かもめ来るころ 公演情報 かもめ来るころ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 満足度★★★★★

    「かもめ来るころ」、横浜でも、観ました
    「かもめ来るころ」を観ました。10月10日の初日、一番前の席で観ることが出来ました。舞台を観た後の感動は、映画のそれより何十倍のものだと実感しました。そばで観ることで、出演者と同じになれそうな空気感、やみつきになりそうです。
     この舞台を観て、いろいろと考えました。
    「うちはあんたのために生まれてきたようなもんやなぁ…」、この台詞はパンフレットにも書いてあり有名ですが、印象的な台詞が他にもありました。周防灘の豊前火力発電所の建設に反対運動する中、賛同者が2人になった時、竜一が「残ったのはたったの2人だけじゃ」と言った後、洋子がすぐに「2人もやろ」、「2人も残ってくれたんやろ」と。何か普段の生活の中で、マイナス思考の自分にとって、身につまされる言葉でした。「だまっていたら賛成と同じことなんや」、「便利を知ってから、不便ということばが生まれた」等、考えさせられる台詞が沢山あり、ズシンと心に残りました。
     それにしても、劇を演じきるプロの俳優のすごさ、感嘆の一言です。この舞台はほとんど2人だけの会話で成り立っているので、特にそう思ったのかもしれません。お二人とも、市井の人々を見事に演じきっていました。音楽、照明どれも最上のものでした。終わった後、四方からすすり泣く声が聞こえてきました。
     11月10日の公演は高橋長英さんご出身の地、横浜でした。10月の亀有の時とは違い、2人の挨拶がありました。高橋さんが「これからも長くこの劇をやっていきたい。例えば学校で…」、とおっしゃっていました。本当にそうなって欲しいです。最後は10月と同じように手をつないで帰って欲しいと思ったのは私だけでしょうか。
     「環境権」、この言葉、そういえば以前はよく報道されていました。今は、ほとんど耳にしません。残念です。初めて知ったことが他にもあります。竜一さんがチェルノブイリの事故後、東京大学の入学式で挨拶する機会があったようです。「今、日本で原発の事故が起きたら大変なことになる」と話されていました。まさしく、今の状況を予想されていたのです。昨年の3月11日の震災、津波、原発事故、環境問題もこれからまだまだ心配なことばかりです。環境問題に関心がある方にも是非観てもらいたいと思いました。
     11月17日(土)には、鎌倉生涯学習センターで「祝の島」の上映があり、斉藤とも子さんも話す機会があるとのことです。
     公演が終わり、斉藤とも子さんが旧知の方々と懇親を深めている姿を拝見しました。その様子からも、お人柄の良さが分かった気がしました。来年封切りの映画「永遠の0」、「アオギリにたくして」に出演され、また、1月23日(水)からは舞台「熱風」にも出ると聞きました。
     未来への希望は、一生懸命生きている人を身近に感じることで生まれます。演劇をみることはまさしくその作業に当たります。今までの人生を、精一杯生きて来た人々の素晴らしさを知った2日間でした。

  • 満足度★★★★

    映像的な表現が良かった
    史実は目が離せない迫力がある話でありました。
    夫婦の仲睦まじさが心温かくする二人芝居。

  • 満足度★★★

    初演と再演の間には、2011年3月11日が横たわる
    九州に建設された火力発電所反対の運動にかかわってきた、実在の人物を描いた作品。
    しかし、舞台としての面白みには少々欠ける。

    ネタバレBOX

    タイトルとか、フライヤーの写真とか見ていると、老夫婦のちょっといい話なのかと思っていた。
    が、少し違っていた。

    松下竜一という実在の人を描いた舞台だった。

    豆腐屋を営んでいた松下竜一は、短歌からエッセイを書くようになり、豆腐屋をやめて、作家として生活していく中で、公害を知り、九州にできる火力発電所反対の運動にかかわっていくことになる。
    そうした彼の姿を、彼の妻とともに描いた作品だった。

    この作品は3年8カ月ぶりの再演だと言う。
    初演と再演の間には、2011年3月11日が横たわる。
    したがって、この作品の後半で述べられていく火力発電所建設反対の意味も、観客にとって大きく変わってくる。

    確かに、そういう意味では興味深い物語ではある。
    しかし、舞台としての面白みには少々欠ける。

    すなわち、オープニングとエンディングは別として、松下竜一とその妻の話が、あらすじのように、説明されていくだけなのだ。

    特に後半では実際の写真や彼の肉声まで流れる上に、基本、妻のモノローグが物語の中心となっているのだ。どうもこれでは舞台として面白くない。
    役者の再現ビデオを交えながら、その人と業績を紹介していく、ドキュメンタリーの映像作品のような構造なのだ。
    ラストは、彼がその後どうなったのかが、字幕で示されるに至っては、そういうことを含めて、舞台作品にしてほしかったなあと思った。

    この作品と同じく、ふたくちつよしさんが、作・演した『一銭五厘たちの横丁』と、この作品は似たようなアプローチであり、演出方法なのだ。
    『一銭五厘たちの横丁』のときはそうした写真などの実写が大いに生きていたのだが、今回はそうはならなかった。もっと大胆に脚色してもよかったのではないかと思うのだ。モノローグはもっと減らして。

    舞台は、高橋長英さんと、斉藤とも子さんの2人芝居。
    50歳になるはずの斉藤とも子さんは、19歳の妻から演じるのだが、若々しくって驚いた。うまいなあと思う。かたや、30歳の竜一を演じる高橋長英さんは、少し無理があるようだ。動きがなんとなくお年寄りなのだ。しょうがないけど。やはり味があってうまいとは思うのだが。

    竜一の作った短歌が、暗転・セット換えのたびに幕に映されるのだが、後ろの席からだと読みにくい。出すタイミングも失敗していたりしているし。
    全体的にあまりにも暗転が多すぎるので、テンポが悪く感じてしまうのはもったいない。

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