期待度♪♪♪♪
ちょっと敷居は高いのだけれど
中野成樹+フランケンズを観たいのはもちろんなんだけど、知らない海外作品って言うのはいつも一度はしり込みしちゃう。元を知らないからどういじってるのかわからないよ、っていう。でもたぶんそれを越しておもしろく見せてくれるんだろな。だから踏み越えてみてみたいと思います。
ワイルダーってそんなにいいんですか?
コアな演劇ファンの方の中には、「ワイルダーこそ面白い」という人がおられるようなので、一度観てみたいな・・・と。
正直言って、戯曲を読む限り、どこが面白いのか、さっぱりわからんのですけどね。
期待度♪♪♪♪♪
苦しみのなか、「今ここ」にある "僕" として
20世紀アメリカの劇作家、ソーントン・ワイルダーの一幕劇(なんだか近頃こればっかで嬉しいな)” Pullman Car Hiawatha” の「誤意訳」なのでしょう。例によって、アメリカ本国でも『わが町』以外はほとんど上演されないので、とってもとっても楽しみ。どうでもいいけど、大学で、散々読まされて、レポートいくつも書かされた、思い出深い作品です。
中野成樹の「代表作」とあるけれど、僕は観るのははじめてで、気になるところがちょっとある。ワイルダーは、本人も「自分は宗教的な作家」と言うだけあって、宗教の匂いがぷんぷん。本作にも、唐突に、天使が登場したりする。これをどうするのか。
ワイルダーの作品は、物語がなくても、その背景に宗教(特定の宗教じゃあなくて、どちらかというと、哲学的な「愛」みたいな大きなもの)という、どうしようもなく大きな物語にがっちり結びついていて、大きな「外」へとつながっているかんじが魅力。中野が「日本のワイルダー」と呼ぶ柴幸男は、ワイルダーの宗教部分を全部切り捨てちゃって、代わりに「科学」みたいな、日本人にもなじみのある物語(というか、システム)と入れ替えちゃったけど、「科学」は宗教とは逆に、世界を切り分ける思想。ルールを断言する思想。だから、断片のよせあつめみたいになって、外へとつながらない。どこか排他的に、僕には映って不満なのです。
それから、ワイルダーの作品には、生きていることに、どうしようもなく苦しむ人が、必ず登場する。それこそ、自殺したくてしょうがない、でもできない人、とか、狂気の中に苦しむ人、とか。それを、どうするのか。これをどう描くのか。目をつぶるのか。それは僕ら観る側の課題でもある。
ワイルダーの別作品のなかには、こんな言葉が出てくる。天使が、苦しむ人にかける言葉。
「お前の苦しみが取り除かれてしまったら、お前の力は一体どこへ行ってしまうというのですか? 他でもない、お前の自責の念こそが、お前の低く震える声を、人々の心に届くものにしているのです。天使などというものには、卑しく失敗ばかりしている地上の子供らを導くことなどできません。人生の車輪の上で、壊れてしまった一人の人間にならばできることが、天使にはできないのです。ただ傷ついた闘士のみが、愛の奉仕に参加できるのです」
苦しむ人には、苦しむからこそ、失敗だらけの人類のなかに役割がある。僕は、この言葉が大好き。こういう愛を、僕は、観たい。でも、新しい、日本の今を見せてくれるなら、それも嬉しい。ワイルダーには、それだけの可能性があるし、きっと中野成樹の誤意訳にも、それだけの可能性があると、そう思って、今からじっくり待ってます。