実演鑑賞
満足度★★★★
「世界の果てから…」という題名が適格であったかどうかは疑問があるが、現代ニッポンへの警笛は同感の念を抱きました。
上半身、下半身という表現をアフタートークで鈴木さんも遣っていらっしゃいましたが、机上の空論と足が地に着くことの対比なのだろうか?
演劇がエンタテインメントと名を代えて久しい感があるが、演劇の精神が宿る作品は、今やSCOTに期待するしかないのだろうか?
そんな風潮もまた、現代ニッポンの病巣なのかも知れないと思いました。
鈴木さんのトークでの「充電」と「放電」には我が意を得たりという思いがしました。
行政は、これをやってはいけないという【不利益規則】は作るが、可能性を狭めてしまっていることには留意などしない。多様性を抑圧している。
全くだと思いました。
『ハラスメント』に対する意見を演劇で見せてほしいと強く思いました。
実演鑑賞
満足度★★★
勝手な先入観から糞つまらない演劇との偏見を持ち、吉田喜重、実相寺昭雄的なものを想像していた。観念だけで中身空っぽの評論家向けのお遊びを。自分でモノを考えられない連中は保証書付きのブランドに群がる。ステータスと肩書とに。だがそれはある意味とても健全なことだ。世界には秩序が必要。どれだけ自分でモノを考えなくていいかを競っているような世の中だ。それはそれでとても正しいことなのだろう。
そんな気分でいざ観てみるとピスタチオの漫才のようなシュールなコント。金屏風をバックに下半身だけ下着姿(上半身と下半身とが別人格の表現)の登場人物達が車椅子で登場。真剣に日本論日本人論を語り合う。各自自らの足で車椅子を移動させるのだが舞台を踏みしめる足音に拘りを感じた。口を左側に歪めて伝統芸能(狂言)のような低い声色で全員が会話。「にっぽんJIN」とジンの部分に強いアクセント。どうやら近未来の日本は巨大な病院となっているらしい。
平野雄一郎氏は中村獅童を老けさせた感じ。
長渕剛っぽい人もいたが名前が判らない。
女性6人組ダンサー・グループ「パンプキン」が大活躍。病院に慰問に来たような設定で見事な踊りを披露。女性の顔がプリントされた謎のうちわを右手に持ち、女版『純烈』のよう。ロリータ・ファッションの熟女達という出で立ちは現代日本への皮肉か?一番上手の女性が気になった。彼女達二曲のダンス場面が鮮烈。
凄く高尚に下らないことをやっている。
SCOT=Suzuki Company of Toga
1976年、鈴木忠志氏率いる劇団「早稲田小劇場」は富山県東礪波(ひがしとなみ)郡利賀(とが)村に移住。(現在は合併して南砺〈なんと〉市利賀村に)。山間の過疎村に建てられた劇場、稽古場、宿舎は後に「演劇の聖地」として世界中の演劇人が訪れる巡礼の地となる。来年で50周年。俳優訓練法「スズキ・トレーニング・メソッド」は世界的評価を受ける。
「利賀」と聞くと「三里塚」みたいに左翼の小難しい口うるさい老人のイメージを連想していたのだがどうやら全くの誤解だったようだ。
勿論居眠り客は沢山いた。結構熱心そうなファン程眠りに就くのは永遠の謎。
「これで吉祥寺で演るのはラストになるかも知れない」と鈴木忠志氏85歳。観るなら今回しかないかも。