地の塩、海の根 公演情報 地の塩、海の根」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    「ウクライナ情勢を重層的に描く」

     坂手洋二は2022年に映画監督の瀬々敬久からの依頼で、ロシアのウクライナ侵攻に反対するイベントを開催した。そこで行われた小説『地の塩』のリーディング公演が本作の発端である。

    ネタバレBOX

     このリーディング公演の模様を主軸に、かつて燐光群がウクライナで行った公演での体験、そして迫害を受けたウクライナ人の模様を重層的に描いていく。雑誌『通販生活』が表紙でウクライナ侵攻を猫の喧嘩に例えたため炎上した事件も盛り込まれ、随所に私小説的な視点が入り込んでいたところが独特である。

     俳優たちは何役も兼ねるうえにいくつもの時間軸が交錯するためじつにどっしりと厚みのある見応えである。作者の主張は明白だが、時としてそれが強すぎるきらいがあるため好みの分かれる内容とも思う。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    公演序盤のステージを観たが書き忘れていた。正直「当たり率」の低迷が個人的には続いた時期があったがこの所、往年の燐光群舞台、坂手洋二氏の筆致が蘇る感覚がある。本作はウクライナに照準した。二年前に関西で行なわれた反戦イベント(渋さ知ラズの名も出ていた)の会場に立って当時を振り返り、この場所で今リーディングを行なうとしているのだと男が語ると、俳優らがわらわらと登場。取り上げるのは、ウクライナ出身作家「地の塩」である。
    場面変ってウクライナのとある地方都市の郊外、ロシア語で書かれたこの小説をウクライナ語に訳す使命(ウクライナ人アイデンティティの模索)を自らに課す男と、彼の良き対話相手の妻が登場し、当地で開かれた演劇祭に参加したOFFにそこを訪れた日本人の男女と、草原を見渡すそこで出会う。演劇舞台の話題も少々。
    その夫妻の息子が今、自らの意思でロシア(クリミア)に滞在していると言う。やがて息子は帰郷した折、「ロシア人であること/ウクライナ人であること」の意味を探る旅の中で彼が得た必ずしも父母と考えを一にしない考えを告げる。
    ある場面ではロシア・プーチン大統領の演説が、説得力を持って演じられる。プーチン大統領の資質についても語られる。が、彼を礼賛するネットの記事や書き込みの中には不正確で盛った事実も随分あると、日本人のリーディング話者らの会話により紹介される。引いては日本のリベラル派識者の中に「さえ」ロシアを擁護する人間がいる事を嘆く台詞も。
    ウ露関係を前世紀から歴史的にひもとき、現在の状況の本質を作者なりに捉えた現在地は、横暴なロシア・プーチンの所業はどこまでも看過すべきものでない、というものだった、と思う。そこに結論の押しつけ感はなく、ウクライナにも様々な声がある事、我々は事態を「よく見て行く」責務がある事、この結語へと芝居は収斂する。
    ウクライナの場面では、「地の塩」翻訳の志が事態の緊迫により頓挫した、とあったがそこから時を経て(確かそこがエピローグ)、翻訳作業は妻が引き継ぎ、ほぼ彼女の手で完成を見た事、夫は「地の塩」の続きを「海の根」と題して書こうとしている事、その未来への眼差しで芝居は幕を下ろす。

    今回の舞台装置は十年近く前観た舞台(不正確だが「ゴンドララドンゴ」あたり)で使われた、前方客席をえぐり取って残った最前列前に壁を据えて、死角部分が「袖」代りという設え。奥側へ傾斜した舞台を見下ろし、手前の壁上のエリアでの演技を超至近距離に見る。これの視覚的な塩梅も面白かった。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★


    久々に刺激的な舞台を見た。(演劇見るのも久しぶり)
    ウクライナ・ロシアを巡る第一次大戦の頃から今にいたる状況が様々な形で伝えられる。小説の世界と現在を行き来しながら、国の方針に翻弄される「名もなき人々」と時間を共有する。ともすれば、人はどちらが正しい、どちらが悪い、という結論を出したがるが、第三者が戦いをあおるのでなく、どう止めて行けるか。当事者になった人が生き抜いていくことをどう助けるのか、残った者はどう後世に伝えていくのか。物語として消費するのでなく、現在における自分たちに問いかける姿勢で作られた作品。必見です。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2024/06/29 (土) 14:00

    ウクライナを歴史的、地政学的、文学的に彩った壮大なる叙事詩のような作品。スズナリという狭い客席でこの難解な戯曲と向き合うのは体力勝負的なところはある。休憩なしで2時間半を超す長さだが、よくこれだけの長さに収めたと思う。

    西側の報道だけに日ごろ接していると、ロシアがウクライナの大地を一方的に蹂躙しているのが今回の戦争だ。それはそれで事実なのだが、オスマン帝国の時代から見ただけでも、この地が歴史に翻弄されてきていることが分かる。この土地に生きる人たちのありようをわかりやすく伝えるために、京都大学の講堂の来し方やそこで行われた演劇やから説き起こしたり、物議を醸した通販生活の表紙を寸劇にしたり。なるほどこの戦争を形作っているのはそういうものたちがあるのかと分かる。だが、やはり、ある程度知識を仕入れてから見た方が難解さは薄まるであろう。こうした作品を作れるのはやはり燐光群、坂手洋二のなせる業だとは思う。

    戦争は国と国、民族と民族、宗教と宗教の争いであり、先に蹂躙を仕掛けた方が責任を取るべきであるという一般論を超えたエンディングが用意されている。理想論と言われるかもしれないが、やはり人間たちはもうそろそろ、ここで描かれている「海の根」に希望を託すべきではないのか。こんな思いをしっかりと抱きとめたいと思う。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     今作、基本的にリーディング公演の形式を採る。

    ネタバレBOX

     さもありなん、兎に角複雑で輻輳的なウクライナの歴史をオーストリア・ハンガリー帝国に支配された時代から紐解いてゆくのだから、その歴史的経緯を既に学んでいなければ理解するだけでも大変なのである。当然通常の公演のように演じていたのでは舞台美術だけでも予算的にも空間的にも完全に破綻してしまうであろうから、今公演がリーディング形式を採ったのは極めてまっとうな判断だ。それにしてもこれだけの内容を150分強の時間を掛けて演じ、途中休憩無しというのは体力的にも可成りキツイ。
     板上は奥にスロープを設え、手前はフラット。客席側に台を設けてあるがこれが遠近を示す際とても上手に用いられて印象的である。
    今作のタイトル中に在る『地の塩』は、ポーランドのノーベル文学賞候補作家でもあったユゼフ・ヴィトリンが1935年に発表した未完小説のタイトルであるが、ウクライナで出版された翻訳書はロシア語版のみであった。因みに『海の根』は『地の塩』をポーランド語原書からウクライナ語に翻訳しようとし実際翻訳中の男が黒海に面するクリミヤの地からロシアによって拉致され養子縁組などの候補とされ、ロシア人になるよう洗脳教育を受けていると懸念される息子を思い、ウクライナ独自のアイデンティティーと主体性を確立し独立独歩で歩んで行く根拠となるような内容の小説を書く決意をし、実際に準備を整え書き始めている小説のタイトルである。因みに『地の塩』の翻訳には途中から妻も関わってくる。そして、ほぼ2年ぶりに息子と会う機会が訪れた際会えたのは父のみであった。母は息子を気遣う余り精神を病んでしまったからである。
     ところでウクライナは世界の穀倉地帯として知られその収穫量、品質の高さから現在まで世界各国に輸出されてきた。プーチンが新たな侵略を大々的に始める迄は。ざっと歴史を振り返るだけでもオーストリア・ハンガリー帝国の時代、クリミヤを帝政ロシアがオスマン帝国から分捕り自国領と主張した時代、ソ連の支配下に置かれた時代、フルシチョフの特命によりウクライナ領となった時代等の歴史を踏まえ、例え大本(政治支配の)がウクライナ以外に在ろうともウクライナ在のものはウクライナ独自の生に根付き、生きるとの発想でアイデンティファイしようとする。こういった思考をベースに拉致された子の父が書こうとしている小説のタイトルとして選ばれた名称が『海の根』であり、それは本体が離れた場所に根を張り育っていても離れた場所にもその根を伸ばしそこでも息づいている植物の根を、また民族としてのルーツをも意味していると捉えることができる発想から掴み取られた。
     さて、今作では直接触れられていないものの、農業に携わる農民の特性とは何だろうという問いを立ててみた。天候に左右されるのが農業の基本的条件であるから、観測技術が発達し天気予報の的中率が高くなり信じられるようになるまでは基本的に農業従事者による観天望気が基本になっていたハズである。また農地は農業生産物総ての母体ともいうべきものであるからその土壌は農業生産物にとって地味豊かな物でなければならない。また、受粉や病害虫関連の知識と栽培植物との多様な関係についても深く正しい知識が必要不可欠である。更に種まきや収穫に際しては機械化されるまでは多くの人手を必要としたから農民同士の人的関係は共同作業が能う限りスムースに実行できるようでなければならない。こういった様々な手間暇が懸かる生き方をする以上、軍事等に専門的に関わる時間は乏しいというのが現実であろう。そしてこのような生活実態が農民のアイデンティティーを基礎づけているとするならば、海の根の発想は立派にこのアイデンティティーの上に成立すると考えて良い。実際、ウクライナの穀倉地帯の土の色は黒色であるという。日本でも山陰地方の一部にクロボクと言われる土が堆積している一帯があり、高級農作物の一大産地である。
     実際に演じられる物語の舞台は、『地の塩』では、片腕に障害のある主人公ピョートル・ニェヴァドムスキが鉄道駅舎での雑務要員から応召されて兵士となり従軍してからの話、歳の離れた孤児の娘との内縁関係等が演じられる。因みに『地の塩』初演となった2022年大阪城野音公演では、稽古場がK大S講堂であったこと。この講堂は1937年皇太子誕生(現上皇)を記念して帝大構内に建てられたが1960年代若者造反の時代から反体制イベントのメッカともなり、現在迄K大学生による自主運営が為されている。何はともあれ今作日本上演に関わっていた役者たちがウクライナを旅した際に『地の塩』をウクライナ語に翻訳しようとしていた男と妻に出会い同じ表現する者同士として様々な話をするようになった訳だ。
     クリミヤが中心になるのは、『海の根』を書こうとしている男がクリミヤ在住で、日本から訪れている人物たちと交友し現在のロシアとの関係の中で話が進むという今作の二つの柱のうちの一つを為しているからである。凄い作品であるのだが、観るのに体力、気力のみならず健康を要する。出来れば事前にウクライナの歴史書を読んでおいた方が良かろう。
  • 実演鑑賞

    身近な社会問題を早速取り上げて、芝居で現実を考える、あるいは現実が芝居を変える、と言う作品を発表してきた坂手洋二の新作は、湯気の出るホットナ戦争がテーマである。
    舞台は地政学的には遠い南ロシアのウクライナ。日本人には日常、実感がない国が舞台だが、相手のロシアは、明治以降さまざまな国際関係がある。劇中、ロスケと言っても年齢が上の我々には、その蔑称の意味も、感じも、今の流行りの言葉でいえば共有できるところがあるが、ウクライナの方は、ふつうは、どこ?である。さらに、ウクライナとロシアの中世以来のくんずほずれつの関係となると、劇中、随分かみ砕いて説明されるがニュアンスまではベテランの名手・坂手の手を借りてもほとんど伝わらない。作者は、地の塩という現地作家のロシア語の本を翻訳するという話を軸に、本に書かれた鉄道の踏切警手の庶民の生涯と、現地の演劇祭に招かれた日本の劇団員が話を聞くというメタシアターのかたちをとっているが、その複雑さは想像できても実感のとっかかりがない。一番は国境の国土の争いが、長年の民族、宗教と絡んでいることで、日本ではせいぜい韓国・漢民族との海という明確な国境があっての上での軋轢があるくらいだが、中東に近いスラブ民族圏では争いの基の要因についてもよくわからない。
    今上演するには時節をえた狙いとはと言えるが、日本的に解釈しても仕方のない話なので、難しい素材だったなぁ、という感じしか残らない。
    そこで結構つまずくので、芝居の中身を味あう余裕がなかった。2時間半。



  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    混迷する世界、その時代に生きる者にとって演劇の<力>とは…。
    フライヤーには「ポーランド作家ユゼフ・ヴィトリンによる現ウクライナ地域の民衆の苦悩を描いた反戦小説」とあり、2022年6月に関西の演劇人と坂手洋二氏が この小説をもとにした「反戦リーディング」を上演したとある。タイトルからも分かるように小説「地の塩(未完)」と「海の根」という物語(思い)が交錯するように描かれており、その内容は民族・歴史・文化・言語など多岐にわたり、色々な課題・問題提起をしている。

    さて、この作品が燐光群(作・演出 坂手洋二氏)で上演されるから興味を惹くのであって、日常的に この国・地域に関心を持っている日本人がどれほどいるだろうか。地政学的にも すぐ反応できる人はそれほど多くいないのでは(⇦誤解か?)。今回観劇したのは、以前観た「ストレイト・ライン・クレイジー」が少し残念な思いをしたこともあり、このまま燐光群公演を観なくなったら という思いが正直なところ。
    (上演時間2時間30分 途中休憩なし) 

    ネタバレBOX

    素舞台。ただ奥が高くなっており、カーブを描くように低くなり また客席側が高くなる。一見すると八百屋舞台のようだ。基本 リーディングだが、役者が動き回り少なからず情景と状況を表す。
    客席近くの上手 下手に対峙しての会話は圧巻。


    物語は、某国立大学の講堂からウクライナ、ロシア、クリミアへ時間や場所が次々に変化・変遷していく。言えることは<今>を描いているーその意味では現代叙事詩。その観せ方はドキュメンタリーフィクションといった臨場感あるもの。小説「地の塩」の章立を順々に展開するようだが、原作は未完(10章迄)である。そして ロシア語の翻訳はあるがウクライナ語の翻訳はない。そこで リーディングを行うために役者を集める。

    リーディング作業と「地の塩」をウクライナ語に翻訳しようとする作家(家族)の話が交錯する。ロシア語を拒否し、ウクライナ語に未来を託す家族、しかしロシアに止められている息子はロシア語などの教育を強いられる。さらに小説の世界へ、そこでは踏切警手が オーストリア帝国の兵士として徴兵されロシアとの戦争へ…。
    ロシアにいた息子とウクライナにいる父の邂逅、父は「地の塩」をウクライナ語へ翻訳し、息子は その思いを綴った「海の根」、その地に対する脈々たる歴史と敬愛が書き込まれているよう。

    公演の面白いところは、ウクライナ、ロシアといった一方的な観点ではなく、まさにジャーナリステックのような視点で描いたといった印象。他方 難しいところは、現在進行している戦争を扱っているところ。自分の考えスタンスが確りしていないと、単に同調して見誤る可能性があるということ。その意味では おそろしく手強い公演だ。

    世界各国が政治・経済などあらゆる分野で関係していることから、対岸の火事といって傍観していても物価高など火の粉が降りかかってくる。正当なメッセージが込められた倫理観という醒めた見方、遠い国の出来事(戦争)といった他人事ではなく、自分たちとの関わりという視点で観ると興味深いかも。勿論、公演の主張は明確で 燐光群らしい反骨そして硬派なもの。
    次回公演も楽しみにしております。

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