「伽羅倶璃」-カラクリ- 公演情報 「伽羅倶璃」-カラクリ-」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 2.8
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★

    席は厳しかったが
    舞台セットや衣装が物語の幻想的な世界感をより強くしていた。現実の中に幻想があるのか、幻想の中に現実があるのか、はたまた全てが幻想なのかな感じではあったが、煌びやかではあるが、後半は切なく悲しい物語。
    でもラストは・・・な感じ。ちょっと席が厳しかったが、物語がよかったからなんとかラストまで持った。
    しかし日替わりゲスト、あの位置で入れたらいかんだろう(笑)

  • 満足度★★★★

    期待以上によかったです
    劇団初見。期待以上によかったです。大江戸幻夢奇譚の世界にどっぷりとはまり込んでしまいました。超満員の客席はちょっと狭かったのが難ですが。

  • 満足度★★★

    2時間10分程度
    席がだいぶ狭かった。

    たまにしかこういう舞台を観ない人ならともかく、
    しょっちゅう小劇場を観る人にはこういうのは相当辛いッス。

    上演時間の長さを考えると、客席を広くとるか、
    逆に上演時間を減らすかの二択ではないかと。

    キツめのデニムとか履いていけないし・・(汗

    ネタバレBOX

    途中、もう少しはしょっても良いのではないかとも思った。

    当日パンフに相関図が載っていたのだけれど、2~30分くらいで大体の人物関係が整理できてから、こことここは端折っても良いのでは、あるいは、ここはもう少し引き延ばしても良いのでは?と思ったりした。

    関係の描写が形式的だから、
    一見複雑な構造に見えて説得力が感じられない。

    途中、物語のリズムが上がることをアピールするために
    ダンスシーンを入れたことは面白いと思ったりした。

    ゲストの登場は、物語に笑いが少ないと思っていた所だけに自分にはとても良かった。

    自分の眼には「完璧な劇世界」という感じではなかった気もしたので、
    もう少しこんなお気楽な笑いが満ちていても良いのではないカナ、と思ったりもした。

    題材は(一部)近松。自分には大阪の至宝でもあるように見えて、
    それを現代の東京の言葉で舞台上で表現するのにも多少違和感があっただけに、
    もう少し全体を整理したうえでシンプルに掘り下げる必要があったのではないカナ、という気もしたり。

    舞台の脚本を書く人には、
    三国志のような相関図が作れれば三国志が書ける訳ではない、ということを感じてほしい。

    設定を減らしても間が持つ脚本・演技を求めたい気が。
  • 満足度★★

    大人の事情?
    千秋楽を観ました。客席が狭いことは他の方が書いていらっしゃるので触れません。三味線の上手い下手も触れません。

    観劇後、頭の中は「日替わりゲストが舞台をつぶした。なぜ日替わりゲストなんかを使ったの?」という考えでいっぱいでした。
    以下ネタばれ↓

    ゲストの存在以外はよかっただけに残念です。裏切られた気分です。

    ネタバレBOX

    役者、美術、音響、照明どれもよかったです。ダンスの動きと衣裳が合っていないことやメタ発言に関しては好みの問題なのでそんなに気になりませんでした。

    物語も前半やや冗長だなとは思いましたが許容範囲。後半、盲がベールを脱いで舞台が「演劇的昂揚感」に満ちたところで、見に来てよかった、と思いました。しかし、取ってつけたような日替わりゲストの登場によって会場の空気が完全に凍りました。ストーリーと全く関係ないモノマネを長々として、客席は苦笑い。やっと日替わりゲストがひっこんだと思ったら、すぐに物語の見せ場に。舞台で何をやられても全然感情移入できず、「ぷっぷっぷー」ぐらいしか記憶に残っていません。

    ストーリーから考えてもゲストのシーンは必要ありませんで。またカーテンコールでのゲストの「会場に来て1時間半も待たされた(笑)」の一言で冷めが怒りに変わりました。劇団主催者と関係者の間でどのような事情があったかは知りませんが、観客を巻き込むのはやめてほしいです。
  • 満足度★★

    とても感じはよかったです。
    役者・スタッフともとても感じはよかったです。

    ネタバレBOX

    でも、少しくどかったように思います。ひとつのカットでももう少しすっきりしたほうがよかったと思います。
    ラストも少し引っ張りすぎでした。
  • 満足度

    いってきた
    人気劇団のつもりなのかも知れませんが、とんだナルシスト野郎だ。客のことなど考えられんのだな。

  • 満足度★★★

    カラクリ
    お尻が痛くて。

    ネタバレBOX

    張璃子はキレーだった。
  • 満足度★★★★

    あやかし
     舞台美術のセンスもよく大道具の仕掛けもしっかりしている。メインストリームは「曽根崎心中」の悲恋を、詐欺師のくぐつ、旅芸人の系列だが特異な力を持つ捨て子のうつつに負わせる物語。うつつの力とは、その家系の者に備わった“あやかし”の力だ。(追記2013.9.27)

    ネタバレBOX

     さて、江戸で一旗揚げようと乗り込んできた二人は、その目を見ると夢幻の世界を体験できると、くぐつ得意の啖呵でひと儲けしたが、ひょんなことから“いんつけ座”のチンピラと揉め事になっていた所へ、兄貴分達がやって来て、オトシマエを要求され、とどのつまりは、いんつけ座の下働きをさせられることになる。が、この時のいざこざが命のやり取りにならなかったのは、誰かが妖術を使ったからであった。
     その後美形のうつつは、筋も良く、段々、いんつけ座の面々に溶け込んで行くが、くぐつは、飽くまでうつつを操っているのは、自分だと嘯いている。何故それほどの自信があるかと言えば、彼には、実際に起こった心中事件を題材にした傑作、「曽根崎心中」があるからである。然し、自信満々、くぐつのオリジナルであるはずの「曽根崎心中」は既に何年も前に細川座で「伽羅倶璃」の演目として上演され、大当たりをとった作品であった。以来、江戸では伽羅倶璃がもてはやされ、細川座が江戸一番の賑わいを見せていると言う。作者は、戯作。その後新作が待たれるが、現在執筆中らしい。
     ところで、江戸時代に、幕府がお墨付きを与えた江戸の歌舞伎小屋は三か所。それ以外は、公式の芝居小屋では無い為、風俗紊乱などを理由に何時取り締まられるか分からない状態であった。無論、幕府が認めたということは一流の証とされ、格式も高く、其処で演ずることのできる役者は一流とされたわけである。その為、人気は江戸一番とはいえ、お墨付きが欲しい、細川座座長の半蔵、戯作らは、一計を案じる。
     偶々、奉行の堀田は、中々の趣味人で、現在は、生身の人間の芸を売りにする市谷座の看板“太舞楽”を贔屓にしている。この太舞楽に挑む細川座は、お膳立てを整え競技会が開催されることになった。結果は、細川座の伽羅倶璃、張璃子、いんけつ座で踊りを披露するようになっていたうつつが、共に引き分けて幕府からのお墨付きを享受することになった。
     この2人のお陰で、細川座、いんけつ座は賑わうが、伽羅倶璃の見せる夢幻には、阿片が使われていたのではないか、との疑いで動いていた捕り物には、罠に嵌められた市谷座の若座長、秀彦が掛かってしまう。この辺り、無論、曽根崎心中のストーリーが絡んでくるのは、芝居好きなら誰でも分かることだろう。
     これらの筋書きを書いたのは、戯作。自らが心血を注いで作り上げた伽羅倶璃を更に完全な物にする為、うつつの能力を張璃子に移植しようと目論んでうつつを誘拐するが、張璃子は、実は、奉行所の同心、律香の死んだ妹である。戯作は、美しい妹を今で言うサイボーグに作り替え、蘇らせたのであった。だが、律香は、これを許せない。うつつの囚われていた所へ乗り込んだ際、戯作は、張璃子を操って邪魔者を消そうとするが、サイボーグと化した張璃子の中に未だ残っていた人間としての意思が、これを遮り、阿片を用いて大儲けをしていた半蔵、戯作を殺す。そのドサクサに紛れてうつつも救われるのだが、うつつがかどわかされる前、あやかしの力を持つ者は、なぶり殺しに遭わされて死ぬ、という旅芸人達に伝わる話から、うつつの将来を案じたいんつけ座の面々は、当座の生活費をくぐつに渡し、別れるように迫っていたのだった。一時、こんな経緯で江戸を離れたくぐつであったが。宿命は再び、彼らを逢わせる。
     而も、彼らの恋の宿命は、互いに心ひかれ乍ら、詐欺師であるくぐつは、その生業から人の真を信じることができず、あやかしの血を受け継ぐうつつは、愛すれば、愛する程、惚れた相手を惑わしてしまう。うつつは、この宿命から脱出する為、愛するくぐつに自らを殺して貰おうとする。
     当に彼女を殺害しようとした刹那、うつつの血の中から伝説のあやかし、半身は人、半身はカラクリ、そして血はあやかしの伽羅倶璃が現れ、くぐつを殺そうと迫る。操りの束縛を何とか振り切ったうつつは、くぐつを庇って凶刃に倒れるが。
     それも詐欺師、くぐつの書いたシナリオ。総てが仕組まれた仕掛けであった、というオチがつく。
     観客としては、楽しめる作品だが、知的策略が張り巡らされている為、作品に酔うことはできない。だが、作者は何故、このような作品を作ったのか? 自分はそれを以下のように解した。即ち、この作品自体が、演劇に対するメタ演劇なのだと。丁度、ドン・キホーテが、中世の物語に対するメタ物語であったように。つまり、この物語を演劇そのものの、方法論として読み替えてみるのである。劇作家が物語を紡ぎ、役者、演出家など舞台を創る側が、歌舞くという行為によって、観客を幻術にかけ、幻影を見せることで、現実の見方に何らかの変容を齎したり、カタルシスを体験させる。
     幕が下りれば、死んだハズの人間達は、談笑し、酒を酌むという次第だ。
     一点、残念だったのが、三味線の腕である。もう少し、練習して欲しい。

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