満足度★★★★★
無題417(12-160)
14:00の回(晴/夏です)。受付時間がわからなかったので早めに到着、3階へあがると待っているようにということで...で、受付が始まってから開演まで少々行き違いあり。舞台は...四角い椅子が4つ(2つずつつながっている)だけですね。客席最後列の後ろにカメラが3台、左右のキャットウォークにマイク。初めて見たのですが、「活動紹介」を読みますと「小道具を排除」「影絵」「シルエット」という語がありました。劇中、藤城清治さんの作品(一度、原画展に行ったことがあります)を思いだすわけです。現場に集まってきた「それぞれを背負っている」者たちが「監督」の磁力に魅かれ、グラデーションを繰り返し、美しく輝くようになるまでが、型と色と動きで演じられ、オーロラのような背景に浮かぶ黒い像として結ばれる。それはただの影ではないことを観客のわたしは知っている。
満足度★★★★★
幻
優れた舞台というものは、観客に一瞬、イリュージョンを体験させるものだ。役者の演技、シナリオの緊密さ、音響効果、照明などは其々の装置と言えるかも知れない。然し、それがどんなに優れていても個々に、独立して動いているだけではイリュージョンは生まれない。息詰まる緊迫感や感動の嵐が、緊張の余り途切れる一瞬前の状態を持続し得た時に、それは起こるべくして起こる。総ての要素が混然と一体となり新たな次元で結晶する。その結晶こそイリュージョンの内実である。今日の舞台ではそのようなことが起こった。
シナリオの良さは、無論のことだが、その内容に役者の命を吹き込まれ、観客を巻き込むと劇空間は沸点に達する。シンプルだが深い照明、感興を盛り上げる音楽、俳優一人一人のほとんど自然とみまがうような表情、声音と間、観客の押し殺し固唾を呑み緊張を孕んだ期待が、劇空間を坩堝にする。あるポテンシャルを越えるとイリュージョンは一気に結晶化する。そしてイリュージョンが立ち上がる前までと後を一変させ、世界を更新してしまうのだ。