実演鑑賞
満足度★★★
シンプルな舞台に、華やかな衣装。
結構雑多に猥雑に色んなシーンが連続して、ダンスやアクションもある。
身体表現も素敵だったり。
割と自分好みな路線のはずなのですが、淡白で単調な印象が最後まで拭えなかったかな。
実演鑑賞
前作「ヘルマン」に続いて、ダンス等の異色の試みを見たさに今回も出向いた。前作が「何故今ヘッセか」の解答を得たくて得られた気がしなかった感想と、今回は「何故今回これをやったか」の答えがやはり自分には見えなかった点で、似た後味であった。インド舞踊がある種の高揚をもたらす「効果」は実感したが、少女にとって「神」(一神教の神でない)が一つの媒介となって世界へ足を踏み出す支えとなった、という所の説得力が私には今ひとつ迫って来なかった。神を巡る議論については、一神教(ユダヤ~キリスト教)での様々な神学論争が実は現代においても存在し、人間に目指すべき世界像の指針を示そうとするもの、との期待に神学は応えようとしている事を知る自分にとっては、甘い議論にはケチを付けたくなる。一神教も多神教も「人間が生み出したもの」であるが、一応建前としては「神が先に存在し、人間は神によって作られた、もしくは神より劣った存在として生まれ、試練を課せられている・・といった具合に神との関係を整理する。そういう用い方をするために人間は神を作り出した、とも言える。
例えば人は自分の化身を持っており(ヒンズーで言う所のブラフマンであったり、何とかであったりが劇中に出て来る)、そういう存在がある、という自己相対化が如何に身を軽くするか、というのは仮設として分かる気がするのだが、新興宗教も一つの信仰のあり方を提供しているんじゃない?という所に結びついてしまう。ただ新興宗教の弊害は組織の体質であり儲け第一主義が蔓延るからで、純粋に信仰のみを問題にすれば(オウムさえも)それはそれでその有効性を見出す事もできる・・となる。また別の見方をすれば、劇に登場する神々を、歌舞伎町のとあるゲイバーのコミュニティに置き換えても成立する、という気がする。私は未経験だが、想像を逞しくすると、男女関係も含めた「利害」を超えた関係性が築けるから、ある人たちはそこへ集うのでは・・と思う。少女が出会う相手はヒンズーの神々である必要があった、とまで言える何かが、やはり欲しいと思う。それがこの作劇に対する感想で、私的にはやや淋しい観劇であった。
実演鑑賞
満足度★★★★
5年前に大爆笑した(毎回だけど)カプセル兵団の「超外伝アクティブイマジネーション朗読劇『インドの神の物語』<ヴェーダ聖典の神々>」を思い出した
神々のダンス面白かった
シンプルな舞台だけど、プロジェクションマッピング上手く使われてた
上から人が降ってくるところ、上手く映像と実物が組み合わされてたな
キャスト皆踊れるね
アクションもなかなかのもの
インドの女神達のキャバレーのシャンパンタワーならぬ焼酎タワー(大関のワンカップで作ったタワーにいいちこ注ぐ笑)面白かったな
実演鑑賞
満足度★★★★
舞台の上がいつも整理されていて、とにかくサマになっているのは川村毅の舞台の特色で、それを素材やテーマに即してさまざまに見せてくれる。今回はテーマが多様化時代の異文化との遭遇である。日頃日本からは遠いインド文明との遭遇を、演劇とダンス{舞踊}を使って解きほぐす。解かれるのは「西欧や日本ともまた違う何でもあり」の「多様性の豊かな異文化・インド」である。テーマとしては面白いが、インドを説くのはちょっとやってみました、と言うのでは歯が立たない。かつて日本人でインド文化に取り組んださまざまの文化人がいて、伝記も残っているが、みな、辛うじて一端をかじりましたという程度に終わっている{ように感じる}。これぞという交流も仏教ぐらいか。日本の対極にあってエネルギーの量が違う。
この舞台も、大きくホリゾントに張った、スクリーンにガンジス川のステールが映し出され、それが主人公{マーヤ・酒井美来}の父が残した写真の作品で、そこからマーヤの異文化探索の旅が始まり、様々なインド舞踊が{主に群舞}が繰り広げられる。写真の選択も並べ方も、群舞への入りも振付
{中村蓉}もきれいにきまっていき、見ている間は気持よく珍しいインド文化をみてしまうが、さて、多様化時代の文化接触や交流がこれで進んでいくのか、何か成果がありそうだ、とは見えなかった。奥が深そうに見える、やっぱりインドは対極だな、と感じた。1時間半。