クセナキスキス 公演情報 クセナキスキス」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★★

    遅くなりましたが
    いつも以上に独特なテーマ。分かり辛さもあったけれど、楽しみました。

  • 満足度★★★★

    さあ、お代は観てのお楽しみ、でも先払い、返金不可♪
    進化の袋小路という言葉が思い浮かぶ。現代口語演劇のガラパゴス。はたまた、手足をもがれながら、それでもなおこれは退化ではなく進化だと、蛇を指差して語るさまは、あたかも、大きな板に赤い文字で「大イタチ」と書いて客を湧かせた江戸の粋のよう。まったく違うかも(笑)。

    ネタバレBOX

    演劇を好きすぎるがゆえに、そんな自分がなんだかちょっと【気恥ずかしく思う】からなのか、はたまたほんとうに演劇は恥ずかしいものと感じてもいるからなのか、正攻法では愛を語れない【もどかしさ】を漂わせ、逆に、演劇って【気持ち悪い】よね~ と、自虐的に語ってしまう【屈折した素直さ】がやけに愛おしい。

    一見すると小劇場的にはお金の【無駄遣い】にも思わせる、物語も役者も観客もあまり助けないようにもみえる【具象的な舞台美術】を、ある瞬間から反転させて意味のあるものに変えてしまった仕掛けには驚かされたし、
    演技の質がかなり違う役者たちをそのまま舞台に乗せて、その【違和感】をも主題に巧みに盛りこみつつ、ときおり、それはもともと違う楽器たちなんですよ、だからこうやるとオーケストラになる、といわんばかりに見事に音が合わさった瞬間は心地よい。

    けっこう性能のいい武器をもってたりするけどあえて使わず、でも投降もしないという【潔くない閉塞感】が【駄目】すぎるくらい溢れていて【珍獣】のような可愛いさ、なのだけど、はたしてそこはほんとうに戦場なのか、という【疑問符】はちょっと付くので、たぶんはじめて【お薦めはしない】をあえて♪
  • 満足度★★★★★

    上手くセカイを泳げないひとたちへ。
    へぇーそうなんだーふーん。と一応納得してはみるものの、だから何?って疑問ものこる、うんざりするほどほんとうにつまらなくて誰のために世界は回っているのか。っていうことと同じくらい無意味な疑問や単語や呟きが、コミュニケーションの微妙な隙間を埋めるようにあっちこっちでひゅんひゅん飛び交う。飛び交いすぎてもう何言ってるか全然よくわかんない。
    同じツール(言語)使ってるはずなのに、何か自分今、すごい喋ってるはずなのに、何でこんなに伝わらないの。何かを普通に伝えたかっただけなのに、全然普通につたわらない。
    そんな、誰でも知ってるもどかしさ。とか言葉にすればするほど嘘に近づいていくような感覚とか、ていうかソレ言ったらもう何もかもおしまいじゃん。っていう関係性の究極とか、人がただそこに存在しているだけでどれだけ価値を見いだせるのか、ってことについて、悲しいくらいに切実過ぎる話だった。
    生きにくさを全力で受け止めきれなくなっているひとなんかはもう絶対行った方がいい。
    もうすぐ終わってしまうけど。駆けつけて行く価値は確実にある。

    ネタバレBOX

    決して越えられない国境のように大きく立ちはだかる川が客席と舞台の間には流れているようだ。あっち(舞台)は埼玉。こっち(客席)は東京。向こうもこっちも東海地震が起きて街は崩壊し、不自由な避難所生活をしている人たちもたくさんいる。そんな状況下にあるなかで、間もなく開業予定の日帰り老人ホームを舞台に、オープン準備に追われるスタッフや開業認可の審査をするために訪れた市の職員、そこをスタジオ代わりに使おうとするバンドメンバーに、ちょっとした訳ありな人などが入り乱れる。

    上演してから何分も経たないうちに、老人ホームの建っている丘が土砂災害に見舞われて陸の孤島と化し、その丘がいつ崩れ落ちるともしれない、まさに人生崖っぷち、身に危険が迫っている状況からはじまる。通常こういった場合には、慌てふためきおろおろする者や、取り乱してパニック状態に陥る者、怯えて震え出したりする者がいたりするものだが、ここにはそういった者は誰ひとりおらず、苦虫を噛み殺したような表情で憮然としており、殺伐とした奇妙な倦怠感が渦巻いている。

    一致団結して事態を乗り切ろうと率先する者はいたものの、自らの力量では無理だと悟りそそくさと放棄してしまった。震災が起きても自分に被害がなければそれでいい、と思っている者さえいる。その考えに口出しする者はいない。多くの者は閉鎖的で、会話という会話は長くは続かず、多くはひとりごとの延長線上のような呟きで、意志の疎通が根本的に上手くいかない。上手く伝えられないから、自己完結してしまう。
    そんなことが何度も繰り返されるものだから、こちらが思わず求めたくなるようなハラハラするようなサスペンスフルな展開や臨場感、友情や愛情などの素敵なドラマとは孤立無援だった。
    もしかしたらどんな話であったのか。というウエイトは、観客側へ委ねられていた、っていうことになるのかもしれない。それくらいこの作品は、何かを物語ることに対してよそよそしかったけれども、誰かを語る前に、まずは誰かの存在を認めようとしていた、ようにおもえた。だから、胸がつかえるような息苦しさでありながら、それは妙にしっくりくる質感だった。
    停滞した時間の渦のなかで時折共鳴しているように聞こえてくるそれぞれの会話は、孤独を嘆く旋律のようで悲しかった。
  • 満足度★★★★

    ストーカーなひと面白い
    おもしろいキャラばかり、たんたんと続く中盤まではおもしろく、後半の動きはわかったようでもやもやでもある

    ネタバレBOX

    あの先生、あひるの関村氏に似ているとおもった、ネタバレでもないが
  • 満足度★★★★★

    クセナキスの不安と苛立ち
    クセナキスの曲を、少し大きめのボリュームで聴きながら劇場にやって来た。
    舞台で話される「音楽家の高橋さん」の妹のアキさんの演奏によるCDだ。

    舞台の幕が開く。
    そこには、とんでもない台詞のアンサンブルが聞こえていた。

    あえて、クセナキスと比べる必要もないのだが、その緊張感の濃度は等しい。
    台詞が、きつい。

    研ぎ澄まされた鋭い台詞の音色。
    素晴らしい舞台。

    ネタバレBOX

    100年に一度の東海大地震のすこし後、市民の一部はまだ体育館などに避難している状況。

    丘の上にある、開設前のデイサービス。ある宗教団体が運営する予定。
    しかし、中心となるケアマネージャーの急死等で、認可がおりる可能性はまったくなく、開設は無理だろうということだ。

    しかし、そこで働くスタッフは、準備を進めている。
    無理を知っていたり、知らなかったり。

    この場所に人が集まったところで、余震により道路が塞がり、ここは孤立してしまう。

    集まった人の中には、開設に携わる医師がいる。彼は医療事故により、自分は殺人を犯したと責め、その遺族の女性を、この場所に誘拐してきている。
    誘拐された女性は、一日中、音楽を聴き、PCの前にいる。逃げることはしない。ただ、この場所に訪れると思っている(あるいは思っていない)、音楽家の高橋さんを待っている(あるいは待っていない)。高橋さんは、クセナキスの理解者だ。

    老人という設定の女性が開設前のこの場所で暮らす。身体に障害があり、どうやら認知症の兆しもあるようだ(もしくは、その設定を全うしている)。

    様子のおかしい兄を連れにやってきた、医師の妹。介護用品の営業マン。スタッフの女性の恋人。開設前の空いている場所でバンドの練習をする3人。ここで暮らす女性の元恋人である市役所の職員。

    とにかく、全員が何かへの閉塞感を抱えている。閉塞感からくる不安が、苛立ちを醸成する。その苛立ちや不安が舞台の上で充満している。
    その源泉がどこにあるのかが、わかっていてもどうしようもない。
    とにかく、全員が苛立っている。

    大地震の後での疲れや不安が彼らをさらに苛立てている。
    文字通り足下の揺れ、立っているところの不安定さは、彼ら全員に共通する。
    また、ここへの唯一の道が塞がれ、孤立してしまったという様子も彼らの姿に重なってくる。

    ここから出るには、救援隊が必要だと言う。また、自分で帰ることができると主張する者もいる。あるいは、ひょいと簡単に麓と行き来する者もいる。

    ここにいる者は、外からの助けを求めている。自らの力ではこの閉塞感を突破できないと感じている。
    「独り言」と言いながらも、SOSを発信している(救助を求めている)。SOSの声は届いているが、言葉は届いていない。もちろんそれがSOSであることはわかるが、誰もが自分のことだけで手一杯で、手をさしのべることはできない。
    唯一、ここに暮らす女性だけが、手をさしのべようとするのだが、苛立つ者には、その手は見えていない。
    というよりは、「助けてほしいあなた」からだけの救助を求めているのかもしれない。

    声を荒げることはほとんどないのだが、言葉がきつい。
    相手にダメージを与えることを期待しての、一言がきつい。

    特に女性から発せられる一言が、ドスが効いていて背筋が凍る。
    そんな風には言われたくないという空気をまとった言葉は、きつい。

    救いは当然なく、自らの中で納得するしかない。

    崖崩れによる、現実の孤立は、救助隊によって解消されていく。しかし、彼らの孤立は解決しない。

    元医師は、コミュニケーションがうまくなかったと、過去を振り返るのだが、ちゃんとしていれば、と振り返るだけで前は見えていない。

    ラストで、ガラスに映った自分の姿だけは確認するのだが、結局、人とのコミュニケーションは断絶したままで、向かい合う2人の声は、会話とはならず、自分だけに向けられている。

    最初から最後まで、PCに向かい、ヘッドフォンで音楽を聴いている女性キスメは、ヘッドフォンの外で起こっていることは、聞こえるのだが、聞こえないことにしていた。

    それは、実際にはすべての登場人物の姿であり、人のことは聞こえない。聞いてもわからない。クセナキスの音楽は聞こえてもわからないように。
    キスメが待つ高橋さんと、同一の人物とは思えない高橋さんがやってくることで、彼女はひょっとしたら孤立から抜け出せるのかもしれない。高橋さんが本物だった場合は、彼が救援隊になるからだ。

    キスメという名前はHNなのだが、KISSMEからきているという指摘は切ない。

    クセナキスという作曲家は、高橋悠治という弟子であり、音楽家である人によって、特に晩年は、世界とつながっていたらしい。

    クセナキスは晩年、アルツハイマー病に冒されていたと言う。アーチストにとって、自分の作品を世界に伝えられないというのは、どれほど辛いものだったのだろうか。

    クセナキスの苛立ちと不安は、登場人物たちの不安でもある。
    翻訳者や仲立ちをしてくれる救援隊は、彼らにいるのだろうか。

    そういう不安や苛立ちと、外からの「手」は、誰しもが持つであろう願望でもある(あるいはあったはずである)。
    ある時期の誰でもが経験するような気持ちだけに、見ていて辛すぎる舞台でもあった。

    出演者の台詞のアンサンブルがとにかく素晴らしい。
    息をのむ。

    久々に凄い舞台を観た。
    いろんな人に観てもらいたいと本気で思った、(たぶん)初めての劇団ではないだろうか。

    ジエン社はこれから注目していこうと思う。

    再び、クセナキスを聴きながら帰路につくしかない。

    おまけ:劇中で出てくるクセナキスのシナファイ@ユーチューブ。
    http://www.youtube.com/watch?v=9pBMxp8EJFA
  • 音楽
    「わたしだけが知っている」
    と思わせる、力がすごいと思います。

    チラシをブックカバーとして使えるので、集めようと思います。

    ネタバレBOX

    ピンクTシャツのコの「このひとがしゃべってるじゃん」にどきどきしました。

    kiss me
    って痛子…
    痛々しい

    痛々しすぎてさみしい

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