満足度★★★★★
繊細な静寂と闇
ダンサーとミュージシャンの2人よる、ダンス・音楽・美術の複合したパフォーマンスで、白/黒、光/闇、生物/無生物、東洋/西洋、子供/大人、原始的/洗練、美/醜、等といった様々な対立する要素が暗い空間と間の多い静かな時間の中で繊細に描かれていました。
薄暗い舞台の中央にアコシュ・セレヴェニさんが現れ、サックスを通して声を出してディジュリドゥまたは声明のような音を奏でて始めり、上手に設置された横にスクロールするスクリーンの裏に頭に長方形の板を付けたシルエット姿で見えるナジさんがスプレーで絵を描き、自身の影と描いた絵が対話するようなユーモラスなシークエンスが続きました。
上手に吊された2連の三角錘からこぼれ落ちる砂状の金属(?)を複数の金属製の筒で受けて微細な音色を聞かせ、筒同士をぶつけ合ってガムランのような響きを生みだし神秘的でした。下手に移動したナジさんがようやくダンス的な動きをするシーンはいびつな姿で崩れ落ちる姿が人間ではないものに見え、とても印象的でした。
鼻だけを黒く塗り、帽子を被り、両足首に白い鳥の羽を取り付け両手を真っ黒な顔料に浸し、背面のスクリーンにアクションペインティングのように抽象的な絵を描き殴り、その後、顔料を溜めた巨大な壺にナジさんが身体をゆっくり沈み込ませ、全身真っ黒に光輝くの異様かつ神々しい姿で床に絵を描いて静かに去り、暗闇の中を楽器の音だけが鳴り響いて終わりました。
日本的な要素が強く感じられる作品でしたが、ヨーロッパなアーティストが陥りがちな変なジャポニスムになっておらず、東欧的な暗さとシニカルな雰囲気と融合して独特な荒涼とした世界観が魅力的でした。
ナジさんの動きはダンスというよりはマイム的で目を引く派手さはありませんが、身体の隅々までコントロールされていて、孤独な美しさと醜さが同時に感じられ素晴らしかったです。
セレヴェニさんの演奏は普通の奏法はほとんど用いないサックスを主体に、横に寝かせたチェロ(?)や複数のゴングを用い、時間を音で埋め尽くさずに間を大事にしたもので、緊張感があって良かったです。
今回が初ナジ作品だった一緒に行った友人がとても感動し、楽屋に押し掛けてお話させてもらったところ、作品の中で絵を描いたスクリーンを譲っていただくことになりました。舞台上の虚ろで孤独な雰囲気とは全然異なる、優しい雰囲気の素敵なおじさまでした。
前回の来日公演から5年も空いての公演でしたが、次はもっと早いペースで来て欲しいです。
満足度★★★★
研ぎ澄ます
ぼよぉんぼよぉんぼーっ。というような虚無僧の唱える経のような音から始まった。おぉっ!!なんという作品なんだ!カラスの黒く澄んだ刺さるような視線が飛んできた。息吹。緊張。ふと笑える自分。噛締めれば噛締めるほど味が変わる。また反芻できる。良かった。
満足度★★★★
ダンスを生かすということ
ダンスだけの公演は苦手だと改めて感じました。私は現代美術からダンスの世界に入ってきた人間なので、コンテンポラリーやマイムが苦手なのです。
それを踏まえて感想を読んでいただければ幸いです。
この公演では、ダンス以外のインスタレーション、しかも、動きにぴたりと合わせた緻密な生演奏がカラスに変化していくジョセフの美しい動きに、さらに躍動感をプラスしているように感じました。本当に本当に緻密で、相当な時間の稽古があったことでしょう。お疲れ様です。
もちろん、ジョセフが、カラスに変化するのを苦悩するシーンの動きはさすが、ダンス!と思えるほど美しかったのですが。
また、現代美術でもよく使われる、影やスプレー、ライトアップされたスクリーンなども、効果的に演出されていたと思います。
彼が日本で感じた、カラスたちの、群れ、羽音、そして生命力が様々な方法で表現され、カラスが害鳥とされる東京(だけですよね?確か)とは、また違ったアプローチで捉えられているのが、非常に興味深く、自分にとっての、カラスへの見方が変わったのかなという気がします。
それというのも、私には息子が居るのですが、彼はミニカーがとても好きで、家にとてつもない量のミニカーがあり、それの名前を呼べと言われるのが、もはや日課になっています。
その所為なのか、街で清掃車やパトカーや救急車を見ると、昔は汚いもの、不謹慎なもの、に感じていた気持ちがスッと抜けてしまい、「そういうもの」という感覚になった経験からです。
今回の舞台を見て、カラスが「害鳥」であるという先入観がスッと抜けたように思いました。