百こ鬼び夜と行く・改 公演情報 百こ鬼び夜と行く・改」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-12件 / 12件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    コロナ期を挟んだ数年前に観た時の印象が蘇ったが、異形の登場人物らが今回は「お寺(神社だったか)の裏の池に住むヒキガエルを媒介して覗かれる妖怪らの世界。そこへ迷い込んだ最近この村に転居してきた男の目撃する「戦い」が、一体何を象徴するのか、が着目点だ。1枚のクレームを記した紙が、始まり。そこには「蛙の鳴き声がうるさいのでどうかしてくれ」という趣旨が書かれている。町内会の意見箱へに入っていたのを、町内会長さんが男に見せに来る。町内会へ強引に加入させられ、おまけに「君、頼むよ」とその紙を渡される。仕方なく夜の池を訪れ、鳴り渡る蛙の大合唱に向かって「おーい、少し黙ってくれ」と、手段無し。そこに口のきけるヒキガエルが現われる。頭の上に草を乗っけると姿が見え喋る事もできる、という設定。後に登場する怪物らも男の前に存在を顕わにするが、5人ばかりの彼らは鬼滅の刃の剣士「柱」っぽく独特のキャラがある。

    さてこのクレームは、現代のクレーム文化の隆盛(精神文化のある種の劣化)を象徴し、街に置かれた「自由に弾けるピアノ」の撤去を要求する人たちの存在を思い出す。うるさいから止めさせろ、というのは一見「権利の主張」ではあるが、子どもの声がうるさいから公園を撤廃した町でも議論が起きたように、難しい問題をはらむ。で、これは芸術に対するクレーム(愛知トリエンナーレが好例)にも通じ、「不快」との付き合い方、公共空間の確保、そこで優先されるべき事、等の社会的コンセンサス、もっと言えば社会のエートスを育む視点が問われる大きな問題だ。
    蛙の声がうるさいからどうにかしろ、という投書を、妖怪たちは「あいつの仕業だ」と当たりを付け、やがて主のようなその存在(青木詩織)が登場する。ここが私には不満だったのである。一つには、人間界に巣食う望ましからざる精神性の根源を擬人化した存在として、つまり人間と重なる存在として異様に登場してほしかったのだが、妖怪的存在の仕業である事と、それが人間に対してどう影響するのか、という肝心な部分(私にとっては)が曖昧になり、異形の世界の中での出来事になってしまった。夜の内にそれらは解決し、人間界に平穏が訪れる・・・果してそうか。クレームは人間の劣化という症状であり、そこに病理があり機序があるので、そこにメスが入る事と、妖怪界での「戦い」が重なって見えたかった。
    (演出面では、妖怪たちの前に突如現われたその存在は、ミザンス(立ち位置)的に同じ側に居るように視覚的に判断されてしまい、混乱した。対決図を見せるなら、主を上手側、これに対峙する妖怪たちは下手側、といった風に、「何かに対峙し、これを解決せねばならない」という風に見えたかった。主役の立ち位置として中央に立ってしまう事を優先したのは正しい判断なのか、というあたりで「?」が沸いて来てしまった。結局の所、彼らが何と戦い、何に勝ったのか、忘れてしまった。
    が、冒頭からの自分の期待からはズレて行ったのが残念だったが、中々見モノな場面、笑える場面、奇想天外な場面展開はジェットコースター式エンタメといった所。役者の汗が(肉眼ではなく)見えた。

    あくとれを前に訪れたのは恐らく20年前頃。芝居をちらほらと見始めた頃で、知人が出ていた芝居を観に行った、とだけ覚えている。というかその事を思い出した。
    その時も中野駅からの単純な道のりを探しつつ歩いた感覚が蘇り、近づくにつれ足が速まる自分がいる。あれは何の芝居だったっけな・・記憶も記録も辿れず、思い出せずに終わりそうだ。どうでも良い話だが。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白いですね。想像よりスケールもメッセージも大きな内容でした。でも、楽しく歌とダンスをまじえて、見せてくれてとてもよかったです。
    いいお話だったと思います。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    素晴らしい!メッセージ性もあり歌って踊ってザッツエンターテイメント!良かったです。

  • 実演鑑賞

    独特な世界観が有るのでしょうが私の理解力が乏しく残念ながら入り込めずでした。音楽は元気になりました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白かったです。
    人間と自然の共存について考えさせられる内容で興味深かったです。
    役者さん達は何役もこなし、それぞれのキャラクターを好演していました。
    衣裳やパフォーマンスも、とても良かったです。
    独特の世界を堪能しました!

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    幻想的でスケールの大きな舞台でした。人間以外の視点を捉えると、こうなるのかもしれません。セリフ回しやダンスの取り込み方の技術に優れていて、引き込む力がある芝居でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    妖怪達が歌を歌い踊る姿がかっこ良かったです。
    この内容だと箱が小さすぎて勿体なかった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    意外な展開と相まって、すばらしいミュージカルでした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白い、お薦め。
    考えさせるテーマ、それをエンターテインメントな観せ方で飽きさせない。表層的には人間の愚かさを描きつつ、それでも愛すべき存在であると。妖魔界そして人間界、それをキャストは1人複数役を担い紡いでいく。
    見所は、外見から瞬時に怪(妖)しの世界へ導き、説明の「蛙の鳴き声が煩くて眠れない」という(苦情)投書に繋げていく。ミュージカルとして歌が(上手か)どうかは別にして、観(魅)せ、楽しませるという点では好かった。

    上演時間は事前情報では1時間45分とあったが、実際は1時間20分程(休憩なし)。

    ネタバレBOX

    舞台美術は入口の所に朱鳥居、そこに劇中重要な千社札が貼られている。後景は竹が描かれた白幕が等間隔に3枚、その前には切り株か岩(ラストは注連縄)がある。情景の変化によって白幕を回転させ赤幕にする。この幕の表裏が人間界、妖魔界といった違いを表す。
    また冒頭は、客席寄りにキャスト・スタッフの名前が入った提灯が置かれている。なお、観た日は英語字幕付き公演だったため、2列目上部に黒の横板(枕木のよう)に白文字テロップを映す。上演前から蛙の鳴き声。

    舞台は、打ち棄てられた神社の境内とそこにある池。客席をこの池に見立てている。最近町内に引っ越してきた男 神原一(はじめ)、町内会長は彼に投書の処理をさせようとする。途方に暮れた神原は池に石を投げ込むが、大蝦蟇が現れ石を投げないよう頼む。この大蝦蟇を介して妖魔界を覗いてみると、人間の愚行ーー災害から守ってくれていた大木を伐採する といった自然破壊が浮かび上がる。
    なお「投書」そのものを最近の風潮である不寛容に結びつけてしまうと対立軸が暈けてしまう。つまり「鳴き声の煩い」は何を示唆もしくは象徴しているのかを捉え 描いている。公演では妖魔対人間という分かり易い構図にしている。
    人間 生まれた時は裸、最初に(付けて)もらうのが名前。妖魔界で力を持つ第六天、人間の名前や楽しみを喰らい生き永らえている。それが神原の母になったり…神原が忘れてしまった尊き心を思い出させる。人間には名前があって1人ひとりが違う。同じように妖魔界の要石・烏天狗・ろくろ首・九尾の狐など多くの異形を登場させ、人間に準えれば、夫々に個性や役割があり大切なものになる。
    引っ越してきたばかりで、自分には関係ない。そんな見て見ぬふりをする姿、ラストになって明かされる町内会長の名前「境 獏」。人間界と妖魔界の境にあって夢を喰らう獏を連想させる意味深な存在。そして蛙の鳴き声が煩いのは、自然破壊による災害への警鐘…その意味では色々なことを考えさせる珠玉作。

    化粧や衣裳が独特、白塗りにタトゥーアート、被り物で怪しげな雰囲気を醸し出す。また投書を燃やすシーンではマジックを見ているような錯覚。音響ではエコー効果を効かせるなど工夫を凝らす。シリアスな内容だが、歌い(時にスタンドマイクあり)踊り、賑わいを演出する。

    少し気になったのは、妖魔を前に神原と大蝦蟇が右往左往する、それを上手・下手を行ったり来たりするが、その回数が多く諄いような。また、海外公演バージョンとして英語字幕を少し読んだが、ほとんど(冒頭以外は)台詞だけのようで、日本独自の風習なり土俗的なト書き、ナレーション的説明があると分かり易いかも。
    最後に上手の赤幕に書かれていた字は何て読むのだろう。「旬」なら解るが「勹」の中に「目」(⇐見間違えか?)。終演後に聞けばよかったが忘れた。
    次回公演も楽しみにしております。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    細かいとこまではよく分かんなかったけど、なかなかにスペクタクルなミュージカル。大いに楽しめました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     板上は開演迄客席側に名前入りの提灯が十ほど置かれており、ホリゾンントには天井から床まで届く幕が等間隔に三枚掛かっている。蝉と蛙の鳴き声が喧しく聞こえている。蝉は油蝉等。

    ネタバレBOX

     明転後、提灯は出演者たちによって持ち去られるので実質板上は殆ど素舞台の様相を呈するが場面、場面によって大木の根、小振りの岩(注連縄が張られた)等が置かれる。因みにラストシーンでは蝉の鳴き声にヒグラシの鳴き声が交じり季節の移り変わりと寂謬を極めて自然に而も効果的に示している。
     物語に登場するキャラクターは殆どが人間には見えない存在達である。(神、妖魔、妖怪等)が無論舞台上ではそのような衣装や被り物を付けた役者たちが演じているので観客は想像力の翔を広げていれば良い。舞台は過疎化の進む地域。大切な神社の世話をする者も絶えた。殆どの住人は老人でその力も既に失っていたからである。この集落に30代の男がやって来た。得たり、とばかり町内会長は新入りの神原一に集落の厄介事を押し付ける。右も左も分からぬまま神原はそれを引き受けることとなったが、ミッションは近隣住人が訴状を提出したことで具現化した。内容は神社境内に在る池の蛙たちの鳴き声が煩くて夜も眠れないから対応して欲しいというものであった。
     ところで、この訴状の意味する処は極めて深いものであった。何と通常は人の目に見えない妖怪・妖魔・物の怪等不可思議なものたちが関わっている可能性が浮上してきたのである。当初神原は蛙たちの住処である池に礫や石を投げて蛙撃滅作戦を採っていたが池の中から人の言葉を喋る蛙が現れた。そして訴えたのである。「石を投げないで下さい」と。神原は無論驚いたが話をしている内に自らの非を認めて謝り、雌だと知れた彼女に名前を与える。即ちそれ迄亡羊とした存在であった彼女は特別に聖別された存在となったのである。こうして彼らは友となった。この蛙を通して神原は位も高く力も強い妖怪やこの神社の主・要石らと面会する。要石を中心とした九尾の狐、河童、酒呑童子、烏天狗、鉄鼠らが真相を突き止めようと総がかりで調査した処、何と人間の欲望を差配する神・第六天が蛙の喧しい鳴き声を始め近頃頻繁に起こる天変地異の原因を為していることが分かった。因みに第六天とは仏教用語で欲界六天の最高位に位置し魔王と解されることもある神である。この第六天が人間が自然の摂理を破壊せぬよう心を砕き善導し続けたにも関わらず人間が愚かの限りを尽くし挙句の果てに自らの傲慢と愚かさ故に自然の摂理を破壊し続けてきた。既に殆ど取返しの付かない処迄きたというのに一向その愚行を改めようともしない。神は己の不死を賭けこの愚行と対峙するに至ったのであった。その結果、猛烈な雨や嵐がこの地域をも襲うこととなった。要石とその仲間、神原、蛙、町会長らが第六天が神木としてこの神社に立っていた頃とは異なり太い切り株を残して無残にも伐採されて以降、その無体、人間どもの想像力の余りに残酷な迄の欠如に対する怒りや不条理、虚しさ、侘しさ、底なしの絶望が生み出した怪物と戦うことになる。この時九尾の狐は嵐の只中で咆哮するが、その咆哮は狼がその高い誇りと命を賭けて鋭く気圏を切り裂く咆哮にも似て神々しいばかりだ。
     役者陣の熱演、想像力を刺激する脚本、田中正造ではないが、真の文明とは山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるものだと言うことが訴えられていると言うことが出来よう。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    素晴らしかったです。小劇場でのミュージカルっていいですね。演出もよかったです。あと、音効もナイスでした。カエルさんのエコーのかかった声や石を投げたときのポチャンという音もナイスでした。ぶっちゃけ、シアター711とかザ・スズナリでも通用する舞台かなと^^

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