実演鑑賞
満足度★★★
いくら教科書に出てくるからと言っても一般には殆ど知られていない中世末期のポルトガル神父フロイス〔風間俊介〕を主人公にした一代記である。キリシタン殉教記では西洋にも認められた派手な殉教物語りがいくつもあるから、井上ひさしもラジオドラマにするときは他に手がなかったのだろう。
ラジオドラマ〔当時の名優揃いである〕は再び聞く機会もないだろうが、往復書簡形式をとったと聞けばなるほどと思う。結局井上自身は舞台劇化はしていない。今回の公演クレジットを見ると、井上ひさしの名は解説には出てくるが、フロイスを主人公にと考えたラジオの企画担当者も出てこない。これなら、元本の膨大なフロイスの「日本史」や「殉教史」を元に、作者が師匠を忖度しないで自由にフロイス傳を書いた方が面白かったのにと思う。全集本でもひっくり返せば、ラジオドラマのテキストは出てくるのではないかと思うが、この舞台で井上ひさしの果たした役割がよく分からない。
いかにもひさし好みの村の若い女〔川床明日香・好演〕や戸次重幸〔日和見の惣五郎〕も抑えめである。井上好みの歴史に手を突っ込んでかき回す面白さがない。演出は材木で囲んだ一杯の抽象セットで時代劇を成立させ、そこでのステージングもそれは見事なものだし、作者もよくまとめたと思うが、まぁここまでと遠慮したところも見える。それが煮え切らない副題に現われている。
二幕で休憩入りで2時間40分。とにかく過不足ない出来なのに、劇場が暖まらないのは素材のせいばかりではない。井上ひさしは死後には主人公が胴切りされて吊り下げられる「薮原検校」のような残酷無比の代表作だってあるではないか。このフロイスこには井上らしい思いっきりの良いドラマがない。そこは、当然、作者が違うからである。忖度ばやりの世相はここにも反映している。なんだか、故人の聖人化で後味は良くなかった。
劇をと言うこまつ座なら、小説の劇化をもっと自由に試みたらどうだろうか。誰がやったとて故人の作品の名声を損なうことはないだろう。
実演鑑賞
満足度★★★★
少年時代にフロイスが見たユダヤ人の処刑から話ははじまる。火あぶりの直前、ザビエルが告解を聞き取り、ユダヤ人は処刑されたが救われた。この話がラストに思い起こされる。
九州から京に上り、信長と面会。しかし秀吉はキリスト教を禁止し、フロイスは長崎へ。二十八聖人の殉死もおきる。
フロイスは「日本人は主人は家臣を殺してもとがめられず、父は子や妻を殺すことができ、女は一番下。この国では命は軽い」などと書き送る。欧米人の日本報告というと、知性や礼儀に感心したものが多いと思っていたが、フロイスは少し違ったらしい。知性や礼儀についての報告は幕末に多いのかもしれない。
フロイスの風間俊介は「導く人」なので、あまり感情的にならない。感情的なのは、下女のかや(川床明日香)に露骨に好意を寄せられて、わざと距離を置くところくらい。
武士・道之助は、九州ではやけに騒々しいが、フロイスを監禁しているようにも見え、よくわからない。そのごキリシタンになったらしく、フロイスに従うが、京でキリシタン追放令が出て襲われた時、信徒がさかわらず死んでゆくのを見て「布教の敵は邪教の教えではない。甘美なる死だ」と気づく。その後、朝鮮出兵に参加し、鼻を削ぐ戦場の地獄を見て「神はいない」と嘆く。この嘆きは真に迫る痛々しさだった。
商人・惣五郎はトリックスターのように、他の人物とは異質の存在。キリスト教徒なのに、武器。火薬の商売で儲けるのも「俺がやらなければ誰か別の人がやるだけ」と平気。二十八人の処刑を前に、「聖人の遺骸は高値が付く」「その血を布にしみこませろ」と、悲劇も商売の種にしてしまう。演じる戸次重幸は明るくカラッとやって嫌味がなかった。
いつものこまつ座より笑いは少なめ。なかなかスタティックで難しい題材に取り組んだ挑戦作である。
2時間40分(休憩15分含む)
実演鑑賞
満足度★★★★★
鑑賞日2025/03/12 (水) 13:00
座席1階
見応えのある舞台だった。井上ひさしがラジオドラマ用に執筆したという台本「わが友フロイス」を長田育恵が新たに戯曲化。織田信長の信任を得たというイエズス会の宣教師フロイスの半生を生き生きと描いた。フロイスを演じた風間俊介が秀逸だった。
説き起こしは、フロイスが子ども時代に体験したユダヤ人の処刑。これが最初にあることで、ラストシーンの問いかけが強烈に浮き上がってくる。現代の戦争、当時のいくさ。この残虐性に宗教がどう立ち向かっていけるのかを、長田の脚本は問いかけている。考え抜かれた秀作であると思う。
栗山民也の演出もシンプルかつ重厚で、宗教自体が持つ残虐性に十分な光を当てている。光と影をうまく使って脚本のポイントを浮き上がらせたのは見事だった。
こんなことを書いては失礼だが、どことなく優しげな雰囲気があると思っていた風間俊介がこれほど印象深く鋭い存在感を発揮するとは思わなかった。年齢を得てベテランの力が増していったのだろうと思う。長せりふにも臆することなく、堂々と舞台の中心に鎮座した。こまつ座は初出演とのことだが、次の登場が待たれる。