カリギュラ 公演情報 カリギュラ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2025/02/14 (金) 19:00

    カミュによる本来は3時間級の戯曲を圧縮して90分余に圧縮。
    事前にWikipediaで予習して抱いた疑問が氷解することはなかったが(自分なりの解釈で)理解が少し深まったような気はした。
    また、作者であるカミュを登場させるという高木作品お馴染み(?)の手口には頬が弛み、紗幕を使った舞台表現/演出に大きく頷く。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    オフィス再生の「正義の人びと」でも作家役で登場していた長堀氏がタイプライターの前で語り始め、そう言えば・・と。題名だけは大昔から(カミュ作でお馴染みの文庫版もあったし)耳馴染みのある「カリギュラ」の内容は全く知らなかった。女優が扮したカリギュラの独白が、権力者の孤独、人間の真実、哲学的難問の領域に踏み込んだ事を台詞の端に滲ませる。「カラマーゾフの兄弟」(未読だが)で問われる「全てが許されるとしたら、人間は・・」という仮想の問いを実地検証できる絶対権力者は、何を選択するのか・・この問題設定をストーリーから汲み取るまでにやや時間を要した。大量の書物が置かれたサブテレニアンの黒い空間、紗幕の使用等、演出が勝ったステージであったが、この劇場の客席の最上段(一列目、二列目、三列目まで急峻な傾斜がある)に座ると、俯瞰の目線となり、趣向が「見えてしまう」ので少々戸惑った。
    今少し低い目線で役者や物たちを水平に眺める想定で、演出が施されたのでは、と推量した。立体的な視覚情報が、役者の台詞への集中を幾度も途切れさせたような。(単純に自分の身体条件によるのかもだが..) 
    その点が見終えて惜しく思った部分だが、最後には高揚をもたらしていた。そして(例によって)原作を読みたくなった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    面白い、お薦め。満席
    未見の演目「カリギュラ」、本来であれば上演時間3時間位の作品らしいが、それを1時間35分に凝縮したという。事前に難しそうな戯曲だと分かっていたが、本公演は 分かり易さを目指し、創意工夫を凝らし新しい翻訳で挑んだとある。不条理劇は、今まで何作品か観てきたが、本作は その中でも重厚にして濃密 そして心に響く秀作。

    説明にもある「どうしてカリギュラが月を手に入れたいのか」「その宣言が自分の名なのか」という根本的な疑問、それを漂流するような会話(言葉)から だんだんと浮かび上がらせる。自分の解釈が正しいのか否か、少なくとも その入り口までは導いてくれるような。そこから先は、観客の想像力・感性に委ねられるが、舞台という虚構にも関わらず 激しく心が揺さぶられる。そんな 力 のある公演。観応え十分。

    自分なりの解釈では、不条理 対 不条理 その捉え方 考え方の違い。その相容れない溝に横たわる得体の知れないもの、それは本能なのか感情なのか、いずれにしても 理性を飲み込み良識や常識を殺してしまう怖さ。それは誰が誰をという対立のように見えて、実は…。そもそも良識や常識といった条理とは何ぞやという根本をも問う。

    「月を欲する」「宣言が自分の名」の疑問以外に、「正邪」「孤独」「生死」等の命題というか意味を投げかけてくる。その議論が広く深く考えさせる。抽象的とも思える内容、その議論の積み重なりを象徴するかのような舞台セット。そして音響・音楽(上演前の重低音の曲 含め)そして照明が効果的で印象に残る。勿論、俳優陣の演技は確かでバランスも良い。
    なお、自分の勝手な思いが1つあるのだが…。
    (上演時間1時間35分 休憩なし) 2.17追記

    ネタバレBOX

    舞台美術は、上手/下手に紗幕があり 上手は劇中のカリギュラの個(寝)室、下手は原作者 カミュの書斎、タイプライターを打ち 独白。この自作を俯瞰するような場面が妙。中央奥にベンチ その両側に本を積み上げ、板(床)上にも至る所に本の山。これは法・秩序や常識を表しており、冒頭 カリギュラがそれを崩すことによって不条理の世界へ という象徴的な場面が印象的だ。
    衣装は、大臣などは黒一色、カリギュラの側近は赤基調、当のカリギュラは内に黒、上着は赤という条理・不条理という二面性を表しているよう。

    生の喜びは いつも死の怖れであり、死は忌み 生は尊い。その感情を出発点とすれば、カリギュラが愛した妻で 実の妹ドリジュラの死は受け止めがたい。カリギュラにとって人の死は不条理。死は突然やってきて人の幸せを奪う。その不安に苛まれることも不条理の感情、一方 この不確定 幻影を断ち切ることが出来るのは死しかないという矛盾。
    人が死という絶望を超えて 永遠性を求めた時、カリギュラになる。理性が崩壊し そこには正義・秩序そして合理的な感情は無になる。死は必然、その不条理を受け入れ 生きている間だけでも条理を尽くす。その条理・不条理を併せ持っているのが 生きている人間、言い換えれば 自分自身の内にカリギュラがおり、絶えず自己対立や対決をしているのではないか。

    「月を手に入れる 俺はカリギュラだ!」…天空にある月を掌握することで、自分が神になる。神が人間を創ったのなら、自分が神になって不条理=死を無くす。不可能を可能にするのである。そのためには、この世にある条理を壊す…皇帝(権力者)として勝手な法律を制定し、虐殺と理不尽な圧政を強いる。カリギュラの圧政に対する反乱、しかし、カリギュラ曰く「誰も自分を裁くことなど出来ない、それが出来るのは歴史だ」。

    考えてみれば、神だって近親相姦をし、「ノアの箱舟」にある大洪水による殺戮、「バベルの塔」を破壊し人を殺傷し言語の複数化という事態を引き起こした。本作も神のそれに比べれば、自分の不条理など大したことはない。説明にある「自分がもつ権力を神と対比し、カリギュラ自身の『論理』を力づくで正当化」する。独自の論理を持ったカリギュラ、意味合いは少し違うが、そのラストは 滅びの美学を思わせる。そう思わせる演出・舞台技術が実に上手い。

    自分の勝手な思い…本公演は、カリギュラの寵愛を受けている詩人だけが男優で、それ以外 カリギュラも含め全て女優で演じている。その演技力は確かだが、理屈ではなく本能的に想像する情景が…。それは 例えば カリギュラが女を犯す といった台詞が陰惨・淫靡といった生々しさを想起させない。これが男優の暴力的な言葉・行為だったら、もっと違った臨場感が…。
    次回公演も楽しみにしております。

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