Caesiumberry Jam 公演情報 Caesiumberry Jam」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.6
1-20件 / 45件中
  • ねこ☆
    絵画を見ているような舞台でした。

  • 時を経て場所が変わって人も変わっても。
    初演のタイニイアリスは劇場そのものの閉塞感が村の在り方と合っていた気がしましたが、今回シアターグリーンになった事によって真逆の開放感もしくは空虚感があった。外に出ればいくらでも世界は広がっているけど、その場所でしか生きられない人々。
    そもそも本自体が変わった部分もあるんだろうけれども、「ああ、そうだった。そうだった。あれ? ここって前もこうだったっけ?」などと思い出したり確かめたりしながら。きっと震災と原発に対してもいずれそうなっていく。っていうか既にそうなって来てる。忘れてはいけないと声高にしながら忘れていく。生きてれば次の何かがすぐに来て1秒以上前はすぐ過去になる。人間は今しか生きられない。いつのまにか手遅れになっていつか死がやって来る。こえーなー。

    ネタバレBOX

    帰り道に池袋駅辺りでパンフレットの人物設定に「のび太ッ!」と突っ込んだよ。
  • 満足度★★★★

    初演とは比べ物にならないクオリティーの高さ
    1991年にある村で出会った日本人カメラマンと外国人男性が、約10年ぶりに日本で再会。カメラマンが数年置きに撮影した村の写真のネガを見ながら、2人で当時を振り返る構成。そこかしこでギャグが多発(笑)。場違いなようでいて、実はそれが良かったですね。ちょっとでも笑っていないと、つらい。

    ネタバレBOX

    出演者が登場するカーテンコールがありませんでした。とうとう無人となった村、棄てられた土地を見せる効果があったと思います。
  • 満足度★★★★★

    ダルカラ復活

    DULL-COLORED POPの劇団活動再開記念&第10回記念公演は、『Caesiumberry Jam』の再演。

    原発事故以降、演劇でも色々な劇団が原発関係の芝居を上演したようだが、

    8月、ちょうどセシウムがニュースに上がり始めた時期のこの再演。



    チェルノブイリ原発事故を題材にしたこの芝居、初演の時以上のインパクトがあった。



    なにより、役者の人数が増え、よりアンサンブルの芝居が強化されていた点が印象深い。



    沢山いた村の住人たちが、芝居が進むにつれ徐々に姿を消していき、舞台上の人口密度が減っていく。

    たいした説明もないままに人が消えていく様は、不気味以外の何物でもない。



    子供たちは、老人は、どこに消えていったのか。

    それでも村に留まり続ける人々。



    そういった光景が、土の敷き詰められた舞台の上で展開される。



    上演終了時、カーテンコールをせずに観客の拍手を一切拒絶する谷賢一らしいやり方は、

    芝居を「見世物」でなく、3月11日以降続く我々の問題として観客に持ち帰らせる。



    チェルノブイリの、放射能に汚染された土は、地続きで客席の我々の足元にも広がっているのだ。



    実に鮮やかな演出。

    いい芝居であった。

  • 満足度★★★★★

    まぁ、そりゃあもう
    恐ろしいほどの完成度。劇場の中と外をくっつける演出(始まり方も終わり方)は良くも悪くも効いていた。おもしろかったか、どうか。そっちじゃない感想ばかりになっちゃうのがある意味残念だけど、それだけでは語れない内容であることは確かだし、どこの演出が駄目でとか、どこが良くてってのも語れないほどきっちりと完成されている。そういう意味では遊びの部分が少ないのかもしれない。観てる側の想像で遊ぶ部分。まぁ、この芝居にはそんなのはいらないのかもしれないけれど。

    ネタバレBOX

    時が経つに連れて、あまりにも性格が豹変し過ぎていると感じる役柄の人もいたけれど、それも狂った日常にい続けたら、そうなるのかも??という範疇。ただ、一個気になったというか、それはどうなのだろう??と思ったのは背景映像に写真を使ったところ。この意図だけはどういう狙いだったのか聞いてはみたい。あれだけ、個人的には違和感があったんですよね。でも、やはり言えることは素晴らしかった!!
  • 満足度★★★★

    いまこの時期だからこそ
    震災後は、少し遠い国の出来事ではなく、今この国で起きてる(起きる)出来事とダブってしまう作品。
    いまこの時期だからこそ、真摯に向き合う作品であったと感じた。

  • 満足度★★★★★

    20110819
    素晴らしいの一言。目の前で起こっていること、まさに演劇を見た。これを今年がタイムリーだからと言って見逃した人は勿体ない。当日パンフレットが本当に素敵。

  • 満足度★★★

    今やることに意味はあるけれど。
    こりっちの評価が高くて、とても期待して見に行きました.
    一言で言えばかなりタイムリー。
    この時期に再演することにとても意味もあると思うし、かなり考えさせられる内容であった。

    ネタバレBOX

    ただ、私がどうしても入り込めなかったのは、話と、空気があっていなかったのかなあと。

    ギャグ的な要素も笑えはしたのですが、話の質と根本的にあっていない。
    猫が突っ込みをいれる様も、他の劇ならば、普通に何も考えずに笑えるけれど、この劇ではなんだか浮いたものになってしまっていたように思える。
    折角、原発が人々に与える影響を、雰囲気のある役者さんたちが演じていても、なんだか、どこかで力が抜けてしまったような気がした。


    ただ、舞台に土を敷き詰めるという発想は素晴らしく、最後に、色んなものが残っているという光景はかなり観ていて切なくなった。
  • 満足度★★★★★

    3.11に印象が多少変わったのだろうけれど
    原発事故を通じて、
    その場、その時間に生きることの感触が
    伝わってくる舞台でした。

    どうしても、震災のことがあって、
    伝わってくるものの色が染まってしまう部分もありましたが、
    でも、それとは関係ない
    たくさんの想いにも満たされました。

    ネタバレBOX

    観終わって、作品のシーンがランダムに思い出されると、
    写真の時間を過ごした村人たち一人ずつへの愛おしさと、
    その時間の繋ぎ止めようのないことへの切なさが
    ゆっくりと降りてきます。
    その感覚は曖昧なものなのですが、
    ずっと居座りつづけていて・・・。

    写真の使い方も秀逸、
    役者はそれぞれにきちんと人間なり猫なりを
    その場に住まわせる力があって。
    中でも、終盤の堀奈津美さんのお芝居には
    狂気を凌駕してその世界に観る側を導くだけの切っ先があって
    言葉を失いました。
  • 満足度★★★★★

    哀しく、美しい。
    この類の原発や戦争モノはどこかメッセージが強すぎたり、暑苦しかったり、胡散臭かったりしてしまうのだが、この作品にはそれがない。安心して眺めていられたし、安心して哀しめ、感動できた。

    ネタバレBOX

    最後舞台上に机とイスだけ残される所が、ものすごく哀しく、感動した。


    カーテンコールがないのが寂しいが、「誰もいなくなった」ということを表現する上ではあの演出は必要だし、死んだ役を演じた役者が最後出てこないところにも谷さんの意図があるのだろうと終演後自分で納得した。
  • 満足度★★★★★

    すっげー、芸術的っっ
    きちんと調べて、まとめ、作り込まれた芸術的な脚本。登場人物になりきって観客を舞台にのめり込ませる確かな役者陣。同時多発的に風景が演じられそれが一つの画として魅せる、緻密で壮大な世界を浮かびあがらせる演出。圧倒された。自分の感性に響く、凄まじい公演だった。刺激的。美しい。でもわかりやすい。見れて良かった。良い芝居を見るとシビレル。

    ネタバレBOX

    チェルノブイリ原発事故現場から30キロほど離れた村の事故前から2005年までの風景。一人の日本人カメラマンは、その暗くて重い灰色な村で明るく過ごす村人達の風景を切り取り、話を聞いていく。年を経て村を度々訪れる内に他人事とは思えなくなってのめり込んでいく。村人達はある者は死に、ある者は去り、ある者は残り続ける。

    驚くことに物語の終盤まで、放射能やチェルノブイリという言葉は出てこない。今でこそ当たり前に知ってるセシウムは、初演時はほとんど浸透していなかった。でも非言語的に、または言葉の端から伝わってくるただならぬ空気。これを5年前の初演時に作ったのがすごいし、今やるのもすごい。

    「3・11」を知った我々の目の前に繰り広げられるのは、明日の我が身かもしれない登場人物たちだ。同じ状況におかれたその時、私達はあの楽観的に最後まで自分達の故郷で生きようとし続けた村人のように笑えるのだろうか。ノンキにこの芝居を見ることは今の自分にはとてもできない。

    チェルノブイリ事故当時ですら、風に乗ってセシウムは日本にまで運ばれてきている。いわんや、「3・11」以降、日本は現在進行形の非常時だ。でも、テレビで「人体にただちに影響はありません」と繰り返され安心してしまう周囲の人たち。あんなに毎日四六時中流されていた福島の原発の現状は、もうテレビではほとんど報道されないのに。東京で被爆することを恐怖する自分は、考えすぎだと笑われる。でも、怖いのだ。だから、作品に登場する人達の、無理矢理にでも明るく振舞う様子を見て、その生々しさに、どうかみんな逃げて、生き延びてくれと、切に願ってしまう。そんな事を思わせるほどリアルだった。

    「朽ちていった命」という本で、被爆するとどんなに苦しいか読んだ。作品中にも、終盤、事故当時に苦しみながら亡くなった消防士が描かれるが、苦しみを想像すると息苦しい。願わくば「3・11」前にこの作品を見たかった。今、見ると、衝撃が大きすぎる。

    カラーパンフレットを買った。どうしても、自分は「原発」と「自分の現実」と重ねてしか作品を見ることは出来なかったが、世界を限定せずに、感性で捉える事で広がる演劇を信じる作家の魅力から、芸術の力を感じた。活動再開したDULL-COLORED POPからは今後も目が離せない。
  • 満足度★★★★★

    絵画の様でもあり映画の様でもある
    劇場の使い方がうまい。会話が同時にいくつも交わされ、どこを見ていていいのか迷うほど。
    前半は明るく、村の人々の姿が描かれているがだんだんとシリアスになっていく。

    脚本の内容がすばらしいのは言うに及ばずだが、演出もうまい。
    役者も老若男女とそろっていて、見所満点であった

  • 満足度★★★★

    壮絶だが美しく哀しいクライマックス
    セミドキュメンタリー・タッチで序盤こそ笑いも多いが次第にシリアスに転じて更に引き付ける。
    事故の影響が見え隠れしながら迎えるクライマックスは壮絶だが美しく(ちょっと違うか?)もあり同時に哀しい。
    また、アレを敷き詰めた舞台美術も◎。

  • 満足度★★★★★

    今そこにあるからこそ
    濃くて重い内容だけど、観せ方が上手い。
    面白いとかどうかよりも、今観られて良かったと心底思えた。

  • 満足度★★★★★

    ( ゚д゚)ポカーン
    ↑抜け殻のワタス
    ★が5つでは足りないのですが。。。w
    2回だった予定が結局5回も観たw
    なのにもっと観たいw
    そんな作品でした。

  • 満足度★★★★

    あえて今
    今だからわかりすぎるから、でも、という。佐賀さんがいい

  • 満足度★★★★★

    こういう時だからこそ
    観ておきたいお芝居でした。
    息がつまるような場面もあり、お芝居が終わった時には
    声がでなかったし、動けなかったです。
    「お約束のごまかし」が利かない、余裕の無い時代に
    知らず知らずに嵌まり込んでいる姿こそ
    鏡に映った自分達なんですよね、間違いなく。
    引き返せないし、少なくとも百年単位で引きずっていく
    その覚悟を突きつけられた宣告のように受け取りました。
    だからこそ、真の希望を持てるまで、
    自分の持ち場で踏ん張るしかない。

  • 満足度★★★★

    ほへー。
    セミドキュメントというか、証言者と聞き手というか。ストーリーというより、モノローグを多用した骨太ドラマというか。やりすぎだろ!と思えるくらいの執拗な演出もあったけど、きっとそこも持ち味のひとつなんだろうな。全員で音楽を作ってる感じというか、背景になりつつ、だけど沈んでないというか。欲をいえば、年齢層をもっとバラした方がより多層になったかと。でもホント、見れて良かった。

  • 満足度★★★★★

    人間幸福の脆弱性とそれでもの希望
    盟友谷賢一氏の劇団DULL-COLORED POPの再始動記念公演である。

    再始動記念公演だから、気持ちを新たに新作をというのが普通人なら考えそうなことだが、谷くんは、再演を選んだ。

    2007年の作品の再演だ。

    もちろん、福島原発の事故があってという現状を鑑みての判断だろう。

    しかし、作品で描かれる「人間幸福の脆弱性とそれでもの希望」は、福島の原発事故とは切り離されてそこにあった。

    ネタバレBOX

    当然、福島原発事故に遭遇してしまった現代日本の我々としては、この作品で描かれるチェルノブイリの事故に対して、作品内における書かれようとはまったく関係なく親近感というか臨場感を覚えずにはいられない。

    だが、僕がハッとさせられたのは、堀奈津美さん演じるリューダを取り囲む物語と、その物語を背負うにふさわしい堀さんの青白く孤独に屹立した佇まいだ。

    誰もが享受すべきささやかな幸せであったはずのモノが、1つの事故をきっかけに召し上げられる。

    享受すべき幸せを召し上げられたリューダの切なる思いは、空間をゆがませるほどの磁力を持った…本来享受するはずであった幸福の到来を待つ思い…狂気に変わる。

    その空間をゆがませるほどの狂気は不幸であるはずの現実を侵食し、ついには奇跡的な反転をもたらし…ハッピーエンドとなれば、「班女」に代表されるような能にいうところの狂女物の変奏となったところだが、この話では、そうはならない。

    リューダの思念をもってしても、現実は反転しえない。

    いや反転しえたのかもしれないが、それを許さない客観性…ゴゴの視点、あるいは作家自身の、あるいは観客の視線が、「本当はあんたは不幸なんだよ」とリューダの夢を覚まそうとおせっかいをやく。

    最後は、そのお節介を拒否したリューダの世界が観客とゴゴを拒絶して幕は下りる。

    リューダの思いに接続しかかった観客は拍手もない世界に押し出されて、客席=現実という本当の絶望の中に帰還する。

    「Caesiumberry Jam」は原発事故の悲惨さを描いた話ではない…こともないのだろうが、僕はこの作品から、絶望すべき世界(原発事故があろうがなかろうが絶望的な現代)を前にしてリューダのように思念によって(あるいは演劇によって)これを反転させようとする谷賢一自身の企みを読みとり、しかしそれでも、その企みは敗れるだろうという諦めにも似た凍える現実認識を読みとった。

    そして、これは原発問題やら何やらが起こるよりも前からの僕らの現状認識に他ならない。

    なにをやろうが僕らは敗北するしかない。

    再出発にあたって、なによりもまず深い現代の絶望を描いた谷賢一が今後どのように希望を描いて行くのか、とても興味がある。(谷賢一が希望を失っていないのは結婚したことからも明らかである。いや、あるいは希望を失わないためにこそ結婚したのかもしれない)

    ますます目の離せない人物である。

    それはそうと、堀奈津美さんが体現する静かで動くことのない狂気、「待つ」ことの狂気は刮目すべきであるが、それは何よりも彼女が本当に、自劇団の再開を「待ち」望んでいたこととも無縁ではないように思う。放射能の中で思念の子供(別の男の子供)として生を受けた新生DULL-COLORED POPの今後が非常に楽しみである。
  • 満足度★★★★★

    現実よりリアル
    今、僕たちが感じている原発への危機というのはすごくうっすらで現実味がないのだが、この芝居は村の最期までを描いているため、現実的だった。また、危険な状況の中でもたくましくキラキラと生きる人々というのがまた今の僕たちとは違う感じがした。それは僕たちが福島にいないからだろうか。ともかく、現実味のない今の僕たちにとって、知るべき生と痛みだと思います。

    個人的に今までで一番新しくて愛らしい塚越さんを見ました。豆のシーン大好き。

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