ヒロコ 公演情報 ヒロコ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.3
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  • 満足度★★★

    壮大な実験劇
    モノローグやダイアローグが重層的に展開され、正直、すべての会話をつかむことは難しかった。それぞれの話が舞台化できるような内容でもある。特に砂川事件、裁判についてはぜひ上演してほしいものだ。

  • 満足度★★★

    とてもスリリング
    なにげない会話から、基地や安保問題にさりげなく移行する様はとてもスリリング。でも個人的にはシリアスな部分よりも、なんとなくおかしい井戸端会議的会話の方が好きなんですが。

  • 満足度★★★★

    リアルを再構成する時間。
    個人史に依拠する土着性から史実を遡り、虚実交えて時間軸をクロスオーヴァーさせながら『リアルを疑う』ことに照準を定めた作品。
    映像として纏めると回想シーン+ナレーションで終わってしまいそうなところを現代口語演劇的なダイアローグから能をモチーフにしたような動き、そして内省的なインタビュー形式のモノローグに至るまで様々な手法を用いた実験的で複雑な構成。
    どちらかといえば素朴な語り口がソリッド感のある空間美に浸され演劇的な生々しさから遠ざかり、最後には無に帰化するような、観念的な一面もある。
    あまり大衆的であるとは言えないものの、皮膚感覚で観るアート作品としては秀逸。

    ネタバレBOX

    黒い箱がいくつか雑然と並べられているだけの舞台装置。
    物語の表情は照明で魅せる。舞台は3場に構成。

    一場は、女性キャストが4名登場する。途中でひとり誰かが誰かの名前を呼んでいたが、基本的には匿名性が重視され、演者自身の個人史を生まれ育った『土地』ベースに記憶を掘り起こし、その時代の『史実』とリンクさせた『即興ダイアローグ』として作業を行った成果の発表であり、一貫して2人同士の会話劇として成立していた。
    会話の内容は練馬には有名マンガ家が住んでいる、やさいを栽培する、立川の阿波踊り祭り&町内ソングについて、等世間話程度のものが中心で『オチ』は見受けられないまま雑然としたなかで終わる。

    二場は、男性キャストが5名。ひとりは浮浪者のような体であとの4人はスーツ姿で全員客席に向かって正面に立った状態の『インタビュー形式』で行われた。
    通常、回答者は質問者に視線を向けてこたえるものだが、ここでは隣同士に座っている状況が提示されてはいるものの、対面することとアイコンタクトはほぼ皆無に等しい。
    最初はその人『個人』を知ろうとする質問が雑然と交されているが、時間が経過していくうちに内省的なモノローグにかわり、ある者は教師として20年以上勤めたという事実を、ある者は自身の生活について誰に語りかけるのでもなく、まるでひとりごとのように繰り返す。
    そのことばが、青年団でみられるような『台詞のアンサンブル』となって聞こえてくる。
    そのなかでとりわけ目立つのが浮浪者のような出で立ちの男のモノローグ。
    彼は立川の米軍基地拡張に反対した『砂川事件』のメンバーと思わしき人物で、仲間のことや伊達裁判長の審判について、また、未来の日本についても言及している。

    過剰なモノローグが続くなか、舞台の後方からひとりの女性がはいってくる。
    連合赤軍の大槻節子と思わしき女は、ひたすら自身の日記を精読していて、彼女には彼の姿は見えないようだ。

    彼女と彼の頭上に白い霧(スモーク)が十字架を切るように覆われると、黒づくめの女たちがぞろぞろと舞台にあらわれ、能のようにゆっくりとした動きで辺りを徘徊する。
    女たちは、大槻節子と思わしき女の声に耳を澄まし、悲痛な表情を浮かべる者もいれば、ひたすら無に徹している者もいる。

    突然、辺りは暗くなり、航空機が旋回する音が鳴り響く。
    その音はだんだん過激になり、空爆する瞬間の轟音のように聞こえたところで終幕。
    祈りが絶望にひれ伏すようなこの一連の流れがおそらく、三場の『もうひとつの地層』だったものだとおもわれる。

    その戦いで失われたものとは。戦うことは何のためのものだったのか。
    この作品は、自問自答を繰り返していた。
    何となく毎日をすごしているわたしたちがこれからすべきことは、
    認知することだけでいいものだろうか。危機感が募る。

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