時を経て場所が変わって人も変わっても。
初演のタイニイアリスは劇場そのものの閉塞感が村の在り方と合っていた気がしましたが、今回シアターグリーンになった事によって真逆の開放感もしくは空虚感があった。外に出ればいくらでも世界は広がっているけど、その場所でしか生きられない人々。
そもそも本自体が変わった部分もあるんだろうけれども、「ああ、そうだった。そうだった。あれ? ここって前もこうだったっけ?」などと思い出したり確かめたりしながら。きっと震災と原発に対してもいずれそうなっていく。っていうか既にそうなって来てる。忘れてはいけないと声高にしながら忘れていく。生きてれば次の何かがすぐに来て1秒以上前はすぐ過去になる。人間は今しか生きられない。いつのまにか手遅れになっていつか死がやって来る。こえーなー。
満足度★★★★
初演とは比べ物にならないクオリティーの高さ
1991年にある村で出会った日本人カメラマンと外国人男性が、約10年ぶりに日本で再会。カメラマンが数年置きに撮影した村の写真のネガを見ながら、2人で当時を振り返る構成。そこかしこでギャグが多発(笑)。場違いなようでいて、実はそれが良かったですね。ちょっとでも笑っていないと、つらい。
満足度★★★★★
ダルカラ復活
DULL-COLORED POPの劇団活動再開記念&第10回記念公演は、『Caesiumberry Jam』の再演。
原発事故以降、演劇でも色々な劇団が原発関係の芝居を上演したようだが、
8月、ちょうどセシウムがニュースに上がり始めた時期のこの再演。
チェルノブイリ原発事故を題材にしたこの芝居、初演の時以上のインパクトがあった。
なにより、役者の人数が増え、よりアンサンブルの芝居が強化されていた点が印象深い。
沢山いた村の住人たちが、芝居が進むにつれ徐々に姿を消していき、舞台上の人口密度が減っていく。
たいした説明もないままに人が消えていく様は、不気味以外の何物でもない。
子供たちは、老人は、どこに消えていったのか。
それでも村に留まり続ける人々。
そういった光景が、土の敷き詰められた舞台の上で展開される。
上演終了時、カーテンコールをせずに観客の拍手を一切拒絶する谷賢一らしいやり方は、
芝居を「見世物」でなく、3月11日以降続く我々の問題として観客に持ち帰らせる。
チェルノブイリの、放射能に汚染された土は、地続きで客席の我々の足元にも広がっているのだ。
実に鮮やかな演出。
いい芝居であった。
満足度★★★★★
まぁ、そりゃあもう
恐ろしいほどの完成度。劇場の中と外をくっつける演出(始まり方も終わり方)は良くも悪くも効いていた。おもしろかったか、どうか。そっちじゃない感想ばかりになっちゃうのがある意味残念だけど、それだけでは語れない内容であることは確かだし、どこの演出が駄目でとか、どこが良くてってのも語れないほどきっちりと完成されている。そういう意味では遊びの部分が少ないのかもしれない。観てる側の想像で遊ぶ部分。まぁ、この芝居にはそんなのはいらないのかもしれないけれど。
満足度★★★★
いまこの時期だからこそ
震災後は、少し遠い国の出来事ではなく、今この国で起きてる(起きる)出来事とダブってしまう作品。
いまこの時期だからこそ、真摯に向き合う作品であったと感じた。
満足度★★★★★
20110819
素晴らしいの一言。目の前で起こっていること、まさに演劇を見た。これを今年がタイムリーだからと言って見逃した人は勿体ない。当日パンフレットが本当に素敵。
満足度★★★
今やることに意味はあるけれど。
こりっちの評価が高くて、とても期待して見に行きました.
一言で言えばかなりタイムリー。
この時期に再演することにとても意味もあると思うし、かなり考えさせられる内容であった。
満足度★★★★★
3.11に印象が多少変わったのだろうけれど
原発事故を通じて、
その場、その時間に生きることの感触が
伝わってくる舞台でした。
どうしても、震災のことがあって、
伝わってくるものの色が染まってしまう部分もありましたが、
でも、それとは関係ない
たくさんの想いにも満たされました。
満足度★★★★★
哀しく、美しい。
この類の原発や戦争モノはどこかメッセージが強すぎたり、暑苦しかったり、胡散臭かったりしてしまうのだが、この作品にはそれがない。安心して眺めていられたし、安心して哀しめ、感動できた。
満足度★★★★★
すっげー、芸術的っっ
きちんと調べて、まとめ、作り込まれた芸術的な脚本。登場人物になりきって観客を舞台にのめり込ませる確かな役者陣。同時多発的に風景が演じられそれが一つの画として魅せる、緻密で壮大な世界を浮かびあがらせる演出。圧倒された。自分の感性に響く、凄まじい公演だった。刺激的。美しい。でもわかりやすい。見れて良かった。良い芝居を見るとシビレル。
満足度★★★★★
絵画の様でもあり映画の様でもある
劇場の使い方がうまい。会話が同時にいくつも交わされ、どこを見ていていいのか迷うほど。
前半は明るく、村の人々の姿が描かれているがだんだんとシリアスになっていく。
脚本の内容がすばらしいのは言うに及ばずだが、演出もうまい。
役者も老若男女とそろっていて、見所満点であった
満足度★★★★
壮絶だが美しく哀しいクライマックス
セミドキュメンタリー・タッチで序盤こそ笑いも多いが次第にシリアスに転じて更に引き付ける。
事故の影響が見え隠れしながら迎えるクライマックスは壮絶だが美しく(ちょっと違うか?)もあり同時に哀しい。
また、アレを敷き詰めた舞台美術も◎。
満足度★★★★★
( ゚д゚)ポカーン
↑抜け殻のワタス
★が5つでは足りないのですが。。。w
2回だった予定が結局5回も観たw
なのにもっと観たいw
そんな作品でした。
満足度★★★★★
こういう時だからこそ
観ておきたいお芝居でした。
息がつまるような場面もあり、お芝居が終わった時には
声がでなかったし、動けなかったです。
「お約束のごまかし」が利かない、余裕の無い時代に
知らず知らずに嵌まり込んでいる姿こそ
鏡に映った自分達なんですよね、間違いなく。
引き返せないし、少なくとも百年単位で引きずっていく
その覚悟を突きつけられた宣告のように受け取りました。
だからこそ、真の希望を持てるまで、
自分の持ち場で踏ん張るしかない。
満足度★★★★
ほへー。
セミドキュメントというか、証言者と聞き手というか。ストーリーというより、モノローグを多用した骨太ドラマというか。やりすぎだろ!と思えるくらいの執拗な演出もあったけど、きっとそこも持ち味のひとつなんだろうな。全員で音楽を作ってる感じというか、背景になりつつ、だけど沈んでないというか。欲をいえば、年齢層をもっとバラした方がより多層になったかと。でもホント、見れて良かった。
満足度★★★★★
人間幸福の脆弱性とそれでもの希望
盟友谷賢一氏の劇団DULL-COLORED POPの再始動記念公演である。
再始動記念公演だから、気持ちを新たに新作をというのが普通人なら考えそうなことだが、谷くんは、再演を選んだ。
2007年の作品の再演だ。
もちろん、福島原発の事故があってという現状を鑑みての判断だろう。
しかし、作品で描かれる「人間幸福の脆弱性とそれでもの希望」は、福島の原発事故とは切り離されてそこにあった。
満足度★★★★★
現実よりリアル
今、僕たちが感じている原発への危機というのはすごくうっすらで現実味がないのだが、この芝居は村の最期までを描いているため、現実的だった。また、危険な状況の中でもたくましくキラキラと生きる人々というのがまた今の僕たちとは違う感じがした。それは僕たちが福島にいないからだろうか。ともかく、現実味のない今の僕たちにとって、知るべき生と痛みだと思います。
個人的に今までで一番新しくて愛らしい塚越さんを見ました。豆のシーン大好き。