国語の時間 公演情報 国語の時間」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.1
1-14件 / 14件中
  • 満足度★★★★★

    鑑賞日2013/02/25 (月)

    戦慄の低視聴率を記録しながらも、(こちとらも含めた)ごく少数のファンに熱烈支持された、大河ドラマ『平清盛』ご出演の加藤虎ノ介さん。
    映画『パッチギ! LOVE&PEACE』よりも、個人的にはNHK朝ドラで馴染み深い、中村ゆりさん。
    このお二人が主演なされた3時間弱の大作『国語の時間』。日本の統治下にあった戦前のソウル。本来、異国の言語である日本語を「国語」として教えることとなった、当地の教師達を中心としたドラマ…歴史的知識としては承知していた事柄を、(芝居とはいえ)耳目で体感したことは、実に有意義なことでした。脚本家の思いのこもった熱い舞台、観せて頂いたこと、詩森ろばさんに心から感謝いたします。

    でぇ、最後に余計な妄想をばっ!
    終戦後、もし私たちの「国語」が英語にされたら、私たちは一体…案外、サラッと日本語、捨てちゃったのかなぁ?

  • 満足度★★★

    愚直に真面目
    風琴工房ははじめてでしたが、こんなに真面目な作品だとは・・・。
    悪い意味での真面目では無くて、なんというか、こちらが見てて痛くなるくらいまっすぐというか、ちゃんと向き合っているなーと。
    いろいろなことを考えさせられる作品ではあります。

  • 満足度★★★★★

    期待通り
    期待していた通りに素晴らしい作品だった。

  • 満足度★★★★★

    深く萎えつつ考えさせられる
    テーマがテーマだけに、観る前から構えてしまったし、この件に関しては言いたい事もあるし、やっぱり日本人が日本で演じているだけに「加害者」の自己満の謝意で好い気なもんだ感が無いとは言えずノイズになりましたし、感想を書くのに色々フィルターは掛かりましたが、あえてそこは触れずに、純粋に芝居として面白かったです。

    ミステリー要素を織り込み「彼の正体は?と、落書き事件の真犯人は?」が伏線の引っ張りとなり、上記のノイズに惑わされることなく興味が持続しました。

    ネタバレBOX

    やはりあの「分かりません」の一言は主義 主張を越えて重い。このセリフでこの芝居は勝ちです。
  • 満足度★★★

    観終わって複雑
    風琴工房20周年記念舞台は、昨年の「記憶、或いは辺境」に続き、戦前から終戦直後を舞台にした話。
    日本の統治下にあった京城(現ソウル)の朝鮮小学校で日本語教育を行っている。その時はそれが当たり前だったから。
    それを観客に見せつけるかの様に、舞台の板張りの床にも朱色の円が浮かんで見える。
    時代に放浪された所為、とは出来ないが、教える事と伝える事の両立の難しさ、国が主導して教育や人を作る事の複雑さは、現代にも似通っている様にも思える。

    久しぶりに舞台で見た加藤虎ノ介さん、貫禄ついて(太った、とかではなく)立派になっていたなー。
    休憩込みの約3時間。

    ネタバレBOX

    日本語が得意な息子とそれに葛藤する父親の朝鮮人親子。
    母を恨み日本人になろうとした甲斐と、必死に日本語を覚えようとする母。その甲斐の感情的な訴えも日本語の為、完全には理解出来ない母親。
    甲斐親子と朝鮮人親子の葛藤の対比も印象に残った。

    素晴らしい舞台だったけど、久しぶりに観劇後にどんよりとした気分になった。
  • 満足度★★★

    高ぶらず
    劇場もセットも照明も衣装も役者もきれいすぎ。きれいすぎるとうそ臭くなる。ましてや時代が時代なのだから。ほめている方もいるがわたしは言葉と会話の仕方に終始違和感を覚えており役者くらいすべて韓国人にすべきと思った。(役者がダメと言ってるわけではなく役者が韓国人なら私が覚えた違和感も和らいだだろうということ。)「観たい」で今年前半のベスト3に入るのだろうと書いたがあえなく圏外。

  • ………
    おはようございます。今朝も〔観たい〕はおやすみさせていただいて、早速、昨夜出会ったこの舞台から…『国語の時間』。最後列左端から拝見しました………たしかに。この舞台、終幕でしばらく…拍手ができずにいました。いまも、投稿タイトルをつけるところからどんづまっています。強いていえば、tabikujiraさんと同じ『評価することができない。』…となります。出演されている方々、作家さん、演出家さん、いずれも日本人でいらっしゃいますよね。この舞台、歴史そのものではないでしょうか。わたしたち日本人に、描ききれるのでしょうか…そう思ってしまいました。日本には、戦時中、支配してきた歴史があります。この舞台は、支配されてきたひとびとを描いています。世代は異なっても、いまのくらしのなかで、日常意識していなくても、私自身もその業を背負っているのだろうし、海をこえたところからは、そうみられているのでしょう。だからどうだといわれても、ただとまどうばかりで…。私も、『この事実は「わかった」、「わかったような気がする」などということは出来ない。』(あえてなぞらせていただきました)…とおもいます。たちすがたのちからとか、作・演の質とか、美術や音響・映像・照明の技術とか、そんなことはみるひとがみればいわずもがななので、ふれる必要もないと思います。ただ、この舞台、日本人が描いて、彼の地のひとびとにもつたわるのでしょうか。おなじく業を背負うさだめにあるひとりとして、…疑問におもいました。……ただそれだけでした……

    ネタバレBOX

    途中10分の休憩をはさむとしても、2時間50分。そして、事実を描いている舞台なので、極めて重い舞台です。展開は乱高下せずにフラットなまま最後まで重いことばがつづきます。舞台をはじめて御覧になる方々にはかなりこたえるのではないかと感じました。また、こうしたテーマはすでにドキュメンタリーなどで事実の映像として御覧になっておられると思います。昨夜客席におみえの方々のうち、終幕までおられた方々はセカンドコールをもとめていたように感じましたが、私の目の前の列に座っておられた方は幕があいて十数分で退席されていました。また、途中休憩で戻られなかった方もおられました。うけとめる方々によってことなる舞台かとおもいます…
  • 満足度★★★★★

    創り手の志を感じる
    大日本帝国が、かつて朝鮮の人々に日本語を「国語」として強いたという事実、
    それがどういうことなのかを、想像力の欠如した私たちにがつんと見せてくれる。
    美しい舞台美術が忘れられない。
    市井の人々の人生に寄り添うような、作家の共感と切なさが溢れる舞台だった。

    ネタバレBOX

    劇場に入ると舞台に浮かぶ円形のスペースに目を奪われる。
    切り取られたように丸い教室はもちろん木の床、
    小学生用の小さな机と椅子が20個ほど整然と並べられている。
    舞台奥、正面には天井まで届くガラス窓があり
    教師が舞台手前の教壇でエア黒板に板書すると、
    その文字がガラス窓に映し出される。

    京城(現ソウル)の小学校で、
    日本語を国語として教えなければならなくなった朝鮮人教師たち、
    朝鮮語を禁止され日本語で話すことを強要される人々、
    日本語を巧みに操る者が生き残れる世の中になってしまった混乱と反発が描かれる。
    創氏改名により全員日本名を持っているが、登場人物はみな朝鮮人である。

    総督府の役人甲斐壮一郎(加藤虎ノ介)は朝鮮人の同化政策に非常に熱心だが
    実は彼はパクガンヒという朝鮮人だった。
    ハングルが読めないコンプレックス、子どもの頃の母親との確執と別離を抱えて
    出自をひた隠しにしている。
    死んだと思っていた母(峯岸のり子)がこの小学校で国語を学んでおり、
    それは探している息子に手紙を書くためだと知る。

    柳京子(中村ゆり)はこの小学校の朝鮮人教師。
    同化政策に戸惑いながらも厳しい現実に直面するにつれて変わって行く。
    母親の治療費を得るために校長の妾となり、過激なまでに国語教育に熱心になる。

    丸尾仁(松田洋治)は“おわいや”をしながら必死に息子を育てている。
    日本語を学ぶがあまり上達しない。
    息子の哲(大政凛)の方は非常に優秀な小学生だが、
    禁止されているハングルの落書きをして回るという密かな反日行動をしている。

    加藤虎ノ介さん、抱えた秘密の大きさに比例するように
    同化政策を推し進める役人が見事だった。
    出自が明らかになってからは、それまでの態度が
    恐怖を振り払うため、自己を肯定したいがためだったと解る。

    中村ゆりさん、はかなげな美しい容姿が強靭な精神力を合わせ持つギャップを見せた。
    日本人になろうとして、その日本が負けたことで
    すべてをあきらめたようなラストシーンが辛いほど強烈。

    松田洋治さん、オーバーアクト気味ながら実にリアルな日本語。
    私は日本語学校で外国人(韓国の方も含む)に日本語を教えていたが
    第二外国語が拙ければ拙いほど母国語のアクセントが強く出るものだ。
    熱くなると追いつかない表現がもどかしくて、ボディーランゲージが大きくなる。
    松田さん始め、皆朝鮮語のアクセントそのままの日本語がとても上手くて関心した。
    作者の小里清さんも一時演劇から離れて日本語教師を志した。
    そこで学ぶうち、ある教師の言葉が印象に残ったという。
    「語学教育は他者を同化する危険性をはらんでいるから慎重にならなければならない」
    という意味の言葉で、これが作品のひとつのきっかけともなったそうである。

    ラスト、日本の敗戦が決まった後民衆が小学校を襲う場面の
    怖ろしくも美しい演出が秀逸。
    死を覚悟した柳京子が身じろぎもせずに座っている。
    投げつけられた石でガラス窓の割れる音が、まだ聴こえるような気がする。
    30代でこの作品を書いた作家に心から敬意を表したい。



  • 評価することが出来ない。
    民族、国家、権力、支配、ナショナリズムなど、いろいろなことが頭をけけめぐった。
    「日本語」ではなく「国語」。
    この事実は軽々しく「わかった」、「わかったような気がする」などということは出来ない。

    現在も、「支配」されている人たちが、世界中にいる。
    「人」とはなんと愚かな生き物なのであろう。

  • 満足度★★★★

    やがて哀しき…
    時代に翻弄された市井の民の頑迷、愚鈍、悲哀といったところでしょうか。
    美術は思わず「おっ!」って感じだね。
    松田洋治はオーバーアクトかな。
    中村ゆりは何度か観てるけど、今回が一番美しかった。

  • 満足度★★★★

    悲しき国語
    面白い。

    ネタバレBOX

    日本統治時代の京城(ソウル)。創氏改名や朝鮮語の禁止という時代。とある学校に朝鮮人教師実習生がくる…。

    甲斐壮一郎(加藤虎ノ介)…日本人。総督府の役人。実は朝鮮人で日野の子(日本で言うエタ)。朝鮮語の読み書きができない。
    柳京子(中村ゆり)…教師。母が病気でカネを稼ぐ必要性からか校長の妾になる。日本への同化政策に熱心。日本の敗戦でも笑顔はなかった。
    根岸(栗原茂)…副校長。たまに訛る。落書き事件をもみ消そうとした。
    張本(佐藤拓之)…共産党員。官憲に捕まり投獄されるも、党員をやめる。
    千代田(斉藤悠)…同化政策に賛同し、日本人として認められたとして、戦地へ行けることを喜ぶ。
    木之下(酒巻誉洋)…副校長へパナソニック製ラジオを贈る。共産主義者。
    哲(大政凛)…日本語が達者な生徒。日本語に不自由な父を煙たがる。落書きの犯人。
    伊藤(清水穂奈美)…甲斐の婚約者の女中。甲斐が朝鮮人であることを知ってた。
    金村(仗桐安)…生徒の親で警察官。張本を追いかける。
    日野(峯岸のり子)…生き別れた息子へ手紙を送るため日本語を学ぶ。昔は男に会うため夜な夜な息子を置いて遊びに出ていた。
    丸尾仁(松田洋治)…哲の父。汲み取り業務につくエタ。哲の卒業に対して黒板に日本語でおめでとうを贈る。

    同化政策に困惑したり反発したりする朝鮮人の群像劇。
    甲斐は家庭のゴタゴタというバックグラウンドをもち、「朝鮮語」に対してコンプレックスを燃やす。手紙を読んだ日野に当時の想いをぶつける甲斐だったが、甲斐のしゃべりが早くて聞き取れなかったという日野に失望する。言葉が通じず、心も通じないその不幸が舞台に充満する。
    柳は病気で精神的にも病んでいる母の負担を抱えて、同化政策に同調し校長(日本人?)の妾になる道を選ぶ。というか選ばざるを得なかった。そして、日本が戦争に敗ける。「解放」を喜ぶ朝鮮人らを尻目に呆然とする柳。身もココロも削ってきた人生が一気に無意味になった不幸が悲痛でならない。

    甲斐は朝鮮の名を消そうとし、柳は朝鮮の血を消そうとする。その二人の不幸がビシビシ伝わってくる秀作だった。
    二人に共通するのは貧困か。カネがあったら二人の人生はどうなっていたろうか。同化政策(朝鮮支配)という表面の事象の裏にある、普遍的な不幸を静かに提示してくれた。

    舞台の質感や照明の具合や小道具など、出来の良さが出演者の演技を引き立てる。特に、ラスト、柳が独り教室にいて石を投げ込まれるシーンの窓ガラスが割れる映像はとても上手かった。ここのシーンの中村ゆりはとても美しかった。

    声が若干聞き取りにくい。また、サイド席は人物が被ったりして観にくいと感じることが度々あった。演者が近くていいけど、いい場面でそれだとストレスになる。
  • 満足度★★★

    重たい荷物を渡されたような
    いろんな思いがグルグルとエンドレスで渦巻いている。
    国とか個人の思いとか言葉とか親子とか・・・。
    お気楽に生きている身には、問題提起が手に余る。

    ネタバレBOX

    丸く切り取られ、浮いたような舞台で
    客席は3方に設けられていた。
    わたしは正面上手の端で、役者が出入りする入り口の脇。
    舞台からはみ出した位置で、斜めから舞台を見る形だった。
    遮るものは何もないので、見辛いことはなかったが、舞台から遠いという印象。
    役者が背中を向けると台詞が聞き取れないところが沢山あった。

    わたしたちの国がこれを行っていたと思うと
    どんな顔をして受け入れていいのか、非常に居心地が悪かった。
    歴史劇と思えばまだ救われるかもしれないが、あまりにも近しい過去だ。

    この時期にこの内容の演目を上演することは素晴らしいことだと思うが、
    登場人物に感情移入する事ができず、感想が書きづらかった。




  • 満足度★★★★

    国語の時間
    舞台は終戦前のソウルの日本語学校。「差別前提の植民地政策で30年経てば、発語を禁じられた言語は消滅する」ことをリアルだと思えた。つらいし苦しい。小劇場劇団規模で上演されたことをありがたいと思う歴史劇。震災と原発事故で引き裂かれた今と重ねざるを得ない。上演時間は休憩10分込みで3時間弱。

  • 満足度★★★★★

    その後も気になる
    日本の統治下で翻弄された朝鮮の人たちの、それぞれの温度差と、温度差によって発露される行動の差異を見ました。

    ネタバレBOX

    日本による統治約35年の最後の5年ほどを日本語を教える教室を舞台に描いた群像劇。全員が朝鮮人。

    どのような世代にも様々な考えがあったのでしょうが、この学校では20代の教師ほど日本人になりたがっていて、男は軍隊に入ることで真の日本人になろうとし、女は日本人との子を生むことで生物学的に子孫を日本人にしようと考えていたのが興味深いところでした。もう少し上の先生は反日、教頭クラスになると本音と建前を使い分ける老練さがありました。

    時々日本などからよその風を持ち込んでくる卒業生のチャラ男の存在、変化がいいアクセントになっていました。最初は日本での成功を夢見たりしながら、兵役忌避、最後は民族運動に加わろうとしました。

    朝鮮総督府の役人甲斐壮一郎がパクガンヒという朝鮮人だったという事実は衝撃でした。日本語の訛りを執拗に指摘したり、朝鮮語の落書きを異常に憎んだりしていたのは役人としての使命感故かと思っていましたが、ハングルが読めない彼の劣等感を覆い隠すための反動の現れでした。母親に捨てられるかもしれないと思った幼少時の恐怖から始まる彼の一連の半生、日本にいるであろう息子に会いたいがために日本語を勉強する母親の姿はもう一つのドラマでした。

    日本による統治35年の内、最後の5年ほどで、創氏改名や朝鮮語による授業の禁止など極端に民族を否定する動きがあったことが分かりました。考えさせられます。

    彼らの戦後、特に女教師柳先生の行く末が気になります。

    ところで、日本から買ってきたラジオを教壇の机に載せていきなりスイッチを入れる、これはまあ許せるとして、感度を確認するために色々傾けながら廊下をあちこち歩き回る、ここまで来るとそんな長いコードがあったかいな、そもそも乾電池式じゃないんですよ、コンセントに挿してからスイッチを入れてくださいなと言いたくなりました。

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