バルカン動物園 公演情報 バルカン動物園」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-13件 / 13件中
  • 満足度★★★★

     
     

  • 満足度★★★★★

    一連の研究室もの
    いいですね、とても好きです。

  • 「人間が集まっている場所だって動物園だよな」と再確認。
    自分も昔は男の子だったので科学とか大好きな時期がありました。この物語のほんの導入までだったらその頃に考えていたかもしれないけど、そこから先は様々な見聞などもあってこそ。
    扱っている内容自体はちょっと難しい。でも理解し易い様に作られています。科学へ苦手感を持って冒頭で自ら受け入れを拒否したら勿体無い。ちゃんと観ていればちゃんと入ってきます。新たなものを発見したり分からないものを解明していくのが科学。脳が発達した動物である人間だからこそ追い求めていくもの。しかしそれでも解決しない問題や現実がある。それを生み出したのもまた人間。面倒な生き物。それも含めて愛らしい存在、かな。

  • 満足度★★★★★

    若手公演と聞いていたが
    過程には大きな違いがあるだろうが、最終的に出てきたものは本公演と比べても遜色がないほどに思えた。近未来、おそらく現代では理解されない生命倫理の時代。強いモチーフやプロットが自分には刺激が強すぎて、怖かった。

  • 満足度★★★★★

    会話の重なり合いで編み上がる物語
    平田オリザ氏の書いたいつくかの作品が重層的に構成されており、多数の登場人物が同時に舞台にいる設定においての、会話劇のひとつの完成型を観たような気がする。

    ネタバレBOX

    無責任な「カガクするココロ」=「好奇心」の積み重ねで「今」の世界があると感じた『カガクするココロ』、そして、その続編にあたり、ヒトとサルの平行線が研究室の中にどこまでも続く『北限の猿』、さらに王立フランドル劇場(KVS)&トランスカンカナルが上演し、人の他の生物(サルを中心に)との関係を描いた『森の奥』など、平田作品に散りばめられていた、いくつかのエッセンスが巧みに構成され、さらに「人間」について、科学が進歩していく中であっても、根本にある「愚かさ」のようなものを浮き彫りにしていた。
    これら(あとは『東京ノート』)の作品を観たことがあれば、より一層楽しめるのではないかと思う。

    「人間の愚かさ」とは何か? それは、自らの好奇心によって、自らを知らず知らずのうちに滅ぼしていくという行為だ。
    ダイナマイトや原子力の発明もそうだが、遺伝子操作や人体への探求は、人類のためという言葉によって正当化され、進められる。
    人類の病気を治すために、モルモットやサルを犠牲にする。それは、劇中の台詞によって明らかになるように、モルモットは犠牲にしてもよいのか、ではサルではどうなのか。今研究材料となっているニホンザルの次は、より人間に近い、チンパンジーに、そしてさらに人間に近くなるボノボに進んでいく。しかし、クローンだからという声に対しては、「じゃクローン人間でやればいいじゃないの」という挑発的で過激な台詞にもあったように、行き着く先は、人間を犠牲にする研究かもしれないのだ。

    サルなどの類人猿は、地球の生命の歴史から見れば、わずかの時間差で分岐した「人類の仲間」である。どこまでが「人間」で。どこまでが「許される範囲」なのかが、語られる。
    つまり、「今、ここにネアンデネタール人がいたらどうするのか」という問いに対しては、誰も答えることはできない。

    人間のために犠牲になることが「許される」存在というのは、もちろん人間のおごりであろう。しかし、その一方で、人間の好奇心(カガクするココロ)は留まるところを知らないし、それによって救われてきた命も多いのだ。

    また、サルとの対比で「人間とは」という命題を掲げるのとは別のアプローチで、どこまでが「人間」なのかが語られる。
    それは、脳だけで「生きている」と言われている、脳科学者の存在だ。
    例えば、人工心臓などの臓器を付けている人は、もちろん「人間」である。しかし、脳以外のすべての臓器を人工物に取り替えてしまった人は「人間」なのか、ということだ。
    さらに言えば、その脳さえも人工物に取り替えてしまったとしたら…。
    また、身体は損傷がないのだが、脳の機能を失ってしまった人に、脳には損傷がないのだが、身体の機能を失ってしまった人の脳を移植したときには、その人は「誰」なのかという議論にも達する(これは、ひょっとこ乱舞『旅がはてしない』で「私」とは、どこからどこまでなのか? 「私という存在」はどこにあるのかということを別の角度からさらに掘り下げていた)。

    つまり、人と他の生物との「関係」(生態系)、人そのものの「存在」という2つのアプローチから、人の「(哀しい)愚かさ」が語られるのがこの作品なのだ。
    その「哀しい愚かさ」の最先端にいるのが、舞台の上にいる研究員たちであり、彼らがそれを体現していると言っていい。

    彼らの置かれている近未来では、ヨーロッパで戦いがあり、今も泥沼のように続いている(『東京ノート』と同じシチュエーション)。
    にもかかわらず、恒常化していることから、戦地から離れている日本では、感覚の麻痺と他人事のように、普通の日々が続いている。
    しかし、彼らの心情には不安感が影を落としていると言っていいだろう(まるで、震災被害のない場所に暮らすわれわれのように)。
    戦争への不安感だけでなく、自分のこと、家族のこと、恋人のことなど、諸々がある。

    こうした休憩室で行われている会話は、「動物園」における、例えば「サル」の檻の中を見ているようだ、という皮肉と、まるで「人種」の違いのような各専門分野の研究員や学生たち、そして、彼らによる答えのない討論、例えば、自分の子どもが自閉症で、それを解明し治療するために、ノックアウト・モンキーを作り命を奪いながら実験を重ねる研究者とサルを研究している研究者とが、根源的にわかり合えない様の行き着く先に何があるのかということがある。それはまさに、戦争というものがそれにあたるのではないだろうか。つまり、ここの場所は、しばしば「人種のるつぼ」「火薬庫」の冠を付けられる「バルカン(半島)」であり「動物園」なのである。
    『カガクするココロ』や『北限の猿』のように、とてもシニカルなタイトルが付けられているのだ。

    普通の会話が止めどなく交わされているのだが、その会話は一見、単につながりのない会話なのだが、会話と会話の芯の部分での共鳴があり、きちんと観客に響いてくるのだ。
    例えば、舞台の上手が話されていることと、下手で行われている教育実習の演習の様子が、微妙なラインでリンクして、まるでひとつの会話のように、メッセージを伝えてくる。
    それが、各会話や言葉が直接重なるという安易な方法ではなく、時間差や場所の違いによって、あらゆるところに出現してくる巧みさがある。

    観客は聞こえてくる会話をそのまま聞き、それらがいくつかのキーワードや内容によって、関連性を見出し、さらに物語として編み上がるのを脳の中で感じていく。

    このときの状態は、この舞台にしかできないテクニックであり、1つひとつの会話を完全に聞き取ることができなくとも、大切な台詞はきちんと届くようになっているところが、素晴らしい。
    つまり、一見、まとまりのない会話が同時多発的に起こっているように見え、その実、それらは1本の会話劇としての体を成していくことに気がつき、驚くのである。

    これは登場人物の多さが邪魔にならず、そして、台詞で直接的なメッセージを伝えるのではない、アプローチとして有効であろうと思う。
    そして、このアプローチは、誰もができることではないだろう。

    したがって、改めて、平田オリザ氏の凄さを感じざるを得ないのだ。
  • 満足度★★★★

    足跡を描き上げる確かさ
    1週間の間にB・Aと両チームを観ました。

    切り取られた時間が醸し出す実存感のなかで
    浮かび上がってくる科学の歩みや
    その足跡の人間臭さに
    心を捉えられました

    ネタバレBOX

    97年の初演ということで
    多分時代背景なども変わっているとは思うのです。
    かなりアップデートされているのでしょうけれど・・・。
    昨今の状況の様々な変化を観るにつけ
    近未来という感覚は多少色褪せていて・・・。

    それでも、戯曲が持つ
    科学が歩む雰囲気とか
    その根底にある普遍性のようなものは
    じわじわと確実に伝わってきました。
    いろんな分野での事象の観方の相違や
    互いの連動と軋轢のようなもの。
    それが概念ではなく
    空気というか人間臭さのなかで
    普段着の姿で伝わってくる。

    二つのチームを観て、
    それぞれの空気の違いのようなものから
    伝わってくることもあって。
    なんだろ、科学のアカデミズムのようなものが
    それぞれの研究者たちの個性から
    醸し出される姿がくっきりと感じられて・・・。

    若手といわれる役者たちの個性が
    とてもよく生かされた舞台でもあり
    この激動の時代には
    それほど時を経ることなく再演されるべき
    舞台であるとも感じたことでした。


  • 満足度★★★★

    大事な事を、再確認しました
    若手公演と言うものの、達者な役者さんばかりで、さすがと思いました。ある大学の研究室の1日の物語。たわいもない会話の中からみえる、それぞれの個性や悩み。理屈や公式だけでは割りきれない、人の心情、そして祈り。どんなに、科学や技術が進歩しても、変わらぬ人の思いを感じました。

    ネタバレBOX

    〈能だけになっても、妻が近寄ると、脳波が変わる〉そんな奇跡を信じたいと思いました。
  • 満足度★★★

    [カガクするココロ」と「北限の猿」の続編
    某国立大学の生物学研究室での研究者たちが天才科学者・アレンの脳の受け入れを巡って延々と交わされる先端科学の議論と膨大な無駄話。
    基本、続編なので登場人物は殆ど同じ。膨大な無駄話は一般企業の事務所とは真逆の緩さで、延々と続く。笑

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    その合間に自閉症の研究している准教授と霊長類研究者で論議が交わされる。一方で学生3人が教育実習の練習をする。そして無駄話。そのうち、研究室ではアレンの脳について論議が交わされ、無駄話、無駄話、論議、無駄話・・・という内容に成り下がっていく。

    まあ、こうしてゆるゆるな雰囲気の中で、「人間の身勝手な研究の為にチンパンジーを実験台にしていいのか?!」なんて研究員は訴え、「貴女は肉を食べないのか?」と咎める准教授の意見も交錯させながら脳について終わりのない論議は続いたのだった。

    なぜかこのとき、イルカを想像してしまったワタクシは、こういった結論の出ない論議は目の前に立ちはだかった頑丈な岩のように思えてならなかった。どう突き破ろうとしても貫通できない塊は研究室の周りで逡巡するだけなのかもしれないと・・。

    [カガクするココロ」と「北限の猿」を観劇してるのでイマイチ、マンネリ化して斬新さはない。
  • 満足度★★★★

    「今」だからできた激しい会話劇
    基本的に音楽なし、効果音なしで、激しくゆるやかさの会話(せりふ)が進んだだけで、いかにも、平田オリザ演出らしい舞台でしたし、あと、こまばアゴラデビューになる、ブライアリー・ロングさんのいい演技ががよかったです。

  • 満足度★★★★

    Aチーム追加公演
    気持ち良い会話、気持ち良い環境。

  • 満足度★★★★★

    今、見るということ
    情勢が不測の大惨事で混乱する中ですが、出会えて良かったと思える心動かされる舞台でした。舞台のテーマの科学と、情勢の原発とを無理やり重ねて見てしまう自分もいましたが、生きる事の当たり前の喜びを感じさせてくれる内容だなぁと思いました。目の前で自分の人生とは別の日常がリアルに、でも淡々と描かれる、青年団の舞台では日常が何でこんなにドキドキするんだろう。そして幸運にも、劇場に足を運んで芝居を見れる自分の日常をとても喜ばしく思います。

    ネタバレBOX

    当たり前のように信じている進化の果てのホモサピエンスという、心を持った存在を、観劇後は何だか不確かなものに感じてしまうフワフワした気持ちです。手塚治虫の漫画の様に、100%機械でも感情を持ち、人が脳だけでも生きられるようになった時に、それでもまだ未知な世界を探求し続けるんだろうなと思うと人間ってすげーです。その歴史の大きさ、過去と未来にクラクラします。
  • 満足度★★★★

    普遍的なテーマ
    壮大なムダ話ではあるものの非常に面白いネタ満載。みんなが意見を持っているようなテーマではあろうが、普段毎日考えるようなものでもないため、改めて考えさせられた。ただ、同時多発会話にする必然性は理解できなかった。

  • 20110320
    (^・ェ・^) Bちーむ観劇。

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