幻夜 公演情報 幻夜」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.4
1-10件 / 10件中
  • 20140111
    (^・ェ・^)

  • 満足度★★★★

    楽しめました
    全体としては、現実なのか、妄想(夢)なのか、なんとも判然としないフワフワした話でしたが、個々のエピソードはなかなかにリアルで面白く、わからないなりにも楽しめました。

  • 満足度★★★★

    変な空間
     不思議な作品でした。


     とりとめなく、ふわふわと、はぐらかされながら、わかったような、わからないような。


     こう言う感じは好きなのです。


     好きなのですが、どうも熱狂には至らない……とても面白かったのですが……。


     観ているものが、すべてなんでしょうねえ。


     幻夜。現実と虚構、などというものではなく、これはすべて、最初から最後まで、徹頭徹尾マボロシなのでしょうかね。ふわふわして、ここちよく、すこし倦怠した時間。

  • 満足度★★★

    自由は孤独
    不思議な芝居だった。
    夢を紡いだような、現実を重ねたような、でも全体はまとまらない感じ。
    だから「幻夜」なのか…。
    文(ふみ)と武(たける)の関係はいかにもありそうで、そのもどかしさが妙にリアル。
    当日パンフにあるように、去年の夏から稽古を始めたという丁寧な作りが伝わってくる。

    ネタバレBOX

    開演前から舞台では中野あきさんが音楽プレーヤーを聞きながら踊っている。
    時折思い入れたっぷりに歌い出したりする。
    一段高くなった居室に倒れ込みタオルケットにくるまったところで、前説登場。

    これは武(今村洋一)に振り回された文(中野あき)の妄想なのか。
    それとも自由を追い求めていたら独りになっていた武の妄想なのか。

    文という名前の女性は3人登場するが、いずれも武に思いを寄せて報われない。
    武は妊娠した文をブンちゃんに押し付ける。
    ブンちゃんはその子が自分の子であってもなくても受け入れる。

    いくつもの“文と武”のエピソードが語られるが、全体としてまとまってはいない。
    ただ、各々のエピソードは妙にリアルだ。

    例えば武役の今村洋一さんの、“自由を求めていく”姿勢はいつもブレない。
    どうやら彼にとっての自由は“束縛されないこと”であるらしい。
    少なくとも彼がそう信じ切っていることが伝わってくる。
    だから結婚などもってのほかで、文はいつも置いてきぼりだ。
    しかし自由を追い求めた結果、武の周りには誰もいなくなる。

    日置達哉さん演じる、車を自慢したい男も面白かった。
    出会ってすぐデートに誘う男、“めちゃんこ速い“車で富士急ハイランドに誘う男。
    一つひとつの台詞にチャラいながらも熱心な(?)説得力があって可笑しかった。

    “オチ”は不可欠ではないのかもしれないが
    作者の世界に近づくためにも、もう少し理解の手助けがあったら
    個々のエピソードがもっと活きるような気がする。

    ラスト、富士山になった文がひとりになった武に「頑張れ―!」と叫ぶところ、
    自分を一番に考えてくれない男を、
    それでも応援する気持ちが切なくて泣きそうになった。
    観ている私の中で、もっと登場人物が集結したら
    さらに強く揺さぶられたのではないかと思った。


  • 満足度★★★★

    無題968(14-007)
    14:00の回(快晴)、13:20受付受付、13:30開場。女の子(役者さん)が一人、イヤホンで何かを聴きながら歌い、カラダを動かしています。下手側に大きな台、幾何学模様(ステンドグラス風?)のパーテーション、台の向こうに布がかけられた高い台らしきもの、床面には、数ケ所黒く勾玉模様。最初は気づきませんでしたが、台に隠れるように誰かが横たわっています(女の子は、時々、蹴りを入れます)。13:45前説(あんずさん、105分)、14:04イヤホンを外すとBGMが流れ、女の子はタオルケットをかけ、仰向けに。

    14:05前説②、14:06暗転〜15:43終演。お揃いのスニーカー(黒)、スケッチブックに書かれた名前、役者紹介。

    「青ひげマシーン」は「宇宙船に乗りたい女達(2011/10)」「その後、、(2012/4)」「僕と彼の人妻(2012/9)」「夢訪人(再演、2012/11)」、あんずさんがスタッフとして関わっていた「OLと魔王(2011/1)」には今村さんが出演していました。

    「夢訪人」「その後、、」は続き物で私は逆に観ることになってしまいましたが、会場となった「ヴィオロン」の濃厚な雰囲気を忘れることはないでしょう。最後の公演であり、劇団の活動を停止するということは観劇日の直前、「その後、、」に出ていらした佐藤さんのブログで知りびっくりしました。後日、某所でお会いした時、作品を創っているということをお聞きしずっと待っていました。

    星座のかさは「卒業式」のときの…でしょうか?

    すみません、評価は個人的な思いで…。

  • 満足度★★★

    自由って
    登場人物の姿や時代がばらばらなので理解がむずかしい。

    アフタートークが理解の助け船となりました。

    会場時から、とあるキャストがなにかやってます。

    ネタバレBOX

    現実シーンは最初のほうのほんの少しであとは妄想があちこちとっちらかった断片で構成されている。

    中野あきのふみはずーと幼少期だそうなのでそこを意識すると何か見えてくるのだろうか?

  • 満足度★★★

    自由と孤独
    竜頭蛇尾

    ネタバレBOX

    開演30分前から自己陶酔型に歌い踊り続ける中野あきさん、私が入ったときには大滝詠一さんの歌を歌っていました。正式に始まると髪は汗で濡れていて、こりゃ大変なハードなお芝居になるなと心配しましたが、途中から富士のお山に座りっぱなしの単なるお飾りと化してしまい、今度は逆に身体が冷えて風邪でも引かないかと心配になりました。

    文(フミ)ちゃんとブンちゃんって、どっちもブンじゃん。ブンとフンじゃあるまいし、紛らわしい名前です。

    夢から覚めてもまた夢の中のような構図は芥川龍之介の「杜子春」のようでした。生まれてくる子供を押し付けるようないい加減な武(タケル)の生き様は銀ちゃん。富山の薬売りの寅さんもいました。一人の女性を追っかけながら走り続ける姿はまさにアリス、色々の寄せ集めでした。

    生活感のない武、どこに勤めているか自分でも分かっていないブンちゃん、色んな文ちゃん、全ては富士のお山のオリジナル文の妄想ですと。靴がテーマにでもならない限り夢の中では足元は気にしません。全員が同じ黒い靴を履いていたのはそういうことでしたか。

    自由に生きたようで、結局は一人取り残されたような感覚は良く分かります。
  • 活かせなかった中野あき


    群像劇のような形式をとりながら、あるプレイボーイを軸に、恋仲の女性を描く夢想世界だった。
    そして、三股をかけていった人々すべてが同じく〈ふみ〉という名前を持つ。


    なぜ、この舞台は、手で触ることのできない空気感なのだろうか。
    時代設定も、いつの年代であるか、様々な可能性を醸し出す。
    例えば、BGMに流れたのは、ピンクレディー、松田聖子といった70年代の元祖アイドルだ。ご本人は未だ歌手活動を続けられ、ミニスカートを履く若さなので、それが「古い時代」とは言えない。
    ただし、時代考証的資料を読むと、70年代発表の曲であり、聴いていた世代からすれば「昔の時代」だろう。懐かしい。

    ネタバレBOX



    主人公・武はカラフルな色彩のジャージを着る。この姿は、70年代の風俗を表す。
    「ふみ」との会話でも、「東京ドームシティ 行ったこと あったのよ。二人で後楽園遊園地 行ったじゃない。その頃は18歳とかだったわね」といった趣旨の思い出話が咲く。東京ドームシティが開園したのは1988年。つまり、青春に二人で後楽園遊園地を訪れたとすれば、2人の幼少は70年代に思われる。

    なぜ、「幼少」を取り入れたのかといえば、始まりは男の子武と女の子「ふみ」だったからである。そのカップルは寝室で結婚を約束し合った。
    しかし、理解が及ばない。少なくとも、舞台の時代設定として、現代2014年は定まっている。
    これは、70年代に幼くして亡くなった「ふみ」が、「富士山」という名の展開から見下ろす構造だろうか。


    武が記憶喪失に陥っている疑いも濃い。単なる群像劇の形式ではなく、内面的断片性だ。これなら、時代設定が 腑に落ちないのも、その一言で説明できる。70年代を引きずり、誰が「ふみ」か解らなくなった悲しきプレイボーイ。



    私は、今まで示してきたが、時代設定は70年代に統一すべきだったと思う。映画『横路世之介』(2013年 公開)が後の現代をリアリスティックに、クールに設定するとおり、夢想世界を描く一方、それとは違う2014年であってもよかった。


    富士山の 裾野を、「ふみ」のスカートへ「同化しちゃった」構造は、解読すべきテーマである。武らは 富士山裾野で過ごすのだが、その森さえも、仮に「ふみ」による支配された「執念の空間」だとしたら…。
    女の夢想は世界遺産に登録したくない。
  • 満足度★★★

    出口を求めよ
     その為にはSence of Wonderを入手すべし。頑張れ、応援している。少し、厳しいことを書くが、検討あれ。一所懸命チャレンジしていると信じる。

    ネタバレBOX

     バタフライ効果など複雑系の発想を借りて来たり、随分ぺダンチックな装いだが、一体何が分かったつもりで居るのだろうか? 幻にしてしまうしかない自分達の不如意を、不如意が何処から来ているのかの追求もせず、居直っているだけのように感じられる。そもそも、複雑系が出て来た背景にあったものは、考えておく必要があったのではあるまいか? 今作の場合はカオスであるが、何れの複雑系であっても、それが系として成り立つ為には、その系が存在し、働く場が最低限仮定されなければならない。例え、思考主体がカオスの真央に在ったにしても、そして、手持ちの材料が、産まれては滅する不安定な何者かであったにしても、それらの変化が生じるに当たってその要素が認識される以上、存在を仮定してみるのが本筋、また変化する以上は、時間を仮定しなければならない。その上、時空が認識できるとすれば、それが、作動する場を措定しなければならないのは当然である。然るに、今作に於いては場の問題が総て捨象されているのだ。多少とも理屈でゆくなら、この程度のことは、フォローしてしかるべきである。而も、この点に経験など一切必要ない。必要なのは、物理と数学である。この点を押さえずに書かれたシナリオと観た。
     結果は、手垢に塗れた常套手段、夢に逃げ込んで居直っただけの陳腐な作品と言わざるを得ない。もし、上記に指摘した総ての事をした上でなら、内容はもう少し違ったハズである。そしてそのような作品を提出していたのであれば、オーソドックスな形の傑作を2~3作既にものしていなくても、アンチテアトルの作品の可能性を否定できなかったに違いない。自分が良く咀嚼したものを素材に使うことも必要である。無論、どんどん、新しいことにチャレンジし続けることは必要だが、出し方に気をつけられたい。

  • 満足度★★★

    三位一体ならぬ
    一位三体。自由は幻ということ?まぁ、他人の夢の話って、あんまり面白くないことが多いよね。

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