維新派『風景画―東京・池袋』 公演情報 維新派『風景画―東京・池袋』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
1-10件 / 10件中
  • 満足度★★★★★

    面白かったですが
    ちょっとビル風がきつくて寒かった気も・・。
    やっぱり瀬戸内海や琵琶湖で観たいな、という気もしました。

  • 満足度★★

    池袋の日常に埋没してしまったと感じた
    都心の喧騒(電車がホームに到着するアナウンスや電車が通過する騒音、地上から届く無数の通行人のざわめき)、借景としている新宿方面を見通す夕闇の風景、そして顔に当たるそよ風に作品が埋没してしまったと感じました。ただ、佐々木敦氏がTwitter で言っている、彼らのクリエーションの本質は静的で単調な表現の連続の先にあるという意見はなるほどそうかなと思いました。つまり、自分の維新派に対する期待と彼らの創作の方向に隔たりがあったため、今回のように壮大なセットを用いない作品に対して置いてきぼりを食らってしまったのかなということです。

  • 満足度★★

    大雨の中、合羽を着て
    あまり面白くなかった。
    雨にはむしろ助けられていたような・・・

    この感想は後日加筆する。

  • 満足度★★★★★

    雨の風景画を堪能。
    白塗りをすることにより、よりそれぞれの役者の個性、身体が浮き立つよう。
    誰をみても、どこをみても美しい魅力に溢れていた。また、ただそこにあるはずの周囲の情景が、緻密にレイアウトされたかのようにシンクロし、わたしの五感と身体的知性が激しく揺さぶられて仕方なかった。

    この日は途中からかなり雨が激しくなったけど、光るアスファルトが「風景画」のはかなさを、さらに際立たせてくれたようにおもう。

  • 満足度

    19時から
    え?なんでこんなにつまんないの?こんなの維新派じゃないやい!
    なんか素人が作った出来損ないのコンテンポラリーダンスみたい。
    場所も悪い。もっと臨海の方とかに、もっと広くて良い場所なかったの?

  • 満足度★★

    都市の風景
    維新派を観るのは今回が初めてだったのですが、写真で見たことあるのものより小ぢんまりした印象でした。

    男女とも白の半袖シャツと黒の半ズボンで揃えた24人の役者達がフォーメーションを変えながら行う身体表現と奇数拍子のリズムに乗せた台詞を駆使した作品でしたが、ユニゾンでの動きが不揃いで緊張感がない反復が続き、退屈さを感じることが度々ありました。ダンス作品のようなダイナミックなユニゾンにする必要はないと思いますが、もう少し全体的に精度を高めて欲しいと思いました。
    ところどころに面白い表現があったのですが、それが作品全体としての強度に繋がっていなかったのが残念でした。

    池袋の真ん中という面白いロケーションなのですが、周りの賑やかさから隔離されたような空間で、線路に対してしか開かれていない場所だったので、期待していた程には都市の中での野外劇という特殊性が現れていなかったように思います。通行人や他のビルから見ることが可能な場所であれば、役者を見る観客、観客を見る人々、という入れ子構造が生まれて面白くなると思いました。
    舞台奥にずらっと並べられた東京のビルの木製ミニチュアもそのような環境であれば「都市の中の都市」としてもっと効果的に感じられたと思います。

    音楽で使われていた音色が本物のストリングスやピアノのものではなく、シンセサイザーの音だったのが安っぽく感じました。スモークや照明効果の多用も逆に役者の存在感を弱めていたと思います。

  • 満足度★★★

    風景画
    東京の新宿副都心が背景にあって、東京そのものが舞台だと思うとスケールの大きさが感じ取れてよかった。
    天気や時間によって見える景色が違うので、同じものは二度と出来ないと思い観劇。

    何となく表現したいことが感じ取れたような。
    ただ、90分が長く感じた・・・。

  • 満足度★★

    「維新派」が「東京(池袋)」と共鳴することで、さらに見えてきたのは「維新派」自身だった
    池袋西武百貨店の「野外」を使っての公演。
    ミニマムで、借景たる池袋(東京)を見せていく。

    ネタバレBOX

    西武百貨店(セゾン)といえばある時代の文化的なものを象徴したような場所。スノッブな印象だったというか(笑)。それももはや、今やセブン&アイ傘下で過去形である。
    そこの「野外」を使っての公演ということが、「皮肉的」にも聞こえた。

    『風景画』というタイトルからわかるように、当然、池袋の街が借景となり、セットの一部に組み込まれることになる。

    会場は本館駐車場脇の屋上だ。デパートの空調音が響く。
    そして眼下には鉄道。節電以降の東京らしく、あまりネオンは目に付かない。

    東京のあちらこちらに建つ、印象的なビルの模型が数多く屋上の奥まったところに立ち並ぶ。
    「なぜ?」と思った。「東京」を感じさせるのは、池袋じゃ、まだ不十分なのだろうか。開幕の時点ではどう使うかわからなかったのだが、それらは、最後までそこに「ある」だけだった。
    だったら、「池袋」で十分ではなかったのかと思う。これ以上何が足りないというのだ。

    とてもミニマムな動きから始まり、後半もその印象は大きくは変わらない。

    白塗りで、半袖シャツに黒い半ズボン。
    個を否定する(あるいは、個が見えない)かのような出で立ち。
    それは「東京」という街という解釈だとしたら少々常識的すぎかも。
    …実際は、それそのものが「維新派」という印象なんだけど。

    と言うか、その「個の否定(個の見えなさ)」「規制」「統制」「連帯のなさ」と言った、今池袋の屋上で行われていることは、まさにいつもの維新派に感じていることでもある。
    それが「東京(池袋)」と共鳴する。

    ただし、個人的感覚としては、「肉体」は何も語っていない。饒舌なのは、「音楽」と「台詞」と、そして「池袋」である。「池袋」の環境が饒舌に語る。それは、眼下の鉄道であり、ビルの明かりであり、西武の買い物袋を下げて駐車場に行く買い物客であり、風であり、ときおり鼻を刺激する、排気ガスの匂いであり、(たぶん)食堂から流れる揚げ物の匂いである。

    もう、これだけで十分ではないだろうか。ビルの作り物なんていらない。野外に野外を作り出すならば、もっと気の利いたモノにしてほしいものだ。

    肉体も本当に必要だったのか? と問い掛けてしまう。

    もちろん、「動き」があることで、視覚的には楽しめたということはある。
    それは、「環境音楽」のミュージックビデオ的な感覚ではある。

    ひょっとして、「野外」なのに、実際に演じているのは、どこかの室内であり、観客は風が吹く中、どこかの室内で行われている舞台を、野外のモニターで観たほうが、さらに刺激的だったのではないか、と思うのだ。
    そのほうが、リアルな「東京」の「風景画」だったような気がする。

    「肉体」ということで言えば、前に観たときも感じていたのだが、鍛えてない肉体は、キレが悪く。揃えるつもりが揃わないのが気持ち悪い。「揃わないこと」が狙いとは思えないし、なんだかなーと思うのだ。出来のよくないマスゲームな感じ。
    鍛えてないから、例えば、かかとを上げる、なんいう動作が、きれいではない。きちんと上げている者もいれば、手抜きであまり上がってない者もいる。観客は薄暗闇でも見ているし、そういう微妙なところが、ミニマムな動作では、伝わってくる。腕の上げ下げとか角度とか。
    そういうところが、なんだかなー、と思う。

    白塗りで同じ衣装による「個の否定」は、同じように白塗りし、裸である舞踏に感じるのとはまったく逆だ。舞踏では一見見分けがつかないようで、「個」が滲み出る。しかし、こちらは、体型が違っていても「個」が消えていく。

    結局、「統制・規制・個の否定・連帯のなさ」の「維新派」的な要素が「東京」と共鳴することで、さらに見えてきたのは「東京」ではなく、「維新派」自身だったのではないだろうか。
    しかし、その見えたきた「維新派」的な要素が、個人的にはやっぱり嫌いなので、維新派は嫌いなんだな、ということを再認識した100分であった。

    あと、音楽がもっとカッコ良かったらよかったのだが、野暮ったい。ケチャのような人の声(台詞・ただしリズム感悪し)、街の喧噪、そうしたリズムがうまくミックスされていたらどんなに素晴らしかっただろうと思う。
    例えば、ドイツの70年代から80年代ぐらいのロックシーンのような、あるいはミュージックコンクレートとか、音響派とかそんな感じの。
  • 満足度★★★★

    初・維新派
    各所に風景的なものが散りばめられ、役者も風景の一部を表現する。電車のアナウンスという東京的なものもあれば、ベランダの日常風景を切り取ったかのような東京だけに限定されない場面も見られる。
    集団を上手く利用し、美しくて、楽しめる舞台芸術であった。DVDを観よう。

  • 満足度★★★★

    17時正解!
    通常の演劇ならあまりない5時から。
    だんだん薄暗くなりつつあるときに照明も徐々に明るくなってきて
    影もだんだん長くなってきて、空気のひんやり感が心地いい夜の始まり。
    照明や立ち並ぶビルの眺めや効果音と、
    規則的なのか不規則的なのかわからない動きの演者たち。
    生の維新派に触れて良かった。

    ネタバレBOX

    過去の作品は何本か映像で観たことがあって、いつかどこか
    行ったことのない土地で生で観たいと思っていた。
    実現は、意に反して首都圏の公演にはなったけど、首都であっても
    日本なのだと。東京の「風景画」はまさしく東京だった。

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