのほうで、★チーム出演の26日19:30の公演を観劇させていただきました。
あらすじを見た限りでは、主人公が周りの人間の力を借りて自分探しするストーリーだとばかり思っていたんですけど…。
良い意味で裏切られました。
時に笑い!
時に泣き!!
あっという間の1時間50分でした。
キャストも自分が初めて拝見させていただく方が多かったのですが、皆さんの熱演ぶりは物凄かったです。
正直、ここまで感動する作品だとは思いませんでした。
物凄く色々な事を考えさせられた演目でした。
自分の前に投稿された方も書かれていましたが、出来れば最前列GETをお勧めします。
満足度★★★★
誰も人の死と関わらずには生きていけない事を再実感
タイトルから「青春」まっさかりのようなものを想像してました。
一部把握しているキャストからも「若さ体当たり!」みたいな舞台なのかな、と。
そして実際観劇してみて思ったのは、本舞台は「青春の1つの節目」に
当たるものを描いているのかな、と。
笑いネタてんこ盛りながらひさしぶりに鼻をすすってしまう
(涙のせいで)という非常に良い舞台でした。
(パンフで脚本家の方が「10年前に書いた作品」と言ってましたが、
細かい部分を現代風にアレンジしている事もあり、
古さはまったく感じませんでした。)
※ ただしこれだけは【内容】の方に書かせてもらいます。
観劇される方は迷わず前席を取って下さい(時間通りに行けば多分取れるかと)。
はっきりいってもったいなすぎるのが、
舞台が客席側センターに向けて下る段差式で作られ
そこが演技のメインとなるのに対して、
客席の段差がなさすぎて3列目の自分ですらメイン部分での演者自体、
およびその表情がほとんど見えませんでした
(前の人が特に背が高いという訳でもないのに)。
多分、周りの多くの人たちも同様だったのでは?
序盤はそこに落胆したものの「観えない部分は想像力で補完しよう、
声で演技は分かるから(我慢しよう)」と思えるぐらいに
お話の良さに助けられたと思います。
舞台をあと50cm高く作ってたらなあ・・・
あるいは自分迷わず最前列取るべきだったかなあ・・・